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24082

■熱■

昨日の日記を書いてから熱が上がりました。すぐに寝たけれど3時くらいに目が覚め、それから眠れず朝までごそごそして。朝は炊事をして午後から仕事に出て、その時たまたま来ていたお客が近所の医者だったので、解熱剤を出して貰いました。
仕事が終わり母とマスタと食事に行ったあと、母と従姉妹の家へ。スカートは喜んで貰えたようです。
まだ具合は良くありません。
■2002年02月28日(木)■

■休む■

具合悪いので日記お休みします。
頭、左胸、胃、右手の指先の痛み、吐き気、動悸。
仕事はしました。
■2002年02月27日(水)■

■喉■

風邪だ風邪だと思っていた喉の痛みは、単に悪夢で
過呼吸になるから乾いてしまっていただけだと言う事に
今更気付いた。いつもなら2〜3時間おきに目が覚めるのに
昨日の夜から朝までずっと爆睡していた。昨日病院で
寝つきが悪い事やすぐ目がさめる事を話したばかりで。
その間ずっと言えない書けないようなえげつない夢を見て
それでも目を醒す事が出来ずにいて、悪夢から起こしてくれたのは
仕事に来いと呼ぶマスタの大きな怒鳴り声だった。
怖い夢見た、と彼にメールを送り、そうかーと適当にあしらわれ、
息が荒いまま急いで着替えて仕事に出た。
よる、受付終了の7時ギリギリになって来た常連のお客が
急いで会社に戻らなければならない用事が出来たらしく慌てていた。
それを見たマスタが車で送って行ったのだけれど、買い物にと
店が終わった後に車に乗ったら煙草臭くて臭くて臭くて臭くて
普段、車内では誰も煙草を吸わないから、後部座席にいながら
知らない人の車に連れ込まれたんだ、と錯覚した。

私が月の物がもうすぐなのでその前に温泉に行こうと、
温泉大好きな従姉妹達を連れて行く。しばらくはしゃいでいて
走るなと言うのに走って滑って妹の方が転んで泣いた。
周りの目が気になって、自分がなにか虐待をして泣かせたような
その場に居たくない気持ちになった。1時間後くらいに温泉を出て、
従姉妹達を送ったあと買い物をして帰宅。
昨日から作っているスカートに、今日買ってきたゴムを縫い付ける。
ネットをして彼と少し電話をするが急に具合が悪くなって切った。
■2002年02月26日(火)■

■休み■

診察は久々に私が受けました。マスタの事、仕事の事
Mk(人格)のこと、薬の事、殆どの人格が協力しあえず
バラバラに行動している今の状態は何か利があるのかとか。
薬も処方できればいいけれど母の宗教上の問題や
私が用量を守っても他の人格がODするのではという危惧から
正直迷っていると言われ、今の所は保留という事になりました。
そのあと従姉妹達と合流して買い物をし、
家に帰ってからは従姉妹達にあげるスカートを縫っていました。
具合がよくないのでおわり。
■2002年02月25日(月)■

■忙しかった。■

日曜はかきいれ時。
開店から出ていればじわじわと忙しくなってくるのだけれど
途中からの出勤だったので初っ端から忙しかった。
昼をまわっても食事をとる暇はなくて、自分の身体の事を考えたり
胸元にかかるお客の煙草臭い息に顔をしかめるような暇もなく。
インスタントラーメンにお湯を入れても食べられず
さあ食べようと思ったらもう麺が、うどん並の太さになっていた。
夕方5時頃やっと昼食をとって、それからまた少し忙しかった。
途中一度熱が出たけれど薬を飲む時間もなくてそのまま仕事をし
終始忙しい余裕の無さから、余計なことを考えずに済んだ。
ただお客に、今高校?大学?と尋かれ、行っていないと答えた時に
じゃぁフリーターなんだ。と言われて少し落ち込んだ。
安い給料で働いて技術もついてその金で飯を食ってもフリーター。
うちに来るお客は殆どが役職だから、大学だって義務教育だ。
専門は年齢的に来年からでないと行けないし。悔しかった。
フリーターとか言うな。家業だから端から見れば仕方ないけれど
他所で働くくらいならうちで働けと怒鳴られここから出られない。
それを「定職につかない自由業」だなんて。
こうして愚痴っているところで、自分でも親の所為にして
言い訳をしているとしか思えないのがまた悔しい。
でもこんな事で腹が立つのも負い目があるからなんだろうな。

明日は定休日で、私は病院に行きます。

彼が最近ずっと調子悪そうなので心配です。頭痛が酷いらしく。
薬飲んでもおさまらなかったら病院で調べてもらって下さい。
万が一死んだら私が困るから。
■2002年02月24日(日)■

■昨日から泣き通し■

約束より2時間ほど前に仕事に呼び出され
相変わらずマスタは「お前は店を潰す気か」と
人手が足りないことを大袈裟に言っていた。
本当は自分の飲んだ酒が抜けていないだけだろう。
一段落ついて、母に上がってよいと言われたけれど、
なんだか1人で部屋に戻ったらマスタが追いかけて
怒鳴り込んできそうな気がして怖かったのでずっと店にいた。
途中、今日誕生日の友人に会ってブレスレットをプレゼントし
貸していたビデオなどを返してもらった。その帰り、
自転車で走っている時に彼から貰った指輪がないことに気付く。
最近痩せて指が細くなっていて、抜け易くなっているのを
わかっていながらずっと付けていたので
何かの拍子に街でするっと抜け落ちてしまったらしく。
すぐに店に戻る予定だったけれど歩き回って探し、
帰ったら店を出てから一時間近く経っていた。
結局見つからず、初めて一緒に買った指輪だったのにと落ち込んで
暗い表情のまま店に戻ってまた仕事をしていた。
顔が火照っていて頭が痛くて、昨日のどが痛かったなーと思い出し
笑顔も浮かばずに仕事をしていたら急に恐ろしくなった。
以前、同じ席で同じように熱があって無愛想になっていた時
お客にクレームを付けられてマスタが激怒したのを思い出して。
もう上がれ!と怒鳴られて1人で上がった部屋にすぐ彼は来て
殴られ、お前は生きる価値がないから死ねと怒鳴られた。
同じ状況なことに気付いてから、恐ろしくなり震え始めて
途中で他のスタッフに謝り変わってもらって
カウンターの隅で泣きながらタオルを畳んだりと雑用をした。
母はまた上がっていいと言ってくれたけれど、
やっぱり1人で部屋に戻るのが怖くてずっと店にいた。
明日こそまともに働けるだろうか。

昨日喧嘩っぽくなってしまった友人からメールが返ってきていた。
嫌われた、と思っていたけれど、ホッとしてまた泣いた。
■2002年02月23日(土)■

■虚飾■

恐怖も嫌悪も生きにくさも、自分が感じる嫌な感情を
昔のように全部無視しようとして、失敗する。
解離することが楽で仕方ない。他の人格が何かをしでかしても
解離、交代していなければ自殺してしまいそうなので
時間が速く過ぎる事のほうが今は大切な気がする。
こんなんじゃいけない、と普段思っている事ほどやってしまう。
あー、せめて人には迷惑かけないようにしないと。
我が侭と言うか投げ遺りな事もたくさん口にして情けない。


仕事に復帰してから、また足や胸元など肌を出す事が増えた。
やっぱり若い娘にしてもらうのがいいね、と言われるたびに
喜んでもらわなければとか疲れを取ってもらわなければとか。
技術はあるのに自分自身がそれに自身を持てないから意味がない。

一眠りした10分、
彼と温泉旅行をしていて昔の友人と旅館でばったり会う、
という夢を見た。私から声をかけた。
夢の中でも私に対する反応は同じで気味が良くて。
部屋に遊びに行かせてほしい、という修学旅行的なことを
言われているところで目が覚めた。

学校での、制服のスカートも長く地味でおとなしくて笑わない私と
学校の外での、派手な服で大袈裟に笑う、することも派手な私、
ギャップに驚かないクラスメイトはいなかった。
それははじめは別々の人格だったけれど、その2つを
いつのまにかどちらでもない私がするようになったんだ。
今も、明るい私と落ち込んだ私の二面性を持ったまま、
色々な人から、掴みにくくて付合いづらいと言われる。
■2002年02月22日(金)■

■リンゴ■

また靴を買ってしまった。でもその金の出所がわからない。
先日泊めてもらった友人Nが地元に帰ってきていたので
地元の友人Mと3人で会って、喫茶店で数時間話した。
久々に帰ってきたら田舎の母校が取り壊されていて切なかった話、
同級生達が通う高校に入り込んで教室の後ろで授業参観した話、
Mのバイト先のチーフの話、恋人の話、Nの小中学生時代の話など。
Nは早口で声も大きくて圧倒される。呂律の回りが良くて羨ましい。
私は接客業なのにお客にうまく話が振れないでいるから。
次々と言葉が出てくる彼女は頭の回転が速いんだろうな。それに
いつも思った事を素直に言うから口に出すのが上手なのかも。

仕事が終わって、夕食の買い物から帰るとちょうど金八先生。
今週は予告だけでキツイと思った回だったので、母が見ている間
台所でジャム用にリンゴを擂ったり刻んだりしていた。
■2002年02月21日(木)■

■なんで■

なんで自分はこんなに苦しかったりきつかったりするんだろう。
いやそれよりも、なんでこんなにきつく感じるんだろう。
根性なしなだけなんじゃないか、贅沢なだけなんじゃないか。
考えだすとキリがなくなって、そうやって考える事自体が
すでに甘えてるんじゃないかとか、自分を責めずにいられない。
責めるという言い方は変か、本当の事だから。
人の声が聞きたくて彼に電話をしたけれど寝ているようで
心細かった。ものすごい鬱だ。というか早く病院に行きたい。
最近Fばかりが診察を受けていて、私は受けれていないから。
何かと理由をつけて病院は信用出来ないとか誤診される(なんで素人が誤診だって解るんだ)とか「認めて」もらえないからと言って病院に行こうとしない人達をネットでよく見かける。その度腹が立つ。
当たり外れがあるのは解るが、自分が現在それに縋っているだけに。
■2002年02月20日(水)■

■無気力■

何をする気も起きません。しばらくダメ人間生活しそうです。
でも役立たずとか能無しとは思われたくないので仕事はします。
思われたくないというより、本当に能無しなので。
仕事休むとかなり肩身が狭いので、飯が食える程度には。
そう理由付けして仕事にでも打ち込まないと、無理に隠している
感情が爆発して気が狂ってしまうのではと不安で仕方ない。
無気力になるのを承知で自分を無視している事があほらしいです。
はぁ。解離して時間が過ぎてしまうほうが楽だ。
■2002年02月19日(火)■

■2年前■

気付いたら隣県にいた。全く見覚えがない訳ではない夜の街に。
初めはそこが何処なのか解らなくてただ歩いていたけれど
とてもよく知っている川に出てギョっとした。近くに住む友人に
電話を入れてその夜は泊めてもらった。元々私の地元に住んでいて、
一緒に無茶していた友人は今でも変わらずに夜の仕事をしていた。
その2〜3年前くらいの事を話しながら、あの時は金回りよかった、
集られても集られてる自覚がないくらい余裕やったね、とか
思春期を迎える前に青春してたよとか全盛期だったねとか
楽しかった事ばかりを思い出した。悩ませる特定の恋人も居なくて
ただ高い金を稼ぎ、昼夜とも街が庭に思えていた時期だ。同時に
心がめちゃくちゃで目に光がなかった、もう戻りたくない時期だ。
今も変わってない友人を見ていると
自分もその時期に戻ってしまった気がしてきて
やっと変われてきたと思ったのにやはり変われはしないのだと思い
少し辛かった気がした。けれどそれもすぐに麻痺してしまった。
それから日付けに気が付き、月曜は診察だったんだと慌てた。
友人は前日から寝ていないらしく、仕事をキャンセルしてすぐ寝た。
その横で私はじわじわと不快になってきて眠れず、朝になるまで
オレンジの豆電球の下で友人の飼い猫と一緒に雑誌を読んでいた。
朝10時に、寝ている友人に帰るねーと挨拶して帰った。
特急列車の中で病院に、遅れますと電話をして座席で寝て
気付いたら診察から帰る途中のバスの中だった。全身に
煙草の匂いがまとわりついて頭痛がし、シャワーを浴びて寝た。
それから、無感情に徹していたものからじわじわと
押し殺していた辛さが滲んできて
それを無視し感じないふりをしていたら全てどうでもよくなった。
何をしようとしても上の空で、ぼーっとしている。
私はずっと変われないのだろうか。それは嫌だ。
今の私に少しでも以前と変わった点があると思いたい。
■2002年02月18日(月)■

■家を出たい。■

昨日も日記を書いていたつもりだったのですが3日前の事でした。
ここ数日、片っ端から記憶が飛んでいる。
そのくせ今日は殆ど覚えています。
今日は11時から来いと言われ、その通りに出勤する予定だったけれど
10時頃にマスタの方からなぜ仕事に来ないのかと怒られ
「根性無し」「無生産者」「飯も食うな」「自立しろ」
「出て行け」「物乞いになれ」「野たれ死ね」と
散々怒鳴られた後、いざ仕事に出ようとするとマスタが戻ってきて
「もういい、俺も出ない」といって私の居た部屋で寝ていた。
「お前も出なくていい」と言うけれど一緒にいるのは怖いので
はいおやすみー、と流しながら放置して逃げる。
なんなのこの人は、と思いながら店に出て愚痴をこぼすと、母曰く
彼は昨日の夜は1時まで飲み、今朝の7時からまた飲んで酔って
9時頃に帰ってきてそれから機嫌が悪いのだとか。
母がマスタを呼びに行くと鼾をかいて寝ていたそうで
ただ単に寝たかったらしい。私が怒鳴られたのは何だったんだ。
それから彼が店に戻ってくるまで、震える手を抑えながら仕事をしたけれど、ずっと頭の中でマスタを刺す場面と私が自殺する場面が交互に浮かび集中出来ないので、落ち着かせようと切れない刃で腕を引っ掻いていた。寝てる客に見えないように悔しいのか怖いのか解らない涙をぼろぼろ流しながら仕事をしていると、マスタが戻ってきた。
母が休憩に行けと言ってくれたので休んでいたのだけれど
横になっているとまた怒鳴られ、勝手に休むな怠けるなとか
お前のパソコンを打ち壊してやるとか、朝は出て行けと言ったのに
今度は、お前らと居るとムカつくんじゃ、俺は出て行くけんの!と
怒鳴りながら出て行った。そうしてくれ帰ってくるな。と
今日は珍しく心の中で毒づきながら、店に戻るとマスタは
ちゃんと居る。今度もまた、単に忙しくなっただけらしく
それならもっと他の呼び出し方だってあるだろうが、と思うけれど
店でも散々客に私の事を根性無しだと言うので悔しくて悔しくて
また客に見せないようにぼろぼろ泣いていると、今度は母が泣き出し
もう今日は仕事しません、と店を出て行った。(心の中で勝ち誇る私)
母は10分後くらいに戻ってきたけれど、マスタが豹変し、にこやかに
鳥肌が立ちそうな猫撫で声で「お疲れ様、もう上がっていいぞ」
と言うのでまた泣きそうになった。この人に振り回されすぎる。
無視して最後まで仕事をして、マスタが居なくなるまで
ずっと店に居た。あの人も病気なんよ、と母が言う。
一番大変なのは母だ。マスタが朝から競輪に出掛けても二日酔いで寝ていても1人でスタッフを使い時間を計算して仕事をこなしている。
でも昂った感情がおさまると、マスタの事もまあいいやと思えてくる。他の人格にマイナスの感情が流れているのではと言うほど。
でも感情が昂っている間は殺す事死ぬ事ばかり考えてしまう。
家を出なければと思うけれど、自立しろ、出て行けと怒鳴る本人が
まだ子供だ、と止める。いつか婦警に、箱入り娘だねぇと笑われた。
愛ゆえだとはわかっているけれど、どっちかにしてくれと思う。

一度日記を保存して、ぼんやりしていた後に煮え切らずにまた開いた
私は決して親を憎んでいる訳じゃないんだ
殺したいなんて心の底から思っている訳じゃない。
大変だねともよく耐えているねとも言われる事があるけど
私が思うのはそんな事じゃなくて、うまく言えないけど違うんだ。
父ひとりを悪く言わないでくれと思う自分と、そうだそうだ、
私が悪いんじゃない、と思う自分がいる。(人格ではない)
■2002年02月16日(土)■

■きつい■

吐き気とめまいと過呼吸と全身の脱力と緊張と不安、落ち着かなさ
店も人手不足で疲れるのに 座ってられずに横になるけど眠れない
心臓のあたりが痛い とりあえずよこになります。では。
■2002年02月13日(水)■

■アカシアの雨がやむとき■

今日は旧暦の1月1日でした。

店の最後のお客が、仕事に疲れていたらしく
頭や首、肩をマッサージした時「いいね、もう一度職場に戻って
仕事したいくらい疲れが取れたよ」と喜んでくれて
なかなか嬉しかったです。仕事が終わってから、
久し振りにスナックに飲みに行って、私が生まれるよりも
ずっっと前の曲をたくさん歌ってきました。
その店には、うちに散髪に来てくれるお客も数人いらして
「若い人が自分の世代の歌を歌ってくれるのは嬉しいね」と
喜んでもらえました。「どこでそんな歌覚えたの」と聞かれても
答えられないんですけれどね。無意識に覚えているので。
母が「2歳くらいから父に連れて来られていましたからね」と言って、
そんな昔から!と初めて知りました。すげー。
で、父と、フランク永井のデュエット曲を熱唱しました。
今年たぶん65歳になる父は、まだまだ若く、スーツやジーンズ姿で
大好きな夜の街を闊歩しています(事故らないか心配)。
 中学生の頃に、父が店舗を借りてスナックをやろうという話になり
父にお前がママをやれと言われた事があるんですが
18歳未満入店お断りの店のママを中学の子供がやってどうすんだ、
というわけでその話はなかった事になりました。
ちょっとやってみたかったんですけどね(笑)。
若い男性はどうも怖いですが、年輩の方の相手は嫌いじゃないです。
子や孫のような感じで扱ってくれるので(笑)。
でも煙草の匂いが駄目(最近は特に身体が痒くなる)だから無理ですね。

接客業、好きなんだか嫌いなんだか。多分好きです。
■2002年02月12日(火)■

■ふらふら■

樹氷が見たいなぁという事で、山の方に行ったのですが
山頂へのロープウェイの改札と乗り場との間に母が財布を落とし
その時私達より後に客は親子連れとカップルしか居なかったのに
しかも乗り場と改札の間は10mもないのに、探してもらっても
見つかりませんでした。あぁ、あのカップル絶対拾ってる。
何を落としたかも言っていないのに「知りませんか?」だけで
「見てない」なんて言うし山頂に着いても樹氷も見ずに
そのまま同じ車両で下山するなんておかしいって。
母曰く「いつもより(お金を)多めに入れておいたのに!」と。
あぁもったいない。でも疑うのは失礼だし。こういう時、
マスタがいたら鬼の形相で彼らを問い詰めるんだろうな。
私も心臓がバクバクして掴み掛かりそうになったし。

FB注意かも
いつだか忘れたんですが小さい頃、閉店後のミーティングの時に、店の大きいサインポール(赤と白と青のクルクル回るヤツね)を通りすがりの酔っ払いに倒されたことがあるんですが、私が外に出て確かめた途端マスタは飛び出して、次に通った人に倒した人を見ていないかと尋ね、その倒した男性の背後に駆け寄ってタックルかましたんです。はじめは「うわ、かっこいいー」なんて思っていたんですが、段々と危ない状況になってしまい「すいません酔ってて・・」と謝る男性に「酔ってれば何をしてもいいんか!」と包丁を持ち出して「俺も酒飲んどるからな、酔ってたらお前の耳を切り落としてもいいんやな!殺しても酔ってたら許されるんやな!」なんて極端なことを言い始めました。私はその時(もし彼が人殺しで警察に捕まったらこの店はどうなるんだろう、店が潰れたら母は看護婦に戻るのかな、人殺しの妻なら無理だろうな。…私もその娘じゃん)と、これからどうやって食べて行くかを考え始めていたんですが、彼は発作のような怒りが落ち着いたら警察を呼びました。その後は急に優しくなって、可哀相だからと賠償も半分でいいと話をつけていました。鬼から仏に急変するのがマスタ。その二面性で周りに憧れ恐れられる。
わたしも似たような所があるから気を付けないとな。はぁ。


どんよりと樹氷を見た帰りに、財布の紛失届と
財布に入っていた免許証などを新しく作りなおす為に
警察署へ行きました(交番より近い)。ちょうど5時過ぎで
数台のパトカーが帰ってきて駐車場に並んだので写真を撮りました。
働いている人って絵になるなぁ。とくに制服があると。
で、初めから帰りに行こうと言っていた温泉へ行きました。
私の持ち合わせがギリギリだったために空腹のまま入浴すると
上がって服を着た直後に2人して倒れてしまい
しばらく脱衣場の床に座り込んでいました(変な人達)。
私は血の気が引いて真っ青になり、母は逆上せて真っ赤になって。
解離することは少なかったけれどちょっと忙しい休日でした。

テレビの占いで「今日は家でのんびり過ごそう」って言ってたなぁ。
■2002年02月11日(月)■

■安心■

よかった生きてた。このまま呼び出し音しか聞けなかったら、と
電話するのが怖かったけど出てくれて嬉しかった。

日曜洋画でプライベート ライアンをやっていたので見ていたら
ものすごい怖くて固まってしまいました。腕が上がらないし。
所々で、「周りの音が聞こえなくなり時間がゆっくり流れる」
シーンがあったり、夜遅く帰ってくる母親を寝ずに待っているのに
せっかく早く帰ってきた時には何故か寝たふりをしてしまう、とか
変に同調する部分が多かったです。あぁでも怖かった。
最初の30分で見るのをやめようと思ったのに全部見てしまった。
固まりすぎて疲れました。でも内容はよかったなぁ。
■2002年02月10日(日)■

■必死■

昨日の続きなんですが、父はいつも「娘には嫌われているからな」と
お客に対して言っていたので、私は嫌ってなんかいないんだと父に
必死にアピールしているのかも知れません。

何時に寝たのかわからなくて10日の朝5時に目が覚めたんですが
繋ぎっぱなしになっていたPCを見たらMSNにメッセージが来ていて
それが「なんか死にたくなったので死にます」という内容で
慌てて電話をしたのだけれど、かけはじめてすぐに
その友人の携帯ってたしか止められていたようなと思い
自宅に電話しようとしてそれが一人暮らしの部屋でなく
実家の番号だったらどうしよう時間的に絶対やばい、と
しばらく考えていたら時間が飛んで、結局7時前に電話をしました。
でも出なくて呼び出し音ばっかり鳴り続けていて。
「話せなくて残念だけど話せなくてよかったかもしれない」と
言い残してMSNを落ちている友人に対して私は何も出来ない。
自分を大切に出来るようになりたいってのは
自分が死にたくなったら素直に死ぬ、ということだったわけ?
などと極端な方向に考えがズレる。
なんでもいいから戻って来い。「死ねなかったー」とでも苦笑して。
死ねないだろうけど、とも書いてあったのでそっちを信じるから。
■2002年02月09日(土)■

■愛着■

久し振りの日記です。
心配して下さった方々、ほんとにありがとうございます。
メールも返してなくて申し訳ないです。そのうち...(笑)。
意識として表層に出る度に、過去に引き戻されて、
何にも手を付けられないのでもう少しネットはお休みします。

時々思うのですが、私は母より父に愛着がある気がします。
いつも逃げたいと思うのは紛れもなく父の方ですが
誕生日などで喜んでもらいたいと思うのも父の方なのです。
逆に、去年の母の誕生日には何もプレゼントしなかった。
母は暴力も振るわず、宗教的な面以外はとても尊敬出来るけれど、
なぜだか母の方が、喜ばせたいなんていう感情が薄い。
こうして書いている間にも、木刀を手にして仁王立ちしている父が
目の前をチカチカと過るというのに。息が苦しいです。
私は母が嫌いなんでしょうか。それとも、父に対しての
機嫌取りから来る感情なんでしょうか。どちらとも思いたくないな。
具合が悪くならないうちに寝ます。
■2002年02月08日(金)■

■ピーピング■

Frが病院へ行き診察が始まってすぐに性依存の人格Mkと交代する。医師の顔立ちがMkの相手の男性の1人と似ていたらしく、変に機嫌が良かった。売春行為について、他の人格が嫌がっている以外は問題と思っていない事、何故やるのかという質問に対しては、相手の男性に喜んでもらう為だと答えた。お金を貰う事については、受け取る瞬間は嬉しいがその後は使い道も思い付かず忘れてしまうという。端から見れば、Mkにとっての利点は?と不思議に思うだろうが。自分が楽しんでいる訳でもなくただ相手が喜べば満足だと言った。それ以上は時間も押して話は進まなかったようだ。
Frは病院に行く事が楽しみらしく、ほぼ毎回彼女が診察を受けているようだ。でも、先週の調子はどうだったかという質問に対し「うーん普通」としか答えない。何か辛い事があっても、覚えていないのかそれが普通だと思っているからなのか「普通」としか。耳鳴りや心臓のあたりの痛みなど、話す事は話すので問題は多分ないが。

帰りにDAZZLEの私がバスを途中下車し、改築中の母校へ寄る。読み終えた本を保健の先生に貸すという用事だけでプレハブの保健室に2時間ほど居座った。不意にKの私が交代してしまい、チャイムの音や生徒のざわめきで全身に発疹が出る。そのままだらだらと虐待関係の話などをしていると、苛めにあっているらしい女生徒が泣きながら来た。そういう性格の悪いヤツって絶対居るよな、と笑って話し慰める私は、学校に通っていない今は自分の苛められた体験を過去のものだと割り切れているつもりだ。しかし身体は、まだ過去のものだと気付いていないらしい。熱が上がってきたので帰った。
校門を出てすぐに、発疹も熱も治まった。
帰りに服と鞄と軽食を買い、仕事をした。Mkに忘れられたお金を使っているのは私のような他の人格だ。売春行為を辞めてくれなんて、本当は言える義理ではない事もわかっている。矛盾している。
K2
■2002年02月07日(木)■

■ない■

仕事の呼び出しの後から途切れている。
■2002年02月06日(水)■

■疲れた。■

最近あまり使わない筋肉を使って従兄弟を抱いて子守りをしていた。顔が「まいのうみ」に似ている。未熟児で生まれたばかりの頃はもう少し賢そうな顔をしていた筈なのに。
SSAのセラピーの本を買ってから、ずっと読んでいる。今まで本なんて店に置いている週刊誌くらいしか読んだ事がなかったため、約400ページのその本がタウンページに見える。でも読みごたえは確かにある。「身体から心が離れてしまうのは、心にとって身体が一番危険な場所だと感じているから。虐待を受けた土地や部屋に恐怖を感じそこから逃げ出したくなるのと同じ。」といった内容の文があった。それは、よく解離などの話に出る「これは自分じゃない、と思い込む事で...」という説明より何倍も頷けた。だって故意にではなく身体から離れてしまうのだから「これは自分じゃない」なんて考えない。危険な場所から逃げるという表現の方がおさまりが良い。そして、危険な場所(身体)から逃げる為に離れるのなら、自分の身体を安全な場所だと思えるようになれば離れる事が減るという事。簡単に安全だなんて思える訳はないだろうが、仕組みが納得出来るのだから状態を改善できる筈。離れる数を減らせるはず。
K2
■2002年02月04日(月)■

■なんとも。■

デジタルカメラが治った。治ったというより単にメモリカードを変えればよかっただけの話。明日は仕事が休みで買い物にでも出かける予定。3分の2は従姉妹の子守りだが。DVDが欲しい。金はない。
K2
■2002年02月03日(日)■

■味■

自己セラピーの本を読んでいると、言葉にして表せなかった感情を代弁してくれているような文をよく見つける。自分の身体に対し居心地の悪さを感じるのは何故か、という説明の文でも頷く部分が多くあった。書いてあるもの全てが自分に当て嵌まるなんて事はないが。
ファミレスで母と食事をした。値段も下がったが味も落ちたな と思い、味が落ちた事に気付いた自分に驚く。そしてあの店にはもう行かないと決めた。父や母の肥えた舌に比べ、私はインスタントの味噌汁と料亭の味噌汁の違いも解らないほど鈍かったはずだ。鼻がつまっていたのだろうかとさえ思う。味に色が付き、今までの食事が如何に彩度の低いものだったのかが解った。今まであんな風呂に入っていたのか、という風呂場のカビをハイターで落とした時の感覚と似ている。
K2
■2002年02月02日(土)■

■記憶無し■

何をしていたのか全く解らない。
■2002年02月01日(金)■

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