坐骨神経痛&腰痛(BeBe)
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2001年10月30日(火) 過酷な出張

前日は泊まり勤務。泊まりと言っても徹夜勤務ではない。
私にとっては、床が変わるだけでも睡眠が充分にとれないので泊まり勤務の翌日は大抵が辛い1日となる。なのに翌日は過酷な日程での出張。
こうなったのも、大半の理由は25日の役員会での決裁内容が曖昧な形でのものだったと思うと、悔しくなってくる。

朝一番の新幹線で東京へ出発。
10時前には虎ノ門の業務提携先の会社へ訪問をする。どうして、ここまでしなければならないのかとか、私がする仕事ではないのではなどと思いながら説明をして納得して貰う努力に努める。何とか納得して貰う事が出来て、予定の午前中に仕事を終える。
その後、次の訪問先(親会社)へ移動をする。同じ東京だけれど田舎ものの私には、訳の分からない地下鉄の移動は乗るだけでも苦痛だった。
若い頃に少し間、横浜に寮があり東京の事務所に通勤をしていた経験があるのをふっと思い出した。今は、脚と腰の痛みが悪化しない事を祈りながら移動している。

午後の予定時刻より少しだけ早く到着が出来たので、ビルの1階で休んでいた。
応接セットでの面談となり、持っていった資料(役員会資料)を元に説明を始めて午前中の事も交えての説明を続けた。会議卓ではないので、かがみ姿勢での体勢は少々辛いものがあった。2時間強の説明でここもどうにか説得に成功をした。

その後、おつきあいがあり岐路についたのは、新幹線の最終だった。
MRIで異常なしだったけれど、体の異常は明らかな自覚症状があり悩みつつも痛み止めの注射も効かず、ごまかしのようなビタミン剤の点滴や湿布などで済ませていた。毎日がもう一息、もう少しと思うだけが精一杯だった。


2001年10月25日(木) 少しは前進、症状は悪化?

仕事の事、
横やりは入ったものの役員会の承認はとれた。内容は決して満足の行くものではないけれど、一歩前進と考えることにした。
本当は、設備投資に対して発注内容も発注先も決定するところまでしておかないと中途半端な状態になると思った。しかし、役員会での説明補佐としての出席なので、この辺が限界と感じた。唯一、社長の質問として「メーカは決定しなくてよいのか?」とあったので、今後の仕事の進め方としては決定して進める必要があると回答をした。果たして、この事が議事録に記録されるか否かで影響力は違ってくる。

腰の痛みも脚の痺れも相変わらずの状態で、仕事も似たところがあるように感じた。すっきりとさせて次に進める方がどれだけ気持ちが楽か、、、、。
この頃一番辛いのは、座っているときの下肢部分の疼痛と腰の鈍痛だった。
不思議だと感じていたのは、横になると下肢部分の疼痛が強く感じる事。


2001年10月18日(木) 仕事と人間関係の難しさ

予定通り仕事を進めて躓きもなく、脚の痺れを我慢しながら忙しい日を過ごしていた。一週間もたたない間に、部長から出た事は(親会社)からこんな質問が出ている。そういって、一週間前の事など何もなかったようなそぶりで、提携先の設備を利用すれば大きな支出をしなくても良いのではないかという。
部長は業務提携の準備で忙しくしていて、その延長線上で見ているから費用面の事しか見ていない。親会社からの申し入れは、それ以上であり説明をしようとしても専門的な事は分からないと言う。
常務と話すと予定通りで進めているという。二人は決して同時に私の元へは来ない。例え、同じ内容の事でも別行動で私に対して接してくる。
説明内容の次元も変えて説明しなければならない。

脚はへんてこな症状になる。部長は親会社からの出向、常務はメインバンクからで個性の違いだけではなく仕事の進め方も違う。
それでも、間に挟まれて仕事の内容に対する理解くらいして欲しい。それくらいの事は、言っても贅沢では無いのでは・・・・。
内容が内容なので、部分的にも部下に仕事をおろす時期じゃない。やるしかない。


2001年10月12日(金) もう一息

ようやく抱えていた仕事のまとめが済み、これで承認を得る事が出来ればなんとか進み出す事が出来るという所まできた。
まとめた資料を持って社長報告をすることになり、常務と部長の3人でアポがとれた。短時間での説明で少し拍子抜けの感がするくらいの説明内容で承認がとれた。
正式な手続きにもって行くために、関連する所への根回しが必要との指示がでて、その行動に移る事になった。
2社の関連会社への合意、親会社への説明、役員会に提出するための決裁書類の準備などなどがあった。
質問として出た内容は「いつまでに決裁が必要なのか」だったので、今月末が限度だと思うと発言をした。そして、その期限を守るための日程が出てきた。

もう一息で筋道が決まれば、治療に専念出来そうな気がしてそれまでの我慢だと言い聞かせた。万一の事があるような気がして、常務だけは体調の事を先月に打ち明けていた。自分自身でも、腰の痛みはそれほど恐怖感はなかったが下肢部分の痺れが初めての事なので、ただただ不安の一言だった。
仕事に関しては、なんとしても思いを込めてきただけに決裁を取り付けて実務段階へ持ってゆくまでは手放す事は出来ない覚悟だった。


2001年10月06日(土) MRI異常なし

この頃の症状は右腰の痛みに加えて、脚の痺れ感が出て初めての経験で戸惑いながらの毎日だった。近くの開業医に通院をしていたが、そこでMRIで調べる事になった。
仕事の方も詰めの状態で、狙いの方向へ持ってゆくための最終段階に近づいていた。ここまでほとんど一人で進めてきたので、今、中断して引き継ぐ訳にはどうしても行かず頑張るしかなかった。
しかし、腰は何とかなったけれど椅子に座るとピリピリチクチクとして仕事に集中が出来ず、何とかこの気持ちの悪い状態をなくして欲しい一心で祈るような気持ちでいた。

この検査結果は「異常なし」であった。
治療は腰にする痛み止めの注射、ビタミン剤の点滴などをするだけで症状の改善は全くなかった。いいえ、日に日に悪くなるばかりだった。
動けないとか、歩けないとかの状態ではなかったので何とか我慢をして、抱えている仕事の目鼻を付けるしかないと考えていた。


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