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2024年02月29日(木) 4年に1度の日

今日は4年に1度の2月29日です。閏年でオリンピックの行われる年しか2月29日はありません。そのせいかFacebookの今日の思い出に投稿が1つもありませんでした。Facebookは12年はやっているのですが2月29日に投稿した事はないようです。なのであえて投稿しておきました。4年後の2月29日にFacebookにその日の思い出の投稿として出てくると思います。その時は私は55歳になっているのだから、あっという間に時は過ぎますね。今日は2月最後の1日なので頑張って稽古にトレーニングに励みました。今日は妻と長男は髪を切っていました。長男はずっとギターを弾いていました。新しいエフェクターを買ったと言っていました。昨日、私が雑色道場に行く時に、長男と長男の友達がギターを担いで小学校にいるのを見ました。小学校の先生にライブのチケットを渡しに行っていたそうです。2人の周りには小学生がたくさん集まっていて、2人ともカッコつけて振る舞っていました。でも私が見てもギターを担いでいる2人の姿は少しカッコ良く見えました。次男は私が帰宅したらもう寝ていました。頭が痛くて早くに寝たそうです。次男がいないと家が少し静かに感じました。昨日、食パンを食べたいと言っていた次男のために食パンを買って来たのに次男が寝ていて残念でした。


2024年02月28日(水) 親離れのカウントダウン?

子供の小さい頃の写真を見てるとなんか不思議な気持になります。動画を見れば「あ〜あ、こんな時があったな〜」と思い出すのですが、写真だといまいちその時の子供達の姿を思い出す事が出来ません。今の子供達の姿が自分の中でのイメージの全てになっている感じです。なので子供達の動画を見たりするとこの子達はこんなに可愛かったのか?と思います。もちろんその時も子供達を可愛いと思い心から愛していたのですが、やはりもっともっと抱っこすれば良かったなとか、もっともっとこの時を大切にすれば良かったなと思います。これからはもっともっと子供達と一緒にいる今を大切にしなければいけないなと思います。長男はもういっぱしの大人になろうとしています。話せば全然子供ですが、もう自分の考えや意見を持ち、それを私にぶつけて来る時もあります。私の思い通りになんてとうてい行きません。私と他の大人を比べたり、私の考え以上の物を他から聞いてきて、それを私に話したりします。もう親離れのカウントダウンが始まっていると思います。だから子供達と一緒にいる時間を大切にして行きたいと思います。まあ子供達に教えられる事はほぼ全て私の生き方と言葉で伝え教えたと思っています。それを今は分からなくても、心には残っているはずです。いつか子供達が私の教えを思い出してくれると思っています。いつかその事を考える日が来ると思っています。その時にじっくりと答えを出してくれれば良いと思っています。


2024年02月27日(火) 今日の稽古メニュー

今日は、朝は柔軟体操と呼吸法と型を1時間30分行ってからジムに移動して腕のトレーニングを1時間10分行いました。お昼ご飯を食べて休憩し、指導の前に砂袋や鉄柱に正拳、裏拳、手の甲、脛、足の甲、中足と言う部分を打ち付けて部位鍛錬を約1時間行いました。夕方の指導と夜の指導の合間にランニング30分と縄跳びとシャドーを3分2ラウンドずつ行い、夜の稽古では士道しながら生徒達に混ざって下段廻し蹴りの蹴り込みを左40本、右40本行い、スパーリングをしました。スパーリングでも身体がやっと自分の思うように動いて来ました。感もだいぶ戻って来て、良いタイミングで技が入り、相手の技を受けたり返したりカウンターを取ったり出来るようになって来ました。心肺機能も強くなって来てスタミナも付いて来ました。もっともっと稽古して自分を研ぎ澄まして行きたいと思います。


2024年02月26日(月) 6ヶ月後の検診

股関節を人工股関節にする手術から6ヶ月後の検診でした。医師にはとても良好だと言われました。開脚が出来る事、正座が出来る事、膝が胸に付くまで上げる事が出来る事、胡座で座る事が出来る事、走る事が出来る事、スクワットが出来る事などを話すと、医師にも「良かったね」と喜んで頂けました。本当に本当に感謝です。また8月の終わりに1年後の検診があるのでその日まで健康に気を付けて行こうと思います。昨日、体重を計ったら100キロになっていました。体重が90キロを切るまで禁酒したいと思います。せっかく治してもらった身体を壊してしまったら申し訳がないのでしっかりと健康に気を付けたいと思います。私は45歳を過ぎてから、止めた事があります。それはラーメンやうどんや蕎麦などのスープを飲まない事です。醤油なども極力かけないように気を付けています。子供達のために70歳までは仕事をしなければならないので頑張りたいと思います。


2024年02月25日(日) 生きやすく

心と身体は比例しています。歳を取ると身体が弱くなるので、身体と共に心も弱くなって行きます。身体と心は繋がっています。厳しい心を持っていれば身体も厳しくあるはずです。心が緩ければ身体も緩くなり、心がダラしなければ身体もダラしなくなってしまいます。だから私はそれなりには自分に厳しくしようと思っています。歳を取って気持が弱くなるのは心と身体が弱くなるからです。だから私はいつも自分に厳しくして身体を強くしようと心がけてきました。でも最近は弱くなる事も悪くはないかな?と思うようになりました。弱くなったぶん優しくなれるのなら、それも悪くはないと思うようになりました。私は10代20代の時は短気でした。30代の時も尖っていましたし、40代も自分が正しいと思ったら誰とぶつかろうと意見を言う人間でした。今51歳となり死を身近に感じるような体験もし、人が恋しくなり、別に負ける事もそれで円満になるのなら悪くはないと思えるようになりました。妻に対しても子供達に対しても、自分が折れれば円満に済む事であれば、自分が折れようと思えるようになりました。歳を取って生きやすくなっていると思っています。


2024年02月24日(土) 死生観が変わる

昨年の股関節を人工股関節にした手術から半年が経ちました。あの経験は私の人生観に大きな影響を与えました。入院中に100歳の方と同じ部屋でした。人生で初めて100歳の人を見ました。同じ部屋の方々は100歳、86歳、80歳でした。みんな立つ事も出来なく、歩く事も出来ない方々でした。それを見て「あ〜僕もこの歳まで生きていたらこうなっているのか〜?それどころか、この自分の身体がどこまで動くように戻るのだろう?」と思い、いろいろな事を考え悩みました。生きるという事は大変な事だと初めて感じました。死にたいわけではありませんが人に迷惑をかけてしまうようになったら生きていたくはありません。何歳まで自分は人に迷惑をかけないように生きて行けるのだろう?70歳なのか?80歳なのか?90歳なのか?そう考えると自分の人生はそんなに長くない事に気が付き、恐怖を感じました。私は20代の頃は試合で死ねるならそれで本望と思っていました。自分なりの死生観を持って生きて来たつもりです。いつ死んでも悔いのないように生きて来たつもりです。でも私は今、死ぬ事が怖いです。今が1番幸せだから、この幸せをずっと抱きしめていたいです。この幸せを失う事や死ぬ事が本当に怖いです。50歳になりリアルに死を感じてそう思っています。でも今、それに気付いて良かったと思っています。その事でこれからの人生を大切に大切に生きようと心から思う事が出来ました。若い頃は自分の身体がぶっ壊れても自分の思う人生が生きれるなら良いと思っていました。今は歳を取ってから人に迷惑をかけないように自分の身体を大切にして少しでも長生きをしたいと思っています。子供達の孫を抱っこしてあげたいと思います。人間の人生は欲が尽きません。死ぬ時には静かに死ねるよう日々一生懸命に精進して、思いっきり楽しんで馬鹿もやって生きて生きたいと思っています。


2024年02月23日(金) 新聞配達

私は中学年の時に新聞配達をやっていました。田舎だったので、なかなか大変でした。約200軒配達していましたが、次の家まで1kmあったり、坂道の上に配達する家があったりしました。雨の日や雪の日は本当に大変でした。新聞が濡れないよう1部1部ビニール袋に入れて配達をしました。4時は起きて新聞屋まで行き、配達が終わるのは6時ぐらいでした。今の長男の歳にはそれをやっていたんだから、なかなか頑張っていたなと思います。根性はあったと思います。


2024年02月22日(木) 私の人生は終わっている

私は1973年2月生れです。第1次ベビーブームの団塊の世代の人達の子供の団塊ジュニアと言われる第2次ベビーブームの世代の真っ只中で生まれて育ちました。その世代の子供が圧倒的に多いため、何もかもが競走でした。私達の時代は勉強も受験戦争と言われましたが、正しく何もかもが戦争でした。良い学校に行かなければ人生は終わり、大学に行けなければ2流3流の会社にしか入れない、高校に行けなければ人生は一生貧乏のままで終わりだと教育を受けました。そして私は高校を退学になりその戦争に負けてドロップアウトしました。でも私の人生は終わっていません。むしろドロップアウトした所から私の本当の人生が始まりました。夢があるなら夢を目指せば良いと思います。目標があるなら頑張って達成すれば良いと思います。でも楽しく生きたいのなら楽しく生きれば良いのだと思います。人生なんて自己満足です。自分が心からそれで良いと満足出来るのならば、その生き方は間違っていません。自分さえ良ければ良いは、良くないと思います。でも自分がそれで良いと本気で思えるならその生き方は間違っていませんし、それは誰に否定される物でもありません。ただ死ぬ時に後悔するような生き方はしたくありません。自分を慰めるのではなく、本当に自分の人生が良かったと思える生き方をしたいです。私は自分が強くなりたいと言う夢と目標を持って生きています。そして毎日、自分を高めて充実した実感を持って生きたいと思って生きています。その夢や目標は達成しましたし、達成し続けています。夢も目標も叶いっぱなしの人生と言っても良いかもしれません。そう言う意味ではもう私の人生は終わっています。もう夢も目標も叶えてしまったからです。あとはこの人生を思いっきり楽しむだけです。


2024年02月21日(水) 次男の夢

次男が学校で将来の夢は、空手の先生と書いたそうです。空手家は私一代で終わらせるつもりだったので、次男がそう思っていた事に驚きました。空手が本当に好きだったら良いのですが、今の次男を見ているとそうも思えません。私の子供と言うだけで私のあとを継がせるつもりは私にはありません。今の極真空手の選手層レベルなら最低でも全日本に出場して入賞しなければあとは継がせないと思っています。これは最近の黒帯にも言える事ですが、極真空手の黒帯を締めて一般の人に体力や身体能力や腕力で負けるようでは困ります。中には他の格闘技や若い頃スポーツでそれなりだった人も入門して来ます。空手の先生になるなら習いに来た生徒に負けるようでは空手の先生は務まりません。黒帯も同じです。黒帯を締めていて、あとから入門して来た素人に負ける事があるようでは困ります。私生活でも友達や会社の同僚に体力や身体能力や腕力で負けてしまえば、極真空手は大したことが無いと思われてしまいます。自分が極真空手の看板を背負っていると思って日々しっかり稽古し、柔軟体操をしたり基礎体力を付けるトレーニングをしたりして欲しいと思います。組手だけではなく、柔軟性や腕力や体力で負けていたら後輩に厳しい言葉を言えなくなってしまいます。言ったとしても「あなたは私よりも出来ない事ばかりじゃないか?」と思われておしまいです。黒帯を取った時だけ出来てもそれは意味がありません。運転免許にも更新があります。極真空手の黒帯に更新はありませんが、常に自分の出来ない事を出来るようにしていく努力と自分の力を維持する努力だけはして行って欲しいと思います。次男が本気で私の跡を継ぎたいのなら最低ラインは全日本大会入賞です。そうしなければ先生の子供だから後を継いだのだと馬鹿にされ誰も付いて来てはくれないと思います。そしてそんな甘い人間には魅力が無いので、道場もすぐ潰れてしまうと思います。私の考えはこの仕事を子供に継がせたく無いので、ただ見守ってあげたいと思います。


2024年02月20日(火) 凄いと言われる物が1つでもあって良かった。

今日は剛柔流の稽古と技術委員会の仕事のため極真会館代官山道場に行きました。この何年間か渋谷では何処かで大規模な工事が行われているぐらい開発が進んでいます。20代の頃は渋谷は遊びに来る場所でしたが、今は仕事をしに来る場所になりました。ここ最近、トレーニングの記録がグンと伸びて来ています。身体も柔らかくなり開脚もほぼ180度行きます。代官山道場で稽古の前にストレッチをしていたら、コンスタンティン・コバレンコ選手に話しかけられました。あまり言葉は通じなかったのですが、たぶん「人工股関節にする手術をしたんですよね?」的な事を言われ、その後に「超柔らかい!凄い!」と日本語で言われました。50歳を過ぎて全日本チャンピオンに凄いと言われる物が1つでもあって良かったと思います。空手家は昔は強かったと言う事よりも今の自分が何を出来るかが大切だと思います。今の自分の力が今の自分の看板なのだから、昔の古い看板を何時までも大事にあげていても説得力がありません。考えて見れば何時までもあげていられるほどの実績という看板を作る事が出来なかったから、今を頑張れているのだと思います。人より遠回りしても人より遠くまで行きたいと思っています。それが私が高校の卒業文集に書いた言葉です。その言葉を胸に生きて行きたいと思っています。


2024年02月19日(月) 妻が遂に極真空手の聖地に足を踏み入れる

妻が2月17日(土)に友達と三峰神社に行きました。私は前はほぼ毎年三峰神社で行われる総本部冬合宿に参加していましたし、大山総裁の〜年祭などにも参加していますので20回以上は三峰神社に行っていると思います。なので妻は私からも三峰神社のいろんな話は聞いていましたが、三峰神社に行くのは初めてでした。妻も遂に極真空手の聖地を訪れました。妻は大山倍達総裁の記念碑にも参拝して「大山総裁のおかげで私達家族は生活が出来ています。ありがとうございます。」と手を合わせたそうです。それを聞いて私もとても嬉しく思いました。私の仕事を尊敬してくれているから、その言葉が出たのだと思います。本当に僕は良い奥さんをもらったなと思います。それもこれも大山総裁と極真空手のおかげだと思っています。妻も朝のフィットネスクラスで私から空手の指導を受けているのだから、間接的にではありますが大山総裁の弟子です。長男も次男も極真空手をやっているので家族全員が大山総裁の弟子です。三峰神社に行ってテンションが上がって帰って来るなんて最高の妻です。


2024年02月18日(日) 本日は

本日は私が運営する国際空手道連盟極真会館東京城南京浜支部の第23時型競技と第14回I.K.Oセミコンタクトルール組手競技の支部内交流試合を行いました。スタッフとしてお手伝いをしてくれた中村、廣田さん、中山、平澤、浜田さんには心から感謝しております。道場生の成長した姿を見ることが出来た良い試合がたくさんありました。また次回に向けて活動して行きたいと思います。


2024年02月17日(土) 妻不在

今日は妻がいないので、稽古のあと次男と夕食を買いに行き、2人でお風呂に入って、長男が帰って来てから、みんなでご飯を食べました。長男も次男もいろいろ手伝ってくれたので助かりました。次男とお風呂を洗って沸かしたり、夕食を準備している時に次男が「これをママはいつも1人でやってるんだから、なかなか大変だね」と言っていました。本当にその通りだと思います。妻には今日と明日はは思いっきり楽しんで来て欲しいと思います。


2024年02月16日(金) 七人の侍

「七人の侍」を久しぶりに見ました。この作品は白黒なのでカラーでリメイクしたら見たい作品なのですが、たぶんリメイクしても、この作品を超える事は出来ないだろうと思って、リメイクされていないのだと思います。でも確かに、こんな細部にまで拘って作られていて、完成度が高い映画を超える事は今の技術を持ってしても難しいと思います。CGなんかで作ったら逆に安っぽい映像になってしまうような気がします。あとは俳優ですよね。イケメン俳優なんて揃えられたら、もうガッカリです。志村喬と三船敏郎に変わる人はちょっと思い付きません。そして監督は誰がやるか?です。そう考えるとやっぱりリメイクは難しいのかな?と思います。


2024年02月15日(木) 妻の教育方針

妻は長男を育てる時に決めていた事があったそうです。それは1日1回は必ず長男を笑わせるだったそうです。確かに長男は小さい頃から良く笑っていた記憶があります。それは長男が良く笑う子だったのではなく、妻がよく笑わせていた事に気が付きました。長男も次男もよく笑う子に成長しました。何をやっているのかは分かりませんが、長男と次男と2人でケラケラ笑っている声が隣の部屋から聞こえてくる事がよくあります。1日1回は必ず笑わせる。でもこれはなかなか出来る事ではないと思います。私にはとうてい出来る事ではありません。妻は良く笑う人だけど、毎日の日常の中で、病気の日も疲れている日も機嫌の悪い日も悩んでいる日も悲しい事があった日もたくさんあったと思います。そんな日も妻は頑張って子供達を笑わせていたのだろうと思います。そのおかげでそんなに大きな反抗期もなく親に懐いてくれています。私の家族は笑いが多い家族です。あらためてそれは妻のおかげだったんだなと思いました。妻のおかげで、笑いがたくさんあって朗らかで幸せな毎日を過ごせている事に本当に感謝しています。そして尊敬しています。


2024年02月14日(水) 10年前の今日とバレンタインデー

Facebookで10年前の今日の投稿に41歳の私が前蹴上を蹴っている写真が投稿されていました。その写真では私の足が真上に上がり足が胸に付いていました。早い物でそれから10年が経ちました。私も51歳になりました。昨年は股関節を人工股関節にしましたので、もうあの蹴りを蹴る事は出来ません。でも出来ない事が増えて行くぶん出来る事も増やして行こうと思って頑張って稽古しています。今日は5kmを56分間かけて走りました。5km走れるようになりました。あと4分で1時間走った事になるのですが、それはまた今度の目標にするために、あえて56分で走るのを止めました。来週は1時間走れるよう頑張ろうと思います。51歳はとても楽しいです。今日はバレンタインデーでした。長男はチョコレートを1個もらえたようです。次男は昨日、女の子に誕生日プレゼントをもらったそうです。手紙も入っていたそうです。2人共なかなかやるな!と思いました。人に好かれる事は素晴らしい事です。私は人に好かれる事は、この世で何よりも素晴らしい事だと思っています。これからも人から好かれるよう生きて行って欲しいと思います。


2024年02月13日(火) 快挙

ランニングマシーンで50分ランニング出来るようになりました。私にとっては快挙です。手術の前も手術の後もここまで来る事が出来るなんて思いもしませんでした。でも今、私はそこにいます。自分が本気で頑張ればやれない事は無いと言う事を自分で改めて感じる事が出来ています。これからの人生も本気で頑張って行こうと思います。自分の思い描いた事に本気で取り組んで、それを実現させて行こうと思います。今日は腕のトレーニングをしました。今日も記録更新しました。


2024年02月12日(月) 今日

妻と今までで1番泣いた映画の話をしました。私は1位が「ライフ・イズ・ビューティフル」2位が「今を生きる」3位が「セント・オブ・ウーマン」と答えました。妻は1位が「A.I」と言っていました。悲しくて悲しくてもう2度と見られないそうです。私は感動屋なので映画を見て良く泣きます。今日は「かがみの孤城」を見て泣きました。私は感動しては泣きますが、苦しい事や悲しい事や苦しい事では泣かないように頑張っています。今日は夕食後に次男と銃ごっこをし、長男とは野球についていろんな話をしました。妻とはケーキ屋の仕事の話をしました。妻は天職を見つけたようです。妻がケーキ屋の仕事の話をしている時に好きな事を頑張っている人の目をしていました。


2024年02月11日(日) 次男の誕生日ケーキ

今日は個人レッスンが4回入っていました。個人レッスンの合間にウエイトトレーニングも行いました。休みの日も頑張ろうと決めたので頑張っています。身体が動いて頑張れるうちに頑張っておきたいと思います。今日は妻が作った次男の誕生日ケーキを食べました。五条悟のケーキで色は蒼でした。五条悟をイメージして蒼なのだそうです。イチゴがたくさんのケーキでした。妻の作るケーキは見た目も味もプロ級です。


2024年02月10日(土) 次男の誕生日

次男の10歳の誕生日を横浜のFRIDAY'Sで行いました。私は少し早く着いたので1人でフラッとお店に入り1人飲みをしていました。家族が到着したので、みんなと合流してFRIDAY'Sに行きました。長男はギターのライブだったせいか食事中に疲れて寝てしまいました。長男はギターのライブだろうと空手の試合だろうと緊張した事はなかったのですが、精神的に大人になって来たのか?出番の前に緊張すると妻に言っていたそうです。次男はたくさん食べるので、次男が食べている姿を見るととても幸せな気持になります。私が次男が生まれた日の事や私が次男に初めて会った日の事を話すと、みんなよく覚えているね!と驚いていました。私が「さっき1人飲みしている時に真白が生まれた日の日記を読んでいたからだよ。」と言うとみんな「なんだ〜!そうだったのか〜!」と言っていました。私は自分の記憶から消えてほしくない事を日記に書くようにしています。そんなに大切な記憶なのに、記憶は自分の中からこぼれ落ちて忘れてしまいます。だから私は自分のこぼれ落ちた記憶をまた救い出せるように日記を書いています。次男が生まれた日の日記を読みながら、日記を書いていて良かったなと心から思いました。次男の誕生日プレゼントはM1887と言う銃のモデルガンでした。ターミネーター2でアーノルド・シュワルツェネッガーが持っている銃です。ハーレーダビッドソンに乗りながら一発打ったら回転させてセットして射っている銃です。次男は最近ようやく反抗期を迎えていますが、家族を笑わせてくれる心の優しい面白い子です。次男は料理が好きなので将来は寿司屋かラーメン屋になりたいそうです。頑張って夢を叶えて欲しいと思います。


2024年02月09日(金) 若さ

今日は背中のトレーニングをしました。少しずつですが記録も上がっています。鏡で自分の身体を見ても変化を感じています。「もう歳だな〜!」なんて言葉はまだまだ言うには早いと思っています。最低でも80歳まではそんな言葉は言いたくありません。20年元気に活動するために昨年の手術をしたので、そこまでは元気に稽古に励んで若々しくいたいと思っています。妻は私よりも10歳歳が下なのですが、一緒に歩いていて、ずいぶん歳の差があるねと人に言われないように頑張りたいと思っています。長男と次男が成人する時には組手をしたいと思っていますし、長男と次男と一緒に元気にお酒を飲んで、飲み負かしてやりたいと思っています。長男が20歳の時は私は58歳で次男が20歳の時は私は61歳なので、まだまだ頑張らなくてはいけません。心が若くいるために身体を鍛えて、若い身体を維持したいと思います。


2024年02月08日(木) 映画

私が定期的に見る映画を紹介したいと思います。「ゴットファーザー」「ゴットファーザーPart2」「スタンド・バイ・ミー」「スター・ウォーズ」「ラ・ラ・ランド」「ショーシャンクの空に」「今を生きる」「セント・オブ・ウーマン」「七人の侍」「ベン・ハー」「キッズ・リターン」「グレイテスト・ショーマン」なとです。ブルース・リー作品やジャッキーチェン作品やターミネーターやエイリアンやマトリックスやジブリ作品など、書けばもっともっとあるのですが、このぐらいにしておきたいと思います。映画は心を豊かにしてくれます。時には生きる勇気をくれたり、何かの大切さを気付かせてくれたりします。そして1番は楽しみや感動や笑いを与えてくれます。何度見ても色褪せず飽きない映画は最高の映画です。


2024年02月07日(水) 3人で

妻の体調が悪かったので稽古が終わってから長男と次男と3人で外でごはんを食べて、銭湯でお風呂に入って帰りました。長男も次男もよく食べるようになりました。子供達の食べている姿を見てると、とても幸せな気分になり、とても安心します。3人でいろんな話をしながらごはんを食べたりお風呂に入ったりして、とても楽しかったです。


2024年02月06日(火) トレーニング日記

私はトレーニングする時には必ず、1.日時、2.何時から何時までトレーニングしたか、3.トレーニングした種目、4.重さと回数を記録しながらトレーニングします。トレーニングの前には必ず同じ種目をトレーニングした日の記録に目を通して、その日の種目と重さと回数の目標を決めます。トレーニングとトレーニングの間のインターバルは2分取ります。そしてそのインターバル中にも前回と前々回のトレーニングの記録に目を通して、必ず重さか回数を上げるように頑張ってトレーニングします。身体の異変やその日のコンディションなども書いておくようにしています。このトレーニングの記録を付ける事で自分のトレーニングが毎回コンテニューされて、次にどんどん繋がって行き、効率よく自分が成長して行く事が出来ます。そして後でそのトレーニングの記録を見る事で自分の成長を正確に知る事が出来ます。トレーニングの記録を付けるか付けないかで自分の成長は大きく変わって行きます。トレーニングの記録を取っていない人と取っている人では、1年2年経った時には大きな差が出ると思います。そしてトレーニングの記録を取っていると目標をもてるのでトレーニングのモチベーションも大きくアップすると思います。


2024年02月05日(月) 大雪

東京にも雪が降りました。雪が降らない早い時間に家を出て大森道場で稽古とトレーニングを行いました。51歳まだまだ進化しています。今日もトレーニングで記録が上がりました。大森道場の指導から雑色道場への移動は電車で蒲田駅、そこから自転車で雑色道場に行きました。一般部の時間に稽古に来た生徒は雪が積もっていましたし、けっこうな量の雪が降っていたので、なかなか大変だったと思います。でも3名の中学生が稽古に参加しました。本当に可愛い奴らだなと思いました。雪の中を歩いて稽古に来たのだから、相当な気持があったのでしょう。雪道は危ないので無理はして欲しくはありませんし、休むと決めた事は悪い事ではありません。でもやはりこんな日に稽古に来た事は必ず力になります。雪の日に苦労して稽古に行った事は自分の魂が覚えています。自分がしんどい時に必ず力を与えでくれると思います。私も出来る所まで彼らと一緒に稽古をしました。私も大雪の日に譲と駿斗と光と三人で稽古した事は一生忘れないと思います。何年後かは分かりませんが大雪が降った日に今日の事を思い出すど思います。


2024年02月04日(日) 父と母のお祝い

父の80歳と母の77歳のお祝いを森下のみや古と言うお店で行いました。11時50分に錦糸町にある母方の先祖のお墓がある法恩寺で待ち合わせて、皆でお墓参りをする予定でしたが、私達は9時30分に家を出て蒲田駅から京浜東北線で秋葉原、総武線に乗り換え秋葉原から錦糸町へ行く予定でした。私達が改札に入ろうとした時に京浜東北線が止まっていると駅員さんからアナウンスがありました。私達は大きく迂回をし、池上線で五反田へ行き、山手線で五反田から浜松町まで行き、大江戸線で大門から森下へ行きました。10時20分に出発して森下に到着したのは12時過ぎでした。でも不幸中の幸いでした。もし少し前の電車に乗っていたら電車に閉じ込められ父と母のお祝いに行けなくなってしまうところでした。父と母のお祝いには姉と姉の旦那さんと姉の長女と長男と長男の奥さん、妹と妹の三男、私と妻と長男と次男が参加しました。久しぶりに皆で集まる事が出来ました。父も母も孫に囲まれて嬉しそうでした。次男は父と母に手紙を書いて渡してくれました。父が80歳、母が77歳、姉が53歳、私が51歳、妹が48歳ですから、みんなそれなりに歳を取ってしまいました。家族5人で暮らしていたのも遠い昔のようにも感じます。姉には面倒を見てもらいいろいろ世話になりました。部屋の片付けなどは姉にやってもらっていたので私は片付けが出来ない大人になってしまいました。両親がいない時はご飯も作ってもらいました。感謝しています。妹には本当に迷惑をかけてしまいました。いつも子分のように接してしまっていました。ブルース・リーごっこをやらせたり、スター・ウォーズごっこをやらせたり、小さい頃は私の好きなごっこに付き合わせていました。妹に怪我をさせてしまった事もあります。本当に申し訳なく思っています。姉と妹がいてくれたから子供時代を楽しく過ごす事が出来ました。本当に本当に感謝しています。父と母にも感謝しています。本当に生まれて来て良かったと思っています。生まれて来たから今までの喜びや幸せや感動がありました。何か一つ違っていれば私はこの世に存在していなかった訳で、私が存在していなかったら長男と次男も存在していなかった事になります。本当に本当に感謝しています。あともう少し皆で仲良く楽しい時間を過ごせたら良いなと思っています。


2024年02月03日(土) 怒涛のように

1週間が終わるのが本当に早いです。年が明けてから怒涛のように1週間が過ぎて行っている感じがしています。頑張って一生懸命に生きて行きたいと思います。


2024年02月02日(金) 51歳2日目

51歳の2日目が終わりました。昨日に少し疲れを観じたので、今日はゆっくりとした朝を過ごして、床屋に行きました。そのまま道場へ行き、柔軟体操をしてからジムへ移動して背中のトレーニングを1時間10分ほど行いました。自分の身体がどんどん強くなっている事を感じます。ほぼほぼ毎回少しずつ重さを上げたり回数を上げたりして、記録を向上させています。45歳にウエイトトレーニングを再開させた時の自分に、今の自分は想像出来なかったと思います。一念発起した45歳の自分に感謝です。ジムに入会する時に次男も連れていました。次男は3歳でした。その次男があと8日で10歳になります。そう考えると決して6年は短くはありません。でもあの日に決断し一念発起しなければ、もしかしたら今もトレーニングをしていないかもしれません。あの時に一念発起して始めたから6年後の今があり、6年なんてあっという間だと言う事も出来ます。でももし今もトレーニングしていなかったとしたら、この6年をもっとあっという間に感じていたのかもしれません。私は何かを始めるのに遅いなどと言う事はないと思っています。45歳になって何を求めてウエイトトレーニングなんて始めるの?何のために45歳にもなってそんな必死こいてるの?と言う人もいました。その人達に今の私の姿を見せたいです。そして「こうなりたかったからだよ!」と言いたいです。私はやって損する事もやって後悔する事もないと思っています。やって結果が悪かったとしても後悔はしません。どんなに悪い結果が出ても頑張ったのだから諦めがつきます。後悔する事はやらなかった事です。そして人生は自分が満足すれば良いのだと思います。もう私も51歳です。好きなように生きたいと思います。なりたい自分にならせて頂きます。でもこれだけは守りたいと思います。自分がカッコ悪いと思う事だけは絶対にしません。家族や道場生を裏切るような事だけは絶対にしません。


2024年02月01日(木) 誕生日

今日は誕生日でした。たくさんの方々からお祝いのメッセージを頂きました。本当にありがとうございます。朝起きて家族と会っても誰も私に何も言う事はなく、私は少しガッカリして家を出ました。道場へ行き、朝の指導をし、ウエイトトレーニングをやり、夕方の少年部の時にアキラとレオが「誕生日おめでとうございます!」と言ってくれました。私に直接おめでとうを言ってくれた第1号はアキラでした。何歳になってもおめでとうと言われれば嬉しいです。私の誕生日を覚えていてくれた事が嬉しいです。夜の稽古の指導を終え、家に帰宅すると夕食がステーキでした。ちゃんと誕生日を覚えていてくれたんだと思いました。食後にアップルパイでお祝いをしていただきました。妻の手作りのアップルパイはとても美味しいです。プレゼントにサウナハットとクローズのキャラクターの角住賢一のフィギュアをもらいました。好きな物だらけで胃も心もお腹いっぱいになりました。51歳の1日目は最高の1日でした。今日のトレーニングは足と腹と首でしたが全ての種目で記録が伸びました。51歳にして、まだまだ前進しています。51歳も悪くないよ!歳を取りたくないと思っている人もいると思いますが、私は今が1番幸せです!本当に歳を取るのも悪くないです。


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