Memorandum


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2001年07月30日(月) 宴のあと

お久しぶりです。まだやめていません(笑)

さて参院選済みました。
結果は、、、予想通りで、
別に面白くもなんともないですね。
個人的には自分の投票した候補の当落ぐらいですか、興味は。

隠す意味はないから書きますが、
私は選挙区も比例区も民主党候補に入れました。
別にあまり支持もしていないけど、
でも政権交代可能性の期待と理想という事で、
野党第1党に入れるのが今の私のスタンスです。

実は私が選挙に行くようになったのは、ここ数回の事です。
20代の頃、つまり社会党が野党第1党である時代には
アホらしくて行く気になりませんでした。
どうせ自民党が勝つ、つまり政権交代はあり得ない選挙に過ぎないし、
そしてアナクロな社会党に何にも期待できないし。

でも゜93年の非自民・細川政権誕生によって、
政権交代も全くあり得ない話でもないと思えたし、
そして今の民主党は、社会党に比べれば「よりまし」
と言う意味で投票しています。
小泉首相には好感も期待も持っていますが、
でもやはり悪しき「自民党永久政権」のスパイラルを断ち切って、
取りあえず政権交代可能な状況を作らなきゃ何も始まりません。
そういう唯一の思いのみで、一応投票しています。

さて、今選挙で顕著なのは、社民党、旧社会党の壊滅的状態でしたね。
私が初めて選挙に行ったのは、村山内閣時代の参院選(6年前)であり、
実はそのときは当時の社会党に投票したし、
そして翌年の社民党になっての初めての選挙(総選挙)のときも
実は社民党に投票しました。
アナクロ社会党=社民党も政権担当して少しは増しになるかと思ったし、
それに欧米的な社民主義政党育成への期待も込めて投票しました。
でも今は完全に見放していますし、もう消滅して欲しいと思ってます。
社民とは名ばかりで、極左でありカルトであり、
はっきり言ってキ印政党化してますねネ、今の社民は。もう要らないです。
批判野党としてはよりましな共産党もあるし、
田英夫みたいな良識的老政治家が落ちて
原理主義的フェミの田島やら労組の古株やらが当選する社民には
もう未来がないです。

と言う事で、今回選挙の私的総括。
自民大勝はまあしょうがない、民主はまあまあ伸びたのでよい、
公明現状維持は不愉快、共産惨敗は残念、自由議席増は妥当、
唯一、社民滅亡万歳!!

ではでは。


2001年07月12日(木) 人間をダメにする言葉


硬い話題が多いんで、たまには少し違う事も書いてみましょうか。

私は、占いとか予言とかは全く信じない性質です。
でも、そうだとしても、そもそも人間自体がそのような「言葉」から
全く自由に生きられているわけではないと思います。
言葉というものは、どれだけ人間を拘束するものであるか。。。

いきなり話が変わるようですが、
阪神タイガースの野村監督と言うのは、選手を貶したり、悪口しか言いません。
私は阪神球団の体質に構造的問題があり、
たとえ野村に変えて誰を監督にもって来たって
所詮ダメ虎はダメ虎のままだと思っています。
が、それはともかく、ただ野村がいけないのは、
もともと負け犬根性が染みついていて、
自分でも自分をダメだと思っているような選手たちに、
お前はダメだ、としか言わない点です。
野村としては単に「事実」をそのまま述べているだけであり、
だから野村の意図では、それに発奮して成長するようにという、
彼なりの指導法なのかも知れません。事実、ヤクルトではそれでうまく行きました。
でも阪神では、彼が「ダメだ」と事実を言うと、
それは「ダメのままでいろ」或いは「ダメになれ」という暗示や命令になって、
選手を束縛してしまっていることです。
こう言う指導法や教育法は、果たしてベターなんでしょうか。

去年オリンピックの女子マラソンで優勝した高橋尚子選手、
彼女を指導したことで一躍脚光を浴びた監督のことを
ある番組で特集していたのをみました。
彼は、選手をとにかく誉めて、
良い面を十二分に引き出す事を指導法としているようです。
でもこう言う事には否定的反応を示す日本人が多いです。
選手を甘やかすとか、何とか。
野球で言うと、広岡あたりが言いそうなことです。
でもこの話を聞いていて、個人的に切なくなりました。

私事ですが、私は子供の頃、親や教師から、殆ど誉められた事がありません。
欠点や失敗ばかり常に指摘されて、結局ダメだダメだと言われてました。
だから本当にダメになってしまった、、、、と言うと、
なんだか言い訳じみていて嫌ですからあまり言いたくはありません。
実際、ダメな事は確かにダメだったのでしょう。
でもなんであんなにネガティプに言われ通しでいなければならなかったんだろう、
と言う憾みは今でも持っています。

精神分析の創始者・フロイトが言っています。
彼は、子供の頃から親に常に鼓舞され、
それによって自信を与えられてきたそうです。
だからそれが今現在の自分の自信の根源になっている、と。
勿論、過剰な期待を持たれて、それが重荷になって
却ってダメになってしまう人もいるでしょうから、それはケースバイケースです。
ただフロイトは、精神疾患の原因には幼児期のいろいろな出来事が
トラウマになっていることを見出した人です。
ネガティプに言われて続けていると、結局、それが暗示なってしまい、
どんなに頑張っても所詮自分はダメかもしれない、と言う自信のなさに繋がって、
本当にダメになってしまう事も多々あるのではないでしょうか。
ダメだダメだって言っていると、それが暗示的に命令や予言になって、
本当に人をダメにしてしまうかもしれません。


2001年07月11日(水) 「子供」の消滅

いつもこの日記をお読みいただいているごく少数の奇特な方々、
ありがとうございます。
改めて言うまでもないんですが、
このエンピツ日記は時事・社会ネタのジャンルに登録してあります。
でも、そもそも時事ネタなぞ興味ある人はあまりいません。
また、その手の話は、もうニュース解説でされている事の
繰り返しになりがちですから、ますます面白くありません。
ましてこの文章はわけわからん、ひねくった言い回しが多いので、
いよいよもってつまらない事は請け合いです。
でも、懲りずに今後もこの調子で(笑)、行きたいと思いますので、
一人でも興味をもって読んでいただければ幸いです。

さて、また意味不明の話になるかと思いますが・・・、
われわれが今当たり前に前提にしている「子供」という概念は、
近代に見い出されたと思います。
例えば日本で江戸時代までは、武士の子弟は、
それが何歳であろうが「元服」すればもう大人でした。
別に大人と子供を分ける明確な根拠などそこにはありません。
単にそれは「元服」という制度が与えるものです。
そして、それは今でも多分そうでしょう。
成人式までは子供とか、或いは少年法の規定する少年の概念とかは、
別に何も根拠はなく、単にそういう風に決めたからそうなっているだけです。
また、歴史的に言うと子供と大人の区別は、
産業資本主義とブルジョワ社会の産物だと思います。
労働しないのが子供、或いは性的に未成熟なのが子供、
という新しく形で成立した概念・存在に過ぎず、
それ以前には今現在われわれが思っているような「子供」など存在しませんでした。
でも制度の不思議なところは、ひとたびそれが成立してしまうと、
なんか、大昔から本質的に、保護育成しなければならない「子供」というものが
存在していたような錯覚にとらわれてしまう事です。
でもそんな本質なんてありません。
だから子供の概念なんて、その時その状況に応じていくら変えても差し支えないで
しょう。
例えば30歳までは子供、としてもよいし、或いは逆に、
場合によっては、子供なんて存在はもう認めなくたって構わない。
では今は、どっちになるんでしょう?
よく言われるのは、人生50年の時代と80年時代とでは、
昔の20歳と現在のそれとは比較にならない、という事です。
そうなると成人の基準を引き上げた方がいいかもしれません。
一方、昨今の少年凶悪事件を見ると、少年法の謳う保護育成すべき少年、
或いは子供なぞはもはや現実には存在しないようにも思われます。
すると10代でも成人並みにビシバシ扱ってもいいかもしれません。

かつてフランスの哲学者ミッシェル・フーコーが言いました。
「人間」とは近代の産物であり、それはやがて砂上の楼閣のように消え去ろうとして
いる、と。
それを思えば「大人」「子供」の区別の概念の消滅など、
何ほどのことでもないかもしれません。


2001年07月06日(金) 自嘲:夜明け前

沖縄の米兵による女性暴行事件は、漸く今日になって、
畏れ多くもかたじけなくも「宗主国」アメリカ様の格別の”ご好意”により、
容疑者をお引渡しいただけたようです。

・・・と、皮肉交じりに自嘲したくなるほど、相も変らぬ情けない顛末でした。

レイプ事件そのものは、たとえそれが米兵であろうがなかろうが、
言うまでもなく怪しからん事件に違いありません。
でも、それよりも何よりも特に苛立たしいのは、この事件を通して、
所詮アメリカ様の属国として保護されている野蛮国・日本という現状が
改めて露わになった事であり、
そしてそのために沖縄を人身御供に差し出している日本自体の欺瞞です。

アメリカ様にしてみれば、本来、自分たちが保護してやっている、
人権観念の怪しい野蛮な東洋の属国の黄色い猿どもなんぞに
大切な自国民を引き渡すなど、飛んでもない話でしょう。
そもそも護ってやっている代償に差し出されている南の端の島なのだから、
そこのメスの一匹や二匹、手篭めにしてもどうって事ない話だと
思っているかもしれません。
でも、あまりぐずぐすしていると蛮人どもからそのうち
どんな難癖をつけられてまた何かゆすりとられるかわかったものではありません。
まして蛮人どもの反米感情なぞが高まった日には、
今後、同じ東洋の大陸の、赤い猿どもに突け入る好きを与えぬとも限りません。
だから取りあえずは渋々容疑者を引き渡した、というところでしょうか。

一方我等が日本政府しても、
何しろ日頃つつがなく暮らしていけていられるのはアメリカ様のお陰です。
だから南の島の娘っ子なんかを人身御供にする程度は当然のことであり、
本来どうでもいい話だから
あまりくどくどとは言いたくないのがホンネなのかもしれません。
でも折角人気者になったのに、選挙を控えてここで評判を落したくはないし、
仕方ないから揉み手をしながらアメリカ様の心におすがりするしかない、と言う有り様。
そうしたら寛大にも容疑者を引き渡して下さいました。
これはもう、土下座してでも感謝したい気分でしょう。

また、日頃アメリカ様を追っ払って
代りに大陸の赤い国の属国になりたいと思っている一部の偽善者集団は、
この機をダシにして嫌米感情を煽り、少しでも自己実現を図らんとして躍起です。

結局三者三様の思惑の中で忘れ去られてしまうのは、事件の被害者個人の苦しみであり、
そして沖縄の人たちの想いであり、更には日本の自主独立の精神です。

嗚呼、日本の夜明けはまだ遠い。。


2001年07月04日(水) セックスレス夫婦

今日の朝日新聞にセックスレス夫婦が28%にのぼるという
性意識調査結果が載っていました。
1と月以上性交渉がないとセックスレスに分類されるようですが、
これに月1回という夫婦も加えれば全体の5割近くを占めます。
(もちろん年代が高いほど割合は高くなります)
理由としては、「面倒くさい」が夫、妻とも最多、
次に夫は「仕事の疲れ」、妻は「趣味などほかに楽しい事がある」、
更に夫・妻とも「出産後なんとなく」と続きます。
また、「性は男性がリードするもの」という問いには、年代を問わず
両者とも約6割が肯定しています。

独身の私には直接関係のない話ですが、
この結果を見ていて何となく疑問に思ったのは、
セックスレス夫婦と言っても、
必ずしも彼らが全的なノーセックス生活を送っている
というわけではないだろう、と言う事です。
特に夫の方は、全くセックスレスなのかどうかは怪しいものです。
「面倒くさい」「仕事疲れ」「出産」云々は、
別にセックスそのものを忌避する理由とは言えません。
つまりそのような理由で単に「妻」とはする気にならない、
妻がセクシャルな対象とならない、というだけで、
その分を性風俗などで処理している可能性は大でしょう。
記事の書き方だとあたかも夫婦間のセックスレス即ノーセックスみたいですが、
その辺も突っ込んで調査しない事には表層的な話になってしまいそうです。

ところでセックスレスと言うのはここ10年余りの間に顕在化した問題のようです。
特に若い世代のセックス離れが取り沙汰され、
件の調査でも、20代、30代で11%、26%がセックスレス夫婦です。
セックスレスの理由や事情はいろいろとあるんでしょう。
ただ、それが問題視されるときににちょっと違和感を覚えるのは、
それが仮に問題であるとして、単に今現在の問題として見ても
意味がないのではないか、と言う事です。
例えばそのもっと上の世代、つまり親の世代の性生活は
どうだったんでしょうか。
セックスレスではなかったとして、そんなに豊かな性生活があったとは思えません。
単に義務観念でやっていたかもしれないし、
妻の側からすれば家庭内売春的感覚で夫に付き合わされていたかもしれない。
しかも夫は妻を主婦や母親の立場に閉じ込めておいて、
自分は外で買春し放題であったかもしれません。
そしてそういう事が単に今ほど顕在的に問題化しなかったと言うだけで、
要するに仮にセックスがあったからと言っても、だからよかったとも言えないでしょう。
それを無視して、今現在の若い世代がセックスレスである事があたかも問題であるような
取り上げ方をしても、問題の本質は見えないという気がします。
むしろそのような親の世代の性生活の貧しさ(内容的な)の反動であるかもしれないし、
だからこういう問題からは、もっと日本人そのものの夫婦や性生活のあり方、意識を
歴史的に見ないといけないように思えます。
って、独身者に言えた義理でもありませんが。


2001年07月03日(火) 青のカジュアルシャツより…

日本の首相は外国で見っとも無い。
国内でも元々見っとも無いけど、
外国で首脳会談の際、見ていて恥ずかしい思いをした人は
多いはず。
我等が(?)小泉首相もいささか底の浅さが露呈してしまい、
少々がっかりです。
外見の事ではありません。
青のカジュアルシャツは、まあいいでしょう。
問題なのは、はしゃいで愛想を振りまくパフォーマンスより
タフネゴシエーターとしての本分を発揮する事だったのです。
でもその点、相も変らぬ単なる対米追随に終ってしまい、期待ハズレでした。
沖縄や京都議定書で日本独自の立場をはっきり打ち出して欲しかったと
思います。
例によってアメリカには組し易し、そして英仏には失望されたんじゃないかな。
まあ今回はとりあえず友好関係構築という事でいいとしても、
今後の外交のあり方が問題ですね。
首相のファッションよりそちらに注目しませう。



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