ゆりゆり日記
こうのとりの郷豊岡より
そこで出会うすべてのひとと
日々の想いの種が
なににつながりどこへ行くのか
未来へ続く今の日記

2007年12月30日(日) 仕事

片付けるべき仕事が
既に決まっていて
時間で賃金が発生する
そういう状況と
あまりに無縁だったので
本当にいいのだろうかと
戸惑う気持ちがある

社会が必要と
しているからこそ成り立って
その仕事は
しっかりと人に役立っている
そういう世界から見る
普段の生活に
また戸惑いを感じる

判ってはいるのだ
既にシステムが確立された仕事も
最初はそうではなかった
長い年月の間に
少しずつ必要度が認識されて
それとともに
試行錯誤されてきたはず

その中で働いてきた人たちは
いつかの遠い未来じゃなく
ただ今の目の前の仕事を
きちんと正確に成すことに
こころとからだを尽くしてきた
そういう積み重ねの上に今がある

ただそれだけのこと
その当たり前のことが
やっぱりいちばん難しい



2007年12月26日(水) リメイク同士

ナゼか今
午前中に縫い
午後はバイトの生活
まあ
経緯はいろいろなんだけど
ともかく短期

んで
初日の帰りがけに
偶然わくわく市のお客さんを見かけ
声を掛けてから
仕事中にも少しだけ
ひと目をはばかりながら
言葉を交わした

今日は
自作のリメイク服を持って
ささっと見せてくれた
わくわく市でも
素敵なリメイク服を着ていて
布へのこだわりも
相当ありそうな感じなのだ

しかもその服は
薄く真綿が入れてあると聞き
もっといろいろ詳しく聞きたいのに
できない状態が
あまりにももどかしかった
うー

でもきっと
ここで出会ったのは
大切なリンクだと思え
期間中に絶対
ゆっくり会う約束をとりつけよう
と心に誓ったのだった



2007年12月21日(金) 自立

昨日は知人のお見舞いに

以前からの持病のせいで
身体が不自由だったのだけれど
今回は別の理由で4度の手術
その前後何日にも渡って
記憶がないのだと聞いた

数ヶ月が経ち退院した今
リハビリを続けながら
以前と同じことを
時間が掛かっても
何とか出来るようにと
頑張っておられた

頑張るとは言っても
ギリギリと無理をしている風ではなく
逆にさらさらと達観しているワケでもなく
ごく普通に見えて
その普通さゆえ
底知れぬ強さのようなものが
内側に溢れている気がした

彼女からは
障害者だから
という言葉を聞いたことがない
個有の状態について語ることはあっても
自分についても他人についても
そういう括りをしない

だからなのか
彼女の周囲には
一緒にものを作りご飯を食べる
沢山の人たちがいて
括りでは表現できない
そういう集まりの中で
生き生きと活動されている

他人に手を借りることと
自分にしか出来ない何かで
誰かを導くことの両方が
自然にバランスされていて
わたしは思わずそこに
自立
という言葉を浮かべる

一緒にいて
何かしてあげなきゃの切迫感や
健常者であることの罪悪感を
感じずに済むのも
きっと彼女が
自立しているせいなのだ



2007年12月18日(火) 水瓶座時代

今年は
生活が大きく変わった
いくらもがいても
抜けられなかったところに
自然とオワリがやってきて
あっけなく自由になれた

それはちょうど
占星術的に言われる
火星年齢から木星年齢への
移行と重なっていて
しかもわたしのそのふたつは
蟹座と水瓶座という
ほぼ180度違う場所にある

落差が大きいことを
知識では予期していたつもりだが
実際にその日々を経過してみると
解かれたはずなのに
次の時代の進み方は
相変わらず蟹座的なことを
考えたりしてしまう

けれども
頭でいくらそういうことを考えても
なんだか思うように行かない
そしてふと
まるで生まれたてのこどものように
水から空気のある場所へ出たことを
ようやく実感するのだった

木星のある第二室を
どう発展させていくかが
これからの大切な課題となる
二兎を追うことはできない
なんて思っていたけれど
その発想がそもそも
既に後にしたものではなかったか

少なくとも
自分で囲いを決めてしまうのはやめよう
空気はこんなにも軽いってことを
たっぷり吸って味わったら
いろんなところへ
風のように
飛んで行けるかもしれない



2007年12月16日(日) 赤いオーラ

友人がサポーターなので
レッズの試合をチラ見し
その絡みで
決勝戦まで見てしまった

ミランの選手たちは
白を着ていたせいもあって
なんだかとても大きく見えて
なのにその動きは
あくまでも芸術的で
サッカーというのは
とても美しいスポーツなのだと
初めて知った

なんかこのところ
あまりに静かな生活を送っていて
毎日少しずつ縫いながら
こんなのもいいなーと
半ば自分を騙していたのだけど
もう半分のわたしが
やっぱり違うだろと
ムクムクと存在を主張しはじめた

ずうっと紫色だった指先のオーラは
いつしかピンクになり
それはいったい何故なのか
不思議に思っていたら
とあるチャレンジのチャンスが訪れた
久しぶりに魂が高揚するような経験に
ピンクははっきりとした
レッズカラーに変わった

YESかNOか
または
勝ちか負けか
結果が全てではなくても
曖昧な中間はなしにして
そういうことが欲しくなるときが
バイオリズムのようにやってくる
サッカーの試合を見ていたら
つくづくそれが今なのだと気づいた

玉砕しても
きっと何かが変わる
そんな予感がするほど
今のわたしは赤く染まっているのだ



2007年12月10日(月) 生きるちから

昨日テレビで
瀬戸内寂聴さんを取り上げていた

たくさんの人が
月に一度の
法話を聞きに訪れて
お話のあと
発言した人は
それぞれの思いを
どっと溢れさせていた

その感情の表出は
衆目の中に居ながら
あまりにも激しくて
自分が指さされるときまで
誰に見せることもなく
じいっとフタをしてきたのが
ようやく堰を切ったかのようだった

何度となく
繰り返し思い
絡まり留まり続けたことは
きっと
そんなに簡単に解決はしない
けれども
そうやって捏ねて固まったものを
一気に抛ることができたとき
何かが少し変わると思う

ただ
経過のなかにわたし達がいることを
寂聴さんは
上位自我のように訓えてくれる
耐えられない苦しみ悲しみで
自分の中の時間を止めようとしても
日々はずっと続いて行く
わたし達の人生にはもっと先がある

抛る相手がいなくても
本当は
ひとりひとりの中に確りと
溜めた苦しみと同じくらいの大きさで
生きていくちからもあるんだろう
人生のオワリは
自分が決めることじゃない



2007年12月06日(木) 雲を縫う

真綿入りの服を作るにあたって
綿入れ作りの工程とか
座布団の綿の入れ方とか
参考になりそうなのを探したが
それらは木綿の綿なので
性質が根本から違うのだった

んで
最初は単純に
出来上がった裏地部分に真綿を広げて
周囲を縫い付けたのを
表地と合わせればいい
と考えていたのだが
裏地に袖をつける段になって
ちょっと待てよと思った

リバーシブルではないので
そんなに神経は遣わないものの
やっぱり丈を合わせるのに
表裏の中縫いをしたいのだが
わたしのことだから
途中何度もひっくり返し
経過を確認しなければ気が済まないはず

周囲を留めただけの
もわもわの真綿で
それをする勇気がない
けれど
その程度でよれたりするなら
脱水に掛けることは無理だろう

これが
きちんとシート状になっているなら
心配はいらないのだが
何しろ
手で伸ばして重ねた
けっして均一とは言えない状態なので
悩むなら違う方法にしようと思った

その方法とは
さらにもう一枚
極薄の絹地を追加し
そこに真綿を手縫いでキルトする
そうやって出来上がった真綿シートを
裏地と縫い合わせてから仕立てる
という
さらにややこしいもの
ややこしいけど後が断然ラクだ

いやーもうそれが
極薄の絹と真綿の感触が
たまんないったらもう
結局最終的にはどちらも
見えなくなってしまうのだけれど
このコンビに合うように
織りに使うほそーい絹糸を
束から一本ずつ引き抜いて使ったら
まるで
雲を蜘蛛の糸で縫っているかのよう

大げさでなく
この世のものとは思えなくて
これを作り出した蚕と
それを利用できるようにした
人間の知恵と
この作業に辿り着いた自分に
感動することしきりなのだった



2007年12月03日(月) 弛み

友禅を見て
すごく絵を描きたくなった
昔から慣れている世界を
布に落としてみたらどうなるのか
いったい今のわたしなら
なにを描くのか
見てみたい気がした

けれども
シミのある解き布を
使えるように絵を入れる
というならともかく
ただ表現したいだけなら
平面を立体にするリメイクが
相変わらず自由にならないことの
代替行為でしかない

イメージをかたちにする

自分の中に沈潜し
手が動くままに描かれる絵のように
服を作れたらどんなにいいだろう
けれど
それは出来上がっただけでは未完成で
人間のからだを包んだとき
初めてひとつの表現になるのだ

誰が着るのか
最後のピースを
自分が持っていないそのことは
常に心もとなさがつきまとう
いっそのこと
全部自分が着てしまいたい
と思うのはきっと
そういう曖昧さを払拭したいから

ぎゅっと握り締めて放さないのではなく
結んでいるように見えて弛みがある
自分ではコントロールできない
何かが入り込む隙間を保つことを
リメイクしながら学んでいるのだ



2007年12月02日(日) 表現すること

昨日は
花結びの展示会を見に行った

知人がその教室に通っており
先生はわくわく市のお客さん
けれどもともとは
わたしや友人が客として
何度か訪れたことのある
古物や染めのお店のオーナー

話には聞いていたけれど
具体的にどんなものか知らなかった
結びや友禅染めの世界を
素人丸出しのギモンに
丁寧に答えていただきながら
ゆっくりじっくり拝見した

そのどちらの世界も
実際に使えるものの中で
表現されてもいるけれど
ただ飾られ眺めるだけの芸術としても
充分に通用する
特にわたしは絵に惹かれ
細い筆先で描かれた植物や生き物に
からだの内側が熱くなるのを感じた

結びに添えられた
古い丸帯などのチョイスも素敵で
そういう中に
大島のリメイクコートもあった
それぞれ別の手法を使いながらも
それらをひとつの空間に
まとめることができるのは
表現主のちからが大きいように思えた

お話をする中でも
先生が束ねている意思を
伺うことができた
表現以前の手段で
いつもウロウロしているわたしには
あまりにも刺激に溢れる経験だった


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ゆりすこ [MAIL] [吉祥堂]

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