DiaryINDEX|過去の日記|未来の日記
今日が49歳の最後の1日となりました。考えてみると47歳で右膝が悪くなり、48歳で右膝の手術、その年の10月終わり頃に腰部脊柱管狭窄症になり、半年ほど薬を飲み、次の年の5月頃に良くなり、稽古を始めたら6月に右足のアキレス腱を断裂しアキレス腱の縫合手術をし、股関節は2年ほど前から痛かったのですが、昨年末にいよいよ悪くなり今年の8月に人工関節の手術をする事に決めました。考えてみると48歳、49歳、50歳と3年連続で手術をしていると言う事になります。自分の罪の精算をここで一気にさせて頂き、ここから復活させて頂こうと思います。不安は全く無いか?と言われたらもちろん不安はあります。youtubuで股関節の人工関節手術の映像などを見ると、これは大変な手術なんだなと言う事が分かります。でもやっぱりこれは自分がやって来た事の中で起こった事なので、自分でしっかりケジメをつけたいと思っています。だからこのことには家族は極力関わらせないようにしたいです。右膝の時もアキレス腱の時もそうだったように1人で病院に行って1人で帰って来ようと思っています。今日は明日は妻と食事に行くため、明日の分までトレーニングをしました。現在22時26分です。あと2時間34分で50歳になります。かと言って明日から、全く新しい自分になる訳でも、自分の何が変わる訳でもありませんが、50歳と言う年齢に恥じない生き方や立ち振舞をしたいと思います。40代は本当に充実して楽しい時間でした。次男が生まれたり、ウエイトトレーニングを始めたり、マスターズの試合に出たり、型の試合に出たり、新しい事にもたくさん挑戦しました。本当に楽しかったしたくさん思い出も作りました。何も悔いはありません。50代は先ずは身体を治して、身体を労りながら、新しい事を修得して、また10年突っ走りたいと思います。明日が楽しみです。
あと2日で50歳になる今日、この菅野日記を見たらアカウントが300003となっていました。菅野日記がそれだけ人の目に触れたと言う事なので、嬉しくもあり、恥ずかしくもありですが、責任を持った発信をしていかなければ行けないなと改めて思わされました。あと2日で50歳になる今日、私はある決断をしました。今日は金曜日に撮影をしたMRIを見ながら主治医の先生から診断の結果を聞きました。結果は左の股関節は今すぐ手術をしても良いぐらい悪い事、でもまだ歩けているなら、今の年齢と今後を考え、手術は歩けなくなるまで先延ばしにした方が良い事、右は現状はさほど悪くはないが、おそらく2年後ぐらいには手術が必要になる事でした。主治医の先生には「今話を聞いて今決断は出来ないだろうから、3ヶ月ほど家族ともよく相談して時期なども考えて決めたらどうでしょうか?3月の終わりぐらいに手術の相談としての診察を予約をしましょう。」と言われました。私は「今、手術の予約をしたら、いつ手術を受ける事が出来ますか?」と質問しました。先生は「手術をすると決めて、自分の都合の良い日に手術を受けたいのなら、すぐに決めないと手術日はすぐに埋まってしまいます。」と答えました。私はそこで手術をする決断をしました。私は今49歳です。49歳のうちにこの決断をしたいと思いました。あと数年、誤魔化して身体が動かないまま指導をする事も充分じゃない身体で稽古をするのも、僕らしくないと思いました。僕はあと何年生きるのか?それは分かりません。もちろん私も人並みに出来ることなら長生きしたいです。でもあと10年後にこの世からいなくなる可能性をもあります。やっぱり僕は全力で生きて行きたいです。毎日を頑張って過ごしたいです。70歳を過ぎた頃にもし人工関節が悪くなったら、その時に考えたいと思います。妻や子供達にはおそらく迷惑をかけてしまう事になるけど、僕はそう決めてしまいました。家に帰り妻に説明をしました。妻は明るく聞いてくれたけど、やはり心配そうでした。手術のあと2週間ほど入院をするので、8月のお盆休みを8月20日からとさせて頂き、8月21日に手術をし、9月から稽古開始とさせて頂こうと思います。自分の未来のために、極真会館の未来のために、道場の未来のために、妻の未来のために、子供達の未来のためにした決断でした。妻にも了解を得ました。あとは前に進むだけです。あと7ヶ月少しご不便をおかけしますが、道場生、ご父兄様にはどうぞご協力のほどをお願いいたします。
今日を入れてあと3日で私の40代が終わります。あと少しで40と言う数字にサヨナラです。まあそれだけの事なんですが、やはり自分が50歳になる事に驚きと感謝を感じています。自分が50歳まで生きているなんて子供の頃には想像も付きませんでしたし、そんな未来が来るなんて思いもしませんでした。でもこの年齢まで無事に生きて来れたのですから本当に感謝です。50歳まで楽しく生きさせて頂いたのだから、これからの人生は世の中のためになる生き方をしたいと思います。そしてこれからも思いっきり楽しんで生きたいと思います。家族を大切にして、自分にかかわってくれる人に感謝して生きて行きたいと思います。今日は次男と一蘭にラーメンを食べに行き、銭湯で身体を整えました。明日と明後日をしっかり生きて次のステージへ行きたいと思います。
この前、鳥貴族で次男が釜飯を食べているのを見て、思い出した事があります。私は内弟子時代、最初の給料は3万円でした。その後5万円になり、最終的に7万円でした。なので23歳から27歳までそのお金で1ヶ月を過ごしていました。しかも給料が7万円の時は自分でアパートを借りていたので自動的に3万円が家賃で引かれてしまいます。風呂なしトイレ共同の3畳半の刑務所のように廊下の両側に5部屋ずつあるボロボロのアパートでした。この話をすると妻はそれは貧乏だけではなくお金の使い方も悪かったんじゃないと笑いますが、私は給料日には後輩にカッコつけて飲みに連れて行き、そこで2万円は使っていました。さてもう2万円しかありません、その2万円を30日で割ったら、1日に使えるお金は約666円です。ハッキリ言って無理です。なのでだいたい20日ぐらいで使い果たしてしまいます。残りの日は地獄です。その地獄を味わっても給料日には、また後輩を飲みに連れて行きます。本当に馬鹿です。ではそのお金がない時にどう過ごしたか?というと先輩にご馳走して頂いたり、いろいろです。凄く覚えているのは、私の母が即席で作れる釜飯を大量に送ってくれた時期がありました。固形燃料で火を付けて小さい鍋で1人分の釜飯を作れる物でした。お金が無くなるとその釜飯をよく食べていました。母親の有難みや食べる事が出来る有難みを感じ涙が出た事もありました。人間は弱っている時の方が優しさや有難みが身に沁みます。だから釜飯は私にとっては涙の釜飯です。あの時に食べた釜飯の味は最高に旨かったです。鳥貴族の釜飯ほど豪華じゃないけど、私には忘れられない最高の味です。
妻と結婚して14年になりました。妻と付き合ってから3ヶ月後に妻は東京へ来ました。妻はそれまで務めていた会社を退職し、家族や友達と別れ、自分の住みやすい街を離れて、僕の所に来てくれました。そして僕の身体の事やこれから作る子供の事を考えそれまで吸っていたタバコも止めてくれました。1年一緒に住んでその1年後の同じ日に入籍をしました。本当は妻をもっともっと幸せにしてあげる予定でしたが、苦労ばかりかけてしまっています。申し訳なく思っています。必ず幸せにするので待っていて欲しいと思います。そして最終的には僕と結婚して良かったと言わせてみせます。妻と出合ってから18年で付き合ってから15年で結婚してから14年になるけど、妻を好きだと思う気持ちは出会った頃より付き合った頃より結婚した頃より増えています。僕の希望はたまには二人で飲みに行って、グデングデンになるまで酔っ払って、昔みたいに大声で一緒に笑いたいなと思っています。
私は人生で4回手術をしています。3回は右膝の手術、1回は右アキレス腱の手術です。次は左右両方の股関節の手術になりそうですが、そうなると手術歴6回となります。人生で6回も手術する事になるなんて、私もなかなか業が深いようです。これからは自分の身体を少し大切に労ってあげたいと思います。子供達のためにも60歳まで健康でいなければならないので頑張りたいと思います。
次男は本当に可愛い所があります。私がけっこう強く叱った日も「パパ、おやすみ!」と笑顔で言ってくれます。次男は菅野家のムードメーカーです。いつも家族に笑顔をくれます。次男はいつも明るくて、面白い事をして皆を笑わせてくれます。私も次男の笑顔に何度救われたか分かりません。これからも面白い事をして人をたくさん笑わせて欲しいと思います。
最近の私の悩みは読みたい本が見つからない事です。常にインプットしていかなければならないと思っているのですが、何故か最近、読みたい本が見つからないです。ハウツー的な本や、自己啓発的な本や、〜すればこうなる的な本は、はっきり言って興味が湧きません。その辺の所を知りたければyoutubeを見たり、Googleで調べれば良いので本を読みまでの事はありません。本を読む事はインプットと書きましたが、本を読んで知識を得ようとか、賢くなろうとは思っていません。今さら知識をひけらかしたり、賢くなって誰かに認められるために本を読む気持ちにはなれません。では何で本を読むのかと言えば、それは生きる力を獲たい、魂に力を注ぎたい、感動を得たい、自分の心を豊かにしたい、情熱という火に薪を与えたいからです。最近は映画や音楽や漫画やアニメからはそれを得ているのですが、本は少し前に読みたい本を全て読み漁ってしまったため、なかなか見つかりません。ちなみに私が好きな作家は遠藤周作、司馬遼太郎、村上春樹、スティーヴン・キング、湊かなえ、中村文則です。お勧めの本がありましたら情報提供をお願い致します。
自分が思い描いた事は実現すると私は思っています。私も自分が思い描いた事を実現させた事があります。それを書いて見ようと思います。先ずは東京体育館の舞台で一本勝ちする事です。初めて東京体育館で全世界空手道選手権大会を見た時に、この東京体育館と言う大きな舞台で一本勝ちしたら気持が良いだろうなと思いました。これは第32回全日本空手道選手権大会の1回戦で左上段廻し蹴りで合わせ一本勝ちをして実現させました。次は第24回全日本空手道選手権大会を観戦した時に前年度の世界大会の代表選手を破って勝ち上がって行く数見先輩を観た時に、これをやって見たいと思いました。これは第32回全日本空手道選手権大会の3回戦で前年度の第7回全世界空手道選手権大会ベスト16だった住谷統選手を破り実現させました。次は自分より大きな相手に延長延長で粘って勝つ事です。これは第6回全世界空手道選手権大会でグラウベ・フェイトーザ選手やフランシスコ・フィリョ選手に延長で粘り勝つ数見先輩を観て自分もやって見たいと思いました。これは千葉大会の準決勝の野地竜太選手に延長延長で粘り勝ち実現させました。最後は決勝戦で一本勝ちしたいです。これも千葉大会の決勝戦の村椿英幸選手との試合で実現させました。自分が思い描いた事って後で考えるとだいたい実現させています。夢を叶えたいなら思い描く事が大切だと思います。
遂に50歳までのカウントダウンが始まりました。あと10日で私も50歳となります。ワタシの心は10代のままなのに私の肉体は50歳になるようです。身体が年老いて行く事はどうやら時間に抗えないようです。でも私の心と魂は10代のままです。それはこの世にいる間、変わらないと思っています。でも身体も自分では50歳よりは若いと思っています。悪い所を治してしまえば私の身体は30代の人にだって負けていないはずです。私が50歳になると次は次男が10歳になり、その次は妻が40歳になります。本当に信じられないです。妻と私が初めて会った時は妻は21歳でした。いつも笑っていて、はっちゃけていて、可愛かったです。今は2児の母となり大変な毎日だろうと思います。でもたまに酔っ払うと20代の頃の姿を見せたりします。だから私は妻の酔っ払った姿がとても好きです。あの頃のままではいられないかもしれないけど、やっぱり心はあの頃のままでいて欲しいと思います。だって私はあの頃の妻を好きになったのですがら。私も妻と出会った31歳の頃の自分をなくさないでいたいと思います。
私は子供のやりたい事にあまり口を出したりはしません。それが学校で禁止されている事なら絶対にやらせませんが、それ以外はよほどの事でない限り無理やりやらせないと言う事はしないようにしています。長男は少し前に金髪にしてLIVEに出たいと言いました。それは校則に違反しているからダメと言いました。最近は自転車にアヒルの人形を付けたり改造したりしています。それは私は止めませんでした。自分のやりたいようにやって、その事から起こる事を自分で経験して行けば良いと思っています。私もやりたいようにやって生きて来ました。でも今は若い頃に真面目だった人より真面目な人生を生きていると思っています。社会の皆様には本当に迷惑をかけ、周りの大人の人達にはあたたかい目で見守って頂き、たくさんの方々に手を貸して頂き、こうなる事が出来たと本当に感謝しています。だからこそ今度は私が子供達をそのあたたかい目で見守り手を貸してあげる側に立ちたいと活動しています。そしてその子達にカッコ悪いと思われる事はしてはいけないと生きています。長男もたくさんの方々にご迷惑をおかけしてたくさんの方々に見守って頂きたくさんの方々に手を貸して頂くのだと思います。だから親がその道にある物を退けてあげるのではなく、自分でその道を進んで困難に対処していろんな事を学んで行って欲しいと思っています。ただ私は長男に「君の行く道はおそらく険しい物になるよ。」と老婆心ながら話しました。でもこれからその道を行く人間に危険だよと行っても無駄な事も分かっています。若い人には「迷わず行けよ!行けば分かるさ!」しか言う言葉はありませんね。
私は食べる事にはお金を厭わないようにしています。と言っても自分で高級なレストランやお店に行く事はありません。高いお店と安いお店があったら迷わず安いお店を選びます。食べた物は体の中に入ってしまえば同じ栄養となるだけです。でも子供達はやはり好きな物はたくさん食べるので出来るだけ好きな物をたくさん食べさせてあげたいと思います。お菓子やアイスやそんな物はもちろん別です。この前、次男が鳥貴族で焼き鳥と釜飯を食べたいと言いました。お店に行くといっぱいだったので諦めようかと思いましたが、次男はどうしてもそれが食べたいと言いました。じゃあ安安で焼肉を少しだけつまんで、お店から電話がかかって来たら鳥貴族に行って本作的に食べようと言う事にしました。次男は喜んでたくさん食べていました。今はたくさん食べてたくさん動いて自分の持っているポテンシャルいっぱいに身体を成長させてあげたいと思います。余談ですが私はほんの贅沢はしません。賭け事もやらない、タバコも吸わない、家族と以外は外で飲む事もほぼありませんし、お酒も週末しか飲みませんし、何か自分の趣味にお金をかける事もしません。でも何で食べる事にお金を厭わないのかと言うとそれは父の教えです。父は私によく「無駄遣いはするな。賭け事をしたり、何かを無駄に買う事は無駄遣いだ。でも食べる事は無駄遣いじゃない、食べた物は全部栄養になって自分の身体になるんだから。」と言っていました。その時、私は本当だなと思いました。私の父も私に好きな物をたくさん食べさせてくれました。そして私がたくさん食べると父はとても機嫌が良かったです。そして「今は俺がお前に美味しい物を食べさせてあげるから、大人になったら自分で美味しい物を食べれるようになれ。」と言われました。だからなのかもしれませんが、私も子供達がたくさん食べているのを見ると安心してとても幸せな気持になります。
1月27日に左の股関節のMRIを撮り、30日にMRIの写真を見ながら、主治医の先生の診察を受けて、また後日に右の股関節のMRIを取り、また後日に主治医の先生の診察を受けて、最終的にどのようにするか?を決める事となります。今現在、開脚が出来ないのと蹴り技が出来ないのと型を全力では出来ないのと思い切り足を開くような立ち方が出来ないなど、いろいろ出来ない事はありますが、出来る事もたくさんあります。出来ない事が分かったぶん、出来る事も再確認し今まで取り組んでいなかった出来る事にも取り組んで見ようと思います。はっきり言って少し発想を変えれば出来る事だらけです。出来ない事が増えた事で出来る事も増えています。これは自分でも驚きです。やろうとする意欲があれば、どんな状況でもどんな状態でもやれる事をたくさん見つける事が出来ます。だから大切な事はその人のヤル気とその物事に取り組む姿勢なのだと思います。求めれば必ず道は拓けます。それを強く感じました。身体が悪くなるたびに私は新しい事に気付き人間的にも強くなって向上しています。身体が不自由になって制限があって見えてくる物もたくさんあります。人生死ぬまで修行です。
身体に悪い所があるからと手をこまねいているのは嫌です。やれない事がいくら増えたとしても、やれる事は必ずあります。水泳なら出来ると思い、プールに泳ぎに行きました。下半身をローリングさせるように身体を捻ってバタ足をすると股関節に痛みを感じるのと、平泳ぎの足は出来ないのと、バタフライのドルフィンキックで身体を反った所から強く蹴りすぎると股関節に痛みを感じる事がわかりました。それを確認してから、クロールでトータル1000m、バタフライをトータル100m、バタ足をトータル100m、そのあいだに歩いたり、足を上下運動したり、前蹴りをしたり、膝を回したりをしました。泳ぐのは本当に久しぶりだったので水が重くて全然上手く泳げませんでした。頑張って週一で続けて行こうと思います。水泳には本当に助けてもらっています。ヘルニアになった時、試合前に足を痛めて走れなくなった時、身体を悪くした時に水泳が出来るおかげで、頑張って身体を鍛える事が出来ました。自分が頑張った事は必ずいつか役に立ち自分を救ってくれると言う事をあらためて感じます。
昨日の夜、妻に自分の股関節の診断結果を伝えました。もう開脚は出来ない事、ゆくゆくは人工関節になる手術をしなければならない事、今人工関節にしてしまうと70歳ぐらいでもう1度手術をしなければいけない事、70歳の時に手術出来る体力があるかという事、いろんな可能性を考えて話しました。私が今1番悲しい事はもう2度と得意の上段廻し蹴りが蹴れなくなってしまったと言う事です。私の股関節は開脚に向いていなかった、それを無理やり開脚が出来るように努力をしたから今現在こうなったと言う事です。私の夢だった上段廻し蹴りで一本勝ち出来る選手になる夢を叶えなかったら私は今現在こうならなかったと言う事になります。その事も妻に話しました。でもやはり私は未来でこうなる事を知っていたとしても開脚を頑張って上段廻し蹴りで一本勝ち出来る選手を目指したと思います。そもそも上段廻し蹴りが蹴れないのならボクシングをやろうか?と思っていたほどです。だって松井章奎館長とアンディ・フグ選手の試合を観て感動して極真空手を始めたのですから。そして自分の希望通り夢を叶えて第32回全日本空手道選手権大会の舞台で左上段廻し蹴りで一本勝ちし、千葉県空手道選手権大会の決勝戦で左上段廻し蹴りで一本勝ちし、自分より大きな選手の顔を何度も蹴って、閃光の左上段廻し蹴りの異名ももらい、たくさんの一本勝ちと技有りを取り、稽古でも組手でも私が顔を蹴れなかった人はいないと言うほど人の顔を蹴って来ました。もしかしたら、その罪の精算をする日が来たのかもしれません。それを私が言うと妻は「もう一生ぶん人の顔を蹴ったんだから、もう十分じゃない、そんなに人の顔蹴ったんだから、そうなるのも仕方ないね」と笑って言いました。少しだけ心が楽になりました。これからは自分の身体も人の身体もいたわれる人間になろうと思います。
今日は病院で股関節の診察を受けました。レントゲン撮影を先生から診断を受けた結果はなかなか悪い状態だという事です。また後日、MRIで股関節を撮影して状態を見て、先生の診断を受けて、これからの事を決めて行く事になりますが、ゆくゆくは股関節を人工関節にする必要があるだろうと言う事です。ですが人工関節も摩耗するもので早いと20年、長く持てば30年との事です。多分私は結構動くのでも持っても20年ぐらいなんだと思います。なのであと5年はなるべく股関節を使わないようにだましだまし生活して長持ちさせて、いよいよ歩行が困難になってから人工関節にするのが良いとの事でした。ついにこの日が来たか?と言う感じです。先生が言うには、もともと私の股関節は普通の人より膨らみが大きく開脚には向いていない股関節だったそうです。それを無理やり開脚してきたから股関節の外側の軟骨が減ってしまい骨と骨がぶつかって炎症しているとの事です。私はそれを聞いて「自分の股関節は開脚に向いていなかったんだ?それなのに開脚を180度出来るようにしたんだから僕は頑張ったんだな!」と思い、すこし泣けて来ました。本当に自分の股関節に感謝です。ちゃんと180度の開脚が出来るようになり、自分より大きな人の顔を蹴れるようになってくれて、選手時代は悪くならずに頑張ってくれて、この歳まで頑張ってくれたのだから。もう開脚が出来なくなってしまうのはとても寂しいし悲しいし辛いけど、今まで酷使したぶん大切にして、もう少し頑張りたいと思います。でもこんな事には負けていられません。やれる稽古はたくさんあります。まだまだ強くなる方法はたくさんあります。閃光と言われた左上段廻し蹴りはもう蹴れないけど、高い蹴りは使わない新しいNEWスタイルの菅野秀行の組手を編み出したいと思います。
長男と次男と3人で川崎之TOHOシネマズに「かがみの孤城」を観に行きました。川崎に少し早く行きゲームをしてから映画を観ました。とても良い作品でした。中学生という時期は本当に微妙な時期です。人との関わり方に難しさも感じる時期だと思います。でもその時期に人とたくさんぶつかったり支え合ったり時には傷つけ合ったりして自分なりの人との関わりを見つけて大人になって行くのだと思います。もしそれがどうしても上手く行かなかったら、誰かに助けて貰えば良いと思います。世の中は確かに冷たいところもありますが、自分が思っている以上に世の中はあたたかいです。でも自分がSOSを出して助けてもらおうとしなければ、誰も自分を助けてくれません。だから結局は自分を助けるのは自分の力なのかもしれません。でも自分が助けて欲しいと行動を起こせば必ず誰かが手を貸してくれます。私はそう信じています。長男と次男はこの作品を観てどう感じたのかは分かりませんが、とても良い時期にこの作品を観たのではないかなと思います。帰りに3人で銭湯に行きました。私はサウナに入ったりしていたので、長男と次男は二人でお風呂に入っていたのですが、次男はサウナ室のドアが開くと音楽が聞こえるのですが、ドアが開いて音楽が聞こえるたびに歌を歌って長男を笑わせていました。長男はそれがツボに入ったらしく、次男がそれをやるたびに大爆笑していました。兄弟はこの世で一番ケンカをして一番仲良くする人だと思います。大人になっても二人で助け合って欲しいなと思います。
次男には最近、口癖があります。その言葉は「バッチバチ」です。例えば「バッチバチに走って来た!」とか「バッチバチに食べた!」と言う感じに、何かの言葉に「バッチバチ」を付けます。たぶん私達の頃で言えば「バリバリ」にとかと一緒なのかと思います。次男は赤ちゃんの頃から怒りん坊だったけど、今でも怒りん坊です。そして凄く良くしゃべります。休みの日なんて朝起きていきなりハイテンションでずっとしゃべっています。次男は運動するのがあまり好きではないのですが、頑張って空手を週三回、水泳を週二回通っています。でもそのぶんたくさん食べるので全然痩せませんが、いっぱい動いていっぱい食べて心も身体も大きな人になって欲しいと思います。
あと17日で50歳になります。50歳になるまで「強くなりたい!」この情熱は消えませんでした。今でも飽きることなく毎日強くなる稽古をしています。自分でも本当にビックリです。でも小さい頃は、だいたいの男の子はウルトラマンとか仮面ライダーとかヒーローが好きで「強くなりたい!」と思っていたと思います。私達の中学生高校生の時代は不良全盛期で喧嘩が強い人が1番尊敬され女の子にもモテました。その頃の男子生徒の半分はバリバリじゃなくてもカッコつけて不良ファッションをして喧嘩なんかもしていたと思います。でも普通はみんな何処かでお金持ちになりたい、好きな子と結婚したい、旅行したい、カラオケに行きたい、飲みに行きたい、それをやるためにはお金が必要で、お金を稼ぐためにみんな普通に働き始めます。それが普通だし当たり前です。そして夢とか言っている場合ではなくなるのが普通だと思います。でも私は「強くなりたい!」そのためならお金持ちどころかお金なんてなくても良いと思っていました。だからちゃんと就職して会社員になった事はありません。結局この50歳まで「強くなりたい!」それだけで生きて来ました。私は「強くなりたい!」そう目を輝かせて入門してくる子供達が大好きです。そしてそういう子供達に空手を教える事も大好きです。でもみんなどこかで大人になるのか?夢を諦めて道場を去って行きます。それが当然と思いながら、いつも寂しく思い道場を辞めていく子を見送ります。子供の頃から「強くなりたい!」その気持をいろんな理由で何処かで諦める人をずっと見送って来ました。でもまた「強くなりたい!」と夢を持って新しい道場生が入門して来るので寂しくはありません。私は誰が去ろうと自分で決めたこの道をどこまでも突き進むだけです。この世から去るその日まで自分で決めたこの道をどこまでも突き進みたいと思います。そして私が高校の卒業文集に書いたように「人より遠回りしたぶん、人より遠くまで行きたい」と思っています。
現在、股関節が悪いためにあまり激しく動く事は出来ないのですが、上半身のストレッチ、呼吸法、型、ウエイトトレーニングはしっかりやっています。お正月の暴飲暴食で体重が100キロになってしまいましたが、着実にダイエットして身体を整えています。上半身のウエイトトレーニングは記録も伸びていますし、身体にも大きな変化が現れています。ベンチプレスは90キロ10回余裕で上がるようになったので、今年の目標は100キロ10回、MAX120キロを目指したいと思います。肩もダンベルショルダープレスで30キロ12回上がるので35キロ10回を目指したいと思います。背中は懸垂で自分の体重を10回上がるので自分の体重+10キロ10回を目指したいと思います。そうなると今のジムでは最重量のダンベルは30キロなのでジムを変えなくてはいけないかもしれません。体重が100キロでも腹筋の上の方は割れているので以前の身体と今の身体の筋肉量は今の方が上だと思います。久しぶりにあった空手の後輩にも「先輩、現役時代の身体に戻りました!」と言われました。夏に向けて脂肪を落としてカッコイイ50歳になりたいと思います。
久しぶりに妻と二人でタパスタパスにランチしに行きました。いつもは子供達がいるので二人というのは、少し照れくさい感じがします。でもいろいろな話も出来て楽しかったです。たまには二人でランチするのも良いなと思いました。これからは毎週1回はランチに誘って見ようかなと思っています。妻が行きたくなるような美味しいお店をリサーチしようと思います。
昨日の冬季通い強化合宿が終わり、やっと私も安心してホッと一息し正月が終わり、新しい年が始まった感じがしました。今日はそこで一息つかずに頑張って朝から事務仕事をこなし朝のトレーニングもしました。私は今、股関節が致命的なぐらい悪くなってしまっています。なのでとにかく出来る事をしっかり頑張って進化して行こうと言う事で今年もウエイトトレーニングを頑張ろうと思います。そして股関節もしっかり検査して何らかの処置をしたいと思います。しっかり体重も落として行きたいと思います。現在98キロなので頑張って4月までに90キロを切りたいと思います。
2023年冬季通い強化合宿が終わりました。21名の生徒が参加してくれました。自分を強くしたい!自分を変えたい!出来ない事が出来るようになりたい!など生徒達だけではなくご父兄様の思いもあって参加したのだろうと思います。みんな一生懸命に頑張っていました。初日6時間、2日目3時間半、合計9時間半稽古するわけですが、初日のランニングや階段ダッシュや坂道ダッシュ、ミット稽古、組手で、2日目の朝はみんな筋肉痛でパンパンだったそうです。みんな筋肉痛の重い体を引きずるようにして頑張って早起きして2日目の稽古に来ました。みんななかなか大変だったろうと思います。特に6年生の参加者は良く頑張りました。小さい子はお父さんお母さんになだめすかされ稽古に来るのでしょうが、6年生にもなればやりたくない事から逃げようと思えば、それなりの理由を付けて逃げる事も出来たと思います。今回通い合宿に来た生徒は最終的には自分で決めて参加したのだろうと思います。私も疲れているみんなのテンションを上げて自分のリミッターを超える事が出来るように1人1人に激を飛ばしたり励ましたり褒めたりしながら皆を導きました。みんな本当に頑張りました。この経験を次の何かに繋げて欲しいと思います。
私の運営する極真会館東京城南京浜支部の2023年冬季通い強化合宿初日でした。21名の道場生が参加し頑張って稽古に励みました。合宿ではランニング、階段ダッシュ、坂道ダッシュと辛い苦しい事がたくさんありす。苦しい事と向き合う事で弱い自分とも向き合う事となります。自分と向き合い自分と戦う禅の時間となります。苦しい中で自分の心とどう付き合って行くか?自分の心でどう身体をコントロールして行くか?これは本当に苦しい稽古からしか学ぶ事は出来ません。気持よくシャドーをしたり、ミットを叩いたり蹴ったりする中では絶対に学ぶ事は出来ない事です。自分の苦手な事をする中で、苦しい稽古をする中で、自分の身体が上手く動かない中で、自分の限界ギリギリの中で、自分の心がどう動き、自分の心がどう身体を動かすか?ここを学べる人間は1000人に1人もいないと思います。私は生徒達にそこを学んで欲しいと思っています。己に克つという事は、自分の苦手な事や自分の嫌いな事と向き合う事、自分が本当に本当に苦しい時に自分の弱さと向き合う事から学べる事です。今日は6時間ビッシリ稽古しました。生徒達はそこと向き合ったのではないかと思います。自分に負けた人もたくさんいたでしょう。でもそれで良いのです。今日は負けても明日は負けないように1年後は負けないように頑張れば良いのです。ダメな事はそこから逃げてしまう事です。だから合宿に参加したみんなは良く頑張ったと思います。
2023年は私は低迷期らしい、でもそんなの全然関係ない、だいたい私は運勢や占いなどと言う物を全然信じていない、そしてそんな物が当たったと思った事も1度もない。だって私はこの世にたった1人しか存在しない人間なのですから、そんな物が当たるはずがない、そして自分の性格や自分の事は自分が1番理解している自信があります。だってこんなバカと50年も付き合って来たのですから、今さら「あなたの性格は」なんて人から言われても何も心に響きません。私の妻や親や兄弟や友達に言われた方がよっぽど心に響きます。もともと私は自分の運命なんてブッ壊してやる!と生きて来た人間です。今さら運命や運勢に縛られてたまるかと思います。という事で低迷するつもりは毛頭ありません。2023年しっかり突っ走って行きます。
もう少しで50歳になります。私も歳を重ねそれなりに円くなり人間も出来て来たのではと思います。ですが若い頃には人がくだらないと思う事に怒ったり、人がくだらないと思う事に熱くなったり、人がくだらないと思う事に意地を張ったりする事も大切なんじゃないかな?と思います。私にもそんな時代がありました。その事で損した事もあります。でもそんな自分がいてくれたから今の自分があると思っています。十代二十代の頃は爆発しそうなぐらい燃える物が自分の中にありました。今は無いのか?と言われたら今でもそれはあります。でも今はそれを上手くコントロール出来るようになったと思います。
昨日の菅野日記で私は、人から奪われない物を大切にしたいと書きました。そして人から奪われない物を身に付ければ恐れる事は何もないと書きました。ですが、私にも奪われたくない物や奪われる事が怖い物があります。それは家族と友達です。奪われるのが怖いと言うよりも失う事が怖いと言う感じかもしれません。妻や子供達を失う事はとても恐ろしい事です。私はこの世の中に私が所有している物は何もないと思っています。いつ失ってもおかしくはないと思っています。失った時の覚悟もしているつもりです。特に人の心や気持ちや信頼は自分のちょとした言葉や行動を間違えてしまえば失ってしまいます。だから家族でさえ気を付けて言葉を選ばなければいけませんし、信頼を裏切らない行動をしなければいけません。それでも家族を失う事があるかもしれません。だから考えるだけでも恐ろしいけど、やはりその覚悟はしておかなくてはいけないと思います。自分が自分の命よりも大切な物を失ったとしても自分を失う事がないように、また立ち上がって人生を歩き出せるように覚悟をしておかなくてはいけないと思っています。今日、私の命よりも大切な家族が東京に帰って来ます。東京駅に迎えに行きます。家族の笑顔を早く見たいです。
私は、私が人から奪われない物を大切にしたいと思っています。そして人から奪われない物を身に付けて行きたいと思っています。例えば私が極真空手で初段に成ったとします。その初段の黒帯は私から盗む事は出来ます。その取得した初段と言う権利の様な物は私から剥奪する事も出来ます。でもその初段を取るまでに私が経験した事や修得した技術やそれを取るまでに学んだ礼儀や精神性は私から誰も奪う事は出来ません。夢や希望や情熱も私から誰も奪う事は出来ません。だからそれを身に付けてしまえば何も恐れる事はありません。お金や地位や権力や権利は誰かから奪われる事もあります。でも私の魂は私から誰も奪う事は出来ません。だから私は何も恐れる事はありません。例えば私が国際空手道連盟極真会館から東京城南京浜支部の支部長の権利を剥奪されようと私はどこかで私が学んだ事を誰かに教える事は出来ます。私から命を奪おうと私の生きた証はこの世に残り、私の魂も消える事はなく、私の身体も形を変えるだけでこの世にあり続けます。だから私から私自身の物で、私が本当に大切にしている物を奪える人は誰もいないと思っています。
今日もゆっくりと過ごし午後に新幹線に乗り東京へ向かっています。楽しい時間はあっと言う間に過ぎて行きます。新幹線で福島駅のホームに着いたのが昨日の事のようです。あっと言う間に時が過ぎて今、新幹線の中にいます。あっと言う間の7日間でした。3日間は友達と飲み、4日間は家族で過ごしました。本当に楽しい7日間でした。一緒に楽しい時間を過ごしてくれた友達には本当に感謝しています。みんなと話していると昔の事をたくさん思い出します。私は20歳で東京に上京したので、思い出話をする機会もあまりないので、結構いろんな事を忘れてしまっています。みんなはたまに仲間で集まって思い出話をするので結構覚えていたりします。なのでみんなから昔の話を聞いても私が覚えていない話がたくさんあるのでとても面白いです。自分の話なのに笑ってしまう事もいっぱいあります。本当に自分は馬鹿だったんだなと思います。それから30年も経っているので、私もだいぶ変わった所もあるとは思うのですが、友達と会うと昔の自分に自然と戻る事が出来ます。友達といる時は馬鹿でいたいと思います。そしてみんなで笑っていたいと思います。私は中学校の卒業アルバムを持っていませんでした。約30年ぶりに中学校の卒業アルバムを見ました。とても恥ずかしい気持になりました。卒業文集なんて、この人何かに取り憑かれておかしくなっているのか?というような内容を書いています。たぶん誰かの影響を受けてカッコつけて書いたのだと思います。カッコつけずにもっと自分の言葉で自分の気持を素直に残せば良かったのになと思いました。もうすぐ東京に着きます。明日からまた全力で頑張りたいと思います。
この正月休みにやろうと思っていた事があります。それは「チェンソーマン」を全巻購入して読む事です。28日福島に帰る時に全巻購入し福島までの新幹線の道中に7巻まで読み30日までに12巻まで読み終わりました。ちょっと衝撃的過ぎで疲れました。子供達にはあまりお勧めできません。でもキャラクターも良いし、内容もとても面白いです。私はとても大好きです。でも読み終えるまでに何度も衝撃を受け、何度も心が凹みとても疲れました。好きになったキャラクターを書きたいと思います。1位早川アキ、2位デンジ、3位姫野、4血の魔神パワー、5位岸辺、6位爆弾の悪魔レゼ、7位天使の悪魔エンジェル、8位サメの魔人ビーム、9位暴力の魔人ガルガリ、10位クァンシです。少しネタバレになってしまいますが途中まではマキマも好きでしたが最後まで読んで好きではなくなりました。もっとキャラクターのみんなに幸せになって欲しかったなと思います。特にアキと姫野には幸せになって欲しかったです。何度も読み返していますが、その度に伏線の回収や理解が深まるのでとても面白い作品です。でも子供にはお勧めは出来ません。デビルマンを初めて読んだ時ぐらいに衝撃的でした。子供には衝撃が大きすぎると思います。
あけましておめでとうございます。2023年令和5年が始まりました。今日は子供達と山を散歩したり探検したりテレビを見たり寝たり、という感じのゆったりした1日を過ごしました。この数日の暴飲暴食で体重が100キロになってしまいました。まあ今回は食べて飲んで好きなようにしようと思っていたので想定内です。というわけで今年の目標をしっかり定めたいと思います。自分の事をまず言えば体重を1度しっかり落としたいと思います。それと年明け早々に股関節の検査をして、この処置を決めたいと思います。あとは今まで続けて来たウエイトトレーニングを頑張る事と最近休んでいた読書をまた再開したいと思います。道場の事では今年はこの数年間道場を引っ張ってくれた6年生が中学生になるのでその子達が1人でも多く自分の目標を達成して区切を付けて中学生という次のステージに進めるよう力を貸してとあげたいと思います。今年の国際親善大会は組手と型で20名は生徒を出場させたいと思っています。そして今年は極真会館の最大行事である第13回全世界空手道選手権大会が行われます。たくさんの道場生に足を運んで頂き、社会から注目されるようにしたいと思います。近い将来東京城南京浜支部からも必ず選手を舞台にあげてみせます。その時にこの舞台が社会的に大きな注目を受ける舞台になっていて欲しいと思います。それに1番直結する活動は道場生が1人でも多く会場に足を運んでもらえるよう呼びかける事だと思います。東京体育館が観客でいっぱいになるようになれば、極真空手が大きな注目を集めるはずです。そして大会も大成功を収めると思います。今年からは今まで以上に選手育成に力を入れたいと思います。中学生以上の子が稽古に励めるクラスを充実させて行きたいと思います。とりあえず自分の思うところを書いてみましたが、とにかく今まで以上に何事にも力を入れて行きたいと思っています。
kanno
|