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先週の木曜日に自転車に乗っている時に転んでしまいました。自転車に乗る時は自転車の椅子を1番低くして左足で地面を蹴って、自転車に乗るのですが、細い一本道で前から引越のトラックがバックで入って来ました。道幅からそのまますれ違う事は不可能なので十字路になっている所で少し横にずれてトラックが通るのを待っていました。その時に左足を地面に着いて止まっていたのですが、ハンドルを少し動かした時に右に重心が崩れ、右側に自転車と私の身体が傾いてしまいました。私の右足は添木をしてるのですが、ギプスではないので、もし右足を地面に着いて少しでも体重が乗ってしまうと右足のアキレス腱は再断裂してしまいます。右側に自転車と私の身体が傾いて倒れていく瞬間、とても時間がゆっくりに感じました。とっさに地面に付きそうになる右足を引っ込めて、さらに自転車と私の身体は倒れて行きました。また右手を付きそうになりましたが、このまま手を付いたらおそらく手首か肘を怪我すると思い、右の手も引っ込めて右肩から倒れて転びました。転んだ後に妻が私ところに来て起こしてくれました。私は立ち上がり身体を確認するとどこも怪我をしていませんでした。あの倒れる瞬間の時間の感覚はとても不思議でした。時間がとてもゆっくりに感じ、いろんな事を冷静に考えて、最高の選択をして冷静に行動に移す事が出来ました。その時に私が体験した感覚は、ドラマの「SPEC」でニノマエジュウイチが時を止めてその中で自分だけが動くシーンととても良く似ていました。これも空手をやっていたおかげが?と思いました。空手をやっていた事で怪我をする事もありますが、空手をやっていた事で怪我から自分を守る事が出来きました。たくさんの事を経験できること、たくさんの感覚を味わえること全ては空手のおかげです
今日は午前中は何もなかったので、トレーニングがてら土手まで松葉杖で行ってみました。それだけでもなかなか大変なのですが、途中座れるところで休みながら頑張って土手に上って見ました。頑張って横断歩道を渡って川側まで行きました。とても暑かったのだけれど、その暑さがとても気持ちよく、汗がダラダラたれてきているのですが、それもとても心地よく感じました。そこで座って休憩をして景色を見ていたら、とても清々しい気持ちになりました。景色がとてもキラキラと輝いて見えました。この世の中がキラキラと輝いて見えました。怪我をする前はいつも普通に見ていた景色なはずなのですが、自分の心の在り様が変わったせいか?自分の見ている景色が、とても特別な素晴らしい物に感じました。この世の中がとても特別な素晴らしい物に感じました。何なんだろうこの感覚は?って思いました。たぶん自分の見ているこの世の中もこの景色も変わらないのだけれど、自分の心の在る場所が変われば、景色の見え方が変わる、景色の感じ方が変わるのだと思いました。この世の全てが特別ではないとも言えるし、この世の全てが特別だとも言えるのだと思います。自分の心の在りよう一つで、その人にとってのこの世の在り方やこの世の見え方が変わるのではないか?と思いました。こんなに素晴らしい世の中に生まれて来ることが出来たのだから、私はとてもラッキーだと思います。このラッキーを最大限に生かして生きて行きたいと思います。この素晴らしい世の中を思いっきり楽しんで生きて行きたいと思います。明日は6月30日、2022年の半分が終わる日です。そして私がこの素晴らしい世の中で生きていられる、残りの人生の第一日目です。毎日を特別だと感じて、毎日を素晴らしいと感じて一生懸命に真剣に楽しんで生きたいと思います。
私が選ぶ極真空手名試合ベスト10を書いてみようと思います。敬称は略させて頂きます。1位松井章圭vsアンディ・フグ(第4回世界大会)、2位松井章圭vsマイケル・トンプソン(第4回世界大会、3位数見肇vsグラウベ・フェイトーザ(第6回世界大会)4位数見肇vsフランシスコ・フィリョ(第6回世界大会)5位黒澤浩樹vsピーター・スミット6位増田章vs緑健児(第22回全日本) 7位松井章圭vs黒澤浩樹(第17回全日本)8位黒澤浩樹vs七戸康博(第8回ウエイト制)9位マイケル・ トンプソンvs緑健児(第4回世界大)10位フランシスコ・フィリョvsアンディ・フグ(第5回世界大会)このあたりの試合は今でも見たりします。今でも心が熱くなります。
とても暑くなって来ました。家から大森道場へバスと電車を乗り継いで行きます。大森道場に着いたら汗でビッショリです。月曜日は大森道場から雑色道場へ電車とバスを乗り継いで行きます。雑色道場に着いたら汗でビッショリです。なかなかハードなトレーニングです。それでもちゃんと大森道場で稽古前に柔軟や補強などのトレーニングを1時間半ほど行います。本格的な稽古は出来ませんがなかなかの運動量だと思います。稽古でも手技の基本稽古は一緒に行うようにしています。ダイエットもしっかりと続けているので、夏が終わる頃には80キロになっていると思います。足に添木をしてあるのと両足で体重計に乗れないので正確ではないと思いますが、現在89キロになりました。運動量が落ちているので頑張って食事を抑えた結果だと思います。そのかわり毎日ずっとお腹空いてます。
私の運営する国際空手道連盟極真会館東京城南京浜支部の2022年夏季昇級審査会と組手競技支部内交流試合が終わりました。学年で言えば、今年度初の試合と言う事になり、ここから同じメンバーで来年の3月まであと3回試合をする事になります。その中で生徒達がどう成長していくのかがとても楽しみです。試合に参加した皆さんは本当に良く頑張りました。どんな結果が出ようと、その結果を受け入れて、今日の結果を未来へ繋げ、今日の結果を肯定出来る未来をその結果に感謝出来る未来を作って行って欲しいと思います。過去と他人を変える事は出来ないけれど、自分と未来は変えて行く事が出来ます。そして自分が変わり未来を変える事が出来たならば、自分の周りにいる人の自分への接し方が変わって行き、自分の過去の思い出し方が変わると思います。先ずはやはり自分からです。自分を変えなければ世界は何も変わりません。そして人生を終える時に今までの人生を振り返って良い人生だったと言えるように生きて行かなくてはならないと思います。生涯の修行を空手の道に通じ極真の道を全うすること、です。道場生の皆さん、また明日から頑張って生きていきましょう。
劉慈欣(リウ・ツーシン)著の「三体」を読んでいます。まだ半分ぐらいまでしか読んでいないのですが、そこまで読んで、ちょっと圧倒され衝撃を受けています。この作品の帯に「世界中を圧倒した、現代中国最大の衝撃作」と書いてありました。それを見て、またまた大袈裟だなと思いましたが、実際に読んでみて、私も圧倒され衝撃を受けています。物語の世界観が本当に凄いです。ウワーッて感じです。少しの間、この作品に没頭したいと思います。
私の父は送電線工事の仕事をしていました。鉄塔や電線を工事する仕事です。とても高い場所で仕事をしていました。私も何度も手伝いに行きました。高所恐怖症の私は父にこんな質問をした事がありました。「あんなに高い所で仕事をしていて怖くないの?」父は「怖くなくなったらダメなんだよ。怖いから落ちないように気を付けて仕事が出来るんだよ。なれて怖くなくなった人ほど事故で死ぬ事になるんだよ。」その時は「ふーん、そうなんだ?」ぐらいにしか思わなかったけど、今この歳になって思い出すと、とても深い話だったんだなと思います。何かをやる時に、慣れというのは最大の敵になります。いつも緊張感を持って真剣に仕事に取組まなくてはならないと思います。
私は水戸黄門の主題歌が大好きです。特に自分が苦しい時や迷っている時には、この歌詞が心に響きとても励まされる曲です。「人生楽ありゃ苦もあるさ 涙の後には虹も出る 歩いてゆくんだしっかりと 自分の道をふみしめて」「人生勇気が必要だ くじけりゃ誰かが先に行く あとから来たのに追い越され 泣くのがいやならさあ歩け」「人生一つの物なのさ 後には戻れぬものなのさ 明日の日の出をいつの日も 目指して行こう顔上げて」「人生涙と笑顔あり そんなに悪くはないもんだ なんにもしないで生きるより 何かを求めて生きようよ」この歌詞に今まで何回励まされたか分かりません。今もまた励まされています。こんな言葉が自分の中から出てくるような人間になりたいです。それには私はまだまだだなと思います。この歌詞を見て涙が出てくるようでは、私はまだまだだなと思います。
自分が生きている時間は、自分が生きていない時間に比べれば、本当に本当に一瞬なんだと思います。その一瞬とも言える貴重な時間を今、自分は過ごしているんだと毎日に感謝して一生懸命に生きて行きたいと思いますし、自分が本当にやりたい事に、自分の命をかけて真剣に取組んで行きたいと思っています。「自分が本当にやりたい事をやる」と書くと「自分の好きな事だけをやる」「自分のやりたい事だけをやる」「自分のやりたくない事はやらない」と取られてしまうかもしれませんが、それは本当に大きな間違いです。私は自分の本当にやりたい事をやるために自分がやりたくない事をたくさんやって来ましたし、その他の自分のやりたい事を全て我慢して、自分が本当にやりたい事をやれるように頑張って来たわけです。たぶん自分が本当にやりたい事をやるためには、やりたい事の何十倍もやりたくない事をやらなければいけないし、自分の本当にやりたい事をやるためには、その他に自分がやりたいと思っている事をほぼ全部我慢しなければいけません。自分の本当にやりたい事のためにあらゆる物を犠牲にしなければいけません。でもこれは今、自分の人生を振り返って思う事で、その時その時に、一つ一つ苦難して行動していたわけではないと思います。少しは苦難したり迷ったりした事もあったとは思いますが、自然とやりたくない事に取り組めたし、自然にやりたい事を我慢出来たと思います。それは何故かと言えば、それは自分の好きな事のためだったからです。好きな事のためだから頑張れたんだと思います。だからある意味で言えばそこにいた、その時々はそんなに苦しんでいなかったし、そんなに頑張っていたわけでもないのかもしれません。まあ振り返って考えると大変な事をしていたなと思う感じです。ながながと書いて何を言いたいかと言うと、人生は本当に一瞬だと言う事と、その短い一瞬の時間だからこそ自分の人生を本気で真剣に楽しんで欲しいと言う事と、自分の本当にやりたい事を見つけて欲しいと言う事と、自分のやりたいことのためなら苦労も苦ではなくなると言う事です。私は毎日、朝起きた時にこう考えるようにしています。「今日は自分の残りの人生の貴重な1日だ!思いっきり楽しもう!真剣に生きよう!」
自分の人生を考えると、本当にこの右足には申し訳ない事ばかりしているなと思います。中学1年生の時にバルコニーからソフトマットへバック宙で降りた時に右足を骨折、本当に今考えるととんでもなく怖い事をしていたなと思います。そして17歳の時に事故で右膝の内側側副靭帯断裂と前十字靭帯損傷の損傷、その後右膝は良く痛めていて、昨年に右膝の半月板のネズミを除去する手術、そして今回の右膝のアキレス腱断裂、本当に右足には申し訳ない事ばかりです。でも私は実は右足の方が力もバネもあります。それは左を蹴るのにいつも軸足になっていたからです。右足の強さとバネの良さがあったらか鋭く軸足を返すことが出来、左の上段回し蹴りを相手に決める事が出来ました。今は右足は本当にボロボロだけど、またこの右足と一緒に復活に向けて頑張って行こうと思います。自分が死ぬ時には、「右足のおかげで自分はたくさんの事を経験して成長する事書出来たよ!ありがとう!」と特に感謝したいなと思います。毎日松葉杖生活なので、上半身の筋肉、特に肩と上腕三頭筋がパンパンに鍛えられています。そして暑さのため家から道場に付く頃にはTシャツは汗でびっしょりです。とても良いトレーニングだとほくそ笑んでいます。ただやはり右足を地面に着けないので、身体のいろんなところで補っているため、身体中のあちらこちらが筋肉痛です。あと10日で抜糸で、あと24日で装具を装着するので、それまでもう少し頑張ろうと思います。
悪夢のアキレス腱断裂から1週間が経ちました。悪夢のアキレス腱断裂と書きましたが、悪夢のと言うのはアキレス腱を断裂した瞬間の事で、そこから今までの1週間が悪夢な訳ではありません。この1週間はいろいろと大変でしたが、1人だったら私のこの1週間はもっともっと大変な事になっていただろうと思います。家族もそうですが、病院の先生や看護師さんや、タクシーの運転手さんや、バスの運転手さんや、バスや電車で私に席を譲ってくれた方々や、私にあたたかい言葉をかけてくれた方々、皆さんのお力があり頑張る事が出来ました。この国やこの国のシステムやたくさんの物に守られて自分は生きていると言う事を感じました。自分が当事者にならないと見えてこない事がたくさんある事にも気が付く事が出来ました。やはりアキレス腱断裂と言う怪我は無駄な事ではありませんでしたし、この1週間は無駄な事では無かったと思います。引き続き頑張ろうと思います。
私がアキレス腱断裂と言う怪我をしたために家族には本当に迷惑をかけています。妻は本当に献身的にいろいろと私の面倒を見てくれます。自分の妻だけど本当に優しい人だなと思います。妻を見てると私ももっと優しい人になりたいなと思います。妻は私が大きな失敗をした時にも、それが家族に迷惑をかけてしまうような事でも、私を責めるような事を言った事はありませんし、何でそうなったの?などと言うどうしようもない事を言った事もありません。これはなかなか出来る事ではないなと思います。私の人生最大の幸せは妻と結婚出来た事だと思っています。本当に本当に感謝していますし、そんな妻を本当に尊敬しています。でもだからこそ私もうだうだしている訳には行きません。朝はちゃんと起きて出来る事をしっかりやっています。アキレス腱はけっこうデリケートらしく、アキレス腱断裂をした右足を着いて体重を乗せてしまうと、また直ぐに切れてしまうそうです。なので松葉杖で歩くのも気を付けて慎重に歩かなくては行けません。自分の体重を右足にかける事が出来るようになるまでは気を抜かず慎重に行動したいと思います。私はこの怪我が完全に治るまでお酒を止めてダイエットしようと思います。体重を80キロに時代と思います。今はあまり身体を動かせないので、食事制限で体重を落とそうと思います。でも普段から食事制限をして胃を小さくして体質を改善すれば身体を動かせるようになったらもっと体重を落とせるようになると思うので頑張りたいと思います。この怪我をした事でしっかりと自分を見つめ直すことが出来ました。この怪我は私に対する神様からのサインだったのかもしれません。この先、私に起こるかもしれなかった事から私を守ってくれたのかもしれません。この怪我をした事にいつか感謝する事が出来るよう生活して行きたいと思います。もしいつか、私がこの怪我をした事に感謝出来る日が来たら、私はこの怪我を力にしたという事になりますし、この怪我には負けなかったと言う事になるのだろうと思います。そして怪我が全快したら妻にお礼をしたいと思います。妻は旅行が好きなので、1人旅行にでも行って欲しいと思います。
朝6時に起床して抗生物質の点滴をし朝食をとり少しゆっくりして9時に主治医に手術箇所を診て頂き、退院の準備をすませ、11時過ぎに退院しました。タクシーで家に帰る時に長男に電話したら、次男と2人で家の前で待っていてくれ、私の荷物を持ってくれたり、買い物をしてくれたりしました。なかなかな優しい子達だなと思いました。木曜日に入院し手術をして今日までの3日間いろいろ考え今回起きた事の整理が出来ました。私はアキレス腱を断裂したと理解した瞬間、自分に怒りを感じたと書きました。もちろん自分のダラシなさであったり、自分の身体の異変の予兆のような物を見過ごしてしまった事も理由にあったと思いますが、自分の不運に怒りを感じたのだと思います。もし前日にお酒を飲んで二日酔いだったら私は稽古を休んだかもしれません。もし稽古を休んでいればアキレス腱を断裂する事は無かったかもしれません。私は自分の不運を少し感じてしまいました。稽古を休めば良かったなと思ってしまいました。でもその考えは間違っています。もちろん自分のダラシなさはあったと思いますし、もう少し早く体重を落としていれば今回の事は起きなかったと思います。でも稽古を休めば良かったは間違っています。もしそうならそもそも空手をやらなければ良かったと言う事になってしまいます。それは間違っていると思います。お酒の飲み過ぎや食べ過ぎや不摂生で身体が悪くなるのならそれは改善したほうが良いですが、自分の好きな事をやって怪我をして後悔する事ほど馬鹿な事はありません。自分の身体を大切にする事と、怪我を恐れて自分のやりたい事をやらない事は全然別の事です。私は今回の怪我でこう思いました。自分の不摂生などのダラシなさで怪我をしたり死んだりしたら、それは自分の命に対しても家族に対しても私に関わってくれる人に対しても申し訳がありません。そして後悔すると思います。でも自分がしっかりと自分に酷しく生活していて、自分が自分の好きな事のために一生懸命やった事で自分が怪我をしたり自分が死ぬ事になったとしても、後悔はしないと思います。結局は無くなる命だし、結局は無くなる身体です。この命もこの身体も使い切らなければ生まれて来た意味がありません。自分の命と自分の身体を大切にしつつ、自分の命と自分の身体を使い切って行こうと思います。
手術が終わり入院2日目です。昨日の夜中は痛みであまり寝る事が出来ませんでしたが6時に起床しました。34時間ぶりにご飯を食べる事が出来たので嬉しかったです。だんだん足の痛みも引いてきて、1日中読書をしていました。私が今日読んでいた本は「空手伝真録」です。中国拳法がどのようにして始まり、沖縄に伝わったのか?を検証していく内容でした。とても面白かったです。「戦い」 と言う言葉は「叩き合い」と言う言葉から来ているそうです。何故、武術と言う物が生まれたのか?なども検証されていました。私は戦いを教える事で、戦わない人間を育成したいと思っています。私は空手をスポーツとは思っていません。もちろん格闘技と言うという物もスポーツとは思っていません。特に相手と殴り合う格闘技は特にスポーツではありえません。私は水泳やマラソンや体操の試合に出た事がありますが、それはスポーツとして捉えています。お互いの力を出し合って勝負はしていますが、相手にコンタクトしていませんし、別に相手を殴っている訳でも、意地悪している訳でも、相手を倒してやろうと思っている訳でもありません。特に体操などはお互いに良い演技が出切れば良いと相手を応援したり称賛したりする事もそんなに難しくはないと思います。しかし空手は相手と殴り蹴り合ます。しかもやらなければ自分がやられてしまいます。戦っている時には生命の危険も感じます。負ければ自分の意識が途切れ死に近い状態になったり、身体に大きなダメージを受けるような怪我もします。だから必死に相手を倒そうと自分の全てを相手にぶつけるわけです。勝った方は生物として優位に立ち相手の生命の生殺与奪の権利を得た訳ですから、相手を征服したような気持になると思います。それと同時に負けた方は相手に生き物として負けた訳で、相手に自分の1番大切な命を奪われたのと同じような敗北感を味わう事となります。やはり身体をコンタクトしないスポーツとは訳が違います。もちろん格闘技にも反則はありますが、野球やサッカーやバスケットで考えれば、あらゆる反則をお互いにやり合う訳です。だから相手と殴り合う格闘技はスポーツの範疇を超えていると私は思っています。私は空手を通して命の大切さも学びましたし、相手に勝つ事と同時に相手に負ける事を学びました。だから私は生徒達に試合は自分の全てを総動員して相手に勝てと教えています。そして勝ったても負けても同じ自分でいるようにと指導しています。その中からたくさんの事を学んで欲しいと思います。戦えなければ自分の命や自分の大切な人の命を守れないので、やはりいつでも戦える心と身体を身に付けておく必要があると思います。そして戦わなくても事を治められる人間へと成長して欲しいと思います。
朝6時30分に起きて、7時から水分が取れなくなるので、歯を磨いて髭を剃り、身支度を整えてから、少しお茶を飲みました。変わらぬ家族との朝を過ごしましたが、妻は昨日から長男の移動教室の準備と私の入院の準備とでいろいろと忙しかったと思います。家の前の道にタクシーが7時40分には来るので、移動教室に行く長男と見送りに行く妻と次男と、手術で入院する私と、家族みんなで家を出ました。長男に「人生でそう何度もある事ではないから、思いっきり楽しで来いよ!好きな人の名前も恥ずかしがらずに言うんだぞ!」と言うと、長男は「好きな人の名前なんて、もうみんなに言ってあるし。」とクールに返されました。お互いに頑張れと言い別れ、妻と長男と次男の後ろ姿を見送りながら、到着したタクシーに乗り込みました。8時前には病院に到着し、8時に病院で受付を済ませ、CT、レントゲン、PCR、肺活量の検査を受け、10時頃に入院する病室に入り、本を読んだり師ながら暇をつぶし、13時20分に手術の準備をし、13時30分に病室を出てストレッチャーで手術室に向かいました。廊下の天井を見ながら運ばれると言う経験ははあまりないので、なんか不思議な風景です。病院の天井ってパイプがたくさんあるな?とかエレベーターって思っているより重力を感じるなとか考えていました。たぶん人生の終わりにもこんな風景を見るんだろうな?なんて思ったりもしました。手術室で下半身麻酔をし眠る薬を入れてもらったので、手術中の記憶は全くなく、気が付いたらもう手術は終わって病室にいました。時計を見たら15時19分でした。17時30分ぐらいまで眠り、徐々に麻酔も切れてきたので、19時30分頃にお茶を飲んで、少し後にプロテインバーを食べました。病室では動けないので暇ですが、空手の本を読んで暇を潰しました。妻から送られてくる次男の写真に癒やされました。妻と次男は次男のリクエストで鳥貴族で食事をしたそうです。次男は釜飯を一人で食べるという夢を叶え、帰りに吐きそうになっていたそうです。小3で体重が48キロなので、大人になったら100キロ超えになってしまうのでは?と少し心配です。でも次男は空手週3回、スイミング週2回やっているので、かなり身体は動かしているはずですが、どんどん太って行ってしまいます。甘い物がそんなに食べるわけでもなく、普段は夜もご飯は茶碗一杯で我慢しているようなので、いったいどうなっているだろうと思います。でも次男がご飯を食べている姿を見ると癒やされます。そんなこんなで時間を潰し、もう消灯を迎えようとしています。たくさんの方からあたたかいメッセージを頂いたりして、人の優しさを感じ、感謝の気持を噛み締めています。ここまで来たらあとは上がるだけです。ここからまた再スタートです。
アキレス腱を断裂したと理解した瞬間に私は自分に対して怒りを感じました。それは何故かといえば、私はこの怪我は自分のダラシなさから起きた事だと思ったからです。前日はお酒を飲まずストレッチもしお風呂に入って筋肉を温め、軽いマッサージをして筋肉を解しました。確かに前日は、規則正しい生活をしていましたし、ここ最近、ダイエットもして体重を減らしてはいましたが、少し前から90キロの体重では身体のいろんなところに負担がかかるから80キロまでは落とさなくてはならないと思っていましたし、当日も稽古前にストレッチをよくやってから稽古に入ったのですが、自分の身体の固くなっているところを感じながらストレッチはしていませんでした。自分の身体に怪我の予兆はあったはずです。それを察知出来なかった自分の心と身体の緩みに怒りを感じたのだと思います。そのせいで家族や道場生やご父兄様や極真会館の各方面の方々にご迷惑をおかけしてしまっていることを本当に申し訳ないと思っています。今日は明日からの入院することや手術することも含めて、自分を心機一転させるため髪の毛をバッサリと切りました。今日からしっかりと気合いを入れて物事に臨んで行きたいと思います。
明後日の16日に手術のため入院するので、朝もしっかり早く起きて、今やっておかなければならない事務的な仕事をしました。私は本当に家族に恵まれています。妻は道場の事やいろいろと私を助けてくれますし、子供達は逆に何事も無かったように接してくれます。私が帰宅すると「パパ!アキレス腱切ったんでしょ!痛くないの!?」と聴いてきたので、私は「痛いけど病院にはいたくないから帰って来たよ!」と答えました。苦しい時こそ笑いが必要です。子供達も、普段の私と変わらないのを見て安心したのか、いつものように喧嘩したり、騒いでいました。私が怪我をしたから気を遣って良い子になられても私も嫌なので、普通にしていて欲しいです。妻も動揺した所も見せずいつものように振る舞ってくれています。私が妻の立場なら、昨年初めに手術して、昨年末に腰部脊柱管狭窄症になり、今年初めに財布を無くし、自転車を盗まれ、支部長スーツをなくし、今回はアキレス腱断裂、お金はかかるし家族の負担は妻の負担はふえるしで「何やってるのよ!」の一言ありそうですが、いたって明るく振る舞ってくれています。本当に感謝しています。もうここからはやることをやるだけです。どれもこれも自分のダラシなさが起こしたことですので、しっかりと自分を見つめ直してあらためて行きたいと思います。自分に不幸が続くと神頼みやお祓いなどを考えてしまいそうになりますが、原因はそこにはありません。原因は全て自分の中にあります。先ずは体重です。そして自分の年齢をしっかりと自覚して受け入れる事です。90キロの体重は重すぎますし、若い頃の感覚で動いたら、それは怪我をするのは当たり前です。怪我を治すと同時に必ず80キロまで体重を落とし、無理な動き方をしないようにしたいと思います。でも困難こそ自分を奮い立たせるチャンスです。自分の中で何かに火がついた感覚があります。
朝の稽古でアキレス腱を断裂してしまいました。アキレス腱を断裂した瞬間は、転んだのと脹脛の下の方に「バンッ!」という衝撃があったので、初めは自分は何かにぶつかって倒れたのだと思いましたが、近くにはぶつかるような物は何もありませんでした。自分の右足を見て触るとアキレス腱がある場所がヘコんでいたので、アキレス腱を切ったと思いました。その瞬間に思った事は、自分に対する怒りでした。昨日も規則正しい生活をし、お酒も飲んでいませんし、しっかりお風呂にも入りストレッチやマッサージもして寝て、今日も頑張って朝の稽古をしたのに、こんな事になるなんて、ホント自分って何なんだろう!と自分に対して失望と怒りを感じました。ですがその後は頭がとてもクリーンになり、今自分が出来る事、これから出来なくなる事、これからやらなければいけない事など、道場の行事のスケジュール、極真会館の行事のスケジュールの事などを考えて、脳がフル回転し、今やれる事をやろうと、救急車の中でお知らせのブログのアップをしたり、自分の責務が果たせなくなる各方面へのお詫びの連絡を済ませました。手術は木曜日になるので、入院はしない事にし、道場の稽古を行いました。でも不幸中の幸いです、木曜日に手術をし土曜日に退院し、7月1日に抜糸をして、7月15日にギプスを外し装具を付けるので、審査会、試合、合宿、セミナーなどの道場の行事は滞りなく行う事が出来ます。怪我して救急車の中でも思った事は、自分が起きた事に動揺せず冷静に迅速に淡々と対応処置が出来ている事に気付きました。またこの最悪とも言える事態に自分が全然落ち込んでいない事に気付き、「自分ってけっこう強いかも?!」って思いました。ただ、とは言っても、道場生、ご父兄様、極真会館の関係者の方々に自分の不注意で起きた怪我でご不便をかけてしまう事に申し訳ない気持です。今回起きた事をこのまま終わらせません。必ずこの経験を自分の力にしてみせます。この怪我の不便さを出来る限り対処して行く事、この怪我を反省し無理をしない事、必ずまた復活して稽古復帰する事、そしてさらに強くて優しい人間に成長する事、それを今、自分の心に誓っています。
人生は登山に似ているなと思います。そして武道も登山に似ているなと思います。登って頂上が終わりではなくそこから下ってスタート地点まで戻ってそこが終着点となります。人生で言えば生まれた瞬間が出発点として死ぬ瞬間が終着点だと言えると思います。私も来年50歳になります。人生100年時代と言う事で言えば、今が半分と言う事になりますが、私はどうもそうは思えません。人生を起承転結で考えた時に、今はもう結の手前まで来ているのではないかと思っています。残った人生はまさしく余生となるのだと思います。もちろんその余生も楽しみたいと思います。その余生をどう楽しむか?の準備もそろそろしなければいけないと思います。自分が死んだあとの事を考えないわけにはいかない歳になってしまいました。やりたいと思う事は悔いのないようにしっかりやろうと思います。会いたい人にはしっかり会っておこうと思います。行きたいところにも行ける限り行きたいと思います。自分が死んだあとの事でもう決めている事があります。それはもう家族には伝えてあります。一つは私が死んだらお葬式はしないで欲しいと言う事と、私が死んだらお墓には入れないで欲しいと言う事と、私に戒名はいらないと言う事です。菅野秀行で生まれて菅野秀行で死んでその後はもう何も無いと思っています。私が死んだあとに妻と長男と次男で美味しい物でも食べながら、私のバカ話で盛り上がってくれたらそれだけで私はもう充分です。私が生まれて来て生きた価値はあったと充分に思えます。あとは私の生きた証は極真空手にたくさん残したいと思います。
私は空手に対してはけっこう真面目だと思います。朝の稽古やトレーニングなど自分で決めた事は休まず続けています。空手の指導は仕事ですし、それでお金を稼がせて頂いているので、やるのが当たり前ですが、自分の稽古やトレーニングはある意味で言えば仕事ではありません。(自分が稽古をする事で新しい事に気付いたり、新しい型を覚えたり、自分がトレーニングする事でより良い指導が出来るので、厳密に言えばそれも仕事とも言えます。)ですが経済活動に直接関わる事ではないので、お金にもならない事を良くやるなと思う人もいるのかもしれません。なのに選手を引退しても何故、それを続けて来る事が出来たか?と言えば、それは好きだからです。私と同世代で私よりは一時優れていた空手家はたくさんいると思います。でも今でも私より優れている空手家はなかなかいないのでは?ぐらいの自負はあります。好きじゃなかったらここまで続けてくる事は出来なかったと思います。そう考えると好きって最強ですね!長男はギターと言う好きな事を見つけましたが、次男を見ていると空手も水泳もなんか中途半端な気持でやっている感じがします。空手は身を守り自分の心と身体を鍛えるため一生やって欲しいと思います。水泳は全ての泳ぎ方が出来るようになれば本人が止めたければ止めても良いと思っています。次男は長男の影響でギターがやりたいと言って来ました。もしかしたら兄弟だから、次男もギターにハマるかも?という期待を込めて、水泳を週一にしてギターをやらせようと思っています。2人と私の子なので、良い高校に行って良い大学に行って良い会社に就職と言うのはとても窮屈で楽しい人生にはならないと思うので、好きな事を見つけてあげる手助けをしてあげたいと思っています。
自分の子供というものは、自分の似て欲しいところは全然似ないで、自分の似て欲しくないところが似るものです。それは何故なのだろうと考えたところ、こんな言葉が頭に浮かびました。7「その人がはじめから持っていた性格やはじめから持っていた才能は子供に遺伝するが、その人が親の躾や人との関わりの中で身に付けた性格や、その人が努力で身に付けた才能は子供に遺伝しない。」でした。ということは子供の悪いところこそ私の本質だと言えるのかもしれません。子供達には本当に申し訳ない思いでいっぱいです。でも私だってその大嫌いな自分を変えて生きてきたのだら、私の子供達もそれが出来ると信じています。そして私を超えていってくれると信じています。
この前、奈良の平城宮跡と飛鳥京跡とキトラ古墳と高松宮古墳を見ました。キトラ古墳では
体重が89.8キロになりました。大阪では3日間お酒を飲みましたが、金曜日は平城宮跡で2時間半、春日大社で30分、電車の乗り継ぎなどあれやこれやでたくさん歩いたので、あまり体重が増えていなかったようです。これからお盆休みまではお酒を断つつもりなので、8月までには体重を80キロぐらいにしたいと思っています。今よりスマートな自分になって格好良くなっている事を想像して頑張りたいと思います。頑張って腹筋割りたいと思います。
金曜日の朝5時に家を出る時に、妻と長男と次男に「行ってくるよ」とそっと触れてから家を出ました。たったの4日一緒にいなかっただけですが、とても寂しさを感じました。妻や長男にはしつこいようにLINEをしてしまいました。1人でいて楽しいのも3日が限界だと思いました。長男が生まれる時や次男が生まれる時に長い間、1人で家にいましたが、あの時もやはり寂しかったです。実は実はで言うと、家族を持つまでの私は1人でいる時間がとても大好きでしたが、家族が出来てからは家族といないととても寂しい気持ちになってしまうようになりました。今日は家に帰って来て、次男と一緒にお風呂に入って嬉しかったです。家族と過ごす時間は私の生きる力の充電のような時間です。
今回の全日本体重別空手道選手権大会は極真会館と真正会の共同主催と言う形で行われました。この大会にたくさんの流派の人達が集まって試合が出来たら良いなと思います。今あるフルコンタクト空手と言われている試合も団体も、大山倍達総裁が作られた物でその母体は国際空手道連盟極真会館です。今はあちらこちらで毎週のようにフルコンタクト空手の全日本と言う名の大会が開かれている状況です。新しい事に超戦するために極真会館を離れて自流を作った人、誰かや何かと反りが合わず極真会館を脱退した人、極真会館やまた他の団体から離れてさらに自流を作った人、どの流れで道場をやっているのか?しっかりと誰かに認められて起こした者なのか?もう分からない物だらけです。私は大山倍達総裁が起こした極真会館の支部長と言う事に誇りも意地も持っていますが、皆が話し合って折り合いを付けて、またこの母体である極真会館と真正会の起こした大会に戻って来てくれたら良いなと思っています。私は真正会の母体であった正道会館の選手とは4名試合であたったので、今回いろんな話を真正会の先生とさせて頂きました。とても嬉しかったです。また来年もこの大会を楽しみにしています。
大会最終日でした。女子の準決勝と男子3位決定戦の副審をしました。今回の大会は真正会と極真会館の協同主催の大会でしたので、真正会の先生方ともお話が出来てとても有意義でした。1番嬉しかったのは閉会式の記念写真で数見先輩と公式な場での写真に一緒に入ることが出来たことです。これからたくさんの人達とこの大会で出会えることを望んでいます。
今日は全日本体重別空手道選手権大会初日でした。選手の計量審判だったので7時に起きて大阪府立体育会館に8時に着き8時30分時から選手の計量に立ち会いました。副審を6試合、主審を7試合の審判を務めました。選手が自分の全てをかけて一生懸命に稽古をして、自分の全てをかけて試合しているのだからと思い、私も一生懸命に審判をしました。初日終了後、技術講習会が行われ、私は技術委員の1人として講習会に参加しました。夜は極真を通して出会った仲間達と飲みました。とても楽しい時間を過ごす事が出来ました。
3年ぶりに大阪で大会が開催されるので、大阪に出張しました。毎回出張の時には恒例となっている、せっかくだから観光をするため、4時40分に起きて5時10分に家を出て6時発の新幹線で京都で近鉄線に乗り換え大和西大寺で降りて平城宮跡を見学しました。4年前にも1度来たのですが、その時よりは大極殿しか見なかったので、今回は一次大極殿、復興情報館、一次大極殿院南門、推定宮内省、二次大極殿、遺講展示館、東院庭園、朱雀門、平城宮いざない館、観光交流敷設、平城宮跡資料館と平城宮跡を2時間半かけて一周歩いて見学しました。藤原京から710年に平城京に移る歴史や遣唐使の歴史などを学べたのでとても良かったです。1番感動したのは遺講展示室で奈良時代の地層で平城宮の柱と基礎となる石が埋まっていた所を見たことでした。奈良時代の地層を実際に見て1300年以上前を感じ、自分が生きているこの時間なんて一瞬なんだろうなという無常を感じ、でもその一瞬の時間をとても大切なものに感じ、その一瞬の時間を思い残すことの無いよう、真剣に一生懸命に力いっぱい生きたいと思いました。遣唐使は奈良から難波に行きそこの住吉大社で祈祷してから、難波から船で出て太宰府で休み、そこから中国へ渡ったそうです。約一週間の行程だったそうです。遣唐使の実寸大の船も乗船して見学しました。遣唐使と言えば吉備真備と鑑真和上などが有名ですが、私が知っていた豆知識でトウモロコシをトウキビと言うのは、吉備真備(きびのまきび)が唐(とう)から持ち帰ったのでトウキビと言うそうです。平城宮跡を見たあとは近鉄線で奈良に行き、春日大社を参拝しました。東大寺と興福寺は時間がなく今回は行けなかったので次回に行きたいと思います。奈良から難波の大阪府立体育会館に行き審判講習会を行いました。ルールの確認と審判動作の確認をし問題点など意見を出し話し合いました。夜は極真の仲間と飲みました。とても楽しい時間でした。
私は人生というものはその人のものであると思っています。この命はこの人生は自分に与えられた最高のプレゼントだと思っています。私は自分の人生は、自分だけのためにあると思っています。だから自分の思うように生きれば良いと思うし、自分の好きな事をやれば良いと思うし、自分が本当にやりたい事をやれば良いと思います。でも真剣に生きて欲しいと思います。一生懸命に生きて欲しいと思います。そして誰かのためになって欲しいと思います。出来る事で良いと思います。私は福島が震災になった時にボランティアに行くか?真剣に悩みました。でもボランティアには行かない事にしました。それは私がいま大切にしなければいけないのは家族だし、私の道場の生徒だと思ったからです。眼の前にいる人を幸せに出来なくて、何が人の為と思いましたし、自分が人の役に立てる唯一の事である極真空手の指導を投げ出して何が人の為と思いました。自分がこの世の中で1番人の役に立てる事を一生懸命にやろう!そう思ったのです。そのパワーは世の中を回り回って困っている誰かのためにもいつかなるはずだ!そう信じて頑張りました。だから自分の出来る事をやれば良いと思います。自分の出来る事を一生懸命にやる事がきっと人の役に立つはずです。しっかりご飯を食べて、しっかり寝て、しっかりお風呂に入って、しっかり仕事をして、しっかり家族と楽しい時間を過ごして、しっかり人生を楽しむ、そして自分に何かが余っていたら、それを誰かに渡してあげれば良いのではないかと思います。時間が余っている人は時間を、お金が余っている人はお金を、力が余っている人は力を、笑顔が余っている人は笑顔をと人に分けてあげれば良いのではと思います。私はあと何年生きるかは分かりませんが、自分の人生を思いっきり楽しんで生きたいと思っています。この命を燃やし尽くしたいと思っています。この命を使い切りたいと思っています。それが自分の命に対する最高の感謝だと思っています。
今日から6月が始まりますね!2022年令和4年がやっと自分の中で定着して来て、書類に日付を書く時にスラっと出るようになったと思ったら、もう1年の半分が過ぎようとしています。あれよあれよと時間は過ぎて行きます。無情というものはこういうことなんだろうと思います。ボケーッとしていたら、時間や時代においてけぼりにされてしまいます。そうならないよう頑張ろうと思います。今年に入り本当に物がよく無くなったりと不運が続いています。妻も「なんかおかしいよ、お祓いにでも行ってみたら?」と私の不運を見かねて言ってくれました。私のだらしなさを指摘せず、私の不運を心配してくれたのだと思います。妻は本当に優しい人だなと思いました。私はその優しさに甘えてはいけないと思い、「僕がだらしないせいだよ、神様とか霊とか運のせいではないよ。」と言いました。もしかしたら運気的な事もあるかも知れませんが、それでさえ因果応報で必ず私に原因がありこの結果があるのです。それを受け入れてしっかり6月から頑張ろうと思います。断酒してダイエットをはじめて26日が経ちました。体重は90キロになりました。なかなか80と数字が見えません。でも96キロからはじめたので6キロ落としたので結構頑張りました。筋肉や筋力はほぼ落ちていません。金曜から大阪に出張なので、お酒を飲むこととなりますが、ここは1度リセットさせて頂き、大阪から帰って来たら、8月のお盆休みまでダイエットして80キロぐらいにしたいと思います。なにはともあれ今日からしっかりと頑張りたいと思います。
kanno
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