武ニュースDiary


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目次前の記事新しい日記


2010年10月18日(月) 陳昇と3人の弟子(中)

ニュースがないと、つい更新が滞りがちになり、陳昇の話も止まってしまいそう。
全2回でなく3回になってしまいますが、ともあれ続きを……。



右見て左見て前向いて:陳昇と3人の弟子(2)

陳昇と任賢齊(リッチー・レン):雪が広い広い世界で融ける

陳昇は以前、リッチー・レンは自分とキャラクターがよく似ていると言ったことがある。
どちらも人付き合いがよく、快活だ。
音楽の道において、リッチー・レンは実際奇妙な総合体でもあると私は見ている
――初期の「心太軟」のしっとりした情の深さから、「春天花会開」の無頼青年へ、
さらには「任逍遥」のクラシックなロマン、
今は心の内をかきくどくニュータイプのやさしい男へと変化した。

金城武と比べ、リッチー・レンは歌手業においてかなり輝かしい成績を得ている。
たとえ、歌謡界に天地をひっくり返すような大変化が起きている今日にあっても、
リッチー・レンは音楽的に、古典と新鮮さが共存する
高い水準を維持し続けている。
また、彼自身の、あの天成のものか、あるいは意識的に作り上げたものかわからない
個性もまた、少しずつ色を薄め、中年男性らしさを自然に出すようになった。
歌手としてのキャリアを一見すると、
リッチー・レンには陳昇の芸風はあまり強く見られない。
だが、一貫して見えつ隠れつしているのは間違いない。

「小雪」は陳昇とリッチー・レン師弟が共作した名作だ。
この歌には、あの一種形容しがたい陳昇式フォークソングの雰囲気がある。
歌詞は「意識の流れ」的難解表現を含み、
当時人気絶頂だった彼と不思議な化学反応を起こして、
当時商業的ラブソングを多く歌っていたリッチーの俗っぽさを、瞬時にかき消している。
傍若無人に叫ぶ最後の数行の歌詞、
「愛はもうだまさない、承諾は一体あてになるのか、
今日突然小雪が降り始めた、
行かないでくれ、俺には俺の雪が要る……」
の、ほとんど音をはずしかけた歌い方は、
明らかに陳昇がよくとる表現方法であり、真実で心を打つ。   (続く)
(流水紀・文 浙江在線 2010.7.9)



   BBS   ネタバレDiary    0:05


2010年10月11日(月) 陳昇と3人の弟子(上)

今日ですね!
金城武さん、お誕生日おめでとうございます。

募る想いはネタバレへ……ということで、ここではお誕生日とは直接関係ないけど、
久しぶりに昔の金城さんにかかわりある記事を訳してみました。
金城武、レネ・リウ(劉若英)、リッチー・レン(任賢斎)という、
台湾の名だたるアーチストが、いずれも陳昇(ボビー・チェン)の弟子だということは
みなさん、ご存知と思います。
この記事は、陳昇と3人とのそれぞれの交流を語ったものです。
長いので、2回に分けて。後半はレネとリッチーの話です。


  
    
(前にもアップした気がするけど、写真はやっぱりこれですかね)


右見て左見て前向いて:陳昇と3人の弟子

もし、中国語歌謡界に本当にまだ待ち望むに値する「哥(兄貴)」がいるとしたら、
それは「昇哥(セングー)」をおいて外にいないと私は思う。
齢50を越した陳昇は、ずっと、ヒッピーのようにふらふらと、
放蕩の限りを尽くしてきたが、
傲慢と天真爛漫が混じり合った魅力をおのずと備えている。
混乱する2010年の中国語歌謡界にあって、彼は突然アルバムを発表した。
タイトルを、少々けしからぬ響きの「追伸 そうさ、俺は台北にいる」という。

私はこの怪老人を音楽界の清流とは呼びたくない。
実はとても”邪悪”だ、そうじゃないだろうか?
まるで黄薬師と周伯通(どちらも『射雕英雄傅』中の人物)を合わせたようだが、
外見はいつでも須菩提祖師(仏陀の弟子。孫悟空の師)のようだ。
このジイさんのアルバムが「中国語音楽界を救」えるかどうか、
憶測するのはすっぱりやめることにしよう。
だが、アルバムの曲目を見ると、「取っては捨て」「妹」「ネズミ万歳」「ブラジル万歳」……
わかったよ、昇兄貴が今回、どんなふうに遊んでいるのか
聞いてみたくてうずうずするよ。

一番心をひかれたのは、このアルバムに収録された「20歳の涙」だ。
これは陳昇が、その一番弟子である金城武のために書いた歌である。
今、80年代生まれの大部分、90年代生まれの人のほとんどは、
実は、怪老人陳昇が、金城武、リッチー・レン、レネ・リウという
名声赫々たる3人をその掌中に収めていたことを知るまい。
この3人の、一見全く関係ないようでいて実は一致する互いの気質は、
陳昇という彼らの生涯に深い刻印をのこした男の手を借りて、
最終的に奇妙かつ完璧に共鳴し合うのだ。

陳昇と金城武:20歳の涙、泣いてはいない、笑っているだけ

今、世の中に氾濫する「イケメン」たちにとって、金城武は、
彼らを常に顔色なからしめるスターであり、
各時代の少年少女が心に抱く不老伝説の人物である。
こんな俗悪な形容詞を使って申し訳ないが、
しかし、時は確かにこの男性を厚遇している。
彼はどんなときも驚くほどハンサムで、ストイックなほどクールだ。
私たちは習慣的に、彼の演じる無数の情深く、憂鬱で、不まじめで、
わがままな役の人物の内に、彼の真実が表れていないか探そうとするが、
決してその神秘が解明されることはない。

時を最初の頃までさかのぼらないと、
我々は金城武が芸能界に足を踏み入れたときは歌手であり、
シンガーソングライターでさえあったことを忘れてしまっている。
陳昇門下に入った彼は、全部で8枚の北京語と広東語のアルバムを出した。
ただし、成績は同時代のジミー・リンら若手歌手たちに、遙か及ばずじまいだった。
97年発表の「多苦都願意」は、質は高かったが売れ行きは芳しいとはいえず、
このアルバムを最後に、金城武の歌手としてのキャリアはピリオドを打つことになった。

だが、陳昇と金城武、この師弟は初めからよく心が通じていた。
師匠は友人と繰り出して楽しくやるのを好み、
弟子は家にこもっているのが好きというように、性格は正反対に見えるが、
どちらも繊細でロマンティックであり、
心の奥底にぬぐい去れない憂鬱をひそませている。

金城武は陳昇のために「路口」という曲を書いている。
彼が曲を作り、陳昇が詞をつけた。この歌は、今聞いても舌を巻かざるを得ない。

「ぼくらが忘れなくてはいけない、過ぎ去る運命に慣れなくてはいけなくなるとき
人生はもう二度と、子どもの頃のようにぼうっとしたままではいられない
君とぼくは途方に暮れ、十字路で出会った
君がどこに行くのか尋ねるのを忘れてしまったよ
ひょっとして、ぼくはいつか満天の太陽を手にするかもしれない
それでも、今と同じように薄暗い夜に目を覚ますだろう」

金城武が音楽を熱愛していたのは疑いない。
顔を見せるだけで大勢のファンを魅了したけれど、
卑俗なアイドルのラブソングは、決して彼が求めるものではなかった。
最後のアルバム「多苦都願意」では、何曲も創作と制作に参加しただけではない、
その、欠点はあるが情感に満ちた声の魅力を完璧に発揮している。
表現法上も師である陳昇の風格によく似ている。
陳昇のほうは、この愛弟子に「20歳の涙」を送った。

「20歳の灯火が君の優しく美しい顔を照らす
誇り高い男が さすらいの旅を開始するのだ
途中、風の吹くこともあるだろうが
風の中にはやはりぼくらの歌が聞こえるだろう……」

長い年月が過ぎた。陳昇と共にこの歌を歌う者は張懸へと変わったが、
しかし陳昇と金城武の、この、音楽そのものより大きな意味を持つ師弟の情は、
音符の内に永遠に留められ、消えることはない。  (続く)
(流水紀・文 浙江在線 2010.7.9)



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2010年10月06日(水) おたんじょうび

またまた金城武さんのお誕生日が近付いてきました。
というか、もう目前ですね。

今年もネタバレDiaryに場所をもうけました。
ご利用いただき、一緒にお祝いしていただけるとうれしく思います。


   BBS   ネタバレDiary 更新   23:50


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