詩的エッセイ、つづっています。...笑 満ちる

 

 

自分を信頼してあげるということ。 - 2007年03月31日(土)

春から、久しぶりのフリーランス。

思えば7、8年前に、離婚して、実家に帰ってきた。
それまでは、ギター留学中にハリウッドで出会った男性と
パートナーシップで地方でギタースクールをやっていた。
そして英会話を地元の子どもたちに教えながら、
少しずつだけど、あちこちで演奏活動をしていたんだ。


「好きなことやるなら、その前に自活しろ。」

そういう父が、何より恐ろしくって。
好きなことで食べていく、じゃなくて、
何か別に収入を得てから、家を出てからでないと。。

そうしなくては、父に認められないんだ、
そんな脅迫観念を持っていた。
怖かったんだ。

そして、バイトしながらでも
ジャズで、ギターで食べていくってことを捨てた。
どんなことがあってもなんとかしていこう、と、
決意できなかった私がいた。



とにかく、家を出たかった。

バイトだと、時給で報酬が得られるからと、
次から次へと時間を切り売りしてしまうだろうと踏み、
正社員で雇ってくれる、寮に入れる会社を探し始めた。

#今思えば、この考えがそもそもおかしくて!

正社員で他人に拘束時間を決められている方が
自分の責任で時間を切り売りするよりも
他人まかせで無責任。
これって当時の私にとって、
練習できないこと、活動できないことの
言い訳にはうってつけだったんだな〜。


そして、月3万円で寮に入れる
ある会社に入った。

それから、何度も転職を繰り返しながら、
それなりに、どこにいっても独自のポジションを得て、
その会社のビジョンに共感できるところをみつけながら
曲がりなりにもがんばってやってきたつもりだった。
どこでも、一生懸命仕事した。

かたわら、いくつかのバンドやユニットを経た。

でも、根本的に何かが違っていた。
思うようにできない。



そうこうしているうちに、
音楽がまるで嫌になってしまったんだ。



そのうち、街でギターをかついだ学生をみかけるだけで
胸がざわざわとして落ち着かない。ムカついてくる。

自分が成し遂げることができない夢。
うまくなりたい、認められたい、って、
深刻になりすぎたのかな。
身動きとれなくなってしまったがゆえに
ほかの人が意気揚々と音楽の夢を追っていることが
それ自体、憎らしくて。
ばかみたいだけど、本気でそう感じてた。

そんな風に思う自分が殊更、みじめったらしくて。


こんなこともあったっけ。

ある晩、プロピアニストで
当時相当売れ始めた友達から、
電話でライブに誘われた。

(お気の毒に。。)

なぜって?

私は、

「電話でライブに誘われた。」

ただそれだけのことで、
気持ちが煮えくりかえってしまったから。
興奮し、泣きじゃくり、嗚咽した。

幸い理解ある友達で、私の心に積もった負の感情を受け止めて、
2時間もの長電話につきあってくれたんだ。。



その後、とあるきっかけから、
音楽を学び始めたごく初期に出くわしたある基本的な用語を
まるで誤解していた、ってことがわかった。

それは、コード、という単語。

ギターには、「コード」がつきものでしょう。

codeという単語と、chordという単語。
さらに、cordという単語。

これらの意味が、ごっちゃになっていた。

ここには、「響き、和音」という意味があることを、
私は理解していなかった。

だから、初めてのギターレッスンでは先生に、
「弦は、いっぺんにはじいてもいいのでしょうか?」

なんて、ばかげた質問をしていたんだった!

これがわかってから、妨げられていた視界がクリアになり、
驚くほど楽な気持ちになってきた。

私は再びCDに手を伸ばし、またライブに出かけ、
喜びにカラダを揺らしはじめていた。

また、何年も手にすることも見ることも耐えられなかった
ギターを再び手にすることができたんだ。

そうして、新たに出会ったばかりの
気のいい社会人ミュージシャン連中と
音を出し、セッションできるまでになれた。


その後、さらに私の気づきは昇華していった。





去年は、友人に恵まれた。
多くの愛と理解をもらったら、
あるきっかけから気づきがあり、
父の心情への理解が急速に深まり、泣けた。
怖かった父への憎しみが解けてなくなった。


そうして、突き動かされていた強迫観念に
悩まされる必要がないことがわかった。

自分のしてきたことに、
もっと自信を持ってもいいんだ、とわかった。

さらに、自分が本当に夢中になれることが
霧の中から現れた。

それは、気づきを軽〜くて心地よいリズムで
文章にしてつづること。

知的好奇心あふれる遊びごころで、
共感の輪を広げること。

大切だな〜、って思うことを、
お説教にならずさらりと言ってのけること。

思えば、小学生の頃から私は
自分の「雑誌」や「新聞」を発行しては
「もう遅いから寝なさい!」と言われてもなお、
ちまちまと何かをつづっていたんだっけ。。
クリエイティブ、していたんだった。


・・・こうして文章をつづること、
気づくと夢中になっている。


そうして、ギターよりもさらにプリミティブな欲求、
語りと執筆という目的にたどりついたんだ。


そう、すべては、自分への揺るぎない自信に根付いている。


これからは、誰よりも自分を信頼してあげようと思う。
そうして出会う人々は、相互に愛のある憧れの対象になるだろう。

A presto! (See you later!)


笑 満ちる

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何か、とてつもなくよい兆し - 2007年03月05日(月)

好き、をキーワードに触覚を利かせたら、
思いがけない展開になってきた。

欲しかったものが、いともたやすく手に入る。

そんな不思議なことが毎日何かしら起きている。


これは、何か、とてつもなくよい兆しだ。


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