後悔日誌
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2003年11月21日(金) 電話


便利なものでうちの船にも電話がついてる。
衛星を使っているのでテレビ中継みたいに会話が少し遅れるんだけど。
何より良いことはエリアが超広いということ。

マリアナ諸島の沖でもファックスは届いた。


私宛のその紙には会社に頼んであった社宅の事が書いてあった。
そろそろ彼女と暮らし始めようか、ということで用意してもらったのだ。

が、しかし…。

そこそこ広そうな間取りが書いてあるものの築は昭和46年とある。
どんな所なんだろう、不安は隠せない。

で、不安そうにしてると先輩達は楽しそうにいじめてくる。
「いや〜、あそこは5階建ての4階も雨漏りするしね〜」
「この間取りじゃ、洗濯機置くとこがないっしょ!」
「この部屋は空けとけよ、遊びに行ったらここで泊まるから」
なんて言いたい放題。

本当に住めるのだろうか。
真偽はいかに?



2003年11月20日(木) 波浪


硫黄島の沖。
目で見て分かるうねりに憂鬱な朝だった。
ボートなんか降ろさなくていいのに…。

海面は2メートル位で上下をしていて縄梯子から移るのも一苦労。
ひとたび乗艇すればあっという間に気分が悪くなる。
顔からは急に血の気が引いて妙な汗を感じる。
おなかの中が急に圧迫されたようになって息苦しい。

そのうち若いのが戻しだした。
艇内ゲロ風味で思わず貰いそうになった。
ペッドボトルの水を飲み干し、生唾を飲み込みながら仕事。
ようやく本船に揚収された頃には生気を失っていた。

太平洋に弄ばれた一日。
早く忘れたい。



2003年11月19日(水) 孀婦岩


こうしてアイツを見るのも何回目だろう。
小笠原へ向かう海の上にポツリと寂しそうな孀婦岩。

目一杯、近づいてみると富士山の雪化粧のよう。
本当は海鳥のフンなんだけど、遠くからなら分からないかも。
写真を撮ってみると角度によって見え方が随分違うことが分かった。
女の後姿に見えたりゴジラに見えたり、なかなか楽しい。

これより先は小笠原、そして硫黄島。
この娘は戦争で南方に向かった船をじっと待っているのかもしれない。
何故かは分からないけど、そんな気がした。


「さよなら、また会う日まで…」
兵隊さんもきっと、声を掛けたんじゃないかな。



2003年11月17日(月) 杯


終電間際の電車を乗り継ぎ横浜へ向かう。
寿司詰め状態の東海道線で多摩川を越えた。

真っ暗闇の水面に写る月光。
空にはちょうど杯の形をした月が浮かんでいた。

このまま天まで上がっていくのなら、乾杯してみるのも悪くない。

なんて本気で考えていた。
風邪ひいてるのに…。



2003年11月13日(木) 汽車道


横浜の夕暮れ、汽車道を歩いた。

視界に入るのはランドマークタワーから背の順に並んだようなビル。
そして遊園地の大きな観覧車。
それらが全て映りこんだ水面に屋形船の提灯が咲き乱れている。

自動車の通らないこの道は、静かでとても雰囲気が良い。
私のお気に入りの道のひとつだ。

街灯からは、”戦場のメリークリスマス”が、さりげなく流れていて。
なんだか妙に感傷的な気分に浸った。


子供の頃は、クリスマスといえば一大イベントだったっけ。
その日が来るまで開けてはいけないプレゼントの箱の山。
アイスで出来たケーキなんて、こんな時にしか食べられなかったような。
昔の写真をひっくり返すと、自分の姿ながら嬉しそうで可愛い。

あれから何年も何年もたって今になった。
最近じゃイブっていえば別れの日。
あの友達にあの後輩、結構泣かされてる奴多いナァ…。


曲が終わる頃に汽車道を抜けた。
目の前につながるテールライトと喧騒にため息をついた。



2003年11月11日(火) 油断


廃油焼却炉の前に女が立っていた。
目が合うなり、突然カッターナイフで切りつけられて何がなんだか分からなくなった。
指先に残る鈍い感触、にじむ血。

殺される、そんな気さえした。

逃げ出そう、そう思った瞬間。
今度は我に返った女が急に泣き出した。
「ごめんなさい…、ごめんなさい…。」

私はただ、どうにもこうにも分からず呆然と立ち尽くすしかなかった。



随分深くまで切られたナァ。
親指の先端はパックリえぐられている。
ただ、あまりに綺麗な切り口ゆえ血はすぐに止まってくれたのが幸いだ。

原因は不注意。
サラダ油の入っていた一斗缶の切り口を不用意に触ったからだ。
いわゆる缶詰で指切る怪我ってやつ。

あんまり初心者っぽいミスで恥ずかしいから作り話して誤魔化してたんだけど。
誰も信じてくれないし、呆れられちゃった。

あーあ、酒でも飲んじゃいますか?



2003年11月10日(月) 串本


本州最南端の和歌山県潮岬。
ここを拠点に北西に向かえば関西、北東に向かえば関東。
船舶にとっては重要な変針点のひとつで潮岬では様々な船が集結する所だ。

沿岸は太平洋の荒波にもまれた岩場が続く。
岩の上に白い灯台がよく似合う。


そんな潮岬に程近い串本漁港の沖にいる。
うねりがそのまま入ってきて、走ってないのに大揺れな船内。
部屋でじっとしていても、仕事をする気になどとてもなれない。

仕方ないナ…。
黒潮に抱かれた魚たちと遊ぼうかと糸をたらしてみた。

一匹目、フグ。
二匹目、フグ。
三匹目、フグ。

どうせだったらトラフグでも釣れればいいのに。
どいつもこいつも怒ったように顔を膨らませている。

でも、なかなか愛嬌ある顔で可愛いもんだ。
ちょこっと彼女の顔を思い出して、心の中で笑った。



2003年11月06日(木) 散髪


切っても切っても伸びてくる髪の毛。
綺麗に揃えてもらっても、また2ヶ月もすれば元通り。

仕事で船に乗る以上、行きつけの床屋もなく。
その場、その場で低料金気味の店に入る。

床屋は10分1000円が相場。
理容師さんってのは稼ぐよナァ、本当に。


広島の中心街。
床屋を捜し歩くが、なかなか安いところが見つからない。
午後7時、背に腹はかえられないと小奇麗な所に入った。

さすがに高級店はどこか違うな、と思いながら店内を眺めた。
若者達はたいして髪の毛を切るわけではなく、仕上がりの姿に満足そうに店を出て行く。

短く刈ってもらうのは勿体ないかな、とも思ったがいつもの髪形へ。
仕上がりは上々だった。



このまま帰るのは勿体ない。
バーにでも行こうか。



2003年11月05日(水) 雨


広島のはずれ、宇品の岸壁。
人気もない倉庫を横目に街を目指した。

朝から降り止まぬ雨に久しぶりに傘を持つ。
子供の頃は、長靴を履いて水溜りに思い切って飛び込んだっけ。
我先にとはしゃいでいた頃をふと思い出した。
水溜りを踏まないようになったのはいつ頃なんだろう。


車が跳ねる水に怯えながら歩き続けると、ようやく電車通りに出た。
函館、富山、広島、松山、長崎…、港には路面電車がよく似合う。
憂鬱な雨だったが濡れた路面に灯りが反射して綺麗だ。
こんな事ならカメラも持ってこればよかった。

電車の乗り心地は相変わらずで、脱線しそうな振動がたまらない。
交差点の度に止まるので随分のんびりした気分になる。
長いのになると三両編成なんてのもあって、停車用のブザーの音がそれぞれの車両で微妙にずれて妙なハーモニーに聞こえる。
ああ、広島の電車に乗ってるな…と、いう満足感。

心地よいまま電車は終点の広島駅へ。
急かされたように駅ビルに向かった。

目の前で焼かれる生地、キャベツ、そば、玉子。
このコンビネーションの虜になる。
鉄板と語るもまた楽しい。



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