DiaryINDEX|過去の日記|未来の日記
年が明けたと思ったら、もう1月が終ります。ぼやぼやしていられませんね。2月3月4月は鬼の様に忙しくなります。1年の全ての力をこの3ヶ月に出し切る気持ちで頑張ります。いや自分の人生の全てを賭けるつもりで頑張ります。この3ヶ月をどう頑張るかで私の人生は大きく変わると思います。自分の人生と運命と未来は全てここにかかっています。まさにこの一所に命を懸けて臨みたいと思います。
次男は私のスマホで「アンパンマン」見るのが好きです。私が家に帰ると次男は「パパ、ケイタイ、アンパンマン」と呪文の様にずっと言って来ます。
私は本を読むのが好きです。でも「〜が出来る方法」的な本はあまりというか、先ず読む事がありません。何故かと言うと単純に興味が湧かないからです。私は本で得た知識は直ぐに何かに活かそうとは思っていません。だから今直ぐ何かに活かしたいから本を読む事はありません。何かに役に立つかは分からないけどとにかく興味のある本をたくさん読みます。よく読むのは司馬遼太郎、遠藤周作、村上春樹、スティーヴン・キングの作品です。スポーツ選手の書いた本もよく読みます。空手家の書いた本はもちろんほぼ呼全て読んでいます。私は読んだ本の内容はもう読んだら全部忘れてしまいます。読んだ内容は忘れる事で1度、自分の中で寝かせてしまいます。そして自分が何かを体験した時に、その知識を呼び起こして実感として自分の中に取り込んで行きます。だから知識はあくまで知識として自分の中に入れておいて、自分の体験から知識を呼び起こして取り込んで行く、これが私の知識の身に付け方です。回りくどい、何だって遠回りだと思うかも知れませんが、私にとってはこれが最高の方法です。
私の一番の得意技は左の上段廻し蹴りです。私は右利きですので、本当は右の廻し蹴りが得意でした。しかし空手を始めて半年ほどが経った時に事故で右足の内側側副靱帯と前十字靭帯を断裂し手術をしました。その時から右の廻し蹴りを強く蹴ることが出来なくなり左の廻し蹴りを沢山稽古しました。それで左の上段廻し蹴りが得意になりました。人間には不可能はない事をその時に知りました。手術を受けた少し後に休憩室で辰吉丈一郎選手の試合をテレビで見ました。本当に感動して「俺もいつか絶対に空手でこんな凄い試合をしてみせる」と思い、まだギブスをしている状態でしたが、1人で病院の屋上に行き、基本稽古や拳立てなど自主トレをしました。私はあの事故があったから今でも空手を続けている事が出来たと思っています。怪我の光明どころか、怪我が私の一生を決めたと言っても過言ではないと思います。
冬合宿明けから稽古の量をあげてきたのですが、オーバーワークをしてしまったようです。身体中に故障が出て来てしまいました。今日は針治療に行きました。ここからはしっかりと治療をし怪我を治しながら稽古して行きたいと思います。
あと少しで私は44歳になります。人生、時が過ぎるのは早い早いとは聴いていたけど、本当にそれを感じて来ています。あと1年で空手道に入門して30年になります。「千日を初心とし、万日を極めとする」と言いますが、物事を極めるのはなかなか難しいものです。今自分が確実に決めている事は、死ぬまで空手道を続ける事です。そして空手道を極めたいと思います。
次男はラーメンが好きです。次男はラーメンを「レロレロ」と言います。妻にも何故そう言うのかを聴いたら、本人は「チュルチュル」と言っているつもりらしいです。私がたまに家でカップラーメン食べていると、次男は「ナンプン?ナンプン?」と聴いてきます。そして必ず半分ぐらいは次男に食べられてしまいます。
池上本門寺の裏にある坂道をダッシュしました。このコースは22歳ぐらいから試合前の追込みの時期に走り込んでいたコースでした。忘れもしない2007年5月28日に現役最後の試合の前にこのコースを「もしかしたら、このコースを走るのも最後かもな?」と思い、悔いの無いよう死に物狂いで走ったら、人生最高の2分31秒と言うタイムを出しました。このコースをどんなに足が速い中高生に走らせても2分45秒〜3分ぐらいはかかります。一般男性で3分を切ったのは中山だけだったと思います。ちなみ今日の私のタイムは3分でした。自分では43歳にしてはなかなかやるなと思いました。試合までに出来れば2分45秒で走りたいと思います。
「幸せの黄色いハンカチ」を久しぶりに観ました。私はこの作品を小さい頃に父と一緒に観ました。たぶんお正月とかで夜中まで起きていて、父と一緒に観たんだと思います。凄く感動したのを覚えています。主役の高倉健さん、武田鉄矢さん、桃井かおりさん、みんな凄く大好きです。健さんの奥さん役を演じた倍賞千恵子さんも凄く大好きです。その影響か私の理想のカッコイイ男性像は高倉健さんで、理想の女性像は倍賞千恵子さんでした。昭和の苦労の中で強く生きている人間の良さが凄く出ていて好きです。自分が大人になった今も昭和の大人の人達は、今でも凄く大人に感じます。そして「幸せの黄色いハンカチ」を観て思う事は人間はどんな失敗や間違いを起こそうと、自分の人生が終わってしまう失敗や間違いなんて無いという事、人生には希望があるという事、人生は素晴らしいという事、一生懸命に恋愛をしなさいという事を教えてくれます。
次男の靴を買ったあと、家族でカラオケに行きました。長男と次男はピコ太郎の歌やウルトラマンの歌を歌っていました。妻と長男はパーフェクトヒューマンを5回ぐらい歌っていました。次男と私は主には戦いごっこをしていました。長男も次男も大きくなって来たので2人にずっと絡まれているとなかなか大変です。まあパパ、パパとなついてもらえてるんだから幸せです。
長男がごはんをよく食べるようになりました。マクドナルドのハッピーセットをペロっと食べるようになりました。食のよい子はもっと食べるのかもしれませんが、食の細かった長男にしては大きな成長です。オモチャもお目当のマリオで大喜びでした。
約8年ぶりに試合にエントリーしました。試合に出る以上は優勝を狙いますし、優勝出来るだけの努力をして試合場に上がりたいと思います。それが試合場へ対して、対戦相手に対しての最低の礼儀だと思います。その上で決まるのが勝ち負けですから、どんなことに対しても動じずに受け入れる強い気持でいたいと思います。たぶん相当緊張すると思います。たぶん相当しんどい思いをすると思います。たぶん相当痛い思いをすると思います。試合までに心と身体を鍛え、どんな事にも負けない覚悟を作りたいと思います。
宣言した通り、国際親善大会の型競技35歳以上の部と組手35歳〜44歳マスターズクラスー80キロの部にエントリーしました。自分がどれほどの人間なのか?見てみたいと思います。
空手が東京オリンピックに採用が決定してから、テレビやCMや駅などのポスターで空手を目にする事が増えて来ました。空手道がメディアで大きく取り上げられる事は、本当に良い事ですが、この事を手放しで喜んでいる事は出来ません。東京オリンピックに採用されたのはあくまで全空連の空手道で極真空手ではありません。でも極真会館は松井館長のおかげで全空連の協力団体になる事が出来ました。これを追い風にするのも、逆風にしてしまうのも、支部長の運営次第、道場の活動次第となります。私は今、全空連の空手道も稽古しています。生徒の中から東京オリンピックを目指す生徒を育成したいと思います。空手道がオリンピックに採用された事を必ず追い風にしてみせます。
次男が6月に手術をする事になりました。その事を妻が長男に話すと、それから長男は次男に対して、今までよりも凄く優しく接するようになったそうです。ただ次男はそれを良い事に、長男にイタズラ放題しているそうです。次男が長男に、物をボンボン投げているのを妻が見て、次男を叱ったら、長男は「マシロは手術するんだから、可哀想だから、コハクが我慢するから良いよ!」と言ったそうです。次男は「ハクちゃんが良いよ!って言ったよ」と言って物を投げ続けていたそうです。長男の優しいとこも、次男のヤンチャなとこも、私は愛しています。
次男はだいぶお話が上手になりましたが、私は次男のお話を理解できない部分があり、次男は伝わらない事にストレスを感じて怒ったりします。でも妻はかたことの次男のお話を完璧に理解して、次男と会話しています。やはり母親は凄いなと尊敬します。私も息子達への愛情は誰にも負けない気持はあります。でもやはり妻の息子達に対する愛情には敵わないと思います。息子達と妻の関係を見ていると本当にそれを感じます。息子達も私には見せない姿を妻には見せるようです。少し寂しい時もありますが、自分のお腹を痛めて子供を生んだ母親には敵わないのは当たり前なのかも知れません。
私は東京に来て43年で得た最高の財産は、人との出会いだと思っています。逆に言えはそれだけが自分が東京で得た由一の財産かも知れません。自分がどんな生き方をしているかで出会いはかなり変わって来るものだと思います。これからも良い出会いが沢山あるよう、そして今までの出会いを大切にして行けるようにしたいと思います。
私が運営する極真会館東京城南京浜支部の新年会でした。とても楽しい時間を過ごしました。私を理解してくれる温かい人達に囲まれて、自分はなんて幸せな人間なんだと思いました。でもだからこそ私は自分に厳しく日々精進しなければならないと思います。自分が皆さんに応援して頂くに値する人間である様に日々、自分との戦いに打ち克って行きたいと思います。極真会館東京城南京浜支部はもはや私だけのものではありません。極真会館東京城南京浜支部は今までこの道場で稽古をした道場生皆さんの物です。だから極真会館東京城南京浜支部は菅野道場ではありません。菅野道場なら私が死んだら終わりです。でも極真会館東京城南京浜支部は私が死んでも必ず続いて行きます。私達がこの道場に汗と涙を流し青春を燃やした事は、ずっとずっと遠い未来に繋がって行きます。私達が素晴らしいと信じた意志はずっと誰かに繋がって行きます。
昨年末帰郷した時に、とてもお世話になった先輩と数年ぶりにお会いしました。先輩とはお酒の席は何度もご一緒させて頂いていましたが、先輩とお酒を一緒に飲むのは初めてでした。話しても話しても話しは尽きないほど話しをしました。先輩に「こうやって仲間と会う事は、自分がカッコイイ人生を生きてるか?自分が間違っていないか?答え合わせなんだ。」と言われました。いつ先輩にお会いする事になっても、恥ずかしくないよう、しっかり男を張って生きて行きたいと思います。
長男と次男は仲良しですが喧嘩もよくします。長男は次男の事が可愛くてついついちょっかいを出してしまいます。次男もなかなかきかなくて長男に「ベー」と言って、自分から挑発したりします。長男も「マシロ!行くぞ!」とか言っていつも兄貴風を吹かせています。私は男兄弟がいなかったので2人を見ていて、男兄弟っていいなと思います。私は子供の頃は弟が欲しかったです。まあでもある意味、長男と次男が私の弟のような感じです。
最近、うちの次男はすごく怒りん坊です。次男は相手が話している内容は理解しているのですが、まだハッキリとお話が出来ないため、自分が話している事がいまいち相手に理解されず怒っているようです。兄弟でも長男と次男は全然成長が違います。長男はお話はすごく早くて3歳前にはしっかりとした会話が出来ました。でも食事や着替えはなかなか自分で出来なかったように思います。次男は逆でお話は遅いけど、食事や着替えは早く出来るようになりました。最近は自分でオシッコが出来るようになりました。駅や公園などの公衆トイレでも自分でオシッコをします。なんで兄弟で同じ様に育てたのにこんなに違うのか不思議です。でも2人が同じ様な性格だったら子育てがつまらないのだろうと思います。
私が運営する極真会館東京城南京浜支部の冬合宿終わりました。生徒達の成長する姿をたくさん見ることが出来ました。本当にやりがいのある仕事をさせて頂いている事に感謝しています。
今日から極真会館東京城南京浜支部の冬合宿です。参加する生徒には新たな気持ちで1年を始めるキッカケになる、新たな反省や目標、新たな気付きを得ることが出来る合宿になって欲しいと思います。
本日の稽古始めにより、極真会館東京城南京浜支部の2017年が始動しました。今年は道場のクラスを増設し、道場生の皆さんがより良い環境で稽古に参加出来るようにしたいと思います。
三峯神社で行われている極真会館総本部冬合宿最終日でした。早朝稽古が終わり、下山と滝浴びがありました。下山で身体が温まっていたので、水の冷たさはさほど感じませんでした。この合宿の成果を一年の原動力にしたいと思います。
三峯神社で行われている極真会館総本部冬合宿二日目は早朝稽古から始まります。さすがに三峯は寒いです。郷田師範の指示で、一般部は上半身裸で稽古をしました。基本稽古をし三峯神社の境内をランニングします。ランニングが終わったあと、みんな道着を着ましたが、私は郷田師範が来るまで待とうと思い道着を着ませんでした。それに郷田師範の指示で道着を脱いだので、郷田師範の指示で道着を着なかったら、自分に負けた事になると思ったのです。午後は22キロマラソンがありました。結果は3位でした。苦しい楽しい学びの多い22キロでした。夜は館長のお部屋でいろんな話をたくさん聴かせて頂きました。本当に学びが沢山ありました。
今日から三日間、三峯神社で行われる極真会館総本部冬合宿に参加しています。この冬合宿から私の本格的な1年の活動が始まります。この合宿で体験する寒さや苦しさや辛さの中で自分の心と身体がどう反応し、自分がどんな行動を起こすか?そこから生まれた反省や自信から1年の目標を明確に設定するようにしています。また松井館長の稽古を受けたり、講話を聞いたり、館長のお部屋でお話を聴かせていただける事で、勉強になり意識が高くなります。そしてこの三日間は一空手家、一生徒になって一心不乱に稽古をして、汗をかいて、大きな声を出して、一所懸命に打ち込む事が出来る貴重な時間です。
今日は父と母と朝食をとり、両親は妹の家に行ったので、私は道場に行き、柔軟体操、基本稽古、型、ランニングを3時間かけて行いました。そのあとラーメンを食べ映画を観に行きました。帰宅し合宿の準備をしお風呂に入りご飯を食べました。さて明日から戦いが始まります。一年の初めにビシッと気合を入れて稽古して来たいと思います。
父と母と私で車で東京に帰って来ました。ついに私の休みも終わりという感じです。東京に帰って来たという事は戦う為に帰って来たという事です。明後日からは総本部の冬合宿です。その為に休み中の10日間毎日飲んでいたお酒も今日は飲みませんでした。いよいよ2017年の戦いが始まるという緊張感が出てきました。
明けましておめでとうございます!2017年が始まりました。私は24年続けている年越し稽古をしました。23時から柔軟体操をし、23時30分から外に出て、基本稽古を全て20本と型を行いました。気が付けば0時30分になっていました。稽古で汗を流しながら年が終わり年が始まる、なかなか良いものです。朝起きて両親と妻と長男と次男と「明けましておめでとうございます」と挨拶をし、妻の実家に挨拶に行き、家族で亀岡神社にお参りに行きました。そのあと12キロの山道を走りました。山道を走りながら2017年の目標を明確に思い浮かべ、いろんな事を考えたり思い巡らせたりしました。そんな風に走っていたらあっと言う間に12キロが終わった感じでした。私の今年の目標を具体的に言えば、国際親善大会で組手と型の両方で優勝する事です。そして自分が頑張る姿で家族を道場生を引っ張って行きたいと思います。走り終わったあとは型を稽古し、補強を行いました。
kanno
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