坐骨神経痛&腰痛(BeBe)
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2005年05月29日(日) バイクと人生


バイクは1年生。人生と比較するのは、早いかも知れない。
朽木への鯖街道、敦賀への道、戻りのマキノから、鯖街道に戻って約200キロくらい。適度な疲労感は、この程度の走行距離だと、バイクに乗ったと言う体感が出来た。

乗れば乗るほど、難しさを感じて、運転に関して人生との共通点を感じてくる。
「目先だけを見ない」
カーブを曲がるときは、特に曲がる位置を決めて、目線は遠くに持って行く。生きて行く中でも、毎日いろんな事が起きる。ムシは出来ないけれど、その先や長い目で見ておく必要がある。
当然、テクニックや慣れもあるだろう。でも、考えは似ていると思った。

「肩に力を入れない」
バイクは傾きで曲がる事が出来る。ハンドルや身体に力が入っていると、正常な動きを邪魔する事になってしまう。結果、安定して運転が出来ない。特に、カーブの時に転倒しそうな程、傾きが出てもハンドルから力を抜いて、アクセルを開けると前進する力が入って正常に運転が出来る。
イヤな事や緊張する事も人生にはある。でも、その時に変な力が身体に入っていると、間違った事をしてしまう。





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そのほかにも、いろんな場面で共通点を感じている。
「恐怖感との闘い」
怖いと感じる局面は数多くある。怖いと感じる気持ちがあるから、理性が働いて正常な行動をする事になる。仕事でも会話でも、怖いと感じる事がある。若い頃はむちゃもしたけれど、今は出来ない事が結構ある。やれば出来るのに、怖さでやれない弊害もある。

「回転数とギア」
ほとんどが3,000ぐらい。400ccのバイクでは、10,000やレッド・ゾーンまで使った事もあった。いまそれをすると法定速度、違反程度では済まないから5,000も使った事はほとんど無い。3速でもエンブレがきついから、直ぐに4速以上にしてしまう。すると、余計に回転が落ちてひどいときは、アイドリング状態の時もある。クロスレシオだから、5速と6速が分かりにくい。
生きていると、全力でやっている事がどんどんと少なくなって、「適当にやって」とか「程ほどにとか」でも生きて行ける。
この症状で悩む前は、何でも全力で取り組んでいないと、納得が出来なかった。怖いとか不安を感じる事はなくて、病気もした。けれどこんな症状で苦しむ事は、初めての経験。
トップギアで最大回転数で、生きてきた気がする。生きて行くのには、メーターがないからレッドゾーンは分からない。

休憩も入れると約5時間、バイクに没頭して日常の事を忘れる事が出来た1日だった。バイクジャケットを脱ぐと、適度な汗で気持ちよかった。


2005年05月27日(金) 目的意識


朝のバイクを続ける気持ちで、5:30の目覚ましで目が醒めた。でも、ふらつきと行く先が無くて、気力がわいて来なかった。
初日に転倒した事も理由の一つの気がした。昨日はカウルの掃除をしていたが、じっくり見ると、キズは最初に見たときよりもひどい。未熟なんで、仕方が無いと諦めるしかない。

今日は「ここへゆこう」と言うような目的が無いから、意欲がわいて来ないのだ。行きつけの好きな場所は、遠すぎるし、転倒の心のキズが残っていた。
入眠剤、背院安定剤、眠剤の組み合わせで飲んでいるが、短時間では抜けきれないから、起きたときにふらつき感が出て怖さがある。





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昨夜は久しぶりに、親しい親戚の家に電話をした。久しぶりだったので、子供達のこと、自分の事、バイクの事などしゃべっていたら、1時間以上過ぎていた。
既に他界していたり、病気だったり、遠方だったりして話す親戚も無くなってしまった。長男の事を報告しておくのが、目的だった。

人生、生きて行くのも、目先に目的が無いと、毎日が何となく過ごしてしまう。趣味の世界でも同じ事に感じた。これが続けられないと足の症状も変化無しになると思う。せっかく見つけた新しい趣味・・・・バイクは、転倒の恐怖を乗り越えて、続けたい。
ZZR400で俺ほど転倒を繰り返して、ミスの原因と心のキズを、身体に覚え込ました。それなのに、半年後に無傷のZZR1200で、同じミスをした自分が憎い。

「仕方がない」そう思うには、もう少し時間が必要だ!!


2005年05月26日(木) 頼りになる医師って?


予約診療の日だったので、整形外科に行った。時間がかかる事と、仕事から逃げたい気持ちがあって、思い切って休みにした。
待ち時間が1時間と少し。待合いで座っているのも辛かったし、本はもって行ったけれど開く元気もなく、寝ていた。

診察はブロックの依頼をして、事務手続きをしただけ。仙骨ブロックは注射の麻酔が効いているだけに感じた。硬膜外の方が効果が長い気がしたので、話しを出したが入院がいるし今は出来ないと言われた。回復の効果が無くても話しを聞いて、気持ちを聞いて欲しかった。検査ももうしたくない。医師は仕事だし、医学的な根拠が無い事ははなせないのだろう。たぶん・・・・・。

自分でもどうして欲しいのか、精神科も含めてわかなくなっている。1日や少しなら仕事も休みたい。たぶん今月は、過去最高の休み日数になるだろう。
会話の時間は、看護婦さんとの時間の方が多い。でも、請求書には入ってこない。
新しく行った整形外科。開業医だけれど、レントゲンを撮っただけで診察も治療も医師は何も言わない。看護婦さんに言うと、受付で診察の内容を言うようにいわれた。カルテには、腰のレントゲンと問診票が書いてあるのに、医師はなぜ患者に何も聞かないのだろう。







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定番になっている「朽木往復に行った。3人の人と話した。和束でも楽しい、おもいだった。鯖街道。狭い山道。60キロくらいだったら、不安はない。8キロを超えると、緊張が出てくる。100キロを超えると、ドキドキものだった。仕事でも
似たような場面に良くであう。


2005年05月25日(水) キズ


なかなかアシの症状が無くならないし、睡眠も正常にならない。このままではイヤだ。それで、去年の夏にしたように、早朝のバイクを始めようとした。

目覚ましは、5時半にした。そして目覚ましで目が覚めた。考えていると、決心が変わるのがイヤで直ぐに、バイクのジャケットを身につけた。
アシが少しふらついたので、眠剤が残っているかも、とか、、、、久しぶりの早朝なので不安もあった。
大型にしてから無傷で、約1ヶ月。少し気持ちに慣れがあった。家を出て発進からふらつきがあったりして、何かがおかしいかった。

10分ほどで行き先に道を変えるため右折、対向の車とタイミングが合わず、やむなく停止しようとした、その一瞬、バランスを崩して転倒・・・・。
気持ちに余裕が無いときは、少しの油断でこんなことになる。何度も経験をしているのに、左アシの踏ん張りや力が弱っているんだろう。
250キロの車体を支える事ができなかった。






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誰の責任でもなくて、自分の心が責任。それが悔しくて、ショックで直ぐに引き上げた。娘にメールで愚痴を書いた。
去年、バイクを始めた頃に娘に言った。「子供達が大きくなって、何もすることが無くなってしまった」

娘の返事は、事故が心配だから、止めて欲しいけど好きなら、乗っていていいんちゃう。それに『お父さんの歳でバイク始めてるんは、元気な証拠やで』など、子供の目から見た、気持ちをいろいろ聞かされた。
若い頃にやりたくても出来なかった事を、今、頑張ってやっている。そんな風に考えていた。楽しんで行こうとしているバイクなのに、キズを付けてしまって、自分の心も傷ついてしまった。

明日は赤十字の整形外科。診察はたぶん何もなしで、言えばブロックをして終わり。精神科は開業医の方に変えた。整形外科も変えたけれど、レントゲンを撮影しただけで診察も治療もない。
「まぁ、いいか・・・!」と思っている。


2005年05月24日(火) 趣味


バイクは趣味の範疇に入るんだろうか?

この歳になって手に入れた免許だから、何度乗っても、乗って運転中は怖さもあるけれど、楽しい。体感で速度が出ていると感じていても、80キロくらいだとガッカリするときがある。たぶん、メーターが180キロじゃないからだと思う。
車だと120キロを、下道で出すとドキドキする。加速感も違う。
一番の違いは、出かけた先で見知らない人と、会話をすることだと感じる。メカは知識だけで自分で触るのは、不安になる。単に遊びでしかないもの、これは趣味と言えるんだろうか?通勤とか、仕事で乗っている人もいる。
今の仕事が終わったら、バイクを使った事で仕事をしてみたいと、考えた時期もあった。






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道でバイクと合うと、何ccだろうか?メーカーは?など、いろんな事を考えてし合う。車の時でも同じだけれど、走行中の車のエンジン音は、しずかだだからほとんど分からない。

若い頃から継続して、長続きしたものが無い。一つくらい、いつまでも続けたいと、強く感じた。いつかは200キロオーバーの経験をしてみたい。


2005年05月23日(月) 30年の隔たりか?


土曜日に長男から電話があった。そのとき、アシが痛くて動く気力がなく、次男と家内が電話口に出た。
内容は婚姻届を役所に出してきた、その事の報告だった。話しが分かったので、もう良いのかと思ったけれど、電話に出て欲しいと言う。

心の中では喜んで声をかけてやりたいのに、口から出たのは、あんまり返事が無い事に対しての話しをしていた。
高校を卒業して、進学か就職か、どちらかを選ぶのが当たり前。普通高校に行く学力のないものは、工業高校か商業高校を教師は進める。自分は工業高校だった。

先行きが分からない、当時は始まったばかりの、コンピューターという道を選んだ。パソコンなんて全くない時代だ。
結婚も生活が出来る自信が出来て、結婚式の資金を貯めて、親類への挨拶やいろんな儀式をしていた。今年なって、子供の二人ともが何もなしで、戸籍だけの結婚。
「しかたがない」とあきらめているが、やはり、なんだか割り切れない所がある。






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連休後、悩み続けた仕事。「システム監査」が終わった。朝からはじめて、終わったのは7時を過ぎていた。一人で終日の対応だった。とにかく疲れた。
明日からは利用部門が対象で、あと、二日間。でも、主たる対象部門である、私の役目はすんだ。

仕事も休みたいくらいつらい、今週は、精神科と整形外科の診察の予定。ダメもとみたいな通院で、これも面倒な気分。
・・・・ こんな気分になる日もあるさ! ・・・・



2005年05月20日(金) 会話の難しさ


長男と何度か名無しをしたし、メールのやり取りを繰り返した。何度でも同じ事を話しても、結果は出ない。改めて会話の難しさを感じている。
「子供が出来たから結婚をする」
この世間での常識からはみ出ている事で、相手の親は結婚に承諾はしても、公にはシナイという。最初は疑問が先に出て、理由が分からなかった。子供に聞くと、世間体を気にしているからだという。それぞれの家の事情もあるから、黙って聞いていた。

二人とも、大学に行って親の意見も聞かず、自分の考えで自主退学して、遠く静岡で生活を始めた。だから、結果で今の状態は認めても、公にはシナイという。






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私と同じで、長男も次男も「車やバイク」が好きで、ムリをしてローンで自分の車を長男は手に入れた。静岡での生活が不便な所などで、車のありがたみが見に染みてしまっている。
支払いが生活を苦しめている、でも手放しても、支払いは無くならない。
この事で、なかなか意見が一致しなくて話しが、ギクシャクし始めている。売るかどうかを問題にしているのではなくて、滋賀での生活でどの程度必要かで、決めれば良いのに、それが伝わらない。

家族でもなかなか気持ちは、伝わらない。長男の彼女や相手の親とは、話し合い以前の問題になっている。自分の事で精一杯の状態なのに、トラブルだけは避けたい。現実に痛みを訴えているのに、治療で一致しない。病院を変えると、同じ検査を繰り返すと言うから、行く気持ちにならない。MRIを何回しても、ミエロをしても同じ事なんだ。脊髄の中の神経に異常があっても、無くても治療は変わらないのだから・・・・。

今週は、あさ目は覚めるけれど起きる事ができなくて、2度も病院へ行く羽目になった。


2005年05月16日(月) 一病息災


坐骨神経痛、これで2002年2月に入院した。そのときに、親戚のおばさんから言われた言葉が『一病息災』だった。
「一つくらい持病を持っていた方が、無病の人より健康に注意する」
今頃、その事をふっと思い出した。

この病気(?)にかからなかったら、バイクに挑戦することは無かったと思う。若い頃の夢だけで終わって、今のように現実に免許取得は、しなかった気がする。
その代わり、2回の事故で痛い目に遭ったけれど・・・・・。

そして、貴重な人たちとも会ったし、話しもした。久しぶりに掲示板にも書き込みをした。『痛い、しびれる、辛い、と言いながらも毎日を過ごしている』、それが私の今の生活なんだと。確かにそのとおりだと思った。
健康で何もない方が良いのだろうけれど、なってしまった事は仕方がない。。。。






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あと2週間で、普通二輪は1年。そして1ヶ月後には、大型二輪も初心者期間が終わる。その間だけは、違反なしで行きたい。今までの走行距離は約8,500Km、車でもここまで走った事はない。一時期、毎朝少しづつ走っていた事の結果だろう。
当然、その後も無事故で乗っていたい。普通に移動するだけなら、不安は少なくなっている。転倒がこわいから、Uターンや発進は押して安全な状態にしてから、乗っている。

毎日の生活も、仕事も、危険な事はシナイ。無難にすることを一番にしていた。


2005年05月15日(日) 寝てばかり・・・・


今の会社で3日間連続の休みは、特別な時以外無かった。去年の春頃、気持ちの変化があって今年の5月には、2回も連続休みをとった。
心の奥底になぜか、休む事に対して罪悪感がある。自分は仕事人間じゃない、そう思っていたのに、いつのまにか遊びを忘れてしまっている。

先週から異常な眠気に苦しんでいる。眠気があるのに、夜は眠剤に頼っている。
おかしい・・・・。

今日。。。。朝は普段通り起きて、食事とクスリ、その後は寝てばかり。
平日は休みになったらバイクで出かけよう。毎日、そんな様に考えていた。いざ動こうとしても気力が出てこない。
今日は昼から、思い切ってバイクの服を出して、何も考えなくて外へ出た。






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都会の混雑した道路は疲れるから、行き慣れた朽木までの往復に決めて、家を出た。家を出るときは天気が良かったから、薄着でバイクジャケットにした。
山に入ると直ぐに曇って来て、小雨になった。直ぐに寒くなり戻るか、迷ったけれど、出かけた勢いを無くしたくなかった。
だから、いつもの場所までは行く事にした。

震えながら走った。走りながら考えていた。
「弱気なこころ」と「頑張るきもち」を・・・・・・。アシの痛みや毎日の辛い事
弱気になると、ますます落ち込んでしまう。
少しだけでも分かる所まで、前に進んで行く気持ちを持って、今日を過ごす事で何かが変わる。そう信じて生きて行くしかないんだ。

往復の数時間、寝ているだけよりも、バイクで遊んで気持ちが違った。痛くても、しびれても、今はまだバイクに乗れる。
目先の下を見ていてはバイクは乗れない、行き先を見ている事が大切。今の痛みや痺れだけを考えないで、その先を考えよう。

ボンヤリとバイクと今の症状を比較して考えていた。


2005年05月12日(木) 医務室の人も普通の勤め人


身も心も何か助けが欲しい。すがる気持ちで医務室を尋ねた。
人が変わって、会社の体制も変わったから、もしかして何か助けて貰える事がある。そんな期待で、2〜3週間たびたび尋ねた。

自宅の周辺にある整形外科は、ほとんどと行った。でも、完治する事はなく、牽引や投薬をするだけか、紹介状を出そうとするだけだった。

赤十字病院に落ち着いて、入院と通院を今でも続けている。最後の入院で、担当医から原因が特定出来ないから、助けてあげる事ができない。きっぱりと通告されて、その夜に例外で退院をした。他に頼るところもないから、今も「仙骨ブロック」を月に1回している。






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何か方法が無いか、最後の期待を込めて医務室に相談に行った。精神科も教えてくれた。整形外科も電話をして、良さそうな開業医を教えて貰った。
どちらも自分の今までの経験の繰り返し。医師の言葉でショックを受けて、これからどうすれば良いのか分からなくなってきた。

一番長く面倒を見てくれた赤十字病院に頼るしかない。それよりも、自分の病気は自分で治すしか方法は無いと感じた1日だった。
医務室の人「痛みをガマンするか、赤十字病院にいくかしかない」
「医師も人間だから、いつも良い印象はムリ」「どこへ行っても午前中の診察は、待ち時間は長い」んどなど・・・・・。勤務は4時半まで、話しながら時計を何度も見ていたので、話し途中で帰った。

自分の人生だから、病気も含めて決めて行くのは、結局、自分しかない。相談出来る相手はいない。もしも、家族の事がなかったら、ガマンは出来ないと思う。
みんな自分の事で精一杯なんだ。生きて行くためには、働くことは止められない。
毎日、こんな事ばかり書いている。イヤだけど、これが今の自分だ。


2005年05月11日(水) 病院と医師


昨日はアシの痛みで、いつもの病院へ予約が無いので電話をした。予約なしでも来て下さいって言うので、会社を出た。待つ事、3時間。
仕事を抜けるのも限度が出てきたので、看護婦さんに何度も「あと、どのくらいかかる?」「ブロックだけでも」、何を聞いても「先生に聞いて来ます」そういって中へ消えて行く。返事は無いのであきらめて、会社へ戻った。

今日は別の病院へ行くために、検査結果を借りに行ったが、先生が病院にいないから貸し出しは出来ないと言う。仕方が無いので、何もなしのまま会社で教えて貰った病院へ。受付での説明も親切だったので、期待をして待った。
やはりレントゲン検査から始まり、診察が終わるまで約4時間。それも脚は見て貰えず肩だけで終わった。






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開業医を渡り歩いて、日本赤十字へ、そこで進展なしなので、開業医へ。診察は、レントゲン、MRI、ミエロなど持ち込んだ検査結果は見てくれない。同じ事をやり直す。結果は同じで異常なし。今回もきっと同じ事をする。
レントゲン技師の説明で、そう思った。病院の治療室は、牽引道具が一杯だった。
壁には治療の内容が説明付きで、張り紙で埋まっていた。どれも今までと同じで、「自律神経」の事はなかった。

原因も理屈も何もいらない。
今の痛みが無くなって、睡眠や身体のだるさが無くなれば、それ以外は何もいらない。
・・・・ ずっと寝ていたい!!

去年、バイクの教習所通い、免許取得、はじめてのバイクで毎日練習をしていた頃。苦しみはあったけれど、明日への楽しみがあった気がする。
何がなんだか訳が分からなくなってきた。


2005年05月10日(火) 楽しみは何?


今日、長男から「お父さんの楽しみは何?」「車とバイク、どちらが好き?」って、質問のめーるが来た。
直ぐには返事が出来なかった。一番自分が分からなくなっている事、そのものを質問されたから。
若い頃は”趣味は?”と聞かれたら、迷わずに何かを答える事ができた。「何かをしてやろう」と目標を決めて、何かをしていた。

転職をきっかけに、目標が仕事になってしまった気がする。

『坐骨神経痛』になって、それがストレスが原因(?)で遊びを持つ事、それで始めたバイク。確かに、始めた頃は、ウキウキして教習所へ行き、はじめてバイクを手にして毎日乗っていた。昨日より今日、そして明日へと上手に乗れるように、同じ道でも走っていた。
でも、楽しみって自信を持って言えなくなって来た。







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心の奥底で「何をバカな事やってる!」って声がある。仕事って何だろう?
今日の精神科診察で、医師の言葉。
「もう、今は消化試合をしている、仕事はそんな気持ちなんでしょう?」
「仕事は仕事で、遊びを見つけなさい」
・・・・・、そうなんだ!仕事に熱意が無くなった時、私は楽しみを無くしてしまった。バイクで遊んでいても、仕事があるから、バイクでストレスを無くして”仕事”が出来る様にしてたんだ。

転職前は、遊ぶ為に仕事をしていた。それが大きな違いだ。
まだビックバイクにしないで、400ccを乗りこなす為の走りをしていた方が長続きしていたかも知れない。
そうじゃない!!って、自分の中で言っている声もある。

アシはしびれて痛いし、右肩は痛くて動かない。眠剤で一日中眠い状態が続いている。精神科の先生は、抗うつ剤を試して見たらとか、仕事を休んだらとか言う。
もう、混乱してなんだか分からない・・・・・。

明日は別の整形外科へ行って見る。会社の医務室で電話をしてくれたところ、念のため今までの検査結果を借りに行くつもり。
MRI、ミエロ、CT、レントゲン、数年の間にした莫大な検査資料。やり直しはこりごりだ。


2005年05月09日(月) 何も考えがまとまらない。


長男が静岡で暮らし初めて、寂しさを紛らすために、猫を飼い始めた。そのねこは滋賀に帰るときはダメと言った。すまない気持ちと、長男がかわいそうになってメールで済まないと言った。返事は素直な返事で、自分たちの面倒を見て貰うだけで充分感謝している。
こんな返事が帰ってきた。静岡の家でネコと一緒に、どんな気持ちでいるのかと思うと辛いものがある。

急激に肩の痛みが強くなって来た。数日前から変だと思っていたけれど、事故でキズつけた靭帯を直すのは、運動をして肩を動かした方が良い。そう医師に言われたから2Kgのものを持ち上げる運動をしていた。その頃は、こんな風には考えなかった。

バイクのフロントブレーキが、400ccの時より甘い感じがして、停止時に不安を感じていた。純正では無いけれど、店のお薦めのパーツに、昨日交換が出来た。
帰り道、何度か試しはしたけれど、短い距離で良く分からない。違いが出た様な気はする。バイクの店まで長男に送って貰って、店の前でおろして貰った。
そして、そのまま長男は、静岡に出発をした。既に五時ごろだったから、到着はかなり遅くなるだろうと思って、早く帰るように言ってけれど大丈夫だと言った。






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近くでアパートでも見つけて、そこに住むようにした方が良かったのでは・・・・。

アシの痺れも日に日に強くなってくるし、肩は痛い、終日眠い。仕事に対する意欲はわいて来ない。うつ病が悪化してるのか、単なる五十肩やいつもの痺れか?

この日記にも書く事が出来ない事、自分の胸の中にしか置いておけない。それがストレスになっている様だ!!

「定年前症候群」「男性更年期」等と言う事が『うつ病』の本にでていたが、私のはこれだろうか?


2005年05月08日(日) 今度は肩も痛い


50肩と同じ様に痛くて、右手があがらない。それだけじゃなくて、少し動かすと時には絶句するほどの痛みがくる。
これもアシと同じ原因なのだろうか?初めは事故の脱臼で、胸が痛かったけれど、いつのまにか痛みの種類が違っている。

長男の子供は、相手の家がようやく了解が出来た。
静岡から引き上げて、落ち着く先が決まるまで、我が家に住ます事にした。予定であって、これからどうなるか分からない。
長男と彼女の事は、仕事は退職、結婚は入籍だけ、長男はとりあえず派遣で滋賀から通勤が出来る会社を見つける事。出産費用や落ち着く事ができる事を一番にして、勤め先はそれから探す様にする。






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これからいろんな事が待っているのは、予想がつくし、私はきっと気が休まる事はないようになる。長女の結婚も入籍だけで、相手の親との顔あわせも出来ていない。

ゆうじ(次男)・・・・、しっかりしてくれよ。昨日はバイト先で怪我をして、バイトを休んでいる。

大型連休は、大変な日の連続だった。


2005年05月07日(土) やはり、自立神経の異常


アシの症状は痺れが続いている。自律神経が異常になって、、、、正常に働いているのかもしれない、その結果、酸素欠乏による痺れがでている。
概略の理屈は、うつ病で自律神経をまともにするしかなとうだ。何が原因で、こんな精神病になったのか、それを考えると悔しい。

バイクでの憂さ晴らしも効果ナシだし、長男の生活ぶりを見て安心するかと、思ったけれど、これもダメのようだ。どうにもならないと考えている事、借金の返済が見通しが出来るまで、完治はしないのだろうか?

現在、通院中の病院でも長期間で考える様に、初めの診察では言われていた。
寝付きや、深夜覚醒、早朝覚醒などの症状は消えてきた。その代わり、アシの痺れが再び顔を出して来た。どちらがましなのか、むつかしい・・・・。





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子供達がみんな楽しくやっていて、自分たちも不安無く、生活が出来たら、今の症状は消えて行くような気がする。
でも、現実はとても困難な状態に思える。

バイクも続けるのは、ムリな気がしてきた。速度を上げると快感があるけれど、同じくらい怖さでストレスがたまっている。400ccの方がましだった気がする。
160キロ出したって、メーターでは「普通の車の80キロ付近」しかいっていない。峠で走っていても、カーブが続くとどんどん追い抜かれて行く。付いてyけない。自己満足の速度範囲で走っているだけ。それでも、乗り始めの頃は満足感が合った。
「やる気」が無くなるのと、同期して熱も下がって来た気がする。

お金も無いし、バイクを売ってあきらめようか。。。。。道は遠いな!




2005年05月06日(金) 静岡行きのもう一つの目的


長男は、同棲をしていて相手が妊娠をしたのが分かったと言う。借金の返済目処もないし、仕事は派遣だし家からも遠い。
これからどうするのか、メールや電話では歯がゆいから、行って話をしようと思っていた。バイクで遠出をしたら、自分自身の気晴らしにもなって、アシや精神安定にも役立つと考えていた。

ところが、初日はいろんな事で到着が遅くなり、アシもいたくなったので明日にするつもりで休んだ。
二日目の朝、アシの痛みが消えていたので、安心をして時間もあるし、長男の車で富士周辺に遊びに出かけた。簡単な話でもないし、いきなり質問ばかりしても解決しないと思って、チャンスを待った。世の中に大型連休で遊んでいる人が、こんなにもいるのか驚くほど、どこへ行っても多くの人で渋滞続き。

長男の元気な姿と、仲良くしている二人を見て、一緒にいるとなかなか話をだせなくて、結局は、夜になって帰りの車の中で「どうするんや?」と尋ねるのが精一杯だった。
夕食をして家に着いたのは、既に9時をまわっていた。
明日は帰る日だから、「とにかく一緒に帰る」と言い出したので、道順の話で10時を過ぎてしまった。だから、この日も肝心な話は出来ず、富士山で遊んだだけだった。
二人の職場も案内してくれた。だから、静岡でやっていけるものだと、言う気分になってしまっていた。






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トモコさん。長男の相手である。
せめてこちらの家が賛成していてくれれば、考える事が少し減るけれど、世の中うまく行かないものである。長男は生活力が出来ていない、二人とも子供は欲しい、あるのは借金だけ。私には助け出す資金力はないし、ほっておく事もできない。

困ったものだ・・・・・・。

本屋さんでの立ち読み。。。。
アシの症状は、うつ病の本(自律神経)の内容と一致している。


2005年05月05日(木) 静岡


怪我無く静岡より帰宅した。楽しみにしていたバイクなのに、なぜか?
バイクはホントに往復の道具になってしまった。
高速道路をバイクではじめて走った。はじめてっていろいろ経験をさせてくれる。
バッグに通行券を挟んで、本線合流直後、挟んでいたポケットが膨らんで通行券が飛ばされてしまった。速度の経験は、100キロ手前ぐらいだから、何度も経験しているのに・・・・。『まさか・・・・』って感じ・・・。
行きは道路の混雑や不慣れもあって、8時出発で20時到着。長男の家に着くなり、アシの痛みに耐えきれず、不安を待ったまま疲れも出て早く寝た。
翌日は「不思議」な位、痛みもしびれも無くなっていた。






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東名で出した最高速度は、160キロでした。風圧をすごく感じた、そして、充分に身体を伏せて、チラリと見たメーターだった。280キロまで刻まれているので、メーターからは怖さを感じる事は、予想どおりなかった。メットについた虫の死骸には手をやいた。

元気に暮らしていた長男を見て、気持ちが楽になった。その反面?!
増えた心配事で、これから悩むに違いない。
記録として書き残しておくつもり、、、、、でも、今日は疲れたので、明日にしよう。


2005年05月02日(月) アシの痺れは、無くなっていなかった。


寝る前の薬が変わった。
長時間型のロヒピノールから、短時間型のノクスタールになった。医師との会話で医師は何を考えて、薬を変えたのか?それはわからない。
それを意識したのか、眠りは浅くて、余計に昼間の状態が悪い。思い込みかも知れない。

2日前、バイクの運転中にアシに痛みが起こった。突然止まる訳にも行かず、止まっても足つき側なので、バイクを止める事が難しい。しばらくガマンをしていていると、痺れに変わった。クスリが変わって、身体のなかで何かが変わったのだろうか?こもったもんだ・・・・。眠気も、身体が重くてだるいし、やる気も出てこない。






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「○○なんて、こんなもんだ!!」とあきらめかけている、でも、何も変わらない。どっちでも同じなら、気持ちの良い眠りが欲しい。
このところ、こんな事ばかり考えていて、疲れてしまった。
400ccのバイクで思いっきり走る方が、一瞬でもストレス発散になっていたのだろうか?まだ、1年も乗っていないので違いはハッキリとは分かっていない。

静岡にいる長男に会うために、明日からバイクで出かける事にした。自分のストレス発散と、気がかりだった長男の生活を、自分の目で見ておきたかったから。
免許をとって以来、はじめての長距離のツーリングになる。



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