「静かな大地」を遠く離れて
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題:224話 函館から来た娘14 画:ブリキの金魚 話:もう函館にはいられないだろうけど、函館以外はどこも知らない
函館行きたいなぁ。北海道に居るころ、何度も何度も訪れた、特異な地形の港町。 海があって、坂があって、市電が走ってて、雪の降る街。五稜郭もまた行きたい。 去年『武揚伝』で大騒ぎしてオランダまで行ってからは、まだ函館に行けてない。 イカ・ソーメンが白いんじゃなくて透明なのも特徴ですね(笑)
富良野や帯広みたいな内陸の町も北海道っぽくていいけど、僕は海に開けた港町 が空気感として好きだったりする。散歩向きだし。小樽とか室蘭とか、親しい街。 最近は『星兎』のふるさと、横浜がマイブームだったりするくらいだし(^^)
「異国情緒」が漂う横浜、小樽、函館、神戸、長崎…なんつってロマンティック に響きだしたのは、きっとその街の獰猛なインフラが翳りを見せ始めてからの話 なのだろうな。経済的に活況を呈しているうちは、ヤクザもいれば芸者達もいた 猥雑な街だったのだ、きっと。金の流れが去れば、彼らは真っ先に裸足で逃げる。 活きている間の函館や小樽は、生臭い「北進日本」の基地だったりしたのだ。 その残り香が、レンガの倉庫だったり、古びた酒場だったりして、観光客を呼ぶ。
欧州でいえばアムステルダム、米国でいえばボストンが、そういう出自の都市だ。 と自分で書いておいて、今さらながら自分の休暇の観光旅行の傾向がわかりやすさ にあきれる、そして面白い。
「もう函館にはいられないだろうけど、函館以外はどこも知らない」弥生さんの ライフヒストリーが続いている。語りが妙に巧いのを“『大菩薩峠』の熱心な読者 だから”という言い訳で逃げるあたりなかなか狡くて愉快な御大の小技が楽しい(^^;
弥生さんの時代と比べると、若い女性の「世界」は無限の如く拡がっている。 そのことを肯定的に捉えたくなるような、爽快な一冊↓を読んでいるところ。
■岡崎玲子『レイコ@チョート校』(集英社新書) (引用、表紙の裏の惹句) アメリカ合衆国で三指に入る名門プレップ・スクール(寄宿制私立高等学校)、 チョート・ローズマリー・ホール。小学校六年生で英検一級を取得した著者は、 そのチョート校に奨学金付きで合格、15歳で入学した。多彩なカリキュラム、 広大なキャンパス、充実した設備、互いを研鑽する寮生活…。一流大学進学を 目的とするプレップ・スクールの中でも、チョート校は学力だけでなく人間性 の育成を重視したトータル教育によって、ケネディ大統領をはじめ有為な人材 を数多く輩出している。世界から優秀な生徒が集まる伝統的プレップ・スクール では、どのような教育が行われているのか?アメリカ高度教育の驚きの実体を、 それを体験している側から、楽しい留学生活を通して浮き彫りにする。 (引用おわり)
昔、高校時代にモーリー・ロバートソン氏の『よくひとりぼっちだった』という本 を耽読していたころから、留学記系には琴線があるようだ。チョート校は僕の中で 重要なテーマのひとつとなっているニューイングランドのコア的な場所にある大学。 ボストンの名家出身の、最早期ジャパノロジストにして一流の天文学者、ローエル についていよいよ書こうかとも思ったけど、明日に差し支えるので、今夜も退散(^^;
題:221話 函館から来た娘11 画:折り鶴 話:窮鳥懐に入れば、と世間で申しますな
題:222話 函館から来た娘12 画:碁石 話:実は私も何か違うと思ったのですよ、と若い方が言った
題:223話 函館から来た娘13 画:輪ゴム 話:百の兵法逃げるに如かず
由良さんと都志姉さんによる、父母の馴れ初めの聞き書きルポが続いています。 今日までのところでは「恋」が誕生する瞬間まで、あと少し…といったところ。
御大の過去作で恋が誕生する瞬間を描いたシーンといえば↓これでしょう。
■池Z夏樹『タマリンドの木』(文春文庫) (引用) 「盛岡のどの辺ですか?」 さすがに相手は不審な顔をする。 「市内です。肴町というところ」 「じゃ、中学校は下橋中ですか?」 「ええ、どうしてわかるんです?」 「ぼくもそうだから。ぼくのうちは大沢川原。営林署の近く」と彼は言って、ちょっと だけ目をつぶり、ゆっくりと深く呼吸した。目を開くと、相手の顔が急に、まるで夕方 の雲の間から赤い日が射したように、明るくなっていた。 「盛岡なんですか。驚いた」 (引用おわり)
下橋中というのは古都・盛岡の歴史を背負った学校のようで金田一京助と石川啄木と いうビッグ・ネーム卒業生を出してたり。どちらも北海道に深い縁のある人ですね。 西東始先生の論文↓など読みつつ、近代史における<地方>の位相に思いをめぐらせる。 http://www03.u-page.so-net.ne.jp/jd5/hspstcl/works/okakura.htm と来れば、強烈な毒を含有する、あの本↓が文庫化されたので改めて手に取る好機かも。
■吉田司『宮澤賢治殺人事件』(文春文庫) (引用 文庫版あとがきより) …言い過ぎを承知でいえば、大東亜戦争をおっ始めたのも終わらせたのも岩手の輩が やったのである。 いま私は、この文庫版『宮澤賢治殺人事件』の出版に勇気づけられて、もう一度その 聖なる岩手に旅立とうと思っている。岩手を回って、山形に入るのだ。なぜなら、山形 は、板垣征四郎と共に満州建国、「王道楽土」の夢(=軍事的ドリームランド)を築いた 関東軍参謀・石原莞爾が生まれ、骨を埋めた故郷だからだ。 (引用おわり)
うーん、考えることが一緒だったり(^^; なんにせよ、とてもエキサイティングな本です。 ある意味ここで『静かな大地』の詳注をつける作業は『宮澤賢治殺人事件』的かもね(^^;
で、演劇集団キャラメルボックスの「ブリザード・ミュージック」の勢いもあってか、 年末に盛岡&花巻を訪れた。駅に着くなり「小岩井リグレ」で昼食。美味しかった〜♪ 雪印@北海道がダメなら小岩井@岩手があるサ(^^)
この流れで盛岡&花巻訪問の顛末を書こう…なんてすると眠れないので止めます(^^;
■『秘密の喫茶店 小熊英二さんに伺う』(編集・発行イーハトーボ) …という下北沢の喫茶イーハトーボで頒けていただいたブックレットを読んでたら遅く なってしまったので。『本とコンピュータ』で小熊先生がかいてらしたやつですね。 小熊ファン必読の興味深い内容です。最近出た網野善彦先生の対談集でもご登場してて 「人類史的転換点における歴史学と日本」というタイトルでお話しされています。
あ、そうそう、名著『ジオラマ論』(ちくま学芸文庫)の続編ともいうべき新書が出たよ!
■伊藤俊治『バリ島芸術をつくった男 ヴァルター・シュピースの魔術的人生』(平凡社新書) (引用、見返し惹句) バリを訪れた人々を惹きつけるバリ絵画、ケチャ・ダンス、 バロンとランダの闘争を中心とした呪術劇チャロナラン…。 これらはロシア生まれのドイツ人がバリ人と共につくったものだった。 彼は自ら絵を描き、写真を撮り、チャーリー・チャップリン、 コバルビアス、ミード、ベイトソンらの案内役をも務めている。 そして、日本軍の爆撃により四十七歳で不思議な生涯を閉じた。
最良のものをバリに捧げた男の人生をたどり、 “美と祝祭の島”“陶酔の島”の秘密に迫る。 (引用おわり ちなみに最後2行は大きい赤字)
これは期待の新刊。パラパラ見てると冒頭近くいきなりアムステルダムが出てくるようだ。 「静かな大地」で北海道をしばらくやったら、日本vsインドネシアvsオランダという三者の グー・チョキ・パーのような関係(?)をメインに近世以降の世界史を眺めるというテーマ で本を読んでみたいと思っている。この本は、そのパズルの重要なピースになりそう。
あと、今年はまず2001年屈指の収穫『ヌナブト』↓を広く知らしめようと画策中。
■磯貝日月『ヌナブト イヌイットの国その日その日』(清水弘文堂書房) http://homepage2.nifty.com/shimizukobundo/nunavut.html 公式ウェブサイトから買うこともできるようですね。 この若きフィールドワーカー、メッセージが先に立たない足腰の強さに信頼感が持てます。
…とかなんとかいいながら今週末も食べることばかり熱心でちっとも本なんか読まなかった(^^; 「妄想の地理学」が肥大化するのみ。
2002年01月24日(木) |
誕生日、ムックリ、英国紅茶 |
題:219話 函館から来た娘9 画:ベーゴマ 話:助けてもらったんだよ、と言って母はしばらく黙った
題:220話 函館から来た娘10 画:おはじき 話:おまえ、芸者に実はあるか、って酔った口調で聞いてきたのさ
『静かな大地』は、弥生母さんと志郎さんとの馴れ初め話が続いています。 三郎さんの話は由良さんの聞き書きルポなのですが、母さんの話は言わば ノロケ話でしかないわけで、どんな「場所」にも恋は生まれ、夫婦が出来て 子供が生まれる、と。結構なことであります。これを言祝ぎまして、今日の 日録のテーマは“幸福系”。まずはとてもチャーミングな“彼女”の慶事。
■ソレイユ、誕生日おめでとう♪ 川原亜矢子さんの愛犬ソレイユ嬢は、1997年1月24日生まれだそうです。 『Domani』誌付録のカレンダー「今日も心にソレイユを!」の最後のとこに ソレイユのプロフィール欄があって、そこに書いてあります(笑)
…次に、先日「世界が内包する音」で触れた、ムックリ=口琴のCDのこと。
■CD『Mon-o-lah モノラー=母なる大地 長根あき』の全国展開♪ (↓デジタルコンテンツ・プロデューサー田原ひろあき氏のBBSより転載)
CD「モノラー」いよいよ全国発売!@長根あき系 長根あきさんのCD「モノラー Mon-o-lah」@ブックスボックスが、 いよいよ今週末から日本全国のCDショップで販売開始となります。 オーダーのあった店をご紹介します。
北海道: 千歳・博信堂 山野楽器 札幌ロフト店 (試聴可能) コーチャンフォー 美しが丘店 (試聴可能) 玉光堂 各店
内地(!?): タワーレコード 渋谷 (試聴可能 2Fインディーズ30枚 5Fワー ルド5枚 見に行きたい・・・) タワーレコード 吉祥寺 タワーレコード 新宿 HMV 横浜 HMV 渋谷 HMV 池袋サンシャイン HMV 数寄屋橋 HMV 池袋 新星堂 博多 新星堂 吉祥寺 新星堂 ルミネ新宿 ヴァージン 新宿 ヴァージン 福岡 などなど。(関西は・・・。泣)
いや関西もあった: 国立民族学博物館ブックショップ ブックセラー アムズ(大阪市北区西天満2-8-1 大江ビル地下1階)
WEB: 日本口琴協会と札幌口琴会議の各ホームページ
全国有名レコード店であれば、どちらでも「メタカンパニー扱い ブックスボックス BWM−B101『モノラー』」でオーダーできます。
どうぞよろしく! http://www.booxbox.com/ (転載おわり)
ま、全国展開って言ったって、ネット上では最初から世界展開済みなのですが…。 このCD、“もの自体”としてフェティッシュに美しいのも気に入っています(^^) 江戸時代に江戸の街でムックリ(口琴?)が大流行した、って話を聞いたことが あるんですが、考証学的に詳細を知りたいものですねぇ。 『バラエティ お江戸でござる』とかで杉浦日向子さんが喋ってたら面白いのに。 あるいは「金曜時代劇」とかで「江戸市中でムックリが流行って大騒動」とか(笑)
江戸の風俗社会史といえば僕のラインではもはや高山宏御大が推すT・スクリーチ さんの世界でしか見れないわけで、家に厚い本を増やすのは嫌なのについ古書店で 見つけちゃった『大江戸視覚革命 十八世紀日本の西洋科学と民衆文化』(作品社) を買わずにいられなかった。未読だけどパラパラめくるだに面白そう。 高山御大が『奇想天外・英文学講義』(講談社選書メチエ)でエスキースをまとめた とおり、江戸とパラレルなロンドンこそ「視覚革命」の都だったわけですね。 もちろんさらなる震源地としてのネーデルランド=和蘭というのも在るわけですが。
“本丸としての大英帝国”を攻めるのは、「静かな大地を遠く離れて」の宿題では ありますが、英国社会史ネタに付きものの「茶の世界史」系の話もさることながら、 お茶そのものも大好きだったりするわけですね。まるで節操ないし(^^;
先日もたまたま通りかかった駅の構内でやってたカナダ物産展の出店みたいなので メイプル・ティーのティー・バッグを買ったのですが、これがなかなかの当たり。 キャラメル・ティーみたいな感じで甘い香りなのですが、当然フレーバーのみで 実際に甘いわけじゃない。メイプル好きの僕としては、思いがけない良い買い物。 もうちょっと沢山買っておけばよかった(;_:) …というくらいのお茶好き。 職場でもよく仏国製の「星の王子さま」マグカップでお茶を飲んでおります。
わざわざ飲みに行くような紅茶の美味しい店って、なかなかないので貴重な存在。 ここ↓は茶葉の販売専門店だけど、新宿にカフェも出店しているので先日出かけた。
■紅茶専門店カフェイエスハウス http://www.yeshouse.co.jp/
この中に新宿のカフェのHPもあります。ここに興味を持ったのは実は店主さんが http://www.mita.keio.ac.jp/~tatsumi/ ここ↑のOBだと知ったため。プロフィールを見ると、お若いときから紅茶にずっと こだわり続けて、それを仕事にしてしまったらしい、その経緯からして幸福系♪ もちろん、出てきた期間限定特製ブレンドらしきお茶もなかなか美味しかったので この人のオリジナル・ブレンドのお茶をいろいろ味わってみたい。楽しみが増えた♪
…というわけで今夜は「小さくとも確実な幸福」系をならべてみました。 さぁ、また『動物のお医者さん』を読んで眠ろう♪
題:218話 函館から来た娘8 画:キューピー人形 話:開拓使長官と言っても、北海道にずっといたわけではないでしょう
黒田清隆の“妻殺し”は、明治日本の鉄血宰相・大久保利通を襲ったテロの一因 にもなったという。テロリストの犯行声明に黒田を処罰しない政府の法治感覚を 糾弾する文面も含まれていたのだ。日本の進路さえ変えるような、大久保の死。 孝明天皇謀殺の嫌疑などに発する、明治政府の正統性の議論はおくとするならば とにもかくにも国を運営していかなくてはならない状況下で、大久保利通という 希有な政治家を失ったのは、もしかしたら致命的な損失だったかもしれない。
残された薩摩の頭目として黒田はいかにも弱い。明治初年から北海道開拓の仕事 に力を注いだ黒田は、のちに「官有物払い下げ事件」の渦中の人物となってゆく。 エドウィン・ダンが尽力し、夢をかけた北海道開拓は、国家財政の支えを失って ほどなく利権の巣窟と化してしまった。その辺りは昨夜も触れた古典的名著にて。
■色川大吉『日本の歴史 21近代国家の出発』(中公文庫) (引用) 北海道の処女地がみるみるうちに姿を消していくのは、むしろ二十三年以降、 とくに明治三十年に開墾地無償貸与の制度が実施されてからである。内地では 自由にふるまえない官僚・華族・資本家・大商人たちも、ここでは遠慮会釈 ない荒っぽさで、広大な土地を囲い込み、やがて小作人をつれこんで家令に 支配させ、自分たちは東京に住む不在地主になってしまった。 「自由な開拓者の土地北海道」という夢はこうして失われていった。 (引用おわり)
このプロセスに倍加してアイヌの人々の悲劇が重なったのは言うまでもなかろう。 その流れの中に三郎の運命の導線もまた在る。
昭和になってこれを満州や南方に派手に拡大して繰り返したのが日本の近代史か。 北海道の不在地主の子弟には有島武郎がいて、後には鳩山由紀夫なんて人もいる。 ふと漱石の『それから』のヒロインの父が何か北海道に関係してなかったっけ…? などと思いはじめると、そのへんはもう西東始先生にお任せするしかないけど(^^)
せっかく色川大吉氏が出てきたのだから、自由民権運動と北海道のつながりなら 断然この劇画↓を押さえるべきでしょう♪
■安彦良和『王道の狗』(講談社) (第3巻より、あらすじ引用) 自由民権運動が激化する明治中期、秩父事件・大阪事件等に関わった 若き自由党員加納周助は、服役中だった北海道上川の仮檻から脱獄する。 一緒に脱獄した風間一太郎とともにアイヌの猟師ニシテに救われた二人は、 途中で知り合った旅の武術家武田惣角と徳弘正輝のもとで働くことになる。 しかし、ニシテは恋人を助けようとして警察に捕まり、自分の無力さを 痛感した加納は、武田惣角に弟子入りをした。 (後略、引用おわり)
蝦夷・北海道の歴史に関しても、琉球・沖縄↓のような本が必要なのではないか? ■新城俊昭著 『高等学校 琉球・沖縄史』(編集工房東洋企画) …などと思ってみたりもする。ふーむ。
2002年01月21日(月) |
この世界はきれいなだけで… |
題:217話 函館から来た娘7 画:独楽 話:お座敷は本当に恐かったよ、と母は重ねて言った
雨の朝。いつもなら自転車で5分の通勤時間が徒歩で15分くらいかかる。 ぎりぎりまで惰眠を貪るためだけに現在の家に転居したわけでもないのに、 いつも結局は散歩したり喫茶店で本を読んだり、というような洒落た朝の 過ごし方は叶わない。意識が覚醒したらしたで昨日まで積み残した仕事の あれこれを想起して、あれもやってないこれもやってない、となるからだ。 その現実から逃避するためにぎりぎりまで惰眠しているとしか思えない(^^;
だから雨の朝はあわを食う。外に出てはじめて雨が降っていることに気づく と遅刻すること必定なのだ。でもなんとか間に合う、致命傷にはならない、 そういうタイミングだと、雨に感謝する。歩いて行けるから。普段は公園 の外周の道路を自転車で辿って職場に着くのだが、徒歩だと家の近くから 公園の中へ入って、そのまま中を突っ切って職場に着くことができるのだ。 つまり最初の20メートル以外は公園の中だけを通って行けるということ。
雨の朝、それも早朝ではなくて少し遅い時間帯になると本当に誰もいない。 勤勉なジョギング愛好家はもっと早い時間に引き上げているし、子供連れ や犬の散歩をしている人もいない。最近話題の東京カラスさえ見あたらず、 外周の道路を走る自動車の音まで雨音に消されて聞こえなくなる。夏なら 樹々は緑に生い繁っているけど、冬となると葉も落ちて生命の気配はない。 都心の空白地帯。歩いている自分も雨音に溶けて消える。あとに残る静寂。
ひとつ前の冬、トウキョウが雪に覆われたことがあった。あの日も淡々と でも実は内心嬉々として誰もいない公園の中を歩いて出勤した。夏の台風 の日にも、小さな洪水に靴を浸しながら、遭難を楽しむように歩いていた。 よく晴れた休日に、沢山の人々が思い思いにくつろいでいる光景を見ると 少し奇妙な優越感に浸る。誰も知らないこの公園の貌を知っていることに。 季節を渡る時間の中にある風景、それを感じるには惰眠も必要なのだろう。
薩摩という近世以来の帝国、つまり琉球を搾取して購った国力で日本国を 「簒奪」した国が、近代の北海道の運命を決めた。我らが榎本武揚公とも 奇縁でもって結ばれている黒田清隆という男は、そうした薩人の頭目だ。 植民地統治のスキルを持つ薩摩の利権としての北海道が明治初期に辿った 道のりは、色川大吉『日本の歴史 21近代国家の出発』(中公文庫)に 詳しい。ケプロンまで招聘して乗り出した開拓の構想は悪名高い松前藩の 場所請負制よりも徹底した搾取を残して溶解、不在地主の利権天国が残る。
芝増上寺という徳川家の菩提寺に構えられた開拓使を出ることなく、黒田 は北海道を遠隔統治しようとした。酒席で芸者たちを震え上がらせ、酒乱 の果てに妻を斬殺するような人物に、権力を持たせるべきではないだろう。 そういう恐い人たちが、喜んでつくった国に住みたいとも思えないだろう。 会ったこともない三郎伯父さんに憧れて歴史に深入りする由良さんのように 季節を渡る時間の中にある、もうひとつの国を幻視する眼力を鍛えること。
公園のほとりの部屋で呟いてみる。「この世界はきれいなだけでOKサァ♪」
2002年01月20日(日) |
With or without坂本龍馬 |
題:215話 函館から来た娘5 画:ゴム風船 話:なにもかも、あんなに遠い昔のことだから
題:216話 函館から来た娘6 画:ビー玉 話:堅気の家の娘だったんだから、三味線なんて触ったこともなかった
由良さんの、函館からきた弥生母さんへのオーラル・ヒストリー調査がつづく。 われわれの“立ち位置”は、「歴史」を見なければ知ることができない。 個人の生活史と大文字の「歴史」、その懸隔を埋めることが難しい。 「歴史」は未だ定まらず、いつもドラスティックに変わりうる。 先日ここで触れた綱淵謙錠『乱』(中公文庫)などは、その好例と言っていい。 日本の行き詰まりや関係諸国との関係の変化は、必ず近現代史はおろか古代史 までも含む「歴史」の見直しを喚起する。
『武揚伝』(中央公論新社)以来、日本の19世紀半ばの変動期についての関心 を高めてきたが、最近注目している孝明天皇について、時機を得た新刊が出た。 孝明天皇にかなりの紙幅を費やしているらしきドナルド・キーンの『明治天皇』 は大部すぎて手に余り、何かハンディな参考書を物色していたところだった。 きょう書店でみつけてまだ通読できてないのだが、どうやら良書のようだ。
■家近良樹『孝明天皇と「一会桑」 幕末・維新の新視点』(文春新書) (帯惹句を引用) 「薩長が坂本龍馬の仲介で武力倒幕を目指す同盟を結んだ」 あなたはこれを「史実」だと信じていませんか?
明治維新の「勝者」だった薩長に都合の悪い歴史的事実は、 露骨に無視されるか歪められた。薩長人であっても「勝者」 に反対したひとびとの記録は徹底的に抹殺された。その結 果、明治以来、日本人は一方的な「史実」のみを教え込ま れることとなった。まぎれもなく幕末・維新期の主役のひと りだった孝明天皇や「一会桑」を復権させることは、近代日 本の出発点だった時代の歴史を書き直し、われわれの現在を 見直すことにつながる。 (引用おわり)
タイトルだけ見ると地味で、正史へのマイナーな脚注のような感じがするかも 知れないが、まったくさにあらず。錯綜して未だ日本人が脈絡をつけること 能わずにいる19世紀半ばの混乱について、すっきりとしたパースペクティブ をつけるためにこそ、孝明天皇と「一会桑」を軸に据えた、というのが順番。 ちなみに「一会桑」とは、一橋慶喜、会津、桑名。その重要さを説いている。 著者は中学校や高校の教壇にも立ったことがあるという歴史研究者。 「幕末」の人気に比して、その全体像があまりに知られていないという実感が 執筆動機だという。新書執筆者として願ってもない出発点だ。
こういう仕事が学問の世界、それと実際に「歴史」を「物語」として享受して 行く人々に伝えるエンターテイメントの世界、双方を刺激してくれることだろう。 佐々木譲さんも中島三郎助を主役にした『黒船(仮)』を書かれるようだし(^^)
日本の近代の出発点の“カルマ落とし”は急務だろう。現代史をやっつける前に。 あれは一体どういうプロセスだと受け止めるのが妥当なのか、今後の世界を生きて いく上で力になるのか、『竜馬がゆく』を塗り替える21世紀の幕末像を誰がどう 描いてくれるのか、 この周辺の動きは今後もとても重要だし楽しみだ。
2002年01月18日(金) |
日本再建シル・ヴ・プレ |
題:214話 函館から来た娘4 画:金平糖 話:蝦夷地を独立の共和国にしようと考えて朝廷に楯突いたお方だと
日本の近代に深く関わった国といえばアメリカあるいは英国ということになる。 ペリー提督からマッカーサーまで、日本を開かせてきたのはアメリカであるし、 明治という国家はつまるところパックス・ブリタニカの優等生をめざしていた。 北の国境を接するロシアもまた政治的にも文化的にも大きな影響を与えた国だ。 江戸期からのつきあいのオランダ、というか阿蘭陀(和蘭)も大事な存在だし、 医学を筆頭とした学問の影響や第二次大戦時の経緯を考えるとドイツも大きい。
時に、フランスはどうだろう?英国と覇を競った帝国主義の雄、今なお政治的、 文化的な影響力の行使に熱心でアメリカ型グローバリズムに抗する国の急先鋒。 現代思想からファッションまで、世界が一目をおかざるをえない文化の発信源。 にもかかわらず、どうも日本とフランスの関係というとおぼろげな印象がして フランス贔屓の文化人というとイッセイ尾形氏がカリカチュアしたアナクロな ベレー帽男かシャンソン歌手が頭に浮かんできてしまう。これは何故なのか?
渋谷あたりで最近よくある“カフェ”に行くと何故か似たような音源らしき 気怠いフレンチ・ポップスがエンドレスでかかっているのも関係あるような ないような。デパートの最上階に入ってる蕎麦屋で有線の琴のチャンネルが かかっているようなもんなのか…?フランスを巡る疑問はとめどなく広がる。 「幻の東京シャンゼリゼ通り計画」という文章を書いたこともあるくらいだ。 http://gwho.bird.to/009/002.htm
で、少し考察してみた。まず、いま日本人に身近なフランス人を思い浮かべる。 ビジネスマンならカルロス・ゴーン、一般人ならフィリップ・トルシエあたり。 なんだかんだ言って、いまのところ二人ともそれなりの成果をあげている。 ふむ、日本とフランスの正しいつきあい方のキーワードは「再建」だったのか! いっそのことダイエーもフランスから経営者を連れてくるとか、…なんていう ネタに走りたくなる展開(笑)
そう思えば、日仏関係のはじまりにしてからが、「再建」絡みなのだ。 何度かここで言及している、鈴木明『追跡 一枚の幕末写真』(集英社)は、 著者が函館図書館で見た一枚の幕末写真から事が始まる快作ノンフィクション。 その写真というのが、日本とフランスの軍人が仲良くフレームに収まっている 箱館戦争の頃の写真なのだ。何故フランス士官が五稜郭にいたのか、それを 幕末の歴史的経緯にまで遡って、つまびらかに説明できる人は少ないだろう。
もちろん箱館にラ・マルセイエーズの声を響かせた佐々木譲さんの『武揚伝』 を読めば、五稜郭にフランス軍人がいたことの経緯はわかるが、さらに遡って 幕府とフランスとの抜き差しならない関係を興味深く描いた歴史小説がある。
■綱淵謙錠『乱』(中公文庫) (裏表紙より) 風雲の幕末、幕府に加担したフランス公使ロッシュと、薩摩・長州連合に 与したイギリス公使パークスの外交戦は熾烈を極めた。ナポレオン三世は 徳川幕府からの要請を受け、軍事顧問団の派遣を決定。来日した団員の中 には侠血の砲兵中尉ブリュネの姿があった…。激動の幕末維新を新たなる 視点から描いた、綱淵歴史文学の最終巨編! (引用終わり)
抜群に面白い本だが、『武揚伝』のように一気に読めるエンターテイメント ではない。小説とは銘打っているが、史料の引用も多く、歴史の本である。 これを読むと最期の将軍・徳川慶喜の「改革」とは“フランスと組むこと” と言っても過言ではなく、その線で結構巧みに立ち回って成功しかけても いたのだ、というあたりがとてもリアルに体感できる。榎本武揚公の前に、 徳川慶喜がもう少し違う振る舞いをしていたら、歴史はどう動いていたか、 その延長上にありえた日本近代とは一体どのようなものになっただろうか。
そして「負け組」となった旧幕臣をはじめとする人々にとって明治以降の 時代とは、どのような歳月であったのか。最近の山口昌男氏の仕事は執拗 なまでに、そのあたりを追っている。近代日本の徹底した相対化、見直し。 それを「周縁」としての北海道と絡めると実に見通しが良い歴史が見える。 「負け組」「周縁」「再建」…、北海道とフランスを繋いでみるとどんな 地図が見えてくるだろう?徳川昭武を元首に戴いたフランス風の共和国か?
…なんてことを気怠いフレンチ・ポップスがエンドレスでかかる“カフェ” でボンヤリと妄想したりしながら日々を過ごすというのも、なかなか軟弱で 悪くない。休日には横浜へ出かけて山手のフランス山あたりを歩いたり。 一度も真面目に勉強したことがないだけにかえって楽しめるフランス語講座 には井川遙嬢がレギュラー出演していたりする。思えば世代的には映画と いえばカラックス、ベネックス、ベッソンが御三家だったし、さらに言えば はじめて好きになったタレントは、ソフィー・マルソーだったりもする(爆)
自ら積極的に勘違いして“フレンチに生きる”というのも有効な逃げ道かも♪
題:213話 函館から来た娘3 画:ホイッスル 話:だからわたしはお父さんと添ってからは三味線を弾かなかった
函館という街は、北海道の歴史そのもののような存在だ。 はるか昔に青函連絡船も北洋漁業も絶えて、もう過去に寄り添うしかない 街が放ちはじめる匂いがある。それが特異な地形とも相俟って味わい深い。 アメリカの街にたとえるなら、やはり歴史のある港湾都市ボストンだろう。
北海道に住んでいるあいだに何度も訪れた街。人に会いに行ったこともある、 星野道夫展を見に出かけたこともあるし、一寸変わったところではサハリン への飛行機が函館空港からユジノサハリンスクへ飛ぶため経由したことも。 基本的に港町はどこでも好きで、海が見えると安心するし、良港が必然的に 背後に持つ坂がちの街を歩くのも大好きだ。自分が住んだり、近くに住んだ 経験のある街だけ考えても、尾道、横浜、小樽、室蘭などどこも忘れがたい。 水辺の街は、季節や時間帯によって変幻自在のさまざまな貌を見せてくれる。
函館…というか“箱館”の最初の成り立ちを知るなら断然、司馬遼太郎の 『菜の花の沖』(文春文庫)を読むのがよい。主人公の有名な高田屋嘉兵衛 は「静かな大地」の宗像家と同じ、淡路島に生まれ、兵庫で商機をつかんで 現在の「北方領土」を舞台にした蝦夷地交易と日露外交に足跡を残した人。
最近では青春時代を函館で過ごした辻仁成氏が、結構作品に登場させている。 稲垣吾郎氏主演でテレ朝がドラマ化したことのある江川達也『東京大学物語』 も何故か函館が舞台だったりした。そしてもちろん、佐々木譲さん『武揚伝』 が箱館戦争を描いた巨編。あと最近でた↓この本も気になっている。 ■宇江佐真里『おぅねすてぃ 明治浪漫』(祥伝社) (惹句より引用) 文明開化に沸く明治五年(一八七二)。突然の出会いが若い男女の運 命を揺るがした−−−英語通事を目標に函館の商社で働く雨竜千吉。 横浜で米国人の妻となっていたお順。幼なじみで、互いに淡い恋心を 通わせていた二人が、しまいこんでいた気持ちを開くのに、時間は いらなかった。千吉が上京のたび逢瀬を重ねる二人。しかし密会は あえなく露見した。やがて、お順は激昂する夫に対して離婚を懇願 する。夫の答えは、離婚後、一年間は決して男性と交際しないよう 監視を付けることだった。それとは知らぬ千吉は、お順の離婚の噂を 聞くや…。新しい時代の潮流の中で、さまざまな葛藤に苛まれながら も真実の愛を貫こうとする、激しくも一途な男女を描く、著者初めて の明治ロマン! (引用おわり)
だそうです。往年のメロドラマの枠組みで何をどうエンターテインしてくれる のか、作者自身も函館出身であること、参考文献なんかを見たところ、箱館の 英学の事情やエドウィン・ダンのことなんかも盛り込まれていそうなこと、 マイ・ブームの横浜を扱った小説であること、などなど惹かれる要素は多い。 これと、これもマイ・ブームのメチエの↓この本を併せ読むとおもしろそう♪
■斉藤兆史『英語襲来と日本人 えげれす語事始』(講談社選書メチエ)
以前にも“英国という本丸”という言い方をしたとおり、アイルランドだの アメリカだのオランダだの、いろいろ観光旅行に出かけたり本を読んだりして 眼力をつけて、最終的に対峙すべきはメデューサ的な<近代>の卸問屋にして “19世紀の魔物”たる大英帝国と日本との関係だろう。これは究極のお題。
そこに打ち込む楔としての日仏関係、というのも面白いのだけれど、はてさて、 昨夜に引き続きこのへんで挫折、筆硯を新たにしてまた書きます(^^;
#西東始先生のサイトの講義メモ、いっぱい更新されてて興味深いですねー、 http://www.obihiro.ac.jp/~engliths/index.html っていうか、この半年、帯広の西東さんとコラボレーションしてきた気分。 ハーンに日本行きのきっかけを与えたジャパノロジストにして天文学者の パーシヴァル・ローエルなんかも面白いですよ、北海道カブらないですけど。
題:211話 函館から来た娘1 画:大黒人形 話:志郎さんも実はなかなかの傑物であったような気がするのだ
題:212話 函館から来た娘2 画:将棋の駒 話:母と父の出会いの話は聞いたことがないわ、と由良は言った
三郎でも志郎でもなく、稲垣吾郎氏の話。 最近では珍しく2週つづけて「SMAP×SMAP」のオンエアーを家で見た。 気づいたら週に一時間もTVを見ないことが多い中で、なんとか努力して スイッチを入れることにしているが、一つの番組をはじめから終わりまで 見ることなどは皆無だ。大抵はイヤフォンをさしたまま、音は聞かない。 でも吾郎ちゃん復帰生放送は見た。現役タレントの中で屈指に好きなので。 歌手でも役者でもなくタレントとしての稲垣吾郎氏のキャラが好きなのだ。 彼個人のキャラというよりSMAPにおけるポジションの問題かもしれない。
SMAPは、今のご時世からは考えられないことに90年代初頭のアイドル タレント不遇の時代、地道にバラエティをやりながら各自のキャラクター を育てて、稀代の男前・木村拓哉氏をピンで突出→失速させないで集団で より高く遠くへ飛ぶという偉業に成功したグループである。
その社会的成果としては「男の子リブ」の総仕上げをしたというところか。 80年代あたりまではまだ、“正当派二枚目”像みたいなのが基にあって そこに例えば“しょうゆ顔”とかいう“モード”が導入されることが新鮮 なマーケティングだったりした。SMAPは、それぞれがそれぞれでいい。 それぞれがそれぞれなのがいい。これがある意味“キムタク”を護った。 そしてバラエティ的ノリ至上の世界で“吾郎ちゃん”の生息を許容する。 97〜98年頃、間違いなく一週間で一番幸福なのは、ビストロスマップ を見ている時間だった。SMAPの存在の形は不思議な安心感をくれたのだ。
ひさしぶりの「夜空ノムコウ」は、切なくも心強くてとても暖かかった。
個人的に、沖縄と北海道と歳月の積み重なりの記憶に結びついている曲。 あのころの深い夜の底のような気分は今だって“僕の心の一番奥”にある。 ここで北海道の記憶に触れる時、もしかしたら夢のように楽しい思い出を 語っているように受け取られるかもしれないが、実際はまるで逆なのだ。 過ごしてしまった季節の記憶が自分を苛んで出口のない夜のようだった。 しかしまた、そういう状態の身体と魂に射し込む、光と風の鮮烈なこと! そのころ熱心に読んだ星野道夫や須賀敦子の本にも拮抗しうる風光の威力。
で、ようやく「静かな大地」の話。 “お話大好き夫婦”の由良さんと長吉さん、昭和11年の編集会議はつづく。 手記の「実況中継」という形式は使い勝手はいいかもしれないけど仕掛けと して面白いとは言えないので、このままラストまで行かない展開を希望(^^; 由良さんにとっての「書くこと」の悦びと悩み、みたいなものも見えたいし。
須賀敦子、星野道夫に並べて置くことの許せるフィクションだけを読みたい。 誰かに本を贈りたくなるような、あるいは詠んで聞かせたくなるような作品。 ありあまるほど の「書くべきこと」から濾過されるようにして生まれた文章。 それを下流で待ち受けていて美味しい美味しいと舌鼓を打つように味わうこと をためらわせる、そんな粛然とした姿勢を自ずと強いるような書き手の姿勢。
最近久しぶりに『旅をする木』のビル・フラーのところを読む機会があった。 大いに笑えた(爆) 彼の決め台詞の“パーソナル・ディフィニション・オブ・サクセス”、 これより人生に効く呪文を他には知らない。
#おかしいなぁ、「サステイナブルな帝国」あるいは「再建シル・ヴ・プレ」 という題で幕末と今の、日本とフランスの関係の話をしようと思ったのに(^^; またの機会にしませう。
題:209話 戸長の婚礼29 画:解熱剤 話:あなたはシャクシャインの話を聞いたことがあったか
題:210話 戸長の婚礼30 画:甘味料 話:半分はこちら側、半分は向こう側、苦労するよ
連載がはじまる前、ここで↓「いけざわキーワードコラムブック:火山」 http://www.enpitu.ne.jp/usr2/bin/day?id=25026&pg=20010611 という駄文を載せたことがある。「シャクシャインの乱」がどいういう形 で登場するか、場所が静内なだけにずっと気になっていた。
火山噴火による降灰で食糧不足に陥った人々が、積年の苛酷な支配に否を つきつけたのだ、という説。自然現象がきっかけだった、という説は和人 の理不尽な支配の不当さに焦点を当てて事を論じているときには、傍説で しかないのかもしれない。でもどうにもイケザワ氏的な話なので是非採用 していただきたい、由良さんの孫娘の自由研究レポートでもいいから(笑) 志郎の晩年、1910年のハレー彗星ともどもよろしく(<たのむなっ!)
フィクションで追体験するなら、これも何度もオススメしている船戸与一 『蝦夷地別件』(新潮文庫)が圧巻。これはシャクシャイン蜂起より後世、 18世紀末フランス革命と同時代の道東、国後目梨の蜂起をめぐる物語。 先日話題に出た松前氏の蠣崎波響も描いたツキノエなんかも登場する。 三郎とエカリアンの選んだ道の辛さが「体感」できる気になる巨編。
「国家」が形成される途上、周縁の抵抗勢力は“テロリスト”となりうる、 それを圧殺する「国家」の力、振る舞い、すべてがリアルに描かれている。 思えば榎本武揚の志向した共和国も、薩長以下が作った新政府からすれば 軍事力を持った賊徒、大規模な“テロリスト”集団だったりしたわけか。
安易に歴史観なんてものを提示できると言う人が語る歴史は信用に足らず。 物語るというのは、つまるところ「体感」させることではなかったか?
題:208話 戸長の婚礼28 画:数珠 話:静内はみなも知るごとく、かつてシャクシャインが拠点としたところだ
シャクシャイン像が立っている真歌の丘の下には静内川が流れていて、今ごろは たくさんの白鳥が越冬していることだろう。晴れていれば遠く日高山脈の白い峰 が見えるはず。ほんの百数十年、三郎たちの時代からなにも変わらない風景。 歴史上に残るアイヌ最大の蜂起を指揮したシャクシャインは、“和人のお家芸” である騙し討ちによって倒れた。神話の英雄ヤマトタケルからして、騙し討ちを 公然とやっているのだから、そう言ってしまっても構わないだろう。 昨日触れた松浦武四郎の報告を読んでみても、和人とアイヌとの間にはまさしく 「圧倒的な非対称」が在った。まずそのことを認識する必要があるだろう。
以前ここで触れた↓「圧倒的な非対称 テロと狂牛病」の中沢新一氏の新刊が出た。 http://www.enpitu.ne.jp/usr2/bin/day?id=25026&pg=20011115 まだ今日購入したばかりで未読なのだけれど、さっそく紹介しておきたい。 「圧倒的な非対称」がエレガントなまでに簡潔であるがゆえに、舌足らずになって いると思われるところを、とっくりと腑に落とし込むことが出来そうな内容である。
■中沢新一『人類最古の哲学 カイエ・ソバージュ1』(講談社選書メチエ) (表紙からの引用) 宇宙、自然、人間存在の本質を問う、はじまりの哲学=神話。 神話を司る「感覚の論理」とは? 人類的分布をするシンデレラ物語に隠された秘密とは? 宗教と神話の違いとは? 現実(リアル)の力を再発見する知の冒険。 (帯からの引用) この一連の講義では、旧石器時代の思考から一神教の成り立ちまで、 「超越的なもの」について、およそ人類の考え得たことの全領域を 踏破してみることをめざして、神話からはじまってグローバリズムの 神学的構造にいたるまで、いたって野放図な足取りで思考が展開され た。そこでこのシリーズは「野放図な思考の散策」という意味をこ めて、こう名づけられている。 「はじめに カイエ・ソバージュ(Cahier Sauvage)について」より (引用、終わり)
このシリーズ、全部で5冊の予定だそうで、なんとも楽しみな活きのいい企画だ。 もともとこの人の書いた文章は概ね難しくて、たまに平易に書いたものとか、 依頼されたインタビューや対談を読むと面白い。宮澤賢治をめぐる考察を展開 した『哲学の東北』なんかはとても読みやすくて、かつ深い内容のある良い本。 「圧倒的な非対称」の射程距離と切れ味に瞠目させられた身としては、この企画 に期待するところ、とても大きいものがある。
「神話」というやつの正体、両刃の刃的な危険度、そのあたりを知り抜くこと。 それなしに安易に「神話」に触ることは許されるべきではない、と強く思う。 それは「物語」というキーワードに立ち向かう局面においてもまた同じだろう。 とにかく「神話」「物語」そして「宗教」の“すれっからし”にならなければ、 この先の世界はどうにも視えない。“この先”だけでなく、過去の世界もそうだ。 この地球上で人が経験してきたことが一体なんだったのか、それを知りたい。 「深層」によって、あっさりと「表層」のわかりやすい説明がなされてしまうこと への警戒も含めての“すれっからし”願望、かなえてくれそうなシリーズだ。
「静かな大地」に事寄せて、いろんな本を並べてきたが、真打ち登場という感じ。
アイヌプリでも婚礼やるなんて、ほんとに「ちゅらさん」モード(^^;
題:202話 戸長の婚礼22 画:ブローチ 話:遠別ならば和人が少ないから、アイヌプリの婚礼も心おきなくできる
題:203話 戸長の婚礼23 画:頭痛薬 話:他人の娘を借りて妻とするということです
題:204話 戸長の婚礼24 画:万年筆 話:嫁孝行は親不孝
題:205話 戸長の婚礼25 画:徽章 話:三郎が最期に着たのもこれであった
題:206話 戸長の婚礼26 画:くけだい? 話:牧場を元気に走り回る若い馬の姿が見えた
題:207話 戸長の婚礼27 画:かゆみ止め 話:長い祈りはようやく終わり、神妙に聞いていた人々の顔がゆるんだ
最近とみにアイヌの民俗誌的なシーンが登場するけれど「100冊」をみても わかってもらえるように、僕はアイヌ関係の本を基本的には排除している。 本田優子『二つの風の谷 アイヌコタンでの日々』(ちくまプリマーブックス) を最初に読んでから、それでも覚悟のある人はアイヌ関係のお勉強をなされば よろしかろうかと思う。民俗誌的な本を読んでないわけではないが、それを 材料にして「静かな大地」を愉しもうというのは、ここの「編集方針」に非ず。 …まぁ、そんな大前提に立ちつつ、難しい「宿題」に道をつけるための構想は、 いつも現前として探りつづけなければならない。(実際にはできないけど(^^;)
そう思うとき、松浦武四郎の存在は、たしかに希有である。 彼の眼を通してみる、異貌の江戸末期から明治。 そこには三郎が迷い込んだ隘路の地図が在りそうだ。
■「蝦夷地を歩いた松浦武四郎」(『文藝春秋』誌に寄稿) 『文藝春秋』誌の「特集・鮮やかな日本人」、沢山の著述家がそれぞれ一人の 日本人を選んで短いエッセイを書いている。この特集に寄せた御大のチョイスは 松浦武四郎。これがエッセイというよりは、人物事典の項目のような涸れた記述 でシブイ。っていうか最小限の伝記と、最近出た本↓に寄せた解説の引用だけ(^^;
■松浦武四郎『アイヌ人物誌』(平凡社ライブラリー) (裏表紙より引用) その雅号、北海道人から北海道と名付けたといわれる松浦武四郎。 数十巻にのぼる旅日記とともにまとめられた原書『近世蝦夷人物誌』には ヒューマニストとしての松浦の本質が刻み込まれている。 日本人による収奪と不徳に厳しい批判を向け、アイヌへの敬愛の眼差しを もって綴られた名著。
(御大の「解説−蜘蛛の糸一本の面目」より引用) あの時期の日本にこういう人がたった一人でもいてくれて本当によかったと思う。 アイヌを相手に強欲と没義道を繰り返してきた近世日本の面目は、この人物ひとり のおかげでかろうじて、ほとんど蜘蛛の糸一本で保たれたということができる。 松浦のことを考えながら、スペイン人が新世界に赴いて行った悪行の数々を 『インディアスの破壊についての簡潔な報告』(岩波文庫)を記したラス・カサス に思いが行くのは無理からぬことだ。
■「大著を前にして」(『読書癖2』所収) (引用) ぼくは松前藩が好きではない。正確に言うならば、彼らによる植民地経営としての 蝦夷地官吏と収奪は、他民族支配をめざすという日本近代史の失策の原型だったと 思っている。波響は言ってみればその首魁ではないか。彼と松浦武四郎が僕の頭の 中で議論を(アイヌ語で言えばチャランケを)はじめたら、これはおもしろいこと になる。近代というのは実に複雑な時代である。
中村真一郎『蠣崎波響の生涯』(新潮社)の書評として書かれた文章からの↑引用。 僕にしてはめずらしく、ずいぶん古い文章を引っ張り出してきたものだ。 僕は御大に関して、むしろ書誌的な態度で臨むのは本意ではない。 イケザワナツキ研究をするというのは、あまりイケザワ的ではない姿勢だろう。 過去の書評が検索できる公式サイトが出来たそうなので、そういうのはそちらに お任せして(笑)、松浦武四郎をいかなる文脈において理解するかを考えるなら、 こういう↓展開もある。
■山口昌男『「知」の自由人たち』(NHKライブラリー) 山口組のお家芸、人的ネットワークの中で浮かび上がってくる異貌の歴史叙述は、 松浦武四郎をもまったく異なった景色の中に置いてしまう力がある。 御大の「蜘蛛の糸一本の面目」のリリカルでセンチメンタルでモラリスティックな 美しさと弱さを爆砕して、骨太な世界理解に踏み出す蛮勇と愉楽を知ろう(笑)
佐々木譲『武揚伝』(中央公論新社)や鈴木明『追跡』(新潮社)を楽しんだ方 なら、この本に登場する人々の織りなす「もうひとつの日本近代」を幻視する力 があるはず。それは、とりもなおさず「もうひとつの現在」を構想する力だろう。
うーむ、宮澤賢治と石原莞爾が同時に登場するような昭和史の叙述も読みたい。
題:201話 戸長の婚礼21 画:錠前 話:その出自を云々する声が混じったが、万事順調に婚礼は進んだ
休日。今年最初の観劇のため恵比寿へ。「静かな大地」とシンクロする 結婚話のお芝居だったので、その話題。
■近江谷太朗プロデュース PLAYMATE『シンクロナイズド・ウエディング』 付き合って3ヶ月、結婚を考え始めたカップル。 結婚して13年、離婚を考え始めたカップル。 この2組のカップルを中心に繰り広げられる おかしくてちょっぴりほろ苦い大人のためのコメディー。 http://www.nevula.co.jp/PLAYMATE/
おもしろかった。キャラメルボックスの燻し銀、近江谷さんが始めた プロデュース公演。微妙なセリフのニュアンスや芝居そのものの 面白さをたっぷり味わえる作風がうれしい。 TEAM発砲B-ZINの“飛び道具系”武藤陶子さんやキャラメル本家でも ごぶさたの実力派・津田匠子さん、そして役者・近江谷太朗さん、と 僕の好きな役者さんが揃っていたのももちろんだけど、本や他の役者さんも とても良かった。テーマである結婚も、優しく描かれていて良い。 こういう小さいハコの芝居を観ると東京ライフも悪くないな、と思う。 でも北海道あたりで薪ストーブのある生活ってのもいいけどね(^^)
去年も100回くらい神社に行っているくらいで、初詣もなにも、 普通に日常を生きていれば、休みならなおさら神社に行く回数も増える。 ちなみに初詣は2日に奈良の橿原神宮。翌日3日は京都を徘徊した。 マイ・ブームの崇徳上皇が祀られている白峰神宮などに行って来た。 崇徳院ファンの友人のために「瀬をはやみ〜」の歌の絵馬を購入(笑) テーマは「明治国家の呪術王としての近代天皇たち」みたいな感じ。
神社マニア。これが北海道だと流石に違和感があってまた味わい深い。 札幌の神社なんかも樺太神社や朝鮮神宮、昭南神社の類に近いような 気がしてしまう。ここはもともとアイヌ・モシリなんだものなぁ…、 とか思いながらお賽銭を投げるのもオススメの体験です(^^;
儀礼、法、社会、習俗。それと異文化間コミュニケーションの問題。 そして冒険小説の亜種としてのラブ・ストーリーの力強い枠組み。 日々なかなかに面白く読んでいる。
題:195話 戸長の婚礼15 画:クリーム瓶 話:私は生涯エカリアンを大事にする覚悟です
題:196話 戸長の婚礼16 画:こけし 話:アイヌならばなんとか育ててくれるとみな知っているのですよ
題:197話 戸長の婚礼17 画:三味線の糸 話:母上に納得していただくのがむずかしい
題:198話 戸長の婚礼18 画:猪口 話:高橋雪乃。
≪あらすじ≫昭和11年、由良は伯父宗形三 郎の伝記を書いている。明治はじめ、宗形一 家は淡路島から北海道の静内に入植した。静 内郡下16村の戸長に任命された22歳の三郎は 激務の日々だが、幼なじみのアイヌの娘エカ リアンに結婚を申し込む。父親の通事の勉蔵 は、実は和人の赤ん坊を育てたと明かす。
題:199話 戸長の婚礼19 画:帯締め 話:婚礼は、和風とアイヌ風と二度やるのかな
題:200話 戸長の婚礼20 画:鈴 話:幼い頃から勝手放題をして、それを通してきた子だ
「婚礼は、和風とアイヌ風と二度やるのかな」って、三石の高橋才蔵さん あなた“ちゅらさんファン”でしょ?…みたいな発想です(笑) 総集編やってましたねぇ、でもあのドラマ、“ゆんたく”こそが肝だから メイン・ストーリーを追ってもなかなか見てなかった人には伝わらない(^^; 日々のディティールを味わうのが連続ドラマの快楽だったりするのです。
ちなみに三石というのは、静内のお隣の町。日高昆布がよく採れるとこ。 もちろん現在はサラブレッドの牧場が沢山あります。 更に日高路を襟裳岬のほうへ行くと、僕が静内以上に詳しい浦河に至る。 今ごろは真っ白の世界ですね。そして5月には「緑の国」になる。 咲きみだれるタンポポが、黄色の彩りをする。近くから遠くまで点在する 茶色はもちろん馬。その季節なら「お馬の親子は仲良しこよし」状態。
今年の干支は馬、“喉歌の貴公子”にして“魅惑の馬頭琴奏者”嵯峨治彦氏 もますますお元気そうです。東神楽町の改造した馬小屋のライブ楽しそう♪ http://www.mmjp.or.jp/booxbox/nodo/throat-homeJ.html
■『ワールド・カルチャーガイド モンゴル』(トラベルジャーナル社) これにも↑嵯峨さんが馬頭琴と喉歌に関する記事を執筆されてますね。
“電脳うさぎ党”方面でも喉歌ファン…っていうか嵯峨ファンが急増中。 やっぱり生=ライブで聴いてしまうと病みつきになるみたいですね。 ちなみに僕は浦河の牧場地帯の真ん中で何故かゲルが建っているそばという オープン・エアの環境で、彼の喉歌を聴く機会に恵まれたことがあります。 知る人ぞ知る悦楽と幸福感、今年は是非もっとナマで味わいたいな(^^)
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