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ラヂオスターの悲劇
トマーシ
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2003年05月31日(土)
ブルーロンド・ア・ラ・トルコ

 それで、僕は看板を描いたり、

 東急ハンズに資材を運んだり、

 占い師のテーブルを片付けるのを手伝ってあげたりした。

 金が貯まったので、河川敷でビールを飲む。

 周りには誰も居ない。

 茶色い野球ボールが転がっているだけだ。

 ゆっくりと息が吸い込まれる。

 脳みその暗がりにまでちゃんと新鮮な空気が行き届くように。

 家に帰ると洗濯漕のグルグル廻るのをじっと見つめている。

 それが自分の家とは思えない。

 何かがおかしい。

 



2003年05月30日(金)
低速ロアギアー

 本当の空の下に出てきてみると、

 それは真っ青に晴れ渡っていた。

 坂を下り、打ち水の後を踏む。

 卵の上を歩くみたいに慎重に。

 どこかからラッパの音が聞こえてきても不思議ではなかった。

 町は人に溢れている・・・



2003年05月29日(木)
歌を忘れよう。

 カタカタと糸車の回る音が暗闇の中で響いていた。

 それがまず気付いたこと。

 悪寒と静寂で、それが流行らない映画館であることが分かってくる。

 脳みその皺でそれを理解するが、

 実際、ボーダーシャツを着た若い映写技師に肩を揺さぶられるまで

 そのことには気付かなかった。

 目の前のスクリーンは最早なにも映していない。

 正直に言えば、何の映画を見たのかも覚えていない。

 多分、白黒でテルミンみたいな女の声が聴ける映画だ。

 ここは名画座なのだ。

 僕の足は赤ん坊の頭など踏みつけていやしない。

 少し痺れている。

 でもそれは擦り減ったコンバース。

 コンバースは擦り減ったコンクリの床を踏んでいる。

 その床が何をとらまえているかは知らぬ。

 何故、こんなに流行らないのかも分からない。

 灯台が夢見るのと、流行らない映画館のコンクリが疲れてしまうのと

 あとマンホールの向こう側。

 腕が痺れている。

 気紛れに触った隣のシートには

 ポップコーンが。

 触ると電気が走った。

 ボブ・デュランの「フリーホイーリン」には

 第三次世界大戦を語るブルースっていうのがあったけど、

 きっと場末って、どこもこんなもの。

 映写技師は僕の肩を揺さぶるのは止めてしまった。

 彼は隣で煙草を吸い始めた。

 私も煙草を吸い始める。

 何処に行くことも出来なくて、しかもエンコしたのが映画館ならば

 時間を訊くのも憚られるというもの。

 煙草を一本もらった。

 「どこにも売っていないよ。灰が崩れないんだ。」

 と、男は言う。

 口元から煙が上がる。

 「この映画が好きだから僕はこの仕事を始めたんだ。」

 と、言う。

 煙草は確かに不思議な味がした。

 鼈甲飴とシトロンの中間というか。

 ずりずりと眠たくなってくるのだ。

 「だから一人でも観客がいるなら映画を廻さなきゃいけない。」

 「そうだろ?」
 
 僕が頷くと、彼もその倍くらい首を振る。

 「それが男の仕事というものさ。」

 そうして男は立ち上がると行ってしまった。

 遠くでモップを掛ける音がし始める。

 見上げると、何故か三日月が見えるようだった。

 それは本当の空みたいだった。

  

 



2003年05月28日(水)
パリ・テキサス・・・

 それは赤ん坊の頭みたいだった。

 土踏まずがその唇に触れたみたいにこそばゆかった。

 我々が立つのは誰かの頭の上にだけ。

 それで彼女は全ての頭の上に立とうとしたのだ。

 僕は背伸びすることすら出来ないというに、

 僕が見る彼女の姿はよじ登る姿だけ。

 僕は彼女をタイガーリリーと呼んだ。

 彼女が全ての頭の上に立てるかは知れない。

 でも僕の靴裏はうめいたり、泣いたりするばかりではない。

 時々、笑ったりもする。



2003年05月27日(火)
Bringing It All Back Home

 時計の針が曲がってしまったようだ。ダリの絵のように。

 元に戻さなきゃいけない。

 急いで、というより、急かされて。

 バタバタもがくうちに足が何かを触った。



2003年05月26日(月)
東横線

 さて、東横線だ。花の東横線、僕は俯いて携帯を打ってる。わずかに目線を上げるだけでキューでシェープなハイヒールが目に入る。酔いが余計に回る。
今日はよく飲んだ。いささか飲み過ぎた。次に携帯を手に取った時には渋谷発の井の頭線だ。行きも帰りもすし詰めの井の頭線。可哀相に・・駅に着くと・・隠すことも無い永福町だ。冷たい空気が吸える。酒の息はとめどなく溢れる。



2003年05月25日(日)
タフネス

 昨日の日記を今日書く。ずっとそんなことが続いているが、

 そんなことをしても今日が昨日になるわけではない。

 どちらかと言えば、それは冷蔵庫の整頓に似ている。

 物事が互いにひしめき合っているのを、

 パリパリパリパリと引き剥がすのだ。

 それほどでもないものは捨て、

 まだ食べられるものだけを残す。

 実際は食べられるものなど何もないような気がするが、

 でも何も食べないわけにもいかない。

 というわけで僕は誰に乞われるまでもなく書いている。

 それはこればかりでなく、また違うもの、また違う状況に於いても。

 何のためにかについてはロマンチックな動機しか思いつかないけれど

 その執着たるや存外にワイルドなのだ。



2003年05月24日(土)
薔薇の名前

 花の名前をつらつらと挙げていくことが出来るのは存外に気持ちいい。

 勤めはじめて二週間が過ぎようとしている。

 だいぶ馴れてきた。

 帰るとすぐ眠ってしまうのが玉に瑕だが、

 気持ちいい仕事だ、

 汗を流して働くのは。

 冷え性に苦しむことも無い。

 人間関係は複雑ではなく、

 頭の中にモヤモヤしたものを

 抱え込むことも無い。

 昼過ぎの住宅街は

 とてもヒッソリしている。

 僕はそこに佇むわけでもないのだけれど、

 僕はそこを通り過ぎる。

 匂いすら感じない。

 トラックの幌の中で眠り込んでしまいそうになる。

 かすみ草の匂いに緊張しながら。

 帰ると、仕入れから帰ってきた社長が新しい花の水揚げに掛かっている。

 昨日はスターアイズという名前だったかな?

 星型をしたベルベットみたいな花を見つけた。

 素敵な花だ。

 どこに持っていくわけでもないのだけど。

 時間が経てば、それは遠い記憶にでもなるのかもしれない。

 

 花の名前を数え上げているうちに

 ウンベルト・エーコの『薔薇の名前』を思い出した。

 それ自体に特に感銘は無かったのだけれど、

 僕はそれを大学の授業で紹介された。

 若い講師で、幻想文学について、東洋と西洋に分けて紹介していた。

 おもしろい講義だったので、僕は毎回出ていたが、

 『薔薇の名前』は、そこで二回に分けて講義があった。

 簡単な感想文まで書かされたくらいだ。

 その他にガルシア・マルケスの百年の孤独、

 アントニオ・タブッキのインド夜想曲、

 レイ・ブラッドベリのタンポポのお酒が続いた。

 レイ・ブラッドベリ以外の二つは、今も僕の嗜好の傾向を決定づけている。

 というより、それにマヌエル・プイグの名前を足せば、

 僕の信条たるや終わってしまうかもしれない。

 マヌエル・プイグもその講義で知ったのだから、

 残る僕の傾向はブコウスキーぐらいということになる。

 これは全く異質といえる。

 ブコウスキーの何が凄いって、

 あれだけのボキャブラリーで

 ちゃんと小説になっちゃうところだ。

 しかもちゃんと説得力がある。

 それはともかく自分の好みの大半があのとき決まっていたとは驚きだ。

 あの先生は今、何してんだろう・・・

  



2003年05月23日(金)
もらい水

 カウンターを数える。

 もう一度数える。

 更新ボタンを押す。

 その数字は一つ増える。

 でもそれは僕の数字。

 誰かのパソコンがクリックしたわけではない。

 気のせいかな?

 座布団にチョコンと正座して

 目を丸くしている。

 毎日、二つ三つ計算が狂う。

 昨日は五つくらい狂ってた。

 僕は日記しかやってないから

 その人たち、随分拍子抜けやろな。

 ホームページあるんやけど、

 ダサダサやから、恰好つくまでは人前には出されへん。

 ヤフーで作ったホームページ。

 あれじゃまるでドッグタグ。

 直したいんやけどなぁ。

 ビルダー買うまではお預けだ。

 ホームページ、何公開しよう?

 釣果報告でもしようかな。

 最近、釣り行ってへんけど。

 まぁ、いいや。

 朝顔につるべを取られてもらい水。

 そんな気分やね。

 

 



2003年05月22日(木)
デジャビュ

                あ!


2003年05月21日(水)
トルコ桔梗

 今キスをするとしたら、それはトルコ桔梗以外考えられない。

 ガーベラの芯を触って、店に下げるかどうか決めかねていると、

 それは上から覆い被さってくる。

 百合かな?と思って顔を上げると、

 ポーンとたわむ。

 クシャクシャと静かに泣く女。

 ボブ・ディランのレイニーディウーマンみたいだ。

葉っぱは随分と柔らかい。
 
 今日は随分な陽気だけれど。

 結局、トラックに積んだ芍薬は見事に咲きほころんでしまった。
 



2003年05月20日(火)
激しい雨が降る。

 よし、いい子だ。

 くそ!前が見えん。

 ・・・左足はクラッチを戻す。右足はブレーキペダルを踏み込む。

 いいブレーキじゃないか。

 そう、そういう感じ。

 ・・・信号が変わる。スロットルをまわす。でもその回転数はどんどん下がっていく。

 止まるな馬鹿野郎!

 エンジン止まるな!

 急に止まるな!

 ・・・後からはものすごいクラクション。環七の陸橋の上でハザードを焚く。

 よし、いい子、いい子。

 おまえ、本当は出来る子なんだから。

 時計を見ると、

 時計は携帯だ。

 それはしっかり雨に濡れている。

 ただ止まっていても、雨は叩きつけてくる。

 うんざりした気分でまたエンジンを掛ける。

 エストレア・カスタムというのがこいつの名前だ。

 蹴飛ばしてやりたいが・・・96年式。結構やばいね。7年経ってる。

 何とか家に着いたが、途中抜け道を使おうとして道にも迷った。

 ポケットに入れておいた煙草もやっと形を成している恰好だ。

 

 

 



2003年05月19日(月)
小片

 人に会い、帰ると眠る。朝、コーヒーは二杯呑む。

 シャワーを浴び、これを書いている。

 パンが焼けたのを知らせる音。ふとテレビを消してみる。

 部屋を片付けることにした。



2003年05月18日(日)
La Plas Belle Africaine

 叶えられなかった祈りより叶えられた祈りに

 より多くの涙が流される。

 〜聖テレサ

 何年かぶりにこの言葉を思い出した。

 ちょうど歯を磨いていて

 古い歯が抜け落ちるみたいに。

 カポーティの遺作の扉の言葉だ。

 僕はこの小説がカポーティの中では一番好きだ。

 多分ディッケンスが好きな気持ちと同じ気持ちで、

 この小説が好きなんだと思う。

 因みにカフカの「アメリカ」もまた同じ気持ちで好きだ。

 総合小説が好きなんだろうか?

 自分に希望の持てる発見だ。

  

 目が覚めると、

 そこは原宿の吉野家だった。

 店員に肩を揺さぶられて気がつくと、

 そこにはまだ半分だけ牛丼が残っている。

 食ってる途中に記憶が飛んだのはさすがに初めてだ。

 仕方が無いので、それを平らげる。

 肉は残っていなかったが御飯は味がしっかり染みこんでうまい。

 着信を調べると

 結構ギッシリ埋まっていて、

 昨日のめんつはみんな今ごろ温かい自分のベッドで

 うとうとしているわけだ。

 今更掛けなおす気にもなれない。

 重たい体を引きずって外に出る。

 今度は間違えずに恵比寿に着くことが出来た。

 バイクを置いた場所へフラフラと歩いているときに

 さっきの聖テレサの言葉を思い出したのだ。

 それはウットリとした百合の花みたいに綺麗だった。

 鼻唄まじりに帰路に着く。

 道路はまだ車が少ない。

 こんな唄だ。 

 ♪窓を叩く雨、より時雨強く
 
  目を覚ました恋人の夢うつつ・・・

 僕の為に取っといてくれたんじゃないかと思うくらい素敵な歌じゃないか。

 そいつを次に目が覚めた時には伝えておこう。

 だが次に僕の眠りを破ったのは違う友達からの電話だった。

 本当は眠っていたかったが、かなり面白そうなお誘い。

 日比谷公園でアフリカンフェスタをやっているというのだ。

 これは行くしかないね。

 



2003年05月17日(土)
天ぷら

 最後の打者がセンターフライに倒れて、試合は阪神が勝った。

 僕はジャズを聴きながら夜をやさしを訳して読んだり、

 これを書いたりしている。
 
 なかなかなもんじゃないか。

 呼び鈴みたいなものが目の前に垂れていて、 

 僕はそいつをピッと引張ってやることが出来る。

 可能性なんてそんなもの。

 傾いた地平は誰かが直してくれるだろう。

 でも僕がけつまずくものもあるわけだ。

 たぶんそいつに気分を良くしている。

 かかっているのはポールデスモンド・ジェリーマリガンの双頭カルテット

 これから僕はお出かけ。

 明日は休み。

 なかなかなもんじゃないか?

 平凡なポーンフライのことを天ぷらということを

 ふと思い出した。



2003年05月16日(金)
マーマレード

 夜中にふと目が覚めた僕はまるでマーマレードの瓶に指を突っ込んだ子供のよう


2003年05月15日(木)
昨日の今日

 昨日は足が鬱血して帰るなり眠っていた。

 久し振りにマニュアル車の運転をしたことが堪えたらしい。

 壁土をボロボロと喰らいたい気分。

 世界がグッと静かになったのだ。



2003年05月14日(水)
魂の煉獄

 何度もコーヒーを沸かして、それを飲んだ。

 いつのまにか眠ってしまったらしい。

 付けっぱなしのテレビに

 大聖堂の丸天井が映っている。

 マーク・シャガールの絵が梁と梁の間に埋め尽くされている。

 何処の聖堂なのかは記されていない。

 ヴェルディのオペラがずっと流れている。

 その高いソプラノの音で目が覚めたのだ。

 幾つになっても、午前三時に馴れることが出来ない。

 たぶん、何をするにしても、ろくな事は起こるまい。



2003年05月13日(火)
Blue Monk

仕事がようやく決まった。

目黒の花屋である。

花など一昨年に薔薇を枯らして以来、触ったことすらない。

薄黄色い薔薇で、二つ三つ花を咲かしたあと、野ざらしに枯れた。

とても素敵な色だったが、花弁が大きすぎたのだ。

そんな気分ではない。

遠のくように幻滅して、それ以来花には触っていない。

面接に行ったとき、店の中はコチョウ蘭のいい匂いがした。

これはこれでいいかもしれない。

近くには僕好みのレコード屋もある。

面接の帰りに寄ってみると、ドアーズがかかっていた。

地獄の黙示録のイントロに使われてた曲だ。

他に本も置いてあり幾つか買いたくなったが、

裏をめくるとそれなりの値がしたので、

止めておいた。

今度からはその本を買うことも出来る。

いささか気が抜けてしまうが、

明日からは僕にも職があるのだ。

そのことを下北沢のミスタードーナッツで記していた。

携帯からもこの日記は書くことが出来るのだ。

でも携帯では、ほんの少ししか書くことが出来ない。

コンクリートに頭を擦りつけるアナグマみたいな按配になってしまった。

これはよろしくない。

でも店を出てみると、

何故だか、下北沢の街は溜息で出来ているように思えるのだ。

慰められ、そのあとヴィレッジヴァンガードで雑貨を見て家に帰った。



薔薇が植わっていた鉢はまだある。ここからまた花が咲くのか、

それとも咲かせるように僕は努力するのか、

他の色々な可能性こそなお暗いが、

寝る前に観る夢のように、

それはあどけない。

力の抜けた気持ちでそれを探ったが、

行き当たったのは

モンクの「アローン イン サンフランシスコ」というアルバムで

ブルーモンクはその一曲目だ。



2003年05月12日(月)
little wax

 生身の人間と付き合うのを怖がっていてはいけないと、

 時々自分に戒めるのは卑怯なことなのかもしれない。

 

 泥まみれで行け!

 その女は言った。



 その才能 は その傾向。



 “ありのまま”は 作られない。
  

  
 

  



2003年05月11日(日)
Blue Berry Tone

 テレビの青白い光が明かりの消えた部屋に射す唯一の光だった。

 サッカーを観ていて、そのまま寝込んでしまった。

 その試合はいま後半終了間際、スコアは3−1、

 画面に映る選手たちは皆ゆったりとしたジョグを踏んでいる。

 アナウンサーも幾つかのナレーションを挟み、

 ペリエウォーターで喉を潤したり、

 眼鏡に付いた曇りを拭き取ったりしている風で
 
 そういったものがテレビのスピーカーを通じてサワサワと伝わってきた。
 
 耳を澄ませると、小石が再び窓を打つ。

 これで二度目だ。

 布団から這い出て、部屋の明かりを灯した。

 時計は2時を回っている。僕はその窓を開けた。

 

 僕の部屋はアパートの一階で、

 ポインセチアやベゴニヤの鉢植えの雑然とした裏庭に面していた。
 
 裏庭は別の裏庭と背中合わせになっている。

 よくは知らない大きな家。
 
 雨が降ると、僕はその家の瓦に当たる固い雨の音を聴いた。

 垣根が邪魔してそれ以上は見えないが、

 その垣根は毛虫も食わないような黒々とした固い葉の生垣。

 いつもヒッソリと夕餉の煙りが立ちのぼった。


 窓を開けると、そこにはユキがいる。

 黄色い合羽を着て、傘を廻して、顔を斜に傾けて、

 子犬のように荒い息を立てていた。

 僕は窓から手を出して、掌を空に向けてみる。

 僕の右手は何も掴まない。

 雨ではない。ユキの合羽が目に眩しくて、

 空を仰いでも、何も見通せなかった。




















2003年05月10日(土)
日曜日には。   Come Sunday

 まず訂正。

 今日は何と土曜日だった。

 日記に手を付けるところまでははっきりしてた僕の頭。

 でも日記の題を素で日曜日としてしまった。

 直すのは簡単だけど。

 でも土曜日と言えば、サタディ ナイト フィーバー。

 そんな気分は毛頭ない。

 そんな日でもなかった。

 だいたいこの日はガル・コスタ カエターノ・ヴェローソのサンディから始まった。

 気分をアップする気など全くないのだ。

 レコードの棚の整頓

 雑誌の処分

 洗濯物の取り入れ(干したのはあべこべに昨日の夕方。)

 一週間分の買出し。

 松屋で牛丼を弁当で買う。

 DVDプレイヤーを当てる為にはあと二回食べなければいけない。

 十五日が締め切りだ。

 帰りにブックオフに寄るがめぼしいものは見つからない。

 ここには以前、「夜の果ての旅」が上巻だけ置いてあったこともある。

 買っとけば良かった。買わなかったのだ。

 多分神田の古本屋でセットで2000円は下らない代物だ。

 それが200円。本当に買っときゃよかった。

 ハーディの「帰郷」もここで買った。

 ちょい前に覗いたとき置いてあったブコウスキーの「くそったれ少年時代」(ハ

 ードカバー)も既に無い。

 油断も隙もありゃしない。

 「夜の果ての旅」はブコウスキーの絶賛していた本だ。

 著者の名前は忘れた。一度図書館で借りたが、まるっきり手を付けずに返した。

 チラリとみやるだけで、尋常でない本であることが確信できた本だったが、

 全く本の読めない時期だったのだ。

 本も読まずに弁当ばかり配達していた。

 配達してなければ、油っぽい自分の顔をしかめて、時間を潰しているという有り

 様。

 本当に勿体無いことだ。

 後悔ではないのだけれど。

 本は生き物と同じだ。

 あるいは生き物に対するのと本に対するのは一緒だ。

 我々は対等でなければ、理解し合うことが出来ない。

 本は今も読めない。

 読んでもない本が積みまくられている。

 それらの本の印象はそれらを選んだ時の印象しか含まない。

 我々はまだ対等では無いのだ。
 
 帰る途中、松屋で三日分のサラダを買わなかったことを思い出した。

 まぁ。いいや。

 日記を書いてしまえば何をすれば良いのかわからなくなるだろう。

 今日はずっとジャズレコードを聴いていた。

 二十枚くらい。

 それくらいの家事をしたわけだ。

 これでは気分が泡立つはずがない。

 朝食べた卵焼きがゆっくりとおなかを温めているような

 そんな日だった。

 まあいい。

 明日は本当の日曜日で、昨日と変わらず、僕は失業者。

 多分意識的に僕は明日の為の家事を取っておいた。

 やることはたっぷりある。

 Come Sundayって、デューク・エリントンのスタンダードの名前。

 夕方くらいに聴くと、結構グッとくるものがあるね。

 
 

 



2003年05月09日(金)
春雨道中

 昼前には用が済み、新宿から帰ってきた。途中、雨に降られる。

 何かが縮み上がったり、伸び拡がったりしているように感じる。そんな天気。

 温かくも、涼しくもない。

 時間が止まったみたいに息苦しい。

 周りがそのように不安定なので、自分のささくれ立った部分も不意に顔を出した

 りする。

 何というだらしない口元、目がぷっくりと腫れている。

 失業者がすっかり板についてしまったようだ。

 もし突然、耳が聞こえなくなっても

 多分何も手が付かなくなるだろう。

 今、時間はたっぷりあるけれど

 何も手が付かない。

 自覚がないのだ。

 同じだ。

 喫茶店の窓からじっと空を見ている。

 雲は子供が泣き叫べば、容易に手が届くほどの近さにある。

 色はツルツルに剥げたバスのシートみたい。

 縛られた視座からみる空は、随分と違う。



2003年05月08日(木)
禁煙。

 禁煙や!

 そう決心して、シナモンパウダーを買ってきた。
 
 嗅ぎ煙草代わりに使うつもり。

 随分怪しい使い方やけど
 
 中々心地良い。

 
 禁煙に

 シナモンの瓶を持ち歩くのも

 シナモンの瓶に鼻先を突っ込んでいる姿も

 なかなか見れないことだ。

 やんごとなきことかな。

 説明しづらい。

 けど、見られたい。

 結構楽しみ。

**********************

墓地が好きだ

ちょうど良い墓地はいつも探している。

ただ眺めるだけの、結局は通り過ぎてしまう。

そんな墓地だ。

墓地で迷いたいわけではない。

あらぬ恐怖を求めているわけではないのだ。

自分が何かを一つ一つ確認しているんだという感覚が大切な時

僕は小振りで塀のない、さっぱりとした墓地に出掛ける。

こういう墓地の前に立つと、かすかな親近感すら覚える。

よく手入れされた墓地を見るのは心地よい。

対象が情動的にも物理的にも動かぬものだから

まっとうな動機や心掛けはクッキリと浮かび上がるのかもしれない。

純粋で強い意志。

誰が疚しい気持ちでもって墓を飾るだろう?

それら静かな営みを潜るみたいに通り過ぎるのが好きだ。



2003年05月07日(水)
クエルボ・パーティ

クエルボパーティというらしい。
まず手の甲に一つまみの塩を乗せる。
それからテキーラを30ミリリッター一気のみ。
仕上げにライムをかじって味を和ませる。

そんなことを調子に乗って何度も繰り返した。
当然体はひどい具合だ。
東高円寺からずっと歩いて帰ってきた。
途中で花月のラーメンを喰らい、メールを一本打った。

そこに文学的なことなど何も無い。
僕に文学的なことなど何もない。

文学的なということとナルシスティックという言葉が
いつの間にか同義語と化しているのはどうしたことだろう?



2003年05月06日(火)

 よく読まないものから順に挙げていこう。
取説、新聞、詩。同時代の日本の小説もほとんど読まない。あとは思い浮かばない。
 
 日本の小説を読まないことに意味は無い。選ぶものより選ばないものの方が圧倒的に多い。それだけのこと。
 
 詩は、詩と僕にはひどく距離がある。好きな詩は諷刺くらいなもの。リチャード・ブローティガンとかさ。
 
 とにかくシリアスになればなるほど、その温度差が気になる。そう温度差だ。僕は詩から随分遠ざけられる。
 
 面倒を厭う心が無ければ、翻訳しながら進むと詩にも滋味というものが出てくる。英語はツルツルしたガラス玉に似て気持ちいい。



2003年05月05日(月)
meiden voyage

 なんやろね。急にモクモクとこういう気持ちが湧き上がってくることもある。勿論それだけでは何も形を成さんのやけれど。

 書きたいね。ドキドキするわ。今日は嫌になるほどよう寝たし、起きたら夕方、テレビつけたら白装束や。何か啓示でも求めて日記をつけてみるべきかな?そんな気持で登録してみたんやけど。自分が力点の弱い壁に向かってもたれがちになっているようにもみえるね。強い気持ちだけが良いものも悪いものも作り得る。僕は自分の小説をどうしても書きたい。良い小説じゃなくてもいいよ。素敵な小説を書きたい。強い気持ちってそれしか思い浮かばへんなぁ。
 
 良い小説って、あんまりうまく想像できへん。僕の好きな小説って、それほどスマートやない。せやから良い小説をあげつらうのはちょっと無責任やろね。
 
 素敵な小説って尊敬できることが結構重要な要素や。自分の全て預けてしまえるというか。そんな小説に逢うと僕は涙がポロポロポロポロ出てきてしょうがない。読後嘆息してビクとも動けず。そんな感じやね。

 トマス・ハーディみたいな姿勢を矜持したいな。僕は昔からこの作家のことが好きなんやけど、なんでこんなに泣けるんかは不思議や。同情したいって気持ちが多分僕の中にあるんやと思う。読むと素直に「可哀想に。」という言葉が口を衝いて出る。それって結構すごいことだ。「可哀想に。」なんて、ひどく危なっかしい言葉やから。偽善っていうかね。多分その言葉に対してはみんな神経質になってる。自分がリアルじゃないって気になるのかな。でも僕は本を読みながら同情してしまうのは止められへんね。求めてるわけじゃないけど、その感情に対しては「可哀想に。」と呟くのが限界や。それは現実世界であまり使われる言葉では無いからか、グッとくるものがある。その意味での知覚の拡張って、普通の作家ではあまり味わえない。しかもその感情って使ってなかったらすぐに衰えてしまうような気もするんや。
 ハーディの小説って決して読みやすくないし、スタイルも古臭い。筋も言ってみれば典型的。でも僕はハーディのモラリズムは高く買ってる。自分もこういう小説を書きたいってそう言う意味でのこと。つまりは僕の護符やね。忘れたくないものって、多分無意識的にもいっぱいある。