坐骨神経痛&腰痛(BeBe)
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2004年09月29日(水) 正常と異常は何が違う?


ある人が、歩く姿を見て「調子良さそうですね」と言った。私は「いつになれば、元に戻るのだろう?」と思って、日々過ごしている。
脚の痛みは確かに一時期に比べれば、ましになっている。これで正常なのだろうか?
歳と共に、身体はどこかが若い頃とは、違って来ている。
体力と記憶力などの衰え。病気になった時の状態とは違うと思っている。
「痛み」これは、他人にはわからない。「痛そうだ」と思うだけで、自分にしかわからない。
でも、それが正常なのか異常なのかは、わからない。






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自分流の治療法として始めたバイク、免許に挑戦してバイクを手に入れて、慣らし運転が終わっていよいよと言う時に、峠で練習中に事故を起こした。
バイクもおかしい、そう思って店の整備の人に言う。正常で原因がわからないと言う。まるで、私のからだと同じ。
シフトは脚が痛いから、足首の力加減が悪いのかも・・・・・。怖さからカーブの立ち上がりでアクセルの開け方が少ないのかも、車体の傾け方が少ないのかも。

もう、何が正常なのか?自信がなくなってきた。


2004年09月28日(火) 人と話をする事がうっとうしくなる


社内にはいろんな人がいる。そんな事は百も承知をしている、わかった上でここに私がいる。その場だけの人、建前ばかりの人、自分の言いたい事を言うだけの人、出して行けばいくらでも出てくる。
私の事も、どんな風に見ているか、それはわからない。

「会話」・・・双方が発言する事で、成り立っていると思う。1日に何人とも話をしたが、どうしてもこちらの話を聞こうとしない人がいる。
その相手が役員だったり、職位が上だとはなせなくて意見が違うとき、話す事が難しい。むりやり話すと、変な感情を持ち込まれてしまう。
イヤだと思うと、余計に人との会話が面倒になる。





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すご〜〜く久しぶりに、2連休が先週は続いた。土曜日も思い切って休んだので、余計にその様に感じた。会社から離れる、そのためにも家にいてはパソコンで、仕事の事をしてしまう。
土日は、連続してバイクで出かけた。事故の後遺症、精神的なもので転倒の恐怖感が強く出ていた。脚と肩は、確かに、まだ痛い。でも運転が出来ない程ではない。
何の変化もない道なのに、突然、転倒するような気持ちが出てしまう。
でも、バイクの運転中はそのことに没頭していて、一瞬でもイヤな事を忘れている。
バイクそのものも調子が悪い、そんな気持ちが強くて、修理のために引き取って貰った。

無ければ乗りたくなる。会社も同じだろうか?



2004年09月24日(金) 私は本当に鬱病なんだろうか?


初めて「神経科」に行って問診票と診察を受けて、軽い躁鬱病だと診断された。そして、何種類かの薬も飲んだ。でも、どれも副作用に耐えきれずに、医師と相談の結果で眠剤だけにしている。
今、読んでいる小説「幻覚」では自覚症状がある間は、鬱病でも軽傷だとある。私の場合は「不眠」で眠剤を処方して貰うために、整形外科からまわって来ただけ。
だから、自分では鬱病だなんて考えもしなかった。

この時に「鬱病」のレッテルを貼られた。

ここは、予約診療ではないので、とにかく待ち時間が半端じゃない。3〜4時間は当たり前。それが耐えきれず大抵は投薬だけにしている。
「坐骨神経痛」も医師からは邪魔者扱い・・・・検査結果に異常がないから、する事がないと言う。それで、神経科に廻された様なもの。神経内科にも行ったけれど、異常ないと言うだけ。





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「坐骨神経痛」は良くなっている様に感じている。横になった時に異様な痺れがあるから、復活した症状はまだ残っているのだろう。でも、歩くときにはさほど違和感が無いので、たぶん大丈夫だと思う。これは自分で何となくそう感じているだけ。
バイクの修理がすんだので、自分の脚の具合を確かめる事と両方の思いで、運転をしてみた。足首の動きは、まあまあって感じ。
バイクの方は調子が悪くて元に戻っていない。人間も機械も1回故障すると、元には戻らないのだろうか?



2004年09月22日(水) 睡眠の事・・・・医学的には難しい


睡眠で苦しんで、今まで薬の事ばかり調べていた。今日は「睡眠の事」をネットで調べてみた。
ここでも「自律神経」が出てきて、交感神経と副交感神経のバランスが崩れて、睡眠が出来なくなってしまう。でも、本当の事はわからないらしい。睡眠不足がひどくなると死ぬ事もあると書いてあった。

どうして人間の身体はこんなに複雑で、壊れやすく出来ているんだろう。ある意味では、とっても強いのに・・・・。





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眠剤を長期間服用していると、止める事も慎重にする必要がある。とも、書いてあった。今服用しているのは、長時間型(12時間)で翌日のふらつきや眠気防止には、12時を過ぎれば飲まない方が良いらしい。

こんな事を考えるのは、そもそもがおかしいのだろう。


2004年09月21日(火) 症状の変化 ・・・・ 不眠


いろんな症状が変化を見せながら、私の身体と心をもてあそんでいるようだ。
その中で、苦しみの1つだった不眠。眠剤を飲んでいるれれど、朝まで寝ている日が多くなっている。深夜に起きて辛いおもいをする事が、数少ない。逆に、寝起きが悪くなっている。
今の内に寝る時刻を早くした方が、得策なのだろうか?
或いは眠剤を止めてみるか!!






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あと何年かすれば、次男も高校を卒業して多分働き始める。中学生だから親と一緒にいる時間がある。
今以上に一人で過ごす時間が増えて行く事だろう。そんなとき、自分は何をして生きているんだろうと、脳裏をかすめる。誰でも同じ経験をして、それなりの歳を積み重ねて行く。でも、今の自分にはその姿が浮かんで来ない。

寂しさや、投げやりな気持ちの方が強い。せめて生きて行くために、身体の痛みは無い状態でいたい。


2004年09月20日(月) 再発を自覚、認めなければならない


ハッキリと痺れを自覚したのは、昨日の事、それまでは事故の打撲の方が強くて迷いがあった。金曜日に打撲傷の痛みが強くて、病院へ行って受けた注射が効いた。
歩く事がすごく楽になった。

日曜日はバイクの修理が終わり、受け取りに朝から出かけた。久しぶりでこわい気持ちもあったけれど、早く手元に戻しかったので勇気を出して運転をした。何とか家までたどりついたけれど、バイクの調子がおかしい。
回転数が低い時に、振動が強くエンジン音もうるさい。かなりのダメージを受けて、修理箇所も多かったので元通りにはならない。そうは覚悟していたけれど、やはり納得が出来ないので、症状を伝えて店に言いに言った。
今日も元に戻らずに帰宅した。

長男がメールで治療費の無心をしてきた。親としては面倒を見てやる必要があると思う。お金のない事は惨めな事だ!!
バイクの事故で修理代が17万、自分の身体の治療費、車も修理が必要になって、これが5万。それ以外にも入り用が重なって頭が痛い。
次男の高校のための準備でためていたものが、あっと言う間になくなって行く。







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「座骨神経痛」・・・・脚の痺れがしばらくの間治まっていた気がしていた。ところが、日曜日から横になった時に出てくる痺れ。これでずっと苦しんでいる、その事を痺れが呼び戻してしまった。
身体の中で覚えていた事を、何かがきっかけで始まってしまった様だ。
それが何か、それはわからないけれど症状は誤魔化せない。


2004年09月18日(土) ある1日の記録・・・何もしていない?


昨夜は眠剤を11時頃に飲んで、メールを書き始めた。時間はハッキリとしないが、意識が朦朧とし始めたのを感じたけれど、メールが途中だったので続けた。
そして、パソコンも電源を切って横になった。
朝までに何度か眼が醒めたが、直ぐに寝る事が出来て6時頃にトイレに行きたくなって眼が醒めた。眠剤のためだろう、足許がふらつく。
その後は、うつらうつらしたりで薬のために意識がハッキリとしない。

朝の通勤も、ぼーっとした状態が続いて、そのまま会社までたどりついた。

打撲傷については、昨日の注射が効き目ありと思ったけれど、やはり痛みが残っていて歩き難い。明日、バイクの修理が終わる予定になっているけれど、はたして取りに行けるかとても不安。停止時にキチンと支えられるか、もしも、ふらつけばきっと転倒につながる。迷う・・・・、雨なら止めておこう。






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長男から、今日は転院先の病院へ行く日だと、朝からメールが来た。やはり、直ぐには返事が出来なかった。自分の事以上にこわさがあった。
治療費も高くてお金がない、嘆きの事も書いてあった。
この子の事を考えていたためだろう。小さい頃の事を次々と思い出して来て、何となく情けなくなってきた。

日中は自分でもどうにもならないほど、精神状態が不安定だった。理由はわからない。「幸せはお金で買えない」でも「お金で買える楽しみは、沢山ある」、生活苦にまで落ち込んでいないけれど、その可能性があまりにも現実性が高いから、不安感が出てくる。会社員だから、残業手当のない管理職、リストラの対象や給与カットの対象にばかりなる。この10年で、随分と収入が減った。何を言っても愚痴にしかならない。




2004年09月17日(金) 相談相手がいない


こうして日記を書いている理由の1つに、もしかすると、「話し相手がいない」からかも知れない。とある掲示板に今の気持ちを書き込んだ。
でも、誰からも反応がなくて、自分の書いた内容だけが残っている。すごく惨めな気持ちになって「削除依頼」した。
仲間同士の中に、ひょっこりと顔を出して人の邪魔をしたような、とてもイヤな気分だった。
親子の問題、、、、、と言うより「私と長男の問題」か「私自身の気持ち」の問題なのだろう。私にとって大問題と思っていても、他人から見れば自分の事で精一杯なんだ。





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勤務中に脚の痛みが辛くなって、病院へ行く事にした。担当医の曜日では無かったから、別の医師に診察を受けた。肩は筋を痛めているようだけど、動かした方が良いという。膝は打撲で軟骨がずれたのかも知れない、潤滑油の役目をする注射をしようとなった。
確かに、痛みがぼやけて楽になった。ブロックは、担当医の医師と相談してからにするという。病院からの戻り道、歩く動作は痛みがないだけで、膝に力が入らないのは大差ない。

日記を書く前は、「掲示板でいろんな事を書く事」で気持ちの発散もあった。と、思う。メールのやりとりでも同じ。
家族の事になると、なかなか家族とは話せない事が多い。

なんだか、今日はとても気分がすぐれない。イヤな1日だった。


2004年09月15日(水) 生きて行くためには


随分と長い間、「坐骨神経痛さえ治れば」等と思っていた筈なのに、痛みもほとんど無く歩いても大丈夫。座っていても痺れる事がない。
それなのに、このなんとも言えないやりきれなさはなんだろう?

生きて行くためには、「考える事」や「しなければならない事」が必要なのだと感じる。いろんな意味で気力を無くして、何も考えず、何もしない日が続く事でおかしくなって来ている。多分、そうなんだ。
事故の打撲傷も脚の方は、随分と良くなりゆっくりだと歩く事ができる。肩はまだ痛くて、動かし難い状態。寝起きがスムーズには出来ない。
全ての動作がゆっくりになる。バイクの修理も今週の末には終わるらしい。
果たして再び運転する事が出来るだろうか?
このあたりが車と違うところか!! 骨折して通院するときも、片手運転で車に乗っていた。バイクはそうはゆかない。
せっかく始めた事、挫折はしたくない。峠で事故したから、峠を怖がる気持ちは出ている、その反面、バイクを見るたびにもう一度と言う気持ちが強くなる。





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バイクの運転はいろんな事が、まだ身体で覚えていないから運転中は必死になってる。目標だった信州まで行く事が出来るまでは、諦めたくない。これも「坐骨神経痛」を治したかったから始めた事、今の状態ならムリをする事は入らないかも・・・。


2004年09月14日(火) まだ、人生ヤケになる事は出来ない


次男は中学3年。成績が悪くて高校がどうなるか、全くわからない。長男は「家出同然」で出て行ったものの、「不治の病」が確定に近づいている。
転職を繰り返して来たので、私の退職金は当てには出来ないし年金も、どうなるかわからない。定年を迎えても、家のローンは残っている。
不安を数え出せばキリがなく出てくる。個人年金や生命保険は、長女の教育費で使い切っていて、手元には何も残っていない。こんな状態で本当に生きて行けるのだろうか?
最近になって「坐骨神経痛」は楽になってきているが、睡眠がどうも変だ。不眠の方がまだましかも知れない。生きて行くために、何が必要になって来るのだろうか?
体調が曖昧なので、余計にいろいろ考えたり悩んだりしてしまう。





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今年の春頃に、ちょっとした出来事があって仕事への熱意が無くなってしまった。
この事も、今の気持ちと大いに関係がある様に思う。


2004年09月13日(月) 今日も同じ事をするだけ・・・・


朝はやっぱり起き出す気力が出なかった。
深夜に目が覚めたかどうか、正確な記憶は残っていない。なんとなく、何度も眼がさめた様な気がする、錯覚かも知れない。
7時くらいから、「起きなければ」と「もうええわ」という気持ちのやりとりで、ぐずぐずとしていた事はハッキリと覚えている。

打撲傷は随分と良くなり、日曜日は杖無しで歩いていた。今日も杖は家に置いて出て行った。神経科の診察日だったけれど、投薬だけの受付にした。診察を受けても何も変わらないだろう、そして、非常に長い待ち時間を過ごすだけだから。






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自分が「坐骨神経痛」になった時、”不幸”だと思った。長男がいなくなった時も、次男が「自然気胸」になったときも、そして今度は長男が「クローン病」。
何気ない文面のメールが来ると余計に辛い。
人生終盤の私なら諦めるしか無いのだろう、でも、まだ二十歳。これから自分の生きる道を作って行こうと、あれこれ考えている矢先の出来事。
多分、絶食に近い状態でも動きまわっているから、実感がわいていないのだろうと思う。
親だからと言って出来る事は、何もない。「帰ってこい」と言うのが良いのか、それさえも迷っている。


2004年09月12日(日) 昔を思い出す様な一日


いつの頃か思い出す事もできない程昔の事。休みの日は、朝から起きる事はなくて昼過ぎまで寝ている事が多かった。
今日は、5時半の時は起きてもバイクはないしと思い、また、寝た。7時、会社は休み、起きてもすることがないから、再度寝た。最後に起き出したのは、もう13時を過ぎていた。こんな日は、昔は多かった様に思う。

事故の時に受けた打撲傷も、今日は杖なしで過ごす事ができた。これなら大丈夫と安心することが出来る。

遅いお昼をマクドですませて、車で鯖街道を朽木まで行った。バイクと違い単に移動をしただけと言った感じで、楽しくなかった。天気も良かったので、すごい台数のバイクがいた。出入りも多くて、総台数は相当な台数だった。






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今週の半ばには、バイクの修理が終わる予定。事故を起こした峠を、もう一度走る勇気が出てくるだろうか?
根が恐がりだから、チャレンジするには今から迷いが出ている。でも、バイクを乗ろうと思ったきっかけを考えると、逃げ出す訳には行かない。
肩はまだ痛みが強いけれど、これで「座骨神経痛」が強く出て来なければ、何とかなると思う。

長男の病気は、一難過ぎてまた一難。これも一生抱えて生きてゆく必要があるんだろう。3人の子供が幸せに生きていてくれれば、それだけの事なのに、それを許して貰えない。運命なのだろうか?


2004年09月11日(土) 睡眠の持っている役割


少しずつ、神経が削られて行くような気持ち。
熟睡して朝を迎える事が出来ない。全く寝る事が出来ないのではない、反対に朝が起きにくくなってきている。
追加で貰った眠剤は、2錠飲むとかなりの確立でおねしょをしてしまう。これも困ったものだから、飲む事に勇気が入る。睡眠導入は、すんなりと行く日が多いけれど、夜中に何度も目が覚める。
毎日、毎日、こんな事ばかりと向き合って、心底疲れてきた。





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不安を抱えて遊んでいても、心の底から楽しむ事は出来ない。
3人の子供達がそれなりに、生きていってくれる安心感があればありがたいと思う。どんな病気でも、辛いものがある。
「人はいつかは死ぬのだ」だなんて、言葉で言えても実際は違う。自分自身の事だけの時、「入院中」はそんな事を何度も考えた。
でも、子供の事となるとそんな風には考える事が出来ない。どうしても割り切れない。悔しさでもなく、ただやりきれない、「どうしてなんだ!!」と叫びたくなる。

不安があっても、夜になれば眠たくなって、寝てしまう。それが普通だと思っていた。


2004年09月10日(金) 気力消失


毎日の事か苦痛に変わりつつある。朝も起き出す気力がわいてこない。何でこんな精神状態になってしまったのか、自分でも良くわからない。
一歩も二歩も前進したような気分になった事もあるのに、そんなときは身体が思うように行かない。今は、睡眠・打撲傷をのぞけば良くなっている気がする。

毎日が楽しくて仕方がない。こんな状態には、歳をとるとなる事は無いのだろうか?寂しくなってしまう。





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坐骨神経痛に始まって、いろんな事を考えるようになった。良いのか悪いのか、一病息災。



2004年09月09日(木) 睡眠の変化


一時期の眠剤を飲まないと眠れず、飲んでも起きてしまう。その様な状態では無くなってきている。深夜の覚醒はないし、薬の飲み過ぎもしていない。
早朝の目覚めはあるけれど、そんなに不愉快では無い。バイクがないし、歩くのも出来ないからぼんやりしていると、また、寝てしまっている。

寝起き。7時頃に眼がさめても起きる気力が出てこない。
仕事への熱意が冷めると、出勤意欲もなくなり起きる気力が出てこない。それだけでなく、寝ているのに眠い。杖がないとふらつく脚も、いつになれば治るのか不安になってくる。バイクの修理が終わるまでに、治るのだろうか?





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その日にしなければならない事を、する気力をなくすと、大げさに考えると「人生の楽しみ」が無くなる気持ちまで行ってしまう。そんな気持ちが、寝起きに影響してきている。

眠剤なしで、ぼんやりとしている夜がある。眠いのに寝る事が出来ない。ぼんやりして、考える事をしない時間が出てくる事がこわい。

日々の充実感と睡眠に何か、因果関係があるんだろうか?
今度は、神経科から精神科にでもかわるのかな・・・・・


2004年09月08日(水) 子供への手紙


長男へ手紙を書いた。
一人で生活をする事を夢見て、親にも相談せずに「家出同然」で姿を京都から消して1年。何とか生活をしている事がわかって、諦めかけた時に今度は「クローン病」の疑い。下痢や貧血、まだ結果は出ていないと言うが、「検査費用が無いから」だという。
いくら心配をしてもきりがない。メールでは歯がゆい、電話では伝えにくい。手紙でも書ききれないことはわかっていた。
それでも、思っている事を何も考えずにひたすら書いた。
思えば2度目の手紙になった。最初は、行方不明になってから何とか住所がわかったときだった。1週間くらいしてから返事が来た。まだまだ、高校生って感じで世間の常識から外れている事が多い。本人は懸命に生きて行くために、いろいろとやっている様子。

親子って、そんなものなのか?
長女の事も似たような気持ちでいる。親は必要がない。





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手紙に何を書いて、何を伝えたかったか良くわからない。「せめて健康で生きていて欲しい」この事だけは、そのままの言葉で書いた。

自分の事は「坐骨神経痛」が楽になってきて、不眠の状態にも変化が出始めた。
バイクの事故で「打撲傷」がなかなか、良くならずに杖に頼っている。

なんだかひどく疲れた!!
毎日が苦痛に感じている。


2004年09月07日(火) 仕事中の眠気


「坐骨神経痛」が治まっているのは、理由はわからないけれど、嬉しい事。関連があるのかどうか、とにかく終日眠いので、困っている。
数日の間は、眠剤も飲まずTVを見ていて、そのまま朝まで寝ている日がある。
5時頃に目が覚めて、ベットに移り、7時過ぎまで寝ている。
「打撲傷」は、まだ治らず杖無しでは不安である。階段を下りるのがとにかく辛い。
長い間の不眠、この寝不足が一度に襲ってきている気がする。朝の、バイク練習がなくなってから顕著な気もする。仕事にも身がはいらず、何も出来ていない日が多い。仕事では、どんどんとダメ人間になって行く。期日が守れず、イライラしている。
長男の病気も気になる「クローン病」、まだ確定はしていない。昨日は、貧血で倒れたとメールが来た。





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自分の事で精一杯。多分、これが本音なのだろうと思う。「自分のために生きる」とは、少し違っているのだろう!!

いろいろと長くなりすぎて、疲れてきた・・・・。


2004年09月05日(日) 回復記念日


長年、私を苦しめてきた「坐骨神経痛」、とうとう消え去ったと思う。
小浜まで、鯖街道を使って車を走らせた。一度も、痺れを感じた事がないし、思い出しても椅子に座る事もできている。

もう、私の身体から『あの意味不明な痛み』が出て行ったと自覚した。







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早くバイク事故の打撲傷が治って、また、バイクで走りたい。身体もまだ、でも、バイクの回復の方が後になるだろう。
一人で、ドライブを楽しむならATの車より、動かす事を考える必要があるバイクの方が、楽しいと思った。ギアの選択、車体の傾き、目線、怖さも大きいけれど、自分の手で動かしている実感が大きい。


2004年09月04日(土) 人の一生ってなんなのだろう


どれ位の苦労を乗り越えたか?
どれ位楽しい事があったのか?
毎日毎日、似たような事が繰り返して、知らない内に歳を重ねて行く。

今、もしも、終わりになったら後悔があると思う。
長男の病気がどうなるのか?次男がキチンと職に就くまで、面倒を見てやれない事、自分自身で納得の出来た生き方が出来ていない事。長女が無事に家を出る事が出来るのか?
私がいなくても、嫁はちゃんと生きて行けるのか?
いくらでも思い残す事が出てくる。

だから、いくら辛くても毎晩眠剤とにらめっこして、結局、医師の指示に従って飲んでいる。たまに、多く飲んでいる日があるので、たりなくなる。
多く飲むと、翌日、ずっと眠気とふらつきの闘いになっている。事故以来、脚が痛くて杖を持ち歩いている。





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部屋のあちこちに、バイク用品やライディング・スーツが寂しく掛かっている。


2004年09月03日(金) もしかして、治っているのかも・・・・


不眠は変化なしだけれど、坐骨神経痛は治っているのかも知れない。
歩いていても、座っているときも、車の運転中も普段と変わらない。今は、事故の怪我と打撲傷で痛みはあるけれど、そんな気がした。

眠剤の説明に書いてあった。高齢者では副作用で失禁がある。深夜に何度か、その経験があって、少し辛い。






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仕事は余り真剣にしない。
仕事以外で真剣になるものを見つける。
直ぐに良くなるとは考えない。
積極的に脚を動かす事をする。

こんな事を考えて、約4ヶ月。振り返って見るとこんな事が、今の状態になっている気がする。


2004年09月01日(水) 少し振り返って・・・・・


バイク事故から1週間・・・・、毎日乗っていただけに乗る事ができない今、物足りなさがある。
坐骨神経痛の事ばかり考えていた毎日、それが二輪の教習所通いをはじめて、考えが「バイクをうまく乗るために」に変わっていった。仕事が忙しかったから、毎日が大変だったけれど、4月中旬から8月終わりまで。済んでしまえばあっという間の出来事。

ブロックはしていたけれど、気がつけば坐骨神経痛はずいぶんと楽になっている。







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まだまだ普通に歩けるまでには、回復がしていないけれど、意識の中から「坐骨神経痛」が出て行っている時間がある。
この事が意外に役に立っているのかも、そんな風に今日は思った。
でも、膝の打撲傷は辛い。


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