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少し頑張りすぎたのか?膝をまた悪化させ腰も悪くしてしまいました。手術前の元の木阿弥になってしまったと一瞬心が折れかけましたが、その一瞬後には立ち直りました。今の自分なら何があっても負けない!と思います。
今日はお休みでしたが、あいにくの雨のため家族で川崎に映画を観に行き、帰りに一蘭でラーメンを食べて帰って来ました。帰宅して長男と次男とお風呂に入りました。長男も次男も学校や友達の事などたくさん話してくれます。長男は5年生でもうそろそろ親離れしてしまうと思うので、一緒にご飯を食べたり、一緒にお風呂に入ったりする時間を大切にしたいと思います。
長男は私に似ず、自分の失敗を笑いに変えて楽しんでいるような所があり、私はその部分が大好きだし、その部分をなくさないで欲しいと思っています。その部分は、たぶん妻に似たのだろうと思います。長男は放送委員になり、火曜日の放送をしているそうです。長男は放送が終わったあと、マイクを切るのを忘れて「あーっ、緊張したー!」と言ってしまい、それが放送で流れてしまったそうです。家に帰って来て「放送事故を起こした」と笑って報告する長男を見て、本当に明るいなと思いました。どんな失敗だって過ぎてしまえば笑いになるものですし、良い思い出になるものです。
本日、4月27日は極真会館東京城南京浜支部に10年所属し一緒に稽古をした。前橋妙子初段の命日です。前橋さんは2006年11月2日に入門しました。私と前橋さんは同じ歳なので33歳での入門でした。いつも元気に道場に来る前橋さんが私は好きでした。負けず嫌いで一生懸命に稽古し、少し遅い年齢で極真空手を始めましたが頑張って試合にもたくさん出場し、全日本女子空手道選手権大会にも出場しました。前橋さんが入門してきた頃は私もまだ現役で試合に出場していましたので、私は夜中の12時近くまで稽古をしていましたが、前橋さんも良く一緒に自主トレをして行きました。私が現役最後の年にゴールデンウィークに行った1人合宿の稽古にも2日間ほど一緒に稽古してくれました。私の現役最後の試合になった大阪府立体育館で行われた全日本ウエイト制空手道選手権大会の応援にも来てくれました。これはあとで私と仲の良い支部長から聴いて知った事ですが、前橋さんはずっと不動立ちで私の試合を見ていたそうです。病気になり入院してからも、私がお見舞いに行くと、起きる事が出来なくても意識のあるまで、しっかり十字を切って挨拶をしてくれました。私が前橋さんと交わした会話で一番覚えているのは、やはり前橋さんが余命宣告をされ、その事を私に話し、「先生なら最後の時間をどう生きたいと思いますか?」と聞かれた時の事です。私は渾身で「私は自分らしく生きたい」と答えました。その事を今も考え続けています。「自分らしく生きる」と言う事は、もしかしたら「自分らしくなく生きる」と言う事にもなると思います。私は最近そう思うようになりました。正直な気持ちを言えば私は死ぬ事が怖いです。この世から自分が居なくなるのですから、それはとても恐ろしいし寂しく思います。でも私は私の言葉を信じて頑張って最後まで生きた、前橋さんをがっかりさせるような生き方や死に方をする訳には行かないなと思います。自分の言った言葉の責任と義務を果たさなければ行けないなと思います。家族に対しても道場生に対してもそうですし、私にとって関わってくれた人達に「なんだ本当はあんな人間だったのか?」「最後の時には情けなかったな」とがっかりされるような死に方をしたくありません。「自分らしく生きると言う事は、最後まで弱い自分に負けないで生きる」と言う事だと思っています。本当の自分に負けないで、最後まで生きた事が、後に本当の自分となり、自分らし最後まで生きたという事になるのではないかと私は思っています。これは私個人の考えですが、とても残念だし寂しい事だけど、やはりこの世で私が菅野秀行として、前橋さんが前橋妙子として、会う事や話したりする事は、もうないのだろうと思います。でも私は前橋さんがこの世から消えたとは思っていません。私の心なの中にも生きていますし、何かになって存在していると感じています。もしかしたら意外に近くにいたりして?とふと思ったりもしています。私がやらなくてはならない事は、前橋さんが愛してくれた極真会館東京城南京浜支部と言う道場を発展させ、私達が居なくなった未来に繋げることです。それを改めて心に誓いたいと思います。
本日は大山倍達総裁の27回目の命日です。私は大山倍達総裁に直接ご指導頂いた事はありませんが、幸運にも1991年に東京体育館で行われた、第5回全世界空手道選手権大会での大山倍達総裁の最後の演武を見る事が出来、また1993年に大阪府立体育館で行われた、第11回全日本ウエイト制空手道選手権大会の会場で大山倍達総裁に握手をして頂きました。大山倍達総裁とは、ただそれだけしか接点はありませんが、大山倍達総裁の著書はほとんど拝読し、ビデオも全て買って見ていました。そして大山倍達総裁が好きすぎて、しょっちゅう大山倍達総裁の真似をしていました。私にとって大山倍達総裁はまさに神様です。今日は稽古前に大山倍達総裁座右の銘11箇条を唱和させて頂きました。
今日は上田幹雄選手の100人組手をオンラインのライブ観戦をしました。上田幹雄選手はとても立派に戦いました。私は30人組手をした事がありますが、ほぼ全員が全日本選手権に出場する選手で、その人達が元気な状態で代わる代わる向かってくるのですから、とてもとても尋常ではありません。60人よく頑張ったなーとしか言えません。午後からは東京城南京浜支部の道場生だった前橋妙子初段のお墓詣りに家族で行きました。前橋妙子初段は43歳で亡くなりました。私と同じ歳でしたので、もう5年が経ったという事になります。本当にあっという間だなと思います。次に会う時にも先生と呼んでもらえるような生き方をしていかなければならないと強く思います。
人は人と関わる事で、自分の良さや悪さを知ったり、自分の色を知ったり、自分を成長させて行ったりする事が出来ます。私は極真空手の道場に自分の本当の居場所というか、自分の心地よい場所と言うものを見つけました。私は学校の勉強などの中に本当に好きな物を見つけられませんでした。そして学校のクラスでも、自分の本当の居場所も見つける事が出来ませんでした。なので学校ではいつも先生に怒られてばかりでしたし、クラスの中ではいつも良くも悪くも目立っているか、浮いているか、疎外される存在でした。多分、私は一般社会で会社員などをしていたら、ずいぶんと苦労した事だろうと思うと同時に、自分の個性を殺して我慢して生きていただろうと思います。でも自分を活かせる自分の心地よい場所を見つけた事によって私の人生は変わりました。そして同じ場所を心地よいと思う、気の合う仲間を見つける事が出来ました。私の息子達にも自分の心地よい場所を見つけて生きて行って欲しいなと思います。
長男が誕生日プレゼントの前借りをしてエレキギターを買って欲しいと言って来ました。どうしてもエレキギターで練習したい曲があるのだそうです。エレキギターはなかなか高いですし、買ってあげるのも大変なのですが、買ってあげる事にしました。今を逃しては習得出来ない事もあるだろうし、あの時あれをやっていたら?と後悔して欲しくないと思い、少し無理をして買ってあげました。考えてみれば私の両親も私にとって本当に必要な物なら、無理をしてでも買ってくれたと思います。大人になったら、やらなければいけない事が多くなり、そのやらなければいけない事にほとんどの時間を取られ、そしてやらなければいけない事に力を取られ、やりたい事をやる時間もやりたい事をやる力も少なくなってしまいます。子供のうちに本当にやりたい事話や見つけておけば、それでご飯を食べる事が出来なかったとしても、それを趣味として続け、いつかそれで何かが出来たりする事もあると思います。困った事に長男に影響を受けて次男もギターを習いたいと言い出しました。鉄は熱いうちに打てだと思うので、熱が冷めないうちにやらせてあげようかなと思っています。
長男の友達の女の子が家に長男を迎えに来て、2人で商店街にある鯛焼きやお団子を売っている店に行って、お団子を食べたそうです。長男は私の子供の頃に似て、少し変わっている所があるけど、その変わっている部分で人に好かれているから面白いなと思います。私は変わっているせいで、人から疎外された事がたくさんありました。なので小学校の高学年ぐらいから自分の変わっている部分を隠すようになってしまいました。変わっている部分が悪い所なら隠さなければいけないのかもしれませんが、良い部分まで隠してしまっていたように思います。中学生ぐらいからは、また自分を出していけるようになりました。長男の変わっている部分を私は大切にしてあげたいと思います。
長男が放送委員になり、学校のお昼の放送などをしているそうです。本当に長男らしいなと思います。目立ちたがり屋なところは私に似たのかな?と思います。人の前に出て何かをやるという事は、緊張もするし、失敗したり恥をかく事もあると思います。でもそんな事にめげずに頑張って欲しいと思います。人の前で何かをやる事が出来るという事は、自分の存在をたくさんの人に知ってもらえるという事です。それは素晴らしい事だと思います。そしてその経験は将来とても役に立つと思います。頑張って欲しいと思います。
腰を痛めてからウエイトトレーニングが出来ずにいたのですが、やっと今日からウエイトトレーニングを再開する事が出来ました。体重も順調に落ちていますし、膝の状態も正座も屈伸も出来るようになり、とても順調に良くなっています。このまま良い状態を保てればリハビリと病院の診察も6月を最後に出来そうです。無理は禁物ですが、80キロぐらいに体重を落とし、右足の筋肉をつけて行けば、移動稽古なども再開出来るとおもいます。出来たら連休明けぐらいには全開で稽古が出来ればと思っています。5月から稽古を再開出来たとして、10月に膝を痛めてから7ヶ月、1月に手術をして約3ヶ月半ですから、本当に時間がかかりました。この時間を取り戻すような活動をして行きたいと思います。
日曜日の夕方にゆったりとお風呂に入って本を読んでいる時に、長男が弾いているギターの音が聞こえ、長男のギターの音に合わせて歌う妻の歌が聞こえ、「8時だよ!全員集合!」を見て笑う次男の笑い声が聞こえて来ました。こんな時間を過ごせる事はとても幸せだなと感じました。
今日は私の師匠である廣重毅師範の命日でした。廣重師範の下で21歳から29歳まで8年間修行させて頂きました。23歳から27歳まで4年間は内弟子として稽古させて頂きました。いろんな事を学ばせて頂きました。今私がこうして道場を運営する事が出来ているのも廣重師範のおかげです。本当に感謝しています。
何をしても上手くいかない、何をしても裏目に出てしまうという運が悪い日ってあります。今日は私にとってそんな日でした。でもその運の悪さを一緒に笑ってくれる人がいたら、その運の悪さは、そんなに悪い事でもなかったりします。1日の最後にその運の悪い話を誰かに聴いてもらい笑ってもらえたら、自分の運の悪さも悪くはなかったと思えます。その場ではその出来事に右往左往させられて大変だったとしても、誰かを笑わせるネタをたくさん作れたと思うのならば、逆にネタをたくさん仕入れることが出来た1日だったと思う事が出来ます。起きてしまった事を変える事は出来ないけれど、それをどう振り返るのか?は自分次第だと思います。そしてその事を誰かに笑ってもらって自分でも笑い飛ばしてしまえば、そんなに悪くない1日だったと思う事が出来ると思います。私の話を聴いてくれるのはいつも妻です。私のドジな話をいつも笑って聴いてくれます。救われます。
この3ヶ月間、お酒を止めて頑張って体作りに稽古に励んでいた事がやっと実を結んで来ました。体重は88.2キロになり、身体に柔軟性が出てきて、身体の可動範囲が広がってきました。右膝もどんどん良くなっています。この勢いで頑張って行きたいと思います。
悔しいけど怒れない、怒れないからよけい悔しいと言うことがありました。長男と次男と雑色道場に行く時に、床屋の前を通り、長男が床屋に行きたいと言っていたので、今度の日曜に予約を入れました。私は忘れっぽいので必ずその場でスマホのスケジュール表にメモをして、帰宅してからカレンダーにスケジュールを書き込むようにしています。ですが予約をしたあとに道がゴタゴタしていたので、道場に着いてからメモしようと思っていたら、やはり案の定、メモをするのを忘れてしまいました。道場が終わり帰宅してカレンダーに床屋の予約時間を書こうと思ったら、時間をハッキリ思い出す事が出来ませんでした。長男に時間を確認しようと聴いたのですが、ゲームをしていて「ゲームが終わってからでいいでしょ」と言って答えてくれませんでした。私はカチンと来て「自分の事なのに何がゲームが終わってからだよ!」と言って、ゲームが終わるまで待っていましたが、なかなかゲームが終わらないので、さらにカチンと来て「早く終われよ!バカだから、どーせ憶えてないんだろーけどな!」と独り言のように口に出しました。そしてやっとゲームが終わり、長男が来たので「床屋の時間、憶えてるか?」と聴いたら、長男は私の方も見ずに、凄くそっけなく憶えてるのが当たり前のように「9時40分でしょ」と言いました。それが凄くカチンと来て、もう理不尽に怒ってやろうか?と思うぐらい頭に血が上ったのですが、ここで怒ったら親の威厳も普段、自分が言っている事の辻褄があまりにも合わないと思い、怒らずにグッと堪えて、深呼吸をして心を鎮めましたが、怒れない事がとても悔しくなり、また長男より記憶力がなかった事で「クソっ!自分がバカと言った人間より、自分がバカだったんだ」と悔しく、本当に納得行かない気持ちになりました。そんな気持ちをおさえて長男に聴いた時間をカレンダーに書き込みました。そんな私をみんな冷ややかな感じで見ていました。
私が極真空手を学び大山倍達総裁の言葉で座右の銘にして生きてきた言葉があります。大山倍達総裁は第二次世界大戦後の日本を生きて来た方で、戦後の動乱を勝ち抜いて生きて来た方です。なので、今の時代の人達にはどう感じるか?は分かりませんが、私はこの言葉が好きです。「受けた恩は忘れるな、どんな小さな恩でも忘れてはいけない、受けた怨みは忘れてしまえ。男は一つ叩かれたら、二つ叩き返す気迫を持て、金を失う事は小さい事である。信用を失う事は大きな事である。勇気を失う事は自分を失う事である。」何はともあれ強い男になりたい、それだけを思って私は生きて来ました。もちろんこれからもそれは変わりません。
菅野家の朝は大変な事になっています。長男も次男も私の悪いところばかりキッチリと受け継いでいて、いろんな事が自分で出来ずダラダラしていて、妻に叱られながら家を出て行きます。正直な気持ちで言うと、長男と次男には、私の悪いところを受け継いで欲しくないと思っていました。そのためなら私の良いところも受け継がなくても良いと思っていました。だから長男にも次男にも私の名前の一字をつけたりもしませんでした。それがどうしたものか?私の悪いところや馬鹿なところを二人ともキッチリと受け継いでしまっています。子供達を送り出したあと仕事に行く妻を見て、とても疲れるだろうな、本当に申し訳ないなと思います。でもあれだけ私の悪いところを受け継いだのだから、少しぐらいは私の良いところも受け継いでいるはずだと思います。でもその私の良いところと言うのも自分でも微妙に思っているので、本当に困ったものです。
少し前に腰を痛めてしまい、あまり身体を動かせないのですが、しっかりと食事制限をしているので、体重が89キロになりました。久しぶりに80キロ台になったのでとても嬉しいです。この勢いでしっかり身体を作って行きたいと思います。やはり90キロ台の体重はいろんな意味で身体に悪いです。5月中には83キロまで落として、稽古も完全復活したいと思います。
妻の誕生日を五反田のフライデーズで祝いました。誕生日にフライデーズでお祝いをするのは、もうお決まりのと言う感じなのでサプライズでもないのかもしれませんが、サプライズケーキが来て、お店の人に歌を歌ってもらい、他のお客さんにも手拍子をしてもらえたりするのが、私は好きで家族の誕生日はフライデーズでお祝いをするようにしています。自分さえ良ければ良い、と言う考えではありませんが、世界がどうなろうとささやかでも良いから家族の誕生日ぐらいは祝ってあげたいと思います。自分の幸せがあるのは家族がいるからなので、その感謝の気持ちを1年に1度ぐらい表したいなと思います。私は3ヶ月禁酒していたのですが、今日だけはと思い、妻とビールを飲みました。3ヶ月ぶりのビールはとても美味しかったです。菅野家の誕生日は、年の前半に偏っていて、私が2月1日、次男が2月10日、妻が4月8日、長男が12月24日なので、ここから約8ヶ月間お祝いが無くなるので、次の誕生日会は12月になります。皆んなケーキが好きなので、誕生日じゃなくてもたまにはケーキを買って行こうかな?と思います。
4月になったと思ったら、もう10日です。4月の3分の1が終わりました。しっかりと夢や目標を持って、それに向かって生きて行かないと気が付いたら歳だけを取っていたとなってしまいます。私はそんな人生はゴメンです。自分が一生懸命に生きた証を残せるような人生を行きたいと思います。
来年の8月で私が運営する東京城南京浜支部大森道場も開設20年となります。先ずは20周年に向けて、道場の運営、生徒の育成をしっかりと頑張って行かなければと思います。今までたくさんの方が私の道場に関わってくれました。20周年を一緒に迎えてくれる道場生達と何か形になる事をやりたいなと思います。あまり各方面の方々をお呼びすると、どうしても固苦しくなってしまうと思うので、今一緒にいる皆んなで、この節目を楽しみましょう!と言う会に出来たら良いなと思います。
今日は私にとってとても特別な日でした。それは今日は妻の誕生日だからです。妻と私が出会ったのは、私が30歳で妻が20歳の時ですから、妻が生まれた時は、私は妻が生まれたという事は知る由もなかったわけですが、本当は「よく生まれて来たね!」と言いたかったです。4月8日は私の幸せを運んで来る人がこの世に誕生した日ですから、私にとって何よりも大切な日です。昨年は緊急事態宣言下にあったので小さなショートケーキしか用意出来ませんでしたが、今年は大きなケーキを用意出来ました。男と言う生き物は本当にズボラなのです。長男も次男も私に似て本当にズボラで妻にバレるぐらい「ケーキを買ってきたの?」と何度も私に確認したり、妻に「ママ、冷蔵庫の中を見ちゃダメだよ!」と言ったりします。「お前ら、サプライズは出来ねーのかっ!」と怒鳴りたくなったぐらいです。でもそれは私も同じで妻には何から何までバレバレでサプライズなんて出来ていないのだと思います。でもだけど毎年サプライズをする努力はして行きたいと思います。また今度の日曜に家族で妻の誕生日を祝う食事に行こうと思っています。またそこでも妻にはバレバレのサプライズケーキを出してもらおうと思っています。
4月と言うのは、人がいろんな意味で、次の場所や次のステージへ移動したり、何かを始める決意をしたり、何かをやめる決断をしたりする時期なので、別れも出会いも多い時期となります。今年は意外と別れが少なく、出会いの多い年でした。人との別れの時に私は努めている事があります。それは笑顔でいようという事です。もしかしたらその別れが今生の別れとなる可能性もあるからです。たぶんその人を思い出す時にその最後の顔が思い出す顔となると思うので、別れぎわは笑顔でいたいと思います。時には笑顔を作るのが大変な別れもあるかもしれません。でもやはりそんな時にでも笑顔でいたいと思います。
今日から長男と次男は、学校が始まりました。長男は5年生になり、次男は2年生になりました。長男はクラス替えでした。仲の良い友達と同じクラスになれたと喜んでいました。2人とも友達がたくさんいるようです。とても嬉しい事です。人は人との関わりの中で成長して行くと思います。いろんな人がいる中で、いろんな考え方や、いろんな感じ方がある事を知り、その中でお互いが、主張したり、協調したり、妥協したりしながら人との関わり方を学んで、自分という人間のカラーと言うか、立ち位置と言うか、キャラクターと言うものを確立させていきます。自分というものは人との関わりの中で成長しながら作って行くものなのだと思います。良い友達を作る必要はありません。一緒に何かを楽しんでくれる人、同じ物を好きになってくれる人、同じ物を見て一緒に笑ってくれる人、同じ夢や目標に向かって一緒に頑張ってくれる人と友達になって、その友達を大切にして欲しいと思います。
電車の中の広告に「あなたは20年後、何をしていますか?」と言うのを子供達と見ました。「パパは68歳だ。コハクは30歳だ。マシロは27歳だ。」と子供達が言っていました。20年、長いようで短い時間ですね。私が空手を始めて33年、東京に来て28年、道場を出して19年ですから、20年なんて本当に本当にあっという間です。私は子供達には言いませんでしたが、自分がそこまで生きていないのでは?と言う可能性も考えました。と言う事は、あっという間に過ぎて行く未来に自分はいない可能性もあるんだなと考えました。これは別に悲観している訳ではありません。その可能性をしっかりと肝に命じることによって、自分のやるべき事はしっかりやろう!楽しむ時はしっかり楽しもう!未来に繋がる事を頑張ろう!今という時間を思いっきり謳歌しよう!と再確認しました。
長男のギター教室の発表会を見に行きました。長男はなかなか度胸が据わってるなと思いました。家を出る時も普通で、会場に着いて至って普通でした。初めての発表会なんだから凄い緊張するのかと思いきや終始至って普通でした。発表会には、5歳から72歳の人までが参加していて、皆さんが一生懸命に演奏する姿にとても感動しました。長男は鬼滅の刃の「紅蓮華」合奏に参加しました。長男はスーッとステージに上がり、イスに座ると私達の方に目線を向けて来ました。長男は一生懸命演奏していました。長男の頑張っている姿に本当に感動しました。私も発表会を見て世界観が広がりました。長男には本当に感謝しています。長男が生まれて来てくれたことで、私はたくさん楽しませてもらっています。長男は発表会から帰って来てもギターを弾いていました。興奮冷めやらぬ感じなのかな?と思いました。次の発表会は弾き語りをしたいと先生と話していました。いつか長男にノルウェイの森を弾いてもらいたいなと言うのが、今の私の夢です。
中村文則の「遮光」「迷宮」「悪魔の手記」の3冊を買い、長男に3冊を見せて「どれから読んだら良いかな?」と聴いたら「遮光」を指したので「遮光」から読む事にしました。
「ドリフターズ」って本当に凄いなと思います。うちの息子達は「8時だよ!全員集合!」を見て、ゲラゲラ笑っていました。私も小学校1年ぐらいから小学校4年生ぐらいまで、とても好きで見ていました。って言うか、その頃の子供はほぼ全員見ていたと思います。学校で「8時だよ!全員集合!」を見ないで下さい。と先生が言うほど、子供達や社会に影響を与えた番組でした。私も次の日の学校で志村けんの真似をし先生に怒られていた子の一人です。私の息子達も私と同じ程度の頭のせいか?大爆笑しています。時代を超えて子供達を笑わしてしまうドリフターズって本当に凄いなと思いました。子供達の笑いのツボはたぶんいつの時代も変わらないのではないかと思います。
今日から4月です。あっという間に2021年の4分の1が過ぎ去ってしまいました。私の2021年はいろいろとバタバタとしていました。1月4日にお酒を絶ち、1月14日に膝の手術をし、病院とリハビリとダイエットで2月3月はあっという間に過ぎて行きました。ダイエットの方は90キロからなかなか動かない状態です。ですがリハビリの方は順調に進んでいます。手術をした右足の筋力と筋肉の量を増やすために、週2回足のウエイトトレーニングをしています。少しずつですが筋力もアップして行っています。筋肉の量は1年ぐらいをかけて上げて行きたいと思います。右膝はまだグラグラしているのですが、原因は右の大腿四頭筋や膝周りの筋肉が落ちた事から膝の皿が安定せずに膝の関節もグラグラしているようです。その膝の筋力や筋力の量を増やすには下半身、大臀筋や大腿四頭筋や大腿二頭筋も増やして足腰全体を鍛えて行かなければ行けないのでダイエットが進まない状態です。筋肉の方が重いため、筋肉を増やすと体重は増えてしまいます。でも確実に脂肪は落ちて行っていると感じます。自分で見てもお腹の周りの脂肪が少なくなって来たましたし、腰回りの脂肪も取れてきて横から見た時に腰に曲線が出てきました。それとストレッチをした時にお腹と腰の脂肪が少なくなって来た事で、前屈や捻る動きがしやすくなりました。ただ当初より時間がかかってしまっていますが、予定を変更してダイエットと禁酒を6月まで続けたいと思います。今現在は90キロなので、ウエイトトレーニングで筋力と筋肉の量を増やしながら、有酸素運動をして83キロを目標にしたいと思います。それで足腰の筋力が強くなって膝周りの筋肉の量が増えて、体重が減れば、移動稽古なども出来るようになり、6月から完全復活出来るのではと思います。
kanno
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