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極真空手は自分の身を護るために身に付けるには最高の武道だと私は思っています。理由はたくさんあるのですが、大きな物をあげるならば、直接相手と打撃を交換する事と顔面攻撃がない事です。一見顔面攻撃がなければ護身には使えないのでは?と思う人もいるかもしれません。喧嘩では顔面だけを殴り合う事になるのですからそう思うのも仕方がないと思います。ですがそれは間違いです。プロを目指しているならいざ知らず、体格や筋力や様々な条件が違う人間がお互いにそれなりの力を持って技を交換するのならば、顔面を殴って稽古する事は出来ません。もしそれをやれば脳や目に大きな障害を負ってしまいます。それに一般の社会人なら顔を腫らして次の日に会社に行く訳にはいかないと思います。なので顔面を攻撃して日常的に稽古しようとすれば、お互いに技を当てないように、特に条件の強い人が気を使って組手をする事となるので、それこそ実際の戦いとは程遠い状態となります。もっと悪くなると接待のような組手になってしまいます。そんな組手では心のぶつけ合いや魂のぶつけ合いは出来ません。本当の戦いの中では生半可なテクニックなど通用しませんし、心のぶつけ合いをするような組手をした事が無い人は人と対峙した時に遅れをとります。また綺麗な技の交換ではなく、体力勝負になり、スタミナが切れるようなグチャグチャな殴り合いをした人は心も身体も強くなり、自分に自信が付くと思います。そして魂をぶつけ合うようなグチャグチャな殴り合いを経験した人は殴り合った痛みやどのぐらいの力で殴り合えばどのぐらいのダメージが身体に残るのか?が分かり、相手の痛みやダメージを理解出来るからこそ、簡単に人と戦うような人にはならないと思います。そして空手道では理念や道徳を学ぶ事が出来ます。そして空手道は武器を持ちません。武器を捨てる為に武術を身に付けて、身体を鍛え心を磨くのです。己の弱さや怖れに負けない人間になれば武器を捨てる事が出来ます。お互いが武器を捨てれば戦わずに事を終わらせる事が出来ます。自分が相手より強ければ、戦うか?戦わないか?を自分が選択する事が出来ます。そして戦わない事を選択すれば自分も相手も傷つかずにすみ、自分も相手も護ったという事になるのだと思います。武術は自分を守るため戦わないためにあるものだと私は思っています。だからこそ稽古では最低限、お互いの安全を守る為にお互いがルールを守りその上で思い切り魂や心や身体や技をぶつけ合わなければならないのです。戦いの無い世界を人間は何千年も前から望んでいるはずです。その為にも自分と大切な人を護れる力を身に付けておかなければならないと思います。
午前中に事務仕事を終わらせ、お昼に家族で多摩川へお花見に行きました。桜はもう満開でした。家族でお出掛けする時も長男は1人で家に残ると言って留守番する事が出て来たので、そろそろ親離れして行きそうな雰囲気です。長男も成長して来て自分の主張も出て来て、1人の時間を過ごしたい時もあるのでしょうし、友達との時間が大切になったり、好きな人が出来ればその人と過ごす時間が大切になったりもするのだと思います。子供達はあっという間に成長してしまいます。だからこそ家族で過ごす時間は大切にしたいと思います。
2022年国際オンライン型競技空手道選手権大会の審判業務や支部内交流試合のブログアップや技術委員会の仕事など、いろいろと忙しくさせて頂いています。個人レッスンもそうですが、自分が必要とされている仕事を出来るという事は本当に本当に嬉しい事です。極真会館もそうですが、社会やこの世界に生きた証を残したい、爪跡を残したいと思っています。ダラダラ生きている時間はないと思っています。
今日は道場生の今野雄斗の個人レッスンでした。柔軟体操30分、蹴り30分、突き30分と言うメニューで行いました。稽古する中で柔軟体操の時には「凄く伸びて効きます」と言ってくれたり、蹴りや突きもずっとミットを蹴ったり突いたりしてキツかったと思いますが、私が「キツくない?大丈夫?」と聞くと、「大丈夫です!キツイけど、凄くのって来ました!」言って頑張りました。帰る時も「時間が経つのが早く感じました。いろんな事を覚えられて、とても良かったです!」と言ってくれました。雄斗は決しておしゃべりな方ではないし、おべんちゃらを言う人間ではない事は、雄斗が友達と接しているのを見て知っているので、とても嬉しく思いました。誠意があって優しい人間なんだろうなと思います。どんな大人になるのか?とても楽しみです。是非、大人になるまで空手を続けてほしいなと思います。一緒に酒を飲めたら楽しいだろうなと思います。
私の運営する極真会館東京城南京浜支部の春季昇級審査会と組手競技支部内交流試合でした。いつもお手伝いをしてくれる平澤、中村、廣田さんには本当に感謝しています。今回は休会から復帰した瑛太郎も手伝ってくれました。道場の行事が運営出来るのは手伝ってくれる道場生のおかげです。本当に感謝しています。今回の第2部の審査会はとても良い審査会でした。全員が審査項目のほぼ全てをフルマークで合格してくれました。全員がしっかりと準備したんだなと嬉しくなりました。この数年の審査会で私は「何故、審査項目が分かっているのに、何故それを出来るようにしてこないの?出来ないと分かっていて審査を受けるのが恥ずかしくないの?」など厳しい事ばかり言う審査会になってしまっていました。今回はみんなを褒めてあげる事が出来る審査会で本当に嬉しく思いました。支部内交流試合では生徒達の成長がたくさん見る事が出来ました。特に中学生の部が7名で行えた事がとても嬉しかったです。
次男は紙でいろんな物を作るのが得意なようです。アベンジャーズに出てくるタイムストーンの首飾りやサノスが付け入る手袋など作って遊んでいます。とても上手に作っていてびっくりしました。長男はガンダムのプラモデルを買って帰って来ました。私が「プラモデル作れるの?」と聞いたら、長男は「作れるよ!当たり前でしょ!俺小5だよ!」と言われました。長男はものの30分ほどでプラモデルを完成させていました。子供はあっという間に成長してしまいますね。
金曜日の一般部は小学生高学年、中学生、4月から高校生になる人が9名集まって稽古しています。今日は廣田さんが参加したので10名の道場生が稽古に参加しました。やっと自分が本当にやりたかった内容の稽古が出来るようになりました。このメンバーでいつか稽古の後に一緒に酒が飲めたらなと思います。
最近、自分の若い頃の試合を見ました。その試合は1998年に舞浜駅の近くにある浦安市体育館で行われた千葉県空手道選手権大会でした。私は25歳でした。肉体的にはそろそろピークを迎える年齢でしたが、23歳と24歳の2年間は自分の思う結果も出ずに低迷していました。もうそろそろブレイクしないと空手の世界で生きて行くのも難しくなる年齢でした。とても焦っていましたし、結果が出ない自分にジレンマを抱いていました。その試合に28回全日本大会で18歳でデビューして前年に行われた世界大会の代表選手を2人も破ってしまい、彗星のように現れた野地竜太選手が出場すると聞いて、私は野地選手と戦うところをイメージして稽古しました。そして野地選手と当たるところまでを目標にしていました。お互い勝ち進み野地選手と準決勝戦で戦いました。私の人生で1番苦しい試合でした。本戦0-0延長1回2-0延長2回2-0で私に旗は上がっていましたが引き分けでした。体重判定のため体重計に乗り舞台に立って結果を待っていました。私はもう一回戦おうと呼吸を整えて次の準備をしていました。私が85キロで野地選手が95キロとアナウンスされました。私は計算が苦手なのもあり10キロピッタリは最後の延長戦だと思い心の中で「ヨシっ!もう一回だな」と気合を入れました。その瞬間に仲間達や会場がワーッと言う歓声が上がったので、自分が勝ったんだと思いました。映像に映る自分は、会場が歓声に包まれるなか、それを起こした本人が1番冷静で佇むように試合場に立っていました。その姿は私が1番憧れた人達の姿でした。その映像を49歳の自分が見て「なかなかイイ男だな!カッコイイな!」と思います。子供達や生徒達にも自慢して見せる事が出来る映像です。イイものを残して良かったなと思います。その映像に映る25歳の自分を尊敬するし感謝しています。25歳の自分に負けないよう頑張って生きたいと思います。
最近、次男とお互いに見た映画のストーリーや、登場人物の事や、登場人物が言ったセリフなどの事で言い合いになります。便利なものでネットで調べたい事をすぐに調べる事が出来るので、どちらの言っている事が正しいか、ネットで調べてみます。残念な事にいつも次男の言っている事の方が正しいです。次男の「ほらね」という顔と、妻の冷ややかな顔と長男の呆れた顔を見て、私はただただ苦笑いをするしかありません。小2に負けてしまう私の理解力って何なんだろう?と自分でも落ち込んでしまいます。ですがその理解力のなさが私に良い事をもたらしてくれる事もあります。それは同じ作品を何度も楽しく見る事が出来ることです。見るたびに新しい発見があるので飽きずに同じ作品を何度も楽しんで見ることが出来ます。そして最終的には、結構深い理解を得る事が出来て、自分にの中で新たな感性が生まれたりします。だからこれはこれで良かったのかと思います。
この前の日曜日は長男の通っているギター教室のライブでした。長男はお友達とバンドを組んで名探偵コナンのテーマを演奏しました。長男のお友達もたくさん見に来てくれてとても嬉しかったと思います。長男は演奏を終えてステージから降りてくると「あー気持ち良かった!もう終わっちゃったよー!」と言っていました。そして次のライブで何を演奏するかを相方の友達と話していました。その長男の気持ちは私もすごく分かります。その気持ちがなくなった時が引退の時なんだと思います。だから「あー気持ち良かった!もう終わっちゃったよー!」と言っている長男を見て、とても懐かしい気持ちになりましたし、とてもうらやましい気持ちになりました。そしてその気持ちを持っているのなら、プロのギターリストになる可能性もあるのかな?と思いました。何はともあれ、何かを頑張っている姿はとてもカッコイイので、頑張って続けて欲しいなと思います。
2022国際オンライン型競技空手道選手権大会の型の撮影日でした。東京城南京浜支部からは紫牟田芽生、松井真生、岸之上巧、水岡翼の4名がエントリーしました。みんな良い型を演じていました。私は自分の道場に入門した生徒に多くのチャンスをあげたいと思っています。道場生が頑張れるステージを1つでも多く用意してあげたいと思いますし、道場生が輝けるステージを1つでも多く用意してあげたいと思っています。自分が一生懸命になれる舞台を見つけて頑張って欲しいと思います。
長男の通っているギター教室のライブでした。長男は仲の良い友達と一緒にギターを演奏しました。長男の学校の先生やお友達も見に来てくれていて、長男もとても嬉しかったと思います。ギターを弾いている長男はとてもカッコ良かったです。何かを一生懸命に頑張っている姿は、人に何かを感じさせる力があります。長男はギターリストになりたいと言っています。長男は4月からは藤沢にある今通っているギター教室の本部の教室に通います。私はお金持では無いので、申し訳ないのですが、無いものは出す事は出来ませんが、かじれるだけスネをかじってくれれば良いと思っています。自分の人生は自分が楽しむためにあります。好きなギターの腕1本でご飯を食べてこの世の中を渡っていけたらそれはそれは楽しいだろうと思います。自分が納得行くまで夢を追いかけて答えを出して欲しいと思います。
今日も頑張ってプールで泳ぎました。水泳は私がこの世に生まれて、初めて私に自信という物を与えてくれたものでした。もし私が水泳をやらなかったらただの落ちこぼれで人生を終えていたかもしれません。逆に水泳で自信がついた事で、良くも悪くもいろんな事に対して積極的に取り組めるようになったと思います。私は小学3年生まで泳ぐ事が出来ませんでした。それは息継ぎが出来ないためでした。泳げるようになったきっかけは母に川に突き落とされたからです。私はひっしに泳いで向こう岸まで行きました。たぶん15メートルぐらいだと思います。もうその時は怖かったのと怒りと安堵感で、母に泣きじゃくって怒りました。それからはどんどん泳げるようになり、2年後には学校を代表して市の大会に出ていたのですから人生というのは本当に分からないものです。小学6年生の時は100mクロールでは県大会で優勝や入賞をし、50mクロールでその年の福島県10傑の8位になりました。高校を退学になり水泳の道が閉ざされてからは、あの時に水泳を止めなければならないような事をしてしまった事をずっと後悔して生きてきました。自分がこの世で初めて見つけた人より優れていた才能を自分の犯した事でそれが出来なくなってしまった事をずっと悔やんで生きてきました。なので水泳を見るのも嫌になってしまいました。ですが腰部脊柱管狭窄症になり、出来る事は水泳でした。また水泳に助けてもらう事となりました。あの時もし母に川に突き落とされていなければ、今の自分はいないのかもしれません。でも下手したらあの時、溺れ死んでいた可能性もありますから、私の運命はあの時に変わったのだと思います。
数日前の菅野日記で、私は自分の現役生活を振り返って反省と後悔だらけだと書きました。これは本当に正直な気持ちです。でも結局はこれも結果論で同じ事をしていたとしても自分がチャンピオンになっていれば反省も後悔もないわけです。私は特にラストの4年間は誰よりも稽古をしたという自負もあるけれど、結果を出せなかった事で反省が残り、自分が1番肉体的にピークだった25歳から27歳の時に不摂生から怪我をして約半年稽古が出来なくなった事に後悔が残りました。ですが極真空手をやらなければ良かったと思ったか?と言うとそれは微塵にも思いませんでした。最後の試合の後も試合場と会場に「極真空手のおかげでたくさんの事を学ばせてもらえました。ありがとうございました。」と礼をしました。そして極真空手をやった事でたくさんの人と出会わせて頂きました。すごい先生方に空手を習い、凄い人達と稽古や試合で拳と足をぶつけ合う事が出来たのです。そしてたくさんの良い思い出が作れました。本当にたくさんの財産が出来ました。極真空手をやって本当に良かったと思っています。3度生まれ変わったって極真空手をやりたいと思っています。これからは私がそれを生徒に経験させてあげる番です。今15〜11歳ぐらいの生徒がたくさんいて一般部で稽古を頑張っています。みんなで切磋琢磨して夢を実現できたらと思っています。現役を終えた今、先輩方や同輩や後輩とその頃の話を肴にお酒を飲んだりします。今の生徒達もそれをさせてあげたいと思っています。
夜中の12時頃に久しぶりに大きい地震が来て、私の住んでいるアパートが停電と断水になりました。私はちょうど夕食が終わったところでした。取り敢えず情報収集のためと、明日まで停電と断水が続いた事を想定して水や食料の確保のために自転車で家を出ました。先ずは近くは信号も停電していたので、私の住んでいるアパートだけではなく、私が住んでいる近辺は全て停電している事を確認しコンビニに入りレジが動かないので買物は出来ない事も確認し土手に行きました。土手から見るとどうやら川崎側は電気は点いているようでした。蒲田方面がどうなっているかを知りたかったので、蒲田駅周辺を見てみると電車が止まり、その周辺の信号なども全て停電していました。蒲田駅から蓮沼の方を見たら信号が点いていたので、その辺を探索したらFamily Martが開いていました。しかしお客さんが凄い列を作っていました。でもやはり並んででも水と食料を調達したいので、並んで水と食料を買いました。いつまで停電と断水が続くか分かりませんので、家族みんなで1日ぐらい食いつなげる食料は買い込んでおきました。家に帰宅し深夜の2時には電気も水道も復旧しましたので、調達した水と食料は取り越し苦労となりましたが、それで良かったと思っています。地震の興奮で眠れなかったので「グレイテスト・ショーマン」を見ました。とても感動して思わず号泣してしまいました。この作品を映画館で観なかった事をとても後悔しました。結局眠りについたのは朝の5時ぐらいでした。いろんな事があった長い1日でした。
腰部脊柱管狭窄症に加え、頚椎のヘルニアのため左手と右手に痺れが出てきてしまいました。左手は30歳ぐらいから痺れが出ることがたびたびあったのですが、34歳で引退して少しした後に気が付くと治っていました。それが昨年の終わりぐらいから左手に痺れが出てきました。それがここ最近、右手の痺れが酷くなり右手の人差し指と中指と親指に酷く痺れが出て来てしまいました。あっちもこっちも悪くて嫌になりそうになりましたが、出来る事を頑張って行こうという事でプールに行き1時間ほど泳ぎました。今日のメニューは、クロールで1000m、私は長く泳ぐときは1ストロークで1回息継ぎをします。私は普通は左側で息継ぎをするのですが、1000m泳ぐ時は、50mまでを右側で息継ぎ、次は100mまでを左側でという感じで50mごとに左側と右側で交互に息継ぎをします。これをやると身体のバランスが良くなるのと泳いだ距離を忘れなくなるので一石二鳥です。そのあとバタ足で200mを2本泳ぎ、息上げでクロール50mを4本泳ぎました。2分設定で行うのですが、私は50mを平均35秒ぐらいで泳ぐので、残りの1分25秒休んで次のスタートとなります。これはなかなかキツイです。次はクロールで25mを4本泳ぎました。25mは1分設定で行うのですが、私は25mを平均18秒ぐらいで泳ぐので、残りの42秒休んで次のスタートとなります。もうこの辺りで心臓がバクバクで息はゼーゼーとなります。最後は平泳ぎで50mを2本ゆっくりと楽に泳いでクールダウンして終わりです。バタ足で顔を上げて息継ぎをする時に少し首が圧迫されて右手の痺れが出ますが、あとは身体に負担を感じる事なく泳ぐ事が出来ました。もう一回鍛え直して悪い所を治して次の夢や目標を実現させたいと思います。
稽古という言葉には「古を考える」と言う意味があります。古の先人が前に進めてくれたものを、最先端のものを学ばせて頂くわけです。だからその先人達の大切にした礼儀作法などを大切にして、尊敬、感謝、忍耐の心で学ばせて頂かなくてはならないのです。ですが、いつまで経っても先人はこう言っていた、先生はこう教えたと言っていては、空手をやっている意義が無いと思います。先人達から先生に伝わってきた事に、自分が空手の稽古や試合から学んだ事や経験した事をそこに付け加えたりアレンジしたりして、空手道を前に進めなくては面白くありませんし、空手をやった意義が無いと私は思います。もちろん中途半端ではいけないと思います。物事を学ぶ時に大切なのは「守・破・離」だと言います。守は、始めは疑問を持つ事なく先生の教えを徹底して守る。破は先生の教えを徹底して学んだ後にそれを超える。離は、先生の教えを超えたものを自分で確立させ次の人に伝えていく。という事だと私は思っています。私が空手道を学んでから、34年が経ちました。そろそろ何か集大成的な物を確立させて行かなければ成らないと思っています。空手道を自分なりに前に進めていく作業に取り掛からないと思っています。幸運にも私は極真会館の技術委員会になり、極真会館の型などの技術体系を編集、改定、確立する役の一端を担わせて頂いています。来年は50歳です。今年はしっかりと身体を治して、来年は何か人生の集大成となるような事に取り組みたいなと思っています。そしてそろそろ次の人材を育てなくてはいけません。
約4年前、私の先生が亡くなる3日前に15年ぶりにお会いした時に、先生から最後に言われた「菅野は何でチャンピオンになれなかったんだろうな?」という言葉が心に残っています。それは私がチャンピオンになれるぐらいの素質や才能は持っていたと言う事でもありますが、チャンピオンになる素質や才能がありながら、それを無駄にしてチャンスを掴み損ねたと言う事でもあると思います。この年齢になりとても心に響く言葉です。今日は正直な気持ちを書きたいと思います。22歳に全日本ウエイト制、23歳に全日本大会にデビューして、引退した34歳の6月の全日本ウエイト制大会までを振り返り思い出すと、身体がボロボロになるまでやり切ったと言う気持ちこそあれ、あの時もっとこうしていれば、あの時もっとああしていればと言う反省だらけ、後悔だらけです。それは自分でも惜しかったなと思うからです。試合でも世界大会の代表選手や全日本ウエイト制で入賞する選手や他流派のチャンピオンなどを何人も勝った事があるし後にチャンピオンになる勢いのある若手選手を何人も壁になって跳ね返す力は持っていたのに、全日本と冠のつく大会では1度も表彰台に上がる事なく引退となってしまいました。本当に少年老いやすくです。青春は一回です。勝利の女神に後ろ髪はありません。でも自分を指導者として考えた時に、自分はたくさんの情報や経験や稽古方法や技術を持っているとは思っています。1番はチャンピオンになれなかったその反省点は指導者として最高の指導材料となります。私は決して生徒に頑張ってチャンピオンになれなどと強要はしません。何故ならその人の人生はその人のためにあると私は思っているからです。私の支部長としての時間は残り15年です。その間に頑張ってチャンピオンになろうと言う生徒がいれば、一緒に頑張りたいなと思います。
中学生の頃に国語の授業で「徒然草(第177段)友とするにわろき者」という和歌を習いました。「友とするにわろき者、七つあり」とあり、「一つには、身分の隔たりがある人(身分の隔たりが交友を妨げる)」「二つには、若き人(思考、趣味、体力、などで理解し合うのに無理が生じる)」「三つには、病なき身強き人(身体の強い人は、老病弱者への思いやりに欠ける)「四つには、酒を好む人(酔っ払いは面倒を起こす、酔っ払いは口説い、酔っ払いは面倒臭い) 」「五つには、猛く勇める兵(強くて勇気のある人は喧嘩をするから一緒にいると戦いに巻き込まれる?)」「六つには、虚言する人(嘘をつく人は信用が出来ない)」「七つには、欲深き人(欲張りな人は人の物を奪おうとする、欲張欲張りな人はケチだから)」とあります。私なりに解釈してみました。確かに確かにと思う事もありますが、そのまま納得は出来ない事もあります。まあこれは兼好法師が鎌倉時代の末期に書いた事なので、その時代背景や兼好法師の置かれた立場からしかわからない事があるのだと思います。逆に、「よい友と三つある。第一には、物をくれる友、第二には、医師。第三には、知恵のある友」とあります。よい友の三つは分かるけど、それは自分に都合よすぎじゃないか?それは友達か?という気もしてしまいます。
少し乱暴な言い方になってしまうかもしれませんが、私が常々思う事は、結局は自分の人生は自分だけのためにあると言う事です。人間は生まれてきて、生きる為に食べる為に必死に頑張って仕事してお金を稼いで、でも死ぬ時には残した財産は、全部この世に置き捨てて、この世から去って行くだけです。でも考えてみれば動物なんて食べる為に必死にその日その日を頑張って生きています。私はお金を稼ぐ為だけに何かを必死に頑張るのは嫌です。自分の人生を楽しみたい!自分の好きな事をやっていたい!本当なら自分の好きな事だけをやっていたいのです。でもその好きな事のためなら、どんな嫌な事でも頑張ってやります。結局は好きな事のために、好きな事より嫌いな事の方がたくさんやる事になっていたと思います。嫌な事を頑張るという事で言えば一緒なのですが、自分の好きな事を自分で選択して頑張っているという事が大切なのではと思います。そして自分の身の丈にあった幸せを掴んで生きていけば良いと私は思います。人間最後は死んでしまうのだから、この与えられた素晴らしい人生を自分の本当にやりたい事をやって自分の人生を思いっきり楽しんで幸せに生きるべきだと思います。息子達にも自分のやりたい事をやって自分の人生を思いっきり楽しんで、自分の幸せを掴んで欲しいと思います。
私が両親にとても感謝している事は、私に映画を見せてくれた事です。私の家には私が小学校1年生の時ぐらいにはビデオデッキがありました。結構早い段階でVHSに押され無くなってしまったβのビデオデッキでした。周りにビデオデッキが持ち始めるのは私が中学生ぐらいになってからだと思いますので、これはかなりはやい段階でビデオデッキが家にあったと思います。そして映画のビデオテープが100本以上揃っていました。母に見せてもらった作品で覚えているのは「ベンハー」「サウンドオブ・ミュージック」「シェーン」「チャンプ」「荒野の1ドル銀貨」「風と共に去りぬ」「ゴッドファーザー」「「ロミオとジュリエット」「夕日の用心棒」「アラビアのロレンス」「がんばれベアーズ」「スティング」「クレイマー・クレイマー」です。映画館にもたくさん連れて行ってもらいました。覚えているのは「死亡遊戯」「キングコング」「スターウォーズ」「奇跡の人」です。この辺は小学校1年生ぐらいまでに見た作品だと思います。映画を見る中で感動したり、感じたり、思ったり、して感化され、自分がインスパイアされていったように思います。映画を見たあと母にいろいろな事を質問したりもしました。「なぜ、あの人は正しい事をしたのに死ななけらばならなかったのか?」など映画の中で起こる理不尽さや悲しさなど、自分の中で消化できない、いろいろな事を質問しました。私の中にある正義や、守らなければならない事や、カッコイイ事や、カッコ悪い事などと言う、倫理や道徳と言うものの土台が出来たように思います。だから私も子供達に映画を見せるようにしています。子供達に見せたい映画は「ライフ・イズ・ビューティフル」「今を生きる」「ベンハー」「サウンド・オブ・ミュージック」「ショーシャンクの空に」「シェーン」「風と共に去りぬ」「チャンプ」「IT」「スタンド・バイ・ミー」「シンドラーのリスト」「ウエスト・サイド・ストーリー」「ナイロビの蜂」「JSA」「学校」「鉄道員」「幸せの黄色いハンカチ」「生きる」「七人の侍」「椿三十郎」などです。
少し前から腰部脊柱管狭窄症の左臀部から脹脛の痺れが酷くなってしまい、柔軟が出来ない、ウエイトトレーニングが出来ない、空手の稽古も出来ないと、やりたい事が出来ないので、何に対してもヤル気も出ない感じもありますが、ここで頑張らないと、と思い、プールに行ったり、ジムでエアロバイクをやったり、型を忘れないように動きだけを稽古したりしています。取り敢えず今の目標はダイエットする事です。ここで1度、体重を落として身体の悪い所を治して行こうと思います。火曜日はオンラインの型競技審判講習会があり、今日は確定申告を終わらせてと、自分の稽古以外の仕事で結構忙しくしはています。全日本大会と極真祭の仕事や、技術委員会の仕事などもあるので、それらの仕事の責任をしっかり果たしたいと思います。
久しぶりに「サウンド・オブ・ミュージック」を見ました。私はこの作品を小学校1年生の時に母に見せてもらいました。とても感動したのを覚えています。そのあと何度か見たと思いますが、その時々で感じ方は違いました。「サウンド・オブ・ミュージック」は1965年の作品です。なので57年前に作られた映画という事になります。この作品を今回見て思った事は、人が人を思う心や、人が人を愛する心は、いつの時代もどこの国でも変わらないのでは?という事でした。この作品で私が心に残った場面はゲオルク大佐が「みなさんの心にある愛、それをどうか死なせないでください」と言って歌うエーデルワイス、ゲオルク大佐は途中、感極まり歌う声を詰まらせてしまいます。それを見た妻のマリアが歌い始め、子供達も歌いゲオルク大佐に寄り添い、それを見た会場の人がみんな歌い始めます。歌を通して会場が愛で一つになった瞬間でした。そして最後の歌の「さよなら、ごきげんよう」を歌い会場から逃亡するトラップ家、その逃亡を助けた修道女が「私は罪を犯しました」と言って、手に握られたエンジンの部品を出すシーンはとても心に残りました。歌を歌いながら家族が心を一つにして山を歩き国境を越えるラストシーンはとても素晴らしいです。私にとっては100点の作品です。1965年の57年前に出来たこの作品が伝えたかった事は、世界規模で言えば57年経った今も実現出来ていないと言えるのかもしれません。私が今、出来る事は家族を大切にする事です。私の心の中にある愛を死なせない事だと思っています。
長男も次男もあまり勉強が出来る方ではないようです。もしかしたらあまりではなく全然かもしれませんが、それはもう完全に、菅野家から私を通して息子達に遺伝したものです。私は小学校時代は家で勉強をしたとか宿題をした記憶はほぼないので、ほとんど家で勉強や宿題をやった事はないと思います。中学生の頃は、学校で1番成績の良い女の子を好きになり、頑張って勉強するようになりました。成績が1番上がると一歩その子に近づいたような気がして頑張ることが出来ました。相当頑張って勉強しました。でもどんなに頑張っても500人ぐらいの中で100位を切るぐらいでした。勉強をしてみて思った事は、自分は頭が悪いという事でした。努力した頑張りが結果に見合わないという事でした。水泳は頑張れば全国大会に行く事が出来る、マラソンや中距離走なら全校生で1番になって学校の代表で中体連に出場出来る、体操は全然努力しなくてもバック転やバック宙は出来たし遊びで大会に出たら6位ぐらいになれる、喧嘩なんて習ってもいないのに負けた事がない、まあどれもこれもを比べられるものではないけど、勉強ほど努力しても伸びないものはないなと思いました。もしかしたら努力をした期間は2年ほどなので、期間は短いかもしれませんが、勉強が1番努力したかもしれません。テスト前は休みの日は8時間ぐらい勉強しました。でもやはり苦痛でした。今はそんな事は無くなりましたが、子供の頃はとにかく机の前に座って勉強する事が苦手でしたし、大人になってからもそれが1日8時間、毎日だったらと考えたら、ちょっとシンドイです。だからやっぱり空手の選手、空手家、空手の先生は私の天職だったと思います。好きな事だから毎日、朝から晩まで稽古に自主トレに指導に明け暮れる事が出来たのだと思います。結果は出ませんでしたが現役の最後の4年間なんて馬車馬のように稽古に自主トレに指導に道場の経営に頑張りました。睡眠時間なんて本当に少なかったと思います。良く頑張れたなと思います。仕事を選ぶ上で、好きという事が本当に大切だと思います。これはいまでもそうですが、好きでやっている事なので、時間を拘束されて仕事をさせられているという感覚は全くないです。もちろん責任や義務はありますが、毎日好きな事を楽しんでいる感じです。長男も次男も私の子ですから、おそらく公務員やサラリーマンは厳しいと思います。どんな事でも良いので自分の好きな事を見つけて人生を楽しんで欲しいと思います。
私がこのような人は絶対に得をすると思う人は「人から好かれる人」だと思います。どんなに才能や能力があろうと人に嫌われては人に重用されませんし、人の力無くしては、大きな事を達成する事は出来ません。これからの世の中はもっともっとそうなって行くと思います。どんなに人より才能がある能力があるなどといった所で、3人集まれば文殊の知恵ではありませんが、結局のところ1人の持っている力などたかが知れています。人に好かれる人は人に助けられ、人に力をもらい、人に立てられて、重用してもらう事が出来ます。そのような人間になれば自然と出世をして、大きな仕事を行う事が出来ると思います。私も人に好かれる人間になりたいと常々思っています。人におべっかを使ったり、自分を偽って好かれたいとは思いませんが、常に謙虚でいたい、常に誠実でいたい、常に一生懸命でいたいと思っています。
私のこれまでの人生で、自分の中で「何かが出来た」「何かを極めた」と思った時こそ実は自分が固定的な考えを持ったために停滞してしまっていたと後々に思う事になります。自分はまだまだ出来ていない、まだまだ未熟だと頑張っている時の方が実は前進していたと後々に思う事になったりします。何かを極めようと思ったら、精進に精進を重ねて行く事が大切なのだと思います。何かを極めようと思ったら、修行は一生続けて行く事が大切なのだと思います。私もどうしたら真実を極める事が出来るのだろう?それを一生探し求めて修行して行きたいと心から思っています。空手道を学んで33年、まだまだ道半ばです。でもだからこそ面白いのです。
早いもので2022年になったと思ったら3月になり、ひな祭りとも終わりました。さていよいよ卒業シーズンですね。この3月と4月は別れと出会いの季節です。何かに区切りをつけたり、新しい事にチャレンジしたり、卒業、入学、転職、転勤と自分の生活を変えたり、生活拠点を変えたり、何かをやめたり、何かを始めたりする事が多い時期です。私も仕事柄、この時期は出会いと別れが多い時期となります。どんな別れであれ、どんな出会いであれ、笑顔でいたいと思います。別れの時には「じゃあまたね!」と笑顔でいたいと思います。
「ウエスト・サイド・ストーリー」を観ました。私はIMAXで観ました。本当に素晴らしい作品でした。音楽が最高の映画なので是非IMAXで観て欲しいと思います。この作品ならIMAXで600円高くても、IMAXで観てよかったと思えると思います。この作品は歌やダンスや映像が最高です。でも改めて大人になってこの作品を観て、やはりそのストーリーに感じる事や思う事がたくさんたくさんありました。現在のロシアとウクライナの事やコロナの世界情勢もあり、私のこの映画に対する思いを書きたいところなのですが、この映画は本当にお勧めでこのブログを読んだ人にも見ていただけたらと思うので、予備知識なしで見てもらうために、内容に触れてしまう感想を書くのはやめておきたいと思います。長男と次男にも見せたいけど2時間30分なので少し長いかな?私は必ずもう一度観たいと思います。DVDも買うと思います。とにかく映画の楽しみが全部詰まってる映画でした。もう一つ是非ポップコーンとコーラを持って映画を観て欲しいと思います。
自分の人生は結局は自分のものなので、自分が本当にやりたい事をやった方が良いと思います。それがどんな事であろうと自分が本当にやりたい事をやれたならば、自分の人生は楽しくなるはずです。自分の人生が輝くはずです。でも自分のやりたい事をやるって本当に難しいです。自分のやりたい事をやるために自分がやりたくない事をたくさんやらなくてはならないからです。そして周りの人からの「やめた方が良いよ」「ダメだったらどうするの?」「出来るわけないじゃん」という言葉が自分の邪魔をします。それより怖いのは、自分が四苦八苦している状態の時に普通に高校を卒業したり大学を卒業したりした周りの人が、それなりの給料をもらって来た頃に、それを見て諦めそうになります。やりたい事をやるって本当に大変です。でも人生はたった1度ですから、自分のやりたい事に1度は挑戦した方が絶対に良いと思います。失敗したって大丈夫です。自分が本当にやりたい事に1度は挑戦したのですから納得は行くはずです。そしてそれを頑張った事を糧に、また次の事を頑張れば良いだけです。頑張れば人生なんとかなるものです。私もかなり無茶な人生を歩んできました。何の迷いもなく自分のやりたい事を貫いて来ましたが、49歳になり自分の人生を振り返ると、この不安定な道を良くどちらにも転ぶ事なく、ここまで来る事が出来たなと思います。自分の息子達に対しても自分の本当にやりたい事を見つけて生きて行って欲しいと思っています。
隔週で、長男の通う小学校に行き、校長先生と長男の今の状況を話し合い、そのあと長男の授業の様子を見て、校長先生と私と長男で今の状況を話し合い、これからの目標を話し合うという事をやっています。私はそれで劇的に長男が変わるとは思っていません。なら何故、時間を割いて学校に行っているのか?と言うとそれは、私が長男の事を大切に思っている事を知って欲しいからです。そして長男がこの先、もし道を外す事があり、もう親が介入出来ないような歳になっていたとしても、親の愛情を思い出し、最後の一歩を踏み止まってくれると信じているからです。私もそうだったからです。いつか長男が大人になり私の子供に生まれた事をどう感じるか?は分かりません。もしかしたらもっとお金持の家に生まれたかったとか、もっと賢い親の子だったら自分ももっと賢かったのにとか、自分がこうなったのは親父の血を引いているからだとか、いろいろな事を思うかもしれません。でもこれだけは言っておきたいです。長男が私の子供に生まれた事で得ている事は、私は誰よりも長男を大切に思っているという事です。私は妻から子供が出来たかも?と聞いた時は、私はとても未熟な人間で、今の自分に子供が育てられるのか?とても怖くなり、今回は子供が出来ていないと良いなと思ってしまいました。ですが妻に子供が完全に出来たと知った時は、絶対に子供を幸せにしてやろうと覚悟が決まり、妻のお腹の中で長男が成長すると共に私も父親の自覚が少しずつ出て来て、私も少しずつ成長して行きました。長男が生まれ初めて長男を抱いた時は、この子の為なら自分の命だってかける事が出来ると思いました。だから長男が成人するまではどんな苦労だってしてあげたいです。学校に行っている事だって父親として長男の教育に関わる事が出来て良かったと思っています。長男が迷惑をかけている学校の先生やお友達には申し訳ないと思っていますが、私は子育てを楽しんでいます。これからも長男はいろんな問題を起こすかもしれません。でもそんな事は、どんと来いと思っています。長男が自分で自分のした事に責任を取れるようになるまでは、私がどんな責任でも取ってあげようと思います。その気持ちを長男がいつか理解してくれたらと思います。
腰部脊柱管狭窄症のため、ストレッチもウエイトトレーニングも空手の稽古も出来ないため、プールに行って泳いでいます。平日はだいたい午前中に行くのですが、ほぼ私より年配の方が来られています。私がプールのトイレをみるとサンダルが5組、全てがいつもバラバラになっています。そこのトイレは良く掃除はされているのですが、施設が古いためトイレが汚い感じもします。そのせいでサンダルも少し汚く感じてしまうのかもしれません、だからサンダルを素手で触ってサンダルを揃えたくないためにサンダルがバラバラになっているのだと思います。私はトイレの前を通りたびにサンダルを揃えます。そんなの全然嫌ではありません。私はもっと汚い物を触って来ましたし、手なんて洗えば綺麗になるのですから、全然問題はありません。私は汚い物を進んで片付けたり出来る人は心が綺麗な人だと思います。私は心は綺麗ではありませんが、そうありたいと思い汚い物でも進んで片付けるようにしています。でも私も出来ない事や悪い所はたくさんあります。プールに来ている人達は私の出来ない事をしっかりやっているかもしれません。だからみんなで持ち回りで気づいた事をしていけば良いのだと思います。私の持ち回りの仕事はトイレのサンダルを揃える事だと思えば何も苦はありません。私にはそのぐらいの事しか出来ないので、喜んで進んで役に立たせて頂きたいと思います。
kanno
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