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昨日、長男がはじめて空手をやめたいと言ってきました。12月の試合を最後に空手をやめたいとの事でした。私は「あ〜そうか。自分で決めたのなら仕方ないな。でももう少し考えてみたら良いんじゃないか。」と言いました。私も父のあとを継がなかったし、長男も12歳になり自分のやりたい事もやりたくない事もハッキリしてきたので、自分の行く道は自分で決めさせたいと思います。ただ若い時は一時の快楽のために本当に大切な物を簡単に捨ててしまったりもします。私もその道を通って来ましたから、長男には老婆心ながら少しだけ耳障りな言葉も言います。でもやはり自分の行く道は自分で決めさせたいと思います。その道がどんな道だろうと私は口を出すのはやめよう思っています。今日は朝は長男と次男と稽古に行き、長男は一般部のあと次男を相撲に連れて行ってくれ、そのあと夕食の買い出しに行ってくれました。私は次男を迎えに行き、帰宅してから、中村、中山、廣田さん、平澤が退院祝いをして頂き、皆で楽しい時間を過ごさせて頂きました。本当に本当に感謝しています。皆とは一生付き合って行きたいと思っています。妻も友達と飲みに行っていて遅くなりそうなので、私は子供達を見るために家に帰りましたが、2人ともしっかりご飯を食べたりしていました。長男も少しは次男の面倒を見たりするんだなと感心しました。今日はとても楽しい1日でした。
2021年の1月に右膝の手術をし、2022年の6月に右アキレス腱の手術をし、2023年の8月21日に両股関節を人工股関節にする手術を受けました。この3年間、本当に波乱続きでした。でもこれで一旦決着がついたのではと思っています。びっこを引かずスタスタと速く歩けるようになったのが凄く嬉しいです。本当に何年ぶりの感覚です。この3年間、歩けない、走れない、全力で稽古が出来ない、と言う事で身体の代謝がどうしても悪くなり体重がすぐに上がってしまっていました。速い速度でウォーキングが出来るようになり、体重がとても落ちやすくなりました。あと炭水化物を3食取って食事の量を減らして動くようにしたら体重が落ちやすくなりました。週末にお酒を飲んでもリバウンドもしなくなりました。炭水化物抜きは体重はすぐに落ちますが、イライラしますし、食事をしても空腹感がなくならないし、すぐにリバウンドするので良くないようです。これに気が付くまでにかなり時間が掛りました。成功体験はそこに頼りがちになってしまい捨てられない物です。来年ぐらいからはランニングも始めたいと思いますし、空手の稽古も全力で出来るように頑張りたいと思います。10月からは個人レッスンも復活します。ここからどんどん前に進んで行きたいと思います。
次男は折り紙やダンボールで武器を作るのが好きです。剣や盾や腕に付けるプロテクターや拳に付けるメリケンサックみたいな物も作ります。料理も好きなようです。たまに私が日曜日に寝坊して9時過ぎに起きたりすると次男が朝ごはんを作ってくれていたりします。次男は妻の片付けなどの手伝いも自分からやるみたいです。次男の良い所は優しいところです。この前の相撲大会でもいつも優勝する強い子と試合をした時に立会で怖くて当りに行けませんでした。次男は優しいから戦うことには向いていないかもしれません。でもだからこそ空手や相撲を続けて欲しいと思います。優しい事はとても良い事です。でも優しさの影にある気持の弱さを克服して欲しいと思います。それを克服して強くなっても、自分がかつて持っていた気の弱さを忘れず、気の弱い人に寄り添える人でいて欲しいと思います。そして優しさを忘れないで欲しいと思います。「気は優しくて力持ち」という人間が私は最強だと思っています。次男にはそれを目指して欲しいと思っています。
長男が中間テストでなかなか大変なようです。妻に「勉強しなさい!」と何度も言われています。私は中学1年生の1番最初の中間テストで学年で最下位を取りました。1クラス40人以上いて9クラスあったので、400人以上はいたと思います。その中で最下位を取ったのだから凄い事です。通信表も五教科はオール1です。まあ全教科ほぼほぼオール1でした。美術と体育が2くらいでしたか?という感じです。でも学年で1番頭の良い子を好きになってから頑張って勉強をするようになりました。テストのたびに順位が上がると順位の上がったぶん、好きな子に近づいていると勝手に思い、とても嬉しかったです。それから私は頑張って100番以内に入る所まで行きました。私が高校に行けたのはその子を好きになったおかげです。母に「ちゃんと時間にご飯を食べなさい!」と叱られても「今、凄く大事な所だからやめられないんだよ。」と言って勉強をしました。人間は変われば変わるものです。長男にもそんな子が現れないかな?と思いますが、このまえ長男に「移動教室の夜は好きな子の話とかしたの?」と言ったら「俺、好きな子いないから。」と言われました。頭の良い子を好きになって、馬鹿な自分を大嫌いになったら頑張るんだろうと思いますが、なかなか難しいのかな?と思います。
10月からは、また新たな気持で目標を設定して頑張りたいと思っています。もう来年の事まで考えて行かなくてはいけないと思っています。10月からは2023年最後のワンクールてす。その次の事も考えて行かないと遅れをとってしまいます。そして先の事を考えて目標を持って行かないと自分も成長して行きません。今年は世界大会の年です。と言う事はある意味で言えば極真会館にとって集大成の年です。4年後の世界大会には選手を出場させたいと思っています。その次の事はちょっと今は考えられません。次の4年は私も公式主審判員となるので、今よりさらに重要な試合で主審を行う事になります。技術委員として型の整備、型競技の審判基準の整備にも関わって行く事となります。組織の仕事、道場の仕事、家の仕事、自分のやりたい事、全てをしっかりやりたいと思っています。
手術後5週間が経ちました。6週間経てば骨もしっかりとしてくると言うことなので、あと1週間は気を抜かずに生活したいと思います。手術が終わってから、何かもう毎日が幸せ過ぎる感じです。昨日、次男の相撲大会に行く時にどのルートで行くか?で少し私がイライラして妻に接してしまった事を次男に「あれはパパが悪いと思うね。」と言われました。私も確かにと反省しました。今日は柔軟体操と呼吸法と股関節のリハビリと胸のトレーニングをしました。順調に身体は良くなっていると思います。9月は少し楽しんで、10月からまた厳しく行きたいと思っています。長男は中間テストがあるので頑張って勉強しているようです。次男も日本地図を完璧に覚えたらしく、テストで関東地区は全部漢字で書けて100店をとったそうです。私の息子としては上出来です。頑張って欲しいと思います。
今日は次男の相撲大会でした。手術後始めて電車に乗って出掛けました。とても良いリハビリになりました。駅構内もスラスラ歩く事が出来ました。股関節を痛める前より歩くのも早くなりました。あと一息で完全復活出来そうです。その兆しは見えて来ました。電車に乗ったり、バスに乗ったりして、とても楽しかったです。次男は残念ながら負けてしまい、初勝利とはなりませんでした。空手と相撲と2日連続で試合に出たのだからなかなか大変だったと思います。何もかも経験です。長男は昨日はバドミントンの試合でしたが、負けてしまったそうです。もちろん勝ち負けは大切です。やる以上は勝ち負けに拘って練習に励んで欲しいと思います。でも負けたからと言って何かを失う事なんてありません。全てを良い経験にして溜めていけば良いのです。そして頑張った事はいつか自分の大切な思い出となって自分の中で一生輝いていると思います。
本日、私が運営する国際空手道連盟極真会館東京城南京浜支部の2023年秋季昇級審査会および組手競技支部内交流試合が無事終了しました。スタッフとして手伝って頂いた、中村、中山、廣田、長、深野、平澤の5名の道場生には本当に感謝しています。私が入院している間、稽古を続けてくれた道場生、ご協力頂きましたご父兄様には本当に感謝しております。無事にここを乗り越えるのを見越して手術の時期を決めたので、ここを乗り越えた事は、本当の意味で自分は手術を乗り切ったと言う事だと思っています。ここを乗り越える事が出来た事を道場生、ご父兄様には本当に本当に感謝しております。私の仕事は怪我をしたとしても休んでしまえば労災保険があるわけでもなく、休業手当てがでるわけでもありません。道場を運営出来なければ、私は生活をする事は出来なくなってしまいます。ですから私は自分の身体を壊して道場を運営出来ないと言う事は、私にとって死活問題となります。道場生、ご父兄様のあたたかいご協力がなければ、この試練を乗り越える事は出来ませんでした。私がこうして生活出来ているのは道場生、ご父兄様のご協力のおかげです。本当に本当に感謝しております。私はこの恩を絶対に忘れません。絶対に一生忘れません。本当に本当にありがとうございました。
私が手術後12時間、心電図の線や酸素マスクや点滴の管が3つ付き、両足は太腿の付け根から固定され、血圧が低いため、頭を起す事も出来ず、暗い中で全く動けず、痛みと辛さと喉の渇きと苦しみの中で、思った事があります。12時間動けないのでTVも見れません。スマホを見る事も出来ません。痛みと辛さと喉の渇きと苦しみで眠る事も出来ません。本当に地獄のように長く辛く苦しい時間でした。拷問のような苦しい時間でした。その中で私はどう過ごしていたかと言えば、妻の笑顔を思い出したり、長男の笑顔を思い出したり、次男の笑顔を思い出したり、極真空手から学んだ事を思い出したり、楽しかった事を思い出したり、退院したら何をしようと考えたりしました。私の今まで得て来た物は私から誰も奪う事は出来ません。そしてそれは大きな力となって私を支えてくれます。自分がどうなろうと本当に自分の大切な物は無くならず、自分を支えて力を与えてくれるのだと思いました。そんな事を支えにして力にして12時間、頑張りました。これからも自分を支えてくれる物を自分に力を与えてくれる物を大切に生きて行こうと思います。
手術から1ヶ月が経ちました。過ぎてしまえば早いものですが、今考えても本当に大変でした。自分の事は自分で決着を着けたいと思っていたのですが、家族の助けや道場生やご父兄様のご協力があり乗り越える事が出来ました。本当に本当に人生最大の闘いでした。今まで生きて来た中で作られた自分の固定観念が全部ぶっ壊されるほどの出来事でした。自分の極限を見ました。そしてその極限の中で自分の弱さを見せつけられました。私が自分を強いと思っていたのは、ただ単に人より恵まれた身体を与えられ、その恵まれた身体のおかげで、人より辛い事や痛い事や苦しい事を経験しながら自分を成長させる事が出来ただけでした。そして肉体を通して心も鍛えられて行き、人より辛い事や痛い事や苦しい事に対するキャパシティが大きくなったのだと思います。それで自分は強いと勘違いしていたのだと思います。人と比べれば強いかもしれません。でも自分の極限の辛さ痛さ苦しさを経験した事で、自分の本質は弱いという事を知りました。その人その人で現界は違いますし、苦しさを我慢出来るキャパシティの大きさが違うのだと思います。自分が辛さ痛さ苦しさに弱い事を恥じる必要はありません。自分より強い人はたまたま恵まれていただけです。そして弱い人は強い人にどんどん頼って行くべきです。そしてたまたま人より恵まれている人は弱い人に手を貸してあげる責任があります。それが出来ないなら、たまたま恵まれて生まれた事に意味は無くなってしまいます。強いと思っている人も極限状態になれば弱いものです。ただ人それぞれその極限の場所が違うだけです。私も弱かったです。自分一人の力では到底この試練を乗り越える事は出来ませんでした。妻や子供達の存在が極限状態で私に力を与えてくれました。本当に苦しい時に妻が私の手を握ってくれたから私は頑張れたのです。自分一人だったら私はこんなに苦しいのなら死にたいと思ったと思います。そんな事も何度も自分の頭によぎりました。その度に妻の笑顔や長男の笑顔や次男の笑顔が私の頭に浮かび、そのよぎったものを消し去ってくれました。自分ってこんなに弱かったのか?!と思いました。本当にたまたま人より身体能力が優れていて辛さや痛さや苦しさに鈍感で、極真空手を始めて人より辛い事や痛い事や苦しい事を経験し、少し人より心と身体が強かっただけだと思いました。でも極真空手で経験した事が極限の状態で私を踏ん張らせてくれました。本当に極真空手をやっていて良かったなと思います。手術から1ヶ月が経ち、ウエイトトレーニングやウォーキングやエアロバイクや柔軟体操や基本稽古はもうだいぶ出来るようになっています。驚くほど身体はどんどん良くなっています。まだ股関節に圧迫感と硬さと動きづらさが残っていますが、1ヶ月でここまでこれたのだから上出来です。手術後1週間の時は妻にも「元のように動けるようになるの?」と言われましたが、自分でももう元には戻らないのかも?と思うほどしか動けませんでした。そこからここまでこれたのですから、これからの1ヶ月はもっともっと良くなって行くはずです。11月ぐらいには、移動稽古や型やランニングなんかも出来ているんじゃないかな?と自分では思っています。毎日を特別な1日だと思って感謝して生きて行こうと思います。
長男が移動教室から帰って来ました。私が「移動教室でのギター演奏上手く行った?」 と聞くと、長男は「上手く行ったよ。」で終わり、私が「移動教室で何か面白い事あった?」と聞くと「んー特に無いかな?」で終わってしまいます。なかなか男同士の会話というのは弾まないものです。妻にはもう少しいろいろ話すようですが、まあ中学生にもなればこんな感じかな?とも思います。でもやっぱり寂しいものです。少し前までパパ、パパと懐いていたのになーと思います。あーあ、本格的に親離れし始めて来たか?と思います。でもまだ妻には甘えているようですし、いろいろ話すようなので、その辺は妻に任せています。子供達に面倒くさい事言ったり、せっかく話してくれたのに、つまらない返しをしたり、私もするので仕方ないのかな?と思います。次男はまだ、一緒に銭湯に行ったり、映画に行ったりしてくれます。子供達に、あんまりうるさい事言って遠ざけられないようにしたいなと思います。でも父親だからガツンと行かなければ行けない事もあるし、子育てはなかなか難しいものです。
2016年に国際親善大会の決勝で観空をやっている映像を見ました。7年前ですから私は43歳でした。結果は決勝で4位だったようです。今だから言えるけど、何でこの演武で4位だったのだろうと思います。自分的にはその後、国際親善大会で準優勝した時より、全日本で優勝を2回した時より、良い型が出来ていました。これはその後しっかりと結果を残して今言うから負け惜しみにならない訳です。でもその時は自分に足りない物をしっかりと探して次に向けて稽古をし自分を向上させようと努力しました。その型を見ると、蹴り足が高く上がってピシッと決めがあってバランスも凄く良く片足で立つ所も身体にブレがなく力強さがあり迫力がありとても良い型でした。自分の型の全盛期はあの時だったように感じます。こんなキレイな蹴りを蹴れていたんだな!と感心してしまいました。でもその時、負けて良かったと思います。負けたおかげで自分が勝てる型を考え、審判が好む動きを研究した事で、たくさんの事を学ぶ事が出来ました。自分が思う良い型と審判が思う良い型は違います。そして点を出すのは自分ではなく審判です。審判に良い点を出してもらわなければ勝つ事は出来ません。それは組手よりも難しい部分です。そこを知る事が出来た事は、その後の私の人生に大きく影響を与えてくれました。そして今の私がいます。主審をする時にも、自分が周りからどう見えているか?も考えて主審をする事が出来るようになりました。あの時、負けて不貞腐れていたら今の自分はいないわけです。受け入れ難い結果も受入れて前に進んで行けば必ず自分は進化して行きます。
次男と2人で「ホーンテッドマンション」を観に行きました。長男も誘ったのですが、友達と「グランツーリスモ」を観ると言われ振られてしまいました。なので長男とお友達のチケットをとってあげ、ご飯代を渡しました。「ホーンテッドマンション」は本当はあまり興味は無かったのですが、結果とても面白かったし、結構感動しました。帰りに次男と一蘭でラーメンを食べました。久しぶりなのでとても美味しく感じました。本当に生きている事は幸せです。この時間をしっかり大切にしようと思います。長男が家に帰って来て、とても興奮して映画の内容を話してくれました。本当に良かったようです。感動して泣いたと言っていました。今までは休みの日もトレーニングしたりしていたのですが、家族と過ごす時間も大切と思い、休みの日は家族と一緒に過ごす事に決めました。生きているの時間は無限ではありませんし、子供達との時間を大切にしておかないと、あとで後悔すると思うので、休みの日はトレーニングはせずに家族と過ごそうと思います。
大田区相撲大会に次男が出場しました。次男が出場した4年生の部は7名出場して総当たりのリーグ戦なので、全部で21試合ありました。次男が小さくて痩せて見えるほど、みんな大きくて強そうで迫力がありました。この子達全員と次男が戦うと知った時、私は次男が壊されちゃうんじゃないか?と怖くなってしまいました。思いっきり闘って欲しいけど、怪我をしないで終わって欲しいと思いました。立会で大きい子が頭から突っ込んでくるのを見ているのは本当に怖いです。私は空手をやっているから、人が殴り合ったり、闘っているのを見るのは慣れていて、それを見ても何ともないと思うかもしれませんが、そうではありません。私は自分が闘うのは好きですが、人が闘っているのを見るのは、そんなに好きではありません。ましてや自分の子供が戦う所を見るのは好きではありません。自分が空手の試合に出て、その痛さも怖さも苦しさも知っていますし、その結果、自分の身体がどうなったのかまで知っているので、やはり自分の子供が戦っている所を見るのは好きではありません。じゃあ何故、自分の子供に空手をやらせたり相撲をやらせたりするのか?と言えば、それは自分もそこから学んだ事がたくさんあり、そこから大きく成長出来たからです。長男も次男もまだまだ成長の発展途上にいます。人の痛みが分かる人は自分の痛みが分かる人です。強くなければ優しくはなれません。優しさには勇気や強さが必要です。それを子供達に身に付けて欲しいと私は思っています。夜はみんなで食事をしました。子供達もいろんな話をしてくれるのでとても楽しいです。
日常生活に戻って、やっと1週間が終わりました。出来る事も増えて来て、少しずつ手術前の生活や股関節を悪くする前の生活に戻って来ました。まだ股関節には違和感もありますし硬さもありますが、手術前には出来なかった足の上に足を組んで乗せて足首を回すなどの動きが出来るようになりました。ウォーキングも1時間出来るようになりました。目標はランニングが出来るようになる事です。先週は妻の手料理で退院祝いをして頂いたので、今日は鳥貴族で皆で食事をして、家族へ入院中のお礼をしました。手術後の1番苦しい時に家族の存在が僕を助けてくれた事を伝えました。こうして家族で美味しいお酒を飲んで美味しい物を食べて楽しい話をして、本当に幸せです。私の人生の中でもうこれ以上何かを望む事はありません。もう充分幸せです。これ以上の何かを手にするには今ある何かを捨てなければ行けないわけです。もう今が私の幸せの完成形だと思っています。今の生活を一生懸命に続けて行きたいと思います。
朝は8時少し前にに起きて身支度を済ませ朝ごはんを食べて8時30分に家を出て大森道場へ向かい、朝の柔軟体操と呼吸法を行い、ジムへ移動してウエイトトレーニングをしました。今日は背中のトレーニングをしました。手術前、背中のトレーニングを最後に行った日は8月18日だったので、約1ヶ月ぶりの背中のトレーニングでした。筋肉も筋力も使わなければあっという間に落ちるものです。手術前は約90キロの自分の体重に5キロのプレートを付けて10回、チンニングが出来たのに、今日は自分の約90キロの体重から12キロ、マシーンに補助してもらってやっと10回、チンニング出来る程度になってしまっていました。ここからまたコツコツと頑張って自分を前に進めて行こうと思います。久しぶりなのに少しハードにトレーニングしすぎてしまい、筋肉がバリバリに張ってしまい、とてつもない筋肉痛になっています。でも筋肉痛も心地良いです。筋肉痛になるほどのトレーニングが出来るようになった訳ですからとても幸せな事です。
今日は嬉しい事がありました。ずっと休会していた道場生が今月と来月、稽古に参加したいと言って道場に来ました。ずっと休会していた道場生が突然道場に顔を出したら、ほぼほぼ99%退会をするためなのですが、2ヶ月とは言え、また一緒に稽古が出来る事はとても嬉しい事です。今日のトレーニングは下半身でした。足とお尻の筋肉は凄く落ちてしまったので、またコツコツとトレーニングを積み重ねて自分の身体をしっかりと支えられるように強くして行きたいと思います。日常生活に戻って4日目ですが、少し疲れて来ました。そんなにハードにトレーニングしているわけでもないのですが、やはり3週間も病院にいたのですから、いきなり手術前のようには行かないようです。進化した事はウォーキングをランニングマシーンで1時間やる事が出来ました。股関節もだいぶスムーズに動くようになり、足もスタスタと前に出るようになりました。夜寝る時も仰向けで足を真っ直ぐにして眠る事が出来るようになりました。股関節や腰や膝を悪くした事がない人には分からないかもしれませんが、仰向けで足を真っ直ぐにして寝る事が出来る人は股関節、腰、膝の健康な人です。私は腰を悪くしたり、膝を悪くしたり、股関節を悪くしたり、しているので布団を足の下に置いて膝を立てて寝るか横を向いて寝る事が多いです。股関節の手術後も仰向けで足を真っ直ぐにする事が出来るようになるまで10日ぐらいはかかりました。でもその体勢は少し痛みがあるので眠る事は出来ませんでした。やっと仰向けになって足を真っ直ぐにして眠る事が出来るようになりました。何年ぶりだろう?と言う感じなので、とても嬉しいです。毎日、自分が前に進めている感覚があるのも、自分がマイナスに落ちたからです。マイナスからゼロに戻すなんて面倒くさいし面白くないと言う人もいるかもしれません。でも起きた事を恨んだり、以前の自分より衰えた事を嘆くより、今の自分が前に進めている事を感謝して楽しんでしまえば、とても有意義な毎日を過ごす事が出来ます。出来ない事がこんなにみるみる出来るようになる経験は子供の時以来かもしれません。前に出来ていた事だと思わず、以前は簡単に出来ていた事でも、今の自分が出来るようになった事を素直に褒めてあげれば良いのです。結局は自分を本当に褒めてあげる事が出来るのは自分だけです。自分を本当に大切に出来るのも結局は自分です。自分を本当に愛してあげる事が出来るのも結局は自分だと思います。例えば稽古に行ったとします。稽古の中で何かを失敗したとします。もちろん失敗した自分を叱る事が必要な時があります。でもその前に頑張って稽古に行った自分を褒めてあげれば良いのです。私も本当は駄目な所もたくさんある人間です。でも今まで社会に潰されず生きて来る事が出来たのは、自分を褒めるのが上手だったからだと思います。誰も褒めてくれないからこそ自分で自分を褒めてあげたいと思うのです。
日常生活に戻って3日目です。朝は事務仕事などを済ませてから、自転車で大森道場まで行き、柔軟体操と呼吸法を行い、ジムへ移動してトレーニングをしました。手術後、約3日間は寝たきりで眠れずほとんど何も食べる事が出来ませんでした。そこから3日間は車椅子でそのあとも徐々に少しずつ歩行器で歩けるようになり、杖をつかって歩けるようになりとなって行きましたが、通常の日常生活と比べればほぼ身体を動かせていない感じでしたので、だいぶ体力も筋力も落ちてしまいました。1番衰えたのは足とお尻の筋肉で、次が腕と肩です。今は毎日のトレーニングで大筋肉です。でも筋肉になれる事は幸せなので、筋肉が心地良く感じます。退院してから病院の食事量と同じぐらいにしています。炭水化物も以前は抜いていましたが、今はご飯を180グラム三食摂るようにしています。プロテインもトレーニング後しか飲まないようにしました。いつも少しすきっ腹ですが、これが丁度良いのだろうと思います。トレーニングの仕方も栄養の摂り方も50歳の身体に見合った物にしようと努めています。体重も90アンダーを保っています。動けるようになったら少しずつ体重も落として行きたいと思います。
やはり家は安心出来るからか、しっかりと眠る事が出来ます。何で病院では必ず1時間おきに目を覚ましてしまったのだろうと思います。まだ入院生活の余韻があり、ふと時計を見て「あ〜この時間は〜をしてる時間だな」と思ったりもします。私はなかなか内気なので入院生活の中で看護師さんとの事務的な事以外で誰かと話す事はありません。だから痛みが無くなって自分で歩けるようになってからは本当に寂しかったです。1日だけ妻が面会に来れない日があり、その日は本当に寂しく、次の日に妻が面会に来るのを凄く楽しみにしていたのですが、妻は来ると言っていた時間になっても来ませんでした。待っている時間というのは本当に長く感じるものです。その日、私は17:20からシャワーに入る予約をしていたのですが、妻が面会に来たのはもう16:50ぐらいでした。妻も忙しく大変だったなか面会に来てくれたので、妻が面会に来てくれたのはとても嬉しかったのですが、妻の顔を見たら「もうちょっとしか話せないじゃん」と私は怒ってしまいました。本当に申し訳ないなと思いますが、それだけ会いたかったし、もっと長く話していたかったのです。私も妻には結構甘えて我儘な事を言ってしまったりします。私が退院して家族で食事をした時に、子供達の前で妻に「パパの病院に面会に行くと、ママが帰る時間が近づいてくるとパパは必ず不機嫌になって怒るんだよね」と言われました。長男も次男も「エーッ!マジで!」見たいな感じでした。まあ笑い話にして成仏させてくれたので良かったです。私はこう見えて本当に内気な人間です。心の底から気を許して話せるのって妻と友達数名ぐらいしかいないかもしれません。結構寂しがりな人間なんです。だから妻には気を許して我儘言ったり、意地悪な事も言ったりしてしまうけど、許して欲しいと思います。
朝は8時に起きて朝ごはんを食べて、8時50分に家を出て、土曜日に゙退院したため入院費の会計が出来ていていなかったので、病院に行き入院費の会計をしました。2日前まで入院していた場所がもう懐かしく感じます。本当に過ぎてしまった時間は早く感じるものです。そのあと大森道場へ行きました。自分の居場所にやっと戻って来る事が出来ました。柔軟体操と呼吸法をやってジムへ行き、胸のウエイトトレーニングをしてランニングマシーンでウォーキングを30分行いました。トレーニングしてみて自分の身体の衰えにびっくりです。私も50歳なのでゆっくりでも良いから前に進んで行こうと思います。食事方法を変え高タンパクの食事を止めました。プロテインもトレーニング後のみにしました。お尻と太腿の筋肉が凄く落ちてしまいました。お尻の筋肉が無くなってしまったため自転車に乗っていてもサドルでお尻が痛いぐらいです。久しぶりに空手の稽古や指導が出来ていて本当に楽しかったです。私の居場所はやっぱりここだな!と思いました。また道場で元気に稽古や指導が出来る事を感謝しています。本当に多くの皆様に支えられて自分がこうして元気にしていられる事を感じています。日常生活は当たり前の事ではなく特別な事に感じています。なにはともあれ日常生活に戻る事が出来ました。本当に本当に感謝しています。
昨日、お酒を飲んだからか?家に帰って来て安心したからか?病室では6時に起きて居眠りもせず本を読んだり映画を見たりリハビリをしたり忙しくしていても12時に寝ると必ず1時間おきに目を覚ましてしまっていて、6時にはバシッと起きていたのが、今日は昨日11時に寝て夜中2回起きただけで8時までぐっすりと眠れました。やっぱり家は安心できるの場所なのかもしれません。妻と次男は相撲の勉強会が9時から17時まであるのでそれに行きました。長男は部活に行きました。私は朝ごはんを食べてからリハビリで土手の階段を昇り降りして、ウォーキングを50分行いました。お昼は部活から帰って来た長男と2人でインドカレーを食べに行きました。とても美味しかったです。長男ともいろんな話が出来ました。私がいない間、長男かわ稽古の指導をした話をしました。「教えるのって楽しいね!」と長男は言いました。私は「だろ!人に教えるのって本当に面白いよ!それが琥白の好きなギターだったらどうだ?自分の好きな事を人に教えて楽しんで、お金貰えたら、それって最高じゃない?」と言いました。長男も「そうだね!」と言っていました。今日は「峠」を見ました。この作品は小説でも読んでいます。私は河井継之助が好きです。時勢と損得を考えてよくよく品定めをして都合の良い方に身を置いて生きる人より、私は愚直に自分の信念を貫き通す生き方をする人が好きです。「この戦いは後の世に侍とは何だったのかを示す戦いだ」と言うセリフがとても好きです。信念のために命を賭ける事が出来る人が私は好きです。ある歴史評価は時代を変えようとする時に時勢を読まず、頑固な固定観念に囚われて、それを守ろうと戰う者は愚かだ。そのせいでどれだけ優秀な人材が死に、どれだけ無駄な命が亡くなり、どれだけの時間を無駄にしたか分からない。と言いました。言われてみればそうなのかもしれませんし、正論なのかもしれません。でも良く悪くもその人達がいたから、今の世の中も私達もいるわけです。もし今の世の中がもっと良くなっていたら、もしかしたら私達は存在していなかった可能性もあると思います。そしてその時代に生きていなければ分からない事もたくさんあると思います。そして私は時代に逆らうように生きた人が好きです。夕食は家族で食べました。皆でいろんな話をしながら食べるご飯は最高に美味しいです。入院中、私は妻が面会に来て、妻が帰ろうとするといつも不機嫌になっていたそうです。私はこうみえて結構シャイな人間です。知らない人に自分から話しかけたり、知らない人と自分から仲良くなったり出来ない人間です。自分の本性を見せる事が出来る人ってもしかしたら、この世で妻だけかもしれません。妻が面会に来てくれる時間だけが私にとって自分の心を開放できる時間だったと思います。だから許して欲しいと思います。夕食のあとは皆でカラオケをしました。私は、若者のすべて、燈、B・BLUEを歌いました。入院中はあんなに長く感じた時間が、今はあっという間に感じます。本当に幸せです。
朝6時に起きて、検温を受けてから20分のウォーキングと体操と呼吸法を行い、8時に朝ごはんを食べて、歯を磨き髭を剃り、荷物を纏め退院手続きをし10:05に無事退院し、迎えに来てくれた妻と2病室を出て人で自宅に帰りました。妻に荷物を持ってもらい、私は歩いて自宅へ帰りました。その道中、妻に「ありがとう」と伝えました。私が今回の入院で感じたこと、思ったこと、考えたことを話しながら家路に着きました。久しぶりの家はやはり良いものです。長男と次男にも感謝の気持を伝えました。皆でお昼ご飯を食べました。妻がうどんを作ってくれました。本当に美味しかったです。美味しい時には美味しいと言うようにしようと思い「美味しいね」と言いました。午後からリハビリのため土手にウォーキングに行きました。45分ウォーキングしました。私はあと3週間は絶対に転んだり、足をぶつけたり出来ないので、次男が私をサポートしようと私について来てくれました。次男がいろんな話をしてくれるので45分あっという間に時間が過ぎました。そのあと久しぶりの風呂にはいりました。やはりゆっくりと湯船に゙浸かると気持が良いです。20分、10分と2回湯につかってゆっくりと心と身体をほぐしました。やっぱり家が1番です。長男がギターから帰って来て、家族全員で夕食を食べました。病院で痛みで1番苦しい時に、この闘いが終わって無事に退院したら妻の作るハンバーグと鍋を食べたいとお願いしていたので妻はそれを作ってくれました。その料理は妻が東京に来て一緒に住むようになった最初の日に作ってくれた料理でした。私の中ではそれが妻が作る料理で1番好きな料理です。その料理は、大根おろしがたっぷり入った鍋とハンバーグです。私も久しぶりにビールとワインを飲みながらご飯を食べました。幸せってこういう事だな、こんな瞬間を幸せって言うんだな、と思いながら妻と長男と次男と幸せな大切な時間を過ごしました。幸せも毎日続くとやはりそれが当たり前となってしまい、鈍感になり感謝の気持が減り、心も目曇って本当に大切な事が見えなくなってしまいます。苦しい事や辛い事や困難な事があると感受性が強くなり、当たり前が当たり前ではなくなり、人に対する愛情や感謝の気持を強く感じるようになり、本当に大切な物や本当に大切な事が見え、本当の幸せを強く感じる事が出来るようになります。子供達に「パパは今回の手術で本当にヤバいところまで行って約12時間、ピクリとも動けない状況の中で喉の渇きと暑さと吐気と痛さと苦しさと闘ったんだよ。長かったよ。その次の日もその次の日も一睡も出来ないくらいの痛みと闘ったんだよ。その時に弥生ちゃんと琥白と真白の事を考えて頑張ったんだよ。皆の存在があったから頑張れたんだよ。」と話しました。私が入院中の可動式のベットを頭を上げたり高さを変えたり足を上げたりして一晩中、ウィーン、ウィーンってやってて最後自分が元に戻れないような格好になっていた話や、やいろいろな出来事を話すと妻と長男と次男は大爆笑していました。その時は私も必死でそんな事になっていたのですが、今こうして話すと笑い話になります。なにはともあれ大きな試練を超える事が出来ました。私の手術をしてくれた先生、私の世話をしてくれた看護師さん、入院中、私抜きで頑張って稽古を進めてくれた道場生の皆さん、ご協力頂きましたご父兄の皆様、あたたかいメッセージを下さった皆様、両親、私の兄弟、極真会館関係者の皆様、私に関わって頂いている皆様、本当に本当に心から感謝を申し上げます。この感謝の気持をしっかりと行動で皆様にお伝えして行きたいと思っております。
入院20日目、術後19日目、明日は無事に退院する事が出来そうです。長かったような短かったような感じです。入院するために家を出て病院までの事はけっこう鮮明に覚えているのですが、病院に入ってからの事は、これと言って思い出せる事はありません。家族にTV電話した事ぐらいしか覚えていません。手術日の事はよく覚えています。6時に起きて点滴が始まり、朝ごはんは食べる事は出来なくて9時には水分も取れなくなり、12時過ぎぐらいからバタバタし始め7階の病室からエレベーターで4階に行き、13時ピッタリに手術室の前に付いた事、手術室の前でいろんな事の確認を受けた事、手術室に入る時に「自分はしっかり生ききった。今までの人生に悔いはない、この手術に向けてもやれる事はしっかりやった。あとは先生と神様に全てを委ねよう。」そう思い、手術室に自分の足で入り、手術台に寝て麻酔の点滴をされて意識が無くなる前に妻と長男と次男と極真空手の事を考えました。次の瞬間には手術が終わり看護師さんに意識確認をされていました。「生きていたんだ。」と思ったあとは頭がぼーっとして何も考えられないような感じでした。それから19日、本当に長かったような短かったようなです。今、1つ確実に言える事はもうこの20日間をやり直したくはないと言う事です。そのぐらい大変な毎日でした。手術後の痛みもそうですが、自分の身体が元に戻るのか?と言う不安や、どうにもならないもどかしさや、痛みを人に訴えなくてはならない屈辱や自分の恥ずかしい部分を人に見せなくてはならない屈辱、自分の弱さを見せつけられた屈辱、夜の寂しさ、とにかくいろんな事がありました。人生最大の苦痛を味わいました。その中で人の優しさやに触れ自分という人間は沢山の人のおかげで生かされている事を感じました。妻と長男と次男の存在の大きさも感じました。妻と長男と次男の存在があったからこの試練を乗り越える事が出来ました。本当に本当に痛くて苦しい時、妻と長男と次男の顔を思い出し歯を食いしばって頑張る事が出来ました。今回の事で見える景色も感じ方も考え方も人に対する思いも大きく変わったと思います。だから本当に本当に貴重な体験だったとは思います。でもやはりもう1度この20日をやり直しと言われたら、それはもう無理です。そのぐらい大変でした。明日は家でご飯を食べる事が出来ます。本当に本当に楽しみです。妻の手料理とビールとワインで乾杯です。今日は朝起きてウォーキング20分と体操と呼吸法をやり、朝食後にリハビリをし、昼食後にストレッチと筋トレとウォーキング30分、夕食後に筋トレをしました。最後に今回の入院で180度考えが変わった事は苦しい時には苦しいと言って良い、辛い時は辛いと言って良いと言う事です。頑張れない時は頑張らなくて良いです。誰かに話を聞いてもらったり、手を貸してもらったりして助けてもらえば良いと思います。弱い人ほど人に助けてもらう権利があると私は思います。それは恥ずかしい事ではありません。きっと誰かが助けてくれるはずです。そして今、元気な人は弱っている人や困っている人に進んで手を貸してあげて欲しいと思います。助けてあげようとして手を貸して、その手を振り払う人もいるかも知れませんが、だからと言ってそれで損をするわけでも恥をかくわけでもはありません。おせっかいだったか?と笑えば良いと思います。でもこりずにまた手を貸してあげて欲しいと思います。世の中にはルールがあります。公共のルールは公共のためにあるもので、誰かのためにあるものではありません。そんな時に自分がどう判断してどう行動して良いか?分からい時もあると思います。そんな時は、その自分の行動が会社員としてとか、先生としてとか、社長としてとか、その自分の立場で考えるのではなく、人としてどう判断して行動すれば良いのか?を考えれば良いと思います。もしかしたらその事でバカを見る事になるかもしれません。でも人が人を思う愛情や感謝の気持がないような判断をして行動をする事が1番やってはいけない事なのではないか?と私は思います。私もいっぱいいっぱいで手を貸してあげる事が出来ない事もあるかもしれません。でも貸してあげる手があれば必ず、その手は人に差し伸べます。だから何か悩みがあれば話して欲しいと思います。これから急に変われるか?は分かりません。でも変わる努力は必ずします。
私は今回の手術に1度自分の人生のリセットをする覚悟で臨みました。もしこの手術で命を落とす事になろうと、もし手術が失敗して一生車椅子になろうと、今までの人生に悔いはないと言う気持ちで手術に臨みました。だから手術が終わり目を覚ました時に「生きていたんだな」と思いました。と同時に「ヨシっ新たな人生を頑張るぞ!」と思ったのも束の間でそのあとは痛みと苦しみとの闘いで精一杯でした。手術の前に何故そのような気持になったのかを考えてみたら、それは私の師匠の言葉でした。これは師匠が私に言った訳でもなく、それを師匠が言った場所に私がいた訳ではありません。これは私の先輩に師匠が言った言葉です。その先輩は膝を人工股関節にする手術を受けたのですが、腎臓が悪く人工透析をしているために命の危険もある手術だったそうです。そのために手術するかを迷っていたそうです。その事を師匠に話すと、師匠は「死ぬにしても麻酔で眠っている間に死ぬわけで、苦しんで苦しんで死ぬわけではないんだから悪い死に方ではないし、手術が上手く行けば今より歩けるようになるんだろ。何も悪い事はないじゃないか?!良い事尽くめじゃないか?!悩むことなんて何もないだろ!」そう言ったそうです。手術の前に師匠の言葉を考えて、私は手術を決めたわけでは亡いけれども、私の考えは師匠と似ていたと思います。師匠の言葉は私の中に潜在的に生きているのだと思います。人生50年ですがら、私はここで手術をして生きていたと言う事は、神様に第2の人生を頂いたと思い、新たな気持で毎日に感謝して一生懸命生きて行きたいと思っています。人に対する愛情と感謝の気持を忘れず、弱い人や弱っている人に自分の手を差し伸べて生きて行きたいと思っています。私は今までは自分にも厳しいかわりに人にも厳しさを求めていましたし、努力しない人や一生懸命じゃない人や強くなろうとしない人は、ズルをしている、自分に甘えている、サボっている、自分に負けている人だと思っていました。自分が頑張ろうとしなければ誰も手は貸してはくれないよ、と思っていました。でも今回の手術とこの入院でお年寄り弱っている人をたくさん見て、その考えは大きく変わりました。変わりたくても変われない人、弱い人、自分は駄目だと分かっていてもどうにもならない人、頑張りたくても頑張れない人、もたくさんいると思います。そんな人に優しく接してあげたり、何も言わずに手を貸してあげたり、寄り添ってあげたり出来る人間になりたいと思っています。せっかく命を頂いたのだから、自分の人生を思いっきり楽しんで、人の役に立って生きて行きたいと思います。今回の手術も入院も私に取っては修行のような物でした。人と話す時間が少ないぶん、自分と話す時間が増えたり、本を読んだり、いろんな事を思ったり、いろんな事を感じたり、いろんな事を考えたりする時間をたくさん過ごす事が出来ました。リハビリでは、まだ歩けない子供が歩けるようになって行くような感じで、何も考えずに出来ていた事をもう1度1から出来るようにする努力をしました。自分の身体はこうやって動かしていたんだ、ここが痛くて動けないと上手く歩けないんだ、などいろんな事を考えながら自分の身体を動かす、とても良い勉強になりました。今回の手術と入院で「亀の甲より年の功」をたくさん身に付ける事が出来たと思っています。この経験を社会に出てたくさん役に立てなくては行けないなと思います。明後日は退院なので、朝起きて20分ウォーキングと体操と呼吸法、リハビリを40分とウォーキング10分、昼食後に筋トレとウォーキング30分、夕食後に筋トレをしました。だいぶ自然に歩けるようになりましたし、手術前よりはスムーズに歩けるようになったと思います。でもマダマダ自分の身体に馴染んでいない感じもします。手術跡の痛みとコルセットをしているような圧迫感と新しい足が自分に付いたような感覚が少し残っています。退院して終わりでは無いのでしっかり自分でリハビリをして人工股関節を自分の身体に馴染ませて行きたいと思います。輪違屋糸里を読み終わりました。もう明後日で退院ですが、明日からマイク・タイソン著の真相を読みたいと思います。
朝起きて朝食前にウォーキング20分、朝食後に読書、昼食後にウォーキング30分、リハビリを40分、夕食後に筋トレをしました。こんな感じで退院に向けて結構頑張っています。足の傷口の腫れもだいぶ引いて来ました。痛みもなく夜も1時間おきに起きてしまうものの12時から6時の起床までしっかり眠れています。リハビリ室に体重計があったので計ってみたら88キロになっていました。私の股関節に入っている人工股関節は、カップ(約50g)ライナー(約20g
入院17日、術後15日となりました。私は寝る時と食事と映画を見る時以外は病室にいたり、ベットの上にいないように心がけています。今日は朝に20分間病棟をウォーキングし、リハビリを40分間、リハビリのあと10分ウォーキングしました。リハビリでは外を歩きました。横断歩道を渡ったりと少し長い距離を歩きました。晴れていて暑かったのですが、その暑さがとても心地よかったです。今日はシャワーを浴びる事が出来ました。あの痛みや苦しみの経験があったから、普通の事が普通ではなくなり、何をしても幸せと感じるようになりました。そこで今日は私が痛みと闘っていた数日の事を改めて思い出して見ようと思います。先ずは手術室で目を覚ました。18時ぐらいだったと思います。手術が終わったんだなと言う事は足と腰の痛みと共に直ぐに分かりました。ただ頭はぼーっとしてあまり考える事は出来ない状態でした。手術が終わったんだなと書きましたが、正確には「生きていたんだな」と思いました。そのままHCU(高度治療室)に運ばれ、身体には点滴の管が3本、尿の管が入り、心電図の電極が胸の辺りに沢山付けられていて、酸素マスクをし、右の指には酸素濃度計が付けられ、足は足を固定するパットの上に乗せられて身体はピクリとも動かせません。足は局部麻酔がしてあり足の感覚はあまりありません。頭がぼーっとしている、吐気、足と腰の痛み、身体に力が入らない、そんな状態でした。手には痛み止めのボタンとナースコールのボタンをずっと握っていました。痛み止めのボタンは押すと痛み止めが出るのですが、あまり効きません。そして押しても30分に1回しか痛み止めは出ないようになっています。血圧が低いので病室で輸血も行いました。身体がとても暑く、息苦しく、頭を上げたいのですが血圧が低いため上げる事が出来ず、強い痛み止めが使えず、足を下に下ろせず。身体を動かす事が出来ず、そして夜中からは喉の乾きの苦しさも加わって来ました。口の中が完全に乾いている状態がずっと続いていました。血圧が上がって来たので夜中の12時頃に少し強い痛み止めを打てるようになりましたが、それは全然効きませんでした。朝の6時に水が飲めるようになり、8時に朝食でしたがほぼ食べる事は出来ませんでした。でも食べないとロキソニンの痛み止めを飲めないので、痛みを和らげたいために、必死におかゆだけ食べてロキソニンを飲みました。でも痛みは全然変わりませんでした。9時に一般病棟に戻るので心電図の電極、酸素マスク、点滴の管が1本、身体から外れました。一般病棟に戻りここで足を乗せていたパットから足を外し、足を下に下ろす事や頭を上げる事や身体を動かす事が出来るようになりました。ここからは自由に飲み物を飲んだり、スマホを見たりDVDを見たり出来るようになりました。でもここからも次の日のお昼ぐらいまで痛みとの闘いとなりました。ずっと机の上に突っ伏していました。気を紛らわすため、身体をうちわで仰いだり、腰をさすったり、飲み物を飲んだり、スマホでブログや文章を書いたり、家族の写真を見たり、していました。月曜日、火曜日は一睡も出来ませんでした。点滴や尿の管が付いているため基本ベットの上から動けません。水曜日のお昼の検診で痛みの酷さを相談し、昼過ぎに1番強い点滴の痛み止めを使ってもらいました。ここからは徐々に痛みが減って行きました。でも水曜日の夜もほぼ眠る事は出来ませんでした。木曜日は痛みから完全に開放され楽になりました。手術後の痛みとの闘いはこんな感じでした。痛みや苦しみとの闘いの中で自分を1番支えてくれたのは家族への愛情でした。家族の存在がなければ私は痛みに打ち克つ事は出来なかったかもしれません。痛みとの闘いは弱い自分との闘いでした。弱い自分の本性を見ました。その時に自分を支えてくれ、自分を強い気持ちにさせてくれたのが妻と長男と次男の存在でした。一緒にいなくても妻と長男と次男がこの世に存在している事だけで私に力を与えてくれます。そしてもう1つ痛みと戦う中で感じた事は自分に関わってくれた方々への感謝の気持でした。愛情と感謝が私の支えとなってくれました。心が頑張って身体を支えてくれました。その原動力が愛情と感謝と言う力でした。人間の本性は本当に弱いけれど、愛情と感謝が人を強くしてくれるのだと思いました。結局は自分のためなのですが、自分のためだけなら頑張れない事も愛する人のためなら頑張れると言う事です。だから自分自分と言う人は自分の持っている60%の力を100%と思い込み、自分の最大限頑張っているんだけど結局60%しか頑張れていないと言う感じて、愛する人のためと思って頑張っている人は自分の限界を大幅に超え、自分の力を120%出せてしまうと言う感じだと私は思います。これから亡くなる人や戦争に行く人が最後に残す言葉は誰かに対する愛情と感謝だと言う事が、私も今回の事で身を持って知りました。痛みと闘っている時に、亡くなってしまった前橋さんの言葉を思い出しました。癌になったのが旦那さんや息子さんではなく、自分で良かったと前橋さんは言いました。その言葉の意味が私は痛みと闘いながら、本当にそうだなと思いました。私は死にたくないです。もっともっと生きたいです。でも妻や長男や次男の命が自分の命と交換に助かると言われたら、迷わず自分を選ぶと思いますし、愛する人にこの苦しみを感じさせたくないと思わない人はいないと思います。痛みと苦しみの中で眠れない時間に本当にいろんな事を思い、いろんな事を感じ、いろんな事を考えました。この体験を絶対に無駄にしないように生きて行こうと思います。
今日、担当の医師の臨床を受けて9月9日(土)に退院出来る事となりました。でも医師に絶対に転ばない事、足を捻るような動きはしない事を言われました。もし人工関節が入っている部分の大腿骨がもし割れてしまったら、もう元の身体には戻れないと言われました。大腿骨に穴を開けてそこにステムと言われる物を深く埋め込んでいるのですが、そのステムと大腿骨が馴染むまでは大腿骨はとても弱いそうです。ステムの周りの骨は薄くなって入るので転んだりして、そこに衝撃が加わると骨は割れたり砕けたりしてしまうそうです。ステムと大腿骨が馴染むまでには6週間はかかるそうです。なのでそこまでは絶対に気を抜かないで欲しいとの事でした。自分が思っていたより事は重大な局面なようです。医師には「痛くなくなって動けるようになってからの方が気を抜いて転んでしまうので本当に怖いからね。そんな時に限って悪い事が起こるから本当に気を付けてね。」と言われました。その話を聞いて凄く怖くなりました。絶対に気を抜かないよう生活しょうと思います。自転車には乗れるけれども転んだら駄目なので絶対に自転車には乗らないよう言われました。まだここから少し不便をおかけしてしまう事になりそうです。道場生、ご父兄様にご協力頂きながら、道場を運営して行きたいと思います。今日は傷口を保護するテープが取れました。傷口は綺麗にくっついていました。もし傷口に菌が入ったら事によっては死に至る事もありますし、菌を取り除くために大変な手術になると聞いていたので、あまり動いて汗をかいたりしないよう気を付けてリハビリをしていました。傷口に関してはこれで一安心です。今日は、リハビリでも手術前より楽に上手く歩けるようになった感覚がありました。手術前はお尻の横と内股の当たりが痛く前側が突っ張って足が前に進まない感じでしたが、今日のリハビリでの歩行訓練では足が前に出て踵から地面に着地しえ爪先で最後に地面を蹴ってテンポよくスタスタ歩ける感じがしました。本当に嬉しかったです。本当にいろんな人にいろんな事にいろんな物に感謝です。人はいろんな人に手を貸して頂き、いろんな人に支えてもらい守られて、沢山の人にご迷惑をおかけして、沢山の人にお世話になって生きていると言う事を感じています。自分が生きている事に感謝しかありません。
今日で入院15日です。1ヶ月の半分を病院で過ごしたという事になります。こんなに長く入院したのは17歳の時に膝を手術した時以来です。その時に入院した病院は外のコンビニにも買物に行けましたし、病院内を何処でも自由に行く事が出来たので、何か自由にやっていました。屋上で稽古したり、友達もたくさん面会に来てくれたり、もう時効と言う事で話せば、私がどうしてもびっくりドンキーでハンバーグが食べたいと言うと友達が車でびっくりドンキーに連れて行ってくれました。時代もあってその辺が緩かったのか?若さもあったのか?本当に自由にやっていました。その病院に入院した時の事で凄く覚えている事があります。1つは手術後先生の臨床を受けて内側側副靱帯の完全断裂と前十字靭帯断裂の部分断裂で手術が上手く行ったとは言え空手の試合に出ると言う事は、再断裂する可能性が高いから止めたほうが良いと言われました。私はその話を聞いても絶対に空手の試合に出るんだと思いましたし、自分なら絶対に出来るという自信も何故かありました。私の右足にはその時のチタン製のピンが今でも入っています。もう身体の一部になっているので取れないそうです。私はその日の夜、病院の屋上で基本稽古の手技と拳立てをやりました。拳立てをしながら涙が出てきました。絶対に空手をやるという事を自分に知らしめるために稽古をしたんだと思います。稽古をしてこれからどうなるか分からない不安と闘っていたんだと思います。稽古をする事で弱い自分と闘っていたんだと思います。もう1つは入院中に辰吉丈一郎選手の試合を公共スペースのTVで見た事です。私はその時、自分もいつか空手の試合でTVに出て見せるとその時一緒にいた友達に言いました。それから10年後、本当に私は空手の試合でTVに出る事が出来ました。ブラウン管の中にいる自分を見て、その時の事を思い出しました。今回入院している病院は自分の入院している病棟以外は何処にも行けないので、その点は本当に暇ですが、私も50歳になって落ち着いたのか?本を読んだり映画を見たりして、ちゃんとルールを守ったうえで時間を有効利用しています。17歳の時も入院中に本や雑誌を読みました。影武者徳川家康と格闘技通信とパワー空手を読んでいました。今回は壬生義士伝を読み終え輪違屋糸里を読んでいます。これを読み終えたらマイク・タイソン著の真相を読もうと思っています。今日は死と言う事について考えていました。死と言うものを今回の入院でとても近い物に感じましたし、痛みや苦しみと闘っていた時や自分で自分の身体を動かす事が出来ないためトイレの事など介護を受けている時に、死ぬ時もこんな感じなんだろうな?!と思いました。でもその苦しみの中でたぶん家族や自分に関わってくれた人達への愛情や感謝を感じているだろうと思います。死ぬと言う事から逃げる事は出来ません。死ぬと言う事は生きて行く先に必ずある物で、この世に生を受けた以上、それから逃げる事は出来ません。どんな人にも唯一、平等に訪れる物です。死ぬと言う事を深く考えて行くと、じゃあどう生きるか?と言う事にたどり着きます。死というものは生きる事の終着点で、生と死は分けるものではなく、生の最後の一部なのかもしれません。だから死にたどり着くまでにどう生きて行くか?それを考える事が死を考える事になります。私は死にたどり着くまでにどう生きて行くか?を毎日考えています。今回の手術での事でそうですが、同じ病棟に入院している方々を見る事で、死を身近な物として感じる事が出来ています。死を間近に意識して、これから自分の人生の先にある死までどう生きてそこに辿り着こうか?そう真剣に考えた時に私の頭に浮かんだ事はとてもシンプルでした。もう欲しい物もやりたい事も行きたいところもありません。私はもうそれを手に入れていますから、それをいかに大切に生きて行くか?です。極真空手と道場と家族を大切に一生懸命に真摯に生きて行きたいと思います。
今日で入院から2週間と手術後13日となりました。朝と夜の検診での体温は平熱になったのですが、血圧が低く、まだ貧血なようです。リハビリは前に進んでいます。寝て足を揃えて膝を立ててそこから膝を開いて行く事が出来るようになりました。階段の昇り降りも少しですが出来るようになりました。そしてやっとぐっすりと眠る事が出来るようになりました。12時に眠り3時半ごろトイレのため1度目を覚ましましたが、トイレから戻りもう本当に眠り、朝の6時までしっかりと眠る事が出来ました。まあ元気なのですが、血圧が今日は98とかなり低く出てしまっています。輸血をしたとはいえ、一時は血液の20%を失ったのですから、そう簡単には元には戻らないのかもしれません。掌が白くてアッカンベーをした目の下が白いのでやはりまだ本調子では無いのかもしれません。今日はリハビリ以外に朝の体操と病棟10周ウォーキングと昼の病棟10周ウォーキング、夜の筋トレで20秒腹筋35回、足上げ腹筋30秒×3、スクワット20回×2、カーフレイズ100回、腕立て伏せ30回×3、ディップス30回×3、首筋70回をやりました。今日から輪違屋糸里を読み始めました。今日も妻が面会に来てくれました。妻はいつも15時から16時ぐらいに来てくれるのですが、それまでが待ち遠しく、妻が帰ると一気に寂しくなります。夜は家族とテレビ電話で話します。子供達の顔を見て話せる事はとても楽しいのですが、やはり電話を切ったあとはとても寂しくなります。1人とは寂しいもんだなと思います。長男と次男の喧嘩してる声も悪くない気持になります。今週1週間が終わり生徒達も頑張って稽古してくれているようです。本当に嬉しいです。あと1週間入院する事となりますが、道場に戻ったら全力で頑張ろうと思います。これから20年、道場生と元気に稽古をするために今回の手術を決めたので、戻ったらまた皆と楽しんで稽古して行こうと思います。
9月が始まりました。今日からリハビリが午前と午後の2回になりました。夜も自分で筋トレをしたり病棟をウォーキングしたりしています。手術後の腫れと痛みもほぼほぼ無くなり、夜もぐっすりと眠れるようになりました。ご飯もとても美味しく感じます。体温も36度の平熱を保っています。血圧は110ぐらいです。食事や検診の時以外はベットにいないようにしています。ベットでダラダラしていると身体も心も鈍ってしまいそうなので、公共スペースで読書をしたりしています。病院に入院していると健康って本当に大切だと思います。自分の身体が思うように動かなくなって生きる事はなかなか大変だと思います。足が衰えてしまうと自分の身体がどんどん衰えて行き、身体が衰えると脳も衰えて行ってしまいます。だから自分の身体を動かすと言う事は本当に大切だと思います。選手を目指したら別ですが、空手の稽古って本当に健康に良いなと思います。今日は壬生義士伝を最後まで読み終えました。とても大好きな作品となりました。この作品は映画で見た作品ですが、映画も好きなのですが、原作の方が3倍は良かったです。今日は長男が学校の集会で倒れて頭を打ち病院に運ばれたそうです。CTの結果、幸いにも頭に以上は無かったので安心しました。昨日ですが次男が水泳のテストに合格したそうです。約1年同じ級にいたので、何ですが頑張ったと思います。面会に来てくれました。本当に感謝しています。病院のご飯は栄養のバランスも良くとても美味しいのですが、そろそろ妻の料理が恋しくなりました。退院した日は妻が初めて東京に来た日に私に作ってくれたハンバーグと鍋を作ってとお願いしています。病院では三食お米を食べていますが、全然太らないので、やっぱり炭水化物を摂ってもバランス良く栄養を摂り、量をたくさん取らないようにすれば太らないと言うことなんだと思います。ご飯は180グラム出そうです。吉野家の牛丼の小盛より8グラム少ないようです。退院してもこの量を基本に炭水化物も摂って行こうと思います。筋トレのしすぎとタンパク質の摂りすぎはもう止めようと思います。この入院で筋肉も落ちて行ってると思うので丁度良いです。今何キロか分かりませんが、退院したら体重は80キロ以下をキープ出来るようにしたいと思います。
kanno
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