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息子達と「ジュラシック・ワールド 新たなる支配者」を川崎のTOHOシネマズに観に行きました。「ジュラシック・パーク」は私が20歳で東京に来た年に上映しました。私は新宿のコマ劇場のあたりの映画館に観に行きました。立ち見で観ました。映像の凄さに凄い衝撃を受けたのを覚えています。それから29年後の今日、その作品の最後と言われる作品を息子達と観に行きました。とても感慨深いものがあります。たぶん息子達もいつか私と観た作品や妻と観た作品の続編やリメイク版などの作品を観る時が来るだろうと思います。やっぱり映画はハッピーエンドが良いです。物語は皆が幸せになって欲しいです。「ジュラシック・ワールド」は最後がとても良かったです。
明日は道場はお休みなので、今日で7月の稽古は終了しました。だらだらしていたら時間はどんどん過ぎて行きます。時間にも時代にも世の中にも社会にも置き去りにされないように活動して行かなくてはならないと思います。常に自分のやることに信念を持って真剣な気持で一生懸命に活動して行きたいと思います。8月28日に雑色商店街のサマーフェスティバルで演武をさせて頂ける事になりました。世の中の情勢をよく見ていかなければならないとは思いますが、出来る事は最大限やって行きたいと思います。世の中の変化に対応して変化を進化にしていかなくてはならないと思っています。
右足の装具のヒールの高さが1段低くなりました。手術の傷跡も完全に治りました。まだ再断裂の可能性が高い時期らしいので、気を抜かずに気を付けて生活して行きたいと思います。来月の19日にヒールの高さが1段低くなるので、そのあたりからだいぶ動けるようになるのではと思います。早く道着を来て、皆と身体を動かして稽古が出来るようになりたいです。早くミットを叩いたり蹴ったりしたいです。早く組手をしたいです。あと3ヶ月ぐらいかなと思っています。
50歳を前にアキレス腱断裂をした事は、もしかしたら自分にとってとても必要な事だったのではないか?と思います。この出来事は50歳からの人生をどう生きて行くか?を考えさせてくれました。アキレス腱を断裂しなければ、この勢いで50歳を突っ切ってやれー!的な感じになっていたと思います。でもアキレス腱を断裂した事によって、1度立ち止まらせられました。でも立ち止まる事によって自分を見つめ直したり、この先の事を考えたりする時間を作る事が出来ました。自分が何をやりたいのか?自分が何をしなければいけないのか?それを考えさせられる時間となりました。今年で道場を開設して20周年ですが、浮かれている場合でも喜んでいる場合でもないぞ!と気が付かされた感じがします。そしてこの50歳になるこれからの人生の事をしっかり考えろ!と気が付かされた感じがします。この出来事は自分にとってとても重要な事だったと思います。
私は人生で1度だけ試合場で相手の上段廻し蹴りで一本負けして、試合場で意識を失った事があります。2004年4月の千葉県大会の準々決勝での試合でした。私は31歳で前年の世界大会に出場が叶わず、引退も頭に過ぎったのですが、その年のお正月に4年後の世界大会を目指そうと現役続行を決断して、1番最初の試合でした。前々年に城南支部は極真会館を脱退し、極真会館に残った仲間もみんな前年に引退し、ある意味では一人ぼっちのスタートでした。でも私はここから一人で頑張った4年が自分が1番頑張った時期だと思っていますし、この4年にたくさんの事を学ぶことが出来ました。私はこの試合に向けて、誰に叱られなくても手を抜かず稽古することが出来ました。試合の前日には39度の熱を出し一睡も出来ずに試合に臨みましたが、弱気になることはありませんでした。何故か分かりませんが、絶対に優勝する自信がありました。そして試合でも絶好調でした。2回戦3回戦では180センチ以上ある勢いのある若手2人を完封して準々決勝に臨みました。準々決勝でもほぼワンサイドで試合を進めて行きました。そして最後の決めにラッシュをかけたところで意識が途切れ、目を覚ますとそこは控室でした。私が倒れるのと試合終了の太鼓が同時だったそうです。私は試合場で意識を取り戻し、挨拶をして試合場を降りて、相手にも挨拶に行ったそうなのですが、それは記憶にはありません。私は控室で意識を取り戻した時に思った事は、「一本負けもそう悪くない」でした。それは何故かと言うと、私は試合中に一瞬も諦めることなく最後まで戦いました。もっと言ったらその年の始めから自分に厳しい時間を過ごし、自分に負けることなく試合に臨み、最後の一瞬まで諦めることなく、自分の意識が途切れたのです。たぶん私はあの場でもう二度と意識を取り戻すことがなかったとしても、悔いはなかったと思います。だから一本負けもそう悪くないと思ったのです。私は意識を取り戻し、ワールド空手のインタビューを受けました。インタビュー中に私は涙が出てきました。悲しくて悔しくて泣いたのではありません。自分に負けずに頑張って来た日々を思い出し、よく頑張ったなと感極まって涙が出てきたのです。私がこの世から去る時も同じようでいたいです。死ぬのもそう悪くないと言えたらと思います。でも私という意識がある限りは私は自分に負けないで頑張りたいと思います。私の最後の目標は「死ぬのもそう悪くない」と言ってこの世を去る事です。
何処かを怪我した時に、ある一時期は安静にしておく事はとても大切なのだと思いますが、歳を取ってくると身体の回復力が遅いため、完治するまでに時間がかかります。完治するまで安静にしていたら、身体の他の場所の筋力や機能が衰えてしまい、元の状態に身体を戻すのは難しくなってしまいます。怪我した場所も完治するまで動かさないでいたら、完治した時には、神経も筋力も機能も落ちてしまい、元の動きは出来なくなってしまう可能性があります。なので私はなるべく悪いところも動かすようにしていますし、動かせるところは前以上に動かすようにしています。私は右足のアキレス腱を断裂しました。私は元に戻りたいわけではありません。前よりも強くなりたいのです。元に戻るだけなんてつまらないし、そんなところを目標にしていたら、たぶん元よりちょい下ぐらいにしか戻らないと思います。前以上を目標にすれば元に戻ることなんて簡単なはずです。私はやって見せます。49歳でアキレス腱断裂しようと前より強くなれることを証明したいと思います。練習は不可能を可能にします。私は空手家です。身体が動かなくなったらおしまいです。前以上の自分になる努力をしなくなったらおしまいです。強くなりたいという情熱がなくなったらおしまいです。やれる事とやれない事のギリギリのラインを攻めて、必ず試合に出れる心と身体を作って見せます。言ったからにはやって見せます。
ここ数年、私の身体にいろいろなアクシデントがありました。1昨年の10月に右膝を痛め昨年の1月に手術をし、昨年の末に腰部脊柱管狭窄症になり、治ったと思ったら6月13日に右足アキレス腱断裂です。1昨年からコロナ禍となっている中で、結構たくさんの人と接触する仕事をしているのに、何故かコロナとは無縁で、それとは関係のないところで身体を壊して大変な思いをして来ました。結局、私達人間はどんなに気を付けてもコロナにかかる時はかかるし、怪我をする時はするし、事故にあう時は事故にあうんだし、死ぬ時は死ぬんだと思います。もちろんそれらに気を付けて生きて行った方が良いと思います。でもそのリスクを気にしすぎたり、そのリスクにおびえて生きるのは、私は嫌です。自分が出来る事は気を付けながら、自分のやりたい事をやりたいと思います。お酒を飲みたい時は飲めば良いと思います。友達と会いたい時は会えば良いと思います。走りたい時は走れば良いと思います。結局どんなに健康に気を付けても人間は死ぬんです。生きているうちにこの人生を楽しまなければ、生まれて来た意味を失ってしまいます。たぶん何歳まで生きても、もう少し生きたいと思うのでしょうし、何歳まで生きても夢なかばで死ぬことになるのだろうと思います。だからこそ私は死は身近にあるんだと自分にいつも言い聞かせて毎日を生きています。身体に気を付けて何もしない人生より、身体に気を付けていろんな事をやる人生のほうが私は良いと思います。気を付けるところは気を付けて、羽目を外す時は羽目を外して、自分の身に何かアクシデントがあった時には受け入れる生き方をしたいと思います。
アキレス腱断裂から46日が経ちました。自分で言うのはなんですが、かなり頑張って来ました。感じ的に言うと、今まで作っていたパズルを完成間近にガシャーンと壊されて、気持が折れそうな所をその瞬間から気持を切り替えて、1からコツコツ頑張って来た感じです。しかし私も普通の人間なのでそれなりに疲れもストレスもたまります。頑張り過ぎると気持ちの糸が切れてしまうので、それを解消するために今日は川崎の一蘭にラーメンを食べに行きました。あまり箍を外すと気持ちの糸が緩むのではなく、逆に気持ちの糸が切れてしまうので、替玉は1回でスープは飲まない事に決めて、長い時間食べれるようによく噛んで味わって食べました。また明日から2週間気合を入れて頑張ろうと思います。
長男がギター教室で先生方と演奏した映像を見ました。長男がギターを演奏している姿を見て感動してしまいました。とてもカッコ良かったです。長男にギターをやらせて本当に良かったと思いました。私も中学生の頃にギターをやっていたのですが、今の長男の演奏を見たら恥ずかしくてギターをやっていたなんて、とても言えません。私の周りにも当時の私からは上手いと思う友達はいましたが、思い出してくらべても長男はなかなか上手いと思います。小学校6年生でエレキギターを弾ける人が私の周りにいたら、それはもう憧れていた事だと思います。私にはギターのセンスはありませんでしたが、長男にはどうやら、私よりはセンスがあるようです。長男はもう自分の意志をしっかり持っているようです。長男は親の言いなりにはならないと思います。私もそうだったから仕方ないと思いますが、男がこうと決めて進み出したら誰も止める事は出来ないのだと思います。親に出来る事は見守って応援してあげる事だけです。
ついに来週で7月も終わりとなります。1年生の半分が瞬く間に過ぎて行きました。来週と再来週は短期集中セミナーがあるので全力で指導に当たりたいと思います。8月7日から8月15日までは道場の稽古がお休みになるので少しゆっくり休みたいと思います。私達は沖縄本土復帰と日中国交正常化とオイルショックと言う時代が目まぐるしく変わる時に生まれた第二次ベビーブームの団塊ジュニアと言われました。その私達もついについに50歳です。私達は、団塊の世代と言う戦後の高度経済成長、バブル期を労働者として、消費者として、戦後の日本に大きな影響を及ぼしてきた凄い世代の人達の子供に生まれ、子供が多いため何をするのも競争率が高く、学歴社会、学歴偏重主義と言われるとても窮屈な中で子供時代、青春時代を過ごしました。成人するとバブルが崩壊し、なかなか大変な時期を社会人として生きなければいけませんでした。得だった事は人が多い事もあり時代の流行りは私達の世代と共に進んで来た事でした。そんなこんなで生きてきた同じ歳の皆と、今度の休みには、お疲れ様とお互いを労いあいたいと思います。
本日、不動産屋へ行き、大森道場の10回目の更新を行いました。ついに大森道場を開設して20周年となりました。あの時に踏み出した1歩が今日と言う日に繋がりました。始めから20年続くと思っていたか?と言われたら、20年続くと思っていたわけではありませんが、この世界で生きて行けなかったら、他に生きて行く道はないと思い、苦しい時も辛い時も、負けてたまるかと歯を食いしばって踏ん張って頑張りました。どんな悩みを抱えても、何とかなるだろうとポジティブに明るく生きて来ました。でもこうしてやって来れたのもたくさんの方々のおかげです。極真空手と言う私の生き甲斐を作って下さった大山倍達総裁、私が極真空手を始めたいと思ったキッカケとなった大会で優勝され、私を支部長に任命してくださった松井章奎館長、私を導いてくださった師範、先生、先輩、私と一緒に稽古してくれた仲間達、極真会館に関わる支部長や指導員や道場生の皆様、私の道場に入門してくれた道場生、道場生のご父兄様、私の家族、私の両親、私の人生に関わってくださった全ての方々に感謝しております。道場の更新が終わり不動産屋を出たあとに自然に涙が出て来ました。本当なら祝杯をあげたいところでしたが、アキレス腱が治るまではお酒を止めると決めたので、祝杯はあげませんでした。ここから15年しっかり頑張って行きたいと思います。今日、長男に「明日、世界が滅亡するとしたら、何をしたい?」と聞いたら、長男は「ギターを弾きたい」と言いました。自分のやりたい道を突き進んで欲しいと思います。
右足に装具を装着して6日目となりました。だんだん出来る事が分かって来ました。松葉杖歩行は基本的に今まで通りの腕の力だけでの松葉杖歩行をしています。その方が速く歩けるのと、その方が楽なのと、上半身のトレーニングにもなるので、それで行っています。自転車は普通に乗れるようになりました。なので今日からジムでエアロバイクを始めました。家の中や道場の中では松葉杖を使わずに歩行しています。右足だけハイヒールを履いて歩いている感じなので剣道の時の歩き方みたいになるのと骨盤がいつも傾いているので腰と股関節にすごく負担がかかります。足首は伸ばす事は出来るので、正座の練習を始めました。足の浮腫と腫れがいまいち取れないのでなるべく足の指などを動かすようにしています。アキレス腱を再断裂しないよう気を付ける事も大事ですが、私も来年50歳です。怖がって動かなければ、出来る事も出来なくなってしまいます。動かさずにいたら二度と出来なくなってしまうかもしれません。無理せずに常に出来る事を探し、出来る事を増やし、出来る事はどんどん取り入れて行こうと思います。こんな怪我に負けてたまるかと毎日頑張っています。
何度かこの日記には書いた言葉だと思いますが、改めて私の好きな言葉を2つ書きたいと思います。1つは「たとえ明日、世界が滅亡しようとも今日私はリンゴの木を植える」です。たとえどんな状況に置かれようとも将来の希望を育てる事は素晴らしい、たとえどんな状況に置かれようとも、一歩一歩着実に歩みを進める事は素晴らしい、いま自分にできることを精一杯やっていこうというと言う意味だと私は思っています。もう一つは「カルペ・ディエム(その日を摘め)」です。一日の花を摘め、その瞬間を楽しめ、とも訳されます。その瞬間を謳歌しろ、人生を謳歌しろ、と言う意味だと私は思っています。この言葉を十代に知ることが出来たことは私にとってとても幸運でした。その時、私が2つの言葉を聞いて思ったことは、自分には明日、世界が滅亡しようとも、植えたいと思える木はあるか?明日、世界が終わるとしてもやりたいと思えることはあるか?その瞬間を謳歌させる事が出来るものが自分にはあるか?自分の人生を謳歌されられるものが自分にはあるのか?と言う事でした。それから30年が経ち、今ならはっきりと言えます。私には明日、世界が終わるとしても植えたい木があります。自分の人生を謳歌させてくれるものがあります。と自信を持って言えます。私はたとえ明日、世界が滅亡しようとも空手の稽古をするでしょう。自分がこの世から去る時に空手をやって本当に良かった。空手のおかげで人生を謳歌出来た。そう言えると思っています。私の長男と次男にも明日、世界が終わるとしてもやりたいと思える素晴らしいものを見つけて欲しいと思います。人生を謳歌出来るものを見つけて欲しいと思います。
私が運営する国際空手道連盟極真会館東京城南京浜支部の2022年夏季通い強化合宿でした。道場生と長い時間接する事で、その人の知らなかった、新たな一面を見る事が出来たりして、とても有意義な合宿でした。今回はパンチに課題を絞って稽古をしました。合宿で習って終わりにならずに、また明日からの稽古で試して行って欲しいと思います。合宿に参加した道場生の皆さん、本当にお疲れさまでした。子供達を合宿に参加させて頂きましたご父兄の皆様、本当にありがとうございました。また明日から、頑張って稽古に励みたいと思います。
本日は私が運営する国際空手道連盟極真会館東京城南京浜支部の2022年夏季通い強化合宿初日でした。初めて合宿に参加する人や初心者の人もたくさん参加して、昨年までの参加者とは顔ぶれもだいぶ変わって来ました。上級者から初心者までのみんなが充実した稽古が出来るよう頑張ってメニューを作りました。初日1回目の稽古は、ストレッチを1時間以上かけていろんな種類のストレッチを行い、腹式呼吸、逆腹式呼吸、火の呼吸、息吹で呼吸法を稽古し、呼吸法で全身の筋肉を締めて爆発力を起こし技を強くする稽古を型や基本稽古で行いました。2回目の稽古はステップワークやパンチの稽古を行いました。パンチのフォームを稽古し、ストレート、フック、アッパーを的確にミットに打ち込み、ストレート、フック、アッパーを組み合わせたいろんな種類のコンビネーションを稽古し、最後に動きながらミットを打つ稽古をしました。私もいつもの稽古以上に真剣に一生懸命に燃えて教えたので、自然と言葉も厳しくなったりしてしまいましたが、みんなそれに応えて上達してくれました。みんな大変だったと思います。道場生の皆さん、大変ですがまた明日も頑張りましょう。
ある極真会館の師範からメッセージが来ました。その師範は私が極真空手を始めた時には、雑誌やTVやビデオに出ていて全日本チャンピオンになった師範でした。もちろん私はその師範のファンでした。その師範から「復帰に向けて頑張っている事は素晴らしいと思います。でもちょっと飛ばし過ぎではないか?と心配しています」とメッセージを頂きました。私が「ありがとうございます。師範に気にかけて頂きとても嬉しいです。気を付けたいと思います。押忍」とメッセージを返すと師範から「仲間だからな」とメッセージが来ました。ちょっと感動して涙が出そうになりました。本当に極真空手やって良かった!と思いました。自分が憧れていた人に「仲間」だと言って頂ける日が来たのも極真空手をやったからです。もし極真空手をやらなければ一生テレビの中で見た人で終わっていたか、ファンで終わっていただろうし、中途半端なところで辞めていたら、チャンピオンと一道場生の関係で終わっていたのだと思います。本当に頑張って良かったと思います。お金や利益の繋がりは簡単に作ることが出来ます。でも本当の仲間はその道で真剣に一生懸命に生きた人にしか出来ません。やはり何事も一つの事に打ち込んで頑張るべきだと思います。ただ要領良く立ち回ったりしてはいけないと思います。人は意外に人を良く見ているものです。そして気付いていても本人にはそれを言わないものです。だから要領良く立ち回ったりしていると、それだけの仲間しか出来ません。本当の仲間にはなれません。誠実に愚直に真剣に一生懸命頑張るべきだと思います。そこから得る財産はお金では買えない物です。人生は頑張れば良い事がたくさん生まれます。道場生の皆さんも極真空手を頑張って一生続けて見ませんか?そして本当の財産を見つけてみませんか?最後に私の好きな言葉でこの言葉を信じて頑張って来た言葉を書いておきます。「練習は不可能を可能にする」
アキレス腱を断裂して1ヶ月と2日、ついに右足に装具を装着して歩行が可能になりました。とは言っても松葉杖歩行ですし、自由に動ける訳ではありません。自分が思っていたよりは全然上手く歩けません。まあこんな感じだろうと予測はしていましたし、今この状態でもっと速く歩けと言われても、とても怖くて歩けません。そしてここから1ヶ月がとても大切だそうです。松葉杖を持たずに歩行して右足に極度に加重したり、お風呂に入ったりした時に滑って右足に体重をかけたり、朝起きて装具を装着せずに立ってしまい右足に体重を乗せてしまったりして、アキレス腱を再断裂する人がたくさん入るそうです。横着と油断は絶対にしてはいけない時期です。正直この1ヶ月間、妻にはとても大変な思いをさせてきました。お金の事や私の介護や送り迎え、本当に大変だったと思います。再断裂して、また始めからやり直しなんて絶対に出来ません。ここからさらに慎重に頑張らなくてはいけないと思います。
私は妻と初めて会った時の事を鮮明に覚ています。何故かと言うと初めて会った時にエレベーターで2人になったからです。私が31歳、妻は21歳でした。初めて会って数十秒で至近距離で2人きりですから、とてつもなく気まずい雰囲気でした。その後話しをすると、ものすごくジェネレーションギャップを感じました。その頃、妻と同じぐらいの年齢の道場生もいたので別に年齢が10歳離れているからと言うギャップだけではなく、お互いの生きて来た道程に、それ以上のギャップを感じました。そして妻は今までに私が出会って来た人の中にはいないような感じの人でしたし、若さと言うパワフルさとバイタリティの強い人に見えましたし、私の事は絶対に好きにならないような人に見えました。まさかその人と結婚する事になんて、その時は夢にも思ってもいませんでした。妻と出会って結婚するまで私の人生は正しく映画やTVドラマのように輝いていました。人生とは本当に分らないものです。人生には時に映画やTVドラマやアニメより驚くような事が起こります。だから人生は面白いです。良くも悪くもドラマがあったほうが人生は面白いと思います。だからアキレス腱断裂も私の人生を面白くする人生のスパイスのような物です。ただそれをハッピーエンドにするか?しないか?は自分次第です。自分の選択や決断や行動で人生は大きく大きく変わって行きます。自分で考えて選択し、勇気を出して決断し、努力をして行動していく事がとても大切です。苦しい時は歯を食いしばって、悲しい時は涙をのんで、踏ん張って行けば必ずその後に素晴らしい事が待っています。だから私は苦しい事が起きた時も悲しい事が起きた時もい今が踏ん張り時だ!これを乗り越えれば、いつか今がドラマになって良い思い出になる、そう信じて頑張るようにしています。
アキレス腱断裂から1ヶ月が経ちました。この1ヶ月間ポジティブに頑張って来ましたが、正直なところとても不安な毎日でした。特に夜寝る時に不安になってしまい、アキレス腱断裂からどのくらいの時期でどのぐらい回復するのか?やリハビリの方法やアキレス腱断裂から競技に復帰した方の情報をタブレットで調べて見ていました。情報を見ると、年齢から考えて元の状態に戻るのはなかなか難しく、時間もかなりかかるようです。そして無理をすれば断裂したアキレス腱の再断裂のおそれ、またアキレス腱を断裂した足をかばうため逆の足のアキレス腱断裂の可能性も高いそうです。と言う感じで自分にとって都合の良い明るい情報はなかなかありませんでした。それを見てポジティブバカの私もさすがに不安な毎日を過ごしていました。でも私の今までの人生を考えれば、もっと大きな怪我を経験した事もありますし、肉体的な事ではないけれど、もっと大きな挫折も経験して来ましたし、もっともっと大きな不安を抱えた経験もあります。そしてそれを乗り越えて今の私があります。だから私は自分を信じています。この災難を必ず乗り越えて、さらに強い人間に必ずなると信じています。なにはともあれアキレス腱断裂から1ヶ月が経ちました。マシーンなどで座って行うウエイトトレーニングはかなり出来るようになりました。昨日からは足のトレーニングも行えるようになりました。型を忘れないように本を読んだり頭の中で型を行ったりもしています。上半身の基本稽古は毎日行っています。お風呂の中でアキレス腱を断裂した右足の足首や指などを動かすようにしています。明後日からアキレス腱を保護して歩行出来る装具を装着します。もっともっと出来る事も増えて来ると思います。もう少し歩けるようになったらプールに泳ぎに行きたいと思っています。今年の終わりにはもう普通に歩けるようになっているはずです。来年の私の誕生日にはランニングも出来るようになっていると思います。たぶん私は、こうしてこの日記を書いてることで自分と対話しているのだと思います。こうしてこの日記を書いていることで自分を励ましているのだと思います。こうしてこの日記を書いてることで弱い自分と戦っているのだと思います。でももう私はやると決めたのだから必ずやります。試合に出ることを目指して行けば、元の自分に戻ることなんて通過点となるはずです。決めたことは人がどうだろうがやる、決めたことは人に何を言われようがやる、決めたことは不可能なことだろうがやる、それが菅野秀行と言う人間の自分らしさだと私は思っています。前橋初段が余命を宣告された時に、前橋初段から「先生なら残っている最後の時間をどう過ごしますか?」と質問されました。私は「私なら残っている最後の時間を最後だからこそ、自分らしく過ごしたい」と渾身で答えました。それが私の中から渾身で出てきた言葉でした。だから私もどんな困難があっても最後まで自分らしく生きていかなければいけない責任があります。それは自分のためにそうしたいのです。自分のために頑張るのだけれど、私の頑張っている姿を家族もきっと見ていてくれると思います。私の頑張っている姿を道場生もきっと見ていてくれると思います。
今日から下半身のトレーニングを始めました。トレーニングの内容は、先ずは火の呼吸と言う呼吸法で頭や体を覚醒させ、ストレッチで良く身体を解し、レッグエクステンションとレッグカールとヒップアブダクションとヒップアダクションをマシーンで行い、腹筋と背筋と首筋を補強で行いました。トレーニングがとても楽しく感じます。やはり怪我をしたことで私の心の有り様が変わったから感じ方が変わったのだと思います。昨日とても嬉しい事が2つありました。一つは閉まりかけたエレベーターのドアを、私がエレベーターに乗ろうとしているのに気づいてくれた方が、わざわざドアを開けて待っていてくれました。私が「ありがとうございます」と言うとその方は「暑いなか大変ですね」と私を励ましてくれました。もう一つは私が電車の改札を出る時に、財布をポケットから出してスイカをタッチしようとした時に、ポケットから1円が落ちました。私は1円を拾うのが億劫なぐらい疲れていましたし、松葉杖歩行なので地面に落ちている1円を拾うのはとても大変です。私は1円を拾わずに改札を通り抜けました。そしたらそれに気づいた方が、私に1円を拾って渡してくれました。とても嬉しかったし、いくら疲れているからと言ってお金を粗末にし拾わなかった事を後悔しました。本当にありがとうございますの毎日です。怪我をしたことで今まで見えなかった物がたくさん見えるようになりましたし、今まで見えていた物も見え方が変わりました。たくさんのありがとうと思う出来事に囲まれて毎日を過ごさせて頂いています。頂いたありがとうを誰かに渡さなくてはいけないと思います。
昨日は松葉杖歩行で出掛けるのもなかなかな大変なのですが、参議院選挙の投票にはしっかりと行きました。日本と言う国に国籍を持ち、勤労、納税、教育と言う義務を果たしているなら、生存権、教育を受ける権利、参政権と言う権利も行使するべきだと思います。義務は放棄することは出来ませんが、権利は放棄することが出来ます。でも義務を放棄出来ないのだから、権利はなお放棄するべきではないと思います。この国で国籍を持ち成人すれば老若男女が能力や社会的地位や貴賤上下の別なく平等な一票という権利を行使出来るのが参政権です。そして一票を投じることで、自分の意見を主張することが出来ます。だからこそその権利を絶対に放棄するべきでは無いと私は思います。それは政治や社会情勢を勉強している、勉強していない、賢い、賢くない、この国の未来を本気で考えている、考えていない、などは関係ないと私は思っています。だってそれをひっくるめてこの国で義務を果たしている人が、それと同時に行使する事が出来るのが参政権と言う権利なのですから、自分の一票でこの国がどうなるものではないのかもしれません。でも日本国民のみんなが一票を動じなければ、本当の意味での、この国の国民の民意が見えて来ることもなく、本当の意味での国民の民意を反映された国政は行われないと言う事になります。だからやはり選挙に行き、一票を投じることで自分が与えられている権利を行使して自分の主張をするべきだと私は思っています。この考えは国際空手道連盟極真会館の中での支部長と言う自分の立ち位置でもそう考えています。なので私は会議では必ず自分の意見を主張します。先輩方を差し置いてでも、誰も発言したがらないような議題にでも、私は恐れずに自分の意見を主張します。会議に出席して自分の意見を主張しないのなら、その会議に自分はいないのと一緒です。私は本気で自分の生きている場所を良くしたいと真剣に思っています。そのために自分の責任と義務を果たし権利を行使し自分の意見を主張しなければいけないと思っています。
昨日は疲れたのか9時には寝てしまいました。8時過ぎまでしっかり寝れたので、疲れも取れました。朝ごはんを食べたあと入浴して、アキレス腱を断裂した右足を良く動かしました。お昼過ぎに選挙の投票に行き、そのあと代々木まで鍼治療に行きました。右足を付けないので左足で体重を支えているため左の股関節と腰の筋肉がバキバキに張ってしまっていました。しっかり身体をほぐしておかないと別の所を痛めてしまうので、頑張って代々木まで治療に行きました。でも本当に上半身の力は強くなりました。アキレス腱を断裂した頃は家から大森道場に行くのがいっぱいいっぱいでしたが、なかなかな遠出も出来るようになりました。今週の金曜日に装具を装着出来るので、その後どれぐらい動けるようになるかとても楽しみです。
昨日、1番仲が良い友達が50歳になりました。15歳の時からの友達なので、かれこれ35年の付き合いです。どっちが強いか決着のつくまで殴り合いの喧嘩をしたこともある友達です。私のピンチに駆けつけて助けてくれたことも何度かあります。もちろん私が助けてあげたこともあります。お互いに夢を語りあったり、悩みを相談したりしあった友達です。その友達が50歳になったと言うことで、私の中で50歳へのカウントダウンが始まった感じがしました。その友達には、お互いにもう少し長生きして、一緒に美味しいお酒を飲みましょう。とメッセージを送りました。もう50歳ですから、見えを張ったりカッコつけたり張り合ったり、する必要もありません。会った時には美味しいお酒を飲んで、美味しい物を食べて、楽しい時間を過ごせたらと思います。それにしても自分達が50歳になる未来が来るなんて思いもしませんでした。50歳までの残りの時間を悔いの無いように一生懸命に生きようと思います。
お酒を止めて食事制限をして適度に運動も出来ているおかげか体調が凄く良いです。1番は血圧の数値がとても良いです。毎日、朝と夜に計っているのですが、上が100~110ぐらいになりました。今年の正月明けで血圧を計ったら上が134あったので、これは食事やお酒を控えなくてはと思ったのですが、体重が90キロ切って血圧も120ぐらいになったところで、このぐらいで良いだろうとまた週末にお酒を飲んで暴食してしまっていましたが、今回のアキレス腱断裂でさすがにこれはしっかりやらなくてはと頑張る事が出来ています。もしかしたら今回のアキレス腱断裂で大きな命拾いをしたのかもしれません。体重も86キロから少し下がって来ていますし、痛めている左の股関節以外は柔軟性も良くなっています。今日は背中と肩のトレーニングをしましたが、怪我をする前とほぼ同じ重さと回数を行うことが出来ました。実はアキレス腱断裂してから始めたことがあります。それは火の呼吸です。毎日、火の呼吸を行ってからストレッチをしトレーニングをしています。来週の金曜日には装具を付けるので、またやれることが増えると思います。毎日を大切に頑張りたいと思います。
毎日、妻には大変な思いをさせてしまっています。子供達も、いつもなら〜取ってとか〜買ってきてなどの言う事は、あまり聞かないのですが、今は私が不自由をしているので、けっこう言う事を聞いてくれます。バスや電車などの交通機関でもたくさんの人に助けて頂いています。身体を悪くした事で人の優しさにたくさん触れています。人って優しいんだなと思う毎日です。でもその人から受ける優しさを当たり前に思わないよう、いつも自分に戒めています。人から受ける優しさを当たり前と思った瞬間に、それをしてもらえなかった事が目に付くようになり、人の粗が見えてしまいます。皆それぞれ大変なんだと思い、席を譲れない人には譲れない理由があるんだと思い、人からの好意を求めないよう、人からの好意に甘えないように自分にいつも戒めの心を持つようにしています。本当にありがとうございますの毎日です。
毎日の松葉杖歩行と自主トレと食事制限のおかげで体重が86キロになりました。アキレス腱断裂をした日の前日は89キロでしたので、マイナス3キロです。血圧も100~110ぐらいでとても健康です。右足もギプスではなく添木で固定しているので、添木を外して入浴したり、足首を動かしたり、指を動かしたり、マッサージをしたりと自分なりにリハビリを開始しています。足の指はかなら動くようになりましたし、脹脛も最初は腫れとむくみと筋肉の張りでパンパンでしたが、だんだん腫れとむくみがとれて筋肉も柔らかくなって来ました。自分が試合前に右足のアキレス腱に「一緒に頑張ろう!よろしく!」と言って試合場に上がり、試合が終わり、試合場から下りて、相手に挨拶に行き、試合の全てが終わり、右足のアキレス腱に「ご苦労さま、ありがとう!」と言っている姿を思い描いて頑張っています。もちろん試合に出る以上、勝つつもりで試合に臨みます。それが試合に出る試合場や、試合をしてくれる相手や、試合を運営してくれる方々への最低限の礼儀です。だから勝ち負けに拘って稽古し勝ち負けに拘って試合をしたいと思います。でも勝ち負けは分かりません。そこまでは正直イメージ出来ません。でもどんな結果が出てもそれを受け入れて次に日からまた前に進んで行くだろうと言うイメージは出来ています。たぶん試合が終わり右足のアキレス腱に「ご苦労さま、ありがとう!」と言っているその時、私はアキレス腱を断裂してから試合までの日々を思い出し、いろんな事に感謝して、そして感動して泣いているでしょう。それもイメージ出来ています。そのイメージを必ず近い未来に現実にしてみせます。
私の今まで人生を考えてみると、何かを始めようとした時ほど、自分の前に怪我などのアクシデントが起こります。それはまるで自分の覚悟と真剣さとどのぐらい本気なのか?を試されて試練を与えられているようです。空手の事に関してはその試練に負けた事はありません。だからここまで来る事が出来ました。今回もこの試練に絶対に負けないと自分を信じています。長男と次男が20歳になる時に私は2人と組手をして、その組手のあとに2人が私に勝つことが出来たならば、2人にビールを奢ってあげ、父親を超えて、たくましい男になった事を祝ってあげる事が私の夢です。だからその時まで私は戦える男でいたいと思います。だから今回ぐらいの事でへこたれているわけにはいきません。私がどう生きるのかをみんな見ています。男としてカッコ悪いところを見せるわけにはいきません。
アキレス腱を断裂して21日、手術をして18日が経ちました。5月9日からお酒を止めてダイエットを始めて6月3~5日は大阪でお酒を飲んだものの6日からまたお酒を止めダイエットを頑張って身体を作って、空手の稽古も頑張っていたところ6月13日にアキレス腱を断裂して、今まで頑張っていた事が無になったと言う気持ちになりました。でもやはり私は逆境になると何故か燃える人間です。考えてみれば空手を始めたばかりの頃も事故で右膝の内側側副靭帯断裂し前十字靭帯損傷と言う大きな怪我をしましたが、私は手術が終わって動けるようになると病院の屋上で筋トレなどの自主トレをしました。屋上で泣きながら自主トレをして「絶対に稽古に復帰するぞ」と思ったあの時が私が本気で空手の世界で頑張ろうと思った瞬間だったと思います。50歳になる節目の前にまた本気で燃えるキッカケを与えてもらった事に感謝しています。そして本気になったからか?アキレス腱断裂前より明らかに運動量は減っているのですが、体重が順調に落ちて、現在体重は87キロになりました。今日も頑張ってジムに行きウエイトトレーニングをやりました。今回の怪我で本当にいろんな事に気が付かされました。もし明日死んだとしても悔いが残らない毎日をしっかりと生きたいと思います。一日一日を大切に大切に生きたいと思います。7月15日には右足の装具を装着します。そしたらまたもう少し動けるようになると思います。夏合宿も夏季短期集中セミナーもしっかり行い、道場生が大きく躍進出来るよう頑張ろうと思います。動けないぶん頭をたくさん使って良い物を作って行きたいと思います。
金曜日でアキレス腱断裂から20日が経ち抜糸もしたので、湯船にも入れるようになりました。湯船に入る時も湯船から出る時も、座る時も洗う時も、滑って右足を付いたり転んだりしないよう全神経を集中させて行うようにしています。久しぶりに湯船で温かいお湯にゆっくり浸かるととても気持がよく疲れがとれて気持もサッパリしてリラックス出来て1日の疲れをリセット出来る感じがします。入浴は本当に身体に良い事が久しぶりに入浴し再確認が出来ました。アキレス腱を断裂してから私の生活習慣が大きく変わりました。その中でも大きな一つは入浴と食事の順番です。私は今までは、必ず入浴してから食事をするのが習慣でした。それがアキレス腱断裂後は食事をしてから入浴するようになりました。長年ずっと続けていた習慣でしたので、何の疑問もなくずっとそうしていましたが、今は食事をしてから入浴の方が身体にあっている感じがしています。今後もそうして行きたいと思います。今日は子供達と散歩がてら雑色駅まで松葉杖歩行で行って見ました。けっこう楽に行く事が出来ました。昨年の膝の手術のあとなんて200メートル先のバス乗り場まで行くのにもキツかったぐらいですが、今はだいぶ松葉杖歩行に慣れて来ました。やはり人間の身体は、練習すれば強くなるしコツを掴んで上手くなって行くんだと思いました。友達からのFacebookでのコメントで気が付いたのですが、私は今までの人生で4回松葉杖歩行になりました。1度目は中学1年生の時、2度目は17歳の膝の手術の時、3回目は昨年の膝の手術の時、4回目が今回です。人生でこんなに松葉杖歩行になる人もなかなかいないだろうなと思います。でも今後もありそうな気もしています。
アキレス腱断裂から20日が経ちました。昨日、手術で切った場所を抜糸しました。松葉杖歩行も慣れてきて、そんなにキツくなくなって来たので、今日はアキレス腱断裂から初めてジムでウエイトトレーニングをしました。懸垂とロウを3セットずつなので15分ぐらいのトレーニングでした。右足に体重が少しでも乗ってしまうとアキレス腱を再断裂してしまうので、自分が行う全ての動作に意識を集中させてトレーニングを行いました。まるで生きている事が修行のような感じです。もっともっと自分は強くなれると感じています。まだまだ自分は強くなれると信じています。来年、身体が万全になった頃にちょうど私も50歳になります。身体が治って完全回復した証と半世紀生きた証として試合に挑戦したいと思います。今回の挑戦は誰のための物でもありません、誰かのためなら頑張れません。だってこの文章を書きながら「本当に出来るのか?」と思っているぐらいです。「出来なかったら?」と思って少し恐さも感じているぐらいです。私が見たいのです。自分が立ち上がる姿を私が見たいのです。自分は頑張れる人間だという事を自分に見せてあげたいのです。もしそれが出来たなら、アキレス腱断裂と言う最悪な出来事をハッピーエンドにしてあげられると思うのです。自分がやってしまった失敗を肯定できる未来を作ってあげられると思うのです。その時に初めて断裂してしまった右足のアキレス腱に心からありがとうと感謝出来ると思うのです。その未来を作れるのは自分しかいません。
昨日、この日記に書いた自転車で転んだ話の続きなのですが、自転車で転んだ時に妻が立ち上がる私に手を貸してくれ、自転車を起こしてくれました。私を起こしてくれる妻を下から見た時に、私には妻が女神のように見えました。少し妻にドキッとしてしまいました。そしてその瞬間「この瞬間、前にもあった!デジャヴュだ!」って思いました。そしてそれはデジャヴュではなく実際に私が中学1年生の時に足を折り松葉杖だった時に起こった事だと思い出しました。前にも書きましたが、私は中学1年生の時に体育館のバルコニーから、ソフトマットを引いている地面に向かってバック宙で飛び降りました。見ごと着地に成功したのですが右足を骨折してしまいました。その時は松葉杖歩行になり、学校ヘは自転車で通学する事になりました。その下校時の事だったのですが、私が自転車置場へ行き、自転車のスタンドを外そうとした時に私はバランスを崩し自転車もろとも転んでしまい、隣の自転車もなぎ倒してしまいました。その時に偶然、私が好きだった女の子が現れ、私を起こしてくれました。その時もその子が女神のように見えました。たぶんその子が私の初恋の人だと思います。妻を女神のように見えた瞬間に初恋の人の事を思い出すなんて、なんて不謹慎な奴なんだって思う人もいるかもしれません。私もそう思い、その事は妻には話しました。もしかしたら今回のアクシデントがなければ、そのことを一生思い出す事が無かったかもしれません。私の中からいつの間にかこぼれ落ちてしまっていた初恋の記憶を思い出す事が出来た事は少し嬉しい事でした。
kanno
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