FayeBlue
目次過去未来


2001年06月29日(金) 出会い (後編)

“ご近所さん”の勢いはスゴイものがあった。
登録した次の日から早速メールが私のところに来た。
全てが男の人からだった。
嬉しかったけど、女の人からのメールも期待してたから
ちょっと残念だった。
同じ年の人もいたり、1〜2コ年上の人もいたり、
30歳くらいのおじさんも中にはいた。
ヨシもその中のひとりだった。


何人かのメル友とメールをしていて気がつく事が
人の性格ってのは文章にも、返事のメールの書き方にも
中身にもしかっりでるんだなぁ〜って事。
ずっーっと敬語で話してくる人。
私のことばかり聞いてくる人。
私の質問だけに答えてくる人。(コピー&ペーストで丁寧に)
自分のことを話したがらない人。
私の言ってくることに合わせる人。
などなど様々だ。

ヨシは何となく他の人達とは違っていた。
それが私の第一印象。
ヨシは私の話を聞きつつ、自分の話もしつつ、
世間話もしつつ。
上手くいえないけど、初めからフツーだった。
ちょうどいいカンジだったのだ。
何回かメールで話していると、誰でもそうだろうけど
相手の目的とか、“こいつ作ってる”とかだんだん
分かってくると思うんだ。
ヨシにはそういうのが全く感じれなかったんだよね。
(これは本人にも話した。)

彼の場合メールのやり取りがます他の人と違ってた。
他のメル友は私が1通送ると、1通送り返してくる・・・
ってカンジで。
たまたま私がバイトで忙しかったり、家を2〜3日空けてる日が
続いた時、私は返事を送れなかった。
それ以降メールのやり取りが終わった人もいる。
でもヨシの場合は、私がしばらく送らなくてもフツーに
何気なくメールを送ってきてくれた。
それが私は嬉しかった。
気を全く使わなくて良かった。
私はヨシとのメールのやり取りがとても楽しく思えてきた。

嫌な事あったりしても彼のメールで元気になったり、
笑ったり、たまに怖いくらいタイミングよく送られてくるメールに
励まされたり。
彼とはホント他の人と違う何かがあるんだ。
“ご近所さん”と通してのメールはやめ、お互いのメールアドレスを
教えて、写真なんかもお互いに送ったりもした。
たくさん話してると思う。
くだらない事からマジメな事まで。
彼のメールから感じることは“彼は優しいんだなぁ〜”って事。

メールのやり取りだけで、そんなぁ。分かんないよぉ〜
って言われたら、まぁ何も言えないけど。
たとえそれでも私は別に構わないのだ。
人は100%いい人なんていないしね。
最初の方にも言ったけど、私は“ご近所さん”を通して
“友達”を作りたかったから。


私はこの出会いにすごく感謝している。
メル友って響きが軽い感じがするけど彼との出会いに
私は幸せを感じる。
失いたくない大切な人の一人なのだ、彼は。
まだ電話で直に話したことはないけど、いつか国際電話を
かけてみようと思ってる。
いきなり電話とかしてビックリさせてみようかなぁ。


彼とはこれからもずっと連絡をとっていきたいなぁと思ってる。
私が日本に帰った時は彼とは必ず会いたいものだ。
他の大切な友達と必ず会うように・・・・。
この先どうなるか分からないけど、
連絡か続く限り続けたいし、今はこのカンケーを
大切にそして大事にしたい。
そういう存在の人なのだ。

上手くまとまらなかったけど、
Fayeはヨシが好きだし、いつも感謝してる事を
少し表現したかったのです。
そしてこの不思議な出会いに・・・・。


P.S.
ヨシ、いつもありがとうね。
面白いメールから、さすが・・・・ってメールまで。
うちらのカンケー大切に続けていこうね。


2001年06月28日(木) 出会い (前編)

人との出会いというのはいつどこで、
どんな形であるか分からないから
おもしろいし、何だか不思議。
“出会い”ってのは別に男と女の“出会い”だけを
意味してるのではなくて、女友達だったり、
ホント単なる色々な出会い。

いつの時代にも人というのはそういう出会いを待ってるもので・・・
特に男と女・・・・ってのはすごいものがあるよね。
ベルが流行っていた頃にはベル友。
そして今コンピューター、携帯の普及でメールが広まりメル友。


私にもメル友なる人がいる。
前は5〜6人いたが、最近でも連絡を取ってるのは2〜3人で
その中で1人だけ特に仲がいい人がいる。
ヨシ(フルネームじゃないからいいよね?!)は私の1つ上。
彼は私の地元で電車の運転手をしている社会人。
そんな彼との出会いはそう3ヶ月前。

日本に帰ったら地元の友達が少なくなってきてるよねぇ〜
なんてアメリカにいる友達と話をしていた。
日本にいる子達は大学に行ってそこでもっと友達の輪なりを
広めている頃、私ら留学生組はアメリカで4年ものリスクを
しょってしまってたのだ。
専門やこっちでできた友達とは皆地元がバラバラ。
そんな事を話していたら、地元に帰っても新しい友達いないし、
かなりやばくない?なんてことになった。


それから数週間後、その友達がネットの出会いサイトを
教えてくれた。
初めはチャットをしていたけど、メールのやり取りができる
方のサイトも教えてくれてたのでそっちをやり始めた。
それは自分が出身地かもしくは現住所で登録をして置くと
それを見て興味を持ってくれた、その出身地もしくは現住所の
人達がメールを送ってきてくれるのだ。
もしくは自分が登録している人にメールを送ってもOK.
“ご近所さん”ってやつだ。
私はアメリカにいるので、出身地で登録をした。
女の人で出身地で登録していたのはその時は私一人だった。

“カッコイイ人との出会いがあったらいいなぁ〜”っていう
下心確かにありました。 ハイ。
でもとにかく私は日本に帰った時に地元でつるんで
遊べる新しい友達(男女問わず)が欲しかったのだ。
友達の輪を広めたかったのだ。


To be continued・・・・・


2001年06月27日(水) チャレンジも失敗に終わる。


そういえば、Fayeは彼との生活どうなったの?
なんて気にしてる人もいるよね?!
ってな訳で、今回はその報告をします。
確かに前触れだけしておいて、その後の報告なしでは・・・・
ってなるよね。

まぁ、題名からも分かるように、
ダメでした。

最初の1週間で早くもダメになってた。
だから1週間また彼は実家に戻った。
そして気を改め、2週間前に彼は私の所へまた戻ってきた。

でもダメでした。
そして彼は先週やっぱりまた実家へ帰って行った。


何でかというと・・・
まぁ〜、人ってのはそう簡単にはかわらないものなんだよね。
分かってたけど、信じてしまってた。

彼は昔からお酒に問題を持ってる人。
お酒に飲まれてしまうのだ。
普段は優しいし、いい奴なのだけれど、ひとたびお酒が入ると
彼は180°逆の性格になる・・・って言ってもいい。
私に1度も手をあげたことはないけれど、“You! Bitch!!”と
何度言われた事か・・・・。

彼との約束は自分の抱えてる問題を直しつつ、
ちゃんと仕事も見つけて、自分で生活して
ウソは絶対なし!!ってのが約束だった。
もしそれをしたら、彼は帰る予定に最初からなっていた。

やっぱりやってくれましたよ。
何となく分かってたけど、もうさすがにしないでしょうって
わたし甘かったのかなぁ。
ここには彼の親しい友達が沢山いる。
もちろん彼らはお酒が大好き。
でも彼らは私の彼みたく飲まれはしない。
学校が夏休みのため、バイトしかしてない彼らは毎日飲んでる。
それが悪いとは私は思わない。(誤解しないでね)
私もお酒は大好きだから。

もちろん私の彼も飲みたい。
でも彼は仕事も見つかってない上に、お金もない。
それでも飲みたい。
私にはいいたくない。
それでウソつく。
そしてまだ火曜日だってのに、次に日の昼間まで飲んだくれてて。
言ってる事とやってる事が全くもって逆なのだ。
私は彼に家賃とかは8月まで待つからいいよって
言った事にかなり甘えてた。
私といる限り、ゴハンもただ。
テレビも見れる。電話もある。PCもある。
ベッドもある。
だから死にもの狂いで仕事を探そうとは全くしてなかった。
それどころか、これはしたくない・・・
これはやだ・・・とか言っていた。

ここは小さな町だし、失業率が高い町でもある。
学生ができる仕事といったら、限られてくるのにも関わらず、
彼はピッキーになっていた。
何もする事がみつからない彼は
飲むのに走りだすわけだ。

「仕事はすぐにみつからないよ」とあれだけ強く言っておいたのに
こうなることを覚悟しておいた方がいいよとも言った。
それでも「大丈夫。ちゃんと約束守るし、僕も変わりたい。」
なんて言ってたのに・・・・。

やっぱり、ダメだった。
いつもの様にお酒とだらだらした生活に落ち入っていた。
彼もわかってるのだけど、プライドが高いのか
それを決して認めようとはしなかった。

しかも仕事がないから昼間も一日中私の家にいて、
夕方私がバイトから帰ってくるとやっと行動し始め、
彼は私がいない間一人で家にいられる時間があるけど、
私は朝早く家をでで、疲れて帰ってくると彼がいて
「おなかすいた」などと言われると、
ゆっくり一人で過ごす時間なんてなかった。
私の家なのに家にいるととても窮屈に思えて
ストレスがかなり溜まっていたのだ。

そして先週お酒に酔った彼はまた毒を吐き出して
話にもならない事を言い出した。
そしていつもの様にケンカが始まった。
酔っぱらってる彼に何を言っても効かない。

その内私も自分が情けなくなってきた。
“これって私ヒモじゃん。”
私は今まで何度となく彼にチャンスを与えてきた。
酔っては色々言われ、次の日に「ごめんね、次はしないから。」
と誤る彼を許して、信じてきた。
「次はないだろう・・・」と。
でも今回は“さすがに・・・”だった。
楽しいから一緒にいるのに、楽しくなるどころか
ストレスを感じるのは・・・・。
だから今回は何度誤られても決して私は曲がらなかった。
そして彼は実家へ戻った。

帰ったその夜、久しぶりに一人で家にいることが
なんだかとっても新鮮で、すっごく気が楽になった。
チャレンジには失敗に終わったけど、
今回私は自分が少し強くなったのを実感した。
いつもなら誤られるとすぐ許してしまうけど、
今回はしなかった。
“エライ自分!”って思った。
皆にとっては当たり前じゃんって事かもしれないけど
私にとってはそうではなかったから、
たとえチャレンジに失敗しても、
少し成長した自分が見れて良かった・・・ってそう思える。
それでいいのだ。


2001年06月26日(火) そっとゆっくり


周りの風に流されて
自分が見えなくなったら

少し離れてみればいい

そっと遠くから見つめてればいい

ゆっくり焦らず・・・・
ただじっとしてればいい

風はいつかはおさまるもの


2001年06月25日(月) 最初のステップ

あなたの存在の意味
あなたの強さと弱さ
あなたの優しさがどのくらいなんて
他人が決めることではない

あなた自身が決めること

もっと自分をほめてあげよう

今日もガンバッタネ!
おつかれ様。
自分優しいじゃん!

どんな言葉でもいい
まずはあなた自身から始めよう

それが最初のステップ


2001年06月20日(水) 最近気がついた事。


最近私は詩やエッセイを見る機会が増えた。
昔からそういうのは好きだったけど、アメリカ来てからは
その機会がめっきり減ったんだよね。

最近見るその詩やエッセイは本に載ってるものでもなく
有名なものでもない。
友達が書いたものだったり、
知らない人のHPに載せてるものだったりする。

先日友達の一人が自分が書いた詩を見せてくれた。
その時「何気に私も昔かいてたんだよぉ〜」なんて
話していたら、「今度FAYEさんも書いて見せて下さいよ。」
ってその友達が言ったのだ。

その日の夜私は一人でゆっくりできたので、
その事を何となく考えてた。
「そういえばいつから書くの止めたんだっけなぁ」なんて
ことから考え始めてしまった。

あれは中学生の頃だったかなぁ。
昔私はよく日記をつけてた。
その日にあった事とか思った事とか
好きな人のこととか。(これが主だったね)
その日記の終わりにいつも少しだけ詩を書いてた。
周りの友達には恥ずかしくて書いてる事なんて言えなかった。
でもある日なんでかは忘れたけど、友達(今となっては親友)の
一人との交換日記の中に私は自分の詩を書いたのだ。
笑われるかなぁ〜なんて思ってたけど、
その子は逆に詩を書いてきてくれたのだ。
それからよく詩の交換日記みたいなのになったなぁ。

今から考えると中学生の頃が一番色々な事に敏感だったり
沢山の事を感じてたり、考えてたんだろうなぁと思う。
感動屋さんだったんだろう。
それを自分なりの言葉で置き換えて
また違った大切な物として覚えておきたかったんだろうと思う。

けっこうロマンチストだったのかなぁ?
私は小さい頃から自分の事を表現するのが苦手だった。
特に言葉にして言うのが苦手だった。
恥ずかしかったんだと思う。
それを言葉に置き換えて、書いて伝える
もしくはただ自分の中にとっておくのが好きだったんだろうね。

それを考えた。
詩とかを書くのって、ある意味感動とか感じる心がないと
できないものだと思う。
私はいつの間にかその心をどこかに置いてきてしまったみたい。
違う友達にも書いてみれば?って言われた時
本気で書いてみようとも思ったけど、書けなかったのだ。

ただただ過ぎてく毎日の中で私は何も感じず
ホントだただた生きてたみたい。
その日その時の事で精一杯でゆっくり感じることを
忘れていたみたい。
悲しくなった。
何か大切なもの失したみたいで。

この情報世代の中、物凄い勢いで新しいものや情報が
入り交ざって、それについて行くのに精一杯。
ちょっとゆっくり立ち止まってみたくなった。
また昔みたく感動屋さんになりたくなった。
時間と周りだけにとらわれたくない。
そう思った。
また書けたら書いてみようと思った。



2001年06月14日(木) 古き良き仲間。 (結)


6年近くの付き合いになるこの仲間達とは
私が日本に帰えれば必ず会う。
他の子達同士はちょくちょく会ってるみたいだけど
私はアメリカにいるもんだから、帰った時ぐらいにしか
会えない。
働いてる子達もいれば、医者目指して学生してる子達もいる。
メールや手紙のやり取りもたまーにしている。


最近じゃあ、皆やっぱり大人になってきてて
私だけが変わってない気がしないでもないが、
私は6年前に高校でこの仲間達と出会え、一緒に苦しみ、
泣き、笑って、いわゆる “青春時代”(古ーい)を
過ごせて良かったと思う。
大好きだよー!!!!


P.S
バボ・・・・ 次は必ず会おうね!
ネル・・・・ 仕事頑張ってるかぁ?
ミク・・・・ 手紙かいてちょーだい。メール早く持て!
べラ・・・・ 今どこいるの? 会いたいねぇ。
ミミ・・・・ 研究所、楽しんでる?
リラ・・・・ お土産に手紙ありがとう。返事待っててね。
ピノ・・・・ 相変わらず、ラブラブですかぁ?
ノコ・・・・ おじさん方の扱いにもう慣れた?


2001年06月13日(水) 古き良き仲間。 (続)


私はそれに吉Pーも大好きだったよ。
バカにされてた時もあったけど、私は何気に先生が朝練の時
体育館にある体育の先生用の部屋から朝練の様子をこっそり
覗いてたのを知っているんだぞぉ。
曇りガラスだったけど、先生、しっかり先生の少々薄い頭と
丸い顔が見え隠れしていました。(笑)


それに私が3Pシュートを頑張って練習してたの
先生も知ってたよね?!
先生、私が毎日朝練来て頑張ってたの何気に知ってたんだと思う。
高総体1会戦の時、残りあと5分くらいだったのかなぁ、
余裕で勝ってたうちの学校で、メンバーを何人か変えて
私も交代で入った。
すごく緊張してたの覚えてるよ。
「ナン」って先生にベンチで呼ばれて、オフィシャルのテーブル
に行って、選手交代を告げてブザーが鳴って入って。
仲間や後輩に「頑張って!」って言われた。
周りはうちらの学校の応援やら、他の学校の応援やら、色々な人
の声とかですごくうるさくて、先生が私に試合中何か言ってたの
だけれど、全くもって聞こえなかった。


私に何度かパスでボールが回ってくる度に、先生は叫んでた。
でも自分も夢中になってたし、うるさかったしで
ホント何も聞こえてなかった。
何度かきたパスのなかで “3P打てる!”って思ったのだけど
何故か私は他の人にパスをしてアシストばかりしていた。
結局その時点数は決める事なく、そしてミスもする事なかった。
試合終了のブザーが鳴って、先生の周りに皆で集まった時
先生が「ナン、お前は何で3Pシュートを打たなかったんだ!」
って言ってた。
その時、“あー、先生はこれを試合中言ってたんだぁ、”って
思ったのと同時に、打たないで迷っててて、結局友達のアシスト
をしていた自分を情けなく思ったけど、何よりも先生が
私が3Pを頑張ってたのを見てくれてて、そのチャンスの場を
最後にくれたのが嬉しかった。
THANK YOU,吉Pー!!


人情厚く、いきな計らいが上手い吉Pーはもう私の高校では
教えていない。 私は彼の元でバスケができて良かったなぁ
と思ってる。
もう5ー6年近く先生には会ってないなぁ・・・。
会いたいものだ。
次に会った時、「ナン、お前いい女になったなぁ・・・。」って
言ってもらいたいものである。


2001年06月12日(火) 古き良き仲間。(続 )


うちらのバスケ部は木曜日が部定(定休日)だったため、
その日は朝に練習があった。 それ以外の日の朝が別に
来なくちゃいけないっていうよな強制的なものではなかった。
いわゆる自主トレだった。
河原へ走りに行ってもいいし、筋トレしててもいいし、
シュート練しても良かった。
8時半からHRだったから、7:30AMには学校に来て
約1時間ほどの自主トレが、暗黙の了解だった。


私たちの上の先輩は毎日全員が(マネージャーも含め)来てた。
それがすごい印象的だった。
だから私らも自然と毎日来るのが当たり前となっていた。
私らの後輩は(ボイコットの時に話し合いでいわれたよね。)
別に自主トレなんだから、来たい時来ればいいし
自分らは自分らなりにやってる、、、という感じで
朝来るのもまばらだった。
たまに確かに来なかったり、来れなかったりした時もあったけど
うちらの代は皆毎日来てたよね。


メチャメチャ遠い所に住んでたりするのに、私(チャリで15分)
より早く来てる時は、私カンドーしてた。
レギュラーで出れなかったり、試合にさえも出してもらえなかったり
したのに、練習毎日来て、朝練も昼練も誰よりも頑張ってる姿に
私もガンバロウってよく励まされたんだよ。
うちら才能あった方かない方か、って言われたら、あまり
なかった方だったけど、努力してたよね。


私は今でも鮮明に覚えてる、三女校戦。
下馬評では二女が1位、三女が2位、そでぃて一女(我ら)が
ビリだろうって言われてたけど、ドンデン返しで、
うちらが1位になったんだよね。
リポDとか試合の間に飲んで、皆体力の限界の中で頑張ってた。
私はベンチでの応援してただけだったけど、皆と一緒に
燃えてたよ。
この時やっぱり1コの差の大きさを思った。
いつもなら調子のいい後輩が、すごく調子が悪かった。
緊張していたのだろう、、、、。
本番に弱いのか、、、、。
でもリラにミク(部名だからいいよね?)がそこをしっかり
カバーして、カバー以上にリードしてた。
緊張を逆に闘志に変えてた。
安心して見れた。
さすが先輩って思わせるものあった。


最後の高総体。
運悪く2会戦で優勝候補の学校と当ったよね。
でもうちらすごかった。
後輩・先輩、チーム一つになってた。
相手の高校焦らせるくらいのゲームをしたんだよね。
あとちょっとで、、、、っていう点数差にしたんだよね。
皆とバスケしてて本当に良かったぁ、、、って思ったよ。
同じ同士でもめたりした事もあったけどね。


2001年06月11日(月) 古き良き仲間。 (続)


最初12人いた私らの代の子達も何人か辞めていったっけ。
最終的には9人になったんだよねぇ。
2年半の間にたくさん色々な事あったよ。
自分らが1年生の時は先輩と先生の言う通りにしてれば良かった。
でも実際自分らが2年生になって、3年の先輩が抜けてからは
自分らが逆に後輩をリードしていなくちゃいけなくなった。


キャプテン、副キャプテンが先生が決めてた。
私はその頃、自分のレベルの低さに結構悩んでてた。
やっぱり中学校の時にやってた子達にはかなわないよ。
基本が違うし、ボールの扱い方にも差があった。
辞めようかなぁ、、、、とも思ったりしてたっけ。
マネージャーっていう立場もあったのだけれど、気がついたら
他の子がなってるって決まってて、先生に自分の事を
話そびれてしまったっけなぁ。
まぁ、そんな感じで、うちらの代のバスケ部が始まった。


うちらの代、正直言ってすごく上手かったわけじゃなかったよねぇ。
(私が言える立場じゃないけど、もう時効でしょう。)
下の子達の方が上手くて、レギュラーの中に入ってたメンバーも
2人以外は3人が後輩だったり、時には5人全員が後輩だったり
したこともあったよね。


一時期、吉Pー(先生の名前・ニックネーム公開)の事
あまりにも悩まし過ぎちゃって、
髪の毛薄くさせちゃったりもしたね。
見捨てられかけた事もあったよね。
そして極めつけが、後輩全員によるボイコット。
皆で驚いたし、怒りも湧いたし、何よりも悲しさと悔しさで
ワンワン泣いたよね。
その後しばらくあんなに仲良かった後輩との間が
ギクシャクしたりしてよね。
後輩なしでは練習さえも一通り出来ないくらいの人数だったし
レギュラーの割合も後輩の方が多かったから、
私ら後輩に強く言えなかったよね。
やり切れない思いと、悔しさが少なくとも私にはあったなぁ。
自分がもっと上手かったら、、、、ってね。


でも私は皆を誇りに思ってた。
今も誇りに思ってる。


2001年06月10日(日) 古き良き仲間。 (序)

先日私の家に高校の友達から、小包みみたいな物が届いた。
突然だったから、ビックリしたし嬉しかった。
中には手紙と一緒に、彼女が旅行に行った所の
お土産が入っていた。
ありがとう。
考えて見ると、高校を卒業してからもう6年も経つ。
早いものだ。


私が地元の県立の女子校に偶然にも受かり、
そこへ3年間しっかり通った。
しっかり、、、というのは、朝と夜には必ず学校にいた
ということだ。
私は高校に入ってからも部活をしたかったので、中学の時に
していたバレー部に入ろうか、それとも前々からやりたかった
バスケ部に入ろうか迷っていた。
一緒のクラスになった子の中に、たまたま中学の時にバスケを
していて、バスケの見学に行くと言ってた子がいたので
私も一緒に行った。
その時はまだ自分の中でどっちをしようか決めてなかったのにも
関わらず、以外にも小心者の私は、マネージャーさんが
「バスケ部に入るの?」と聞いてきた時
「ハイ!!!」と言ってしまったのだ。
今でも覚えてる、あの時の状況。
すっごく喜んでるマネージャーさんが、たくさん話してくれたっけ。
そのとなりで私は話を聞きながらも、“どうしよう、、、、”って
かなり焦ってたんだよね。


周りにいる子達は皆経験者。
運動が好きな私は小学校の時にバスケを少ししていたし、
一通り何でもスポーツができる方だった。
少しはバスケも知ってるし、好きなスポーツの一つだし、
皆もいい人っぽかったので、結局バスケ部に入ることにした。


さよなら、バレー部、、、、、、。


2001年06月06日(水) こういうのもありだよね?! (PART3)



いい感じでテクノを流していた。
しばらくそれに聞き入ってたけど、酔いもあったせいか
“チャンスを逃しちゃダメ!!”と自分に言い聞かせ
私は立ち上がって、Sのそばへ寄った。
寄ってきた私にSが気ずいた。
するとSは“ターンテーブルの使い方とか知ってる?”って
話かけてきた。  私は全くもって知らなかったので
“No”と答えたら、彼は1つ1つ説明し始めた。
“これはこうでね”という感じに。
ヘッドフォンは何のためなのか気になっていた私に気がついた
Sは自分の首からとり、私にヘッドフォンを付けさせ
“ほら、聞こえる?”なんて感じに色々話してくれた。


自然にこんな風に話してた時間がすごく幸せだった。
そして私はレコードを見始め、“彼もこのレコードは・・・”
と話していた。
そうしている内に人がリビングに戻ってきた。
“あぁ〜、もっと二人でいたかったなぁ。”って本気で
一瞬思った。
彼氏もリビングに戻って来て、リビングに皆来たので
Sもテクノを止め、最初に流れていた音楽に戻し、Sもソファーに
座り,皆と話始め、私も彼氏の隣に座って皆が話してるのを
聞いたり、犬とじゃれて遊んでたりした。


私はあと2ヶ月くらいで今いる所からLAへ行く。
Sはあと1年ほどこの学校にいて、卒業したらしばらくこの辺で
仕事をしてお金を貯めて、他の国とかに行ってみたいって
前に話していた。
何も起こしたくない・・・って自分もいるけど、Sと会うと
すごく幸せになる自分がいる。
彼氏にも悪い・・・って思う。


私は自分に自信がないうえに傷つくのをすごく怖がる。
だから好きな人に積極的にはあまり行動しない。
それに人と別れる時ってすごくエネルギーを使う。
今はゴタゴタした事をあまり起こしたくないのだ。
だからズルイけど、もし彼氏と別れるならLAに行ってからに
したいって思ってた。
彼氏の気持ちを考えると私は勝手でズルイ女だなぁ・・って思う。


彼氏の事好きって気持ちもあるんだよ。
それにSに対しても、何かをしたいって気持ちはない。
ただLA行くまでの間にもっとたくさん話をして
私の事をもっと知ってもらいたいだけ。
会って話がしたいのだ。


こういう気持ち・・・・ありだよね?!


2001年06月05日(火) こういうのもありだよね?! (PART2)


この日私の彼はSがしているDrugの事で
Sにかなり嫌味をぶちまけてた。
彼氏は一言一言に今日友達から聞いた
SがしているDrugの事を含めていた。
いやらしかった。


Sは久しぶりに会った彼とのフツーに話をして楽しみたい様子なのに
彼は依然として嫌味な言葉しか言わない。
それなのにSはただ何も言わず彼の言ってる事を冷静に聞いている。
“私だったら、とっくにキレてるのに・・・”って聞いてる
私が嫌な気分になったくらいだ。
Sが唯一私の彼氏の嫌味な言葉に対して言った一言は
“お前なんでそんなに不機嫌なの?”と軽くかわしている
言葉ぐらいだった。
とにかく冷静だった。


もし勝ち負けを決めるものだったら、
“一本やられました”ってところだ。
ガミガミ嫌味ったらしく、遠回しで言ってる彼氏に
ただ冷静に聞き流し、時には笑ったりして、最後に言った一言は
遠回しにしか言ってない彼にはキツイ所をつく言葉だ。
私の彼氏はその場を立ち去った。


私とSと二人っきりでリビングにいた。
私は酔いがかなり回っていたが、ドキドキしてるのは分かった。
“どうしよう。  何か話した方がいいよなぁ・・・”とか
“今話しなきゃ、今度いつ次会って話せるかだよ、Faye!”とか
一人で色々考えてた。
Sはリビングにあるターンテーブルのところに立ち。
レコードをあさり始めた。


To Be Continued......


2001年06月04日(月) こういうのもありだよね?! (PART1)



前々から書いてるけど、私には付き合って2年半近くなる
彼がいる。 よく泣かされたし、ウソもたくさんつかれ、
何度か別れた事もある彼がいる。
でも3〜4ヶ月前くらいから、私はある人が気になってたりする。
彼の仲間友達の一人である。
彼は私の彼氏と同い年ではあるけれど、彼は童顔で、しかも小柄。
顔はカワイイ。
多分日本にいたら誰もが“いい”って顔をしている。
金髪にブルーアイ、おまけに綺麗な白い肌。
知り合った当時から、その彼の事一度も意識した事なかった。
年下の分、 “カワイイ〜*”ってカンジだった。
よく彼氏と友達と一緒に飲んだりして、彼の事見てたりしたけど
物静かな所や、周りが誰かの噂話で盛り上がっていても
ただ黙って聞いている姿を私は“エライなぁ”としか思ってなかった。
でも彼氏と中距離になって、私も自分の中での彼氏に対する
気持ちが落ち着いてきた頃、妙に彼(仮名S)の事が
目に入るようになった。


知り合って2年ほど経つ間に、年相応というのか、
童顔のキレイな顔立ちが妙に大人っぽくかっこよく見えるようになり
周りがバカみたく人のウワサ話で盛り上がってるのに一人静かに
黙ってその場にいる姿が妙に優しく見えたり。
他にも色々と今まで気ずかなかった部分が見えるように
なってきた。  とういか、私は多分違う角度から
見るようになったのだと思う。


先日彼氏の友達が私の家に遊びに来て、しばらく私の家で
飲んでいたのだが、ビールもきれた頃その友達の家でまた
飲み直すことになった。
“もしかしてSもいるかなぁ・・・”なんて少し期待しつつ
彼らの家に行った。
家に着いた時彼はいなかった。
“残念・・・。”なんて少し思ってたけど、
そこで飼ってる犬達と戯れたりして一人で楽しくなってた。
酔いも回ってきた頃、Sが現れた。
“What's up, Faye?”と少しだけ会話した後
彼は久しぶりに会う私の彼氏と話を始めた。


To be continued.....



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