DiaryINDEX|過去の日記|未来の日記
国際空手道連盟極真会館初のオンラインによる全支部長会議が行われました。画面越しではありますが、久しぶりに拝見する顔もありました。約1年ぶりなので懐かしい感じがしました。オンラインで様々な行える事は、新型コロナウィルスが生んだ良い副産物だと思います。もしかしたら今が大きく世の中が変化していく時なのかもと思いました。世の中の変化に取り残されないよう活動していかなくてはならないと思います。
次男は友達が沢山いるようです。女の子の友達も多いようで、女の子の友達が3人ぐらいで次男を迎えに来ます。1人は次男をマッシーと呼んでいるそうです。女の子の3人の中に入って遊んでいる次男の姿を見てみたいなと思います。
長男と次男の試合を見ました。長男はなかなか考えて試合をしているなと思いました。私の考えもあり、妻は息子達の試合を応援する事はありません。この考えは私と妻で一致しています。私は息子達には、普段稽古では一生懸命に技を磨き、足りないものを身に付けるよう頑張るよう話しています。そして試合では、自分が今持っている武器を最大限駆使して、戦略を練り戦術を考え、相手を攻め、ピンチの時には今まで得た経験から学んだ事からピンチの回避方法を捻り出し、自分の力でピンチを回避して、最後まで諦めないで勝利を掴む方法を導き出せるよう戦って欲しいと思っています。その経験は人生で起こる全ての事に必ず役に立つと私は信じています。恋愛だって仕事だって人間関係だって、人間と人間のやり取りですから、空手の試合に通ずるものがあります。長男は3歳で空手を始め、道場内の試合は全て参加して来ました。その中で本当にたくさんの負けを経験して来ました。その負けの中でも自分で考えて戦い、自分で失敗して負けて来たので、その負けは心や頭の中に残り、ちゃんと自分の経験値にして来たのだと思います。長男は戦う相手によってしっかりと戦い方を変えているように思いましたし、自分の得意なところ、弱いところをしっかり理解して、弱いところでは勝負をせず、常に自分の得意なところで試合を進められるよう戦っていました。持っているカードの1枚1枚の力は弱くても出し方を工夫すれば勝利を導き出す事が出来ます。それをちゃんと考えているように見えました。試合には必ず勝ち負けがあります。勝つにしろ負けるにしろ自分の力で結果を出して欲しいと思います。人間は1番大変な事は自分で考えて決断しなければなりません。本当に苦しい時も最後に信じる事が出来るのは自分の力だけです。その時の訓練を今から試合を通してして欲しいと私は思います。そしてその時にも自分で考えてその事に臨んで、自分の力で何とかして欲しいと願っています。
私の運営する極真会館東京城南京浜支部の2020年秋季昇級審査会および2020年秋季組手競技支部内交流試合が終わりました。コロナ禍の中、審査会や試合に参加した道場生の皆さんは本当に良く頑張りました。また生徒達を審査会や試合に参加させて頂いたご父兄の皆様には感謝を申し上げます。そして審査会や試合の手伝いをしてくれた、十川先輩、中村、廣田さん、平澤、浜田さん、本当にありがとうございました。道場の為に力を貸してくれる道場生は、私の生徒であると同時に私の仲間だと思っています。私一人の力では道場は運営して行く事は出来ません。私に力を貸してくれるみんなの力があり、この極真会館東京城南京浜支部は運営されています。この道場に対して愛情を持ってくれているから、忙しい中、休みを返上して道場に協力してくれているのだと思います。みんな私の生徒ではありますが、道場の為に無償で力を貸してくれる皆さんの熱い心意気に尊敬の念を抱いております。この仲間達とこの道場を更に更に発展させて行きたいと思います。
今日は自分が2年半頑張ってきた事が一つの形になりました。自分では私の人生の中で自分にしか出来ない、なかなかな快挙を成し遂げたのではないかと思っています。自分が45歳と言う年齢になった時に、自分に何が出来るのか?を真剣に考え、新しい事に挑戦する為に、新しい世界に飛び込みました。それはなかなかな勇気が必要な行動でした。2年半しっかりと頑張って、今日の結果を見て、新しい自分になれたと私は思っています。でもまだまだこれからです。また新たな目標をしっかりと設定して前に進んで行きたいと思います。
長男も次男も水泳のテストで合格したそうです。私が帰宅すると次男は道場訓を覚える練習をしていました。長男も次男も腕立て伏せも頑張ってやっていました。いろいろな事を頑張って自分を開発させ、自分の可能性を広げて行って欲しいと思います。
やっと身体がギックリ腰になる前の状態に戻りました。元の状態に戻るまで結局1ヶ月かかってしまいました。来週からは、1日のスケジュールも元の状態で行いたいと思います。
私はお盆休みや正月休みでも、ほぼ毎日最低限の稽古はしています。なので何もしない数日の休日というのを体験した事はあまりありません。でも今回の三連休は何もせずに思いっきり楽しみました。太るのも覚悟で何も考えずに美味しいものをたくさん食べました。思いっきり羽を広げて休みを家族で満喫しました。さて今日からは気持ちを切り替えて、また厳しい毎日を過ごしたいと思います。
自分という人間が今、この国で幸せに暮らしている事を本当に幸運だと思いますし、この国の先人の方々のおかげの上で今の自分の幸せがある事を思い、尊敬と感謝を心に刻んだ1日でした。大好きな妻と可愛い息子達が私の隣にいる事は、当たり前ではなくとてもとても特別な事なのだと心から思いました。息子達も今日を大人になって思い出した時に、今日という日がとても大切なものだったと感じてくれるのではないかと信じています。特に長男は今日、何を感じたのか?そしてどう思うのか?どう変わるのか?そして大人になって今日をどう思うのか?いつか聴いてみたいと思います。
家族の協力もあり、自分の夢を一つ叶えた、とても楽しいとても幸せな1日でした。
この18年間、ずっと突っ走って来たので、この三日間のお休みの間は、自分へのご褒美として、自分の夢を叶えてあげる三日間にしてあげたいと思います。
子供達が任天堂スイッチを買いました。なので長男と次男にゲームのソフトを1本ずつ買ってあげました。長男は「ゼルダの伝説」次男は「マリオオデッセイ」を買いました。私が中学生の頃、初めて買ったファミコンのソフトは「ゼルダの伝説」でした。やはり何も言わなくても私と長男、私と次男には似てるところがあり、同じものを好きになったりするところがたくさんあります。そんな時に自分が長男と次男の中にいるような感じがします。
やっと今日からほぼほぼ全開で稽古が出来るようになりました。まだウエイトトレーニングは出来ません。来週は自分の人生の中で大きな事が起こります。自分が今まで頑張ってきた事の集大成が一つの形になります。なので怪我に気を付け無理をせず来週まで心と身体を調整して行きたいと思います。
私は自分の空手道に対して満足というものを感じた事がありません。出来るようになって来た!と感じた事はあるけど、出来た!と感じた事はありません。だから今まで空手道を続けてくる事が出来たと思います。人間がどれだけ生きても100年ぐらいのものです。一人が何かを極めるには短い時間だと思います。でも人間は受け継いでいく事が出来ます。何千年も受け継ぎをして何かを極めて行く事が出来ます。それはとても素晴らしい事だと思います。私のその受け継ぎの中の一人でありたいと思います。
朝のフィットネスクラスは、自分にとっても勉強になり、刺激になる楽しいクラスです。ある意味で言えば、私が今まで空手を指導してきた人たちの中にはいなかったような人たちに対して指導をするわけですから、今までと同じような指導は出来ないわけで、そこを模索しながら指導を進めて来ました。なのでやはり指導に対しいつもとは違う緊張感や刺激が生まれます。その結果、指導する中で私も大きく成長させて頂いたと思います。そういう訳で、新たな自分の発見を楽しんで指導をさせて頂いています。
私は極真空手に育ててもらいました。極真空手のおかげで今の自分がいます。極真空手のおかげで、この社会で一端の男として生計を立て家族を養う事が出来ています。国際空手道連盟極真会館に関わる全ての方々に感謝しています。本当に沢山の方に育ててもらい、本当に沢山の方に支えてもらい私の今があると思っています。だから私はこの極真空手を自分がいなくなった世の中に残っていて欲しいと思います。そのためには自分が所属している国際空手道連盟極真会館と言う団体に自分がどれだけ貢献出来るか?にかかっています。私一人の力は小さいけれど、世界中の皆んなで力を合わせれば大きな事が出来ると思います。私の運営する道場も私のものではありません。国際空手道連盟極真会館から任せて頂いている道場で、責任を持っていつかは誰かに引き継がなけらばならないものです。出来れば私の育てて私が認めた生徒に継がせたいと思っています。私が今47歳なので、60歳ぐらいから少しずつ引き継ぎをして65歳でバトンを渡せたらなと思っています。そう考えるとあと13年なのであっと言う間のことだと思います。
やっと身体が万全に近い状態になりました。3月から腰を壊す8月24日までほぼ休みなしの状態でハードに稽古していたので、やはり疲労が溜まってしまったのだと思います。今考えると本当にオーバーワークだったと思います。よく半年も身体を壊さなかったなと思います。4月8日の緊急事態宣言の発令で、自分の生活にピンチを感じてから、全てに対して全力疾走して来ました。そうする事が私にとっての精神安定剤だったと思います。身体を壊した事で少し立ち止まって自分を見つめ直して考える事が出来ました。身体を壊せば、たくさんの人に迷惑もかけるし、効率も悪くなってしまいます。今後はオーバーワークにならないよう気を付けながら稽古に励んで行きたいと思います。
私は生徒に指導する時に、柔軟体操と基本稽古(移動稽古も含め)に重点を置くようにしています。柔軟体操で身体の可動範囲を広げ、身体操作方法を学びます。そして基本稽古で正しい技の出し方を学びます。それが出来れば、型の中でも正しい動きや正しい技を出せるようになります。その稽古の中で学んだ事から、組手の中では、発想を膨らませて技を使って見たり、自分の動きは理に適っているかを考えながら新しい技を作って見たりと、どんどん自分の技や組手を作っていけば良いと思います。そしてもう一つ私が重点を置いて、生徒に指導している事は、礼儀や挨拶や武道に対する心構えや私が先輩方から教えて頂いた、極真の魂です。後何年かかるかは分かりませんが、素晴らしい武道家を育てたいと思っています。
土曜日の稽古の後は、長男と次男と一緒に銭湯でお風呂に入って帰ります。それが土曜日の恒例となっています。3人でお風呂に入りながらいろいろな話をします。長男も次男もいろいろな話をしてくれます。こんな時間を大切にしたいと思います。いつか男同士でしか出来ない話なんかも出来たら良いなと思います。
ギックリ腰になって19日が経ちました。もう20日になろうとするのにまだ完全に治りません。治療も迅速にしよく休み、その後もまめに治療に行っていたので、もしかしたら自分が思っていたより重症だったのかも知れません。それに加え、やはり年齢的な事もあり少し怪我の回復が遅くなっているのかも知れないと思います。つくづく無理は効かない年齢になって来た事を感じました。普段から身体のケアには気を付けてはいるので、やはりウエイトトレーニングや稽古をする頻度や強度を今の自分の身体ともう一度相談して決める必要があると思います。
「空手に先手なし」とても有名な言葉です。武道を身につける人にとって、とても大切な心構えです。武道を身に付ける人は、戦うために武道を身に付けるのではなく戦わないために武道を身に付ける事を目指して欲しいと思います。ですがこの言葉はそれだけの意味ではないと私は思います。空手の究極の技として、常に戦いを想定して技を磨き備え、戦いになった時には相手の動きや技に備えて構え、相手が動いた時や技を出してきたと同時に迎撃する事が空手の究極の技だと言う言葉だと私は思います。私はそれを目指して稽古しています。そして真の勝利者とは戦いに備え戦わない事が出来たものの事だと思います。
ギックリ腰がまだ完全に治ってはいないので、柔軟体操や自分の身体を整えるような稽古をしています。身体を悪くしているからこそ稽古をしていて気付ける事があります。呼吸を整え姿勢を整え身体の中にある気を整え稽古する中で、自分の内面を見つめ直したり、自分の内面を鍛えたりする事が出来ます。やはり空手は凄い!できる稽古は無限にある事を再確認しました。私の師匠が言っていた「求道無限」は本当です。身体が動かなくなってもできる稽古はある事を確信しました。
井伊直政が死の2週間前に家臣に支えられながら筆をとり息子の為に残したと言われる言葉がとても心に響きました。それは「成敗利鈍に至りては、明の良くあらかじめ賭けるに非ざるなり」という言葉でした。井伊直政の生き方を表した言葉だと思います。井伊直政は徳川家康の四天王と言われた家臣ですが、他の家臣と違く、三河のもともとの譜代の家臣ではなく、途中採用の形で家臣となった人でした。そして若い事もあったと思いますし、井伊直政の率いる軍団の家臣も元は武田家だった人達をまとめて井伊の赤備えと言われる軍団を作りました。そのような事もあり、常に結果を出して徳川家の中で自分の価値を表していかなければならないという状況だったと思います。なので特に関ヶ原の戦いでは、抜け駆けで開戦のキッカケを作ったり、もう戦いは決着しているのに、島津の軍を追いかけて戦ったりと結構無茶をしています。そしてその時の怪我をおして西軍の敗将との戦後交渉の仕事をしたので、怪我が悪化し2年後になくなったと言われています。井伊直政の生きた戦国時代、または戦いの中では、一瞬で決断をして瞬時に行動しなければならない場面がたくさんあっだのだと思います。その時に、自分の決断が賢いのか?愚かなのか?自分の決断した事が成功するのか?失敗になるのか?自分の決断は良かったのか?悪かったのか?それは全てが終わってから分かる事で、あらかじめ分かる事ではない、だからこそ自分が決断した事をひたすらに行動するしかないし、たとえ結果的に失敗になったとしても、男には失敗を恐れずに決断してやらなければならない事がある。そんな井伊直政の生き方がこの言葉に出ているのでは?と私は思いました。
ギックリも大分良くなり、ストレッチやエアロバイクやウォーキングなどの有酸素運動やゆっくり行う型などは出来るようになったのですが、そこから先がなかなか良くなりません。左の腰の奥に少し痛みが残っています。速く動いたり急に捻るような動きをすると痛みが出てしまう感じです。まあ焦っても良くはならないので自分の出来る稽古をしながら身体を治して行きたいと思います。来週には万全な状態で、怪我をする前のスケジュールに戻して稽古したいと思います。
長男は頭に次男は額にタンコブを作っていました。何故かを聞くと2人で喧嘩をしたそうです。タンコブを作るほど兄弟喧嘩が出来るなんて羨ましい限りです。喧嘩するほど仲が良いと言いますし、男の子は喧嘩も遊びのうちだと思うので、今のうちに思いっきり喧嘩して絆を深め、その喧嘩の中から、やって良い事と悪い事を身体で理解して欲しいと思います。私も2人の喧嘩をたまに目にしますが、何も心配はしていません。長男も叩いて良い所と悪い所をちゃんと選んで適度な強さで叩いているようですし、次男も長男にどうしても敵わずに悔しさのあまり、物を投げたりしますが、ちゃんと当たらないように投げているようです。2人が喧嘩をする度に家はいろんな所が破損してしまい、引越しの時にはどれほどのお金がかかるのか?今から怖くなるほどですが、まあ2人が成長する為には大切な事だったと思い諦めています。
「喧嘩が強くなりたい」そう思って極真空手を始めました。私の十代の頃は、学校でも喧嘩が強い人が皆んなから尊敬されたし、喧嘩が強い人がカッコ良かったし、喧嘩が強い人が女の子にもモテました。その事もあり、喧嘩が強い。それが私の中での価値観で1番の物となりました。その頃の私は「喧嘩なら誰にも絶対に負けない!」くらいの自信を持っていました。そんな時にテレビで極真空手の第4回世界大会を見ました。それを見た瞬間の衝撃は一生忘れられません。人種も身長も体重も関係なく真白な道着を着て殴り合い蹴り合う姿、そして壮絶な中にある華麗な技、試合が終われば勝敗に拘らず、勝っても負けても、お互いを称え合い、凛とした姿で颯爽と試合場を降りる選手の姿、そしてそれを賞賛する観客の拍手や歓声。私はこんな世界があるんだ!これをやって見たい!そして世界一喧嘩が強い男になりたい!そう思って極真空手を始めました。そう思って始めた極真空手だったので十代二十代の頃は、世界一喧嘩が強い男になれるのならば、家も車もいらないと思って稽古に打ち込んで来ました。空手以外は自分のやりたい事を全て犠牲にして来ました。本当に本当に自分の人生のあらゆる物を犠牲にして極真空手に自分の人生を賭けて来ました。福島にいれば仲間達が沢山いて自分が王様のようにしていられたし、父の会社を継げばお金に困る事もなく生活出来たと思います。それを全て捨てて東京に来ました。特に20代の頃は苦しかったです。同じ年代の人達が働くようになり、給料も20万ぐらいはもらうようになった時に、自分は5万〜7万で生活していました。皆んなが結婚していく中で、自分はお金もないし、結婚などしたら空手が出来なくなると結婚する事などできませんでした。世界一喧嘩が強い男になれるのならば何もいらない!本当にそう思っていました。だからその頃、一緒に稽古をした先輩や後輩と会ってお酒を飲むと話は一晩中尽きません。この前も鈴木支部長と昔一緒に稽古をした先輩と一緒に飲みましたが、本当にいくら話しても話は尽きませんでした。本当に楽しかったです。まさしく梁山泊のようなカッコイイ男達が割拠して集まり群がっていました。他の格闘技をやっていたとか、何々県チャンピオンだとか、地元で番長だった、なんて男が全国から集まって来ていました。そんな中でしのぎを削って皆んなで切磋琢磨して行くのだから、そりゃあチャンピオンも生まれます。本当に毎日が戦いで、毎日が事件で、毎日がお祭りで修学旅行的な感じでした。それが私の極真空手でした。こんな事言ったら人に笑われるかもしれませんが、これからも世界一喧嘩が強い男になりたい!その夢を追いかけて行きたいと思います。
先週の月曜日にギックリ腰になり、とにかく出来る事を最大限に頑張ろうという事で、鍼治療と入浴と食事制限を行いました。自然治癒では時間がかかり過ぎるので、3日に1度は鍼治療に行き、毎日銭湯に行き1時間の入浴をし、朝と夜の食事制限をし、それ以外はプロテインをしっかりと摂るようにしました。身体が快復して来てからは、自分の体と相談し出来る範囲内で、ストレッチと有酸素運動をするようにしました。体重が7キロ落ちてスッキリとしました。やはり体重を上げすぎると身体に歪みが出でしまうようです。自分の骨格を超えた筋肉と脂肪がついてしまうと、骨格にかかる重みやバランスが崩れ、身体の動きにも制限が出て来てしまい、骨格を歪めてしまう事が良く分かりました。今後はそれを気を付けながら稽古やトレーニングに励んで行きたいと思います。自分の身体はその時、その時で変わっていくので、常に自分の身体を見直しながら稽古していかなくてはならないと痛切に思いました。
極真会館第1回全日本空手道選手権大会のチャンピオン山崎照朝先生の半生が描かれている「力石徹のモデルになった男」を読みました。極真会館のルーツを知る事が出来る本当に良い作品でした。私は大山倍達総裁の本や極真空手の諸先輩方が出版された著者は全て読み尽くしています。その中には自分の人生を変えてくれた著者が沢山ありました。でも正直、この10年間ぐらいに出された極真空手関連の著者は、暴露的な内容であったり、誰かに対する批判であったりして、正直うんざりしていました。なので久しぶりに極真空手の良さが描かれていてとても良い作品でした。そしてその偉大な大山倍達総裁や諸先輩方から繋がっている極真空手に自分が携われている事を誇りに思いました。道場生の皆さんにも是非読んで欲しい作品です。
村上春樹の短編集「一人称単数」を読み終わりました。8話からなる短編集なのですが、私が面白かった順番は「ウィズ・ザ・ビートルズ」「石のまくらに」「チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ」「クリーム」「謝肉祭」「品川猿の告白」「ヤクルト・スワローズ詩集」「一人称単数」でした。まさかの本の題名になるお話が最下位でした。特に「ウィズ・ザ・ビートルズ」がとても好きになりました。映画になったら面白いかな?とも思いました。頭の中でこの役は誰で、みたいな事を勝手に少し考えて見ました。でもその私の中の映画の配役は100%無理です。何故なら高校生の頃の主人公達の役に使う配役は、もう今は歳をとってしまった役者の若い頃だったりするからです。それを考え自分も歳をとってしまった事を実感しました。
2020年の9月が始まりました。8月はお盆休みを返上し道場を運営したりと本当に頑張ったのですが、最後にギックリ腰になってしまったので、そこに悔いが残りました。今日は9月1日なので道場の神棚の榊、米、塩、酒、水を変え、手を合わせて大山倍達座右の銘11箇条を唱和して、近くの鷲神社を参拝しました。9月をとても良いスタート形でスタート出来たと思います。
kanno
|