Memorandum


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2002年04月30日(火) 「プロレスラー」ルー・テーズ死す

28日、かつて力道山の好敵手だった米国のプロレスラー、ルー・テーズが死去。享年86歳。
一般紙にもちゃんと報じられていました。
http://www.asahi.com/sports/update/0429/015.html

この記事で不思議だったのは、「プロレスラーのルー・テーズさん」とあって、
「元プロレスラー」ではない事。
でも、いかに「鉄人」と言われたテーズとは言え、既に現役を引退しています。
他のスポーツ選手例えば往年のプロ野球選手やプロボクサーが亡くなったら、
「元・・・」と呼称されるでしょう。
つまりプロレスラーは、生涯「プロレスラー」なのか?

おそらく、プロレスはスポーツではないという前提なのでしょう。
スポーツ選手なら明確に現役と引退後の区別がありますが、
プロレスラーのそれは曖昧です。
現に、プロレスラーは一旦引退してしばらくしてまた現役に復帰したりします。
あの長州力も復帰しました。
だから逆に、安易に引退せず「生涯現役」を貫いた故ジャイアント馬場は、
むしろ賢明だったとも言えるでしょう。
そう、プロレスラーは、生涯プロレスラー。

したがって、件の新聞記事で「プロレスラーのルー・テーズ」と言われている時の
この「プロレスラー」とは職業ではなくて、
ルー・テーズという「存在そのもの」がプロレスラーという意味にも取れます。
少なくともテーズがいなければ力道山も馬場も猪木も、
そして今日のプロレスも存在しなかったかもしれません。
だから確かに相応しいのでしょう、

――「プロレスラー」ルー・テーズ死す、と。


2002年04月22日(月) 極右が台頭

日本ではなくて、フランスの話。
大統領選の第1回投票で、極右・国民戦線のルペン氏が2位に食いこみ、
社会党のジョスパン首相は予想外の敗退。
ジョスパン氏は政界引退を表明するとともに、決選投票では極右進出阻止のために
左派勢力がシラク現大統領(保守派)へ投票する事を呼びかけた、とか。
また、極左勢力も合わせて全体の10%超える投票を獲得し、
最右翼と最左翼に支持が流れた格好です。
なんだか、ヒトラーがヒンデンブルク大統領と争った時の
ワイマール・ドイツみたいになってきました。
それに比べれば、日本では「右」といっても、たかが小泉や石原慎太郎程度。
欧米なら保守派の範囲内でしょう。

その小泉首相は昨日、突然の靖国神社参拝。
首相が靖国に行こうが行くまいが、私にはどちらでもよく
別に大した事じゃないと思うのですが、
8月15日の靖国参拝を大見得切っていた昨年の段階からすれば全くの後退、
アレは一体何だったのだという気がします。
靖国に行くと言えば、中国や韓国、そしてそのお先棒担ぎの日本のマスコミが
大喜びで大騒ぎするのはわかり切った事。
それでもあえて行くと言うからには、余程の強い決意と深い認識があっての事かと思ったら、
何の事はない、単なる不見識でした。
それとも、たまには中韓を刺激して、彼らが日本から譲歩を引き出す
きっかけでも作ってやろうという、手の込んだ友好策でしょうか。
んなわけないか。


2002年04月20日(土) 「十八歳と三十四歳の肖像」

「若い頃にはやたらラディカルで進歩派気分、
でも年を取ったら退嬰的になり保守的気分になるのが、所詮人間の精神的生理であろう」

......という意味の、三島由紀夫のエッセイを大昔(十代の頃)に読んだ気がしたのですが、
でも今、本棚の奥深くから漸く見つけて確認したら、やや趣旨が違っていました。
三島が言っていたのは、人間一般的な事柄についてではなくて、
「小説家」という特異な存在における精神的発展の問題についてでした。
(「十八歳と三十四歳の肖像」、新潮文庫『アポロの杯』所収)

しかし、私が勘違いして記憶していた事も、あながち間違いとは言えません。
これは、自分自身が三十代も半ばを過ぎ、所謂中年に近づく年齢になって、初めて思う事でしょう。
チャーチルの言葉に、
「若い時代にマルクス主義にかぶれない奴はバカだが、
しかしいつまでもそれにかぶれている奴は、もっと愚かだ」という意味
(正確には、忘れました)があったと思います。
もっとも、私が十代から二十代前半だった1980年代には、
マルクス主義なぞというものはとうに廃れていました。
外にあっては、ソ連というしょーもない社会帝国主義国家、
内にあっては、新左翼と言いながら既に全然新しくもない左翼の敗退と頽廃によって、
60〜70年代に青春を送った世代のような素朴な理想主義は全く持てませんでした。
むしろ「朝日新聞」や「岩波文化」的な進歩派のいかがわしさには、多いに疑問を感じざるを得ませんでした。
ただ、若いが故に、精神的には何となく「理念的」であり、かつ「左派」気分があって、
しかもそれはいまだに続いてはいるのですが、
しかし一方では現実的にも物事を解釈している部分も大きく、これはやはり生理的な問題…「老い」なのか、、、、
と言う気もしないでもありません。

だから最近の若者が、我々の世代が疑問符を持っていた事に対しては、
より明快に現実的に突きぬけている事は、大変喜ばしくも頼もしく思う一方、
でもまだ若いのに、瑞々しい感性のうちに、果たしてそんなに物わかりがよくていいの?
と言う気もしないでもなく、いささか危惧も感じないでもないのです。

…というのも所詮、老いの繰り言(笑)か。
嗚呼、年は取りたくないですね(笑)
(って、それが結論かよ)


2002年04月19日(金) ニュースあれこれ

あまりまとまった感想にならないので、とりとめもなく思いつくままにいくつかの事柄を――。

まず今朝のイタリアの小型機ビル撃突、
また自爆テロかと思いました。
アフガニスタンの元国王が亡命先のイタリアから帰国した矢先ですから。
でも違うようですね。
事件症候群というんでしょうか、
ほっとしたような、少しがっかりしたような.....。


「個人情報保護法案」などメディア規制3法案に反対する、民放各局のキャスターが記者会見。
「知る権利」とか「言論・報道の自由」とか、例によってお題目を並べていますが、
メディアの自浄作用を待つのは百年清河を待つようなもの。
声明文で「政治や行政の在り方を監視するマスメディアの役割が果たせなくなる」
と言っていますが、国民はメディアも監視する必要もあります。


阪神の星野監督、
このところ調子悪いですが、開幕以来の快進撃で絶賛されています。
当たり前ですが勝っているうちは全て称賛の対象ですが、
一旦負け始めればもうボロクソでしょう。
また、夕刊タブロイド紙では「星野阪神に学ぶ部下掌握術」なぞと、
例によって中間管理職になぞらえた話が始まっています。
こういう風潮が始まったのは、
管理野球の元祖・巨人の川上哲治元監督あたりからでしょうか。
連続試合無欠場記録の衣笠祥雄がサラリーマンの鑑と言われた事もあります。
この手の、野球をサラリーマン社会にカリカチュア化した話が出てくるとゲンナリします。
今では滑稽な事に、かつて野村前監督もリーダーの手本みたいに
扱ったビジネス誌や書籍がありました。あんなものをマジに読んでた人は、
その後野村が上司ワースト1になった時、どう思ったんでしょうね。
いい加減なヨタ話を書くのも大概にして欲しいものです。


参議院の井上議長が辞任。
今回は自らの不祥事が原因ですが、議長のクビも所詮政争の道具。
三権の長でありながら、権威も何もあったものじゃありません。
かつて田村元(引退)は衆議院議長に就任した際、支持者から
「大臣じゃなくて残念でしたね」と慰められて、がっかりしたとか。
派閥順送りで自民党長老議員がなる名誉職だから仕方ないか。

そういえば青木(参院幹事長)にも建設業界の口利き疑惑がありませんでしたっけ?
あの俳優の穂積隆信(「積み木くずし」の著者)の出来そこないみたいな顔みていると
生理的にイライラするので、アレも何とかならないでしょうか――。


2002年04月17日(水) 有事法制−新聞用語の基礎知識

役人や政治家の常套句で「前向きに検討」というのがあります。
本音は「やらない」という事ですが、あからさまにそう言ってしまうとまずいので
「検討します」「検討中です」と言って誤魔化します。
つまり永遠に検討中で、実行しないのです。
常日頃政治家の言葉の曖昧さを非難している新聞も、
これと似たような言い回しを使う事があります。

有事法制の3法案が閣議決定されたのを受けて
今朝の朝日新聞朝刊には、なかなか香ばしい記事が載っています。
まず1面の「解説」、そして「社説」、
さらに例の「天声人語」でもこの問題を取り上げていますが、
有事に備える法整備の必要性は一応認めた上で、しかしその問題点を次々に並べ、
最後にそれぞれ次のように結んでいます。
「国民の多くが納得できるまで説明を尽くすことが首相の責務である」(「解説」)
「国民が納得するまで丁寧な議論をすべきである」(「社説」)
「国民の声をじっくり聴いた上でことを進めてほしい」(「天声人語」)

一見すると、もっともな言い分のように聞こえますが、
その本音は要するに「有事法制反対」という事でしょう。
朝日が、有事法制の必要性を認めた上で、
なおかつそんなに国民的議論が重要だと思っているなら、
朝日が考えるベターな対案でも提示して、紙上で論議を喚起したらよさそうなものですが、
今までそんな事は一度もありません。
むしろ「右傾化」「タカ派」のような、時代錯誤なおどろおどろしい言葉を使って、
何とか阻止しようと、後ろ向きな事ばかりやっていたのが実情です。

しかし近年、テロ事件や不審船問題の発生で
日本の危機管理のあり方が問題視されている世論の動向の中では、
大衆迎合新聞としてはさすがに有事法整備そのものを反対とは言いにくくなったので、
ネガティブな面ばかり強調して難癖をつけて、
結果として結論を引き延ばしてうやむやにしたいのです。
そのためのキーワードが「じっくり議論を尽くす」という言い回しです。
これは政治家の「前向きに検討」=「永久に検討中で、つまりやらない」と同じで、
「じっくり議論」=「永久に議論、つまりやらない」という事です。
何ともまわりくどい姑息なやり方で、読売の社説が
[有事関連法案]「これを足場に幅広い備え急げ」と、
その主張のいい悪いは別にして、はっきり姿勢を打ち出しているのとは対照的です。
朝日自身の本音は、中国や韓国の表明する「懸念」「警戒感」、
或いは明日あたりから読者投稿=「声」の欄で読者の口を借りて言わせるのでしょうが、
大新聞を自認するなら、正々堂々自説を展開してもらいたいものです。


2002年04月16日(火) 朝日の「天声人語」

今日の朝日新聞朝刊によれば、世論調査の結果、
小泉内閣の支持率42%不支持40%で、再び支持が不支持を上回った由。
この記事は、1面の下の方に小さな扱いでした。
先日、不支持が上回った時には一面トップ記事だった事からすれば、
あの時は余程、不支持が上ったのが嬉しく、
そして今回下がったのは残念だったのでしょうか。
もっとも不支持が上回ったというのは、先日の朝日だけで
他紙の調査ではまだずっと支持の方が上なんですが。

さて、朝日新聞と言えば、朝刊1面の有名なコラムに「天声人語」があります。
昔から受験生必読の小論文の手本とされ、
かつては名文家と称えられた有名コラムニストもいました。
しかし、思想内容的な事は別にして、
最近の「天声人語」はいささかひどいように思われます。

例えば、毎月末に「最近の言葉から」と称して、
文字通り、その月にニュースに登場した人たちの言葉を
ずらずら並べただけのものがあります。
筆者のコメントもなければ、引用した言葉に共通するテーマもありません。
全く手抜きもいいところで、何処がコラムなのかと思います。

また、しばしば登場するのが、作文とも日記とも趣旨不明の文章。
特に4月12日付のは、悲惨でした。
「思い立って東京タワーに上ってみた」で始まり、
米国のラスベガスで偽のエッフェル塔に上った、だの、
上海で建設中のテレビ塔にも上った、だの、
自慢話とも思い出話ともわからぬ愚にもつかぬ話に続いて、
東京タワーからの眺め、そして簡単に歴史を書き、最後は
「大阪の通天閣のことが気になってきた。 (略)こんどは、あそこに上ってみようか」
で終わっています。だから何だと言うのか、何が言いたいのか…
小学生の遠足の作文かと思いました。
一般のWeb日記の筆者のほうが、もっとましな文章を書いているでしょう。
いやしくもクオリティーペーパーを自称する新聞が
購読料を取って1面に載せるシロモノとは思えません。
こんなものを今でも受験生は参考にさせられているのだとしたら、
実にお気の毒な限りです。


2002年04月15日(月) 松任谷由実のメモリー


美空ひばりは戦後復興の、そして松任谷由実は繁栄のシンボル、

と言うような意味の事を、かつて松任谷由実自身が言っていたのを何かで読んだ覚えがある。

自分自身の歴史的ポジションまでしっかり把握したこのユーミンの台詞は、まさに言い得て妙だろう。

1954年生まれだから今年で既に48歳、音楽シーンでは既に大御所的存在、などと言ったら、

もう過去の人みたいな言い方になってしまうが、

いつまでも時代の感性をユーミンが共有し続けている事ができるとは思えない。

松任谷由実が時代の感性を先取りして、最もそのシンボルであり得たのは1980年代だろう。

'70年代半ば、所謂「四畳半フォーク」と呼ばれた、

しみったれて貧乏たらしい音楽が主流だったくすんだ時代の色を、

ユーミン(当時は荒井由実)の登場はパステル・カラーに変えたと言われている。

今では死語になってしまったが、ユーミンから後はニュー・ミュージックと呼ばれ、

従来の邦楽からは差別化されている。

では具体的にユーミンはどう違ったのか、と言うと、松任谷由実自身が説明するところによると、

例えば渋谷の路地裏にあるあんみつ屋で外の雨を見ているという詞を書く場合、

ほかの人が書けば、そこに四畳半的なわびしさがうまれるかもしれないが、

自分なら、その場所がロンドンになるかもしれない、と言う。

渋谷の路地裏がロンドンになる、とは、

ユーミンにとって重要なのがイメージであって現実ではない、ということだろう。

だから別にその場所は、具体的な場所でなくても構わない。

つまり彼女は現実にある渋谷の路地裏からロンドンへと想像を膨らませたわけではない。

逆に、まず彼女の中にロンドンというイメージが先にあり、

それをたまたま現実にある場所にあてはめたに過ぎない。

だから、たとえそれが渋谷であろうとどこであろうと、

彼女にとっては同じようにしか見えないと言う事になるのである。

こうしたユーミンの発想法、作詞法は、

中央高速道路を「中央フリーウェイ」に転換させたことなどにもその一例を見ることができる。

「調布基地」「競馬場」等の現実にある具体的な名称が登場するにもかかわらず、

この歌には奇妙に現実感が欠落している。

当然であろう。現実にある調布基地や府中競馬場、そして中央高速が問題なのではないからだ。

渋谷の路地裏がロンドンに化けてしまったように、ユーミンはどこにもない架空のフリーウェイ、

つまりユーミンの心象風景を中央高速に重ね合わせたに過ぎないのである。

尤もおそらくその後この歌は全く違和感なく受容されている。

ユーミンをカー・ステレオでBGMに、中央高速ならぬ中央フリーウェイを疾走するという風景は

いかにも80年代的であったことか。

この作品自体は'70年代のものだが、ユーミンが全く違和感無く一般化したのは、

'80年代に入ってからではないか。

とすれば、そうした風景はむしろユーミンが作り出したものであると同時に

時代がユーミンの世界に近づいて行ったということでもあるのだ。

だからここで注目したいのは、そのようなユーミンの想像力の方ではなくて、

その歌を受容する側の意識である。

確かに渋谷の路地裏がロンドンに見えるのはユーミンの優れた想像力の賜物である。

でもそれを聴く側にとっては、例えば地方都市の場末の喫茶店から見る外の雨の風景は

どう間違ってもロンドンには見えはしない。

だがそのような擬似体験を可能にしているのは、ユーミンの歌にうたわれた世界が、

現実にはどこにもない、そしてある意味では無個性なイメージの世界だからである。

ユーミン、またはユーミンに限らず重要なのは、

そこで「自分の事が歌われている」という虚構が時代の共通感覚として成立することである。

当時、10代の少女からユーミンに自分の日記が送りつけられてきたというエピソードや、

或いは逆に、ユーミンが深夜のファミレスに出没して客の会話に耳を澄ませてネタの取材をしている、

などというまことしやかに語られた噂話は、ユーミンの世界の何たるかを象徴している。

例えば松任谷由実はかつて、九州出身の伊勢正三から「ユーミンが東京とか言ったって、八王子だものね」

と言われて、一緒にされてたまるか、という強い抵抗感を覚えたという。

その理由として彼女は、東京オリンピックによって東京がまざまざと変わって行く光景を

目の当たりに見たことをあげている。

ここで喉元まで出かかっているのは、九州の田舎者とは一緒にされたくない、と言う、

「三代続いた八王子の老舗の呉服店」とやらの「お嬢様」の矜持だろう。

だが、松任谷由実、いや、荒井由実が登場した1973年という時代を歴史的に振り返ってみるならば、

東京オリンピックより重要なのは、前年就任した田中角栄首相の提唱する列島改造ブームの方だろう。

以来、地方の都市化の波が確実に進み、それぞれの地方都市はその個性を球速に失ってしまった。

現在、JR駅及びその駅前の様子は、どの地方都市も殆ど同じ佇まいのように思える。

奇しくも80年代半ば、JRのイメージ・ソングとしてユーミンはシンデレラ・エクスプレスを歌ったが、

物理的にも東京はもはや遠いところではないし、

ましてイメージとしての東京は既に質的格差のない世界になっていたのだ。

'80年代、結局「みんなユーミンになってしまった」と言われる所以は、

ユーミンが「中産階級の欲望」の体現者であった事を意味しているようである。

(※むかし別の場所に書いたネタの再録です.使い廻しですみません)


2002年04月14日(日) 社民党を襲う自爆テロ?!

昨日、Web日記について書きましたが、
これは私人が私的な事柄について記す事で生じる、感情レベルの問題です。
しかし、公人が公的な問題について発言する場合は、当然批判対象でしょう。

何かと話題の社民党で、原陽子議員がまたやらかしてくれました。
以下は毎日新聞HPの記事です。

秘書給与疑惑:
「流用持ちかけられた」社民・原陽子衆院議員


 秘書給与疑惑に揺れる社民党の原陽子衆院議員(27)=比例南関東=が
 13日、00年6月の衆院議員当選後、公設秘書給与の流用を同党関係者から
 持ち掛けられていたと、自らのホームページ(HP)で明らかにした。

 ホームページ「原よう子と未来の風」の同日付けコラム「ホッと一言」によると、 
 原氏の地元・神奈川県相模原市の党関係者から「政策秘書の資格をもっている人を
 紹介するから、名義だけ借りて、そのお金を地元に納めてもらったらどうだ」などと、
 秘書給与の取り扱いについてアドバイスがあった。原氏は「はっきり断った」という。
 流用を持ち掛けたと指摘された社民党相模原支部連合は「そういう働き掛けは一切して
 おらず、心外だ」と否定している。
 同党神奈川県連の小泉親昴(ちかたか)」幹事長は「詳細を調査している」と話した。


ちなみにこれが、原陽子議員の、件のHPのコラムです
原よう子と未来の風「ホッと一言」


原議員は、昨年のアメリカの同時多発自爆テロの時に自らのWeb日記に、
「『ざまーみろっ』って思っている人もいる」と不用意な発言を記して
一部メディア、またネットでも散々に叩かれた「前科」の持ち主ですが、
今度は、自らが社民党に自爆テロ敢行でしょうか?
いったい、何を考えてこんな事を公にしたのか…、
社民党を自壊に追いこんで、何かその後の自らの政治的延命でも企んでいるのか…?

実のところ、何も考えていないのでしょう。
このコラムの最後の一文にあるように、
まさに「自分が書きたいと思ったことを書」いただけであって、
よくいえば純粋、悪く言えば単純。

これ以外の日付のコラムを読んでも、内容云々以前に幼稚な限りです。
一般的な27歳の水準からみたら格別不思議ではないし、
年齢相応の親しみ易さを出そうとするのも悪くはないですが、
それにしてもこれが国会議員が国政について自身の考えを公けに述べる文章かと呆れます。

しかしこの人の文章を読んでいて思いました。
有能な政治家を、例え些細な瑕疵でも政治倫理の名のもとに槍玉に挙げて
パージしていった暁には、
最後には原陽子レベルの低能な議員しか残らないのではないか…?
この国難もいうべき大事な時期に、ただ正直で人柄がよくクリーンである事だけを基準に
政治家を選別していては、国が破滅です。

国民にとって一番重要なのは、やはり優れた政治家を選ぶ事だと
この機会に改めて痛感した次第です。


2002年04月13日(土) 内語の世界−Web日記というもの−

エンピツ日記には、都合31の様々なジャンル(ノンジャンルを除く)があって、
それぞれに多数の書き手がいます。
私が属するこの「時事/社会」には130人余りが掲載されており、
これは少ない方から9番目の人数です。
一番多いのは「日常/生活」で、ここには7000人以上が参加されています。
以下、多い方から「恋愛」「苦悩/心」と続きます。
日記には本来、自身の日常生活での出来事や想いを記述するものですから、
そういう意味では、この「時事/社会」ジャンルのようなものは、
日記の形式を借りた雑文、コラムの類いであって、
日記の王道と言うか、常道はこちらの方なのでしょう。

しかし考えて見れば、Web日記というのは奇妙なものです.。
一般に、日記は秘密を建て前とします。
単に無味乾燥的な出来事を羅列する場合もありますが、
概ね、普段他人には明かせない自分の一面をそこに表すわけです。
それは赤裸々な自己像であったり、或いは内面的な告白であったりもします。
人間、誰しも綺麗事だけでは生きていけません、表もあれば裏もあります、
何処かでそうした溜まった想いを吐き出さなければ精神的にもちません。
したがって、これは言わば精神的な排泄行為でもあるでしょう。
日記は、そういう役割も果たしているわけです。

ところがWeb日記には、ネットの向こう側に世界中の無数の読み手がいます。
というより、むしろ読まれる事をあてにして書くのがWeb日記です。
本来、秘密であるべき日記が他人の目に触れる事を前提に書かれるのには、
矛盾があります。

現実世界では他人に言えない事が、比較的容易に言えてしまうのは、
言うまでもなく、ネットの匿名性によるものです。
いくら多数の人間がいようとも、彼らは誰も自分を知らない、
つまり現実の利害関係がないから、生の自分を晒す事にもあまり躊躇しません。
そうした気安さがネット上で語る事を可能ならしめています。
しかし、言いやすい事と、言って通るかどうかはまた別の問題です。

Web日記の執筆者が、ネッ上で自己の在り様を語るのは、
それに対する共感や賛同を求めているからでしょう。
とりあえず表明して、判断は読み手に任せているのではないし、
ましてその是非を仰いでいるのではありません。
他者からの自己への肯定、承認の欲求を充たすのが目的です。
しかしネットの向こうにいるのは、必ずしも自分の理解者ばかりとは限りません。
むしろ、それを現実世界で言ったら反発を食らうような類いの本音であれば、
ネット世界でも同様のリアクションがあって不思議ではありません。
したがってそのために生じる、ネット上でのトラブルも少なくありません。

こうした時に、書き手の側からよく聞こえてくる言葉に、
「不快ならば見なければいい」という考えがあります。
確かに、読み手には取捨選択の自由はあります。
気に入らないのものは見なければいいし、ネットであえて不快になる事もありません。
しかし何を見るか見ないかを決めるのは、あくまでその人の判断でしょう。
他人が強制する筋合いのものとも思われません。
また、書き手の側にその権利があるとする根拠のひとつに
個人サイトは私的スペースであるが如き意識がありますが、
しかし、これはどうでしょうか。
誰の目にも触れ得る、共有の場所で私的な事を書いているのです。

ネットは一種の心の中のつぶやき、「内語」の世界だと思います。
現実世界で、心の中で思っている事がそのまま声になって表に出てしまったら
この世の中はとてもじゃないが成り立っていきません.。
ところがネットとは、そのような声が聞こえる世界です。
そして誰の声かわからなくても、それは時に不快なものであり得ます。
ネット・コミュニケーションの難しさがここにあると思います。
しょせん単に内語に過ぎないからです。
人が心の中でどう思うかまでを、誰も規制する事はできません。



2002年04月12日(金) 自民党派閥政治の自己消耗

加藤紘一の完全失脚によって、
もはや自民党には総理総裁の候補たる有力政治家が払底してしまいました。
この事は、現在の派閥システムの下では、自民党政治そのものが
立ち行かなくなってきている事を示していると思います。.

一口に派閥と言っても、昔と今ではそのあり方が違ってきています。
成る程、確かに自民党には結成以来派閥が存在し、
そして派閥政治こそ自民党政治そのものでした。
しかし代替わりを続けるうちに派閥の性質は変わりました。
かつて派閥には、そのリーダーを総理総裁にしたい者たちが集まっていました。
「三角大福中」の五大派閥と言われた時代まではそうでした。
つまり田中角栄や三木武夫、福田赳夫、大平正芳、中曽根康弘を、
それぞれ総理総裁にしたい者の集まりが
田中派であり三木派であり、そして福田派、大平派、中曽根派でした。

今では、逆に派閥そのものを維持するために選ばれたリーダーという
要素が強くなっています。
その最たる例が派閥の代表的存在・橋本派です。
過去に、総理総裁を辞めた者が新たに派閥の領袖に選ばれた例はありません。
ドングリの背比べで、他の誰を会長にかついでも派閥内バランスが悪いので、
既に総理総裁を経験済みの橋本なら無難だったわけです。

また、こうした傾向が始まったのは、鈴木善幸や竹下登あたりからでしょう。
別に鈴木や竹下個人をどうしても総理総裁にしたかったわけではなく、
単に派閥の力を維持し、引き出してくれる者なら誰でもよかったのです。
今の自民党の派閥は、大なり小なり利権維持とポスト配分のための
利害調整機関に過ぎません。
しかしこの事が逆に派閥がなかなか潰れない要因にもなっています。

例えば、たかだか10名余りの高村派にも存在意味があるのは、
小人数であるがゆえに小回りが利き、効率よく入閣の順番が回ってくるからでしょう。
だから小泉が一内閣一閣僚を唱えているのは甚だ派閥にって具合の悪い事です。
すなわちポスト獲得の意味がなくなれば、派閥に集っている理由が半減します。
このところ、いろいろ口実をつけて内閣改造を要求しているのは、
単にポストを早くよこせという、それだけでしょう。
こうなると、もはや自民党ならぬ完全に”自分党”です。

当選5、6回で誰でも派閥順送りに大臣になれる仕組みは、
長期政権の生んだ弊害ですが、それでも昔は、
自分が総理総裁になって何をやりたいという志をそれなりに持ったリーダーが存在し、
またそれを担いでお互いに競っているところに派閥政治のいい面はまだありました。
与党内の擬似政権交代と言われた所以です。
今の派閥はむしろリーダーを否定し、単に個々の利益確保のための集団化し、
また、そのために自民党が政権与党であり続けていたいという、
政権維持のための政党に成り下がっているように思われます。
派閥連合体である自民党の自己消耗もここに極まれり.....というところでしょうか。


2002年04月08日(月) 加藤紘一の「長いドラマ」終幕

加藤紘一自民党元幹事長が議員辞職。
総理・総裁候補と言われた派閥の領袖で、
こんなみっとものない末路を辿った人は過去にいないでしょう。
一昨年暮の「加藤の乱」失敗後も、「ドラマはまだ続く」と強がってみせましたが、
まさかこんな終幕を迎えるとは、本人ならずとも思いませんでした。

加藤紘一の挫折の始まりは、もちろん「加藤の乱」の失敗で
大宏池会の会長から滑り落ちた事ですが、
それ以前に、小渕内閣の蔵相就任の要請を断わったあたりから
総理・総裁を目指す人材としては、頼りない面が見られました。
丁度「金融国会」を控えて、蔵相なぞ引き受けて傷がつく事を恐れたのでしょうし、
あるいは代りに宮澤喜一を閣内に棚上げする事で、
派閥継承を有利に運びたかった思惑も絡んでいたかもしれません。
しかし難局を80近い老人に押し付けて日和った印象は拭えませんでした。

そして、「加藤の乱」。
当時、福田派と三木派が欠席した1980年の大平内閣不信任案の時と比較されましたが、
でも福田も三木も、自前の派閥で子分を率いていました。
一方、加藤は宏池会の何代目でしたっけ?
親分でもない加藤の言う事をきく奴はいないでしょうね。
時代を読み間違えたとしか言い様がありません。

辻元清美は市民派から永田町の住人になりましたが、
でも加藤紘一は「加藤の乱」以後、永田町から市民の中に
積極的に入っていく新しい面が見られました。
そういう点では惜しい政治家でしたが................やむをえません。


2002年04月04日(木) かくして自民党政権は続く.....

朝日新聞の最新の世論調査によれば、
小泉内閣の支持率40%、不支持率44%で、初めて不支持が上回ったそうです。
もっとも、朝日系メディアの調査は、
政権に殊更不利な結果を出す事で定評?があるので、今一信用がおけませんが、
しかし、小泉内閣の支持率が、1月末の前外相・田中真紀子更迭以来
下落に歯止めがかからない事は確か。
この傾向が続けば、
いずれすべてのメディアの調査でも不支持が支持を上回る事は必至でしょう。
だんだん政権末期型の様相を呈しています。

小泉内閣、つまり自民党政権が仮に支持されないという事になれば、
本来なら、野党に政権を委ねる選択肢しかありません。.
しかし政党支持の状況を見ると、
自民党支持が前回28%から25%に落ちているのに対して
野党第一党・民主党の支持率も8%で停滞しています。
また、野党を全部をあわせても18%にしかなりません。
一方、支持政党なしは49%で、ほぼ5割に達する有り様。
つまり現状での「民意」は、政党全体に「ノー」を言っているという事です。

しかし、実際の選挙になった場合、こういう民意は全然意味をなしません。
政党支持なし層がそのまま全て棄権に回るわけではないにしても、
投票率50〜60%で、結局自民党が比較第一党です。
つまり政治不信の無党派層が投票行動を起こさないなら、
単に自民党政権の現状を肯定する「民意」しか結果に現れないという事。

かつて森首相が「無党派層は寝ていてくれればありがたい」と失言して本音を吐いたように、
政治不信や政党不信の状況は、実は自民党にとって都合のよい事なのです。
過半数に足りなければ、今もそうであるように公明党との連立で政権を維持します。
また、組織政党である公明党にとっても、
投票率が低くて無党派層の批判票が野党に入らない事は有利です。

自民党は、理念よりも政策よりも、とにかく政権与党でい続ける事だけが目的の無原則な存在。
有権者が、政治不信だ政党不信だと言って何もしなければ、
最悪の状況の中で、しかし自民党政権だけは永久に続く.......。


2002年04月01日(月) 阪神開幕2連勝

土日の巨人−阪神の開幕2連戦をテレビ観戦しました。
試合もさることながら、ゲスト解説の長嶋がよく喋る喋る(笑)
例によって、何を言いたいのか半分もわかりませんでしたが、
今年から終身名誉監督は口で参戦しようという事でしょうか。

さて、阪神は12年振り開幕戦勝利。
上々の滑り出しで、一応、オープン戦”優勝”がダテではない事を示しました。
それにしても12年振りって事は、90年以来か。
当時、誰がいたっけ.....監督は中村勝広でしたが、
この年は結局、最下位だったようです。

また、開幕2連勝は、79年以来。
監督がブレイザーで、小林繁が江川騒動で移籍して来た年。
反対に、田淵はこの年から新興球団西武に移籍。
眞弓、掛布、若菜、江本あたりが活躍、
中盤までは優勝争いに加わり、最終成績は4位でした。
いやだな、古い事は詳しい...。

ちなみに巨人戦開幕2連勝は40年振りだそうで、
当時は村山実、小山正明が二大エースで、この年リーグ優勝してます。
あ、私はまだ生まれてません、念のため。


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