後悔日誌
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2001年09月27日(木) 焼き蛤


なんだか落ち込んでた頃があった。
仕事の上での理想と現実とか、自分の能力の限界を感じていた頃かもしれない。
そんな私に先輩が声をかけてくれたっけ…。

「悩みがあるなら何でも相談してみろよ。」
半信半疑に先輩の方を見るとこう続けた。
「俺の口はハマグリみたいに固いんだ。ちょっとやそっとじゃ開かねぇよ。」
私は少しづつ語り始めた。
ちょっと暴露ネタなんかも喋ったりしちゃった。

で、次の日。
皆が人の話題で盛り上がってる。
畜生、ちくったな!
気分がどん底に落ちたとこで先輩がやってきた。

「話がちがうじゃないですかっ!」
思わず突っかかった。

が、先輩は強かった。
「バーカ、ハマグリは焼いたらパカッっと開いちゃうだろ。知らないの?」
もはや反論の余地なし。

まんまとやられちゃいました。



2001年09月22日(土) 深酒


ひどい二日酔いだった。
朝は何とも無かったのに昼頃からお腹が唸り出した。

風が強いおかげで波が高く、係留しているのにゆっくりと揺れる船。
二日酔いだか船酔いだかわからない気分の悪さ。
いったいどうしてそんなに飲んじゃったんだろう。

長い入渠工事(車でいうと車検かな)だった。
9月の始まりからドックへ来てまもなく3週間が経つ。
いっしょに仕事をした技師さんとの飲み会は本当に和やかだった。
みんなでおつかれさんをして良い飲み会だったといえるだろう。
続きがまずかった。
いつものことなんだけど。

悪いのは自分。
出されたご飯も食べれずにうどんだけ食べて部屋に帰った。

情けない、
まったく情けない。



2001年09月19日(水) 異常潮位


数日前から海面の高さが高くなる異常潮位という現象が起きているそうだ。
大潮の満潮と重なり各地で被害が出ている。
広島県の厳島神社。
床の上まで海水に浸かっている。

先日のことだが富浦に遊びに行った際、岸壁ギリギリまで潮位が上がっているのも見た。
危ないね、なんて話してたけどきっとこれも異常潮位の影響だろう。

それにしても不思議だな。
海面の高さなんてそんなに簡単に変わっちゃうものだろうか。
海沿いに住みたいけどちょっと考えものだな。



2001年09月18日(火) 空襲


短い休暇はあっという間に過ぎて再び職場に帰ってきた。
既に船はドックから出て岸壁に係留されていた。
今日からちゃんとベットで寝れるな、気分はルンルンだった。

ルンルンだったのに・・・。

寝ている間に蚊の襲撃があった。
耳元でささやく羽音。
あちこちで優雅な夕食会が開かれていた。

気が狂ったように自分の体を叩きながら蚊を退治する。
最後は布団をしっかりかぶりガードした。

結局、攻防は朝まで続き完全な睡眠不足での職場復帰となった。
家から通っている上司に目がうつろだぞ、なんて言われすっかり気分消沈。

蚊取り線香が恋しい。



2001年09月15日(土) 館山のお祭り


偶然だったけど館山の方に遊びに行ったらお祭りだった。
なーに、こんな田舎の祭りだもん。たいしたことないな、なんて思ってたら驚き。
曳山(山車)が何台も目の前を通過した。
しかも気合が入っている。
曳山の上の頭が笛を吹くと若い衆は死に物狂いで綱を引く。
物凄い掛け声と笛の音、そして重そうな曳山の音が通り過ぎる。
あとに残るは砂煙と静寂。

曳山の後は子供達の特等席。
まだ引っ張れない小さい子達は曳山に乗って町を回る。
きっとあの子達も何年かすると引っ張ってるんだろうな。
伝統ってこんな風にして伝わるんだろう。
なんかしみじみした。

日が暮れてから仲間同志で花火をした。
ただの花火だけど皆で浴衣や甚平を着たもんだからいつもと違って新鮮。
やっぱり日本の伝統ってのもいいもんだ。
大切にしなきゃね。



2001年09月14日(金) 与兵衛丸


相模湾のイナダ釣り。
これは8月位から活発になって9月、10月で終期を迎える旬な釣りだ。
イナダは鰤(ブリ)の子。出生魚なので色々と名前を変える。
関東ではワカシ→イナダ→ワラサ→ブリとなるが地方によって呼び方は様々である。

そんな釣りに両親を誘って行ってみた。
船宿にはお願いにお願いをしてちょこっと船賃もまけてもらった。
さて、気前のよいこの船は葉山の与兵衛丸。
船は南へと走り佐島沖辺りで錨を入れた。

釣れるかな。
今日の目標は一人一匹は釣ること。
竿を使わず手釣りなので結構シンドイ。
でも、魚がかかるとダイレクトな引きがたまらない。

まもなくしてぽつぽつと上がり始めた。
羨ましい目で見ながら頑張る。
…まだ来ない。
他の人達は釣れるのにうちは駄目。
…困ったぞ。

沈黙を破ったのは親父だった。
OK!とりあえずボーズは脱出。

で、おふくろが大変だ。
やってもやっても釣れない。
となりの名人とおまつりして上がってきた一匹が唯一の釣果となった。
それでもなんとか目標達成。良かったなぁ。

ここの所、連日盛況だったらしいがこの日は最低だそうだ。
魚がいつまで経ってもぽつぽつとしか来ない。
群れになってあちこち行ってるんだろう。
船の中で誰かが釣れるとしばらくは釣れるがそこを逃すとしばらく釣れない。
そのうち疲れて両親は寝始めた。
おいおい、お金掛かってるんだし。もう少し頑張ろうよ…。

釣れる人達は凄い。置き竿にしてるだけでどんどん釣れる。
船頭さんも置き竿でどんどん釣ってる。
何が違うんだろう?

疑問に思いながらも黙々と釣りを続ける。
最後はまた3人でラストスパート。
昼にはなんとかクーラー一杯にまでイナダを釣り上げた。

心配したけど結果オーライかな。
夜は早速宴会となったとさ。



2001年09月11日(火) 新杉田


台風15号。
強い風に掻き回された一日だった。
浮きドックでドライアップしているにも関わらず、あまりの揺れに避難命令が出た。
付近の水溜りは漏電の可能性があるので立ち入り禁止。
係留されている船は岸壁に叩きつけられているし、プレハブは飛んでいくし尋常ではない。
休みをつぶして仕事をするつもりが避難所で待機する結果に終わり不満足だ。
夜は久し振りに街へと繰り出した。

今日は冒険だ。
話によくあがる新杉田の名物店?へ行ってみた。

まずは東芝のゲストハウス。
東芝にはあんまり関係ないのでそわそわしながら入っていった。
飲み屋と言うより喫茶店。かなりの明るさに参ってしまう。
それでも料金はさすがに一流。原価の勘定が嬉しい限り。
肴は充分。秋刀魚の刺身だって山盛りで400円!
茄子の丸煮と金目鯛の開きを取っても一人1000円以内。素晴らしい。

で、偵察なので程々にして次の店へ。
2件目は駅前のすっとこどっこい。
居酒屋なので安心して飲める。
ビールの注ぎ口が各テーブルにあって測り飲みが出来るシステムが新鮮だ。
肴はそこそこ。居酒屋らしいバラエティ富んだメニュー。
日本酒を頼んだら越州の壱乃があった。懐かしいので即決。
ふと、柏崎の日本酒屋さんを思い出してしまった。
ちなみにこの店、何故か店員の女の子がルーズソックスを履いているのが印象的だった。
(ひとりだけ紺のハイソックスを履いてたのは何故だろう。従業員なのかな?)

ほろ酔いで船に辿り着くとニューヨークが大変なことになっていた。
おかげで目はぱっちり。
酔いはすっかり冷めちゃった。



2001年09月09日(日) 南行徳


昔の記憶なんて曖昧なものである。
あの辺に店があった、とか凄い店だったとか、そんな風には覚えていてもいざもう一度行こうとなるとどこにあるかわからない。頭の中で迷子になってしまうのである。

たまたま通りかかった所にあの店はあった。
「ビリー ザ キッド」
とってもアメリカンな雰囲気のステーキ屋さんだ。
店内にはハーレーが置いてある。ここら辺は昔と変わらないな。

昔の話になるけど、初めてここへ来たのは学生の頃だ。
上下関係の厳しい寮生活のなかで、鬼先輩達が後輩に振舞ってくれる時があった。
うまいご馳走の時もあればひっくり返るまで酒を飲まされる時もあり覚悟が必要だった。
先輩からの誘いは断れない。
こんな約束が体の中に染み付いていた。

1.先輩が腹減ったなと漏らすとすかさず「頂きます。」と言うこと。(お腹いっぱいでも)
2.ご飯に連れていってもらったら必ず先輩より早く皿を空にすること。
  (ラーメンはスープも全部飲むこと)
3.会計の時はさらりと外へ出て店の入口に並ぶ。大きな声で「ご馳走様でした。」

その日は実習か何かの突入コンパと題して連れていってくれたんだっけ。
うまいご馳走だったことはしっかりと覚えている。

さて、昔に習ってメキスープを注文した。
このスープ、すこぶる辛く頭から火が出そう。汗がとめどもなく流れ落ちる。
そしてメイン。
私はステーキ、彼女はハンバーグ。


彼女の前には巨大ハンバーグがやってきた。
まさか、これ程とは…。
わらじハンバーグってのは聞いた事あるけど、これは靴ハンバーグだな。
あまりのでかさに失神する彼女さん。
まわりのお客さんの目線も釘付けだ。

結局、二人で頑張って食べたけど腹はパンク寸前。
学生の時のお店って、やっぱり量なんだな。

胃がもたれちゃってちょっと反省。
今度は格好良くバーボンあたりを注文することにしよう。



2001年09月03日(月) 仮設トイレ


年に2回ほど入渠がやってくるのだが不便でたまらない。
水道のない生活というのは苦しいものだ。

飲み水がない。
洗濯ができない。
食事も作れない。

ドック側が用意してくれた風呂、トイレ、食堂完備のドックハウスまでは片道1kmもある。
3度の飯と風呂のために往復を繰り返す。

突然のトイレにはどうするか?
…ご安心を。船の上には仮設トイレが設置されている。
よく工事現場にあるような、アレです。

でもね、手は洗えない。
仕方ないよね?



2001年09月02日(日) 入渠へ


入渠(ドックへ入ること)は忙しい。
束の間の東京港のあと、横浜へやってきた。

今回入ったドックはフローティングドック(浮きドック)という。
ドックに船を入れて水門を閉めて水を抜く、という昔ながらの方法ではない。
簡単に説明すると船が乗っかる位大きな土台があって最初にそれを沈めて船を載せる。
船の位置が決まった所で土台を浮かすと船は土台に乗っかって浮いてくる、というもの。
外から見れば、浮きドック自体がひとつの船みたいにも見える。

ドライアップ(船が水からあがる事)すると、船内の冷却海水の供給ができなくなる。
いつでも動きつづけている発電機もここでは停止だ。
陸上から440Vの電源をもらい、必要な箇所には冷却水をもらう。
圧縮空気ももらわないといけない。
そんな取りつけ作業に追われ、気付いてみたらもう夜だった。

あまりの疲れに寝酒の缶ビールを落っことす始末。
先が思いやられる。



2001年09月01日(土) 東京港


茶色の海の上を進み東京に着いた。
3ヶ月ぶりの東京。
ビルも人も車も、何もかもがたくさんあって行く先を見失いそうだ。

見渡す限りのコンクリートとアスファルト。
街路樹も寂しそうに見える。

都会は好きじゃない。



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