隠喩と暗喩の対話
日々の心象を抽象的な言葉で。隠喩のはけ口、いわばポエム。
夜道を走り終わりこの気持ちで歩き終わり明かりをつける。走り続け空き続けたとはいってお前の道は健康器具だろ。ヤツと同じ道を辿っている同情を感じるけれどヤツは実際の道を走った。「・・・の心に一瞬でも響いたなら」でもね、それもこれもぜんぶまるっと本当に欲しいものじゃなかった。ちょっとした気の迷い。衝動買いみたいなもの。この顛末、もし本にするなら、あなたの名前は消しゴムで消すか修正液で塗りつぶすでしょう。それでもそのページを鑑識に回せば紙に跡が残っている。そんな野暮で野蛮なことをするつもりはないけれど。「大事ないまとこれからに、もう出て行かないから」ルームランナー上の歌が終わりこの室温23度の秋が終わる言及の終焉。というか社員3年目の終焉。
とんとんとん、狂気さん、いらっしゃいますか?とんとんとん土足で踏み込みますよ?ほんのちょっと留守だったらしい。とことん三顧の礼といきますか。
いまの現場はどんなに長くても3月いっぱいだというのは小さな救いだったはずだ。4月5月で6月は半分って何だろう。
生首ごろごろプロパガンダ写真。そりゃあ、この中に人魚の首が混じってるってことには誰も気づかないわな。
よしんば、うめしば、しばづけ、よつんばいにならずんば、しぬさんば、ゆばくわずんば、およめるんば、さくらぞいづこにさかん。
むごーん。
何もかもから関心が失せ散財で貯金はみるみる減ってゆく。そしてついに言及が尽き果て何も書けなくなってしまった。こんなことは前代未聞だ。リアルな問題としてバーチャルな問題として極めて窮迫した事態なのかもしれない。
不味いビールをしこたま呑んで体が欲するウーロン茶2杯3杯と失踪への疾走へ。
からげんき、からじゆう。
開き直りと、居直り、どっちがいい?・・・ヽ(`Д´)ノ無視かよ!と、いつもいつも第3の選択肢を切り開く。
世界に遍在していた豚キラーがあの場所に偏在して現れた。「ねえおばあちゃん、トラックに乗った豚ちゃんたちは何処に行っちゃうの?」「豚ちゃんたちはね、豚キラーのお導きで、お空の星になるんだよ」「おばあちゃんのうそつき!氏ね、ばああ!」「嗚呼!」昨日は餞別に、今日は告別に花を見に行こうと計画していた。靖国の桜をね。しかしどちらも止めてしまった。昨日は風雨で、今日は寝坊で。お前のようなヘタレは散り尽くした後の掃除でもしとけ、ははは、お前のお姫様は誰かと腰を振ってるよ。「ちょうど読み終わった本を」独り唱えた言及は春25,6番に吹かれて消えた。青空に。夜空に。「夜空」は星になった豚ちゃんたちが瞬く星空にきまってるだろ、解説させるな、バカ。
何度検算しても100%になりそうだったから怖くてそれ以上の確認はやめて、あるアタイを代入して希望を観測した。100%より悪い120%だった。理想の旗を掲げて、燃やした。雨が降り鎮火した灰をがむしゃらにほお張る。もう誰もその旗のことは知らない。餞別は3キロバイト。
でもぼくらは彼のように天才的な頭脳を持っていないから、その方程式を解くのにえらく時間がかかるんだ。ちょうど今、検算をしているところなんだ。もう少しまってくれ。
ゴキゲンなオケツの見られない現場なんて一文の価値もないやい。
犬に変身する能力を持っている夢。だけど、尻尾の振り方が分からない。なんとなくケツに神経を集中させてはみるものの、たまたま単発で振れるのがやっと。うれしさを表現することができないということだ。とても嬉しくても「ありがとう」としか言えない状態だ。もっと応える術はあるはずなのに。もっと別な方法で応えてほしいと思っているはずなのに。犬のまま改札を飛び越えたと思ったら、すでに人間に戻っていた。夢の中とはいえ、警察沙汰になったら大事だと震え上がる。おとなしく引き返して頭を下げて切符を買いなおした。
絶妙のタイミングで絶妙な選曲チョイスする全ての哀しみを詰め込んだ魔法の箱、哀Podくん。そんなことされちゃうと不落やん、泣いちゃうぞ☆ぴろりろりんろりんろりれん。
ヤーダバシに差し掛かるとそのまま下りずに新木場までいって海でも見に行こうかなんて思ってしまう。商用切替スケジュールを聞いていると21日に休めるかどうだか怪しい雰囲気もちらほらもう(人生)どうでもいいかーあははははーん。
何もない一日。何もない日々。
突然降ってきた今日の休日。なにもすることがない。たらたらWeb見たりゲームしたり昼寝だけはしなかったけどたまたま。「休日の過ごし方」を訊かないでくれ。いや、「お前にプライベートを詮索される筋合いは無いこの(・肉・)野郎が!」と怒ってるんじゃなくて、なんて答えていいのかぜんぜん分からないから。
残念なことに、お前は味方になることさえできなかったんだ。触れる事ができないのだから。触れるとは、物理的に力を及ぼすことと、言及することの両方である。私の記憶が正しければ、今日で1年前からぴったり1年が経過したはずだ。すると、2年前からは2年が経過したということが導き出されるし、1年後には1年前から2年が経過するのだろう。10年後の世界が存在すれば2年前から13年が経過したことになる。が、それに意味は無い。20年後に1年前から21年が経過したことに意味はあるのだろうか。「・・・今すぐにでも。だけど、どんな顔をしたらいいかわからないんだ」そう言ったのっぺらぼうは泣いているように見えた。笑えないことより泣けないことを哀しんでいた。哀しみで泣きたいと思い泣けないことを哀しむ。そういう正のフィードバックが働いて増幅させるのだろうと分析した。「僕の味方になってくれなくてもいい、せめて君の味方でいさせて」盆踊りの櫓の下敷きになった男は病院に搬送される途中、息を引き取った。 NEXT STEP -------> NEVER RETURNS
肩の荷が降りたというか、肩の荷が崩れ落ちたというか。正直、持久戦は乗り切れないですよ。しんどい。一瞬で消えるぬくもりでいいですからほんのすこしでいいですから希望っちゅうもんを下さい。「それがひとにものをたのむたいど?」スタッフサービスさーんこの豚野郎にご慈悲を。
お熱いのは苦手、猫舌だから。冷たいのは嫌、歯に凍みるから。つづく。
どうやら21日まで13連勤になりそうだ。つまり1度は夜→朝という鬼シフトが待ち受けているわけで、そりゃあ21日にはよほどテンパってるにちがいない。
帰りの脳も道も湯船と同様の様相である。双子の姉妹の喧嘩がひとしきり終わった頃合を見計らってけんもほろろに散歩することにした。餓鬼の頃「マラソンコース」と呼ばれていた道程を。マラソンコースを通るときの景色はいつだって餓鬼の見通しだ。そびえ立つマンションは無く、釣堀は健在。今こうやって第三者に第三者のことさえ言うことができないのに第一者が第二者にものを告げることなど到底成し得なる筈が無いとほぞをかんだ。今夜は引越しの夜。双子の姉妹とも今夜限りでお別れだ。お別れの場面はまるっと省略されて、引越しのため引越し前より30分長く寝られた翌朝、今日の準備をしていないことに気づいてあわてて時間割票を確認する。2限が体育だ。うんざりした。帰り道夜道の脳がぼそりという「夢に出てきた双子の姉妹のモデルはFLIP FLAPじゃないか?」ああ、そんな気がしてきた。スパゲティならペペロンチーノかボンゴレビアンコだな。
入浴にて脳を開放してやると奴は後悔ばかりを並べ立てる延々と延々と。時折大玉が出ては水面を叩いたり身を捩ったりとしているうちに毎日小一時間が経つ「入浴タイムは睡眠タイム」そいつは脳の奴が後悔を再生するのを防ぐための自衛策なのだ。そんな体のいいもんじゃない。大丈夫、具体的な内容を抽象的に述べない限り言及したことにはならないから。
脳が夢において言及してしまうことを抑えるのは難しい。きっと3月14日とかそういう設定の夢だろう。なぜか真昼間の宴会みたいな。「280円の駄菓子のオマケ」を三つ揃えて、それを交換して、追加料金の1000円をA氏に徴収されて、横断歩道を渡って、解散して。それまでの空白が嘘のように笑っていた。目覚まし時計に起こされることなく、自分から起きた。
そりゃあもう心情数ヶ月ぶり社員ノーツにウィンドウが開いてタスクバーが黒く色づいた。・・・stnだった(;´Д`)
最近、苺モノばっかり飲んでます。
もういいかげんうんざりだなあうんざりだよまったくうんざりだ。「いまちょうどよみおわったほんを」そんなこんなでもものせっくひなまつり。しまいたちにさちあれ。
今日は変則勤務月間の変則休日でしたので休みました。だらだらしました。午後5時に起きて、ちょろっとエフゼロして、昼寝(午後6時〜8時)中に久々に金縛られました。おわり。
姿かたちなど覚えていなくても圧倒的なヲーラを発していれば一目瞭然で顔を覆いつくしていてもガラス越しでも100メートルの彼方でも贅肉に覆いつくされた店の前でもゆあうぉーりーどんうぉーりーもはや駅前交差点の雑踏の中からでも救い上げることも不可能ではなかったはずだ「あいたたたー」と断言されていたのならばもはや触れることも許されまい。触れるとは、力学的な接触ではなく言及することである。
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