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もう少し稽古に付いて書きたいと思います。稽古をする心構えとして「守・破・離(しゅ・は・り)」という言葉があります。守は(まもる)、破は(やぶる)(超える)という意味です。離は(はなれる)です。とにかく何かを始めた時は守る事が大切です。物事をやり易いようにやったり、自分に都合が良いように解釈したり、自分の都合が良いように工夫したりするのは良くありません。何故かと言えば人間は物事を道理が分かるようになる前に工夫してしまうと自分の都合が良いように楽なように工夫してしまいます。先ずは習う時にはその道理と言うか真理という物を理解するまでは教えられた事を守りきる事が大切です。空手で言えば自分の精神的な悪い所や、身体的な悪い所を矯正し、言って見れば悪い癖を取るために、良い癖を上書きするからです。それが出来たら次は破の段階に入ります。一から十まで習った事が出来るようになったら、また一に立ち返るのですが、自分のやっている稽古に常に疑問を持って行い、何度も稽古する中で自分の特徴に合った物に変化を加えて行き自分の奥義を見出します。それが出来たならば今度は、教えてくれる人から離れ、自分の習得したものを人を教えて育ててみると良いと思います。その教えるという作業からまた新たな気付きや新たな事を学び習得する事が出来ます。では守破離のその先は何にたどり着くのでしょう?これは私の考えですが、やはりまた新たな何かを始め守に立ち返る事が大切なのではないかと思います。学びに終わりは無いのではないかと思います。それが私の師匠である廣重毅師範が私に贈ってくれた本にサインをした「求道無限」という事なのだと思います。「求めれば道は無限に通ずる」のだと私は思います。4回に渡り稽古と言うものについて私の今の思いや考えを書いてみました。ですがこれが完成形だとは少しも思いません。数年後の自分はさらにさらに進化していて、この日記を見て、この頃の自分は未熟だと思える自分になれるよう日々精進して生きて行きたいと思います。
この菅野日記で2回に渡り稽古とは?という題で私の稽古に対する考えを書いてきましたが、もう少し稽古に付いて書いてみたいと思います。「稽古照今(けいこしょうこん)」という言葉があります。この 稽という字は 「考える」 という意味があります。なので稽古照今とは「今について昔と照らし合わせ、考えなおしてみる」 という意味になります。温故知新にも似ている言葉だと思います。なので伝統や文化や格式を重んじ礼儀作法を守り先人達への尊敬と感謝の気持を持って稽古する事が大切なのですが、常に稽古している事に疑問を持って稽古する事が大切ですし、今の学びをさらに研鑽し前に進め、最終的には自分の極意というものを掴まなければならないと思います。なので稽古の作法などは別として、稽古自体が神のように絶対なものになっては行けないと思います。数学や化学反応のようにこれをやれば必ずこうなるという稽古方法は無いと私は思います。だからこそ自分のやっている稽古に常に疑問を持ち稽古する事が大切だと思います。そしてやはり一から十を学んだ後に、また一に戻ることも大切だと思います。それはまた新たな気づきを得る事が出来るからです。なので同じ所をグルグル回るのでは無く、螺旋階段を登って行くような感じになると思います。人間の素晴らしさは学んだ事をさらに前へ進め、それを次の世代に渡す事が出来る事です。自分のやっている事が数百年後にもっともっと素晴らしいものになっていたら、それは本当に素晴らしい事です。その中に自分もいたという事は、この世に生まれ生きた価値があったという事になると思います。
稽古とは自分を俯瞰して見つめ直し、自分の今の状態や良し悪しに気付き、良い所は伸ばし、悪い所は改善し、常に前進する事だと思います。そしてその稽古の中で気付いた事から普段の生活習慣や、自分の生きた方や、心構えなども見直して改善して行く事も大切ですし、それも含めて稽古だと思います。そして稽古の中での学びを社会生活の中で生かして行く事も稽古だと思います。何かに挑戦し目標を持って一生懸命に稽古する人には必ずそこに求めていた物以上のプラスαとも言える物を得る事が出来ます。それは目に見える価値のものではありません。簡単に言うと徳というものなのかも知れません。自分に取って得なものだけを上手く得ようとする人は、得はしても徳を得る事は出来ません。結局長いスパンでものを見た時には徳のない人は得はしないと思います。稽古とはそのような事も学べる場です。
稽古と練習と訓練とトレーニング、全ては何かを上手に出来るようにやる事なのですが、稽古と練習と訓練とトレーニングという言葉ではニュアンスやイメージが違うように感じます。稽古とは何か?日本の武道や茶道や書道など道の付くものは稽古と言います。稽古とは「古を稽う(いにしえをかんがう)」「昔のことを考えて調べる」「古(いにしえ)の事柄に照らしわせながら、物の道理を学ぶ」ことなのだそうです。千利休によれば「稽古」には、「一から十まで学んだ後、再び一に戻る」 という意味があるそうです。その事を踏まえて私は、稽古とは、「学んでいるものや学んでいるものを前進させてくれた先人達、またその先人達の知恵や技術に尊敬と感謝の念を持ち学びを行うこと、その先人達が守ってきた礼儀作法や形式などにも敬意を持ち遵守し学びを行うこと、そして常に初心に帰る謙虚な気持ちを持って学びを行うこと、そしてその学びから物の道理や人の道を知ること」という事だと思っています。その気持ちを常に意識して稽古に励まなければならないと思います。またそう自分がして行かなければ、この素晴らしい伝統や文化や格式は失伝し、この日本から消えてしまう事になってしまいます。私は自分の命を懸けても、私が素晴らしいと思う極真空手を私達が居なくなった遠い未来に残したいと思っています。
茨城県水戸市の茨城県武道館で全関東大会が開催されました。私の運営する支部からは安西愛琉、安西昊晴、今野譲が出場しました。結果は1回戦敗退でみんなが得たいと思っていた結果ではなかったかも知れませんが良く頑張ったと思います。ご父兄様も本当にご苦労様でした。そして子供達に試合に出るチャンスを与えて頂き本当に感謝しています。子供を水戸で行われる試合に出場させる為には、ご父兄様は、いろいろな面で負担がかかる事と思います。その中で1回戦敗退だったりするとガッカリしてしまうかも知れません。もしかしたら、遠くまで電車賃と宿泊費をかけて試合に出してもどうせ1回戦敗退なのだろうからと思ってしまうかもしれません。ですが私は子供達を遠隔地の試合に出させて欲しいと思います。試合で行くのですから観光も出来ませんし、緊張もありご当地の美味しい物も食べる事も出来ないかもしれません。でも私は遠隔地で行われる試合に子供達を出させてあげる事は子供達に取っても家族にとっても絶対に良い事だと思います。家族みんなで同じ目標の為に協力し合う事も凄く良い思い出になると思いますし、子供達もいつか大人になった時や自分が親になった時に、自分の人生を振り返り、その事を思い出したら必ず両親を尊敬し感謝すると思います。またそこまで両親に愛情や期待を形で見せて貰えば、その両親の期待に応えたいと思い頑張ってくれると思います。
「空手バカ一代」のコミックを全巻買い揃えました。この「空手バカ一代」はたぶん3〜4回は買い揃えては、誰かに貸したり、なくしたり、あげてしまったりしました。今回、何故買い揃えたかというと長男もそろそろマンガが読めるようになって来たと思うので、空手バカ一代を読んでもらって、私が何に憧れて稽古したのかを知ってもらいたいと思ったからです。長男も極真空手や大山総裁に興味があるようなので頑張って読破して欲しいと思います。
「ファイト&ライフ」という格闘技雑誌で「極真カラテ・日の丸を背負い覚悟を持って戦った男たち」という記事で私の先輩である八巻健志先輩と数見肇先輩の記事が載っていました。八巻先輩のインタビューで「城南イズムとは?」という問いに、八巻先輩は「城南イズムとは、空手の追求だと思います。廣重師範の下で空手を学んだ者はみなそんな気持ちなのではないかと思います。」と答えていました。とても感動しました。城南支部と言うものはもう形としてはありません。皆、各派にバラバラになってしまいました。ですが私が知る限り、城南の先輩、同輩、後輩は本当に空手が好きで現役選手を退いた今も皆、空手道の追求に邁進しています。今でも皆の中に城南イズムが生きているのだと思います。数見先輩のインタビューでは「極真時代の朝練の習慣が身に付いているんですかね、自分はどんなに暑いときでもエアコンなしの方が好きだし、落ち着くんです。」とありました。そのインタビューをした日も道場は蒸し風呂のように暑かったと書いてありました。城南支部の本部道場の蒲田道場にはエアコン自体が無かったので、本当に暑かったです。しかも全日本や世界大会の稽古が本格的に始まるのが8月なので暑い時から稽古が激しくなります。もうみんな汗だくで稽古していました。ですが全日本や世界大会は11月で涼しくなっていますので、その頃にはスタミナが付き身体も心も強くなり試合に臨めました。とても懐かしく思います。私は世界大会に出る事は出来ませんでしたが、第6回と第7回世界大会は、世界大会に出た先輩方と世界大会前に激しい稽古をさせて頂き、試合でもセコンドに着かせて頂いたので、先輩方のドラマを間近で見る事が出来ました。それは私にとって大きな財産となっています。私は今もその頃の先輩方の背中を追いかけています。これからもずっと追いかけて行きたいと思います。
この時期は必ず腰を痛めるのですが、今年もやはり腰を痛めてしまいました。ですが事前に痛めそうだなと予防をしていた事と、痛めた後に素早くケアしたおかげで、ごくごく軽傷で済ませる事が出来ました。これ以上痛めないようにしっかり様子を見て身体を動かして行きたいと思います。
朝の空気が澄んで冷たくなり、金木犀の匂いがすると全日本、世界大会の時期だなと感じます。第4回世界大会を見て空手を始め、第5回世界大会を会場で観て、第25回全日本大会は黒澤先生のセコンドに着かせて頂き、第6回世界大会では数見先輩のセコンドに着かせて頂き、28回全日本大会に初出場し1回戦敗退、32回全日本大会ではベスト16、第33回全日本大会は2回戦敗退、第34回全日本大会は1回戦敗退、第36回全日本大会は1回戦敗退、第37回全日本大会は1回戦敗退、第38回全日本大会はベスト32でした。ですからこの時期に緊張して過ごす事がなくなってから、早13年が経つという事になります。時が経つのは本当に早いなと思います。世界大会に出場するという夢が叶わず引退する時は、もうこの人生で、この夢を追いかける事は出来ないのかと絶望しました。でも自分が限界だと思う所まで頑張ったので、出た結果に対しては納得する事が出来ました。第8回世界大会で木山選手が優勝してから、世界大会で日本選手が優勝する姿を見ていません。9回世界大会はエウェルトン・ティシェイラ、10回世界大会はタリエル・ニコラシビリ、11回世界大会はザハリ・ダミヤノフでした。11回世界大会の閉会式で、私は自分が支部長でいる間に日本選手が優勝する姿を見る事は出来ないのでは?と思ったぐらいでした。48回全日本大会でルール改定をしてから日本選手に追い風が吹き、全日本大会も三年連続日本選手が優勝しています。今回は日本選手が優勝する姿を見る事が出来ると思います。その姿を息子達にも見てもらいたいと思います。私が第4回世界大会を見て空手を始めたように、私が第5回世界大会を見て空手の選手になる事を決めて東京に来たように、息子達もきっと何かを感じてくれると思います。世界大会の最終日11月24日まで、残り1ヶ月です。
即位礼正殿の儀をテレビで見ました。首と腰に痛みがあったので一日中家でゆっくりとしていました。ただダラーッとテレビを見て過ごす日もたまには良いなと思いました。
長男の工作が池上会館に展示されました。日曜日にそれを家族で見に行きました。作品は、ペットボトルと紙粘土を使った工作でした。長男はクワペットという作品を作っていました。他の人の作品はペットボトルをコップのようにして作った作品でしたが、長男はペットボトルを横に使って作品を作っていました。人を真似る事なく、自分で考えて、自分の作りたい物を作ったのだと思います。長男の作品は、他の人の作品に比べたら決して上手いと言う作品ではありませんが、独創的な所が良かったと思います。またそれが出来た事はとても素晴らしい事だと思います。長男を誇りに思います。私は子供の頃、悪い意味で人と違う子だったので、人と違うという事を思春期に凄く気にするようになってしまいました。長男もなかなかな個性を持っていると思います。どんな生き方をしても良いから、その個性を失う事なく生きて行って欲しいと思います。
私の運営する道場の第12回型競技支部内交流試合と第3回I.K.Oセミコンタクトルール支部内交流試合でした。私の長男はセミコンタクトルールの試合に、次男は型競技とセミコンタクトルールの試合に出場しました。型競技では次男は本当に頑張りました。前回試合に出た時は太極その一をなんとか出来たぐらいでしたが、今回は平安その二と言う難しい型をしっかり覚えてやっていました。セミコンタクトルールの試合でも出合頭に回し蹴りを出すと言う今まで出来なかった事が出来るようになっていました。長男はセミコンタクトルールの試合でセミコンタクトルールの特性を活かした技術を使って上手に戦っていたので良かったと思いますが、稽古の時に注意した相打ちの後に必ず次の技に繋げるという事が出来ていなかったのが残念でした。そして型競技に自信が無いと出場したかった事が残念でした。長男は次男が型競技で頑張っている姿を見て、試合に出なかった事を後悔しているようでした。兄弟同士でお互いを高めあって行ってくれたら良いなと思います。
昨日の稽古で道場訓を読んでいる時に、ふと私の頭の中に、前橋さんが道場訓を読んでいる声が響きました。とても不思議な感覚でした。前橋さんが生前、情熱を燃やし稽古をした思いがこの道場に生きていると感じました。道場生の中には、前橋さんを知る人も少なくなって行きますが、前橋さんがこの道場に貢献してくれたから、今も道場を運営することが出来て、生徒も稽古する事が出来ています。その火を消す事のないよう道場を運営して行かなければならないと思います。あんなに元気な声で「押忍、失礼します!」と道場に入ってくる生徒は後にも先にも前橋さんだけでした。その声も私の中ではしっかり生きています。いつか、前橋さんにまた会う時に「先生はやっぱり凄いなー!」と言われるように頑張りたいと思います。
私が妻と結婚して良かったなと思うところは、妻は私の大切にしている物や、大切にしている事や、大切にしている人を私と同じように大切にしてくれます。本当に感謝しています。私も妻に対してそうありたいと思っています。いつか子供達が結婚する時には自分の事や自分の大切にしている物を大切にしてくれる人を選んで欲しいと思います。
水曜日にお通夜、本日は告別式に参列して来ました。水曜日のお通夜には家族で参列して来ました。お世話になっている方やその身内の葬儀などには出来るだけ家族で参列するようにしています。私がお世話になっているという事は、間接的にではありますが、私の家族もお世話になっている訳ですし、子供達には、人と一緒に笑い、人と一緒に悲しんであげられるような人であって欲しいと思いますし、親しい人やお世話になっている方や、その方の身内の方の葬儀には自分の事は置いておいても駆けつけてあげるような人間になって欲しいと思うからです。義理と人情を大切にする人になって欲しいと思います。
極真空手の素晴らしいところは何も武器を持たず、そして防具で身を守る事なく、素手素足で戦い、そして飾り気のない死装束でもある真っ白な道着を身に着け、身体一つで試合場に上がります。極真空手の過酷な所は、試合をする相手も審判も選ぶ事は出来ません。全てを人の手に委ねて戦いの場に上がらなくてはなりません。そして試合場に礼をし試合場に入り、正面に礼をし、相手に礼をし、自分の全てを相手にぶつけて戦います。そして試合が終わり判定が出たら、正面に礼をする事でその会場とその会場にある物やいる人全てに全てに礼をし、相手に礼をし、試合場に礼をし、どんな結果が出ても潔く全てを受け入れ、そこで学んだ事をこれからの人生の教訓にし活かしていきます。自分が苦しい時は、相手も苦しい、自分が怖い時は、相手も怖い、自分が痛い時は、相手も怖い、だからそこで諦めず己に克ち、相手に勝つんだ。そう思える人は自分の苦しさを自分だけだとは思わず、もうひと頑張りして、人を思いやり、人を助けたり、人に優しくしたりする事が出来るのだと思います。この素晴らしい極真空手を次の世代の人達に残す事が私の責任であり義務であると思っています。
この1ヶ月、私はアクシデント続きでバタバタと過ごして来ました。ですが全てが不幸中の幸いと言える結果で踏みとどまる事が出来ています。機に対し敏なる決断と行動を取れている事で、最悪の状況の中で最善手を打ち続けて凌いでいます。10年前の自分だったら、この状況を凌ぐ事は出来なかったかもしれません。でも10年前の自分がいたからこそ今の自分はこの状況を凌ぐ事が出来たと言えると思います。アクシデントはしっかりと対処して行けば、勉強になり経験になり、自分を強くしてくれます。だから全ての事に感謝して生きて行きたいと思います。この状況を凌ぎきったら、今回得た力で攻めに転じたいと思います。
次男の通う幼稚園の運動会でした。あいにくの雨のため体育館での運動会でしたが、台風19号が去ったばかりの忙しい中、運動会を運営された幼稚園の先生や関係者の方々には本当に感謝しています。早いもので次男もこれが幼稚園最後の運動会となります。次男は親子競技のリレーも駆けっこのリレーもどちらもアンカーでした。親子競技の方は勝ちましたが駆けっこの方は負けてしまいました。駆けっこのリレーで走る時に今まで見た事が無いぐらい次男の顔は真剣になっていました。やはりアンカーなのでそれなりに責任を感じていたのだろうと思います。真剣な顔で一生懸命に頑張った事は素晴らしい事です。この経験を今後の人生に繋げて欲しいと思います。それと次男が幼稚園のお友達と仲良く遊んでいる姿や先生と接している姿を見る事が出来て嬉しかったです。長男からお世話になっている幼稚園なので、これが最後の運動会だと思うと少し寂しい気持になりました。子供の成長は本当に早いですし、過ぎた時間と言うものは本当に早く感じるものです。多分今日という日もあっという間に過ぎ去って、気がついた時には子供達が大きくなっているのだと思います。子供達との時間を大切にしなければならないと痛切に感じます。
昨日は台風19号のため多摩川が氾濫する恐れがあったので、志茂田中学校に家族で避難しました。区や学校の職員の方々やお手伝いの中学校の生徒さん達には本当にお世話になりました。次男は10時ぐらいにはぐっすり寝ていました。長男は興奮もあり、教室が暑く寝付けないというので、私と2人で廊下の涼しい所を探し寝る事にしました。長男は12時ぐらいに寝ました。私は1時過ぎに1度帰宅して窓などに破損は無いか?水道、ガス、電気が使えるか?を確認し、多摩川の水位を確認しました。まだまだ水位が高かったので、朝までは志茂田中学校に居る事を決めました。私は床が変わると上手く寝る事が出来ないので、ほとんど眠れませんでした。朝の6時に家族を起こし帰宅しました。子供達には災害が起きた時にどのような行動を取らなければならないのかと言う経験になってくれればと思います。家に帰宅してから子供達に、次に台風が来た時に、この前が大丈夫だったから今回も大丈夫だと思ってはいけないよ、常に今回こそは?という気持ちと、最悪の状況を想定して最善を尽くさなければならないという話をしました。今回の台風19号で被害を受けた方々には、心からお見舞いを申し上げます。私の家族は幸運にも被害がなかった事を感謝しています。
台風19号が来ています。テレビの報道を見たり、10時、14時、17時に多摩川を見に行ったりして氾濫の恐れがあると判断したので、早い夕食を済ませ、18時過ぎに志茂田中学校に家族で避難をしました。子供達の命を守れるのは自分の判断ですし、遅れをとって後悔するのは嫌なので早目に決断して避難をしました。命を守る為には、アクシデントに慣れることなく、迅速に率先して取り越し苦労を出来る人間でいなければならないと思います。
私は男の真価というものは、負けっぷりの良さにあると思います。負けた時に、それを潔く受け入れ、卑屈にならず颯爽としている人をカッコ良く思います。私の好きな言葉に「腐っても鯛」という言葉がありますが、腐っても鯛の誇りを失わないという人は強い人だと思います。私もそうありたいと思っています。
私にとって空手の指導は、仕事です。なのでその中で稽古する事は、それが生業なのでそれを一生懸命にやる事は当たり前の事だと思っています。そして自分で稽古している時間も、やはり私が稽古をして空手道の研究をする事で生徒達により良い指導をする為なので、それもやはり仕事だという事になります。ウエイトトレーニングをする事も、身体の治療に行く事も、本を読む事も、自分のコンディションを整えたり知識を増やす事も良い指導をする為なので、それもやはり仕事という事になります。でも責任と義務と言う気持ちだけでやっている訳ではありません。私はそれをしている時が最高に楽しい時間なのです。
私は好きな映画は何度も観てしまいます。最近では「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」を3回、「ジョーカー」を2回見ました。「ジョーカー」もう1回は観たいなと思っています。私は理解力と記憶力がないので何度も観て、いろんな事に気付いて行きます。観るたびに新たな発見や、ストーリーの一致や、セリフの意味や、布石の回収が出来ます。なので何度観ても飽きないです。妻と映画を観に行き、映画の内容を話し合うと「えっ!そこに気付かないで観ていたの?」と言われてオチや、布石の回収や、結末の布石になるセリフを教えられてしまう事があります。妻は人の表情や仕草からその人の思いや考えを読み取り理解するのが上手いようです。私は意外とそれが苦手なようです。
石田三成の佐和山城を落とした武将達が、佐和山城に入場した時に、その城の中の質素さを見て「これが五奉行筆頭の者の城か?」と襟を正したと言われています。人の上に立つ人が無用の贅沢をしていては部下や人民の心を掴む事は出来ないのだと思います。自分を戒める事が出来なければ、人の心をを戒める事は出来ません。石田三成という人は、人を戒める為に、常に自分を戒めていたのだと思います。私の父親と母親会社を経営していましたが、やはりそのような人でした。人に厳しい事を言う人は、自分はもっと厳しい事をしなければならないのだと思います。私もその事をいつも忘れないようにしています。
妻が長男を身籠ったかも知れないと言った時、私は正直、恐怖を感じました。かも知れないと言うなら、できれば今回は逃げたいと言う気持ちでした。その時の事を思い出すと妻にも長男にも申し訳ない気持ちでいっぱいになります。ですが長男を身籠っている事が確実になった時は、腹を括り何があっても幸せにしてやると思いました。前にも書いたと思いますが、私は自分の夢や目標のためには、あらゆる事を犠牲にして来た人間です。あらゆる自分の我を通して来た自分勝手な人間です。だから自分が父親になった時に、子供のために自分を犠牲に出来るか?自分のやりたい事を犠牲にしても子供の幸せや家族の幸せのために頑張れるか?それが不安でならなかったのです。ですがですが私はけっこう良いお父さんになれたと思っています。別に頑張ってやっている訳ではありません。好きでやっている事なので自慢にもなりません。私は休みの日に1人で行動する事も、外に飲みに行く事も年に2〜3回ぐらいしかありません。何故そうなったか?それは妻や子供達といる時間が私は1番好きだからです。それと空手が仕事であり趣味なので、家族といる時間を犠牲にする必要がないというのもあります。私は妻や子供達と一緒に遊んだり食事をしている時間が1番幸せです。みんなで話をしながら美味しい物を食べている時間が1週間で1番幸せな時間です。長男と次男が美味しそうに沢山食べている姿を見ると安心し幸せを感じます。だからけっこう週末は子供達が食べたいと言った物を食べています。たぶん私の今の幸せは、妻や子供達が幸せである事なのだと思います。
横浜の大さん橋へ護衛艦いずもの一般公開に行きました。長男も次男も護衛艦いずいずもの中に入れたり、自衛隊の方に質問をさせて頂いたり、握手して頂いたり、一緒に写真を撮らせて頂いたりと本当に大喜びでした。
昨日、大森道場のビルで火災が発生しました。火災が発生したのは幼年少年初級クラスの稽古中でした。8名の生徒が稽古していました。消防車のサイレンが近くに聞こえたので窓から顔を出すと道場の前に消防車が止まったので、子供達を直ぐに広場に避難させました。避難した後に消防車がぞくぞくと到着くし、道場の前の道路が閉鎖されました。少ししてから安全確認が取れたので子供達と道場に戻りました。道場に戻ってから、みんなで反省会をしました。避難する時に稽古の並び順で避難せず、順番がバラバラに前後した事、広場に着く前に気を抜いておしゃべりをしていた事、広場でピシッとしていなかった事などを叱りました。でも思ったより子供達は早く準備をして急がず焦らず階段を降りていました。でも大火災だったり、もっと人数が多かったら、と思うので反省会をし子供達を叱りました。何事もなかった事も幸いでしたし、子供達にとっても良い経験になったのではと思います。
「死ぬわけじゃないんだから」と言う言葉を私はけっこう使います。先ずは、何かに取り組む時とか、腹を決める時とか、何かを決断する時とか、何かに臨む時とかに使います。投げやりな感じで使っているわけではなく、しっかり石橋を叩いて叩いて、緻密に準備をして、最終的に勝負の舞台に上がる時に「死ぬわけじゃないんだから」と自分を鼓舞するのです。また大きな失敗をした時とか、何かを失った時とか、挫折した時とか、恥をかくようなことがあった時にも使います。これも失敗した自分や、何かを失った自分や、挫折した自分や、恥をかいた自分を慰めたり開き直ったりするために使っているわけではなくて「死ぬわけじゃないんだから」という気持ちでまた次の一歩を歩き出すために使っています。「死ぬわけじゃないんだから」と思って頑張るという事です。最近この言葉を次男が良く真似をしているそうです。「〜で負けたらどうしよう」「〜が出来なかったらどうしよう」みたいな事を人が言った時に、次男は「大丈夫だよ!死ぬわけじゃないんだから!」と言うそうです。我が息子ながら男前だなと思います。その気持ちを忘れないで生きて行けよと思います。
長男と次男は稽古した日は、私が帰宅すると「今日の稽古どうだった?」と聞いてきます。私は「頑張ってたね!」と言ったあとに一言だけ感想を言います。長男も次男も本当に頑張っていると思います。特に長男は、もし私の子供に生まれていなければ極真空手をやってはいなかったのでは?と思います。長男は極真空手を始めて五年経ちます。それまでももちろん極真空手は大好きだったけれど、長男が極真空手を始めてから、さらに極真空手に対して情熱が湧いてきました。極真空手をもっともっと良くして次の世代に残したいという思いが強くなりました。その事もあり空手の研究を熱心にするようになりました。型競技の挑戦もその影響があったと思います。極真空手をもっと良くして次の世代に伝えたい、その思いが叶い、私は極真会館の技術委員になることが出来ました。その事で私は極真空手の礼儀作法や型や分解組手などの見直しや整理に関わることが出来ています。長男と次男が極真空手をやっている事が私の力になっています。
第五回世界大会を東京体育館に観に行ったことで私の人生は大きく変わりました。フランシスコ・フィリョ選手がアンディ・フグ選手に左上段回し蹴りで一本勝ちをした試合が私に衝撃を与えました。自分とたったの一歳しか変わらない選手が、当時スター選手だったアンディ・フグフグ選手を終始圧倒し最後はノックアウトしてしまったのです。あの試合を見て私は、もう今から頑張っても遅いかもと焦りを感じ本気で稽古に打ち込もうと思いました。そして一番は、自分の楽園であった福島での生活を棄てて、東京に上京して本気で稽古に打ち込むことを決めました。それは東京の名門の道場で稽古をしたいというのもありましたが、私の周りのは沢山友達がいたので、福島にいては友達と遊んだり飲みに行ってしまったりと稽古に打ち込むことが出来ないのではと思ったのと、私ももう20歳でしたので福島での自分をリセットして、東京で新たな自分に生まれ変わりたいという気持ちがありました。そして今、私は東京で極真空手の先生をしています。あの時、もし第五回世界大会を観に行かなかったら私は、今いったい何をしているのだろうと思います。すべての出来事に感謝です。
ついに2019年最後の三か月の始まりです。とても良いスタートを切ることが出来ました。最後の三か月を一生懸命に突っ走り、2020年まで一気に駆け抜けて行きたいと思います。
kanno
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