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2019年令和元年が終わります。休み中も柔軟体操、ウエイトトレーニング、エアロバイク、基本稽古、型稽古などのその日に決めた事を約3時間ほど行っています。特に柔軟体操は毎日行っています。毎日、柔軟体操をしないと怪我をしてしまいますし、身体のコンディションを良く保つ事が出来ません。今日も極真空手を学んできた中での思い出を語ろうと思います。城南支部ではと言うか、極真会館では、後輩と食事に行ったら先輩が払ってあげる、もしくは多くお金を出すと言うのが伝統です。私も若い頃は先輩方のお世話になりました。良くご馳走していただいたのは、石澤先輩、笹岡先輩、数見先輩、竹石先輩でした。お金がない時などはとても助けて頂きました。そして先輩にしてもらった事は後輩に返す事が、先輩への恩返しだと教えられました。私もそれだけは守っています。私は23歳で黒帯になり指導員になりました。給料も5〜7万でしたので、とても貧乏でしたが、年上の人やサラリーマンの人や会社の社長であろうと相手が後輩なら自分がお金を出していました。それが先輩としての責任と義務だと思い頑張りました。社会的には生徒や後輩の方が偉い人もたくさんいましたし、当時の私よりみんなお金を持っていましたが、道場では自分の方が先輩だと言う教えと意地だけはしっかり通していました。このような伝統もこの社会に残して行きたいと思います。
城南支部では毎月最後の金曜日には蒲田道場で必ず飲み会がありました。道場で飲んだ後にカラオケに行き、梅屋敷駅の近くの居酒屋で朝まで飲むというパターンが多かったと思います。城南支部は先輩と後輩の礼儀はしっかりしていましたが、先輩と後輩が仲良く稽古したり飲みに行ったり出来る環境でした。支部の成り立ちとして、朝練に参加する選手と夜の帯研に参加する選手とその道場の一般稽古に参加する一般の道場生という感じで別れていました。朝練に参加する選手は内弟子が多かったので夜は指導に入っていました。また夜の帯研に参加する選手も各道場の指導に入っている人が多かったです。それとは別に各選手が後輩とチームを作って自主トレをしたり食事をしたりして後輩の面倒を見て、後輩を自然に育てて行くという伝統がありました。そして自分達で稽古して作った動きが間違っていないか?的が外れていないか?などを見て貰い軌道修正する役が廣重師範だったように思います。なので廣重師範の指導は本当に空手らしい稽古でした。身体の使い方、運足、腰の位置、呼吸、姿勢、意識、そんな所を1番注意されたように思います。
城南支部に移籍してから、しばらくの間、月・水・金は数見先輩が指導をする5時〜6時30分の部で稽古し稽古終了後は数見先輩と自主トレをし、火・土は帯研という感じでした。その後、川原先輩に声をかけて頂き、5時〜6時30分は川原先輩をリーダーに塚本先輩、鈴木先輩、重盛先輩、志田さん、と稽古をし、7時〜8時30分の稽古に出るようになりました。川原先輩チームの稽古は、顔面有のスパーリングをし極真ルールのスパーリングをしミットなどを行いました。私の組手の原型は川原先輩との稽古から作られたと言っても過言ではありません。川原先輩からステップワークやパンチの打ち方やコンビネーションや技の使い方やカウンターの取り方などを習いました。そして1番はいろいろな稽古方法を習いました。一緒に稽古していた川原先輩と塚本先輩が第26回全日本大会で入賞した事もその後、私も本気で頑張ろうと思うキッカケとなりました。川原先輩との稽古のおかげで私は城南支部の新人の登竜門となる茶帯のトーナメントの重量級で2回優勝する事が出来ました。分裂後、川原先輩は現在の新極真会に行く事になり、私は極真会館に行く事になったので川原先輩と一緒に稽古する事は出来なくなりました。川原先輩は後にボクシングでもミドル級で全日本新人王になり日本タイトル戦に挑戦しました。川原先輩の身長は私と同じ172センチですから、リーチが命となるボクシングのミドル級で全日本新人王になったのは凄い事だと思います。川原先輩のパンチはとても強かったです。川原先輩の左フックで私は肋骨を3本折られました。現在はお互い違う組織にいますが、私にとってはいつまでも大切な先輩です。
私は茶帯の頃、かなり先輩方に可愛がって頂きました。特に可愛がって頂いた先輩は、川原先輩でした。食事などいろんな席に連れて行って頂きました。まだ極真会館が分裂する前でしたので、その川原先輩を通して緑先輩にも何度か食事に連れて行って頂きました。私はそのような場でよく先輩方のリクエストで物真似をしました。特に大山倍達総裁の物真似をしました。それが出来る事でたくさんの師範や先輩方に名前を覚えて頂き可愛がって頂きました。やっぱり芸は身を助けるは本当だと思います。自分をアピールする芸を持っている人は目上の人に重宝され、後輩にも慕われます。そして恥ずかしがらずに馬鹿になれる人はとても可愛がられます。昔は城南支部の忘年会では全日本に出場した選手は必ず歌を歌っていました。廣重師範も「月光仮面」を歌っていました。とても良い思い出です。もう1つ思い出した事を書いておきます。私が初めて東京城南支部の蒲田道場に見学に行った時の事です。その時は川原先輩が指導をされていました。とても理論的で言葉遣いも丁寧で分かりやすい指導だなと思いました。そして川原先輩が入門の受付をしてくれました。その時、数見先輩が自主トレをしていてサンドバックを蹴っていました。凄い蹴りだなと思いました。私は入門してからは川原先輩と数見先輩と1番一緒に稽古させて頂きました。川原先輩と数見先輩には稽古だけではなく、いろいろと可愛がっていだきました。
この休みの間は、自分が今まで極真空手を学んできた中での思い出を思い出した順に徒然と書いて行きたいと思います。先ずは廣重師範との思い出です。道場の上の階に寮があり、私は当時その寮に住んでいました。その寮で廣重師範が料理をし、私はそのお手伝いをしという感じで、廣重師範と2人で料理をさせて頂いた事がありました。廣重師範はとても几帳面な方だったのと、私はとても雑な人間だったので稽古の時以上にいろいろ叱られながら料理のお手伝いをさせて頂きました。その時、廣重師範に言われた事で1番記憶に残っている事は「包丁は横に使うな」でした。簡単に説明するとしっかり縦に切りなさいと言う感じです。切れなかった最後の部分を包丁を横にずらして切り裂くみたいな事をするなと言う事です。作った料理は白子の鍋とキャベツを茹でて一枚づつにして、そのキャベツの葉にご飯と具を乗せて巻いて食べると言うものでした。その具はシーチキンにニンニクと唐辛子と胡麻油を混ぜて作ったと思います。廣重師範との料理は稽古より叱られるのと、その叱られる事から空手の話にまで行き、だからお前は空手でもこうなのだとなるので、とても辛く厳しかったので、廣重師範に料理をするぞと言われると、とても恐怖を感じました。私は廣重師範との料理の時間を自分の中で、地獄料理教室と呼んでいました。でもあの地獄料理教室の中で一事が万事だという事や普段の生活の中にも稽古と通ずる事がある事を学びました。今となってはとても貴重な体験です。もう1つ思い付いたので書いておきます。それは第7回世界大会で決勝でフランシスコ・フィリョ師範に敗れ準優勝となった数見先輩が試合後に、はじめて私と顔を合わせた時に「菅野、今日までいろいろとありがとう」と言った言葉でした。その時の数見先輩は、控え室から出てきて顔面蒼白で涙を流しただろう感じの目でした。自分のせいで日本の王座が奪われたと言う気持で顔面蒼白で控え室に入る数見先輩を私はどう声をかけて良いかわからず控え室に入る事も出来ませんでした。ですが私達後輩は数見先輩の事がとても気になり控え室の前でウロウロとしていました。その時に数見先輩が控え室から出て来て、私達後輩の名前を一人一人読んでお礼の言葉を言いました。そして数見先輩は表彰式では毅然とした姿で不動立ち(自然体)で立っていました。私はその時に負けた時にこそ、その人間の真価が問われるのだと思いました。だから私が身近で見させて頂いた中での最強の極真空手家は数見先輩です。そして私が育成したい極真空手家像も数見先輩です。
空手を学ぶ上で、大切な事はたくさんありますが私が1番重要だと思っている事は、技を出す時や動く時に呼吸と動作を合わせる事です。呼吸と動作を1つにして技を出す事です。息を吸うこと吐くことの中から、脱力する事や全身の力を一点に集中させ爆発させる事を学びます。それを学ぶことの中に、のがれの呼吸であったり息吹であったりするのですが、1番は気合いです。技を出す時に気合いを出す事がとても大切です。空手の奥義は気合いにあると言っても過言はないと私は思います。一生懸命に稽古をしたら思いっきり技を出したら自然と気合いは出ると思います。黒帯になろうとそれを忘れてはいけないと思います。
今年1年の最後に腰や膝を痛めたら困るので、朝は今年最後の鍼治療に行きました。体重を落としてから腰も膝もだいぶ状態が良いので、このコンディションを崩さず来年も頑張りたいと思います。午後は長男と次男と川崎のTOHOシネマズにSTARWARSを観に行きました。子供と一緒なので吹き替え版を見たのですが、吹き替えの方が内容がサラッと頭に入って来るという利点があると思いました。私は理解力が弱いので二回観て気付いた事や理解出来た事がたくさんありとても楽しく見る事が出来ました。夜はみんなでクリスマスの食事をしました。サンタさんからのプレゼントは長男はガスマスクで次男はウルトラマンタイガの剣でした。2人がサンタさんからのプレゼントを見つけ「やったー!」と言った声で私はクリスマスの朝目を覚ましました。とても良いクリスマスを過ごす事が出来ました。
今年最後の指導を終えてから型の稽古を1時間、ウエイトトレーニング40分、エアロバイクを1時間行いました。夜は長男の誕生日のお祝いをお台場のフライデーズで行いました。誕生日プレゼントはルパン三世の銃のワルサーP38でした。長男が生まれて9年、いろんな事がありました。東日本大震災が起き、原子力発電所が爆発し、妻と長男はその日に福島から山梨に避難をし、私が山梨に迎えに行った事、長男が初めて熱を出し夜間診療に2回行った事など、いろんな事がありましたが、今はその全てが良い思い出です。長男はなかなか変わった子なので、これからもたくさんいろんな事があるだろうと思いますが、健康に育ってくれたらと思います。
朝の稽古を行い、午後のトレーニングもしました。体重は83.4キロになりました。体調は凄く良いです。休み中もこのコンディションを落とさないように稽古したいと思います。昨日は千本突き千本蹴りをやりましたが筋肉痛にもなっていなかったので自信が付きました。明日の朝のフィットネスクラスの指導で1年の道場の活動が全て終わります。
道場のクリスマス会と稽古納めでした。クリスマス会では子供達の稽古の時とは違う一面を見る事が出来たり、こんな特技を持っていたのか?とか、意外に度胸があるな?という驚きがあったりします。大地はいつも思うのですが、物怖じせずに人前で面白い事をするので、人に好かれるだろうと思います。大楽のけん玉の技術には驚きました。あんなスピードであんな精密な事をやるのだから、空手にも生きると思います。人前で何かをやる経験はとても大切です。自分をアピールする能力やプレゼンテーションする能力は自分の才能や持っている技術を何倍にも膨らませて自分を世に立たせてくれます。稽古納めの千本突き千本蹴りでは、愛琉と昊晴と駿斗と蕗生が素晴らしかったです。伶音、陽生、大楽、侑正、翼も頑張っていました。特に愛琉は千本蹴りを全て顔の高さを蹴っていました。昊晴もほぼ全て顔の高さを蹴っていました。なかなか千本顔の高さを蹴れる人はいません。心技体ともに素晴らしいと思います。私ももちろん40歳ぐらいまでは顔の高さで千本蹴る事が出来ました。今年は帯上ぐらいの高さになってしまったので来年は心技体鍛え直したいと思います。松井館長は10代の頃、毎日二重跳び千回、千本突き千本蹴りをしてから稽古に参加したそうです。今回は突きを1100本、蹴りを1100本行いました。来年は2020年なので突き蹴りで2020本やる道場が多いのではと思い、突き蹴りで2200本やりました。2020本やる道場はたくさんあると思いますが、2200本やる道場はあまりないのではと思います。稽古の最後に少しだけ生徒達に話をしました。先ずは良かった人を褒め、先生から見て全力ではなかった人や、また普段の稽古不足のため頑張っても足が上がらなかった人、自分に負けていた人には、その足りない部分を来年は埋めるよう話しました。1番私がキツく言ったのは、ずっと帯より下を蹴っていたり、気合いも大して入れていなかったのに、ラストの10本と私が言ったら、顔の高さを蹴り、気合いを大きく入れた人は、その上がった足の分が上がった気合いの分が自分の弱さや自分の手を抜いた量だと話しました。最後にあれだけ動けるのなら何故最初から全力でやらなかったのかと思います。参加した生徒全員が千本突き千本蹴りを最後までやり遂げたという事はある意味で言えば自分が出来る力で上手くやったとも言えます。途中で倒れるぐらい必死にやって千本突き千本蹴りをやったらこれは大したものです。この反省を来年の稽古の糧にして頑張って欲しいと思います。でもその反省も頑張って稽古に参加したから得る事が出来たのです。稽古に参加した皆さん本当にお疲れ様でした。
私が運営する道場の忘年会でした。たくさんの方々にご参加頂き楽しい時間を過ごす事が出来ました。たくさんの方々の力を頂き、この道場を運営してくる事が出来たと感謝の気持ちでいっぱいです。この道場を自分のいない未来繋げる事が自分の責務だと思っています。来年も今年に負けないよう一生懸命頑張って活動したいと思います。
「STAR WARS(スカイウォーカーの夜明け)」の朝一の回を観に行きました。STAR WARSの9作目で最後の三部作の最後の作品なので、どうしても一番早く観たくて朝の稽古を休み観に行ってしまいました。この作品は私は5歳の時から全て劇場で見ている作品なので、何処かからネタバレ情報が入ってしまったら最悪です。なのでどうしても一番早く観に行きたかったのです。私は本当に観たい映画は予告なども見ないようにし情報が入らないようにします。情報が頭に入ってしまうと、勝手に期待値があがったり、予測して内容が分かってしまったりして感動が半減してしまうからです。なので内容には触れません。ただ46歳になりこの作品を最後まで観る事が出来て本当に良かったです。近々、息子達ともう一度見に来たいと思います。そしたら少しの間は菅野家ではSTAR WARSブームになると思います。
次男の幼稚園にページェントを見に行きました。イエス様がお生まれになるページェントで、バラ組、すみれ組の生徒は歌を歌い、次男達のさくら組の生徒は役を演じます。次男はヨセフの役をやりました。セリフはありませんがマリア様と真ん中に立つのでとても緊張しているようでした。あんな顔でずっとビシッと立っている次男を見て、とても立派だと思い感心しました。次男の幼稚園には私の道場の生徒も2人いたり、知っている子も沢山いるので、とても楽しく見させて頂きました。あの年齢の子があれだけの物を作るには先生方の苦労と生徒達の頑張りがあったのだろうと思い見ていると感動で涙が出てしまいます。歳を取りどんどん涙脆くなっているようです。たくさんの感動を頂き、幼稚園の先生方には本当に感謝しております。次男も来年の3月には幼稚園を卒園し小学生です。子供の成長を喜ぶ嬉しい気持と、もう少し小さくて可愛い時期を一緒に過ごしたい寂しい気持もあり、少し複雑な気持ちです。
人間が崩れる時は、意外に緩やかに崩れて行きます。少しずつルーズになり、少しぐらいならイイか?と緩やかに緩やかに降って行ってしまいます。そして下降線が緩やかなだけに自分でも大きな崩れを自覚出来なくなってしまいます。私もそんな時があります。数日前に妻から指摘され、自分の崩れに気がつく事が出来ました。先延ばしにすると忘れてしまうので、私は直ぐにその事の改善に取り組みました。その改善した事は直ぐに結果に結び付きました。今年の終わりにそれに気付けた事で来年を良い形で始められると思います。
武道だけではなく芸事の世界では見取り稽古と言うのが大切です。先生や先輩の動きを見て学び技を盗むのです。先生から習った事は意外に習って完結して自分の物にせずに終わってしまいます。でも自分で見て学んだ事は自分で考えて稽古し、自分の中でしっかりと消化して自分の物にして行くものです。そして囲碁や将棋の世界では先人の今までの対局で行われた棋譜を研究し定石を学ぶ事は必須です。空手においてもそれは当然とても大切な事です。空手の試合のビデオを見漁って学ばなばなければチャンピオンにはなれません。定石を知り、自分の発想が正しいか間違っているかを確かめ新手が生まれるのです。そして会場で試合を見る事も大切です。自分が上りたいと思っている舞台を見た事もない人が、その舞台に将来上がれる訳がありません。夢や目標はだんだん近づいて行くものです。実際に会場で間近に選手達の試合を見る事で感動し自分の中に革命が起きるのです。その証拠にこの前、世界大会を会場に観に来た10人の少年部の子、全員が将来世界大会に出場するのが夢になりました。まるで19歳の頃の私を見ているようでした。
今日は大亮からとても嬉しい報告をもらいました。高校受験のため休会している大亮が受験する高校が決まり、受験が終わったら道場に復帰すると言う報告でした。気が早いかもしれませんが、私もヨシッ!生徒達と世界を目指す準備をしなければと思い気合が入りました。今、頑張って稽古に来ている中高生を鍛えて行けば四年後の世界大会を十分目指せると思います。私も時間を惜しんで空手道に邁進したいと思います。
私が運営する国際空手道連盟極真会館東京城南京浜支部の2019年冬季昇級審査会と組手競技支部内交流試合が無事終了しました。手伝いをしてくれた道場生のスタッフの皆さんには本当に感謝しています。審査や試合に挑戦した道場生の皆さん、本当によく頑張りました。今年の最後を良い形で締めくくれたのではないかと思います。子供達を審査や試合に出る機会を与えてくれたご父兄様にも感謝をも申し上げます。今年1年の大きな行事を全て無事終了出来た事を本当に感謝しております。
私は武道家らしい人間でいたいです。私は空手家らしい人間でいたいです。私は武道家くさい人間でいたいです。私は空手家くさい人間でいたいです。自分の心や身体や生き方に武道が空手が染み付いているような人間になりたいと思っています。
私の子供の頃からの夢は「強くなりたい」という事でした。「この世で1番強くなりたい」それが明確な夢になったのが「極真空手の世界チャンピオンになりたい」と思った瞬間でした。年齢の規制もあり私は極真空手の選手としては引退しましたが、今でも夢を諦めてはいません。だから今でも一生懸命稽古しているのです。自分の夢を生徒達や自分の子供に託すと言う気持もありません。あくまで自分が1番強くなりたいから一生懸命に稽古するのです。だってこの夢は自分の夢だから、生徒達や自分の子供が叶えたから私がどうなるものでもありませんし、報われるなどとは思わないのです。自分が一生懸命に稽古した事を生徒達に一生懸命に指導し、生徒達の中から世界チャンピオンになりたいと言う人がいたら、それは一生懸命導いてあげたいと思います。私は死ぬまでこの夢を諦めるつもりはありません。死ぬ瞬間までこの夢を追いかけていたら、次この世に生まれてきた時にもその夢を追いかけるのではないかと思っています。私が「世界で1番強くなりたい」という夢を諦めてはいない事を知って頂きたくて、この日記を書きました。
今年の漢字は「令」でした。確かに今年の日本の世の中を考えると、しみじみと「令」だったなと思います。私の今年の漢字を考えるてみたところ、パッと出て来た漢字は「挙」でした。事を起こす。手を挙げる。成果を挙げる。と言う意味で「挙」を選びました。常に自分で事を起こして来た事が成果を挙げ、自分で手を挙げて立候補した事で成果を挙げる事が出来た年でした。来年はさらにさらに精進してこの勢いをさらにさらに加速させて行きたいと思います。
長男は、本当によく笑う子です。本を読んでいても笑ったりします。テレビを見ていてもゲラゲラ笑っています。学校で国語の教科書を読んでいる時に笑いが止まらなくなってしまい、先生に注意をされたそうです。よく言えば長男は想像力が豊かなのだと思います。想像力が豊かな事は良い事なので、その部分は伸ばして欲しいと思います。授業中は集中してしっかり授業を受けて欲しいと思いますが、笑ってはいけない状況の中でこそ笑いが止まらなくなる気持はとても良く分かります。
12月が10日過ぎました。2019年令和元年もあと20日たらずで終わりとなります。私はもう来年の半ばぐらいまで、やらなければならない事や、やりたい事でいっぱいとなっています。だから正直年末気分もあまりありません。考えてみると道場を開設してからはずっとそんな感じです。ここ数年、私にとって勝負の年が続いています。そして来年は本当に自分の未来がどうなるのか?大きく左右する勝負の年になると思います。私の道場の事で言えば、来年の秋季審査会からついに新たな審査基準での審査が開始します。その技術体系や審査体系を完成させなければなりません。今年は世界大会が終わりましたので来年から4年また新たな気持ちで指導に励み4年後には何らかの形を残したいと思います。そして8年後の世界大会には必ず選手を出場させて見せます。そのためにも今年はさらに入門者が増えるよう道場生の獲得に力を入れたいと思います。道場生が増えれば底辺が広がりピラミッド的に頂点も高くなって行きます。これは私1人では出来ないことなので、いろいろな方に力を貸して頂き進めて行きたいと思います。国際空手道連盟極真会館の組織活動では私は極真会館の技術委員になりましたので、極真空手の未来は自分の肩にかかっているという気持ちで、その責任と義務を果たしたいと思います。家族のことで言えば次男も来年は小学生になります。長男も次男もいつまでも子供ではありません。体の成長とともに力も付き、知識も増え自尊心も増し自己主張もするようになり、物事への分別も付き、自分の意見と親の意見の違いや親の考えや意見の矛盾点に反抗する心も大きくなって来るようになると思います。いつまでも子供だと思って舐めていたら大間違いで、私も人間としても親としても成長して子供達に接して行かなければならないと思います。来年は妻と結婚式をしてから10年の節目の年となります。自分が結婚式で誓った妻を思う気持ちが変わっていない事を表すような事をしたいなと思います。
私は、空手を始めて31年になります。稽古をしていると毎日、自分の悪い所や苦手な所や弱い所が見えて来ます。31年もやって今だに新たな気付きがあります。こんなにやってやっと気付くなんて、どれだけ自分は才能がないのか?と思います。でも気付かないで終わる人や、気付いたけど出来るようにしなかった人よりは、私は数段上だと思っています。特に最近、思う事は私の師匠である廣重師範は凄い事を言っていたのだなと今になり実感しています。また技術委員会になり松井館長と空手の技術や稽古に付いて話す機会が増えたのですが、その時間が私にとって凄く勉強になっています。
第12回全世界空手道選手権大会のテレビ放送を子供達と見ました。あらためて落ち着いて見てみると会場で見た時の印象と少し違う部分もありました。1番はやはり感動と興奮と会場の一体感とい言うか熱気と言うかボルテージはテレビでは伝わらないものだなと思いました。そういう物も判定には、もちろん関わってくると思います。選手の一瞬の表情や一瞬のテクニックや一瞬の反則などはテレビで見て気が付いた事がけっこうありました。元全日本王者を2人ノックアウトしたザガイノフ選手の一瞬のテクニックと技のキレが凄かったです。まだ二十歳と言う事なので、4年後はこの勢いに経験がプラスされたら相当な選手になると思います。これからの4年間、日本は上田選手と高橋選手と星選手を筆頭に励んでいく事だと思います。ロシアのザガイノフ選手、ルジン選手、ブラジルのナシメント選手も4年後はさらに強くなっていると思います。私も頑張って8年後の第14回全世界空手道選手権大会には東京城南京浜支部から代表を出したいと思います。
体重が84キロになりました。ウエイトトレーニングの効果もあり体重よりも見た目は痩せた感じがします。長男にグッと力を入れて筋肉を見せたら「パパ!その筋肉、ハンパネェー!」と言われました。筋肉は落としたくないので、体重ではなくて見た目で、もう少し腹筋が見えるぐらいにしたいと思います。ここ数週間、とても身体の調子が良いです。身体の柔軟性アップし、基本稽古や移動稽古や型をやっていても自分の動きにキレが出てきたように感じます。今年も残すところ3週間と少しですがしっかり稽古して行きたいと思います。
とうとうと言うか?ついにと言うか?ですが、本格的に寒くなって来ました。もう世の中はクリスマスやお正月の気配を見せはじめ、ウキウキしてる人もいるかと思いますが、私はこの時期はいつも少し憂鬱です。それは1月の4日〜6日に三峯神社で行なわれる総本部の冬合宿が控えているからです。三峯神社での総本部の冬合宿はとにかく寒いです。朝6時から三峯神社の境内で稽古が始まります。マイナス何度と言う所で上半身裸で稽古をします。そして祝詞をあげて頂き稽古が終わるのですが、肩が凝ってしまうほど寒い思いをします。なので本格的に寒くなってくると、またあれをやるんだなと少し憂鬱な気分になるのです。そんなに憂鬱なら、わざわざ高いお金を払って正月早々に合宿に行かなければ良いだけなのですが、しかし寒さがこたえてしまうようでは、空手家としてはもう終わりだと思っています。なので年の始めに自分の心と身体を鍛えピシッと芯を入れるために毎年、総本部の冬合宿に参加しています。極真会館の支部長を務めている限りは毎年参加しようと決めています。人の前に立ち厳しい事を言うのだから、自分も自分に厳しく生きたいと思います。
長男と次男とは、家で一緒に空手の稽古をしたり、自主トレを見てあげたりはしません。ですが長男や次男が「相手がこう蹴って来たら、どう受けるの?」と聞いて来たりしたら教えてあげるようにしています。最近はそんな機会も増えて来たように思います。まあこれだけ極真空手が大好きな私の血を引いている訳ですから、そのうち本格的にヤル気を出す事と思います。
最近、朝に長男とお互いに見た夢の話を交換します。長男がその日に見た夢は、東京にゴジラが現れ津波が来て多摩川が氾濫し学校に避難すると言う夢だったそうです。ゴジラがという点を除けば、かなり起こる可能性の高い現実的な夢だと思います。やはりこの前の台風での避難が長男に影響を与えているのだと思います。いつ何が起きても億劫がらずに最善を尽くして欲しいと思います。
昨日、寝ている時に次男の寝顔を見ていたら、幸せだと思う気持ちと、いつか大人になって親離れして巣立って行くのだろうという寂しさを感じました。今日は長男と一緒に家を出ました。2人でゴミを持ってゴミ置場に出し、私は長男に「車に気をつけてな!」と言い、長男は「うん、じゃあねー!」と言って別れました。空手の稽古も大切ですが、子供達との時間も今しかないとても大切は時間です。この時間を無駄にしないよう過ごして行きたいと思います。また道場の指導で道場生を指導したり接したりする時間も大切にしたいと思います。私は道場を17年運営していますが時が経つのは本当に早いです。幼稚園生で入門した子もあっという間に中学生になります。今年六年生子を1人でも多く中学生でも空手を続けてくれるよう頑張りたいと思います。そしてそれを何年か繰り返して行けば、必ずいつか全日本空手道選手権大会や全世界空手道選手権大会に出場出来る選手が育つと思います。今年もあと少しですが、私の頭は来年の国際親善大会ぐらいまで進んでいます。道場を運営するようになって正直、心も頭も身体も全てをリラックスして休めた事は一度もありませんが、生きている間しか頑張る事は出来ないので、全ての事に対して、しっかりと毎日を頑張って生き切りたいと思います。
昨日は「ドクター・スリープ」を観に行きました。この作品はスティーヴン・キング原作の「シャイニング」の続編です。シャイニングから40年後、ダニーがどのような人生を歩んで来たか?からまた新たなストーリーが描かれています。私はとても好きな作品でした。あと2回ぐらいは観に行きたと思います。
今日から12月です。2019年、令和元年もあと1ヶ月で終わりです。私にとってこの1年はとてもとてもスペシャルな1年でした。自分が立った事のない場所にたくさん立つ事が出来ました。そして自分が見た事のない景色を見る事が出来ました。今まで自分が努力をして来たから実ったとも言えますが、では1人の力でここまで来る事が出来たか?と言えば、それは違うと思います。たくさんの方々の応援があってのものだと思います。自分は、自分の気が付かない所でも沢山の人に助けて頂いています。その事を忘れずに常に謙虚で、常に初心を忘れずにいたいと思います。残り1ヶ月を一生懸命に頑張って2020年、令和二年まで一気に突き抜けて行こうと思っています。
kanno
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