(仮)耽奇館主人の日記
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2004年12月31日(金) |
今年最後の大事件、あるいは山猫の遺産のこと。 |
今年は実に色々あったが、最後の最後になって、目玉をむくような大事件が起きた。 配達証明書つきで郵便物を手渡されたので、何かなと開封したら、長野の裁判所が差出人とある。もう一度、あて先を見ると、確かに宛名は私の名前になっている。 長野には親戚、友人、知人、つながりのある者は誰一人いないので、一体なんだろうと、分厚い封筒を広げながら読んでいくと、だんだん髪の毛の根元が太くなるような感触に襲われた。 まず、膨大な家系図があったのには、目を見張った。 全部で九世帯あったのだが、そのうちの四番目の世帯が、私の母方の一族であった。 古くは江戸時代末期から、新しくは平成の現在まで、一体どうやって調べたのかと思うくらい、細かく表示されているのにはすっかり度肝を抜かれてしまった。 総勢三百四十一名のうち。 相続指定人が八十九名。 要するに、遺産相続の話であった。 私の母方の祖父の妹が嫁に行った先の、長野は飯山市の大地主の一族が去年をもって完全に断絶したので、遺言に従って、相続指定人になった面々が相続するか否かをはっきりして、滞りなく遺産を継ぐ手続きをするということなのである。 この話は今年の二月に、母の姉に当たる伯母から聞いて知っていた。 伯母、母も含めた私の母方の一族は、他の家族と比べて、ほぼ全員が相続指定人に指名されていた。 飯山市のT一族の遺産。 山がまるまる一つの、ものすごく膨大な土地家屋なのだが、母を含めた八十九名全員は相続の権利を放棄する方向であった。 事実、わざわざ弁護士を雇って、対策を正式に進めていたくらいである。 しかし、母だけが正式に権利を放棄するのを忘れていたらしく、繰り上がって相続指定人となった息子の私に面倒が一気に襲いかかってきたというわけであった。 なにゆえに、全員が相続の権利を放棄したのか? 答えは三つある。 一つ目は、遺産が分割不可、売却不可という代物だからである。要するに、八十九名の指定人で、その山を管理せよという遺言なのだ。それぞれが自分の家庭を持っているのに、何が悲しくて豪雪地帯の山々を管理しなければならんのだというわけで、放棄の意志表示となったのだ。 二つ目は、相続税がバカ高いからである。金額は明らかにしないが、長野の冬季閉鎖される山々、全部で十二万坪の土地家屋が一体いくらになるか想像してみるがよい。田舎とはいえ、みんなで束になってもとてもじゃないが払える金額ではない。よって、これも放棄の理由になった。 そして三つ目。これは私の専門分野で、初めて聞いた時はニヤリとしたものだ。明治時代に建てられた和洋折衷の邸宅があるのだが、ここに、現在でもT一族が住んでいるというのだ。最後の生き残りが死んだ後も、である。ここまで言えばお分かりであろう。そう、幽霊屋敷なのだ。親戚にその邸宅を写した写真を見せてもらったことがあるが、前面に洋館、背後に日本家屋を配置した姿は、威風堂々としていて、それがかえって雰囲気たっぷりであった。例え、立派な、歴史ある建物でも、幽霊が出るところに好き好んで住む人はまずいない。よって、これも放棄の理由になった。 私は「相続の権利を放棄する意志表示をしない者は、是非なく相続人として認定される」という項目を読んで、遺産管理人をしている弁護士先生が、いかに厄介払いをしたがっているのか、手に取るように分かった。 そうはいくか、幽霊屋敷ってのが美味しそうだけどな・・・ と、私は早速、我が家の顧問弁護士に電話をして、徹底的拒否の構えを明らかにすると、そのまま長野の弁護士先生に電話をかけて、私の立場と意志をまるまる伝えた。 「そうですか、分かりました」といやにゆっくり、弁護士先生は柔らかく言った。 「相続税はお一人じゃ払いきれませんものね・・・」と続けてきたので、私は受話器ごしにニヤリと笑って、 「そうですね、一千万円なら払えますがね。それくらいにまかれば、私は相続してもいいですよ」と言ってやった。 弁護士先生の返事は乾いた笑い声であったが、「相続税が何とかなれば、山々の管理、例の邸宅は平気なんですね?」と念を押すように聞いてきた。 「ええ。私にとって問題なのは、税金だけです。はっきり申し上げて、税金は払いたくないんですよ」 相続税を払わずに、土地家屋を相続することは、現在の法律では不可能であるから、もってまわった、私なりの「権利の放棄」の意志表示である。 最終的には、我が国そのものが管理することになるであろう。 ・・・・・・ T一族は、代々豪農の家柄で、宗派は一応神道なのだが、見附のイエアゴー伯父の話だと、こっそり「山猫」を祭っていたという。 憑き物信仰の一種らしい。 「ガキの頃一度だけ、叔母(T一族に嫁入りした祖父の妹。伯父にとっては叔母にあたる)のところに遊びに行ったんだけど、裏庭の縁側にな・・・大根をいっぱい干してあるやつの下に・・・」 そこで伯父はゴクリと唾を飲み込んだ。 「猫の生首がいっぱい並んでいたんだよ。干していたんだ。そいつをあそこんちのばあさんは・・・『これが神様になるのよ』なんてぬかしてたぜ」 ・・・・・・ うちの母方の一族も白蛇を祭っているから、目くそ鼻くそを笑うようなものだが、蛇に比べて猫は短命のイメージがあるだけに、断絶したのかもしれない。 ともかく。 私としては、生まれて初めて、詳細な家系図を見ることが出来、早速活用した。 連絡先の分からない、母方の親戚に、母が亡くなった旨の喪中葉書を出したのである。 今日はここまで。
告別式が終わり、市川の実家に、新潟の一族郎党の主な面々が勢ぞろいした。 母の兄弟姉妹と、その子供(私にとっては従兄弟、従姉妹)たち、そして子供たちの子供たち(私にとってははとこたち)で・・・私とサカキの二人を入れて、二十九人という大人数である。 おかげで、続き和室をぶち抜いて、近くの小学校から無理やり借りてきた会議用のテーブルとパイプ椅子を運び込む重労働に追われた。 でも、新潟中越地震で大変な状況なのに、よくぞ新潟の各地から集まってくれた。 これが・・・「家族」なのだ。 血は水より濃いというやつなのだ。 母は兄弟姉妹の中では、三女、五番目の子供に当たる。 従って、その息子である私が三十五歳だから、母の姉や兄たち四名はもういい年齢で、平均七十いくつという高齢ぶりだ。 みんなで寿司をぱくついていると、話題は自然と、死後の世界になっていった。 不思議なことに、一族の誰もが死後の世界を想像すると、必ず、月が頭に浮かぶのだ。 それも、月の裏側である。 その寒々とした暗い荒野の真ん中に・・・一本だけ桂の木が生えているというのだ。 その光景を見てきたかのように話したのは、長男で、母の兄にあたる伯父だった。 彼は数年前に十日町で交通事故を起こして、頭を強打して、臨死体験をしたのである。 「あんのやろこたま、しんきやけるわ・・・」 ベタベタの新潟弁で、ぶつけてきた相手の悪口を一通りぶつと、意識が飛んでる間、ひどく寂しい空間をふわふわと漂っていたことから語っていった。 ・・・・・・ 「あにゃ、あにゃ」 誰かに新潟弁で「あんちゃん、あんちゃん」と呼ばれたので、ハッと気がつくと、見附のイエアゴー伯父の孫娘のみどりだった。 「みどりか。何だい」と私。 「月に桂の木なんて生えてんの?」とみどり。 「生えてないよ。ただ・・・俺たちの心の中では、生えてることになってるんだ」 「んん?」 「桂男っていう妖怪がいるんだ。月の表面に出てる影の形な、普通はウサギが餅をついてる形に見られるんだけど、桂男という妖怪としても見られていたのさ」 「へえー。どんな妖怪なの?」 「月をじっと見つめていると、影がだんだん膨れ上がって、桂男になってこっちを手招くんだ。ぼやぼやしていると・・・連れて行かれちゃうのさ」 「どこへ?」 「あの世だよ」 「みゆきおばさんも連れて行かれたのかなー」 みゆきというのは、私の母である。 深雪と書く。 私はニヤリと笑って、みどりの頭を撫でた。 「そうだよ。今頃は・・・月で暮らしてるさ」 ・・・・・・ 私たちの死後の世界が、なにゆえに、一本の桂の木が生えた月の裏側という光景なのかは、誰にも分からない。 昔からそう言われ続けてきたのだ。 私は私なりに・・・ 妖怪「桂男」との関わりを持ち出して、自分を納得させている。 一族の誰かが、「桂男」を見たのだと。 今日はここまで。
2004年12月20日(月) |
MY SWEET LORD |
十九日の日曜日、母が亡くなった。 享年五十五歳。 死因は心不全。 母方の一族は、全員、何かが足りなかったり、足りすぎたりするという特徴があったが、母は生まれつき心臓が弱く、生涯において五度も大手術を受けていた。 元々長生き出来ない身体だったのである。 それが、ここまで生きながらえたのは、奇跡に近いと医師は驚嘆していた。 息子として・・・ 私は辛い立場のはずなのだが、そんなに辛くはなかった。 ほんとうに辛いのは、先日、籍を入れたばかりの再婚相手の旦那さんだ。 全く予想もしなかった急死に、ただ狼狽するばかりで、私に向かって心臓のことを何故教えてくれなかったと怒ってみたり、畳にうつ伏せになるように嗚咽したりしていた。 私はただ黙っているだけだった。 息子として・・・ 私は母を愛していたのだろうか? 答えはイエスである。愛していなければ、私は母の再婚に賛成するわけがない。 母である前に、一人の女性として、好きなことをして生をまっとうして欲しかった・・・ それで十分、私は母を愛していたと言えるだろう。
・・・・・・
籍を入れた以上、喪主は再婚相手の旦那さんが務めた。 しかも、宗派がうちとは違うので、私はお寺としては一切ノータッチだった。 ただ、ほんとの、生身の息子として喪主に続いただけであった。 告別式が終わっても涙は出なかったが・・・ 家に帰って、母が大好きだったビートルズを一通り聴き、その中でもとりわけ好きだったジョージ・ハリスンのアルバムを聴いたら、涙が溢れた。 「ALL THINGS MUST PASS」の「MY SWEET LORD」を繰り返し、繰り返し聴いていたのだ・・・
My sweet Lord I really want to see you I really want to be with you I really want to see you Lord but it takes so long My Lord My sweet Lord I really want to know you I really want to go with you I really want to show you Lord that it won`t take long My Lord
私の愛しい神 おまえに会いたい おまえとともにいたい おまえに会いたいと心から思う しかしそれには多くの時間が必要だ ああ 私の神よ
私の愛しい神
おまえのことを知りたい おまえとともに歩いていきたい 神よ おまえに見せたい そんなに長くはかからんことを ああ 私の神よ
・・・・・・ 私は誤解していた。 母がジョージ・ハリスンのこの曲を愛していたのは、キリスト教に傾倒することで、オヤジのお寺への当てつけにしていたわけではないのだ。 そもそも、ジョージ・ハリスンは熱心なキリスト教徒ではなかった。 どちらかと言えば、インドの神秘主義にかぶれていた方だ。 私は今こそ理解した。 母が探し求めていた神とは、母自身だったのだ。 ・・・・・・ 私も私自身の神と巡り会える時が来るだろうか? 私の愛しい母よ。 今日はここまで。
2004年12月10日(金) |
愛に呑まれる、愛を呑みこむ。 |
家庭教師をしている教え子の一人、亀戸水神のお嬢さんは女子中学生だけあって、コイバナとなるともう犬のようにむしゃぶりついてくる。 自分が恋をするよりも、他人の恋の方が気になってしょうがないらしい。 「ねえねえ、先生、恋愛とエッチって別物なんでしょ?」とお嬢さん。 「そりゃそうさ。肉体と精神という言葉が生まれた時から別物だよ」と私。 「じゃあ、その・・・言葉が生まれる前は、一緒だったわけ?」 「昔はね、大昔は、肉体も精神もなかったんだよな。ただ、存在しているというだけだったんだ。ただ、生きているという、純粋な歓喜に満ちていたのさ。想像してみな、古代ギリシャの理想郷・・・アルカディアを駆け巡る乙女たち、それを追いかける半人半獣のパンやケンタウロス・・・彼らはいちいち、恋愛とエッチを分けていたと思うかね?」 「何か、エッチが恋愛そのものみたいな?」 「そうなんだ。本能的にヤリたいと思う、思われることが男女の結びつきだったんだよ。男が女を追いかけてモノにするという原始的な結びつき・・・これが、今じゃすっかり複雑怪奇になっちまって、目も当てられねえやな」 「色々考えちゃうからだよねー」 「その通り。例えば、女とヤリたいというてめえのことしか考えねえで、女のことはこれっぽちも考えてやらねえだろ。それでは、原始的な恋愛も成り立たないんだ。つまり、肉体と精神を分けちまった弊害だよな。肉体のみに集中して考えるから、今のような悲惨な状況になるわけよ」 「精神のみに集中してもいけないんでしょ」 「なおさらいけねえや。考えすぎてしまうからな」 「じゃあ、どうすればいいの?」 「愛を呑みこむことだよ」 「えっ?」 「今の人間はね、愛に呑まれやすいんだ。恋は盲目とやらで、愛そのものに振り回されやすいのさ。それがプラスならいいけど、たいていはマイナスだね・・・嫉妬とか、猜疑心とか、憎悪とか。つまり、自分を見失うんだ」 「わー。何かやだなー」 「そうだろう。だけど、やっぱり、それでも人間は愛せずにはいられない動物なんだ。肉体的にも精神的にも。人間である限り、マイナスからは逃れられないよ」 「じゃあ、人間やめるしかないね・・・犬神先生みたく」 「おいおい。俺だって人間だよ。でも、人間はマイナスを克服する力はあるんでね、逃れられはしないけど、それを乗り越えることは出来るよ」 「それが愛を呑みこむ?」 「そう。仏教的に言えば、達観することだな。おおらかになることさ。自分を裏切った相手を憎まず、許してやる心を持つこと・・・これはなかなか出来ないことだけど、物事を大乗的に考えることが出来れば、だんだん精神的に力がついてくるよ」 「何か難しいこと言ってるー」 「ああ。ごめんごめん。要するにだ、俺たちは、古代ギリシャの考え方に回帰するべきだってことさ。肉体も精神もなかった、おおらかな世界にね。そこでは、愛も生きていることと同じ、純粋な歓喜なんだ」 「純粋な愛には憧れるけど・・・そういう相手には出会えるんでしょうか?犬神先生?」 「そいつは、君次第だ。君がこれから、どれだけおおらかな女になれるかによるね。いいかね、これは大事なことだからよく聞きなさい。君がろくでもねえ野郎としか出会わないとしたら、その野郎以上に、君自身が未熟だと思いたまえ。君自身がしっかりしていさえすれば、神様はちゃんとしっかりした野郎を用意して下さるよ」 世の中は恋愛難だという。 確かに、恋愛しにくい世の中ではあると思う。 だが、それでも、やっぱり、自分自身を磨きさえすれば、同じように磨かれた相手に恵まれるのは確かなのだ。 それぞれがどんなに辛い遍歴を重ねても・・・ 自分自身を見失いさえしなければ、ちゃんとそれなりに幸せになれる。 世の若者たちよ、愛に失望するなかれ! 今日はここまで。
2004年12月09日(木) |
チャット・セックスのこと。 |
ここんとこ、毎晩、紋とチャットしている。 で、朝方、マイチャットログを読み返すのだが、これがもう、目も当てられないくらいの赤面ものだ。 しかし。 歯が浮くようなセリフはひとつもない。 何というか、ストレートな表現ばかりで、お互い感情そのものでチャットしているのだ。 私の世代では、昔、テレフォン・セックスというものがあって、私もよくやっていたが、言葉よりも文章に自信があるので、メール・セックス、チャット・セックスだともう独壇場である。 私の文章は我ながらねちっこい。 人は情熱的だと褒めてくれるが、私としては、一文字に「情念」をこれでもかと込めるたちなので、良くも悪くもねちっこいと言いたい。 まだ携帯メールが新しかった頃、どこだったかの女子中学生相手に、「親指の腹で乳首をこすってごらん。指紋の溝が分かるくらい、ゆっくり、じっくりと・・・」などと、オナニー指南をしたことがあるが、毎晩のようにメールのやりとりをしつこくせがまれたので、すっかり参ったことがある。 今回は、クリトリスに目を押しつけて、まばたきして、まつげで刺激するだとか、そんなことばっかり、雰囲気たっぷりに書き連ねて、紋を悶絶させてしまった。 もちろん、チャット・セックスは、ほんとうの生身でのセックスとは全く違う。 視覚的なものから想像力に訴えるものよりも、五感で全てを感じるセックスの方が肉体的に気持ちいいし、身も心も満たされる。 しかし、チャット・セックスのいいところは、まさしく、想像力に訴えるところなのだ。 感覚以前に、まず意識を刺激するような、想像力の膨張・・・ 私と紋は、普通の人が一年かかっても読めないような量を一ヶ月で呑み込んでしまうくらいの、本の虫である。 従って、想像力は普通の人より発達している。 それだけに、私たちのチャット・セックスは、そのまま官能小説になるくらいの勢いで、精神的にとても気持ちいい。 そして、肉体的な快感も味わうわけだから、私たちは実に贅沢なセックスを愉しめるのだ。 想像力のないセックスなんて・・・ ほんとうに不毛である。 今日はここまで。
2004年12月08日(水) |
La familia como las ataduras fuertes. |
スペイン語で「familia」というのは、その響きから分かるように、家族のことである。 英語の「family」との違いは、家族そのものの観念の違いだろう。 英米に見られる、近代的な家族像とは根本から違うのだ。 法律や道徳で描く、理想の家族よりも・・・ 衝動と肉体で築き上げる、原始的な家族の方が、絆が強い。 そして、普通の、ありふれた家族よりも、 近親相姦的な、異常な家族の方が・・・絆が深い。 何故ならば、異常だからこそ、普通の家族より、より普通であろうと努力するからである。 家長を務める、浅草の父方の家族、強い発言力を保っている、新潟の母方の一族において・・・私は、私なりの「familia」を築き上げているのだが、最近、周囲が慌しくなっている。 まず、紅蜘蛛お嬢様が、私の娘のサカキと同性婚をブチ上げた。 私は別に父親ヅラをするつもりはないから、サカキの判断に任せることにしている。 サカキはまんざらでもないようで、ニヤニヤしているのだが、確か、我が国では同性の結婚は認められていないから、フランスあたりへ移住することも視野に入れなくてはならない。 次に、祖母の死を契機に、私の母、オフクロが再婚した。 これはほんとうに、寝耳に水で、肝が潰れるほどぶったまげた。 今年、五十五歳の老女を嫁にもらった物好きは、どこのどいつかと思ったら、これがオヤジの親友だった。 昔はよく一緒に遊んでいた仲なのだそうで、同じく伴侶を亡くした者同士、老後を温かく過ごそうと再婚を思い立ったということだった。 まあ、本人が幸せの道を選んだのだから、私としては素直に祝福してあげたい。 最後に、佐渡島のはとこの透。 祈祷師の跡取りとして、みんなで大事にしている小学五年生の男の子だが、これが何と、相手を妊娠させてしまった。 相手は、透が通っている小学校の担任。 三十二歳の独身女性とか。 そのニュースを透本人が泣きながら伝えてきたのを聞いて、昔、外国で似たような事件があったなあと記憶を呼び起こしていた。 まだどうなるかは分からないけれど、女教師が腹の中身をどうするか悩んだら、私の出番になるだろう。 是非とも出産してもらいたい。 生まれてくる子供には罪はないのだから。 まともな家族になる見込みがないのなら、私の家族になればいいのだ。 そんなわけで・・・ 今日も家族のために、私は生きる。 今日はここまで。
2004年12月07日(火) |
生得、体得、死得のこと。 |
師走になると、檀家さんたちの中には、一年のアカを落としてもらう意味合いを込めて、私を指名してきて会いに来る方々がいらっしゃる。 その度に、私はひとつ説法をぶつのだが、今回はこんな話をした。
人間が一生の間、得るものについて。
まず、生まれつき得るもの。即ち、「生得」である。 生まれながらにして、何かに長け、どこか欠けている。これは誰でもそうで、一番重要なのは、何が足りているのか、また何が足りないのかを、自分自身で知ることだ。 次に、努力して得るもの。即ち、「体得」である。 地道にコツコツ積み重ねて身につける。知識、体力、技術と色々な分野に渡って、それ一筋にしぼっていくのもいいし、幅広くやるのもいい。一番重要なのは、何か形になるもので後世に残すことだ。 つまり、結果を出せということである。周囲にとって、また、自分自身にとって。 最後に、死んで得るもの。即ち、「死得」である。 死んで初めて得るもの。自分の一生がどんなものであったかを、他人の目で判断してもらう。一番重要なのは、いかに自分らしく死ぬかであって、それはつまり、いかに自分らしく生きるかなのである。
南無円徳円満、自らの一生をしっかり生きたまえ!
今日はここまで。
ただ今、リニューアルに向けて、あの手この手を使って工事をしています。 しかし、読者諸兄から、矢のような催促が毎日のように続くので、工事中の多忙な身ではありますが、さらりと仮日記を始めることにしました。 まず。 今回、私のパソコンを全部完全にクリーニングした上、アドレスやドメインも新しくしました。 従って、私から連絡がない限り、今までのアドレスに連絡をくれても届きません。 挨拶のタイミングを見て、こちらから連絡させて頂きますが、緊急の場合は、エンピツフォームからメールを下さい。 後、過去ログですが、全部消去したわけではなく、こちらで保存して、リニューアルの際は整理して、「過去ログ置き場」に収納するつもりです。 読み返したい方は、それまでお待ち下さい。 さて、近況報告。 家庭教師をしている教え子たちの成績がアップしたので、ホッとしました。 娘たちと映画「ハウルの動く城」を観に行き、帰りにセクシーランジェリーをしこたま買いました。 先日の日記で、恋をしていることを書きましたが、あれからどうなったとうるさいので、いい形で進展しているとだけお答えします。これ以上は何も申し上げません。 このように、相変わらずの日々ですが、周囲の天変地異級の「変化」にも負けず、しっかりと己の歩いて行く道を進むだけです。 今日はここまで。
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