後悔日誌
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2011年07月28日(木) 停電


お疲れ様会と称して、一杯やっていたら停電した。

やれやれと思いながらも駆けつけた制御室。
配電盤の隙間からあがる茶色い煙を見て、ただ事じゃないことに気付いた。
漏電、短絡、電気火災。
配電盤の中は無残に焼けていて、電力を供給している銅版が溶断していた。
おそらく物凄い熱と火花を出していたに違いない。

自動的に切り替わった非常電源を頼りに、復旧に必要な作業をひとつひとつこなしていく。
頭の中に可能な限り電路図を描きながら、とにかく二次災害がないように注意する。
大切なのはスピードじゃなくて安全。
これは譲れない事項だ。


目に見えない電気。
高圧部を触るのは本当に緊張する。

途中、絶縁を計測されてビリッと来た事もあったけど、日付が変わる頃にようやく落ち着いた。
船内の重要機器はたいがい電路が2系統あって、事故が起きても片方のラインで運転することが出来る。
それを実感する日がくるなんて、思わなかった。

重要機器のポンプも、操舵機も1台だけ。
ウインドラス(揚錨機)や厨房の機器、冷房は動かない現状。
ひどいけど、見通したったから良いか…。


もう飲み直せない時間だね。
麦茶で乾杯した。



2011年07月18日(月) 台風


観音寺沖。
ここで台風6号を迎え撃つ。

南の海上から何日間もかけてゆっくり成長し。
太平洋高気圧の縁に沿って、時計回りにほぼ半周してきた超大型の台風。
予報の最大瞬間風速、毎秒70mはさすがに凶暴だと思う。
すでにフェリーは欠航しているし、残念なことに数名の方が事故で亡くなっている。


船にとって、台風は脅威だ。
風もそうだけど、何より怖いのは波の高さ。
吹き続ける風が波を育てて、高いときには波高が10m以上になる。
船体は木の葉のように揺れ、姿勢制御もままならない。
だからそうなる前に、早めに早めの対応をとる。

沖ならば、なるべく台風のコースに接近しないよう走る。
陸地が近いなら、風や波に優位な地を選んで錨を入れる。
今回の対応は後者だ。


まだ数百キロ先に中心があるのに、もう降り出した雨。
海面は白波が常に立ち始め、低い空には雲が勢いよく流れている。
太平洋の波高を示したチャートは既に真っ赤。

船橋からの電話が鳴り響く。
「機関準備願います。」


戦いが始まった。



2011年07月02日(土) 交流


日進月歩なインターネットの世界。
掲示板、ブログ、SNS。
色々なサービスが提供されては廃れていく。

そんな中、外国で驚異的に利用者を増やし、利用されているのがフェイスブック(Facebook)だ。
船の上からでも、インターネットにいつでも接続できる今日この頃。
外国人の後輩たちが寝る間を惜しんで自国の友人や彼女たちと連絡している。

職場にいた外国人たちの勧めで連絡手段として登録をしてみたのが昨年の冬のこと。
それから少しずつ、登録している友が増えていっている。
特に転職しちゃった元同僚とか、今はどこにいるか分からない学生時代の後輩とか。
思いもしない交流がなかなか嬉しい。


それから、もうひとつ。
震災後に利用者急増したツイッター(Twitter)もある。
スマートフォンの普及とともに、という感じもするけどこれもやってみると面白い。
好きな情報だけをリアルタイムに取り込むことができるし、新聞よりテレビよりニュースが早い。
企業やら有名人やら、こちらは実名じゃなくてもいいわけで、よりオープンなスタイル。
フェイスブックと両方登録している人も多いけど、ちゃんと使い分けしている感じ。


今や毎日眺めているけど、情報収集はツイッター、発信はフェイスブックが得意に見える。
もう少し、じっくり使ってみようと思う。



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