Memorandum


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− メモランダム −
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2007年03月29日(木) 「捏造・歪曲で国民を瞞着する報道」の自由などない

「発掘!あるある大事典2」の捏造問題で、日本民放連は番組を制作した関西テレビを除名処分にした。
除名処分は過去に1例だけ、また準キー局としては初めてである。
この背景には、国が新たな行政処分を導入する動きを見せていることから、業界として自浄能力をアピール狙いがあるものと見られる。
しかしテレビ局による捏造は後を絶たない。
今でこそブームのように捏造問題がクローズアップされているものの、「喉元過ぎれば」何とやらで、やがて時が過ぎれば、自浄能力などどこかに置き忘れられてしまうに違いない。
抜本的な対応策を講じぬ限り、この種の問題は今後も必ず繰り返される。
現に昨日もTBSの人気番組「みのもんたの朝ズバッ!」に捏造疑惑が発覚している。
しかもこのTBSは、かつて石原東京都知事の発言捏造、そしてつい最近も2ちゃんねるを模したニセ掲示板映像捏造を行うなど、悪質な確信犯の重犯である。
にもかかわらず、「自浄作用」など発揮されることなく、今も野放し状態でやりたい放題のままになっているではないか。
従って、やはり国による厳しい行政処分の導入が必要である。
マスコミはことあるごとに必ず「報道の自由」を錦の御旗に掲げて抵抗するが、「捏造」や「歪曲」で国民を欺瞞し愚弄する報道の自由などはない。
「報道の自由」を、その美名に隠れたメディアの暴挙を許す「治外法権」の別名にしてはならない。
悪質なメディアは厳しく処断すべきである。


2007年03月25日(日) 石原の敵は石原自身

東京都知事選挙が始まった。
しかし現実には、石原三選はほぼ確実であろう。
残る興味は、アンチ石原票の総計がどれだけ出るかということだけだ。
有権者(都民)ではないので気楽に言わせてもらうと、
私は石原が大嫌いである。
理由は、人間的に嫌いなのだと言うしかない。
これは感情論である。
だがアンチ石原の大部分は感情論でできている。
右寄りだとかタカ派だとかいうイデオロギーではない。
石原は「太陽の季節」で障子紙を突き破ってデビュー以来、
その人を食ったような尊大で傲慢な言動が喝采を浴びると同時に、
忌み嫌われてもきた。
石原にとってその個性は両刃の剣である。
今の石原にはその面がマイナスに働いている。
それゆえ今回、タマ次第では打倒石原も不可能ではなかった。
例えば菅直人なら或いは勝てたかもしれない。
菅など、どうせもう国政には不要の人間なのだから、
最後のご奉公で石原打倒に立ち上がればよかったのだ。
にもかかわらず民主党政権の首班などという妄想に固執して
晩節を飾る機会を自ら失してしまった。惜しいことである。
さて、たとえ勝つには勝っても石原が今回大幅に票を減らすのは間違いない。
今のところその受け皿は浅野だろうが、個人的には、黒川紀章の得票に注目している。
黒川というと、今まで建築家で若尾文子のダンナとしか認識していなかったので、
こんなぶっ飛んだオッサンだとは思わなかった。
もし有権者なら是非黒川に入れたいぐらいだ。
あと、創価学会員だという桜金造。
どれだけ公明票をとるるかが石原票にも影響するので、
意外に注目である。










2007年03月12日(月) 安倍晋三は「未熟な岸信介」か

稀有な天才政治家・小泉純一郎の後任首相は、誰がやっても見劣りしてしまうことは否めない。
しかし今回の「衛藤復党問題」では安倍と小泉の差が露骨に出てしまった。
安倍首相は「特例」で衛藤復党を容認したことに対する批判に反論して「彼は私と考え方を同じくしている」と述べている。
つまり安倍内閣の進める政策のために衛藤がどうしても必要だというのである。
実はかつてこれと同じ構図を小泉時代にも見たことがある。
すなわち郵政解散において小泉は造反議員を離党させた。
つまりこれは自分と考え方が異なり、政策遂行の妨げになる者を切って捨てたのである。
一見やっていることは安倍と逆だが「政策のため」という根本は同じだ。
ところが小泉は国民の圧倒的支持で選挙に歴史的圧勝。一方安倍は支持率をますます下落させ、来る参院選勝利も危うい有様。
この違いはどこにあるのか、といえば、肝心の安倍の「政策」がわからないからだ。
小泉が平議員の頃からコケの一念の如く「郵政民営化」を唱え続けていたことは知らない者がいない。
しかし安倍の場合、ただ「美しい国」なる意味不明の美辞麗句を振り回すだけ。
小泉の如く内閣の命運をかけてまでやりたいことがあるのか、その執念が伝わってこない。
成る程、仔細に見れば憲法改正その他の改革をやりたいことはわかる。
だが、政治家が明確にしないことをわざわざ斟酌してやるほど国民は親切ではない。
またそもそもこの手のイデオロギー的な改革は内閣の人気や選挙の票にはならない。
かつて安倍の祖父・岸信介は、首相就任当時、岸の得意である経済政策で勝負するよう側近に勧められたにもかかわらず、あえて国家の大計のため安保改定という不人気な政策を推進したという。
安倍もこの祖父の姿勢に従おうというのかもしれない。
だが岸の場合、国民には不人気でも党内権力は磐石だったし、長年政官界で培った老獪な政治手腕も持っていた。
それに対して安倍は政治手腕が未熟な上党内基盤が弱く、専ら国民の人気だけが頼りである。
つまり、岸は安保を何とかやり遂げたが、安倍の場合は国民の支持を失えば何かやる前に即退陣である。
岸に倣って遥かに岸に及ばず、安倍は所詮「未熟な岸信介」で終わるのだろうか。


2007年03月08日(木) 救世主?変節漢?浅野史郎

前宮城県知事の浅野史郎が東京都知事選出馬を表明した。
もし当選すれば、知事経験者が他都道府県知事を務めるのは史上初めてとのこと。
当然の話で、それだけ「非常識」と言うことだ。
国政と地方政治ならそれぞれ別個の政治カテゴリーに属する。
従って、国政から知事へ、あるいは知事から国政に転出するのは、それなりの理由は成り立つだろう。
だが昔の官選知事じゃあるまいし、知事から知事へと渡り歩く正当性は一体どこにあるのか。
しかも首都の長官たる都知事と一介の地方知事では利害の対立すらある。
例えば石原が指摘したように、浅野は宮城県知事時代、「首都機能移転」賛成の立場であったが、都知事になったらどうするつもりなのか。
賛成・反対、いずれの立場に寄るとしても、宮城県民か東京都民のどちらかを裏切ることは間違いないのだ。
他にも整合性をつけなければならないことは山ほどあるし、どう転んでも変節漢、ペテン師の謗りは免れまい。
また、だらしないのは独自候補を担げず浅野に擦り寄るしかなかった民主党である。
とくにかく「石原は気に食わない、引き摺り下ろしたい」という一点張りに過ぎず、肝心の「東京のために何故浅野が必要なのか」という視点が全く見えてこない。
石原対浅野という構図で見かけだけは華やかになった都知事選だが中身は所詮空疎である。


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