詩的エッセイ、つづっています。...笑 満ちる

 

 

考えを受け取るとき、そして届けるときの、心のキャパについて - 2006年01月19日(木)

私は、自分の主張とまるで違う論旨を
うま〜くPRしている人に出会うと、
「なんだ、こいつ?」と、
まゆがヒクッとなっていた。

その人が、うまく人々にアプローチできていればいるほど、
受け入れられない気持ちが強まってしまって。。


でも、その人の言うことの中で、
かすかにでもいいところをみつけて
「それっていいね」と言うだけで、
相手は心を開いてくれる。


考えでも、お菓子でも、本でも、
届けるものは何でもいい。


何かを手渡すとき、
相手がそれを受け取れるように、と
互いの眼前にひろがる心の畑を耕すのは、
他でもない、自分なんだ、と悟った。


・・・なぁ〜んだ、こっちの許容力(キャパ)の問題だったんだね〜♪


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アメリカ人の仏教徒、ジョーと語る「宗教の寛容の精神」パート2 - 2006年01月06日(金)

さて、はじめに前回の続きから。。


「私が昔勉強していたある書物の中には
 △△教はこうだ、○○教はこうだ、とか、
 他宗を否定することが書かれていたの。

 それを鵜呑みにすると、
 他の人に自分の正しさばかりを
 押し付けることになってしまう・・・。

 かつて私は実際そう振舞ってしまって
 決してうまくはいかなかったよ・・・!

 ジョー、どう思う?」

私は友人にこう尋ねました。

すると彼は
「宗教は人を助けるためのもの。
でも、宗教の名の下に多くの人の命が奪われ、
家族は引き裂かれ、
人生が破壊されてきた、と感じる・・・・。」

こう前置きした後、
ジョーは私からの質問に対してこう続けたのです:

「それは大変難しい問題だね。

それは、宗教がそれを信じる「人々」そのものよりも
大きくなりすぎてしまうということではないかな。

一個人にとって、
教義や哲学に翻弄されてしまうのは
とても危険なことだと思う。

自分たちがしていることが
道からそれていないか、
またなぜそれをしているのかを
しっかりと責任をもって監視し続ける必要がある。
裁きや恐れに負けずにね。

それは個人にとってかなり難しいこと。
教会というは人々の集まりだから、
教会にとってもそれは
とても大変なことだ。

事実、多くの教会はそれに堪えられない。

と、新たな考え方を私に教えてくれました。

そういえば、私も高校生の頃に、
「宗教のために人間がいるのではない、
人間のために宗教があるのだ」

って、教わったっけ。。

考え方が違う人を責めたり、非難してばかりいたら
結果的に自分の宗教まで否定してしまうことにもなりかねません。

人は、
「これは絶対正しいのだ」
という何らかの信念を持つことで、
ものすごいパワフルになることができます。

これは宗教のもつ偉大な力です。

でも、教えの「正しさ」を主張することにこだわりすぎて、
他の宗教が持つ良い点や、共感できる点に
気がつくことすらできなくなってしまう。

悲しいことです。


バンビーノは近頃、それまで知らなかった自分とは違う宗教を持つ、
誇り高いステキな人にたくさん出会いました。

彼らと話していると、
自分の考え方との違いを感じることよりもむしろ、
全く同じ考えを、違う言葉でうまく表現されている、
なんてことの連続だったりします。

まさにここに、自分の考えを見直しながら相手の言い分を尊重し、
理解しあっていくためのブレークスルー
(突破口)となる考え方があると思いました。

私にはまだまだ慢心があり、
ジョーのような「寛容」がないなぁ、
と反省しました。

彼とは今後も連絡を取り続けていきます。



ジョーに、この一連の対話を
日本の友人と共有したことを話したところ、
彼はこのテーマについて
「いつでもさらなる対話を歓迎しているよ!」
というメッセージをくれました!

ジョーになにか質問してみたい人は
ぜひコメントください。
あなたの考えをエイゴに直して伝えてみたいと思います。


ありがとう。


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アメリカ人の仏教徒、ジョーと語る「宗教の寛容の精神」 - 2006年01月03日(火)

バンビーノです。

一年の計は元旦にあり、
新年の目覚めはいかがでしたか?

年末年始は親戚に会ったり
懐かしい仲間と再会したり。
普段とは違った人々とふれあいます。

そんな中、バンビーノはさっそくいいことありました!

10年ぶりに再び連絡をとりあうようになったアメリカ人、
ジョーとの対話がとても印象的でしたので
さっそく皆さんにご紹介しますね。

10年前私は、ロスで音楽を学んでいました。

当時の私はまだ10代。初めて親元を離れ、
アメリカでも熱心に仏教徒として信仰をしていました。

その頃、ともにバンドで演奏しながら
信仰活動をしたアメリカ人、ジョーと、
2005年の11月半ばからおよそ4年ぶりに
再び連絡がとりあえるようになりました!

彼は現在ソフトウェア会社の社長でサンディエゴに住んでいます。
おそらく今は50代半ばくらいだと思います。


私は3年半ほど前に、以前の信仰に加えて
新たな宗教哲学の勉強を始めました。

その事をジョーに告げると、
彼は私が勉強しているものについて
ほとんど何も聞いたこともありませんでした。


それから約1ヶ月がたち、年末に再び連絡をもらいました。
すると、
「君のことと君が新たに勉強しはじめたこと、
 もっと理解したいから少しばかり勉強したんだ」

そういう彼は、驚くほど多くの用語を挙げ、
私が新しく始めた宗教哲学について、
彼が学んだことを教えてくれました。

そして、

『自分にとって真実であることが真実である』

というのが気に入ったよ。


と、新たに知ることになった哲学の中に
彼が実に共感できる一節をみつけたことを
本当にうれしそうに伝えてくれました。


私は、彼のまっすぐな向学心に心から感動しました!


さらに彼は、熱心な仏教徒でありながら、
アメリカ・ソルトレイクシティに本拠地を持つ
あるキリスト系教会について、

「彼らの聖歌隊を知ってるかい?
 彼らの歌は、本当に涙が出るほど素敵だった。
 そして彼らは世界中で実に多くの社会奉仕活動をしているよ!
 例えば・・・」

と、流れ出す清水のような、
みずみずしい感想をもらしました。


Great(素晴らしいね)!


そう私が伝えるとジョーは、

「僕はそれこそ何事にも興味が沸いて来るんだ、
 できることならすべての宗教や哲学を
(そしてすべての偉大な音楽を!)学び尽くしたいくらいだ。


そう答えたのでした・・・・!



そこで私はジョーに、昔から思っていた
こんな疑問を投げかけてみたんです:


「私が昔勉強していたある書物の中には
 △△教はこうだ、○○教はこうだ、とか、
 他宗を否定することが書かれていたの。

 それを鵜呑みにすると、
 他の人に自分の正しさばかりを
 押し付けることになってしまう・・・。

 かつて私は実際そう振舞ってしまって
 決してうまくはいかなかったよ・・・!

 ジョー、どう思う?」



こんな投げかけに対して、
ジョーはどんなことを話してくれたと思いますか・・・?


読者の皆さんの想像した思い思いの
「話のつづき」をきかせてください!


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