母から電話があり 忙しいかと聞くので 何かと思ったら 贈った大島のジャケットの反響を 報告したいらしかった
間に合わせようとした集まりでの話しは 既に聞いていたのだけれど その後もどこかに着ていく度に ステキと言われ あげくの果ては 全く知らない人に声を掛けられたと
なんでもその人も リメイク服を作っていて どうなっているのか よく見せて欲しいということだった なんだかその図を想像すると可笑しいが わたしも売り場にいたときに 思わず声を掛けてしまったことがあるくらい 着物地の服は存在感を放つのだ
まるで誂えたようにぴったりなのを いつ測って行ったのか不思議がるのだが わたし用よりも少し短めの丈を心がけ もともと作ろうとしたかたちより 袖山を控えめにしたり ステンカラーを襟なしにしたりと 母のイメージに合うように工夫した
お陰で まるで着ていないみたいに 限りなくオーダーメイドに近いものになった と自己満足してはいたのだが 実際に着心地がいいことを聞くと やっぱりややこしくても こだわってよかったと思う
リバーシブルの充実感は究極 と昨日書いたけれど そのかたちは たったひとりの誰かに ぴったりのものが究極かもしれない どっちにしろ 時代を逆行するような コアな方向ではある
なんだか ふかーくふかーく 潜行しているみたいなこのごろ といっても別に 落ちているんじゃなく 静かに燃えているってカンジで 落ち着きのなかった一時期とは まるで違う状態なのだった
今 リメイク服のマイブームは リバーシブルにある ただ裏地をつけるだけじゃなく 裏を表にしても着られる服 同じかたちのを ふたつ作って繋げる
どうせ労力を倍使うならと 思ってはじめたことだけれど 生地質が違う布同士を つれないように丈を合わせるのが 単に裏地をつけるより難しく その難しさゆえに 仕上がったときの充実感は究極
自分が納得できるまで 二度手間三度手間もありで そのぶん 毎日たくさん時間を割いている この過程に比べたら 夏物は本当にラクだったなーと むかしを懐かしむみたいに思う
同型がふたつという前提 そのために きちんとしたパターン作りも始めた いちどキリで終わらないように 破れたりしない不織布を使い 布の状態で大きく裁てないときは パターンを切らずに折って済ませる
出たとこ勝負でない蓄積 それはわたしを強くする 迷っても もう一歩先の努力で超えようと思う 結局 たったひとつの布を使うってことが 後悔しない可能性を選ぼうとすることが 新しい自分を開いてくれる 唯一の道みたいなのだ
昨日は朝から調子よく サクサク縫っていたのに ロックを使う段になったら 糸調節が上手くいかず また針折った
前回のわくわく市のあと 何度も訪問しているのに いつもお留守だったミシン屋さん 今日はさすがに居てくれないと困る と祈るようなキモチで向かうと 丁度外から帰って来る所に遭遇
スペアを少し多めに分けてもらって おいとまのタイミングを計ったのだが やはりやはりお話が終わらず コーヒーをご馳走になって たっぷり拝聴することとなった
けれどそのお話はいつも 他人のエネルギーを吸い取るような ぐるぐるパターンではなく かといって 結論がどこかにあるワケではないのに 聞いていて飽きない
ちょっとお節介風に 他人の人生に首を突っ込んでも 押し付けがましくなく 爽やかでフットワークも軽く それはいったい どこから来るんだろうと いつも不思議に思う
そして なんだかこのところ ねっとりと重くなった自分を感じ 無性に払拭したくなって グッとちからを込めて 自転車のペダルを踏んだのだった
紬であって紬でない 大島はよくそんな風に言われる 糸の引き方が いわゆる紬とは異なって より上等な絹ものに 近いせいらしい
縫ってみると そのことが実感できて どちからと言えば 柔らかものに対するような 心構えが必要なのだと思えた
これまで 縮緬や錦紗などの柔らかい生地は 縫いにくさと いかにも和の雰囲気があるのとで 他の生地に比べて 敬遠ぎみだったのが お陰で少し変わった
それらは とても優しくしなやかで 自在に緩んでからだに添う けれどもけっして 弱い素材ではない
なんとなく受けていた印象は そういう生地の特性から 来るものだったのだが 見て解ったつもりではいても それは単に 頭を通しての理解に過ぎなかった
何か縫ってみたい 添うような生地に 自分を添わせることで かたちになるものを見たい
まだ縫ってる大島のジャケット 要所はミシンで縫ったが 表に縫い目が出ないように 手縫い箇所もたくさん
これまでも 早く仕上げることを考えなければ 手縫いの方がずうっといい とは思っていて 手まつりの箇所は楽しみでもあったけど なんていうか 取り掛かる気構えが全然違う
からだひとつと 小さな針と糸 それさえあれば場所は問わない 中表に合わせて縫わなきゃいけないとこも 出来上がりの顔を表に見ながらできる そして何より 布どおしの微妙なズレも 指さきでなら調節自在
それがもらたす安心感と余裕は いくらミシンを使いこなせたとしても 得られないものだろうと思う
当たり前だけれど むかしはみいんな手縫いだった ちょっとしたほころびや こどもの成長に合わせた丈の調節も 普通に家庭の中で 主婦の日常の仕事としてなされていた
針を持ち縫っているその間 彼女たちは どんなことを考えていたんだろう
針を動かしながら このジャケットを贈る母を浮かべる とくべつ大きな仕立てはなくても とれたボタンをつけたり雑巾を縫ったり 小さな針仕事の集積だけだって きっとこんなことでは 尽くせないはずだ
しょせんは自己満足に過ぎないが 今この時間を過ごせることを なによりも幸せに思う
今やっていることは 自己流では超えていけないので 基本に忠実にと思うのだけど その基本は わたしが今目の前にしている この素材にとってどうなのか というギモンで先に進めなくなる
たくさん本を並べてみても どうしてそうするべきなのか 肝心のところは書かれていないので 結局それらは 単に情報のひとつでしかなく 本当に相応しい方法は 布に聴くしかないのだと観念する
そうして ただステッチのラインを一本解き 縫い代を反対側に倒しただけで 布は拍子抜けするほど素直に こうなりたかった とでも言っているかのように 表情を変えてしまう
それは 取るに足らない 小さなこと なのに わたしの中で世界が変わる
数をこなそうとする中では 情報を頼りにする中では 絶対に解らなかったこと 余分なものは一切捨てて ただじいっと 布に向き合うことができれば そこから応えがある
一瞬 自分が小さくなって また新しい果てない海が 目の前に広がって見える 泳ぎ方はわかんないけど 波が潮の流れが きっと教えてくれるだろう
自信なんてなくてもいいんだ 信頼さえあれば
昨年の秋は 別の仕事が忙しすぎて 展示会はしなかったし おととしはほんの数点 スカートを作っただけなので 総裏つきのジャケットというのも 実は初めての試み
そのかたちについては 書きつくせないほどだが 問題は裏地選びにもあった このところ たくさんの着物を解き洗いしたのは ただ大島のジャケットに 合わせる裏地を求めてのことだった
片袖までが終わった裏地を 大島に合わせて 腕を滑り込ませてみると それはあまりにも優しく 自分がとても大切にされているような とくべつな気持ちになった
ひとえとあわせ 気候の変化に対応するための 衣の知恵は ただ実用面だけではなく 纏う人の皮膚感覚をとおして こころの有り様まで 変えてしまうのだろうか
着る ということは 当たり前すぎて気づかないだけで もっと深いものを わたし達に与えてくれるのかもしれない
食べることと同じように 季節に相応しい材料と 素材に合ったこしらえ方で 素材を生かそうと思うなら 表にあらわれない部分に きちんと手を掛けることは必須
何を盛り込むか以前に いのちのことを考えたら 滋養のあるものがいちばん欲しい そういう服があったら きっと 飽きることなく 繰り返し何年も着たいだろうな
大島をメインに 服を縫ったことはなかった まだそれがどんな布かも よく分からないころ これはきっと大島だと思い 他の生地に龍郷を乗せたことはあった
薄い生地だけど 木綿や麻のように シワさえもデザインの一部 とするのは相応しくない
大事に仕立てられた 袷の着物のように そっともう一枚 絹が重なって ふくよかに輝く そういう扱いがやっぱり似合う
まだ わたしが縫うのは 早いのかもしれない かたちをこしらえようとして 無理をしているのは解っていても ミシンを通してみて もっとよく知りたいと思う
いちどは諦めたけど もう売り物には できないようなものなんだけど やっぱり このエポックは母に 展示会より何より今 優先しなければいけない気がして
日に日に冷えてきて 早くも リスの布団掘り行動の気配 押入れがないので これからは毎日 戸をはさんだ隣の部屋に移動だ
昨日はだんじりで 夜の街に出ると あちこちで大人達の 練り歩きに遭遇 そのせいか飲み屋はガラガラ 終わった後はきっと それぞれの地区で打ち上げするんだろう
帰り道 いつもの坂道を とぼとぼと下りながら 東のそらのオリオンを見ていた 真ん中の三ツ星はちょっと霞んで その下にあったはずの 小さな星群は もうほとんど見えない
近くは相当ヤバイけど 遠くも見えなくなってきてる なのに 今見える星の色は くっきりとそれぞれ違っていて その鮮やかさに驚く かつてこんな風に 見えたことがあったろうか
年齢を重ねるって そういうコトかもしれないなあ あれもこれも掴めそうな気がしてた ひかりを少しずつ失って けれどその分 見えているものは 奥深く多彩になっていく
いいよね そういうのもさ
展示会用に頭を切り替え さあそれから 連日自分でもびっくりするくらい 布に向かっているのだが
本縫い以前の段階で クリアできないことがあり 努力で打破できそうにないので 無理に進めるのは やめるべきかと思った今日
こういう決断って ここまでの時間が無駄になるようで すごくすごくイヤなのだけど
でもその間 改めて着物を総ざらいして こんなの持ってたん ってのがいくつもあったし 沢山解いて洗って 肩がコリコリに成る程 アイロン掛けもした
あげくふと思いつき 以前作りかけのままだった ウールのジャケットを取り出してみたら うんうん言って納得の行かなかった チャイナ襟と前開きの持ち出しを こわして別のかたちに 作り直す気になった
この時は本当に 右も左も解らず 暗闇を進んでいるようだったのに 今見ると型どおりに行こうと思って ばかなとこで悩んでたみたい この頃よりは ずっと自由になれてるってことか
あー 今もそうなんだきっと そんな風に思えるときが来るまで いちど仕舞っておくってのも 大事かもしれないな
昨日 何故かずうっと肩に乗ったままの リスの小さなぬくもりを感じながら モスリンの着物をしこしこ解いていたら 裾裏から鮮やかな柄の別布があらわれて いつか書こうと思っていた解きについてが その画像を使ってようやくアップできた
その着物をどうして買ったかというと 濃い臙脂色の向こうに 僅かに柄があるように見えて ひょっとしたら裏地と表地の間に もう一枚布があるのではと思ったから
解いてみるとなんのことはない その柄は表地を染め直す前のもので 濃く染めても消えきらずに 残っていたというワケなのだった 襦袢以外のモスリンも珍しい気がするが そこまで手を掛けて 布を大切にするという心意気に惚れる
それはいったい どんな時代のものだったのか そうするよりないような 庶民の知恵だったのかもしれないが けっして上等の着物ではないのに わたしはそこに錦を見る
袖を通さずに置き古された 仕付けつきのどんな着物より この着物はシアワセだったなと思う そんな扱いを わたしもしてあげられたら いいのだけれど
きれを繋いでいると これまで 限られた幅だった 36センチあまりが その制限をなくす
それは自由であると同時に すごく怖いことでもあって 押し込められていた表現欲が たったひとつのかたちに あれもこれもと噴出していく
繋ぎのスカートに 五通りの着方ができるバリエーションを と そこまでエスカレートして コーフンしたあげく ハタと留まった
おもちゃ箱をひっくり返したような 楽しさや驚き そんなのが好き 明日は来ないかもしれないから 今できるすべてのことを込めたい
本当はそれよりも 隠された箱のなかから すっと出されたひとつが 他の見えないおもちゃのぶんも わくわくを高めてくれる方が 明日を楽しみに眠りに就けた方が いいに決まっている
自由に必須の自制心 ここでそんなテーマに突き当たるとは 思ってもみなかった
日ごとにつめたい空気 まだカメは冬眠の気配なく それでも食欲が落ちている リスは数日前 頬袋をふくらませて ほろっ と変わった声で鳴いていた
本でしらべるとそれは 雌が発情期に出す声らしいのだが リスの生態は判っていないことが多いので きっと雄もありなんだろう 口元をむちゅっとしたかたちに結んで 5秒おきぐらいに繰り返し どうも応える声を待っている模様
最も繁殖期も春だけのはずで 飼育下でそういうリズムが狂っているのか 実際に行動に移すのかは 独身なので確かめようもないが 菊丸も終生独り身だったことを思うと ペアリングしてあげたくもなってくる
でもリスはほとんど単独行動で 自分のナワバリがあると聞くと 同じ部屋の中に 二匹が飛び回る図は想像し難く 加えてちびっこいのが増えたら うっかり踏んでしまわないとも限らない って あくまで放し飼い前提ってどうなの
当のリス君は 寒さ対策に忙しく せっせと巣材をあつめる日々でもある 昨年は主にティッシュづかいだったが 今年はより暖かさを追求してかビニール袋 つるつる滑って掴み難そうなので 傍らで小さくちぎってあげると それを待って頬に詰め込む
鼻の頭にシワ寄せて ギュウギュウに詰めて 詰めすぎちゃって ポップコーンのようにはじけ飛び いくつか回収するのを諦めて 本家の食器棚へと登っていく
今のうちはいいが 布団に穴掘りが始まると いよいよ冬到来ってことだなー
メインの布が決まらないうちに 細部の布合わせをするって初めてで 変更に次ぐ変更で ようやく全体像が見えてきた
小さな摺れが点々とあって 広く使おうとすると どうしてもそこが許せなかった帯も 芯地を貼ってテープ状にすることで まるでそのまま売っている ベルベットのリボンのように 皇かに生まれ変わった
ひたすら端ミシンを掛け 何本も出来上がったのを見ていると なんかもうそれだけでシアワセ 調子に乗りすぎて 沢山いろんなので縫って リボン屋さんみたいに ずらっと巻きを並べて ディスプレイする図まで頭に浮かんだ
そして そんなリボン達を使って カレンダーができないかなと 妄想はどんどん暴走する 紙に挟み込んだリボンで日付けが隠れてて 引っ張ると日付けが現れる仕掛けとか
でもその後のリボンをどうするか 折角だから 全部終わったあとに何か作れると楽しい 先端にボタンをつけて 表紙に留めると絵が完成するとか とそこまで行って潰えた
うーんでも また小物を作ってもいいかな そのために使う材料の 必然性が生まれたから ようやく そんなことも思えるようになった まあ先を急がずに まずはラッピング用のリボンから
紫紬のスカートは 不思議なご縁を運んできた
個人情報への配慮を考えると 詳しくは書けないが わたしが一方的に 作品を拝見していた方とのご縁 そして 直接お会いしたことはないけれど 遠からずの場所にいたこともあった
ものを作るって 何かをかたちにするって やっぱりすごいことなんだ
迷いや不安 いくつもの選択肢 その中で ひとつの表現を決めて 押し出していくこと それはすごく勇気のいることだけれど でもそれでも
水の中に 絵の具をひといろ落としたみたいに 紛れて滲んで薄まって 落とす前と同じに見えたとしても 何度も重ねて行けばきっと わたしだけの色が 少しずつ出てくるようになる
そう 何故紫を選んだのか 自分では判っていた この世ならぬもの どこかもっと高みからのちからが 自分の中に欲しかった
頑張ろう まだまだ作りたいものは 沢山あるから
ここ数日涼しくて 素足じゃ心もとない お布団の重みが 気持ちいい季節がやってきた
いろいろ考えたけど ここらで軌道修正 早く数多く作ろうと思うと どうしてもいい生地ばかり 使いたくなるので じっくり腰を据えて 難アリ生地を生かそうと思う
よく見る 大島の細かなパッチワーク技などは ナルホドそういう理由もあるのかもしれない 大きく取ろうとしても 限界のある生地どおしを 繋げて行くことで 新しい一枚の布ができあがるってスゴイ
そういう風に考えると 可能性はぐっと広がって来る 作りたいかたちに似合うような 布の合わせ方だってアリだし 時間と手間を惜しまなければ 今まで使いきれずに挫折していた布に 陽の目を見させてあげられる
その上で 人とは違う わたしなりのカラーが出せたらいいな これからどんどん ハンドワークに相応しい季節になるしね
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