珍しく夕飯のあと みんなで揃って しばらくテレビを観ていた
なにかおやつをと思い 頂き物だけど減らない 卵ボーロみたいな 豆乳の軽いスナックを そのままでは物足りないので チョコを少しの牛乳で熱し とろーりとしたフォンデュにして 浸しながら食べた
それは予想以上に美味しくて 長い竹串で ざくっと突き刺しながら ワイワイやっていると リスが現れて スナックをひとつ 両手で抱え込んで がしがしと齧り始めた
んで いつものように しばしそうしたあと 突然手からポロッと落として まるでなかったことのように 興味は他に移り またしばらくして今度は 手をつけていない新しいのを チョイスして齧るのだ
まったくう と怒るわたしに 自分で選びたいんだよ と判ったようにムスコが言う 同じような場面は 何度も目撃しているので あえて与えられたものじゃなく というのは確かな気がする
それからも くるくると動き回るリスを相手に こいつで良かったのかもしれないな と言うを聞いて 小さなケージに入った何匹もの中から そのコを選んだときの なかなか掴まらなかった ペットショップの人の 泳ぐ手を思い出していた
ほんの握り潰せてしまえそうな 小さな生き物なのに その個性は今や 我が家に欠かせない 大切な一員となっている これがきっと他のコだったら 回し車を上手に使えて ケージにきちんと居られるコなら 放し飼いなどしていなかったはず
こいつでしかあり得なかったんだよ 人間もそういう出会いがあるように
そんなコトを言いながら ふと 人間なら尚更 ケージに納まり切らないのは 当たり前だよなー なんて 改めて思うのだった
先日 怒涛の長時間労働があり その後遺症でカラダはがたがた 毎日早寝して 休日の今日になって ようやくすっきりしてきた
んでその時に リメイク服で 全身を固めていたのだけど 実は 絹地の重ね着 というのは初めてで その感触ったらもう
きちんと縫い合わさった 表地と裏地の絹 とはまた違う それぞれのかたちが作り出す 身体に添ったところと 余分の空間を しゅるしゅると小さな音を立てて 絹どおしが鳴る
それは 着ているわたしにしか判らない のだけれど その中に居ることの 例えようのない心地よさで なんだかやたらと 心の広い人になったみたいで
次は やっぱりコートかな なんて思いながら その前にサイトに商品アップ 近々に画像を撮る予定 初めての売り物メンズだ
今日はひとりでフルの店番で 重く大きな荷物を 梱包しなきゃならず 発泡スチロールとか 板切れとかが絶対必要だし こりゃ時間が掛かるぞと 朝から気が重かったのだが
出勤してみたら 見慣れないどでかいのが どーんと置いてあり 到着した荷物にしては やけに馴染んだその様子に しばし考え込んだ
おー ひょっとしたらこれわ と思い 営業の男の子に聞いてみると やっぱし 昨日のうちに 梱包していてくれたのだった うう 嬉しい
それで喜んでいたら 事務所の女の子が いいですねえ と沈んだ声で言う ごめんね こんなコトで幸せいっぱいに なれちゃうわたしなのだ
っていうか ひとりで格闘することに 慣れているから 会社って形態は 全部ひとりでやらなくていい というあれこれが 日々溢れていて もう本当に本当に有難い
当たり前のことを 稀有に思うための仕掛けが 人生の中には いっぱい組み込まれている あえてそれを感じたくて 自分を追い込んでいる部分もあるが
いつまでも柔らかく そういうコトを キャッチできるようでありたいな
プロポーションを綺麗に見せるように 工夫された服の本を見ていて あえて身頃に切り替えを入れるとか 肩をなるべく小さくするとか なるほどーと感心した後に
落ちる位に大きい肩幅の服から さらっと覗く鎖骨なんかを見た時に 包まれた身体の美しさを想像させる そういうのだって アリだろうと思う
前者は最初から 見られる対象としてボディがあり より理想的な数字に近づけるべく 計算され尽した ころも という鎧で被うワケなのだが
それはなんだか キリない人間の欲望を 具現化しているようであり そういうコトで 発展してきた分野は沢山あり 行き着く所まで行って 忘れられていた価値観が 再認識されてもいる
なんか さいきんおもう 服にも 自給自足があっていい
原型からミリずらすとか 開いた分の弛みをこっちで取るとか そんなことを一切知らなくても 特に手作りが好きで 生活を楽しんでるワタシを 演出するのでなくても
ただ普通に家庭で服を縫って着る
そういうことのために 何かできないかと考え 考えては転がしている
2008年10月20日(月) |
アシンメトリーなトップス |
Tシャツ感覚で着られる ユニセックスなトップスを と思って始めたのが 終わらないったら終わらない
平織りの 柔らかい絹 ってこともある だがそれよりもまず イメージにあるかたちを 型紙に落とそうと思ったのが この苦難の道への第一歩だった
おー 上の段落 三角に広がった文字の連なり って そんなことはともかく
かたちはごくシンプルで ただ 襟ぐりの合わせが アシンメトリーで そのために肩の長さも違って 机上で図を描きながら 既に頭は捻れていた
んで ようやく縫い始めたら 今度はその襟ぐり部分に 別布をどうやってつけたらいいのか はたまた 開きの処理はどうするのか いちいち立ち止まり熟考 あっという間に時間は過ぎて行く
そんなこんなで 何とか肝心な部分は終えた 後はともかく 余計な判断をはさまず 最後まで進むことだけを 考えて縫おうっと
ほとんど放置の コンクリート庭に 紫式部が実をつけていた
その劣悪な環境にも関わらず 段の隙間から 数本枝モノが伸びていたのだが 今年は何故かシソの収穫もなかったので たまにプランターの胡桃に 水をあげる程度で 注意して眺めることもなかった
やけにするんとしなって どんどん伸びた枝が まさかそれとは思ってもみず 花芽がついたのにも気づかなかった そして今も ほとんどが裸の枝に 僅かに残る葉には 茶色いのと緑のドデカい芋虫が鎮座
しかし確かに艶々とした紫色の 小さな粒々が数カタマリついていて 思わず我が目を疑った いやー そうだったのかー そもそもそれはどこから来たのか 判らないけれど嬉しい
もっと鈴なりになって 各枝にいくつもついたら 部屋の中に飾ることができる 来年は可能になるだろうか と考えて ふと やっぱり来年もこの家にいるのか と思って暗くなる
はあ 考えまい 考えたらストレスになるだけだ それでも咲く花がある とせめて思おうじゃないか
買ってきたボタンをつける前に 仕上げの洗濯とアイロン掛け ついでに 自分用の服と 夕べ解いた羽織二枚も 丁寧に手洗いした
その羽織 一枚は次に縫う予定のに 少しだけ使うつもりの柄モノで 縮緬錦紗だから 多少の縮みは想定していたが もう一枚のふくれ織りみたいな 黒の地模様のは ぎっちり固くなる程だった
夏にオーダーをいただいた 絽ちりめんどころの騒ぎじゃない ラフにアイロンを掛けても なんら変わりがなく ぎゅうっと手で伸ばしてようやく もとの模様の片鱗が窺える
かさかさの手触りだったから 例えば裾とか袖の 肌に触れない外側に アクセント程度にしか使えない と思ってはいたが ヘタに延ばすと後の手入れが大変だし そのままでは厚みがありすぎて 釣り合いの取れる生地が見つからない
洗って愕然ということから 暫く遠ざかっていたのだが 特にこれは糸を抜く度にホコリが酷く もう本当に投げ出したい気持ちで 息を詰めながら解いていたので なんだかなんだかなーである
とりあえず 半乾きのを また物干しに掛けて いつかそのうち 小物にでもしようかと自分を宥める 何年も寝かせた布だってあるんだし そうそう結論をあせっちゃいけないな
金木犀の香りが 随分と柔らかくなってきた
雲ひとつないそらと 苔の庭にぱらぱらと落ちる 橙色の花を見ながら 炭を熾して 昨日に続きゆるやかな時間
いいのかな と思うほど なんだかとても贅沢で どこか遠くへ出かけるより 遥かにぽっかりと 日常を離れた空間へ 旅をした気分になった
そうして夜はいつもの FMを聴きながら布に向かう そこに登場する子ども達の 格闘に胸を痛めて けれどもどんなに孤独だって 自分を嫌いになっちゃいけない どんなに小さなことでもいいから 幸せの種を見つけようよと思う
いつかそんなことも 想い出になる時が来るよ そうなった時 経験した分だけ 広くて強い自分になっている そう思いながら わたし自身にも言い聞かせて
さあ 毎日少しずつ縫い進んで ようやく仕上げが見えてきた もう苦手なんて考えない 苦手だから 好きになるまで頑張って 楽しめるところまで行ってみよう
フルのバイトが連続し 明日の休みを前に 一番緩める友人と お酒を飲んで とりとめもない けれど普段は話せない よしなしゴトをあれこれ
本当にお互い 違うトコロで こんなに苦しい時期を 過ごそうとは 一年前でさえ 思ってもいなかった
出会った頃も まさかそれぞれの先に こういう人生が待っているなんて 予測できなかったのだけれど そんな現実に オロオロしながらも立ち向かう たったひとりの格闘の 少しだけ離れた所にお互いがいる
そのことと 予測できなかった今は プラスもマイナスも含めて 欠かせない大切なピースとなって わたし達を まだ見ぬ未来へ連れて行く
もうかつてのように ただ夢を描いては暮らせないが 見果てぬどこかに飛翔するのでなく 大地を踏みしめて すぐにはクリアにならないことを それはそれとして 生き続けて行かなくてはならない
けれども それは特別なことじゃない 誰にもかたちを変えて訪れる 人生の波ってやつだ だからこそ 精一杯格闘して ダメな自分にヘタって それでもまた来る明日を迎える
自分次第では どうにもならないこと 時には その自分でさえ どうにもならないのだけれど まだ お互いを生きていける
ただそれだけの予感で わたしは この今の一瞬を シアワセだと思えるのだ
気が付けばなんだか ミシン恐怖症が 消えている のかもしれない
いや それ以前に 他のことと 縫いへの切り替えが 随分さくっと 出来るようになった フルのバイトで どろどろに疲れても 布に触れない日はない
もっとも 夕飯を終えさあやるぞと 前日縫った所を ひっくり返す途中で 意識を失ったことはあった 夜中に寝なおしたが その秒殺には さすがに我ながら驚いた
やればできる というよく聞くコトバは できる以前に どうしたらヤレるようになるか がとっても難しい どんな目標を設定しても そうするしかない必然があっても やれない時はやれない
またきっと 立ち止まる時が来るだろう けれどそれは もっとバージョンアップするために 必要な調整の期間だったりするのだ その間に エンジンを付け替えて もっと効率のいい 代替エネルギーを見つけたりする
死ぬ間際に 自分を振り返って こころから満足できるように もっともっと 快適な走りを目指そう
次のを縫う前に もっと効率のいい 各部の縫い方やコツ を知りたくて 図書館へ行ったり ネットで調べたり
しているうちに 工業製品の縫製について 初めて知る貴重なアレコレを 掲載しているサイトを見つけ 暇があれば読んでいる
勉強にはなるのだが その世界はあまりにも究極すぎ ミリ単位でのパターンの変更とか はまっていくうちに 何かにつけ まだまだな自分を認識
分業でベルトの剣先の部分ばかり 一日に何十個とか そういう仕事をこなしている人と 自分を比べても仕方なく あまり細部にばかり突っ込んで行くと まとめ上げようとする力を失う
なので それはそれとして 気を取り直して 以前作った型紙で 今度はまた少しだけ 新しい試みを入れて シャツジャケットを 縫うことにした
けれどそろそろ ボタンを物色して来ないと 合うのがないかもしれない しばらく姫路行きはないから 地元で何か探そうかな
ここんとこ バイト先で数日 新しい家がどんどん増えている 最近になって拓けた場所で ポスティングをした
ひとつひとつの家に ちゃんと隙間があって 残っている緑の空き地から もっと向こうの いつもの山々から 爽やかな風が吹き抜ける
古い家ばかりが密集した うちの辺りの様子とはまるで違い この地に特有の 湿気とは無縁みたいに さっぱりと気持ちのいい空気を つかの間堪能した
昔ながらの古い家も素敵だけれど 明るい色の お菓子みたいな家も可愛い そして一風変わった建物の 集合住宅がいくつかあって こんな所に住んだら 楽しそうと思えた
そのことともリンクするように 洋服なりのかたちを リメイク服に落とすことに 以前よりも 抵抗感がなくなったのに ふと気づいたこの頃
いろいろあって その時々 チョイスできれば それでいいかななんて 少しはわたしも 大らかに 変わってきているのかもしれない
2008年10月02日(木) |
泥藍大島のチュニック |
うーん ようやく完成 充実感いっぱい 何度味わってもイイ
今回のは特に 色変わりの激しい 古い泥藍大島だったので トーンが同じになるように パターンをはめるのに苦労した 決めた裏表を 間違えて裁ち直したり 足りなくて別布を接いだり
その別布のお陰で 稚拙な十字架のような 素朴な柄が生きた のはいいが なんだか可愛くなりすぎ サンプル兼自分用にしては 似合わない とギリギリまで思っていた
けれども 最後の最後に 胸のスラッシュ開きに 外国のアンティークの ブラスボタンコレクションの中から チョイスしたのをつけたら 雰囲気は一変して ゴシック風になった
ああもうこれは 最初から決まっていたんだ 久々に感じる ぴったり納まった気持ちよさ 探り探りの果ての この感覚もやっぱり捨てがたい
何があっても 縫いは揺らがない そういうところに また少しだけ 近づけた気がする
父性が欠けているから かもしれない
その言葉を使ったのは たぶん そう言った方が 誰もが 納得しやすいから
わたし自身 それをスケールに使っては 何度か状況をクリアにしたい と思ったけれど 本当はそんなことは 問題じゃないのだ
だって 自分のことを考えても 父性があったからって それは自分の足で歩くための 何の助けにもならなくて いつかは自らの手で 道を見つけなきゃいけない
それが 却って父性があることで 遅くなってしまった かもしれない例その一 としては そう言った後 モヤモヤと 拭えない不快感が残った
いや いいんだしょせん どんなに言葉を変えたって その言葉は本人のためにあるのじゃなく 周囲のためにあるのだし どうするのがいいか なんて わたしには本当は解らない
ただ思うのは 自分のことを振り返っても その時の状況を 周囲がどう受け取ろうが 本人は何の心配もしていないだろう ということ
確信とは程遠く どんなに中ぶらりんに見えても 自分の中の何かが ブレずにあることを どこかで判っているはずなのだ
だからこそ わたしの所に生まれてきた わたしは それだけを 判っていればいい
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