たけPのクリーブランド(USA)生活

2002年07月18日(木) クリーブランド生活 残り2日

とうとうクリーブランドも あと2日。寂しいな。
今日は引越しの最終段階。段ボール箱を搬出。ベッドの売れた。机も出した。
残るは、TVとPCなど。アパートのインスペクションも終了。depositは30日後に郵送で戻ってくると。ちゃんと戻ってくればいいけど。
昼間、引越し、掃除中、TVでインディアンズの試合を観ていたけど、
またミネソタに負けた。これで3連敗。奇跡の優勝が、どんんどん遠ざかる。
明日は、車を買ってくれた人に配送。名義変更。
車がなくなると、ここクリーブランドでは、もう生活ができない。
2年間住んだクリーブランドを後にするととても寂しい限りだ。
ここ数日はクリーブランドも暑いのでクーラーをつけている。
日本はもっと暑いのだろう。嫌だな。



2002年07月16日(火) クリーブランド生活も残すところ後3日

もうクリーブランド生活も終わりである。あと3日しかない。
なんかとても寂しくなってきた。
今日は朝からパッキングの続きを行い、ほぼ完了した。
MBAのテキストで要らない本を学校の本屋に売りに行ったが、
悔しい事にほとんど只みたいな値段。
50ドル以上のテキストが1ドルとか。
さらには、「この本は買い取りません。」とか言われる。

もっと悔しいのは、Economicsのテキスト。新品で100ドル程度で買った。
あまり使っていないのでほとんど新品。
昨年授業の為に購入。
なんと、新版が出たので、「買い取りません。」と。くそー。
昨年、授業終了後速攻で売っておけばよかった。
とにかく買うと超高いテキストブックが、本屋に売ると只になる。
全く悔しい。
売れ残った本は捨てるしかない。勿体ないけど重いので仕方ない。

パッキングはほぼ終わったが、やはり本やファイルの紙類の箱はとても重い。
衣類は軽いので、重い物を衣類の箱に詰め替えたりして重さを調整。
明日は荷物の搬出をする。部屋の大掃除も明日中にしないといけない。
本当にやる事が多くて忙しい。
そして明日はベッドも売却、机と椅子も取り払おう。
ベッドで寝るのは今夜が最後。
TVはぎりぎりまで置いておきたい。
インディアンズの試合をぎりぎりまで見る為だ。



2002年07月14日(日) 引越し準備 インディアンズ

今日は、朝から引越し準備の続き。物とどんどん捨てる。ステレオやプリンターを梱包。1時からはTVでインディアンズ対ヤンキースをつけて見ていた。
初回からインディアンズの投手チャック フィンレーは打たれまくり。
もう、許したってくてって感じ。4回までで7点も取られた。
7対0。また負けや。

昨日といい、今日といい、NYYにこてんぱんにやられている。もう、「タオル」と投げてやりたい気分だ。また、負けか。クソ。どうせ負けなので、あとは適当に観ながら、引越しの続きをやっていた。

すると6回にはジムトミーが3ランhomerun を打つ。おー、トミー。
7回には頼れる男ビジケルが打って、1点追加。7対4とする。
いつもはこれぐらいで最後まで行くので、今日もお終いだなと思った。

8回にもチャンスをつぶして、7対4のまま、9階裏。いつもなら3者凡退で即ゲーム終了だ。すると、先頭打者がヒットで出た。よし。さらにヒットでランナーが溜まってきた。それから、どうした事か、インディアンズ下位打線、ヒットを打ちまくる。

この辺りから気合を入れて応援だ。TVの音量を上げて、インディアンズ帽子を被った。真剣に応援。太鼓の音にあわせて手拍子。
するとビジケルもまたヒットを打って得点。ずっとアウトだった、バークスも気合でヒットを打った。球場のどよめきが伝わる。1点差。ランナー2、3塁で主砲ジムトミー。ところが敬遠。

7対6 1点差。1アウト 満塁。バッターは、Fryman.
こいつはいつもいいところでアウト。どうもこいつは気が弱そうに思う。
でも、がんばれー。
予想通り。三球三振。「お前、外野フライぐらい打てよ。5番バッターやろ。」と思う。

9回裏 2アウト。満塁。1点差。打者は、Selby。
もう祈るような気持ち。外野フライでは駄目。ヒットを打つしかない。
もう駄目かなと思った。しかし、ライト線に良い当たり、しかしわずかにファール。 惜しい。
カウントは2−2。このまま、負けか。
もはやこれまでか、と思った時、打った。
ライトへ打球は上がる。
大声で「入れ、入れ−」と叫んだ。すると、入ったー 入った。
満塁ホームランだ。
信じられない。やったー。バンザイ。一人で喜びまくり。
インディアンズは全員で彼をホームに迎える。涙が出てきた。
ヤンキース、ざまーみろーって感じだ。
昨日の恨みを晴らしたぞ。

こんな劇的な試合は本当、久しぶりだ。7点差をひっくり返して勝った。
インディアンズ、このまま調子に乗って欲しい。
奇跡を起こして今年も優勝して欲しい。
Go Tribe !!

















2002年07月13日(土) インディアンズ対ヤンキースの試合を観にいく。

もうクリーブランドでの生活はわずか1週間しか残っていない。

そこで、最後にインディアンズの試合を観に行かねば。相手はヤンキース。
電話で切符を2枚なんとか入手。20ドルの席だが、手数料4.5ドルもかかる。
Jeffと彼の兄は友人からチケットを貰える事になったと。
「げ、じゃ1枚あまるぞ。」と言ったら、クラスメートの女性Jenniferが行きたいとの事。

7:05分から試合なのに、6時には未だ自分の部屋でJeffの電話を待っている。
兄が未だ着かないからだ。6時過ぎに彼の部屋に行くと、Jennから連絡があった。彼女もすぐ着くと。結局、彼女の車で6時過ぎに出発。ダウンタウンの駐車場には、6時20分頃着いた。

今日は、試合前になんとか Indians のJim Thome T シャツを買いたいので、急いで球場へ行った。やたら混んでいる。ヤンキース戦の土曜日だからだ。
試合中の発表では観客は42,000人と。

ゲートを入ると、もう後20分ぐらいしかない。
席がある上の階まで登るエスカレータも混んでいてなかなか行けない。
着いたら、急いで店に行き、「Jim Thomeの Tシャツを見せてくれ。」と言ったが、XLサイズしかないと。クソ。仕方ないので、今度はまた一階まで降りてきた。もう7時前だ。やばい。1階の店屋では、幸いMサイズが売っていた。20ドル。
すると、もうアメリカ国歌演奏だ。急いで、field が見える一階席に紛れ込んだ。
帽子を取って、国歌を聞いた。

その後、慌てて、上の席まで行った。ジムトミー Tシャツに着替えて、何とか、プレーボールに間に合った。ところが、初球、ソリアーノにHRを打たれた。さらにむかつく事に、席の近所はNYYファンが大量に居る。奴らは、大声でNYYを応援している。ヤンキースが点を取ると、喜んでいる。超むかつく。ここは
クリーブランドだぞ。「お前ら、NYへ行けよ。」と思った。
むかつくので、「Go back to NY, Go to the hell.」と言ってやった。
試合は、最悪。2回にも7点取られて、もう試合にならない。
NYYファンが騒ぐし。

NYYファンが球場中、至る所に居る事が分かった。不愉快極まりない。
しかし、インディアンズは全くいいところなし。途中から、Jennifer が「こっちの席が空いておるのでおいで」と。
私の席は通路沿いで人が邪魔で見えなかったので、向こうに行く事にした。ところが、その席の周りは正に、皆ヤンキースファン。彼女もそうだ。
半分酔った。ヤンキースファンが立ちながら、叫んでいるので奴が邪魔でぜんぜn見えない。むかつくので、Sit down と怒鳴ってやった。

まー、試合は大差が開いているので、今更、気合を入れてもインディアンズは勝てそうにない。仕方ないので、プレーを楽しむ事にした。
せめて、トミーのHRが観たかったけど、いいとこ無し。。

ヤンキースは1−4番まで3割打者を揃えている。9番打者でも2.60だ。インディアンズはクリーンアップですら3割打者が居ない。これでは勝てない。
まー、ヤンキースは金の力で、有力選手をかき集めているのだから、負けないはずだわ。日本プロ野球の東京のどこかの球団と全く同じ。もともとヤンキースは嫌いだっだが、今日の試合を観て、とことん嫌いになった。こんな金満球団。是非たたきつぶして欲しい。でも、今年のインディアンズはしょぼいな。負けるな。。

9回裏には、一階に移動して、field levelに入って観た。結局14対5.完敗。最悪。今まで見たMLBの中で最悪の試合だった。NYYファン、とっとと地元へ帰れ。

もう、これでJacobs Field に来る事はないだろうな。惜しいな。もっと来てインディアンズを応援したいのに。

試合の後は、Jeff達とflat地区のディスコ・バーに行った。川沿いなので、屋外でダンスや飲みができる。半そでだと、肌寒い。夕食は球場で食ったホットドッグだけなのでとても腹が減っている。でも、食べ物がない。力が抜けてきた。
結局2時ごろ、部屋に戻って来た。






























2002年07月12日(金) 引越し準備 一時帰国

親不知が治ったと思ったら、本当に最悪の事態が発生。
クリーブランドからの引越しを窮境、早めざるを得なくなった。
来週末には引越し。
それも窮境、日本に一時帰国せねばならない。最悪。
数日前より慌てて引越しの準備を始める。
MBA2年間のテキストやCase, Handoutsなど、できるだけ身軽にする為、もう読まないであろうものは片っ端から捨てる。
それでも、かなりの重いテキストと、ファイルが残ってしまった。
ムービングセールに売りに出したが、急な話なので未だあまり売れていない。
クリーブランド生活も、残りわずか1週間となってしまった。
最後に明日、インディアンズ対NYヤンキースの試合を観にいく事にする。

日本に帰るのは超面倒である。8月には再度USAに戻って来るけど。
日本は暑くて不快だろうな。でも、日本食が食べれるのはいいけど。
東京の街は人が一杯で、タバコ臭そうだな。嫌だな。
本来ならば日本にはまだ後数ヶ月は帰らないはずなのに。



2002年07月08日(月) 未だ親不知が痛い

親不知を抜いて、一週間になるが、まだ少し痛む。炎症が治っていない為か。ずっと痛いので、なんとなく物事をする気がせず、寝ている。
寝ていると痛みが少し和らぐ感じだ。
午後からは、スーパーへ行き野菜を買った。カレーライスを作るため。

今夜は、大リーグ オールスター戦のホームラン競争だった。
ミルウォーキーのミラーパークは大盛り上がり。
オールスター戦を生で観たいものだ。

イチロー、佐々木もチラッと映った。
決勝はサミーソーサ対 NYYのジアンビ。ジアンビが優勝。
ソーサのスイングはとても早そうだ。明日はオールスター戦本番だ。
大リーグのオールスター戦をTVで観るのはもう今年で最後になりそう。
来年は日本に戻って居るから、見れないだろうな。
大リーグのオールスターに選ばれるのは、本当大変みたいだ。
日本なら普通に選ばれるようなレベルの選手でも、大リーグではなかなか選ばれない。選手のレベルが高いから。オールスター出場はかなり名誉な事である。

ところで、ビタミンCが体に良さそうなので、ラズベリーと、アプリコットを買って食べている。どちらも日本ではあまり食べる機会がない果物で、かつ、私が大好きな果物だ。明日は歯の痛みが取れたらよいのだが。



2002年07月04日(木) Independence Day 独立記念日

今日はJuly 4th. Independence Dayだ。先日、親不知を抜いてまだ体調は万全ではないが外出できるぐらいの体力は戻っている。
Jeffたちとdowntown まで、Independence Dayの記念の花火を観に行く事にした。downtownに車を停めて、エリー湖湖畔まで歩いた。非常に暑い。8時には着いた。まだ人はそれほど集まっていない。なぜなら、まだぜんぜん明るいからだ。花火は10時ごろから開始のようだ。

アメリカでは独立記念日はかなり重要で全米でイベントが行われる。人々も、アメリカ国旗や、国旗の模様のシャツなどを着て愛国心を示す。私もちょうど、「Made in USA, New York」という文字と、アメリカ国旗をイメージしたシャツがあったのでそれを着ていった。

ふと、日本では、愛国の祝日とかあるかな?と思った。天皇誕生日には皇居に人が集まるけど、所詮一部の人だし。建国記念日??全く意味がないような感じ。日本では祝日で国の至る所でイベントとかはしないような気がする。アメリカはストレートに愛国心を示す。素晴らしい事だ。日本ももっと愛国心を持つ必要があるような気がする。

エリー湖湖畔は、2年前の冬、初めてクリーブランドに来た時に散歩したが、当時は真冬で全く人が居なかったのを思い出した。懐かしい。もう2年以上経っている。
今日は人がどんどん集まってきている。あまりに蒸し暑くて、腹も減ったので、何かを食べに行こうという事になった。早速、私が、「hootersへ行こう」と提案。good idea という事でhootersへ。hootersは今回で2回目だ。今日は、cuyahoga river 沿いの屋外の席に座った。川には、大きな貨物船や、クルーザーなどが行き交う。

早速ピッチャーでビールを頼む。食べ物は、今回はseafood にした。Steamed Shrimpを頼んだ。出てきたのは、正に茹でたエビ。簡単に皮がむける。甘辛いソースにつけて食べる。単純な味だが結構美味い。Jeff達は チキンの頼んだ。エビを食べてから一切れ貰った。食べ終わる頃、胃、腹が痛くなってきた。ここ2週間ほど、歯の痛みで、口が開かないし、噛めなかったので、ほとんど物を食べておらず、わずかにスープ、おかゆ、うどんなど、柔らかに物しか食べていなかった。今夜は久しぶりに、ビールと固形物を急に食べたから、胃が痛くなってきた。
まー当然だ。念の為、トイレで休憩していたが、良くなってきた。

10時になったら花火の音がしてきた。急いで、車で花火の近くまで行き。外に出て眺めた。20−30分眺めてから帰ってきた。今年は、良い天気でよかった。昨年は雨が降って大変だった。Jeffに「昨年の花火のイリノイの女はどうしたか?」と冷やかすと、「もう長い事、連絡してない。」と笑っていた。
帰り道、JeffとTomはいつもの近所の飲み屋に行くと、私にも是非行こうと言われたらが、今夜はまだ病み上がりなので止めておいた。まだ歯を少し痛いし。明日の夜外出しようという事にした。







2002年07月02日(火) 親不知を抜く

今日は近所の大病院で親不知を抜いた。先週からの感染症の痛みは未だあった。熱は下がっていた。結局、上下を一緒に抜く事になった。麻酔の後、ペンチのようなもので下の歯を力任せに抜かれた。その後、縫合していると。ところが、上はあっという間に抜けて衝撃もあまり無かった。上は縫合はしないと。終わってからも麻酔が効いているので痛くはない。痛かったのは、財布。結局600ドル(72000円)も払った。保険が効かないからだ。薬代も高い。また目の調子も悪かったので、ついでに眼科にも行った。結膜炎だと。これも数百ドル取られるはず。トータル10万円コース。費用が高いのが一番痛い。抜歯後は痛み止めの薬の為、痛くはないが、やはり発熱してきた。夕方病院から帰り、即寝た。何も食べないで。でもペニシリンが効いたようで、朝には熱もひいていた。抜いた所もあまり痛くない。

10年程前、日本で親不知を抜いた後、死にそうなぐらい痛んだ事を思い出した。当時も大学病院で抜いたのだが。しかし、今回はぜんぜん痛くないし、あまり腫れてもいない。きっと歯の生え方とかが違うのだろう。痛かったのは財布だけだ。

今日行った病院は全米でも有数の大病院なのだが、巨大すぎてとても不便だ。
先ずパーキング代が高い。3時間ぐらい経つともう8ドル。路駐車できないのでパーキングに停めるしかない。全く足元を見ている。
受付後も手続きが面倒。先週の費用を先ず払ってくれと。
「先週は先生が無料にしてくれると言ったよ」と交渉。するとレントゲン代は取りますとか。好きなだけ持っていけとカードを出す。

歯を抜いた後も私は外人なので、international office に来てくれと遠く離れたビルまで、歯が痛むのに行かされる。ただ、これはどうも外人割引の為ゆえ仕方ない。

薬を貰う(買う)場所も混んでいて30分待ち。高い金を払わされてこの不愉快な連続だ。たいした病気でなければ、巨大病院など行くものではない。

ただ、この病院には優秀な先生がたくさん居るらしくて、USAでもここでしかできない大手術とか結構あるみたい。中東の産油国の金持ち王様がチャーター機で検診とかもにも来らしい。



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