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2021年03月31日(水) 100点の映画

私の大好きな映画を書きたいと思います。フランコ・ゼフィレッリ監督の「チャンプ」という作品です。元プロボクシングのチャンピオン、ビリー・フリンが引退後は息子のT・Jと競馬場の宿舎に2人暮らしで住み込みで働いているのですが、ビリーは酒とギャンブルに浸った生活をしています。そこへ離婚して2人を捨てて出て行った元の妻のアニーが現れます。と言うお話です。本当にこの映画が好きで見て欲しいのでストーリーにはこれ以上触れません。私にとってこの映画はラストシーンまで100点の作品です。好きなセリフがあるので、それだけ書いておきます。T・Jがビリーに聴きます。「アニーのこと好きだったの?」とビリーは答えます。「ああ、好きだったさ!だからお前が生まれたんだよ!」この映画の題名「チャンプ」はビリーが息子のT・Jにチャンプと呼ばれているからです。この映画を今観返すと、妻が言っていた。「お父さんは、子供にイジられるぐらいの方が懐かれるよ」という事が少し分かります。


2021年03月30日(火) 私が指導で心がけていること

これは私が子供達に空手を教えると言う事において、心がけている事です。私は、上手な子に見本を見せてもらう事はしますが、上手だから褒めると言う事はしません。上手になったら褒めるという事はします。逆に下手だから叱る事はありません。一生懸命やっていなければ叱ります。一生懸命稽古しないせいで進歩がないのならそれも叱ります。稽古に集中していなく同じ事を何度も間違ったら叱ります。元気な挨拶や返事をしたら褒めます。返事や挨拶が出来なかったら叱ります。後輩の面倒を見ていたら褒めます。後輩の面倒を見ていなかったら叱ります。結果ではあまり褒めたり叱ったりしないように心がけています。試合が終わって1番最初にかけてあげる言葉は「お疲れ様、怪我はない?」という言葉で、その次に「頑張ったね!」「また頑張ろうね!」「あの技良かったよ!」「あの技が出せてたらなー」「あの時、諦めただろう?諦めたら勝てないよ」程度のアドバイスをするだけです。それは何故か?結果でその人を評価したくないからです。勝負と言うのは残酷なものです。10人が試合に出場するとします。全員が自分の人生をかけて自分に負けず同じ時間を努力したとします。試合でも全員が一瞬も諦めず頑張ったとします。それでも1位から10位まで決まってしまうのが勝負の世界です。その順位で人の価値が決まるのなら勝負事など何の教育にもなりません。環境の良い家に生まれ、才能のある親の子供に生まれただけで自分の評価や人生が決まると言う世の中の残酷さを子供達に突き付けるだけです。私は努力もしないで取った1位より、努力をして最後まで頑張ったビリの方が価値がある学びがあると思っています。だから私は子供達の試合の結果の順位で子供達に順位をつける事はしたくありません。ここからは自分の子供の事に付いて書きたいと思います。自分の子供が運動会の駆けっこで1位になったら、それは嬉しいです。でもビリになったら、申し訳ないなと思います。私も運動会の駆けっこで1位になったりリレーの選手になる子供ではなかったからです。もし私の子供が私の子供ではなくオリンピックの100メートル走で金メダルを取る人の子供だったら?学校の運動会の駆けっこぐらいなんの努力もしなくても1位で普通にリレーの選手だった事でしょう。そのぐらい勝負は残酷なのです。でもだからこそ勝負から学ぶ事はたくさんあります。それを正しく学べるよう子供を導いてあげたいと思います。世の中や勝負の残酷さやその現実を目の当たりにして子供達が曲がってしまわないように指導して行きたいと思います。


2021年03月29日(月) 日記

長男が日記を書き始めた事で、次男も日記を書き始めました。日記を書く事はとても良いと思います。1日を振り返ったり、1日を総括したり、感じた事や思った事や忘れたくない事や、明日からやろうと思っている事を書く事で、自分との対話になったりします。また日記を書く事で毎日をどう生きたかを自分でしっかりと考える時間になり、今日の自分を明日に繋ぐコンテニューのような役割も果たしてくれます。1日を一生懸命に生きていたら書きたい事がたくさん出来ると思います。長男と次男には頑張って日記を書く事を続けて欲しいなと思います。


2021年03月28日(日) 試合に出場した選手の皆さん、お疲れ様でした。

私の運営する道場の2021年春季フルコンタクト組手競技支部内交流試合が無事終了しました。スタッフをしてくれた、十川先輩、廣田さん、中村、平野さん、平澤、浜田さん、恵里花、珠希には本当に感謝しております。試合に出場した皆さん、お疲れ様でした。子供達を試合に参加させて頂いたご父兄様、ご協力ありがとうございました。子供達にとっては現学年最後の試合なので、その人それぞれに思いがあったと思います。特に小学校を卒業する巧と理音は思いの強い試合だったのではと思います。私は生徒達の先生として、勝った人にも負けた人にも公平にお疲れ様と言う言葉をかけてあげたいと思います。私の中では試合で勝ったからその生徒の価値や評価が上がる事はありません。逆に試合で負けたからその生徒の価値や評価が下がる事もありません。ただ試合に出場しなかった生徒に関しては、3ヶ月間一生懸命稽古したら試合で自分の力を試したくなるはずですし、目標をもって稽古に取り組んで欲しいと思います。空手を始めたと言う事は強くなりたいと思っだからだと思うので、その初心を忘れずに、恐い辛い痛い苦しい、負けたら恥ずかしいと思ってしまう自分の弱い心に打ち勝って、試合に挑戦して欲しいと思います。何故、生徒が試合で勝っても負けてもその生徒の価値や評価は、私の中で変わらないかというと、勝つ事は別に良い事をした事ではありませんし、同時に負けた事も悪い事をした訳ではないからです。だから本当は勝ったから褒める事も負けたから叱る事もおかしな事なのです。だって勝った人は自分のために努力をして自分の我儘を叶えただけですし、もしかしたらその人は、偶然人よりいろんな事に恵まれて生まれて来ただけの事かもしれません。負けた人も負けを望んで好きで負けた訳ではない訳ですし、ある意味で言えば自分より能力のある人間に挑んだ訳ですし、試合中に諦めたとしてもそれは諦めるだけの心や身体にダメージを受けるなど、今の自分には対処しきれない理由あったのですし、相手がもっと頑張ったのかもしれませんから負ける事は仕方がありません。負ける事は、別に嘘をついたとか物を盗んだとか弱い者を苛めたとか約束を破ったなどの悪い事をした訳ではないのです。負ける事がもし悪い事であるならば、負けない事は簡単です。試合に出なければ良い訳ですし空手を止めてしまえば、もう負ける事はありません。でもそれでは人間の成長はありません。自分以上の物に挑戦し乗り越えた時に成長があるのです。試合に出場した選手の皆さんには、挑戦したという事を先ずは誇りにして欲しいと思います。何故ならば空手の試合と言うものは負けただけで終わる事は出来ません。心にも身体にもダメージを負います。人と人が心と身体を全力でぶつけ合うことは本当に怖さがあります。そして対戦相手も自分で決める事は出来ません。なおかつ沢山の人が見てる前で戦うという事は自分のプライドをかけて戦うのですから大変な事です。試合に出場した人達は、その恐怖に打ち勝って試合をしたのだから、それだけで称賛にあたいします。ただ試合に参加した事に意義があるというのは、また別の話で、目標もなく試合に出てもそこにはそんなに意義はないと思います。毎回試合に出て目標を持って何かを乗り越えようと挑戦する姿勢に意味があり意義が生まれるのだと私は思います。私が試合に出場する人に望む事は相手には負けたとしても自分には負けないで欲しいという事です。自分に負けなかったら相手に勝つ事が出来るか?勝負はそんなに甘いものではありません。一瞬たりとも諦めていなくても、一瞬たりとも自分に負けていなくても、自分より才能や能力や体力や環境に恵まれた人に自分の夢を叩きのめされる事だってあります。でも負けたと言う事実に叩きのめされて欲しくない、負けたと言う事に負けて欲しくないと思います。世の中には受け入れがたい事実を受け入れなければならない事はたくさんあります。それを受け止めてまた立ち上がって前に進む強さを身に付けて欲しいと思います。なので負けてもメソメソしたりいつまでも落ち込んだ姿を人には見せないようにして欲しいと思います。自分の思い通りにならない事にいつまでもメソメソしたり落ち込んだ姿を人に見せる人は、私は人の事を思いやれない自分だけが良ければ良いという、自分勝手な人間だと思います。また勝ったからと言って過剰に喜んだりする人も勝ったと言う事実に自分が舞い上がらせられているという事ですし、負けた人を思いやれない、感謝の気持ちの足りない自分勝手な人間だと思います。勝った人は、人の夢や努力や情熱を踏み潰して勝利を得たのだから、負けた相手が「負けた事は辛い事だけど、負けた相手がこの人で良かった」と思ってもらえるような毅然とした態度であって欲しいと思います。出来るならば試合場や試合会場では負けた時も勝った時も毅然とした態度でいて欲しいと思います。それが本当の強さを持った人間だと思います。私はそんな生徒を育てたいです。最後にじゃあ私の中で何が生徒を褒める基準なのかと言えば、大きな声で挨拶や返事が出来、大きな気合を入れて一生懸命に稽古し、出来ない事を出来るようにしようと努力をし、挑戦する事を恐れず、後輩には優しく、時には厳しく面倒を見てあげ、人に対して思いやりがあり感謝と尊敬の気持ちを持って、自分の得た権利に対して責任と義務を果たし、人の役に立とうとする姿勢がある事です。このような事が出来ている人の事は結果はどうであれ、私は無条件に褒めてあげたいと思っています。


2021年03月27日(土) 長男の日記

長男が日記を付け始めたそうです。その日記に腕立ての記録も書いているそうです。私が「明日は試合だから、今日は腕立て、やらなくてもいいんじゃない」と言ったら、長男は「日記に腕立てしたのを書くから腕立てはやらないと」と言って腕立てをしていました。本当に良い習慣を身に付けたなと思います。頑張って続けてくれればと思います。


2021年03月26日(金) 人間のドラマ

私の仕事の1番素晴らしい言は、たくさんの人の人間のドラマを眼の前で見る事が出来ることです。そしてその人のドラマの中に登場する事が出来ます。明後日の日曜日に私の運営する道場の支部内試合が行われます。小学校六年生や中学三年生は、節目の試合となります。その子達にして見れば、ある意味卒業式みたいなものだと思います。だから三月の試合では私は涙を流してしまう事が多々あります。その子達の戦っている姿を見ながら、その子達が入門して来た時のことや、その子達の生きて来たドラマのあれこれが頭に浮かぶからです。私は本当は人の前で泣くのは好きではありません。なおかつ普段は生徒達の前では厳しい顔をしている人間なので、泣いている姿など見せたくはありません。苦しい悲しい時の涙は我慢出来るのですが、でも感動の涙は我慢しても自然に涙が止まらなくなってしまいます。今年はどんなドラマが生まれることやらです。


2021年03月25日(木) 子供達とのこと

長男と次男がだんだん私をウザがるようになって来ました。次男から「パパは空手の話ばっかりするから嫌だ!」と言われ、長男からは「そうだパパは、違う話でも全部、空手の話にしちゃうからな!」と言われました。まあ最近は、私が小煩い話をし始めると、長男も次男も「また空手の話?また説教!」って顔をされます。もう少し子供達とは仲良くしていたいので、あまり煩い事ばかり言わないように気を付けたいと思います。妻にも「子供達に懐かれたいなら、子供達にちょっとイジられるぐらいにならないとダメだよ。」と言われます。私の夢は子供達に「親父、一緒に飲みに行こうよ!」と言われる事なので、少し自分改革をしていこうかな?と思っています。


2021年03月24日(水) 花見

東京も場所によっては桜が満開になって来ました。桜は一年に一度しか咲かないからこそ価値があると思います。一年中咲いている花ならば、わざわざ花見などしないと思います。一年に一度しか見る事が出来ないからこそ、わざわざ花見に行こうと思うのだと思います。桜と写る子供達の写真を見ると、本当に一年が過ぎて行く早さを感じさせられます。私は毎年、花見をする事を大切にしています。自分が生きている時間の中で、とても大切な時間だと思っています。


2021年03月23日(火) そんなふうに

中村文則の「王国」を読み終わりました。とても感動した言葉があったので書いておきたいと思います。(今思えば、わたしがそれから口にした言葉は、わたしがいままで、誰からも言われたことのない言葉だった。「あなたが、必要なの。・・・・・わたしはあなたが必要で、だから、わたしはあなたのために何でもやるの。・・・・・この世界は、あなたの誕生を歓迎したの。少なくとも、わたしはそう。ようこそって。・・・・・あなた無愛想だし可愛げもないけど、別にいいじゃない。誰がどう思おうと、わたしが好きなんだから」)この世に生まれて来て、こんなふうに誰かに思ってもらえたとしたら、もうそれだけで自分がこの世に存在していることに価値があったと思えると思います。「誰がどう思おうと、わたしが好きなんだから」誰かにそんなふうに言われたら、それだけで幸せだと思う事が出来ると思います。


2021年03月22日(月) 興味のある事をやれば

今は、こんなに本を読むのに、学生時代は何故あんなに勉強が嫌いだったのか?それこそ今は歴史の本なんて、こんなに読み漁っているのに、歴史の授業は嫌いで、歴史の教科書はあんなにつまらなかったのか?とても不思議です。歴史で私が興味があるのは、何故その人はその決断をしたのか?などの人間のドラマです。でも歴史の教科書は〜年に誰が何をしたなどしか書かれていませんでした。私は京都を観光するのが好きなので旅行の本もとても熱心に読むようになりました。戦国時代の誰がこの領地でここに川があったためにみたいな事を読む事から地理にも詳しくなりました。ですが学校での地理は全然興味が湧きませんでした。こうして考えてみると学校の勉強の中には私が人生の中で必要になりそうな事や、その時に求めていた事を学べる事が一つも無かったからだったように思います。もしあの時に極真空手の稽古方法や歴史を学べたら、言われなくても自分から勉強し全て暗記してテストでは100点をとっていたのでないかと思います。例えばゲームの好きな子が今やっているゲームを攻略する授業があったとしたら一生懸命に授業を受けるのではないかな?と思います。私の考えとしては一般社会で普通の会社に入って生きて行くのなら、中学校の勉強で充分生きて行くには困らないと思います。なのでそこからは、自分の生きて行きたい事やそれをやるために身に付けるべきの事を学んで行けば良いのではないか?と思います。そうしたら学ぶ事に目的が出来て、学ぶ事が楽しくなるのではないかな?と思います。私も空手の本なら分厚い難しい事が書いてある本でも集中して読む事が出来ます。そして空手の本には難しい漢字や読み方がたくさん出てくるのでそれを調べながら読むうちに漢字もたくさん覚える事が出来ました。おそらく学校で勉強しなかった分は取り戻したのではないかと思います。


2021年03月21日(日) 好きな曲ベスト5

私が中学生の頃によく聴いた好きだった曲の第3弾を書きます。因みに今書いているのは中学生の頃に聴いた曲なのでTHE BLUE HEARTSでは、セカンドアルバムのYOUNG AND PRETTYまでとなります。サードアルバムのTRAIN-TRAINは私が中学を卒業してからのアルバムなので、TRAIN-TRAIN、僕の右手、ラブレター、青空はとても好きな曲なのですがベスト5には入りませんでした。今日は私が中学生の頃、もっとも好きだった女性ボーカルのバンド、レベッカの好きな曲ベスト5を書きたいと思います。レベッカは、ハッキリ言ってしまえばNOKKOだけが好きで聴いていたバンドです。なので申し訳ありませんがNOKKO以外のメンバーは名前も知りません。とにかくそのぐらいNOKKOが好きでした。元気なダンスも歌も声もとても好きでした。1位は「WHEN A WOMAN LOVES A MAN」です。この曲を聴くと、今も中学生の時の甘い恋愛を思い出します。好きな子に公衆電話からドキドキしながら電話をかけ、その子のお父さんが出て「同じクラスの〜と申します。〜さんいらっしゃいますか?いらっしゃいましたらお願いします。」と言ったら、「いません」ガシャッと電話を切られた事や、好きな子と初めて一緒に花火をした事など思い出します。この曲の歌詞にある「不安とスリル、甘い予感と内緒のトキメキ」はまさにあの時のあの年齢の時にしか出来なかった甘い恋愛を歌った曲だと思い聴いていました。2位は「ラブ イズ cash」です。この曲は出だしの「来週の約束なんて興味ないわよ、素早く抱きしめて〜」と言うところが大好きです。3位は「76th Star」です。とにかくこの曲を歌ってるNOKKOが凄くカッコ良くて大好きです。4位は「プライベイト ヒロイン」です。この曲は元気な失恋ソングって感じでとても大好きです。5位は「ガールズ ブラボー」です。この曲はイントロから好きでノリも良くて歌詞にもあるように聴いているとじっとしてられない気分になる曲です。もっともっと好きな曲はたくさんあるので、またいつかレベッカの好きな曲ベスト6〜10位を書いてみたいと思います。


2021年03月20日(土) 読書

中村文則の「悪と仮面のルール」を読み終わりました。続けて中村文則の「掏摸(スリ)」を読んでいます。私は学生時代は勉強など全然しませんでしたし、本などは全然読みませんでした。ですが今はかなり本を読む方だと思います。本を読む事となったキッカケは何だったか?と考えるとやはり極真空手を始めたからだと思います。自分のモチベーションをあげるキッカケにしたいと思い、大山倍達総裁の本や空手家の本やスポーツ選手の本を読み、そこから剣豪などの本を読むようになり、司馬遼太郎の作品を読むようになり、そこからは読書が好きになりました。特に好きで読んでいるのは、遠藤周作、スティーヴン・キング、村上春樹、中村文則です。私はけっこう同じ作品を何度も読み返すのが好きです。年齢からなのか?自分に置かれた状況なのか?成長したためか?歳をとって老けたからなのか?その時々で感じ方も考え方も思う事も違います。


2021年03月19日(金) 長男の肉野菜炒め

妻の体調が悪かったので、長男が夕食を作ってくれました。肉野菜炒めでした。タマネギもニンジンも長男が切って肉と一緒に炒めて味付けも自分でしたそうです。初めて長男が作ってくれた料理は、お世辞ではなく、とても美味しかったです。


2021年03月18日(木) 少し振り返ろう

「最後の1年だ!だから悔いのないよう頑張ろう!」そう思って現役最後の1年間を過ごしました。もう1つ自分の中で決めた事がありました。その頃は1日トータル6〜8時間は稽古していましたが、もう肉体的にハードな稽古がだいぶしんどくなって来ていました。疲れも取れにくくなって身体にいつも倦怠感が残っていました。現役生活最後の1年と決め、もし朝起きる時間に起きる事が出来なかったり、寝る時間に寝る事が出来なかったり、稽古をサボったり、稽古メニューをこなせなかったり、稽古の最中諦めたりしたら、その時はもう自分は限界なのだから、その時は潔く試合を待たずにその場で引退しようと決めました。なので稽古に全てを賭けるため道場に寝泊まりしていました。その結果、自分に負ける事なく試合の日を迎える事が出来ました。ですが結果は3回戦敗退で世界大会の代表権を得られず夢は半ばで敗れる事となりました。でも後悔はしていません。あの1年を頑張れた事は私の誇りですし、私の宝物です。試合が終わった時は悔しい訳ではなく、自分に対して本当によく頑張ったな!ご苦労さん!と思いました。そしたら自然と涙が出てきました。そしてこんなに頑張ったんだから、これからは今まで出来なかった事にも取り組んで絶対に幸せになろう!と決めました。それから5月後に妻に告白し付き合う事になり幸せを手にしました。20歳から34歳までなかなかしんどい人生だったけど、あの日々を頑張ったから、今はボーナスステージのような幸せな毎日を過ごす事が出来ています。


2021年03月17日(水) 最強のバンド

私が中学生の頃、好きだった曲の第2弾を書きたいと思います。今日は、当時ビジュアル的にも音楽的にも最高にカッコ良かった、最強のバンドであるボウイの好きな曲ベスト5を書きたいと思います。ボウイも嫌いな曲なんて1つもなく、どの曲にも思い入れがあるのですが、頑張って選びたいと思います。1位は「ON MY BEAT」です。この曲は歌詞も凄く好きだしライブでもバカになって盛り上がれる曲なので大好きです。カラオケでよく歌うからもあります。「自分を守るのは何かを残した後だぜ、形にこだわっちゃ古びた物しか見えない、やたらと計算するのは棺桶に近くなってからでも充分出来るぜ」と言うところが中学生の頃の私の心をガシッと掴みました。2位は「DREAMEN」です。この曲の「そんな奴らは好きじゃない、俺はそんなにバカじゃない、ハートは今ここにある」と言うところがグッと来ました。3位は「B・BLUE」です。これを書いていたらテレビから「B・BLUE」のイントロが流れてきてビックリしました。バナナサンドと言う番組でした。話は飛んでしまいますが、私はこう言う偶然が良くあるんです。話を戻します。この曲は全てがカッコイイです!大好きです!4位は「CLOUDY HEART」です。この曲は失恋に浸りたい時に聴いた思い出があります。思いっきり泣ける曲です。5位もしっとりとした曲で「わがままジュリエット」です。またこれを書いていたらテレビから「わがままジュリエット」が流れて来ました。この曲は、なんかTHEヒムロックって感じで、この曲を歌ってる氷室が凄くカッコ良くて、男っぽいセクシーさがで出て好きです。ここまで書いてて思ったのですが、ボウイって、イントロや間奏のギターソロが凄くカッコイイと思います!間奏であれだけ盛り上がれるのってボウイだけかも?って思います。


2021年03月16日(火) 好きな曲

中学生の頃によく聴いていた曲を書きたいと思います。先ずはやはり1番好きなバンドであるTHE BLUE HEARTSの好きな曲を書きたいと思います。ただここで困るのがTHE BLUE HEARTSの曲は全部好きなので、全部書くわけにはいかないという事とベスト〜にまとめるのにとても悩むという事です。そして悩んで悩んだ結果を書きたいと思います。ベスト10じゃ悩んで悩んで時間がかかり答えを出せずに終わりそうなので、ベスト5にしたいと思います。悩みに悩んでやはり1位は「人にやさしく」にしました。1位にした理由はこの曲の「僕が言ってやる!でっかい声で言ってやる!ガンバレって言ってやる!聴こえるか?!ガンバレ!」にはたくさん元気をもらったのと、私もカラオケでよく歌うからです。2位も悩んだのですがやっぱりこの曲しかないと思い「リンダ リンダ」にしました。出だしの「ドーブネーズミー、みたいにー、美しくなりーたい」を聴いた瞬間に衝撃を受けました。3位は「未来は僕らの手の中」です。この曲はTHE BLUE HEARTSのファーストアルバム「THE BLUE HEARTS」の1番最初の曲です。この曲の衝撃と感動を今も忘れられません。4位は「終わらない歌」です。この曲の「世の中に冷たくされて、一人ぼっちで泣いた夜、もうダメだと思う事は今まで何度でもあった。」と言うフレーズがあり、でもそれでも終わらない歌を歌おう!明日には笑えるように!と言うところがとても好きです。5位はセカンドアルバム「YOUNG AND PRETTY」から「ラインを越えて」にしました。マーシーが初めてボーカルの曲で歌詞にも衝撃を受けたのとライブでのヒロトのハーモニカとマーシーの歌の掛け合わせが凄くカッコイイです。ここまででもこれだけ悩んだのだから、やはり10位までは悩みすぎて書けないのでこの辺にしておこうと思います。


2021年03月15日(月) 風と共に去りぬ

私が子供の頃に観た「風と共に去りぬ」と言う映画が好きです。4時間ぐらいある映画なので少し長いのですが、子供ながら飽きずに観る事が出来ました。母がこの映画が好きだったので、その影響で観たのだと思います。主人公のビビアン・リーが演じるスカーレット・オハラが前半部分の最後に言った言葉がとても心に残りました。その言葉は「神よ。私は打ち負かされなどしません。この試練が終わるまで生き抜きます。私も、私の家族も、二度と飢えたりなどしません。必要なら、嘘もつき、盗み、騙し、人殺しだってします。神よ。私は二度と飢えたりなどしません」この映画は世界が大恐慌だった頃に作られ、映画で描かれている舞台もアメリカの1860年の南北戦争の頃の事なので、今とは時代背景も社会情勢も全然違いますので、今の時代には受け入れられない事もあるのかもしれません。だからこの言葉だけを聴いたら、何て事を言うんだと思う方もいると思います。そしてこの言葉の是非は、その人が決めれば良い事だと思います。でもこの映画を観た時に、この言葉の中に、スカーレット・オハラが生きようとする強さと、明日への希望を感じて、私はとても感動しました。そして私に子供が生まれた時に子供に対して、自分に何があっても絶対に飢えさせないぞ!と言うスカーレット・オハラのような気持ちになりました。良かったら是非、この映画を見て頂きたいと思います。そして私は子供の頃、将来スカーレット・オハラのような容姿の人と結婚したいなと思いました。


2021年03月14日(日) よく聴いていた音楽

中学生の頃、眠れない夜には、よく音楽を聴いていました。THE BLUE HEARTS、ボウイ、レベッカ、ハウンドドック、THE MODS、渡辺美里、大江千里、BARBEE BOYS、EPO、が好きで本当によく聴いていました。音楽は本当に良いものです。熱い気持ちにしてくれたり、勇気を与えてくれたり、希望を与えてくれたり、悲しみを和らげてくれたり、励ましてくれたり、切ない気持ちになったりもしますが、今のダメな自分を叱ってくれたりもします。今でもその時代に聴いていた曲を聴くと、その時に一緒にいた友達の事や、その時に好きだった人の事や、その時にあった事などを思い出します。そして曲を聴いた事で忘れていたその時の事を思い出したりもします。その頃に好きだった曲の事をその頃を思い出しながら、この日記に書いてみようかな?と思います。


2021年03月13日(土) 人生なんて終わらない

私は第二次ベビーブームの昭和48年生まれで、世の中が高度成長期で学歴社会になっている頃だったので「勉強が出来なければダメだ!」「高校に行かなければ人生は終わりだ!」「学歴が全てだ!」ぐらいの勢いで教育を受けた世代でした。この年齢になって考えてみれば、その教えもおおむね間違いではなかったと思います。それもあり、私は高校を退学になった時に「ああー俺の人生は終わった」と思いました。でもあの高校退学が私の本当の人生の始まりでした。それまでは、幼い事もあり親や先生に言われた事で人生を歩んでいましたが、高校を退学してからは、自分でどう生きるかを考えて生きて行くようになりました。私が両親に対して本当に感謝している事は、親の考えにことごとく反するような生き方をする私でしたが、私が本当に困ってどうにもならなくなった時には手を差し伸べて助けてくれた事です。私は、高校退学から今までの人生で人に言われたから仕方なくやった事はや、人に流されて何かをした事は事は一度もないと思っています。全て自分で決断して行動しています。それが仇となった事も何度もありますが、自分で決めた事ですから、そこには反省はあっても後悔はありません。私の十代の頃の友達はみんな高校に行っていませんが、人生が終わるどころか、今はみんな子育ても卒業して楽しくしっかりと生きています。まあみんなそんなにお金持ちではありませんが。でも私達の頃の教育と言うのは肉体労働者を馬鹿にしていたと思います。勉強すれば冷暖房のある部屋で座って仕事をし楽して給料がもらえる、勉強をしなければ汗水たらしてクタクタになってお金を稼ぐ事になると言われました。でも体を動かして汗をかいて働く方が冷暖房の効いた部屋で机に座って仕事をするより楽しいと思う人だっているし、汗水たらしてお金を稼ぐ事が悪い事なのでしょうか?汗水たらしてお金を稼ぐ事が馬鹿な事なのでしょうか?汗水たらしてお金を稼ぐ事がカッコ悪い事なのでしょうか?私はそんな事はないと思っています。お金持ちじゃなくたって、どんな仕事をしていようと、自分の好きな仕事を一生懸命にしている人や、一生懸命に働いて人の役に立っている人や、自分の生きたい人生をしっかりと生きている人を私はカッコイイと思います。長々と書いて何を言いたかったのかと言うと、勉強はした方が良いけど、勉強が出来なくたって他にも生きる道はあるし、働くにしても給料が高いとか楽だからじゃなくて、自分が本当にやりたいと思う事をやれば人生を楽しく過ごせるという事と、どんな挫折をしようとどんな失敗をしようと自分の人生にどんな事が起ころうと人生なんて終わらないという事です。


2021年03月12日(金) 心に響いた言葉

もしかしたらこの言葉をこの日記に書いた事があるかもしれません。私が心に響いた言葉を紹介します。久坂玄瑞の二十歳の時に自分を奮い立たせるために書いたと言われている言葉です。「自分は意志が弱く、何か事を成すような人間ではない、しかしそこで自分を駄目だと思って、あえて何もしなければ、すなわち出来る事も出来なくなってしまう。一時の平安に身を任せる事を、日また一日と重ねれば、ついには畳の上で老死するだけである。」私はこの言葉を見た時に、生まれた時代や場所や環境が違えば二十歳の人間でもこのぐらい覚悟のある言葉を口にするのだな、この平安な世の中に生まれたからと言って、一時の平安に身を任せて、ただただ時間だけが過ぎて行く人生は送りたくない、そう強く思いました。休日は別として、今日は一日、楽しかったなーと思う一日を過ごしたならば、それを不安に思わなければいけないのかもしれません。今日は一日しんどかったなーと思う一日を過ごすよう心がけなければ事を成すような人生は送れないのだと思います。


2021年03月11日(木) 今日は

東日本大震災から今日で10年が経ちました。時が経つのは本当に早いです。被害に遭われた方々にとっては9年も10年も11年もないのだと思います。心からお悔やみを申し上げます。震災の時は、私は福島出身なので友達や親族の安否情報を毎日確認したりしていました。そして妻と長男は福島で震災を経験しました。地震の被害もすごかっこたそうですが、原子力発電所の建屋が爆発してからの福島の状況は凄まじかったそうです。運良く妻と長男は私の両親とその日のうちに避難をしました。これは私の友達に聞いた話ですが、地震の被害のため鉄道も高速道路や国道が使えず、大きく日本海側に迂回して避難をしようにもガソリンを何かの力に押さえられ、ガソリンを入手する事は不可能だったそうです。避難のための観光バスも金なのかコネなのか分かりませんが、何かの力に押さえられて避難はできない状況だったそうです。そしてもう風化しつつありますが、私や妻や親戚の知り合いだけでも相当数の方が震災の数年以内に癌や白血病などの病気でお亡くなりになりました。自分がこうして幸せに生きている事は自分の知らない所で、自分の知らない人達の力があっての事だと感謝しております。私も自分の出来る事をしっかりと頑張って行きたいと思っています。今日は確定申告を終わらせました。


2021年03月10日(水) 毎日

長男も次男も頑張って毎日、腕立て伏せをしているみたいです。次男はかなり怪しいやり方だったそうですが、100回以上やったと言っていました。どんな事だって何かを頑張って損をする事はありません。頑張って続けて欲しいなと思います。


2021年03月09日(火) 私が住んだ場所と空手の指導をした場所

早いもので私が、東京に来てから28年が経ちました。いろいろな所に住み、いろいろな所で空手の指導をさせて頂きました。今までに住んだ場所は、中野、蒲田、池上、六本木、大森、雑色、空手の指導をさせて頂いた場所は、蒲田、五反田、恵比寿、都立大学、中延、向ヶ丘、川崎、新丸子、溝口、大森、雑色、矢口渡、全ての場所に思い出があります。その中でたくさんの人に出会いました。皆さんには本当に感謝しております。でもやはり私は、今住んでいる雑色が大好きだし、大森、蒲田、雑色、矢口渡が大好きです。自分という人間にあった場所だと思います。行ってみたい場所はたくさんありますが、私は今住んでいる場所と今指導をしている場所がとても居心地が良いです。まあ東京に来て空手の内弟子になり、選手になり、指導員になり、自分の道場を出しただけでなかなかな大冒険でした。でも子供達には、ここからさらに何処かへ、生きがいを探して自分のあった場所に、旅立って大冒険をして欲しいなと思います。


2021年03月08日(月) 知らないの?

私はこれを言われるのは嫌いだという言葉があります。それは「〜も知らないの?」という言葉です。何故嫌いか?それは東京に来て、この言葉にはずいぶん苦しめられたし、この言葉と戦って来たからです。そのため知らなくても知っている体で振る舞い、相手の様子を見てそれに合わせて上手く誤魔化すと言う能力を身に付けてしまったほどです。これは28年前、私が東京に上京してきた時の話です。友達に「マックに行こう!」そう言われました。私は「マック」と言う言葉を知りませんでした。何故なら私の住んでいた街には当時は「マクドナルド」がなかったからです。でも少し離れた郡山という街にマクドナルドがあったのでCMを見た事はありました。だからマクドナルドと言う単語は知っていました。でもそれがハンバーガーのお店というのも知りませんでしたし、それが「マック」と呼ばれているという事はとうてい知る由もありませんでした。でも私は「ヨシッ!行こう!」とが「この辺どこにマックあったっけ」みたいな感じで、相手から上手く回答を引き出し、「駅前の〜の横にあったよね」みたいな言葉に「あー、そうそう、あったねー」という感じで返し、その最中も頭をフル回転させ情報をまとめ出ない回答を探しながら相手に合わせて歩きます。お店に着き、なんとなく知っていたマクドナルドの看板を見て「東京の奴らはマクドナルドをマックと呼びやがるのか?」と理解した瞬間には、もう知っている体で振る舞います。しかし次の難関は注文です。危うくスターバックスでコーヒーを注文するようなバカな失敗をしそうになるのを回避して、先ずは相手に、何を食べるかを聞き、それと同じ物を注文しました。それはチーズバーガーセットでした。なので私の少し遅い20歳のマクドナルドデビューではチーズバーガーセットを食べたという事になります。そして、もう次の日には当たり前のように「マック」という単語を使い、友達に「マックに行こう!」とやるのです。言葉でも少しは苦労しましたが、それはそれほどコンプレックにはなりませんでした。でも「知らない」という事に自分は田舎者だと言うコンプレックを強く感じました。だから私には「〜知らないの?」とはどうか言わないで欲しいと思います。


2021年03月07日(日) 私が思春期に過ごした何もかも憂鬱な夜

「何もかも憂鬱な夜に」を読んで、私が思春期に過ごした何もかも憂鬱な夜をブッ壊してくれた物を思い出しました。それは中学三年生の時に友達からもらったTHE BLUE HEARTSのファーストアルバムの「THE BLUE HEARTS」のカセットテープでした。夜中にそれを聴きながら、感動して涙が出てきて、自分の中で、何かが爆発したような感じがしました。大袈裟に言えば自分の中で革命が起きました。今まで感じた事がない事を感じたのですから、自分の中で何かが生まれたのだと思います。でもその自分の中で起きた爆発と自分の中で生まれた力をどうして良いか分からずに、私は夜中に家を抜け出し、私の住んでいた町と言うか村というかに、たった一軒あったセブンイレブンまで走って行きました。そして夜空を見上げてコーラを飲みました。その時は何をして良いか?は分かりませんでしたが、ただ漠然と何かが出来る気がしてウキウキしました。それだけの事ですが、ずいぶん気持ちが楽になりました。だからあの時にTHE BLUE HEARTSの曲に出会えた事は私にとってとても大きな事でした。音楽や映画や漫画や小説などなど、自分に力を与えてくれる、感動という爆発を生んでくれる、素晴らしい物はたくさんたくさんあります。これからもそんな物にたくさん出会えたら幸せです。その感動から生まれたパワーを空手の指導を通して、誰かに伝えて行けたら良いなと思っています。


2021年03月06日(土) 題名だけで涙が出て来ませんか?

中村文則の「何もかも憂鬱な夜に」を読み終わりました。「何もかも憂鬱な夜に」もう題名だけで涙が出てきませんか?たぶん誰でも何もかも憂鬱な夜を過ごしたことがあるのではと思います。特に思春期には、何もかも憂鬱な夜と言うものを何度も過ごしたのではないかと思います。自分のどうにもならない想いや、何者かになりたいのだけど何者にもなれない自分や、自分の中にある力を何処に使えば良いかを見つけられない自分や、出口の見えない悩みや、いろいろな事で憂鬱な夜がたくさんあったと思います。誰にでも何もかも憂鬱な夜はある、もちろんこれからもあるかもしれない、でも生きて行こう、そう思える作品でした。この作品に、もし自分が思春期に出会えていたら、あの時もっと楽になったのになと思いました。でもこの作品は2008年の作品ですし、作者の中村文則さんは1977年生まれで私より年下なので、それは無理なんですが。本当にそう思える作品でした。すごく感動した言葉が2つあるので載せておきたいと思います。1つ目「これは、凄まじい奇跡だ。アメーバとお前を繋ぐ何億年の線、その間には、無数の生き物と人間がいる。どこかでその線が途切れていたら、何かでその連続が切れていたら、今のお前はいない。いいか。よく聞け」「現在というのは、どんな過去にも勝る。そのアメーバとお前を繋ぐ無数の生き物の連続は、その何億の線という、途方もない奇跡の連続は、いいか?全て今のお前のためだけにあった、と考えていい」2つ目「人間と、その人間の命は、別のように思うから。・・・・・殺したお前に全部責任はあるけど、そのお前の命には、責任はないと思っているから。お前の命というのは、本当は、お前とは別のものだから。・・・・・」思春期には、挫折したり、道に迷ったり、絶望したり、自分の命に意味や意義を見出せなくなる時もあるけど、自分の命は素晴らしい物で、生きているということは素晴らしい事だ。この作品を読んでそう思いました。この作品はたぶん何度も読み返すと思います。読むたびに自分がどう思うのか?とても楽しみな作品です。子供達には、本や映画や音楽や漫画にたくさん触れて欲しいと思います。別にそれを見て賢くなる必要も感性豊かになる必要もありません。ただそれを楽しめば良いと思います。じゃなきゃ、せっかく生まれて来たのにもったいないと思います。


2021年03月05日(金) やせ我慢

私が極真空手から学んだ教えの1つに「自分が苦しい時は、相手も苦しい」と言うものがあります。戦いの時には、自分が苦しい時は、相手も苦しいと思い、もう一踏ん張りし、普段の生活の中では、自分が苦しい時は、相手も苦しいと思い、人に親切にしてあげる事が大切だと思います。そうやってやせ我慢をしているうちにそれが本当の自分になって行きます。本当に苦しい時にやせ我慢をする事は自分を強くしてくれます。おそらくこの世から去る時もやせ我慢をして穏やかに振る舞いカッコつけるのだと思います。男は一生やせ我慢です。


2021年03月04日(木) 自分史上最高

1月4日から断酒して始めたダイエットも2ヶ月が経ちました。1月14日に手術をして、あまり身体を動かせない事もあり、なかなか目に見えて体重は落ちませんでしたが、だんだん身体が動かせるようになって来た事で体重も落ち始めて来ました。1月4日時点で98キロでしたが、90キロになりました。2ヶ月で8キロなので、思うような成果はまだ出ていませんが、ここから1ヶ月で一気に80キロまで行きたいと思っています。この2ヶ月で体質も変わって来たのでここからはどんどん拍車がかかって行くと思います。80キロに成れば膝の負担も軽減され膝もよくなり身体も健康になると思います。頑張ってウエイトトレーニングもしているので、4月には自分史上最高の身体を手に入れているはずです。


2021年03月03日(水) 次男の不満

次男が少し前から花粉症になり、花粉を避ける為にメガネをかけるようになりました。次男は私に「カッコイイね!」と言って欲しかったそうですが、私はそれを言ってあげませんでした。妻が次男に「パパにメガネの事、聞かれた?何て言ってた?」と言ったら、次男は「ふーん、そうなんだ」と言ってたと言い、「パパは言って欲しい事を言ってくれないんだよな」「コハクにはカッコイイって言ってるのに、マシロには言わないだよ」と言っていたそうです。私が意識してそうした訳ではありませんし、思い当たる事もないのですが、次男がそう感じているなら、やはりもっと「カッコイイね!」とか褒めるような事を言ってあげなくてはいけないなと思いました。子供は子供なりにいろいろな事を感じたり思ったり考えたりしているんだなと思いました。


2021年03月02日(火) 子供達の夢

長男の二分の一成人式を見に行きました。将来の夢とそれを実現するために何をするかを発表していました。長男の夢はギタリストでした。夢を持つ事は素晴らしい事です。実現するにしろ諦めるにしろ夢を変えるにしろ、自分が納得出来る所まで頑張ったら良いと思います。私は四年生の頃の夢は、自分が将来仕事をする事ではありませんでした。たぶん大人になんかなりたくない、仕事なんてしたくない、と思っていたのかもしれません。私の夢は「世界一強くなりたい!」とか「ウルトラマンになりたい!」とか「飛べるようになりたい!」とかだったように思います。具体的な夢を持ったのは17歳ぐらいだったと思います。自分のやりたい仕事に付いて真剣に考えたのは20歳ぐらいだったと思います。子供の頃の夢を実現させたらそれは素晴らしい人生だと思います。でももし夢を実現させなくたって、自分が選んだ仕事を一生懸命にやって、趣味を持ったり、好きな人と楽しい時間を過ごしたり、家族と楽しい時間を過ごしたり、友達とお酒を飲んで楽しんだりと人生は楽しい事はたくさんたくさんあります。頑張って夢を実現させる事とは矛盾するかもしれないけど、もし子供達が夢に挫折した時にはその事を教えてあげたいなと思います。


2021年03月01日(月) 3月が始まる

今日から3月です。2021年の1クールの最後の月です。今月は今年度最後の昇級審査会と支部内交流試合があります。子供達は現学年最後の試合となり、6年性の子は小学生最後の試合となるので、ある意味卒業式的な節目の審査会と試合になります。中学生では別の道を選ぶ事になる子もいると思います。だからこそこの月は子供達が悔いが残る事がないよう、私も一生懸命に指導したいと思います。その志を持ち3月が始まる今日をしっかりと過ごしました。朝に鷲神社の参拝と神棚の榊などを変え掃除をし大山倍達座右の銘11箇条を唱和して、自分の稽古も行いました。3月になり道場の見学体験の問い合わせも続々と来ています。私の道場に入門して良かったと思ってもらえるよう頑張りたいと思います。


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