酸性

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2001年08月31日(金) アメリカの医療制度

胃と背中が猛烈に痛いので病院に行ってきました。
こっちの病院は具合が悪くなっても予約をしてから
行かないとなりません。
急患を扱ってるところ(ERね)もありますが、
例えば風邪が流行っている時期に行くと、
診察名簿の診察済みの人のチェックが2時間前で
止まっていたりと、とんでもなかったりします。
治療代もバカ高いし。
だからこっちで病院に行くのは大キライ。
そのせいかERとかシカゴホープとか、アメリカの医療ドラマも
見る気がしません。

しかし今回ばかりは心配なので、近所の病院に行って来ました。
記憶をたどると、前回病院に行ったのは98年の夏。
洗剤かぶれで、手に湿疹が出来た時。
この時は旅行者保険に入っていたので、なーんにも払わなくて
良かったんですね。で旅行者保険が切れて、
高い治療費を払うのは嫌という気合のせいか、
病気をしなくなっていたのですが…。

久しぶりで緊張しました。日系の病院なので日本人の
看護婦さんがいるので、通訳を頼んでおいたのですが、
「彼女は問題ないよ」とお医者さんが言ってくれたくらい、
今回は英語で症状が言えた!感動!

処方箋をもらって、ドラッグストアへ。
こっちの医療費は高いので、
30ドル、ん〜、50ドルくらいかかるかなー。
「107ドルです」
「高いねー」と同情まじりの声で薬剤師さんが言うまで
いい間違えか聞き間違えかと思ってしばらく黙っていました。

107ドル!?!?!?

日本円にして約1万3千円くらい?
これはクスリ代です。治療費は後から請求がきます。
どーして、胃薬だけでそんなに出さないといけないのー???

「すみません…キャンセルしたいんだけど…払えないよ…」
病院にかかっておいて、薬はいらないというのもヘンな話だけど、
107ドルも払ったら余計に胃が痛くなるのは目にみえてる。

「これは30日分だから、半分にする?」
と薬剤師さんが言ってくれた。
30日分!?…そんなにいらんわい!
「7日分にしてください…」
次の診察の日までの分にしてもらった。

それにしても…
高い。高すぎる。
日本でも保険に入ってないと、このくらい取られるけど、
保険に入ってるんです!!
月に195ドルも払ってんのよ!!

アメリカの医療制度はホントにひどくて、
超貧乏人か、超金持ちしか病気になれないようなシステムです。
マジで気合いれようと、思いましたね。


2001年08月22日(水) やっぱり…

昨日は英語の勉強の日(になった)のに、
会社から帰った途端、ものすごい腹痛。
胃と腸。
たまにあるんだけど、今回は立っていられないほど。
結局、早々と寝てしまった。
起きたら頭痛いし。
はぁ〜あ。


2001年08月20日(月) 絵に描いた餅?

すっかりたまごに感化されて、
なんだかやる気が出てきたわたし。
ちょっと勉強計画を立ててみました。

月、水、日は家事を頑張る。
火に英語、木にコンピュータを勉強する。
金は飲みを張り切って(笑)、土はHP関係。
どうよ!!

で、早速夕食後、張り切って家事をやったわよ。
たまりにたまったジャンクメールなんかを片付け、
銀行の明細書なんかを整理し、(こっちって通帳に記帳されないのだ!)
ついでに各種請求書・明細書を片付け、
シャツをアイロンし…。うはは、普段サボってる分、これだけで
なんとも言えない充実感。

すっかり気分も良くなったところで
今日はバスタブに湯でも張って入るか。

今日買ったこの液体バスクリンみたいの、超ヒット!!
ラベンダーオイルが入っていて、すごい良い香りなのだ。
今度ユーカリのも買おうっと。
雑誌なんかを読みながらゆっくり入って
あがったら、1時を回ってる。
月曜から寝るの遅いな、でも睡眠は長さでなくて中身よ。
なんて考えながら布団に入ったけど、
あまりにも調子の良い日で興奮したのか、
温まりすぎて体ほかほかでか、
3時まで眠れず…アホ。


2001年08月18日(土) 大宴会

今日実家に電話をしてみました。

今の時間だったら母も「NHKのど自慢」を見終わっている頃だろうと(笑)、
電話してみたら、

「もしもし!!もしもし!?」
誰???このおばさん。
「間違えました。すみません」
???

電話番号間違えたかな???
アドレス帳を確認して再TEL。
「はい、もしもし!」
やっぱり、さっきのおばさんだ。恐る恐る苗字を聞いてみた。

母だった(笑)。

いつもと違うハイテンションだったので別人と勘違いしてしまったのでした。
なんでも兄夫婦が来ていて、超盛り上がっていた最中だったらしい。

思えば年末年始に帰国した時、兄夫婦を交えての宴会が始まったのが2時。
終わったのは確か9時だった。
その間、散歩に行くでもなく、テレビを見るでもなく、延々と飲み食いしてたのだ!!
7時間の大宴会なんて、友達同士でもやったことないっつーの(笑)。

こう書くと両親が大酒飲みみたいですが、普段は全然飲みません。
兄も付き合い以外は飲まないそうです。
家族で一番飲むのは私です。
私は誰に似たんだろうと考えるのですが、答えはすぐ出ます。
母の兄弟達は大酒飲みで、しかもタチが悪いです(笑)。


2001年08月17日(金) おべんとー

今日はお弁当に夕べの残りのカレーを詰めて持って来ました。
こぼさないように…と思った矢先にこぼしました(笑)。

ジーパンとシャツについてしまって急いで流しで水でこすったんですけど、
カレーだもん、落ちない…ターメリックさんよぉぉぉ。
あ、でもこっちの食器用洗剤は強力だから落ちるかもと思って
つけてこすったら、さっぱり取れました。
そうしてシャツは綺麗になったんだけど、ジーパン。
脱いで洗うわけにもいかないし、はいたまま洗剤をつけてこすったら
なんとか取れた。取れたはいいけど、ジーパンが泡泡になってしまった(笑)。

べんとーにカレーなんて持ってくか!とびっくりしてる方もいるでしょう。
ここアメリカでは何でもありです。
ダンナの会社の女の子達は缶詰ごと持ってきて会社で開けて、チンして
食べてるそうです。
私も語学学校で袋のラーメンとどんぶりを持ってきてチンして食べてる
女の子を見ました。みんな日本人です。


2001年08月16日(木) スキャン千本ノック

友達に借りているスキャナーの返済期間がとうとう迫ってきたので(長期旅行中)
毎日必死に、寝る間も惜しんで写真をスキャンしまくってます。
こうなってくるともう辛い作業で、千本ノックって感じです。
デジカメが欲しい。金が欲しい。
デジカメもスキャナーも持ってないのはホントに辛い。
金欲しさに懲りたハズのロトに手を出しました。
やっぱりハズレました。

今スキャンしているのはタイタニックがヒットしていた頃に行った
テキサス&ニューメキシコです。
知る人ぞ知るロズウェルにも行ってきました。
かなりイイ写真が出てきたのでアップが楽しみ♪

サンフランシスコでも写真を撮ったので
スキャン千本ノックはまだまだ続きます…。
ただSFでは私は撮らなかったので、アップはするかどうか…思案中です。


2001年08月15日(水) エリック・サティ

クラシック音楽に関してはトーシローです。
音楽に詳しい方ではありませんが、とりわけクラシック音楽は
聴く機会を逃してきました。
クラシック音楽と言って浮かぶのは
ベートーベンの「運命」、ビバルディの「春」、チャイコフスキーの「くるみ割り人形」
そして一番好きなのはショパンの「別れの曲」。
一番好きといっても4つの中から選んでるだけなんですけどね…。
(でも「別れの曲」は好きです!!本当に悲しくなるじゃぁないですか)

8月11日付けの羅府新報(ロサンゼルスの日本語新聞)に
エリック・サティについての記事が載っていました。
それを読んで是非聴いてみよう!と思いました。
以下は記事の抜粋です。記事中のエリック・サティの生い立ち等は省略してあります。

*   *   *

サティの作品で驚くのはその題名です。「犬のための本当にしまりのない前奏曲」
「気難しい気取り屋の三つの高雅なワルツ」、「干からびた胎児」、「貧者のミサ」などなど
書き上げればいくらでもあるのですが、一体真面目なのか、ふざけているのか分かりません。
また「喋りすぎる女」、「食欲をそそらぬコラール」、「筋肉ファンタジー」などは、それまでの
クラシックの作品ではありえなかったタイトルです。
サティの楽譜を見てみると、演奏上の注意として不思議な言葉が書かれているのも、
もう一つの大きな特徴です。一般的な用語としてはクレッシェンド(だんだん強く)
〈以下略〉などが基本なのですが、サティの場合は(あまり食べ過ぎないように)とか
(舌の上で)(生焼けではなく)(奥歯の先で)等等。
また曲の冒頭に「私はこの本をやさしい指でにこやかにめくることをお勧めします」
と書いたり、ある画廊で開かれた演奏会のプログラムに「歩きながら、飲んだりしゃべったり
して下さい」と記したり…。それまでの作曲家ではありえないことです。

*   *   *

なんだか聴きたくなってきますよね?


2001年08月14日(火) 野菜

今日、上司が
また近所でもらったから
と言って、野菜(キャベツとズッキーニ)
をくれました。
この前もバジルとイタリアンパセリをくれたのです。
なんだか気がきくなぁ。
でも上司が出勤してきたとき、ショルダーがずり落ちて
ついでジャケットもずり落ちてて、野菜の袋を抱えていたので、
田舎の先生みたいに見えました。(田舎の先生ごめんなさい)


2001年08月12日(日) オークランド

サンフランシスコから帰る途中、
ダンナと一緒に旅行に行ったダンナの共通の友達の
ムニスに会いに行きました。
ムニスはパキスタン人で、ちょっと勢いは衰えたとはいえ、
今だブイブイのコンピュータ会社に就職が決まって、
シリコンバレーエリアに住んでます。
といってもよく聞く、サンノゼやパロアルトではなく、オークランドという所です。

ムニスの奥さんのスーは韓国人で、まだ二人がLAにいるとき、
二人の息子さんの誕生日会に行ったことがあるのですが、
イスラム教のムニスが突然、アラーの神へお祈りをささげ始めたり、
韓国料理とイスラム料理がいっぱい並んでいたり、
二人ともそれぞれの国の民族衣装を着ていたりと、
すっごく興味深い誕生日会でした。

さてさて、息子さんは大きくなり、娘さんも生まれていて、
ムニスパパとスーママ、大変だーと言いながらも、
楽しそうでした。

スーは帰りがけに、車で食べてねとお菓子とコーラをくれました。
すっごく暑かったので、コーラ早く飲まないとあったかくなっちゃうな、
なんて思っていたらちゃんとアイスノンの食べ物用みたいなものを
入れておいてくれて、カンゲキしました。


まったく話は変わりますが、アメリカのホテルってどうして
リンスがないのでしょう。持っていくのを忘れた私は、
絶対違うと分かりつつも、トボケたフリしてローションと書いてあるのを
リンス代わりにつけてみました。案の定、バリバリになってしまいました(笑)。


2001年08月11日(土) サンフランシスコ

サンフランシスコに行ってきました。
はっきり言って、ブルーな旅でした…。
ブルーな部分は省略したいと思います。

えっと、
チャイナタウンで、ドラゴン柄のビーチサンダルを買って、
飲茶を食べて、
フィッシャーマンズワーフに行って、
ちかくのギラデリースクエアという、チョコレート会社のカフェに行って、
チョコレートソーダを飲みました。

夜はベイブリッジの夜景を見た後、
ツインピークスに行きました。夜景が綺麗なはずなのですが、
サンフランシスコ名物の霧がすごくてなにも見えませんでした。

以上(笑)。


2001年08月10日(金) リサイクル

アメリカは国土が広いせいか、リサイクルをほとんどしていません。
日本の人に言うと激怒されそうですが、
ゴミを捨てるとき、全然仕分けません。
生ゴミでも、燃えないゴミでも、なんでもかんでも、道路にある
デッカイごみ箱に捨てます。24時間、いつ捨ててもオッケーです。
粗大ゴミもデッカイごみ箱の横に捨ててあったりします。
ソファやらベッドやら、どかーんと置いてあります。
そういったものはアミーゴ達が持っていきます。
たぶん、売るのでしょう。
地域によって方針も大分違って、上司の住む高級住宅地は
仕分けているようです。粗大ゴミも置いていったら村八分にされるようです。

そういえば、日本に帰国したときゴミを捨て方が分からず、
外出してでたゴミは持って帰っていました。
駅にゴミ箱はないし、コンビニにずらっと並ぶ多種類のゴミ箱に
捨てるのはどうも、緊張しちゃって出来ませんでした。

話は戻ります。地球に全く優しくない私ですが、
空き缶や空き瓶など、金になるものはリサイクルセンターに持って行きます(笑)。
車で5分程の、スーパー内にあるリサイクルセンターが突如無くなっていて、
しばらく空き缶&空き瓶を溜め込んでいたら、また復活していたので、行ってきました。
数えてみたらスーパーの袋が15個!ため過ぎです(笑)。
しかし良い金になるぞーと仕分けていたら、真打ち登場。
真打ちはスーパーのカートをまるで自分の物の様に使用し、街に落ちている
空き缶や空き瓶を広い集め、それらをカートに山ほど入れ、金に替え生活しています。
早い話がホームレスなのですが、彼は黒い大きなゴミ袋に15個という勢いです。
カートによくもそこまで縛り付けたなという感じでカートの姿が見えない位です。
ま、まけた。


2001年08月09日(木) スランプ

実はここ最近悩んでいます。
日記やらBBSやらに書くたびに自分の文才の無さに
情けなくなってきました。
水曜日の朝日新聞に三谷幸喜が連載していて、
それを読んでると、天才!!って思う。
プロとはりあってもしょうがないんだけど、
三谷幸喜は私がよく使う「(笑)」も使わず(笑)(ほらまたっ!!)
自分の思いを文章にしてしかも笑いのツボは押さえてるし。
書けば書くほど自分が嫌になってきた。
たかが個人のHPでそこまで思いつめる事ないんだけどね。
それに書いてるうちに上手になるかもしれぬし。
ということで三谷幸喜目指して頑張る事とします。


2001年08月07日(火)

昔からだけど朝が苦手。
全然起きられない。
目覚ましがなってすぐ起きようとしても
ゾンビに体押さえられてるみたいに重いし、
頭もガンガンするし。
亀みたいな姿勢をしばらくして、やっと起きられるかんじ。
起きれれば良い方で、そのまままた寝てしまうこともあるし。
いつもいつもこーなので朝は地獄だ。
昔あまりに起きられないから、目覚まし時計を遠くに
置いておいたりしたけど、転ぶは、タンスに足の指ぶつけるは、
ドアに激突するはで、もう懲りた。
すっきり起きられる日は、映画を見にいく日曜日くらい。
とするとやっぱだらしないだけかな。
すっきり起きられる人ってなかにはいるみたいだよね。
そういう日が全くないので、すっきり起きられる人がいるってのがびっくり。
なんかコツがあるのかな。


2001年08月04日(土) 体力系お兄ちゃんの日

今日は先週出来なかったタイヤのローテーションをしに、COSTCOへ。

実は先週行った時、そこのお兄ちゃん達が他の店と違って
白人だったのに驚いたのだ。
ここLAではブルーカラー、いわゆる力仕事系はアミーゴ
(主にメキシコからきたヒスパニック系の人達を私はそう呼んでいる。
鈴木あみではない)と決まっている。
白人の力仕事兄ちゃんを見たのは初めてといってもいい位で、
なんというか、新鮮だった。
先週もいたお兄ちゃんはもみあげを長くしていてリーゼントですっごくいい感じ。
COSTCOのメンバーはローテーションはタダだし、得した気分(笑)。
今日も2時間かかるというので、隣のCOSTCOを見て回った。
しかし、いつも思うけどCOSTCOってとこは私には太刀打ちできないとこだわ。
広すぎるし、商品もでかいし一人で店内にいると私なんて存在、消されそうだよ…。
そんなことを考えながら試食しまくってしまった。
アイスもラビオリも美味しかったけど、一口で結構な、濃厚な味。
1口で美味しさが完結してるもの、誰が買うのかな。

そんなことをしてたので、今日はサーフィンのUSAオープンに行くはずが行けず。
あ〜〜〜、すっごく楽しみにしてたからショック。
仕方がないので、他のビーチにふらりといったら、ビーチバレー大会が開かれていた。
ビーチバレーといっても6人制でやっていた。男の人ばかりで、アイルランドの民族衣装を
着ていたり、原始人のようなイデタチだったり、でもみんな真剣にプレーしてて、
そのギャップがおかしかった。
このビーチバレー大会をやっていた、ハモサビーチ、ビーチ沿いにはいっぱいお店もあって、
でも観光地化してなくて、とっても気に入ってしまった。
ビールを飲んで、帰りにスターバックスでアイスカフェラテも買い、いい気分♪
(しかしこの後、飲み始め早々にアイスカフェラテを路面に落とし、凹みまくる…)


2001年08月03日(金) またウィルス騒ぎ

今日、ISPの会社から
「おたくのPCの1台がウィルスに侵されています。
さっさとOSを入れなおしたりしてください」という電話があった。
あちゃー、昨日仕事関係の人からウィルスばらまいてすみません
メールがきたって上司が言ってたけど、やっぱりあんたかー!っつーことで、
今さら遅いけどウィルスチェックした。
上司1が「どうやら私みたいです…」とへこんでる。
私以外ウィルスチェックが出来ない人ばかりなので、全員のチェックに
飛び回ってたら上司2が
「やっぱ○○さん(上司1)がウィルスに感染したかー。
ようし、○○さんを隔離しよう!!○○さんをあの部屋から出すな!!」
違うだろ、オイ!(笑)
(結局、ウィルス保持者は上司2だった…(爆笑))


2001年08月01日(水) 日本人みたいなアメリカ人

今日、浮かれキャラにセールスの人が来ました。
日本人とアメリカ人の2人組で、会議室にお通しした時、
日本人の方が「どうも〜」といいながらヘコヘコ頭を下げて、
会議室に入っていったのはいいんだけど、
もう一人のアメリカ人の方も同じようにヘコヘコしながら
入っていくので、ちょっと可笑しかった。
それで思い出したのが、カレッジにいた時の先生。
日本語のチューターをやろうと思って、申請書をもらいに
事務所にいって、チューター業務を統括している先生と
話したんだけど、その先生、言語学で博士号を持っているせいか、
かなりいろいろな国の文化に精通しているらしく、
英語で話しているにも関わらず、反応が思いっきり日本人。
帰りも「シーユー」って英語なのに、何度も頭下げるんだもん。
言葉は文化だなーって思いました。だって、
シーユーって言いながら頭を何度も下げるのって
すっごく難しい!!
英語を話すときは英語モードのがラクなのよ。
この話を謎の香港人ジャックに話したら、そうそう!!
あの先生そうだよね〜、俺達の時には中国人的態度だったよ、
と言っていた。すごい先生かも。


みこちん |mailhomepagebbsセンリューゴージャン!

My追加

ありがと。