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膝が悪くなった事も新たな気付きを得るキッカケになっています。毎日、三戦と鉄騎の型をやっています。私は三戦も鉄騎も何種類かやり方を知っているので、いろいろなやり方でやっています。何回も型を行う事で、型の中に隠されている意味を考えたり、自分の中にある感覚を確かめたりしています。いろんな先生の考え方ややり方を試しながら型をやっています。その全ての中に正解のヒントが隠されています。それを探りながら自分の正解を探して稽古しています。まだまだというか全然というか、正解がさっぱり分かりません。いつか自分の正解を見つけられる日が来るのだろうか?それは分かりませんが、とにかく稽古に励んでいます。
空手道には、身体のどごが悪かろうと出来る稽古はたくさんあります。そして稽古は本当に楽しい。この歳になり空手道に無限の可能性を感じています。歳をとり出来ない事が増えても、歳をとり出来る事が増えて来るのがとても楽しいです。この感動をたくさんの人に伝えて行きたいと思います。歳をとればとるほど出来る事が増えていくなんて素晴らしいと思います。
膝がいよいよかなという感じです。この4〜5年は鍼治療などをして治してきましたが、今回は治る兆しがないので、しっかりと専門的な病院で検査をする事にしました。どうなるかはまだ分かりませんし、良くなるのかも分かりませんが、出来る稽古はたくさんあるので、それをしっかりとやって行きたいと思います。
「菅野日記」を開いたらアカウントが250000になっていました。2003年の12月からこの「菅野日記」を始めたので、この日記を始めて約17年という事になります。何はともあれ人の目に入るものを書いているので、人が見て不快になったりネガティヴになるような事は書かないように気を付けて来たつもりです。書き始めた頃の私は30歳でしたが、私も今ではもう47歳です。その17年の間にはいろんな事がありました。選手としての引退、結婚、長男と次男の誕生、その時々の事をこの日記を読んで自分でいろいろ思い出したりもします。これからも頑張って書き続けたいと思います。毎日、何か書きたい事が生まれるよう頑張って活動したいと思います。
クリストファー・ノーラン監督の「TENET」を2回観ました。1回目を観ても全然理解不可能でした。パンフレットの解説を読み、もう一度観て、やっと少し理解できましたが、まだまだ分からない事ばかりです。こうなったらもう一度観に行こうと思います。時間の順行と逆行。そして順行と逆行の挟み討ち作戦。んー理解力の弱い私には難解です。
「鬼滅の刃・無限列車」を2回観に行きました。2回目は流石に泣かないかと思いきや1回目同様、まさかの号泣をしてしまいました。たぶん3回観ても泣いてしまうと思います。長男も2回目を観て泣いていました。こうなったらDVDが発売したら、即購入して何回観たら泣くのを我慢できるか?やってみようかなと思います。鬼滅の刃を見るキッカケはフィットネスクラスの参加者のお勧めがあったからだったので、その方には本当に感謝です。本当に良い作品に出会えました。この作品を10代の頃に読みたかったなと少し思います。
昨日、日本人初の無差別女子世界チャンピオンの永吉美優選手の優勝祝賀パーティーに参列して来ました。とても良いパーティーでした。永吉選手のスピーチで「私は、今までは、自分の夢を叶えるため、自分本位に自分の事だけを考え、夢を追いかけて来ました。いろんな人の協力があり夢を叶える事が出来ました。これからは自分が人の為になる活動をして道場や極真会館に貢献して行きたい。」と言っていました。本当に素晴らしい人だなと思いました。私もあんなスピーチが出来るような選手を育成したいと思います。
宮城長順先生が剛柔流起こされる時に「武備誌」の拳法八句にある「法剛柔呑吐」から流派名をつけられたことは有名です。拳法八句とは「人心同天地」「血脈以日月」「法剛柔呑吐」「身随時應変」「天逢空則入」「碼進退離逢」「眼要視四方」「耳能聴八達」の八句の事です。最初の三句は心の教え、残る五句は技体の教えだという事です。全ては心技体の一致を説くものだと言われています。この拳法八句の意味を意識しながら型の稽古を行うようにしています。
夜に自転車で帰宅する途中、前から自転車で来た人が、私の前で止まり「先生、お久しぶりです」と言われました。暗い事もあり、私はすぐには誰かわかりませんでしたが、よく見ると5年前ほど前に空手をやめてしまった道場生でした。私は人の顔を忘れない方だと思うのですが、何故その道場生がすぐ分からなかったというと、その道場生は小学生の時に道場を退会していたのですが、今はもう16歳の高校生になっていました。私の中ではその時の印象が強いのでなかなか思い出す事が出来なかったのです。私の道場にいた頃は可愛い顔をしていたその道場生もすっかり大人になり、キリッとした良い顔になっていました。しっかりとした挨拶をしてくれたのと、今でも小さい頃からやっていた野球を続けていると聞き、とても嬉しくなりました。久しぶりに昔の道場生と会い、その道場生が良い成長をしていると、その子の成長に関わった一人の大人としてとても嬉しいものです。
腰が治ったと思ったら、今度は膝を悪くしてしまいました。おまけに首まで悪くなり、悪いところがあちらこちらに出て来てしまいました。でも出来る稽古はたくさんあるので、それをしっかりやっています。私ももうすぐ50歳ですから、身体と相談しながら稽古して行きたいと思います。
空手道の稽古をする時間は、自分の命と向き合う時間にもなります。なので空手の稽古と言うのは動禅の時間です。でもそれはみんなで行う稽古ではなく、自分一人で、自分と向き合いながら行う稽古の時間です。自分と向き合う事で自分の命と向き合います。それを行っていなければ、いざ自分の命をかけて戦わなければ行けない時に十分に力を発揮する事が出来ないと思います。
自分がどう生きて行きたいか?自分がどう生きて行くか?それを真剣に考えて決断し行動したのは、1番最初は20歳で東京に出てくる時、2番目は23歳で指導員となり内弟子になった時、3番目は29歳で大森道場を開設した時、4番目はそのすぐあと自分の先生が極真会館を離脱する時に自分は極真会館に残ると決めた時です。今その時々を思い出して見て、自分もなかなか頑張ったなと思います。そして極真会館の方々を含めたくさんの方々にお世話になったなと思います。私というたった1人の人生に、どれだけの人が関わって頂いてお世話になったか?分かりません。本当に感謝しています。
「薫習」という言葉があります。お香を扱っている人はお香の匂いがし、木を扱っている人は木の匂いがします。それは、いつもそれに接しているからで、それを「薫習」というのだそうです。自分がいつもしている行いや、自分がいつも思っている事や、自分がいつも考えている事や、自分の生きる姿勢などが、その人に薫習され、いつとはなしにその人に染み込んで、それがその人そのものになっていきます。そして、それがその人の匂いになっていきます。私も薫習がするような人間になりたいと思っています。空手の道着を着ていなくても、空手の技を出していなくても、自分の生き方や立ち振る舞いから空手の匂いが出るような人間になりたいと思っています。そして私が出すその匂いで、自分の周りに居る人にも良い影響を与えられるような人間になりたいと思っています。私自身、どこまで行けるか?分かりません。でも生きている限りそれを追い続けて行きたいと思います。生きている限り稽古し続けて、昨日よりは上手くなり、今日よりは上手くなって、さらに一歩、さらに一歩と進んで階段を登って行きたいと思っています。
「鬼滅の刃・無限列車編」を観に行きました。私も長男も号泣でした。帰宅して妻に「秀行は本当に純粋で熱いんだね!だから内容が分かっているのにあれだけ泣けれるんだろうね!」と言われたので、私は「イヤ!あれで泣けなかったら、いったい何で泣けるのだろう?」と返すと、妻は私がかなり早い時点で号泣している事で冷静になってしまったそうです。ちなみに私が号泣したポイントは炭治郎が自分の見ている夢を断ち切って現実に進む所でした。あとはもう勿論、煉獄杏寿郎の所です。人生が良かったかか?が分かるのは、人生の最後に笑っているか?だと思いました。
私は空手道が誰よりも好きだと言う自負があります。それだけは絶対に負けないと思います。だって私は32年間も一心不乱にこの空手道に邁進してきたのですから、今でも毎日、謙虚な気持ちで空手道の稽古に邁進しているのですから、そして自分がこの世から居なくなる瞬間まで、それは続いて行くと思います。
これは私がいろいろな人の人生を見たり聞いたり、本で読んだりして感じた事です。人は自分の為だけに何かを一生懸命遺そうとした事は、結局は自分が居なくなった世の中では、いつか全てを失う事になり、自分が生きた証を残す事も出来ない。ですが、人が自分の為でだけではなく誰かの為に一生懸命に何かを遺そうとした時には、世の中に自分が生きた存在とその意義を遺す事が出来る。そう思いました。私も自分の生きた意義をこの世の中に遺せるよう頑張りたいと思います。
空手道をやっていて良かったと思う事がたくさんあります。先ずはとても健康です。空手道をやっているから身体に気を使い、良い生活習慣が身に付き、良い食生活が身に付いたと思います。そして空手道を学ぶ上でいろいろな柔軟体操や基本稽古や移動稽古や型稽古をしているおかげで、咄嗟な時に機転を効かせて自分の身体を動かす事が出来ます。なので大きな怪我をする事がありません。こんな経験はたくさんあります。バイクが突っ込んできたのをサッとかわす事が出来たり、躓いて転んだ瞬間に回転して受け身を取り怪我をしなかった事もあります。危ないっ!そう思った瞬間には、勝手に身体が動いていて自分を守る適切な行動をしたという感じです。たぶんそういう点では同じ47歳の人よりも反射神経も機敏に動く事も柔軟に動く事もかなり長けていると思います。
やっぱり子供の気持ちは母親の方が良く分かっているなと思う事がありました。長男は少し前に自分から組手競技クラスの稽古に参加するようになりました。それにつられ次男も参加するようになりました。長男も次男も組手競技クラスが楽しいと言っているそうです。私はせっかく電車に乗って稽古に来るのだから中級から2クラス稽古した方が良いと思い、それを長男と次男に少し強制するように言いました。長男も次男もその場では「押忍」と了承しましたが、妻には「中級クラスから稽古に行かなくてはならないのなら、もう組手競技クラスに行くのも嫌だ」と言っていたそうです。妻には「2人とも空手に行って、稽古が楽しかったと言って帰って来るのだから、それ以上は強制しない方が良いんじゃない?あまり強制するとせっかくヤル気が出たのに嫌になってしまうかも」と言われました。確かに考えてみれば、私にも子供の頃に同じような経験がありました。それを思い出し、考えを改めました。これからも同じような事があるかもしれません。その時にはやはり妻の意見をよく聴いて判断したいと思います。
何度もこの菅野日記にも書いていますが、私は第四回全世界空手道選手権大会をテレビで観戦し極真空手を知りました。その時の世界チャンピオンが松井章奎館長でした。松井館長とマイケル・トンプソン選手の準決勝と松井館長とアンディ・フグ選手の決勝戦はもっとも印象に残っている試合でしたし、初めて買ったビデオは第17回全日本空手道選手権大会でその時の全日本チャンピオンも松井館長でした。初めて買った本も松井館長の本でした。私が19歳の時に私の所属していた福島県北支部と松井館長の浅草道場が合同で合宿をし、そこで一緒に稽古させて頂くことが出来ました。その時、私は松井館長に体育館の端に呼ばれ叱られました。私はその時はまだ若く組手を喧嘩の延長線上にある物だと言う考えで行っていました。その時に私の組手を行う態度と相手にしっかりと挨拶をしていなかった事を叱られました。その時の松井館長はとても怖かったです。自分の生徒ではないので言葉で叱られるに留まりましたが、自分の生徒だったらそれではすまなかったと思います。あの時の松井館長は私が道場を出した時と同じ29歳でしたが、凄く貫禄があり凄く大人に見えました。そのあと25歳の頃、松井館長と同じ席で食事をする機会があり、同じ25歳で千葉県大会で優勝した時に松井館長から表彰状を頂き声をかけて頂きました。その後は29歳の時に松井館長に支部長にして頂き、私の結婚式では主賓をして頂きました。今は演武のプロジェクトチームとして週1回稽古をつけて頂き、また技術委員会として松井館長のもと極真会館の型の改定に取り組ませて頂いています。ふと不思議な気持ちになりました。テレビで観た松井館長の元で、極真会館の型技術の改定に携わっているとあの時の自分が知ったらどれほど驚くか?分かりません。松井館長もまさかあの合宿で叱った半分不良の兄ちゃんがと思われると思います。本当に未来は分からないものです。自分の努力次第で自分の未来は開かれて行きます。これからも未来に向かって精進していきます。
私も新型コロナウィルスの副産物として生まれたとも言える。オンラインで何かを行う事を経験しました。1回目はオンラインの技術講習会で配信する側だったので機械的なシステムを使う事はありませんでしたが、2回目はオンラインの全国支部長会議と技術委員会でしたのでタブレットの前に座り支部長スーツを着てオンライン会議に出席する形となりました。私が仕事としている空手の指導はとてもとてもアナログな物なのですが、組織的な行事でオンラインで何かを行う事は、これからたくさんあると思います。とても便利ではありますが、新しい事を覚えなくてはいけなかったり、うまくシステムを利用出来なかったりと、煩わしさは多々あります。でもこの世の中の変化に対応出来ないようでは、生き残る事は出来ないので、システムをしっかり活用出来るよう勉強したいと思います。
今日は家族で東京ドームシティで行われている「特撮のDNA展ウルトラマン」を見に行きました。子供達より私の方が楽しんでいる感じでした。そのあと東京ドームシティアトラクションズで遊びました。次男はブンブンビーと言う小さい子供用の乗り物でビビってしまってしまいあまり乗り物に乗ろうとしませんでした。長男は乗り物に結構強く「スーパーバイキング・ソラブネ」に2回乗りました。次男は速いとか高いとかの乗り物を嫌がり妻と長男と「ビックオー」と言う観覧車に乗っていました。乗り物に自信を付けた長男は東京ドームシティアトラクションズで1番怖い乗り物である「サンダードルフィン」に私と2人で乗りました。ジェットコースターが1番高い地点に登って行く時に長男は「こんなので怖がってたら自衛隊員にはなれないよね!自衛隊員の訓練だと思えば、どうって事ない!」などと余裕で話をしていました。そしてジェットコースターが急降下して登って降りてしている時に長男がやけに静かなので、長男を見ると目を閉じで脱力しているので、長男を叩いて話しかけるのですがいまいち反応がないので、私は長男に何度か話しかけながら、ジェットコースターに乗っていました。ジェットコースターの終わりの方でやっと長男は「これで終わりだよね」と私に話しかけてきました。ジェットコースターを降りてから長男と話したら、長男は途中まで記憶がないと言っていました。どうやら怖さのあまり失神したようです。少し休憩しようという事で、その辺のお店でいろんなものを買って食べたりしました。そのあとスカイフラワーに乗りました。私と長男と次男の総重量が165キロを超えているため3人で乗れず、長男は1人で、私は次男と乗りました。長男はやはり乗り物に強く1番高い所でも私に手を振っていました。この時はもう空が暗かったので、夜景がとても綺麗でした。次男は怖いせいか私にガッチリ捕まって顔を伏せていました。長男と次男はそのあとレーザーミッションを6回ぐらい続けてやってから、長男と次男でキッズハッカーという小さい子供用の乗り物に5回ぐらい乗っていました。ビビリのくせに「こんなの全然怖くねーやー」と言って調子に乗っている次男の姿がとても面白かったです。結局18時30分過ぎまで遊びました。
私の人生は、自分で言うのはなんだけど、なかなか大変なものでした。いろいろな人に支えられ、いろいろな人に助けていただき、今の人生があります。一つ間違えばどうなっていた事やらです。今ここにこうしている事は奇跡に近いかもしれません。だからもう一度人生をやり直せたらとは思いません。ハッキリ言って、もう一度人生をやり直してここに来れる自信がありません。私の人生は奇跡の連続でしたが、その中でも大きな奇跡とも言える出来事が2回起きました。それは極真空手に出会った事と妻に出会った事です。その出会いがなければ私の今の幸せはありません。だから極真空手と妻だけは命をかけて大切にしたいと思います。
今日は本当に本当に嬉しい事がありました。情熱を持って、何かを一生懸命に頑張れば必ず報われる事があると思います。その途中には、辛い事もあり、失敗する事もあり、挫折する事もあります。でも諦めずに何度も立ち上がって夢に向かって一歩ずつ歩いて行けば必ず報われる事があると思います。でも先ずは挑戦する事が大切だと思います。挑戦する時には、今まで自分が作り上げた物をぶっ壊して、裸一貫で挑戦する心構えが大切だと思います。何歳になっても、それを出来る人は新しい物を構築し、新しい自分を作る事が出来ると思います。今日、私は今までの自分の努力が報われる出来事がありました。これからも失敗を恐れず挑戦し続けて行きたいと思います。
空手の指導というものは、ある意味で言えば、道場生の前で演武を披露しているようなものだと思います。そう考えると毎日が演武という事になります。だから指導には万全な状態で臨まなければならないと思っています。私は少年部の稽古も一般部の稽古も生徒達と一緒に柔軟体操と基本稽古を行います。万全な状態で自分の身体の使い方を動きを技を見せたいと思って指導しています。一般部の稽古は道場生と一緒に稽古するつもりで臨んでいますし、稽古のメニューも組手まで全て道場生と一緒に行います。だから私は、その日の1番最初の指導の前に必ず柔軟体操を行い、しっかり身体が動く状態で指導に入るようにしています。そして常に自分自身の自主稽古をしていますし、常に新しい事を自分の中に入れるように空手の本を読んだりしています。私は空手道を生業にしています。だから私は空手道に命を懸けて取り組まなければならないと思っています。そして次の世代にこの道場も技術も理論も意志も魂も引き継がせなくてはならないと思っています。人間一人の人生で何かを極めるには、人間の人生は短すぎます。でも、空手道が今まで繋がって来たように、次の世代に引き継いでいったのならば、素晴らしいものを生み出す事が出来ます。毎日、それを忘れず指導にあたりたいと思います。
本日、大森道場に縦1.7m、横3.6mの鏡を設置しました。道場生のためにも鏡を設置したいと予てから思っていたのですが、道場生の皆さん、ご父兄様のおかげで、やっと念願が叶い鏡を設置する事が出来ました。道場生の皆さんには、鏡を見て型を稽古したり、基本稽古のフォームを研究したりと、大いに鏡を活用して稽古に励んで欲しいと思います。
空手道の稽古は人生の修行です。道場の中に入れば私は先生とか師範とか言われます。空手道の事で言えば、私は道場生よりも前にいる訳だけですが、一般道場生の中には、この大きな社会の中で言えば、私より優れた部分を持っている方もたくさんいます。子供達で言えば私をいつか追い抜き、空手家としての実績だけではなく、知識も理論も技術も私を凌駕する生徒が出てくると思います。そういう道場生に、それでもこの先生には優れたところがある、一緒に稽古していて気付きがあり勉強になる、この先生のもとで空手道を学びたい、そう思われる人間で居られるよう、私は常に日々修行に励まなければいけないと思います。歳を重ね身体が動かなくなってくるからこそ、自分に厳しく修行して自分の精神を作っていかなくてはならないと思います。自分の生き方は、自分の顔や身体や姿形や話し方や立ち振る舞いにでます。誤魔化すことは出来ません。だから私も生徒達と一緒になって日々修行に励まなければならないのです。
少し自分が崩れていました。少しずつ緩やかに自分に対してルーズになっていました。少しずつ緩やかに自分の生活もルーズになっていました。今日はそんな自分に本当に嫌気がさしました。せっかくコロナの事にも負けず頑張って来たのに、ここで崩れては2020年を頑張ったと胸を張って言えなくなってしまいます。ヨシッ!今から頑張ろうと思います!残りの3ヶ月を悔いのないよう頑張ります。そしていつか今を振り返った時に、あの時は本当に頑張ったと胸を張って言えるようにしたいと思います。
長男に「男たちの大和」を観せました。少し前には「はだしのゲン」を観せました。長男は自衛隊員になりたいと言っているので、今までの戦争の歴史を知ってもらいたいと思い、いろいろ観せています。日本軍が広島の大久野島にガス研究所を持っていて、戦争で毒ガスを使用したこと、広島長崎に原爆が投下されたこと、戦争で世の中がどうなったのか?今でも戦争をしている国があること、など長男と話しています。長男が本当に自衛隊員になるか?は分かりませんが、どちらにしても戦争があった事は知っておいて欲しいと思います。そしてその歴史の上に自分達の命や人生があることを知っておいて欲しいと思います。長男も大人になり、これからいろいろな知識を付けていくと思います。その基礎となるものだけは親として教えておきたいと思います。
長男と次男の学校の運動会でした。仕事柄子供達の運動会を見るのは2年ぶりとなりました。2人ともダンスと駆けっこをやりました。駆けっこは2人とも2位でした。ダンスの時に次男は私と目があうとニコニコとしていました。ニコニコしながら踊る次男をとても可愛いなと思いました。長男はとてもカッコ良くエイサーを踊っていました。2人とも健康に育ってくれている事に感謝していますし、とても嬉しく思います。2人は私にとってとても特別な存在です。何が出来たとしても何が出来なかったとしても特別な存在です。それは変わる事はありません。新型コロナウィルスで大変ななか運動会を行って頂いた学校の先生方には心から感謝しております。
長男と次男は2人で電車に乗って大森道場に来て、稽古が終わったらまた電車に乗って帰って行きます。長男はなかなかしっかりしています。長男がスイカで改札を通った時に、次男のスイカはお金が足りなくて改札から入れなかったそうですが、駅員さんに事情を話して、次男のスイカにチャージしてあげたそうです。また次男がお腹が減った時には、スイカでおにぎりを買ってあげて食べさせてあげているそうです。その話を聴いてとても嬉しくなりました。こうやって2人で仲良くしている時間をいつまでも大切にして欲しいと思います。
長男は、なかなか凄い奴だと思います。長男は自分の持ち物に名前を書く時に「いだいなる菅野琥白」と書いています。長男は何をやってもダメな子で、家では妻に、道場では私に、学校では先生に叱られてばかりいる子です。普通はそんなんだったら自分に自信が無くなって行きそうですが、何故か根拠のない自信を持っています。でもそれって大切な事だと思います。私も妻も長男の根拠のない自信を育ててあげるような教育をしたいと思います。
kanno
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