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2024年01月31日(水) 50歳最後の日

今日で50歳が終わります。今は23時35分なので、もう間もなく私の50歳の1年は終わり51歳に突入します。少しだけ50歳の1年を振り返りたいと思います。50歳の1年最大の出来事は股関節を人工股関節にした手術です。手術中は私は出血のため本当に危険な状態になりました。手術室に入る前に私は「自分の人生に悔いはない、手術が終わり生きていたら、自分の身体がどんな状態になっていようと全力で生きよう。」そう思い手術室に入りました。麻酔で意識が無くなる前に親と兄弟のこと、極真空手のこと、長男と次男のこと、最後は妻のことをずっと思っていました。目が覚めた時に私は「生きていたんだ。頑張って生きて行こう。」そう思いました。そして妻と子供達と両親に感謝と愛情の気持でいっぱいでした。手術後は苦しみと痛みとの戦いでした。その戦いで私は人に対する愛情と感謝の気持を持ち、自分の弱さと向き合い、人の弱さに優しく出来る人になりたいと思いました。そして50歳はたくさんの人との出会いや再会がありました。本当に生きている事に感謝しています。そして50歳はどんな1年だったか?と言うと、50歳は自分が思っていたより悪くなかった。と思いました。40歳になる時に「あ〜40歳だ〜」とため息をついた自分を拳骨してやりたいです。50歳はそんなに悪くありません。とても楽しい50歳の1年でした。かけがえのない貴重で大切で特別な1年でした。歳を取ることはぜんぜん悪くないです。60歳の時にもそのセリフを言えていたら?と思います。なにはともあれあと10分ほどで51歳になります。一生懸命に生きた1年でした。私を生んでくれた両親と共に育った兄弟と、極真空手の関係者と道場生とご父兄様には本当に本当に感謝しています。最後に私の人生を本当に幸せにしてくれている長男と次男と妻に感謝したいと思います。明日から51歳を元気に生きて行きます。皆様、どうぞよろしくお願い致します。


2024年01月30日(火) かけがえのない貴重で大切で特別な1日

明後日には51歳になります。明日が50歳の最後の日となります。こう書くと明日はとてもとても貴重で大切で特別な物に感じます。でも本当は生まれた日から今まで生きて来た毎日がとてもとても貴重で大切で特別な物だったのです。生まれた日も、運動会の日も、水泳大会の日も、全国大会の日も、高校入試の日も、全日本空手道選手権大会の日も、ロシアンカップで戦った日も、好きな子に告白した日も、結婚した日も、子供が生まれた日も、高校を退学になった日も、選手を引退した日も、風邪で寝込んだ日も、好きな子に振られた日も、全て私にとってかけがえのない貴重で大切で特別な1日だったのです。50歳にもなるとそれを心から深く感じるようになりました。これからもいろんな事が起こるでしょう。人生は楽しい事もたくさんありますが、受け入れ難い事もたくさん起こります。でもたぶん自分がこの世から去る日には全てを愛おしく想うのではないかと思います。どんなに最悪な1日もかけがえのない貴重で大切で特別な1日だったと愛おしく想うはずです。そうなっていたいと思います。だからこれからも何があってもこの1日はかけがえのない貴重で大切で特別な1日だと思って過ごしたいと思います。今日は朝は代官山道場で行われている剛柔流の稽古会に参加して、午後から大森道場で柔軟体操と呼吸法と型をやり腹筋背筋をトレーニングし、指導して、指導の合間にランニングを40分やりました。最後の一般部は深野さんと柔軟体操、基本稽古、型と突きと蹴りの打ち込みをやりました。最高の1日でした。50歳の最後の1日も思いっきり楽しんで過ごしたいと思います。


2024年01月29日(月) 人工股関節

私の両股関節は人工股関節になりました。もうその事を忘れるぐらい動けるようになりました。ミットも普通に蹴る事が出来るし、スパーリングも普通に出来ます。とは言っても昔のように多角度な蹴りを出す事は出来ません。なので前よりは少ないカードでトランプをしている感じでスパーリングしています。でも前はいろいろ出来すぎたせいで技の組立に工夫が少なかったような気がします。なので今も少ないカードでいろんな組立を考えてスパーリングしているので、いろいろと工夫があり楽しいです。私の両足の人工股関節は私が死んでしまって火葬されても残るそうです。人工股関節はチタン合金とコバルトクロム合金で出来ているので、熱に強いので火葬されてもはそのまま残るそうです。1つは長男に1つは次男にあげる約束をしています。私の心は妻にと思っています。お墓はいらないですし戒名もいらないので、骨は共同墓地にでも入れてくれればと思っています。


2024年01月28日(日) 長男

親バカかもしれませんご、長男を見ていて、フトした姿に「こいつカッコイイな!」と思う事があります。色が白くて髪がサラサラで手足が長くてヒョロっとしていて、ロックンロール体形でカッコイイなと思います。足を組んでギターを弾いている姿なんてなかなかさまになっています。でも残念ながら話し出すと馬鹿な奴だなと思ってしまいます。大人と子供の狭間にいるんだろうなと思います。あと3年もしたら、もう自分の道を歩き出すのだと思います。親離れしてしまうのだと思います。友達や知り合いもどんどん増えて、自分の世界も広がって行くのだから、忙しくて親と一緒になんていられないと思います。私は初ライブは最前列で見たいなという親バカな希望を抱いては楽しんでいます。


2024年01月27日(土) 入門者

私の中学校の同級生が極真空手を始めました。私の友達は道場まで電車で1時間ぐらいかかる遠隔地に住んでいるので、近くにも道場はあるよと言ったのですが、私の道場を選んでくれました。51歳にして新しい事を始めるのですから大したものだなと思います。頑張って欲しいと思います。私も自分の空手人生で学んだ事を一生懸命に伝えて行こうと思います。


2024年01月26日(金) ギター馬鹿

長男は妻と恵比寿にあるライブハウスに「シンガーズハイ」と言うバンドのライブに行きました。長男がライブから帰って来て、私が「ライブどうだった?生で見たプロはやっぱり凄かったか?」と聞くと「んー凄かったけど、ライブを見て、百瀬先生の凄さが分かったよ。」と言っていました。百瀬先生と言うのは長男のギターの先生なのですが、その先生の凄さが分かったそうです。続けて「プロになれそう?」と聞いたら「んーなれんじゃねー。」って言っていました。長男はいま、その人達の曲を練習しているので、それを踏まえて言っているのだと思うので、全くあてずっぽうな答えではないのだと思います。これは親バカの意見ですが、長男もギターを始めて3年近くなるので、そろそろ頭打ちになる時期ですが、その時期にプロの人を見て、その答えが言えるなら、まあまあ良いかな?と思います。そこで「やっぱプロはスゲー!」とか言っていたり、圧倒されて熱烈なファンになっていたら、もうダメだなと思います。始める前にプロに慣れるとは誰でも言えます。大体の人が、それをやってみて3年ぐらいして自分の才能や可能性が分かって来た頃に勢いがなくなっていきます。そして諦めて行きます。私も根拠はないけど全日本とかには出れる選手には普通になれると思っていました。本気で信じていなかったら途中で挫折するか、親の跡を継ぐか、就職するか、していたと思います。私はチャンピオンにはなれなかったからあまり偉そうな事は言えないけど、この道でそれなりになった人間だから分かります。長男は第一関門は突破したかな?と思います。そして長男はライブから帰って来たら、すぐにギターを弾いていました。長男がどこまでギター馬鹿を貫けるか?見ていてあげたいと思います。期待はしないで見ていてあげたいと思います。


2024年01月25日(木) 読書

湊かなえ著の「人間標本」を読み始めました。ここ最近、本を読む事がおっくうになってしまい、本を読む事を止めてしまっていました。これをキッカケにまた本を読むようにしたいと思います。


2024年01月24日(水) 同じ行動

私は毎日だいたい同じ行動をします。何時に起きて何時に家を出て、どこの自動販売機でどのコーヒーを買ってとか、どのコンビニによって何を買うとか、お昼ご飯は何を食べるとか、ほぼほぼ同じ行動をします。そうじゃないとなんか変な感じがします。なので稽古も何時に始めて何をすると言うのも1週間のスケジュールを決めて、その通りに進めて行きます。なので空手家には向いているのかな?と思います。毎日同じ事をしているから自分の変化が良く分かります。そして少しずつ前に進んで行き、自分が進化している事が実感として分かります。生きている以上、やはり前に進んで行きたいし、自分を高めて行きたいです。あと7日で私も51歳になります。51歳になる時に自分は何を思っているのだろう?


2024年01月23日(火) 長男と次男

日曜日に次男にラーメンを作ってもらいました。とても美味しかったです。次男は料理が好きなようで、今日も味噌汁を作ってくれました。次男は「朝に味噌汁を飲むと元気が出るよね!」と言っていました。長男は毎日ギターを弾いています。座って足を組んで原曲に合わせてギターを弾いている姿は少しカッコよく見えます。この前の土曜日に友達と飲んで家に帰って来て、私は長男と次男とコンビニに買い物に行ったそうです。買い物に行く時に私がフラフラしているから次男が私と手を繋いでくれたそうです。私はかなり酔っ払っていて、アイスクリームとメロンパンを買っていたそうです。私は普段は甘い物は我慢しているので、何かのタガが吹っ飛んでいたようです。そして長男と次男に抱っこさせてと言って、何度も抱っこしていたそうです。私は酔っ払うと寂しくなってしまいます。長男も次男も素直に抱っこさせてくれたそうです。厳格な父親を演じきれないほど寂しくなってしまったのかな?と思います。家族みんなで私を支えてくれるから、どんなに悲しい事や辛い事があっても頑張れます。


2024年01月22日(月) 1週間

1週間が過ぎて行くのがとても早く感じます。今は日曜もトレーニングをしているので、毎日身体を動かしている感じです。ウエイトトレーニングのスケジュールは日曜に胸、月曜に腕、火曜に腹筋、背筋、首、水曜に肩、木曜の午前に足、夜に腹筋、背筋、首、金曜に背中、土曜に腹筋、背筋、首、と言う感じです。月、火、水、金、土にランニングをやっています。火曜と木曜に拳や足を鍛える部位鍛錬をします。柔軟体操と呼吸法と型は毎日やります。50歳でこれだけ稽古している人もなかなかいないだろうと思っています。


2024年01月21日(日) 友達の訃報

小学2年生の時にコンビを組んでいた友達が亡くなっていた事を昨日知りました。亡くなったのは5年前だったそうです。私が福島第3小学校から岡山小学校に2年生のはじめに転校してから仲良くなった友達でした。お楽しみ会ではいつも2人で皆を笑わせていました。2人でドリフの真似をしたり、ハクション大魔王の真似をしたり、アニメの歌を歌ったり、そんな持ちネタでみんなを笑わせて人気者となっていた馬鹿コンビでした。その友達が他のクラスの子に殴られたと聞けば、その子達のいる公園へ仲間を集めて殴り込みに言って喧嘩をしたりもしました。私が「あしたのジョー」にハマった時は一緒にボクシングごっこをして、その子に鼻血を出させ、私は休み時間は職員室で過ごす事になりました。学校が終わるといつも一緒に帰っていました。鬼親父の家を2人でピンポンダッシュをして私が鬼親父に捕まり、家に監禁されて怒られた時も一緒でした。2人で長い棒を見つけ、人の家の柿の木から柿を取り食べていて、見つかって逃げた時も一緒でした。お互いの家に遊びに行き、いつも一緒に悪い事ばかりしていました。33歳の時に再会し、また一緒に飲むようになりました。その友達が飲み屋の子を好きになって、みんなでその店に何度も飲みに行き、なんとかその子とくっつけようと頑張りましたが、見事に撃沈していました。かわいそうだったけど、見事過ぎて、あれは笑ったなー!37歳の時に癌になり、お見舞いに何度か行きました。元気に退院したあたりから、その友達もお酒が飲めなくなり、私達の集にも顔を出さなくなり、少しずつ疎遠になって行ってしまいました。何度か喧嘩もしましたが、見事なまでに全部私が勝ちました。その友達は、仲は良かったけど、秀行と絡んで良い思い出はあんまりないなと言っていたそうです。まあそうだろうなと思います。でもまあ私は一緒にいて楽しませてもらいました。もう話したり出来ないのは寂しいけど思い出も笑い話をたくさんあるから、次にみんなで集まったら君の話して盛り上がりたいと思います。君の馬鹿なエピソードをみんなで思い出し腹を抱えて笑いたいと思います。


2024年01月20日(土) 友達は財産です

中学生の同級生が道場を訪ねて来てくれました。稽古を見学して、その後一緒に飲みに行きました。会うのは33年ぶりです。彼の結婚式に参加したのが会った最後になりました。1番一緒にいた時期は私とその友達ともう一人の友達全員が高校を退学して、ぷらぷらしていた約半年かなと思います。やっぱり同級生とは話が尽きないです。先ずはお互いがどう生きて来たのかを話、お互いの友達の情報交換から、「俺、あいつの電話番号知ってるよ」となり「ヨシッ電話しよう!」とあちこちに電話をし、当時の思い出話しは、話しても話しても尽きず、結局2人で6時間飲みました。2人で6時間飲めるなんて事は、なかなかです。友達って本当に良いですね。30年以上会っていなくても瞬間で昔に戻る事が出来て意気投合出来る。やっぱりそんな友達は10代の頃しか作れないと思います。この再開を機会に末永く付き合って行きたいと思います。友達は私にとって1番大切な財産です。


2024年01月19日(金) 29歳の自分を見つける

夜中にYouTubeで私が2002年にモスクワで行われたロシアンカップ2002に出場した時の映像を見つけました。その映像は当時にロシアで放映された映像のようでした。私はその試合の映像は帰りの飛行機で誰かが撮ってくれた8ミリビデオで見ただけで、その後その試合の映像を見る事はありませんでしたし、そのロシアで放映された映像も見た事がありませんでした。約22年ぶりにその時の映像を見て、夜中に熱い気持になりました。大した事はないけれど生きた証を少しは残したかな?と思いました。妻と長男に見せたら、2人とも、私が今、戦ってるぐらい熱い気持で見てくれていました。私が顔を何発か殴られている映像を見て、妻が「殴り返せば良かったのに!」って興奮して言っていました。それは反則だからダメだけど、22年前の私の試合を見て、そんなに感情移入してくれた事は嬉しかったです。自分で言うのも何ですが29歳の私は頑張っていました。29歳の私はカッコ良かったです。その頃の自分に負けないように今を頑張りたいと思いました。29歳の時の自分に「ありがとう」と言いたいです。


2024年01月18日(木) 完全復活

柔軟体操で開脚もほぼほぼ180度、脚が開くようになりました。ランニングも30分走れるようになりました。基本稽古で全ての蹴りの種目を蹴れるようになりました。型もしっかりとした足の広さと腰を落として出来るようになりました。ミットもバシッと回し蹴りで蹴れるようになりました。スパーリングも出来るようになりました。もう完全復活と言って良いと思います。医学の進歩に感謝です。これであと19年しっかり稽古が出来ます。そのために股関節を人工股関節にしたのです。でもせっかく治して頂いた身体なので大切に使いたいと思います。自分の為だけではなく、家族のため、生徒のため、極真会館のために使いたいと思います。


2024年01月17日(水) 時間を無駄に出来ない

51歳まで、あと2週間となりました。50歳になったと思ったら、もう51歳になるなんて・・・です。1歳、歳を取ると言う事は大きな事です。それは25歳の時に思った事です。25歳の時に初めて強い選手に勝つ事が出来て、その試合でも優勝したのですが、怪我をしてしまいました。治るまでにほぼ1年かかりました。そして試合が出来ずに1年が経ち、1歳、歳を取ってしまいました。自分の人生で自分の身体が1番良い時に1年を無駄にして1歳、歳を取ってしまったのです。1年を無駄にしてしまったからこそ、1年の大切さをその時に学びました。そして私は50歳です。人生50年と言われていた事を考えれば、これからの1年1年は本当に本当に大切にして生きて行かなければいけないと思います。70歳までは元気に稽古して指導するつもりなので、残っている時間は20年、2週間後には19年となります。こう考えるとどれだけ時間を無駄に出来ないか?を実感する事が出来ます。そしてたぶん20年後には、人工股関節の再手術をする事になり、その後はそれなりにお祖父ちゃんになって行くのだろうと思います。


2024年01月16日(火) 健康のために

今週からランニングマシーンでのランニングを始めました。ずっと有酸素運動は止めていたのですが、年末年始の暴飲暴食のため体重が増えてしまったので、健康のために体重を少し落としたいと思いランニングを始めました。毎日20分のランニングを目標に頑張ろうと思います。


2024年01月15日(月) 辞めたい

先週はいろんな事がありました。長男が部活でやっているバドミントン部を辞めたいと言い出し、次男も相撲を辞めたいと言い出しました。そんな時、私は投げっぱなしの言葉を子供達に言います。結論はおそらく妻と話して考えると思うからです。子供達を1番近くで見ている妻を私は信用していますし、父親が詰めて話をして結論を出させても子供達に不満が残ると思います。だから自分はこう思う、自分はこうして来たと言う事を一方的に話して聞かせて終わりにします。あとは妻に全て任せます。それで出した答えに私は文句は言いません。そして長男も次男も辞めずに続ける事になりました。やはり妻に任せて正解だったと思います。


2024年01月14日(日) もう半月が

本当に時間が過ぎるのは早いです。昨年末の興奮冷めやらぬと言う感じで時間が過ぎて、気が付けばもう月の半分が過ぎようとしています。目的を持たず、仕方ないからと働いたり、ただいたずらに時間を過ごしたりする事がないように生きたいと思っています。いつかどこかで誰かに会うかもしれません。その時に自分がみったくない生き方をしていないようにしたいと思っています。友達と久しぶりにあって「ずいぶん老けたね」とか「なんか覇気がなくなったね」とか「つまらない大人になった」なんて言われないように、しっかりと生きて行きたいと思っています。毎日を一生懸命に楽しんで自分の人生をしっかりと生きていれば、歳を取っても人間的な魅力はどんどん上がって行くと思います。そうありたいと思っています。


2024年01月13日(土) 好き

長男がお年玉でギターのエフェクターを買って来ました。自分1人で楽器屋に行って、店員さんに相談して買って来たそうです。「メタルゾーン」と言うエフェクターで音を歪ませるために使うエフェクターだそうです。自分のお年玉を使って買うんだから、やはりそうとうギターが好きなんだと思います。長男は、勉強しろって言ってもやらないし、補強をやれって言ってもやりませんが、ギターはよく弾いています。やっぱり好きは物の上手なれで、その人が好きならそれを自然とやるようになるのだと思います。空手家でも選手を辞めたら稽古しなくなる人がいます。その人は空手が好きと言うよりもチャンピオンになるという目標のために稽古していたのだと思います。だから目標が無くなったら稽古する必要はなくなるわけです。チャンピオンになるのが好きだったと言うことなのだと思います。その人の行動は何が好きか良く分かります。働くのも何のために働いてるのかが分かります。お金持ちになりたいから、旅行がしたいから、車が欲しいから、美味しい物を食べたいから、お酒を飲みたいから、そのためなら仕事も頑張れると言うわけです。空手道場を経営している人の中でも、指導をたくさんする人は指導が好きなのだと思います。他の事業をやる人や道場を増やして経営を頑張る人はお金持ちになりたいのだと思います。指導もしっかりやって自分の稽古もしっかりやる人はの本当に空手が好きなんだと思います。私には他の事業やゴルフやゲームやパチンコやギターをやる時間があるならその時間を自分が稽古する時間に使いたいです。ある意味で言えば自分が稽古する時間を作るために道場を経営していると言ってもいいかもしれません。空手道場の経営者は時間は有り余っています。その有り余っている時間を何に使うか?でその人の空手に対してというか生き方が見えてくると思います。ラーメン屋さんで朝から仕込みをして営業して営業が終わったらラーメンの研究をするラーメン屋さんをTVで見た時に、私はこの人見たくなりたいと思いました。まあとはいえ霞を食べて生きていけませんので、経営に行き詰まれば、空いている時間を働く事でお金を稼ぐしかありません。それは素晴らしい事です。でもそうじゃない場合はやはりその人はお金儲けが好きなんだと思います。私は空手屋ではなく空手家でいたいと思っています。長男もギターリストで有名になりたい、とかギターリストでお金持ちになりたいと思うのではなく、ギターが好きなギターリストになって欲しいと思います。もしそうなら一生ギターリストで入れるはずです。プロじゃなくても空いている時間にギターを弾いてライブしてお客さんが来てくれて誰かを感動させられるなら立派なギターリストです。そこだけは私に似て欲しいと思っています。


2024年01月12日(金) スタンド・バイ・ミー

10代は毎日がお祭りでした。20代は毎日が戦いでした。毎日が青春でした。もう戻る事は出来ない大切な時間でした。でも今だって、その取り戻せない大切な一瞬を生きています。だから悔いの残らないように毎日を思っきり楽しんで一生懸命に生きていたいと思っています。そして今、自分と一緒にいてくれる人を大切にしたいと思います。いつか今を思い出した時に取り戻す事の出来ない素晴らしい思い出になっていて欲しいと思います。長男にも次男にも勉強もして欲しいと思いますし、習い事も頑張って欲しいと思います。でも1番は毎日を一生懸命に楽しんで欲しいです。1度しかない青春を思いっきり楽しんで欲しいと思っています。私は思いっきり青春しました。10代の頃の仲間や20代の頃の空手の先輩や後輩とあってその頃の話をしたら話しても話しても話は尽きる事はありません。そのぐらい濃い時間を過ごしました。だから後悔はありません。本当に人生を一生懸命に楽しんで来ました。子供達にもそう生きて欲しいと思います。そして友達を大切にして欲しいと思います。一生付き合って行ける友達を作って欲しいです。たくさんの感動を一緒に共有した友達を作って欲しいと思います。だから私は「スタンド・バイ・ミー」を子供達によく見せます。


2024年01月11日(木) 自分に出来る事を

お正月から気の毒なニュースが多く、気が滅入ってしまいそうになります。何も出来ない自分を無力に感じたりもします。そんな時は私は自分のやるべき事ややりたい事を一生懸命にやって集中するようにしています。自分に辛い事や苦しい事や悲しい事が起きた時も同じです。一生懸命に仕事をして、一生懸命に稽古して、一生懸命にご飯を食べて、一生懸命に寝て、一生懸命に楽しんで、とにかく自分に出来る事を一生懸命にやるのです。その一生懸命にやった事が必ず誰かの役に立つはずです。自分の目の前にある事を一生懸命にやる事が必ず誰かの役に立つと信じて頑張るのです。人には与えられたポジションがあります。そのポジションの役目を果たす事が必ず誰かの役に立つと思います。でもいつかは自分が渦中の人になるかも知れません。その時にはその時に出来る事を頑張れば良いのだと思います。これは東日本大震災の時に思った事でした。今日も一生懸命に指導して、一生懸命に稽古をして、一生懸命にご飯を食べました。また明日も一生懸命に頑張ろうと思います。


2024年01月10日(水) 一歩前へ進む

私は頑張っていないと、とても不安になります。それは若い頃からそうでした。その始まりがいつだったか?はハッキリと覚えています。それは私が20歳の頃でした。錦糸町にある私の母方の先祖のお墓の前でした。お墓の前で手を合わせて目を瞑っていたら、鮮明に自分がこの世からいなくなる瞬間が想像出来たのです。この瞬間があると言う事は、私がお墓に入って誰かに手を合わされている瞬間が必ず今と言う瞬間になると感じたのです。何故そう感じたのか?は今だに分かりません。でもそう感じたのです。その時から時間を無駄にしてはいけない、生きているこの瞬間を頑張らなくてはならないと強く思うようになりました。それから早いもので30年が経ちます。自分がいなくなる未来はもうすぐそこにあると言う感覚が凄くあります。これからどうなるかなんて誰にも分かりません。自分の未来を誰かに相談するつもりも占ってもらうつもりも、毛頭ありません。でもそれがどんな結果になろうと自分が後悔する事はないように生きたいと思っています。だから毎日、頑張っていないと遊んでいてもお酒を飲んでいても食べていても楽しくありません。だから毎日を頑張る事が自分の人生を楽しくする事だと思っています。と言う事で今日も頑張りました。自分は一歩前に進みました。


2024年01月09日(火) 自分の気持ちを人に伝える

私が、何か1つ努力をせずに身に付けられる物があるとして欲しいと思う物はコミュニケーション能力です。自分にそれがあったらもっともっとスムーズに生きていけるのになと思う事が多々あります。自分の気持をもっとスムーズに相手に伝えたり、知らない人と上手くコミュニケーションを取ってどんどん仲良くなって行けたら、もっともっと良い人生が送れたと思います。そんなに欲しいなら努力してコミュニケーション能力を身に付けろよ!と思う人もいるかと思いますが、コミュニケーション能力って努力で身に付けられるのか?分かりませんし、その努力が出来るなら、もう身に付けていたと思いますし、身に付けたとしても、たぶん私は無理をしてそれをやると思うので、無理をするのは違うような気がするので、もう今は諦めています。私は人と仲良くなるのに本当に時間がかかります。私は本当は恥ずかしがり屋で、人見知りで、寂しがり屋ですし、人に引っ張ってもらいたい方です。でもあまりグイグイ来られると逃げてしまう方です。なかなか難しい人間です。たぶん今、私が1番心を許しているのは妻で、その次は長男と次男で、その次は友達で、その次は両親と兄弟で、その次は道場の子供達だと思います。でもあまりにもコミュニケーション能力が高くなってしまったら私の良さは死んでしまうのかな?とも思うので、やはり今のままで良いのかな?と思います。でももう少し自分の気持ちを素直に人に伝えて行きたいと思います。それが今年の目標です。


2024年01月08日(月) 冬合宿が終わりました。

2024年冬合宿が終わりました。あんなに待ち遠しくて楽しみにしていたのに、終わってしまえば早いものです。本当にあっという間に過ぎてしまいました。子供達との思い出もたくさん出来ました。私も気を張っていたのか、帰宅してどっと疲れが出ました。ある意味では、ここで1年がやっと終わった感じです。また明日から頑張ろうと思います。


2024年01月07日(日) 合宿1日目

私が運営する極真会館東京城南京浜支部の2024年冬合宿が行われました。4年ぶりの泊まりでの合宿でした。初日は2時間稽古をしました。準備運動と基本稽古と移動稽古のあと5種類の足捌きからの突きを稽古しました。稽古の後は海で鬼ごっこをしたり散歩をしたり、ふるさと自然公園センターを見学したりしました。夜は演芸会を行いました。初めて合宿に来た子は、一緒に生活する中で、今までで見えなかった部分をたくさん見る事が出来ました。たったの一泊二日ではありますが、ご飯を食べていたり、笑っていたり、話していたり、普段稽古では見せない表情などを見ていると本当に可愛い子だなと思います。特に幼稚園生で参加した水蓮、歩、紗綾佳を見ていると自分の子供が小さかった頃の事を思い出し、本当に可愛い時だな、なんて思ったりします。子供達は一人一人みんな個性があって可愛い部分があります。私が部屋にいて、子供達の笑い声やみんなでワイワイ騒いでいる声を聞くと、とても面白いし、その子の個性が見えて本当に可愛いと思います。その時期のその子には今しか接する事が出来ないので、子供達と一緒にいる時間はとても貴重です。そんなこんなで合宿1日目が終わりました。


2024年01月06日(土) 家族が帰って来た

私が運営する極真会館東京城南京浜支部の冬季短期集中セミナーが終了しました。みんな頑張って新しい技を身に付けていました。子供達をセミナーに参加させて頂きましたご父兄様にも心から感謝を申し上げます。今日は家族が福島から帰ってきました。私が福島から帰って来てから飼っていた魚が一匹死んでしまったので、それを子供達に報告して謝りました。長男は帰って来てすぐ藤沢にあるギター教室に行きました。次男はお世話になっている近所のおじさんに餅やお土産を持って行ったりしていました。私は自転車のパンクを直してもらいに行ってから、次男と商店街や土手に散歩に行きました。久しぶりなのでいろんな話をたくさんしました。明日から4年ぶりの合宿です。とても緊張しています。絶対に良い合宿にしたいと思います。


2024年01月05日(金) 馬鹿な飲み方

今回の福島の帰郷は1年ぶりという事と、私が50歳になったという事と、手術を終え生きて皆とまた会う事が出来たという事もあり、とても感慨深いものになりました。友達と3日、妻の実家で1日、私の実家で2日、お酒を飲んで過ごしました。久しぶりに飲んで飲んで飲みまくりました。ひだまりというお店では、店のビールが無くなったそうです。久しぶりに飲んで記憶を無くしました。50歳にもなってそんな飲み方をするなと妻には叱られましたが、なんだろうこんな時間はそんなに何度も無いのでは?と実感した今だから、そんな飲み方をしてしまったのかもしれません。そんな私を察してか?私のとても大切な友達に必ず来年も一緒に飲もうな!と言われました。とてもありがたいことです。私は友達といる時は常にはしゃいでいます。そして別れる時は努めて笑顔でいるようにしています。その別れが最後になる可能性もあると思うからです。その時の私の姿が最後の印象になると思うので、別れる時はどんなに寂しくても笑顔でいるようにしています。笑顔でじゃあね!と元気に手を降って別れたら元気に歩いて行くようにしています。私も人の事は言えないけど、お互いに健康に気を付けて長生きして、お互いにお爺ちゃんになって、死ぬまで、みんなで仲良く楽しく一緒にお酒を飲みたいです。みんなで頑張って長生きしようね!


2024年01月04日(木) 明日から戦いが始まる

今日は午前中はゆっくりと過ごし、昼から3時間30分ほど柔軟体操、呼吸法、型、ウエイトトレーニングを行いました。帰ってから洗濯と料理をし風呂を沸かして入り、夕食をとりました。一人暮らしが長かったので、なかなか手際は良いのですが、やはり面倒なものです。誰かにやってもらってしまうと当たり前にしていたことも面倒になってしまいます。でも妻はこれを毎日何度もやっているのだと思うとかなりの負担だろうなと思います。自分がそれをやらないとその人の負担も分からないので感謝の気持も無くなってしまいます。たまには苦労もするものだなと思います。明日から短期集中セミナーが始ります。心と身体の準備は出来ました。明日からまた戦いが始ります。


2024年01月03日(水) 東京へ

福島を始発の新幹線で立ちました。福島へ帰る新幹線はあんなにワクワクして乗ったのに、東京へ戻る新幹線に乗る時はやはり寂しいものです。父と母に駅まで送って頂いたのですが、駅の中に入る前に私が1度振り向くと、まだ母が見送ってくれていました。私は今までは1度挨拶をしたら振り向かずに駅に入っていました。それは振り向かえると寂しくなるからです。東京に出ると決めたのは自分ですし、振り返った所で寂しさが増すだけで帰らないわけには行かないので、そうしていました。私も50歳になり弱くなったのでしょうか、今回は振り向いてしまいました。やはり寂しさが増しました。父と母ももう80歳です。それもあるのかもしれません。でもやはり福島に帰るわけには行きません。自分にしか出来ない仕事をしていますし、俺がやらなきゃ誰がやると言う思いで極真空手の仕事に取り組んでいます。でもやはりこの歳になると親と会えるのはあと何度だろう?友達とこうして元気に飲めるのはあと何度だろう?と考えてしまいます。この時間が永遠に続かない事を実感する歳になってしまいました。昨日に友達と2人で温泉に入りに行った時にお互いの健康の事などを話しました。友達の健康もとても心配になりました。友達を失う事はとても辛い事です。そんな事を考える歳になりました。そんなこんなんもあり、福島を離れるのがとても寂しく感じました。仕事も頑張らなくては行けないけど、これからは年に何回かは福島に帰りたいと思います。東京に着き、そんな寂しさを振り払うように稽古を3時間ほどしました。家に帰って風呂に入り、ご飯を作って食べました。1人でお酒を飲みながら食事をしました。本当に1人は寂しいものです。


2024年01月02日(火) 福島での最後の日

地震での災害があったり、羽田空港での事故があったりと年の始めから大変な事が起きています。被害にあっている方々を思うと心苦しい思いです。私は今日は朝はゆっくりと両親と過ごし、昼からジムへ行きトレーニングを2時間30分行い、昼はまた両親と過ごし、夕方は親友と温泉に行きゆっくりして、夕食は両親と一緒に食べました。明日は朝一の新幹線で東京に帰るのでゆっくりと過ごしました。明日から東京に戻って、心と身体を慣らして、セミナーや冬合宿の事を考えて行きたいと思います。


2024年01月01日(月) あけましておめでとうございます。

2024年が始まりました。妻の実家でお世話になり、新しい1年の始まりを迎えました。午後からはジムで2時間10分ほどトレーニングをしました。今年は生徒達と全力で稽古して行きます。そのために昨年の手術をしたので、今年は本気で頑張りたいと思います。昨年は自分の身体の事だけはではなくいろいろな事で大変でした。今年は辰年なので、龍のように昇って行く年にしたいと思います。先ずは5日・6日の短期集中セミナーを一生懸命頑張って指導して、4年ぶりとなる泊まりでの合宿を成功させたいと思います。心機一転して合宿所も変えました。稽古にレクリエーションに盛り沢山で皆が楽しめるようにしたいと思います。


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