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2022年04月30日(土) 春季通い強化合宿無事終了しました

私の運営する極真会館東京城南京浜支部の春季通い強化合宿が終わりました。無事に無事故で合宿を終える事が出来た事に安心しています。生徒達の体力的な成長や技術的な成長や精神的な成長や人間的な成長を見ることが出来てとても嬉しく思いました。


2022年04月29日(金) 春季通い強化合宿

今日は私の運営する極真会館東京城南京浜支部の春季通い強化合宿でした。28名の生徒が参加してくれました。はじめて通い強化合宿に参加した生徒がたくさんいました。上級者の人達はみんな小さい子の面倒を見てくれました。はじめて合宿に参加した時には大きい子に面倒を見てもらっていた子が、何度も合宿を経験してきた中で、今度は面倒を見る側に成長するという事が伝統になっている事はとても嬉しいことです。この先もこうして良い伝統が続いて行く事が出来るようにこれからも活動して行きたいと思います。


2022年04月28日(木) 日記と記憶

やはり日記と言うものは書いておいたほうが良いと思います。私が記憶力が悪いからなのかもしれませんが、自分にとって大切だった出来事や忘れたくないと思った出来事も時間が経つと自分の記憶からこぼれ落ちてしまい、とても大切な思い出を思い出す事が出来なくなってしまうどころか、いつか大切な思い出を忘れてしまった事にすら気が付けなくなってしまいます。私は自分が死んだ時に、あの世や次に自分が生まれる世界に何か一つ持って行けるとしたら、私は自分の記憶を選びます。だから出来るだけ大切な出来事は日記に書いておいて、いつかそれを思い出せるようにしておきたいと思っています。


2022年04月27日(水) 前橋妙子初段6回目の命日

本日は前橋妙子初段の6回目の命日でした。妻と2人でお墓参りに行って来ました。前橋初段の前で、前橋初段が情熱をかけて稽古をした道場を、前橋初段が愛してくれた道場を私達の居なくなった次の未来に必ず残し、私達の意思を次の未来に必ず伝える事を誓いました。帰りに妻とびっくりドンキーで食事をしビールを飲みながら、前橋初段との思い出を語り合いました。私は休みの日でも昼にお酒を飲む事は絶対にありませんが、今日は前橋初段を思い出し、妻と2人でビールを飲みました。


2022年04月26日(火) 大山倍達総裁28回目の命日

本日、4月26日は大山倍達総裁の28回目の命日でした。私が大山倍達総裁を始めて実際に見たのは、1991年に東京体育館で行われた第5回全世界空手道選手権大会の時でした。遠くからですが、大山倍達総裁を初めて見た時に「やっぱり実際にいる人なんだ!」って思いました。正しく神様を見るような感じでした。そして第5回全世界空手道選手権大会の最終日に行われた大山倍達総裁の演武、型「円転掌」を見て本当に感激しました。そして1993年に東京に上京し、その年の6月に大阪で行われた第10回全日本ウエイト制空手道選手権大会で初めて大山倍達総裁に握手をして頂き、言葉を頂く事が出来ました。一生の宝物です。1994年4月26日に大山倍達総裁が亡くなった時は本当に驚きました。それから28年が経ち、世の中も日本という国の社会も格闘技界も武道界も極真空手界もだいぶ変化しました。その中でも私は大山倍達総裁が創設された国際空手道連盟極真会館と言う正統な団体で活動し大山倍達総裁の意思を継いだ、松井章奎館長の元で支部長として組織活動をし、その極真空手を道場生に指導させて頂いている事を誇りに思っています。これからも努力精進し極真空手のために尽力させて頂きたいと思います。


2022年04月25日(月) どうしてもたまに

どうしてもたまに食べたくなる物、飲みたくなる物があります。それを書いてみたいと思います。ざっと挙げてみたいと思います。ラーメン二郎、一蘭の豚骨ラーメン、一風堂の豚骨ラーメン、喜多方ラーメンのネギチャーシューメン、びっくりドンキーのチーズバーグディッシュ、すき家のチーズ牛丼、ホヤ、牡蠣、どん兵衛、カップヌードル全種類、ペヤングソース焼きそば、コーラ、スプライト、ドクターペッパー、スターバックスのソイラテ、アサヒのスーパードライ、キリンのラガー、キリンの一番搾り、自分の健康や体重と相談しながら、それらをたまには食べて人生を楽しみたいと思います。


2022年04月24日(日) 最低でも頑張って一生懸命に生きよう

49歳になり、あっと言う間に3ヶ月が過ぎ、気が付けばあと8ヶ月で50歳になります。同級生の4分の1の人はもう50歳になったのだろうと思います。つくづく時が過ぎるのは速いものだと感じさせられます。49歳の自分が今を幸せに生きる事が出来ている事に感謝を感じています。また自分のところまで命を繋いでくれた方々や私を育ててくれた両親には深く深く感謝しています。私の人生を振り返ると、私はとても利己的な人間だったと思います。自分のために自分の人生を生きて来ましたし、自分の思いや気持や自分のやりたい事や夢や目標のために生きて来ました。だからたくさんの人にご迷惑をおかけしてしまったと思います。本当に本当にたくさんの人に支えて頂き自分の人生がある事を感じています。私は凄くラッキーな人間だと思います。好きなものとの出会い、人との出会い、自分の前に起こる試練、本当にたくさんの事に対してラッキーな人生だなと思います。特に妻と子供達との出会いに感謝しています。苦しんでいた10代の頃の自分に今の幸せを教えてあげたいです。頑張っていれば誰かが必ず見ていてくれます。一生懸命に生きていれば誰かが必ず手を差し伸べてくれます。だから最低でも頑張って一生懸命に生きる事が大切だと思います。


2022年04月23日(土) 長男のギター

長男は今日から藤沢にあるギター教室の本部に通う事になりました。私と次男は空手の稽古が終わり銭湯でお風呂に入りました。長男はギター教室から帰って来て、銭湯の前で私と次男を待っていてくれました。そのあと3人でご飯を食べたのですが、長男はずっとギター教室での話をしてくれました。ギターの技術や先生に習った事を話してくれました。本当に楽しそうに話をしていました。長男は本当にギターが好きなんだと思います。帰りに長男と次男と肩を組んで歩いている時に、長男に「パパ、酔ってる?」と言われました。なんかとても幸せな気持になりました。長男は家に帰ってから私に練習した曲を弾いてくれました。そのあともずっとギターを弾いていました。好きな事が出来れば人間はこんなに変わるのかと驚いています。


2022年04月22日(金) 親睦会

今日は一般部の稽古時間に一般部の親睦会を行いました。12名の生徒が参加しました。みんなといろいろな話もできてとても楽しかったです。高校1年生はあと5年、小学6年生はあと9年で一緒に酒が飲めるようになります。是非それまで空手を続けて欲しいものです。


2022年04月21日(木) 次男の夢

次男の夢は水泳の世界チャンピオンになって、お寿司屋さんになる事だそうです。それを書いて妻に見せたそうです。水泳は私も好きなので、いつか次男が水泳の試合に出るのを楽しみにしたいと思います。次男にそれを聞いた時に私は老婆心を出してしまい「お寿司屋さんは朝は早く夜遅くまで働くから労働時間は長いし、礼儀も厳しくて、最初は丁稚奉公で給料も安くて大変だよ」なんて馬鹿なことを言ってしまいました。でもすぐ思い直し「でも好きな事を学ばせてもらえて、お金が貰えて、ずっと好きなお寿司屋の修行が出来るんだから楽しいだろうね!」と言いました。これからその道を行こうとする人に「その道は大変だからやめたほうが良いよ」などという事ほど馬鹿な事はありません。「この道を行けば、どうなるものか?危ぶむなかれ、危ぶめば道は無し、踏み出せば、その一足が道となり、その一足が道となる、迷わず行けよ!行けば分かるさ!」自分の好きなその言葉を忘れていた自分を恥ずかしく思いました。長男も次男も空手のチャンピオンや空手家にはならないようなので、私も肩の荷が下りた気がしました。空手家は私一代で終わらせたいと始めから思っていましたし、自分の行く道は自分で決めて欲しいと思っていたので、次男には自分で決めた道を真っしぐらに歩いて行って欲しいと思います。


2022年04月20日(水) 長男のギター

長男がギターを始めた事はとても嬉しいです。ギター教室の月謝は空手と比べたらかなり高いのですが、私は長男が「ギターを始めたい」と言った時に二つ返事で「イイよ」と言いました。経済的に無理なものは無理なのですが、子供のやりたい事のためなら、少しぐらいの無理はしてあげたいと思っています。長男はそれまでに空手と水泳と体操をやっていましたが、どれも私が得意だった物なのでついつい余計な口出しをしてしまいます。でも私があまり上手くいかなく挫折したギターを長男が始めた事で、私もニュートラルな気持ちで長男を応援してあげる事が出来ます。ギターを弾いている時の長男はとてもカッコ良いです。ギターを弾いている時の長男が、私は1番大好きです。長男の夢が叶うかは長男次第です。自分のために是非夢を叶えて欲しいと思います。


2022年04月19日(火) 長男の教育方法

私は長男に対する教育方法で、これは間違ってしまったなと思った事があります。小さな間違いなどは日々たくさんあるものですが、これは決定的に間違ってしまったと思った事は、長男が小学1年生の頃で組手競技クラスに参加した頃でした。半ば私が無理矢理説得した形で参加させたのですが、毎回泣いて帰っていたそうです。最終的に長男は空手を辞めたいと言ったそうです。その事を妻から聞いて、私は自分の間違いに気が付き、妻から何が嫌なのかを長男と話してもらいました。長男は競技クラスに参加するのが嫌で他のクラスは楽しいと言ったそうです。長男は妻と話し合い、競技クラスは辞めると私に報告してきました。私も長男に競技クラスは辞めてもいから、他のクラスで楽しく頑張ろうと話しました。それからは長男に空手の事で無理強いする事はしないようにしています。それからは長男も自分のペースで楽しく空手の稽古を頑張っています。自分が好きで続けていればそれなりに上手くもなって来るものです。このまま行けばおそらく大人まで続けてくれるだろうと思います。でももし私があの時に長男に無理に苦しい稽古をさせていたら、今はもう空手を辞めてしまったかもしれません。自分の意思を示してくれた長男にも感謝していますし、長男と話し合い長男が空手を続ける道を探してくれた妻にも感謝しています。


2022年04月18日(月) 心に残った言葉

「同志少女よ、敵を撃て」を読んでいます。今はちょうど半分ぐらい読み終えたのですが、心に残った言葉を書きたいと思います。それはイリーナ教官が生徒達に教えた言葉で「相手を侮るな、自分だけが賢いと思うな」でした。戦う時に戦術を考えるうえでとても大切な事だと思います。先ずは戦う上での戦術の定石と言う物をしっかりと勉強して理解した上で、その定石を相手が知っている事を前提に、相手がどうしてくるかを何個か考えて、さらにその裏をかいてくる事までを想定し、しっかりと頭の中で何度もシュミレーションし、さらに想定外の事が起こる事を覚悟して戦いに臨まなくては行けないのだと思います。自分が賢いと思っていたり、自分が強いと思って自信満々な人ほど思わぬ事が起きた時には弱いのかもしれません。自分を弱いとか自分を愚かだと思う必要はないと思いますか、常に相手も強い、相手も賢いと思っていなければいけないのだと思います。私も空手の試合でこの選手と戦うところまでは絶対に勝とう、この選手に勝つのを目標に稽古して試合に臨んだ事があります。その選手の勝っている試合を何試合か見て、接戦だった試合を何試合か見て、負けている試合を何試合か見て、自分の出せる技、自分の良い所、自分の苦手な技、自分の悪い所を抜き出して、相手のその部分も抜き出して、その情報をもとに戦術を組み立てて、それがハマって強い選手に勝てた事がありました。逆に相手を侮ってしまい、自分より格下だと自分が勝手に決め付けて試合に臨み、散々に負けてしまった事もあります。叶わぬ事ですが、今の心と頭があり、25歳の頃の身体があればなと思うばかりです。でもこれだけは経験と体験の中で学ぶ事なので、誰かに教えてもらう物ではないのだと思います。


2022年04月17日(日) 全日本空手道選手権大会

第53回全日本空手道選手権大会・2022全日本女子空手道選手権大会が終了しました。東京城南京浜支部からは2010年に故前橋妙子初段が出場してから12年ぶりに平野珠希が出場しました。一生懸命に戦っている姿に感動しました。私は今年も第一試合の主審をしました。なぜかルール改定されて以来の全日本・世界大会で第一試合の主審をするのが定着してしまいました。大会の良し悪しや選手の勝敗を預かるので本当に緊張します。


2022年04月16日(土) 2022年極真祭

2022年極真祭がおわりました。東京城南京浜支部の選手19名はみんな一生懸命に戦いました。試合に出る上で大切な事は、試合までの日々をどう過ごすか?そして試合場で自分を見失うことの無いよう最後まで諦めないで一生懸命に戦う事、そして出た結果に自分が支配される事なく受け入れ、次の日からの自分の人生に生かして行く事だと思います。私の希望は正しく健全に強くなって欲しいという事です。礼儀や挨拶を守り相手を尊敬する気持ちを忘れず、試合を運営してくれる人に感謝し、試合場を尊重し、弱い自分に打ち克つ心を身に付けて欲しいと思います。試合の中で起きた事に自分で考えて対処出来る知性を身に付けて欲しいと思います。フィジカルやスタミナで誤魔化して試合に勝つ事も私は好ましいとは思いません。試合に勝つ事に心を奪われて、技術や巧さの成長では無く、フィジカルとスタミナの成長で相手に差を付け勝っている選手がたくさんいるように感じました。その勝ち方だと自分の悪い所に気が付けずに強くなってしまい、本当の意味での成長を妨げてしまう可能性があります。焦らずに急がずに一歩一歩着実に、心と身体と思考と技術を成長させて行って欲しいと思います。選手の皆さんは本当にお疲れ様でした。先ずは心と身体のダメージや怪我を回復させて、また稽古に励みましょう。生徒達を試合に出して頂きました。ご父兄様には心から感謝を申し上げます。


2022年04月15日(金) 当たり前を当たり前と思わず

本日は審判講習会および全国支部長会議でした。久しぶりに全国の支部長方と顔を会わせる事が出来て、とても新鮮な気持ちになりました。当たり前の事が当たり前では無くなった事で感謝や嬉しさや喜びを感じました。当たり前の事を当たり前では無くなってから感謝や嬉しさや喜びを感じるとという事は人生の中でたくさんあるのだと思います。当たり前の事を当たり前と思わずに毎日を過ごす事っ本当に大切なんだろうと思います。


2022年04月14日(木) 夢は叶わない、でも夢を目指そう

私は、夢は叶わないものだと思っています。でも夢を目指したほうが良いと思っています。この言葉を聞いて、いったい何を言っているの?矛盾してるじゃないか?ふざけているの?と思われる方もいらっしゃるかもしれません。でも私は本気でそう思っています。夢は絶対に叶わないと言っているわけではありません。でも1000人のうち500人がなれるのなら、それは夢とは言いません。1000人目指して1人しかなれないぐらいのものを夢と言うのだと私は思っています。だから1000人目指しても999人は叶わないと言う事になります。じゃあ何で夢を目指した方が良いか?と言うと人間は夢を目指せば本気になります。人間は本気で何かを頑張ったら自分を変える事が出来ます。自分が進化して行きます。そしてもしその夢が叶わなかったとしても、夢を目指して本気で自分が歩んで来た道を振り返ってみれば、その道は輝いています。そしてその道中で同じ夢に本気に取り組んだ仲間が出来ます。その道中で出来た仲間や経験や体験は大きな財産となります。得る事が出来なかった夢以上の物を手に入れる事が出来たりもします。たった1度の人生ですから、本当にやりたいことを見つけて、夢を目指して本気になって生きて行って欲しいと思います。長男は本気になれる夢を見つけたようです。次男にも本気になれる夢を見つけて欲しい思います。


2022年04月13日(水) 幸せとは?

私は自分の人生の中で、今が1番幸せです。じゃあ昔は幸せじゃ無かったのか?今より幸せな時は無かったのか?と聞かれれば昔も幸せでしたし、幸せな瞬間もたくさんありました。ですが私は頑張って毎日、毎年、今までの幸せな時1位を更新して行っています。今を幸せと思う事で過去を幸せだったと振り返る事が出来ます。27歳から35歳ぐらいの私はとても自分に厳しくなり、頑張ったことの先に幸せがあると思っていました。試合を引退し妻と出会い、頑張らなくても幸せはある事をしりました。もし妻と出会わなければ今でもお酒を飲んでいないと思います。自分にも人にも厳しく気難しい面白みのない人間になっていたと思います。酒を飲んで昼まで寝ていて子供達の喧嘩している声で目をさます日がある事も幸せです。49歳になり、ちょうど良い感じの人間になれたような気がします。


2022年04月12日(火) 最悪の結果がのちに幸せを運ぶ

2005年11月に行われた第37回全日本空手道選手権大会に私は出場しました。私はその3ヶ月前の8月に行われた茨城県大会重量級で優勝していました。しかもその年の4月の千葉県大会の決勝戦で負けた若手のホープと再戦して勝つ事が出来ての優勝でした。そこから3ヶ月間とても良い内容の稽古が出来て試合当日も絶好調でした。実際、1回戦の試合中も身体の動きが良く、試合の序盤から中盤まで私の技が思うように相手に入り、相手の技は全部避けるか、捌くか、受ける事が出来ていました。しかしラスト30秒でラッシュをかけようとして打ち合い始めた時に、相手に右膝の内側を蹴られました。その瞬間に膝の内側からパチッと言う音が聞こえました。そして足に力が入らなくなりました。相手にラッシュをかけられ攻撃されたのに対して、私は右足をかばいながら反撃するのが精一杯で一方的に技を受けてしまいました。結果は5-0の判定負け完敗でした。私は開始戦に戻り挨拶をしたのですが、そこで足が動かなくなり、歩く事が出来なくなりました。主審に肩を貸して頂き試合場を降りると言う恥を晒してしまいました。そのまま医務室に運ばれ、タクシーで病院へ行きMRIを撮ると右膝の内側側副靱帯を断裂していました。診断が終わり、会場の東京体育館に戻るため松葉杖をつきながら病院の外へ出ると、試合を見に来てくれていた私の友達と私の妻がいました。私の妻と書きましたが、その時は私と妻はただの友達でした。しかも10歳も歳が離れた友達なので、その時は将来結婚をすると思うどころか付き合うことになるなんて思っていませんし、妻が私を好きになってくれるなんて夢にも思っていませんでした。友達皆んなが私に慰めや励ましの言葉をかけるなか、妻は後ろの方でずっと黙って立っていました。妻は私と目が合うと何か思いのある感じの目をしましたが、何も言いませんでした。「じゃあまたね!年末に福島で会おうね!」という感じの言葉を交わし、友達皆んなと別れました。これはのちに妻から聞いたことなのですが、妻は私の試合を見て「自分も頑張って生きなくては」と思ってくれたそうです。そして妻はその年の年末に福島で会った時に自分の環境を大きく変えた事を私に話しました。その試合は私にとって本当に最悪の結果でしたが、妻が私の試合を見て何かを感じてくれたのならば、その試合は私にとって人生最高の試合だったのかもしれません。その試合で私の未来が変わったのかもしれません。もしかしたらその試合が無ければ、その2年後に妻と付き合うことは無かったのかもしれません。私はこう思います。何かを頑張ってそれが失敗しようと、頑張った事がマイナスになる事は絶対に無いと思います。一生懸命に頑張って一歩一歩進んで行けば、いつか何かに繋がると思います。どこかで誰かが見ていてくれると思います。それを妻が私に教えてくれました。感謝しています。


2022年04月11日(月) 身体の状態

腰部脊柱管狭窄症になってから、だいぶ時間が経ちましたが、暖かくなってきたおかげもあるのか?少し痺れが残るものの、ここに来て大分状態が良くなって来ました。なので先週からウエイトトレーニングを再開しました。もう半年前に扱えた重さは扱えず、半分以下の重さでトレーニングしています。せっかく良くなって来たので、また悪化させて、元の木阿弥になりたくないので、しっかり自分の体と相談しながらトレーニングして行きたいと思います。目標はたくさんあるので無理はしないように、でも1つ1つ堅実に頑張って行きたいと思います。


2022年04月10日(日) 同時読み

中村文則の「自由思考」と逢坂冬馬の「同志少女よ、敵を撃て」を読んでいます。私は好きな作家の作品を徹底的に読みまくるタイプなのですが、「同志少女よ、敵を撃て」はテレビで話題になっていたのと、帯に書いてあった言葉を見て、これを読みたいと思いました。その言葉は「独ソ戦、女性だけの狙撃小隊がたどる生と死」「戦争は女の顔はもちろんのこと、男を含めたあらゆる性別の顔もしておらず、つまり人間の顔をしていないのだという事実を物語ろうとする、その志の高さに感服した」と言うものでした。読み出してもういきなりその物語の世界観に引き込まれてしまいました。中村文則の「自由思考」は中村文則さんのエッセイで、中村文則さんの作品は大好きなので、即買いでした。私は2つの本を同時に読む事ができます。例えば電車の中では「自由思考」をお風呂の中では「同志少女よ、敵を撃て」を読むという感じで読み進めて行きます。2つ同時に読んで内容がグチャグチャにならないの?と思う方もいるかもしれませんが、私はそれは全然ありません。これが才能なのか?分かりませんが、この才能はなかなか便利です。読みたい作品を同時に読めるなんて本当に幸せです。


2022年04月09日(土) 妻の誕生日会、もはやサプライズではないが、

今日は妻の誕生日会を五反田のフライデーズで行いました。なんで毎回フライデーずなの?と思うかもしれませんが、私が妻と初めて知り合った時に食事をしたお店が六本木のフライデーズだったからです。その時からもう17年経つのですから本当に早いものです。その時にお店で他のお客さんが誕生日のサプライズケーキで祝ってもらっているのを見て、妻が「こんなことしてもらえたら嬉しいだろうね」と言っていました。その時はまさか自分がそれをやってあげる役になろうとは思いもしませんでしたが、もう毎回なのでサプライズでもないのですが、いつまでも妻を大切に思う気持ちが変わらないという思いと、いつまでも一緒にいたいと言う思いを込める気持ちで、それを続けています。


2022年04月08日(金) 妻の誕生日

今日は妻の誕生日です。4月8日はお釈迦様の誕生日なようですが、お釈迦様には本当に申し訳有りませんが、私にとってはお釈迦様の誕生日はどうでもよくて、4月8日は妻の誕生日と言う事で私にとってはとてもとても大切な日です。もし1983年4月8日に妻がこの世に生まれて来なかったとしたら、私の人生は大きく変わっていたと思います。本当なら1983年4月8日に妻がこの世に生まれて来た時に「よく生まれてきてくれたね!ありがとう!」と言いたかったのですが、1983年4月8日の時の私はまだ小学6年生なので、自分にとって自分の運命を変える人が生まれた事を知る由もありませんでした。私と妻が出会うのは2004年の12月でした。妻と付き合う事になったのは2007年10月28日でした。2008年1月28日に妻が東京に出て来てくれたので妻の誕生日を祝うのは14回目です。あと何回お祝いをしてあげる事が出来るか分かりませんが、何歳になろうと妻の誕生日には誕生日ケーキを買ってお祝いをしたいと思っています。「本当に生まれてきてくれて、ありがとう!僕と出会ってくれてありがとう!僕と結婚してくれてありがとう!」


2022年04月07日(木) 誕生日ケーキ

明日は妻の誕生日なのですが、私が夜まで1日中いないので、昼に妻の誕生日ケーキを買って帰り、私が帰宅したあとに皆んなで妻の誕生日を祝いケーキを食べました。私が選んだ妻の誕生日ケーキは桜をモチーフとしたケーキでした。妻も喜んでいたので良かったです。


2022年04月06日(水) 今と言う瞬間

私は今という瞬間が1番大切だと思っています。人間としても男としても空手家としても今と言う瞬間に自分がどう生きているのか?それが大切だと思っています。幸か不幸か私には自分の出した結果や成績で10年も20年もご飯が食べていけるとか、10年も20年も人から尊敬してもらえるとか言うものを残す事は出来ませんでした。だからこそ今と言う瞬間を頑張っていなければ、人間としても男としても空手家としても人に何かを誇る事が出来ないと思っています。そして今を頑張っている人が偉いと思っています。私の師匠がよく言ってた言葉に「道場で1番偉い人は、お金持ちでも地位のある人でも強い人でもなく、道場で1番一生懸命に汗を流して稽古している人だよ」と言う言葉がありました。私はその言葉が大好きです。その言葉を忘れずに生きて行きたいと思っています。


2022年04月05日(火) 20年

今年で東京城南京浜支部を開設して20年になるのですが、来年で空手を始めて35年で東京に来て30年になります。だから東京に来て3年で黒帯になり指導員になり内弟子になり全日本空手道選手権大会に出場し、東京に来て9年で道場を出したのだから、今考えればそれなりに順風満帆に進んでくる事が出来たのだと思います。でもそこからがなかなか大変でした。お金の心配なく道場を運営出来るようになったのは私が34歳の時ですから、道場を開設して5年は大変でした。よく頑張ったなと思います。ここからあと15年は道場生と一緒に身体を動かして稽古をし、稽古の後に美味しいお酒を飲みたいと思います。


2022年04月04日(月) もうすぐ20年

私は国際空手道連盟極真会館と言う団体で東京城南京浜支部と言う支部活動をさせて頂いています。私は2002年に29歳で自分の師匠がこの団体を脱退した時に、師匠から独立する形でこの団体に残り、そのタイミングで東京城南京浜支部支部と言う支部を開設する事となり、支部活動を行わせて頂くようになりました。私は34歳までは現役選手として試合に出場していたので、選手と支部長の二足の草鞋を履くと言う形でした。なのでこの5年間は支部の運営や経営をそっちのけで、自分の稽古に没頭していた所がありました。試合を引退してから選手の育成にも力を入れるようになり2007年の6月17日に支部内交流試合を開催するようになりました。選手の育成に関しては私も30代で若かった事もあり情熱が空回りしてしまっていたように思います。そこからは右葉曲折いろんな事がありました。選手として頑張っていた生徒が皆んな辞めてしまった事とその人達を育てる為に稽古が厳しくなり辞めてしまった生徒達、気が付けば道場の経営が立ちいかなくなるぐらいに生徒数が減っていました。その頃に私の道場に居てくれた生徒達を私が正しく導く事が出来なかった事にとても申し訳なく思っています。そこで1度冷静になれた事で道場の稽古体系や指導方針をガラッと変えて、礼儀は厳しく、稽古は楽しくという感じにシフトチェンジしました。そして組手の苦手な子にスポットを当てるため、東京城南京浜支部も型競技に力を入れる事にしました。そのためにも先ずは自分からということで、私は2014年8月24日に初めて型競技に挑戦しました。そして10月26日に第1回目の型競技支部内交流試合を開催しました。そこから私も型競技に取り組むようになり2019年8月24日の極真祭で全日本型競技空手道選手権大会35歳以上の部で優勝し、他の流派の型も学ぶようになりました。2020年からは極真会館の技術委員会に入り、極真会館の型の改定や見直し、型競技の審判基準を定める仕事にも携わっています。それと合わせて私が先行する形で2018年6月3日に第1回のセミコンタクトルール全国交流大会に挑戦し、2018年10月21日に東京城南京浜支部でも第1回目のセミコンタクトルール支部内交流試合を開催しました。その後私は2019年のセミコンタクトルール全国交流大会で準優勝しました。子供は身体の発達に差があり身体能力や基礎体力にも差があるので、身体能力と基礎体力が大きな差となるフルコンタクトルールの試合ではなかなか勝てないのだけれど、型競技などで頑張り技が上手く正確に技を出せる子がゲーム性を持って楽しく取り組み活躍する事が出来る場を作りました。2018年の6月5日からはフィットネスクラスという主婦や女性向けの気軽に空手の稽古が出来るクラスを開設しました。そして今年の2月から個人レッスンと言うまた新しい指導方法に挑戦しています。私は強い生徒もやめてしまい、生徒が減ってしまい、1度リセットされたあの時に本当の意味で指導者として成長させてもらったと思っています。その時々で道場生やご父兄様にもたくさんご協力頂き助けてもらいました。また家族にも支えてもらいました。私の今の指導方法で強い選手も順調に育っていますし、中学生、高校生まで残ってくれる道場生も増えています。ここからさらに前へ進めて行きたいと思っています。


2022年04月03日(日) ディベート

長男はディベートが好きらしく、私に「ディベートしようよ!題は家族とお金は何方が大事か?じゃあ俺家族ね!」と言ってディベートを申し込んで来ます。たぶん2チャンネルを開設したひろゆきさんに憧れているのだと思います。私も負けたく無いので、本気になって「人間はお金の為に自分の時間を使い嫌な労働もするんだよね?じゃあお金は大事だよね!」と言います。長男は「そのお金は誰の為に稼ぐんですか?家族のためですよね?じゃあ家族は大切ですよね?!」と言います。そんな感じで20分ぐらいディベートしました。もう頭が痛くなり降参しました。困ったものです。


2022年04月02日(土) 誰にも何にも止められない

ディズニープラスで「ウエスト・サイド・ストーリー」が配信されました。もちろん私は観ました。もう一回映画館へ観に行こうと思っていたので、ディズニープラスに入っていてとても良かったです。トニーがマリアに出会ったダンスパーティーの場面やマリアの家にトニーが行く場面を観て涙が出て来てしまいます。何故なら2人の結末を知っているので、でもそんな2人の一瞬があっただけで生まれて来てよかったと思えるだろうなと思います。「ウエスト・サイド・ストーリー」は「ロミオ&ジュリエット」をモチーフに作られた作品と言われていますが、私が「ウエスト・サイド・ストーリー」と「ロミオ&ジュリエット」が違うと思うところは、「ロミオ&ジュリエット」は両方死んでしまった事とそしてそれは自殺でした。そして二人が死んだ事で負の連鎖が終わったことにに対して、「ウエスト・サイド・ストーリー」はリフとベルナルドは死んでしまい、トニーはチノに殺されたけど、マリアが皆を許し負の連鎖を断ち切った事だと思っています。「ウエスト・サイド・ストーリー」を観て思う事は、人が人を愛する事の素晴らしさです。人が人を愛した事で、それまでの自分を変える事が出来る素晴らしさです。「ウエスト・サイド・ストーリー」で私が誰に一番似ているかと言えば、たぶんベルナルドだろうと思います。私が1番「ウエスト・サイド・ストーリー」で共感できるところは、トニーとマリアが出会い、ダンスパーティーのあとマリアの名を呼びながらトニーが街を彷徨い歩く場面と、マリアと会う場面です。人が人を好きになるのに理由も理屈もありません。好きな気持ちは誰にも何にも止められません。誰かを好きになった瞬間に自分は変われます。それまでの自分の存在感もそれまでの価値観も変える事が出来ます。それが世の中から戦いをなくす方法なのかも知れないのかもと思います。理屈は抜きにして、何はともあれ私は、この作品が大好きでたまりません。私は感動屋なので、人を好きになった時には、世界中にその人を好きになった事を叫びたくなります。だからトニーがマリアの名を呼びながら歌っていた、あの気持が凄く分かります。


2022年04月01日(金) オンライン全国支部長会議

今日はオンラインによる極真会館全国支部長会議でした。もう私も慣れたもので、すっかりズームを使いこなせるようになりました。私はズームのホストも出来るのでオンラインで何か企画する事も出来ます。今日のオンラインでの全国支部長会議では松井館長から重大な発表がありました。私はその事に賛成の意をお伝えした上で3件の質問をさせて頂きました。松井館長から頂いた回答の全てが私だけではなくおそらく全国の支部長全員が納得の行く賛成できる内容だったと思います。その事は近日中に極真会館とメディアから発表があると思います。私も道場の経営、道場の行事などの運営、生徒の獲得、日常の稽古、選手の育成などをしっかりと行い、その時に備えたいと思います。俄然ヤル気が湧いて来ました。


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