DiaryINDEX|過去の日記|未来の日記
多摩川の土手を10キロ走りました。9月半ばから走り込みを開始しましたが、10月半ばに左足の甲を亀裂骨折するアクシデントがありましたが、やっと今日10キロ走る事が出来るようになりました。体重も82キロになり、だんだん身体も軽くなってきた感じがします。来年1月4日〜6日に三嶺神社で行われる総本部の冬合宿に向けて頑張りたいと思います。
子母沢寛の「新選組始末記」を読んでいます。自分の生き様を世に知らしめようと、また後の世に残そうと必死に生きる姿が私は大好きです。
体重が82キロになりました。順調に体重が落ちています。来年は国際親善大会もありますし、長男の幼稚園の卒園式と小学校の入学式、次男の幼稚園の入園式があります。一生残るとても大事な写真なので今からしっかり身体をシェイプアップして維持して行きたいと思います。
妻と長男の琥白は幼稚園で一番仲の良いお友達の家にお呼ばれで遊びに行ったため、私は次男の真白と品川のアクアパークに行きました。流石に休みの日は混んでいます。でも真白は聞き分けが良いので本当に楽です。琥白の時は本当に大変でした。それがあり楽に感じるのかも知れません。次男とイルカショーを見ました。アクアパークのイルカショーは凄く近くで見れるので迫力があります。私は凄く好きです!これで早くも年間パスポートの元は取りました。
木曜日には雪が降り、本格的に寒くなって来ました。秋が短かったなという感じがします。薄手のスカジャンの出番がもう終わりか?という感じです。出来たらもう少し着たいです。でも考えるとオシャレって不便というか、面倒というか、我慢しなくてはならないというか、結構大変な思いをします。ジーパンはカッコイイの履こうと思えば動き辛いし、ブーツは重いし、スカジャンは寒いし、皮ジャンは重いし、寒いからとインナーを着込むとモコモコしてカッコ悪いから我慢しなくてはならないし、本当にオシャレは大変です。でもオシャレを忘れると自分の体型も服装もダラシなくなってしまいます。歳をとってきたからこそ、自分の体型にも、身嗜みにも、オシャレにも気を使って行きたいと思います。
約4年勤めた朝の仕事の最後の勤務でした。少し寒い中を缶コーヒーを飲みながら仕事に行くのも今日が最後かと思うと少し寂しい気持になりました。この仕事には本当にいろんな事を学ばせて頂きました。本当に感謝しています。
昨日は両親と久しぶりに一緒にお酒を飲みました。本当は父に付き合って一杯だけのつもりが、ついつい飲み過ぎてしまいました。父の話は本当に面白いです。父は生まれた時から苦労の連続で、とても壮絶な人生を送って来ました。でもだからこそ話を聞いていて凄いなと思います。
今日は本当は家族でディズニーランドに行く予定でした。長男が前からディズニーランドに行きたいと言っていたので行くことにしたのですが、急遽、私の両親が家に泊まりに来る事になりました。長男は「ディズニーランドに行かないで、東京ドームにおじいちゃんとおばあちゃんを迎えに行く」と自分から言ってくれました。本当に優しい子だなと感心しました。私にとっては100点の息子です。その優しさをなくさず成長して欲しいと思います。
次男と品川のアクアパークに行きました。平日はわりと空いているので、ゆっくりと見る事が出来ます。クラゲが幻想的で凄く綺麗です。あとイルカショーが凄く迫力があり楽しかったです。次男も凄く喜んでくれました。
私は、自分の事や考えや思いが人の目に触れるものは、この菅野日記の他にも、道場のアメブロとfacebookをやっています。菅野日記は、私の日々の生活の日記です。そしてその生活の中で感じた事や考えた事や思った事、また私がずっと忘れたくない出来事や書き残しておきたい事や、家族に残しておきたいメッセージ、少しだけ自分が思う主張を書いたりしています。道場のブログは道場の日々の稽古や行事の記録や、お知らせに用いています。facebookは道場の事も載せますが、自分のプライベートな事や残しておきたい子供達との事を載せています。私がこのような人の目に自分の生活や考えや思いが触れるものを乗せる時に気を付けている事が一つあります。それは何かを嫌いとは書かない事、誰かの考えを否定する事は書かない事、今起きている社会現象に対して軽率な意見を書かない事などです。自分が何かを発信するならポジティブな事を発信したいと思います。私が何かを好きだと書いた時に、「あんなものが好きなのか?」とか思われる事もあると思います。私が何かを好きと言った時にそれが嫌いな人は不快な思いをされるかもしれません。これは仕方ない事だと思います。でも私が何かを嫌いと言った事で、それが好きな人のことを傷つけたくないと思います。それに1番は嫌いとか不満とかネガティヴな事を発信すると必ず自分に返ってきますし、自分の心が減って行く感じがします。常に好きなものや好きな事を増やし自分の心を豊かにしたいと思います。
長男と次男と礼拝に行きました。今日はとても良い話を聞く事が出来ました。ルターが言った言葉で「明日、もし世界が終わるとしても、私はリンゴの木を植える」と言う言葉でした。原文のままではありませんが、意味は間違えていないと思います。
今日は指導のあと妻が外出のため、長男次男と男三人でご飯を食べに行きました。二人とも今日はたくさんご飯を食べていました。子供達がご飯をたくさん食べている姿を見るとなぜか安心します。そのあとは銭湯に行きました。次男はなんど注意してもお風呂で走っていましたが、1度転んで痛い思いをしたら、もう走らなくなりました。やっぱり、親が口で言うより、本人が自分で体験する事が大切なのだと思いました。息子達もお風呂好きなのでいっぱいいろんなお風呂に入って楽しかったです。寝る時は怖い話をしながら眠りました。
第58代横綱・千代の富士だった九重親方の著書「綱の力」を読みました。私が小学生の頃は必ず家族で大相撲を見ていました。その時に1番強かった力士が横綱・千代の富士でした。本当に強くてカッコ良かったです。私は千代の富士の負けた姿を鮮明に覚えています。と言うのは千代の富士はその時とても強く、負ける所を見る事はほとんどないと言う感じでしたので、千代の富士が負けた所を見たら、なんか凄く貴重なものを見た気持になりました。逆に勝っている姿は沢山見ているので、どれが鮮明にと言うとそんなに記憶になかったりします。そのぐらい強い力士でした。あと覚えているのは土俵入りの姿が凄くカッコ良くて、子供心に「仁王様みたいだな」と思った事です。いろいろな記憶を思い出しながら本を読み、感動したり、勉強になったりしました。
今の時点で来年のカレンダーには6月までびっしり予定が入っています。特に来年の2月が忙しくなりそうなので、今からしっかり準備をしたいと思います。
体重が絞れてきて、前より動きにキレが出てきました。稽古していても自分が出す突きや蹴りがシャープになって来たなと感じます。それは嬉しい事ではありますが、まだまだ自分の技は自分の体力や筋力から出来ている技だと言う事でもあるので、まだまだだなとも思います。自分の目指している技はもっともっともっと遠い所にあります。それを自分の一生を賭けて追い求めたいと思います。昔、私の師匠が私に本をくれた時に表紙の裏に「求道無限」と書いてくれました。その言葉は今も私の人生の指針となっています。
長男はなかなか忙しい幼稚園児です。月曜日と水曜日と土曜日は空手、火曜日は体操、木曜日は水泳をやっています。習い事がない日は金曜日と日曜日だけです。でも日曜日は礼拝に行っています。今日も幼稚園から「ただいま!」と帰って来て、私が「おかえり」というと、長男は園服を脱ぎカバンを置いて「今日はこれから体操だから、園服とカバンを置きに来ただけなんだ!体操に行ってくるね!じゃあね!行って来ます!」と行って出て行きました。なかなかカッコイイ奴だなと思い「行ってらっしゃい」と見送りました。苦も当たり前と思えば楽にもなり、楽をしようと思えば苦しくなると言う言葉がありますが、何かを頑張る事が当たり前になってくれれば良いなと思います。でも多分一番大変なのは、家事をしながら送り迎えをする妻だと思います。感謝しています。
やっと人から「痩せましたね!」と言われました。この一言をはじめて聞けた時が最高に嬉しいです。そして「もっと頑張るぞ!」という気持ちになれます。今の体重は83キロです。今年の年末までにあと5キロ落としたいと思います。
長男と次男と三人で礼拝に行きました。長男は教会に入ってくる時に私と次男にニコッとしました。次男は私の隣でちゃんと座り、お祈りの時はちゃんと手を組んで目を瞑りお祈りをしていました。今日の礼拝では神様はみんなの中にいるという話を聞きました。礼拝で歌う「君は愛されるため生まれた」という歌を聴くとジーンと来るものがあります。長男も一生懸命に歌っていました。長男とは礼拝の帰りはいつも礼拝で聴いたお話について話しながら帰ります。そんな時間を大切にしたいと思います。最近は長男と次男と三人で銭湯にも行きます。男三人で行動出来るのは本当に楽しいです。男兄弟がいなかった私には二人は弟のような存在です。
着々と新しい事を覚え、新しい事を出来るようになっています。来年に向けしっかり種を蒔いています。収穫に満足する事なく、常に次の手を考えて、種を蒔いて行きたいと思います。
まだ11月の半ばですが、私の頭は来年の6月まで行っています。道場を開設してから、もうずっとそんな感じです。もっと言ったら自分の手帳には私が65歳になる22年後の所までいろいろ書かれています。
「桜田門外の変」に関する本を読んだり、映画を見たりしています。幕末は黒船が来航した時から始まったとも言えますが、私は桜田門外の変から始まったとも言えるのではないかとも思います。それが良かった事なのか?悪かった事なのか?は私には分かりません。でも本気で国を想い、人になんか任せられない!俺がやらなきゃ誰がやる!と命をかけて、誰よりも魁て行動した熱い人達が起こした事件だったのだと思います。そして確実に命をかけた彼らの行動が後の日本の未来を変えたと思います。私はやっぱり幕末が好きです。
私は小さい頃から、凄く死というものに対して恐怖を抱きました。死が怖いからこそ、死というものについて考えました。はじめは人間は必ず死ぬんだという事を受け入れる事が出来ませんでした。自分の身近な人の死を見た時に、人間は必ず死ぬという事を受け入れざるおえなくなりました。その時に、この世界中の人が全員いつかは死ぬんだと実感し驚愕しました。そして今まで生まれた生物、全てが死んだのだと知り、さらにさらに驚愕し死を恐れました。でも死は誰に対しても平等だと思いました。生きる時間には差がありますが、生物は生まれた以上、絶対に死ぬという事では平等だと感じたのです。絶対に死ぬ、私がその事を受け入れたのは、私の母の先祖のお墓でした。その時の瞬間を私は今でもハッキリと覚えています。カラッと晴れた日でした。私はお爺ちゃんとお婆ちゃんの事を思い手を合わせていました。その時に自分もいつかこんなカラッと晴れた日に誰かに手を合わせてもらっているイメージがハッキリと頭に浮かびました。適切な表現か分かりませんが、自分が死んでいる時間に比べたら、自分が生きている時間は一瞬にも満たないと思いました。私はその時に、命の大切さと生まれてきた事へ感謝を感じました。そして自分の命を燃やし尽くすような人生を生きたいと思いました。自分の死を受け入れた時に自分の命をしっかり使い切ろうと思ったのです。今でももちろん死は怖いです。でもずっと生きていたいとも思わなくなりました。それは子供達が生まれてからの事でした。子供達の寝顔を見ながら、自分の全てをこの子に繋いで、この子達に見守られながらこの世を去れるなら、それも悪くないと思えるようになったのです。
全日本大会中もあまり不摂生しないでストレッチとランニングと食事制限を頑張りました。特に食事制限は頑張りました。3日と5日はお酒を飲みましたが、炭水化物は摂らないようにし、大会中の4日間は朝と昼のご飯は食べませんでした。3日と5日と6日はストレッチとランニングをしました。そのおかげもあり体重は85キロになりました。12月23日までには必ず78キロにしたいと思います。家に帰るとクリスマスツリーがありました。クリスマスの飾り付けもしてありました。妻と長男と次男で頑張ったようです。いよいよクリスマスが近づいて来ました。クリスマスイブは長男の誕生日なので私達家族にとってとても大切な日です。最近、次男は「あーそーぼ」「なんでー」「えー」などと言うようになりました。来年は長男が幼稚園卒園と小学校入学、次男は幼稚園入園と本当にいろいろ大変です。だからこそしっかり稽古して試合に出て、道場の経営と運営と指導も頑張りたいと思います。
東京体育館で全国支部長会議が行われました。今年の総括から来年に向けいろいろな議題があがりました。私も、さらに極真会館の発展に貢献出来るよう頑張りたいと思います。帰宅してから長男と次男と3人で銭湯に行きました。3人で銭湯に行くのは初めてでした。長男も次男もお風呂が好きなので、楽しかったです。
第48回全日本空手道選手権大会が終わりました。ベスト4が全て日本人だった事が嬉しかったです。と言うのも11年ぶりの日本人同士の決勝戦でした。やはり空手道は日本の武道ですから日本人に負けて欲しくないと思います。そして国際空手道連盟ルール改定後初の全日本でしたが、凄く試合が面白かったし、素晴らしい技術がたくさん見る事が出来ました。
第48回全日本空手道選手権大会の初日でした。国際空手道連盟ルール改定後初の全日本空手道選手権大会の記念すべき第1試合の主審を務めました。第1試合から第8試合までの8試合を主審しました。どんな試合になるんだろうと言う会場の緊張感や選手の緊張感を感じ、私も緊張しましたが、あの緊張感のある試合を主審させていただいた事はとても良い経験になりましたし、とても光栄な事でした。孫の代まで自慢話にさせて頂きたいと思います。
明日から行われる全日本空手道選手権大会の審判講習会が東京体育館で行われました。そのあとは河岡先輩と友達の春日部さんと飲みました。その後は昔の後輩と飲みました。後輩達は「先輩変わってないっすね!」と言うので、「馬鹿野郎!昔より偉くなってんだよ!」と返しました。まあそんな返しをする私は本当に変わっていないんだと思います。結局朝の4時まで飲みました。楽しかったです!
長男と次男と3人でお風呂に入って遊んでいたら、長男が「ウワー!」と急に叫びました。「どうした!?」と私が言うと「ウンチ!」と長男が指さした場所を見ると、次男の足元にでっかいウンチが3つ落ちていました。みんなで速攻でお風呂から上がり、長男と次男と私の身体を洗い、長男と次男の身体をタオルで拭いてから、ウンチを片付けました。長男は「ウンチ風呂だ!」とハイテンションでした。私がウンチを片付けているときも「パパはウンコ特捜隊だから、ウンチなんか怖くないよね!」と言って私がウンチを片付けているのを、笑いながら見ていました。本当に大変でした!
いよいよ、あと二日で全日本空手道選手権大会です。現役を退いた今でも、10月半ば金木犀の香りがすると、ああ全日本が近いなとドキドキとワクワクして来ます。私が出場した全日本は28回、32回、33回、34回、36回、37回、38回の7回でした。成績は13戦6勝7敗でした。32回がベスト16、38回がベスト32、33回は2回戦敗退、28回と34回と36回と37回は1回戦敗退でした。極真空手を始めた17歳から引退する34歳まで全日本は私の全てでした。何よりも大切な事でした。あの試合場に私の青春の全てがありました。たまにですが、もう一度あの舞台に立ってみたいなと思う事があります。選手の皆さんは今頃は疲れを癒しながら緊張感のある毎日を過ごしていると思います。でも人生で何度もない舞台です。思いっきり自分をぶつけてきて欲しいと思います。自分に勝ちに行って欲しいと思います。その結果として相手に勝てたらと思います。
次男の幼稚園の面接でした。次男は幼稚園のひよこ組に入っている事から簡単な面接で終わりなので、私は稽古を休み家で長男の面倒を見て、妻が次男と面接に行きました。妻と次男が帰ってきたあと、私は神社にお参りに行き、道場に行き榊を変え、大山倍達座右の銘十一箇条を唱和し稽古をしました。そのあと池上本門寺へお参りがてら階段を昇り降りをして足腰を鍛えました。
kanno
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