2007年08月04日(土) |
おはなし「最初の記憶」 |
人生の1番最初の記憶については、頻繁に語られるテーマでありますが。
私の場合、そうと思われるの最初の記憶はハイハイベイビーの頃。深夜に薬棚から薬瓶を取り出し中の錠剤をガッポリ食べ、救急車を呼ばれて家の玄関を出るといったモノ。それは映画みたいに映像として記憶されているのだけれど、錠剤をガッポリ食べるシーンまでの映像は、第三者からの視線みたくベイビーの姿が映像内におさめられている。家の玄関を出るシーンの映像は、ハイハイベイビー自身の目線がカメラレンズとしてあり、その映像内にベイビーの姿はない。大人の胸程度の高さから、つまり誰かに抱えられた状態で家を出る時に見たと思われる視界が映像としてある。誰かにそう教えられた記憶はないけれど、その映像が確かに私自身の中にあって、何らかの事情で自分が作り出した物語かと疑ったりもしたが、それに関連する他の話は一切なく、独立して確かに私に記憶されているので、多分、実体験なんだろう。実際、映像とともにある人生における2番目と3番目の記憶は幼稚園への登校シーンで、それらはアルバムからも、親の話からも実際の出来事なので、1番目の記憶、ハイハイベイビーの映像も実体験であると思われる可能性が非常に高いと判断している。2番目の記憶は幼稚園に到着して大泣きしているシーン。3番目の記憶は幼稚園に登校する途中「いつも一緒に通ってたでしょ」と言われて、2人の仲良しを通園路で誘って手を繋いで一緒に幼稚園に行くシーン。このお誘いした2人に関しては他に細かくあるんだけれど(笑)、それはそれとして。2番目と3番目はどちらが先なのか不明で、2番目の記憶のが日程的には後日だったのかしれないけど(笑)、それはそれとして。後、印象的な映像として確かにあるのが、機上(ヘリコプターか小型飛行機)から水不足である土地を窓越しに見下ろしている映像。このシーンには私自身の姿はなく、私の目がカメラのレンズとして、その風景を窓越しに映していると思われる。小学生の高学年程度になって水不足で給水制限が施行されるニュースが耳に入る度、「お水がなくなったらどうしよう」と不安を感じるとともにこの映像が浮かんできた。ただ、その記憶風景に対して「大変だ」と感じている印象はあるものの、このシーンには目線の位置に誰かが一緒にいて、私は一緒にいる誰か達のお陰で絶対的信頼と安心も感じている。その映像が浮かぶ事に関して考察する事がなかったのだけれど、前述1〜3番目の記憶が映像として自身にある事から、ひょっとして1番目以前に体験した記憶かもしれないと思い至った。
脳の発達過程における記憶システムが、発達するに従い、その体験時の映像空間に自己の姿まで第三者的に納められるようになるモノだとしたら。前述の、私の中にある映像は全て実体験だと考えてもよいのだろう。水不足の土地を空から眺めたのは、脳が体験記憶映像に自己の姿を反映できるようになるまで発達する以前の体験。薬を一気飲みして救急車に運ばれたのがその次。体験に自己の姿を反映できるようになるまで発達していた為、薬を飲んでいるシーンには自身の姿がおさめられている。それが、錠剤を一気飲みした事によって脳が急速に破壊され、自己の姿を反映できない時期の脳にまで後退したものの、記憶に納められた為、家の玄関を出る時の映像には自身の姿がなく、自身の目がレンズとなったその風景が映されているのかもしれない。
幼稚園関連の2番目と3番目の記憶映像には自身の姿が、第三者からの映像みたく確かにあるので、なんとか復旧したって事か(笑)。まがりなりにも今ここにいるし(笑)。そうして、その後、成長に応じて印象深く普通に記憶されている事の数々は、常に映画のシーンのようにその記憶映像の中に自身がおさめられている。
それにしても。
錠剤一気飲みなんて。
まるで自殺でもしたかったようだ(笑)。 ハイハイベイビーで自殺未遂を計るなんて、一体、なにを体験し、 それについてどう感じたんだろうか(笑)。
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という、おはなしはどうかな。
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