昨日見た古物のなかに 薩摩焼の壺があった 緻密な絵が多色で描かれていて なのにどこか素朴な 温かみのある壺だった それが本物がどうかはともかく 薩摩焼という名自体知らなかったので ネットで情報を仕入れた
あれこれ見て行くうちに 薩摩ボタンというものがあるのを発見 以前陶器のボタンが欲しいと 探した時には眼に入らなかったのに 復刻版を出しているサイトを見てビックリ それはもう本当に小さな 陶製の絵付けされたボタンだった
先日の景徳鎮の杯よりもはるかに凝縮された こちらはまさに和の柄が豊富に揃っていて 思わず食い入るように眺めてしまった 復刻版ということは オリジナルの骨董品もあるだろうと あちこち探してみたけれど見つからず そのうち当の復刻版は 家から歩いてもすぐの 眼鏡屋さんで扱っていることが判明した
そういえば以前何かの情報誌で 陶器のアクセサリーの広告を見たが それがこの事だったのだ 早速出かけてみると 15mmのボタンがいくつかと それを指輪やネックレスに仕上げたものが 展示されていた
ひょっとしたら15mmのを リメイク服に使えるかもと 贅沢なことを考えていたのだが ワンポイントにするには小さすぎ 25mmのは置いてなかった けれどネットの画像よりも 実物の方がはるかによく 金や多彩なものよりは 貫入の入っているのがよく見える 深い藍色だけのものが素敵だった
店長さんに聞くと 薩摩焼が盛んに輸出用に作られた頃 同じようにボタンも作られていたと言う 実際にボタンとしては あまり使われていなかったようで 現存する骨董品はケタが違うそうだ ひょっとしたら陶工の技巧の粋を表現した 美術品的扱いだったのかもしれない
服に使うなら 洗濯の度にはずした方がいいと言われ 25mmでひとつ4千円近くのを使うとすれば それに見合う服のクオリティは いったい如何ばかりかと恐ろしくなった なんだか興奮した展開だったけれど 薩摩ボタンの力を借りようなんて そもそもよこしまな考えだったか
しょせんは真面目に 縫いに精進するところへ ぐるりと戻ってきてしまった気分だ
和田山へ古物を見に行った 前回訪れたのはいつだったか あれから展示会で古物を売ったりして 見るものの範囲も随分広がった
あまり興味のなかった陶器も 古伊万里のしっとりした色合いが なんて素敵なんだろうと再認識 豪華な色使いの九谷もいいけれど 嫌味なく取り入れるには 余程のセンスが必要かもしれない
町家の部屋づくりに勤しんでいる友人は 掛け軸や箪笥や火鉢に時計と 手に入れたものをきっかけに いろんな知識も着々と仕入れていて わたしの視点とはまた違うから その感想を聞くのも楽しい
特に掛け軸は どんな絵が現れるだろうと するすると広げて見る瞬間がたまらない 上の方は裂けていたり穴だらけだったり とてもそのままは掛けられないと思う先に 簡素な鶴一羽や しっとりと嫌味のない色合いの虎が出てきて 思わず声を上げてしまう
たまたま先日訪れたお店に 絢爛豪華な虎の掛け軸があって 入り口を入ってぎょっとしたのを思い出した そういうものを置いて 小奇麗に出来た新しいスペース けれどしょせんはそれ風であって 底の浅いコンセプトは そのまま居心地の悪さにつながっていた
和室のしつらいは 引き算の美しさだと聞いた それを考えるとおよそ今のものは 誰にも解りやすく これでもかというような 押し付けがましさに溢れている気がする
一枚の絵の空白のスペース 部屋の中の何もない空間 そこをないままにするためには どうしたらいいんだろう むしろ あるものと同じくらいの密度で ないがあるっていう感じなのか
なんだか和をきっかけに 禅問答に入り込んでしまいそうだ
およそどんなCMソングも 必ず一緒に口ずさむ下のコは 英語の歌詞も なんとか聴きとって歌おうと試みる 解らなくて悶絶しながら オレ英語覚えたいと訴えるので 早速買いに走った英語漬け
んで ここんとこ 毎日3人でトレーニングしているのだが わたしには致命的な欠陥があった きちんと学校で習ったアルファベットを いちど苦労して解体し 自己流の書き順で 気取ったフォントを作り上げてしまったために 書いてもなかなか読み取ってもらえない
書き終わった字は 他にどの文字に見えるよ と聞き返したいぐらいなのに あっけなく?の連続だったりして 思わずスペル間違いを疑う それが実にイライラして 数十問続けていると 確実に脳圧が上がっているようで 止めたとたんにクラッとする
これってひょっとしたら すごく健康に悪いんじゃなかろうか っていうかそれ以前に ゲームの悪影響なんて言葉が 今更のように頭をよぎる そうそう かつてはまって通り過ぎたいくつかも 止めどきを失っては 頭の中がちりちりとしたっけ
なのに子ども達は さらっとやってさらっと終わるから なんの心配もいらない 要するにわたしだけ状態 まったく頭悪すぎるぞ とソフトの限界を嘆きつつ 今夜もちからいっぱい書きなぐっている
ペン折っても3本あるから大丈夫 さすが我が子 よくお判りですこと
電気炊飯器が壊れた 越してきた家にあったものだから 何年ものかは解らない スイッチを入れて出かけ さあと蓋を開けると 麦のようにぷりぷりと 白い粒に胚芽の茶色が混じったのが お湯の中で温かくなっていた
4合がマックスのごはん鍋と 大量に炊けてタイマーセットができる 電気釜を使い分けていたのだが これでいよいよ一本になった それはともかく 5合分の煮えた米粒をどうするか 適量を掬ってごはん鍋で炊きなおしてみた
焦がすのが怖いので 水を足したのだが 下半分は柔らかすぎ 上半分は硬いのが混じり とてもそのまま食べられる代物ではない 悩んだ末 硬い辺りをトマト味のリゾットにして 残りを網で焼いてみた
ご飯の状態はまるで半殺しみたいで 五平餅とかきりたんぽとかが浮かぶけど うちの子ども達には そんな言葉じゃごまかしは効かないだろうと なるべく薄く延ばしてみた 水分が多いのでひっくり返すまでは 焼きおにぎりよりも遥かに我慢が必要だ
両面綺麗に網から剥がれるまで じっくりじっくり待って みりんと醤油を浸して再び片側ずつ焼く いったいどれ位時間が掛かったろうか 全部終わった時は かたちの悪い濡れせんべいみたいのが 大きなお皿に山盛りできた
上のコは黙ってひとつだけつまみ 下のコは遊びに出かけるときに さっとひとつを持って行った 帰るなり腹減ったというので勧めると もういらないときっぱり これをさらに油で揚げてみたらどうかな と提案してみたら オレも同じこと考えてたと調子がいい
でも待てよ うっかりその気になって 結局食べなかったら わたしが全部片付けることになる お粥嫌いのやつらはリゾットにも 手を出さないだろうし ならまだこのままで 真ん中に具をはさんではどうだろう
はー どっちにしろ どんどん深みにはまりそうな予感
こうのとり感謝祭で使用する 予定の店舗を下見に行った 駅から延々と続く大開通りの 真ん中よりも先にその場所はあり シャッターが上がると ぴかぴかのガラス越しに 白い壁と赤いアクセントカラーが見えた
石のたたきから 少し上がった床は 全て木のフローリング ガラスのディスプレイ棚と ハンガーの掛けられるラックスペース ドアが全面鏡貼りの試着室は 中にもちゃんと大きな鏡 天井にはスポットライトが沢山ついている
大家さんに聞くと 若者向けのブティックが入るときに 先方が改装したらしく それでも一年程で空き店舗になり 以前もしばらくは空いたままだったとか やっぱりこのご時世 家賃を払って利潤を上げて行くのは なかなかに難しいようだ
どこもかしこもぴかぴかで 手入れの必要のないスペースは とってもとっても新鮮だった あまりにも綺麗なので 古着物がどう映るか心配になったが リメイクした服や小物は さぞグレードアップして見えるだろう
売るまでに時間の掛かるスペース作りも それはそれで楽しいけれど 今回準備に割けるのは土曜の午前だけなので ギリギリまで売り物に集中できるのが 却って有難い 偶然にも 古布でパッチワークをしているという大家さんは お友達を連れて見に来ると言ってくれた
たった一日半の店開きだけど また新しい経験ができそうで ワクワクが止らない
確かに 紀子様ご懐妊効果なのだろう そのニュースとともにテレビでも何度か 放たれて飛ぶコウノトリの姿を見た あの放鳥のあとの賑わいが すっかり戻ってきたコウノピアだった
とてもひとりではと言うので 昨日は少し遅れて手伝いに行った 駐車場に入りきらないバスが 路肩に連なっていて 個人のマイカーは 誘導の人からもう一杯だと告げられていた ふたりで売り場にいても 交代で休憩を取る暇もなく過ぎた
少し前まで勢い込んで 3月には辞めると騒いでから いろんな事情を知るにつれ ただ変えられないことがあるという事を 受け入れるよりないのだと思った 自分からじたばたしなくても 切れる時は自然に切れるよと諭された
もういちど 売り場にいるための自分を 新しく組みなおさなければいけない 救いようがないくらいの否定を 片っ端から当てはめて深く落ちた 一番の恐怖は 子ども達ふたりを食べさせていけなくなる事で どういう選択をしてもそれが付いて廻る
売り場だっていつまでもこのままじゃない せめて居る間は そこで出来ることに専念し その一方でこれまで以上に真剣に 自分だけで変えられることに努力をしよう 傾けられるエネルギーは まるで一定の天秤の錘のように ふたつを行ったり来たりしていたけれど 本当はそこに限りはないはずだから
昨日はぼおっとするような暖かさ 家の中は氷温蔵造りみたいな 相変わらずの冷たい空気だったのに 一歩外へ出たら別世界 日曜日に降った雪が どさどさと屋根から落ちてきた
さくさく製作が進んでいるうちはよかったが チャイナジャケットの襟で どうにも進まなくなった カーブのラインにこだわって つけてははずしを繰り返して あまりの足踏み状態に 製作意欲が途切れてしまいそう
一旦そのままにして頭を切り換えて 先にセットのスカートをと思い 残りの解いたままだった布を洗濯 洗ってしまえば 完璧に乾かないうちに アイロンを掛けないとシワが直らないので その辺の作業は とりあえず流れて行くのが有難い
柔軟材を使っても 洗いあがったウールは硬い ゴワゴワの生地はまだたっぷり濡れていて アイロンを当てると しゅわしゅわ威勢良く蒸気が上がる それとともに 硬い布はどんどん表情を変えしなやかに 濃かった色が本来の色を取り戻す 何度経験しても素敵な過程だ
ウールはウールなりに 絹は絹なりに そして木綿や麻にも それぞれ違った持ち味がある この過程で その時向き合っている布に しみじみ共感し同化することが リメイクするには欠かせない
その気持ちをそのまま移せるのは やっぱりスカートで トップスになるととたんに 頭を使い始めて 細部のパーツの形に振り回される 溶けない上に積もった雪みたいに 不自由さが重なって凝り固まってしまう
もういちど最初から この布が好きって所から始めてみよう 結局スキルのなさは それで超えていくしかないんだから
スーパーでちらほら 地物のふきのとうを見かけ 少し前から気になって気になって 去年初掘りしたのは 確か2月だったはず んでとうとう今日は出かけてみた
うちの前の雪はもう溶けているけれど 川沿いに下りる階段は 途中から雪に埋もれていた その上には何やら動物の足跡 狐か狸か 3本筋の鳥の足跡もあった
下りた先の遊歩道は 途中から長靴がすっぽり埋まる 雪のない川の縁を選んで 滑らないように注意深く 去年宝庫だった場所を目指した けれどすぐ側まで近づくまでもなく 奥の辺りは一面の雪だった
手ぶらで帰るのは悔しく 老梅の植わっている入り口近くへ戻り 斜面の奥のもうひとつの宝庫へ 意を決して登ろうとした 積もった雪は硬く そのまま立てそうな位なのに 体重を掛けるとズボッと沈む 何とか半分まで近づいたとこで どうにも身動きが取れなくなった
下のコとふたり ぎゃあぎゃあ騒ぎながら 泳ぐようにその地帯を抜けた ズボンはびしょびしょの雪まみれ けれど梅の蕾は赤く膨らんでいたし 雪で横倒しになった沈丁花も 青から白に変わりそうな蕾を持っていた
あと少し いちど雪が溶けたら 一気に春がやってきそうだった
やったー ずうっと掛かっていた ウールのジャケットがやっと完成 直線でできたパーツを繋ぐ ちょっと面白い形で ボタンはなく 大きく折れた前開きが そのまま襟になる
今回のジャケットは 羽織りものと呼ぶ方が相応しく たまたま見つけたデザインを 自分風に変えたりしたら もう頭の中がぐちゃぐちゃになって いつ終わりが来るのかと思ったけれど こだわってやり直したお陰で いい感じに出来上がった
最近眼が行くのはウールばかりで 単だったものが多く 着物としてはほとんど値がつかない けれど服としては 保存時の虫食いにさえ気をつければ 真冬と真夏以外は着られるし 洗濯してもしゃきっと仕上がるので 普段着にぴったりの素材だと思っている
すっきりしたところで 次は共布のスカートの仕上げ そしてそしてそれが終わったら ちょっと楽しみな 柄入りウール地と無地を組み合わせた チャイナジャケットを作るんだ これもセットアップスーツになる予定 イメージはリアルだから 今度はもう少し早く進みそう
今更だけれど わたしは蕎麦よりうどん派だ この地方に来ては 間違いなく少数派だと思われ そもそもうどん屋自体 探すのが難しい
それが意外な場所に 手打ちうどんの店があると知り ちょっと恐る恐る入ってみた 以前からあるバーガーショップに併設して カウンターだけのうどんスペースが 新たに作られていて 小奇麗だけれどその在り様が ちょっと怪しげ
お店のおじさんは 風が吹いたらよろけてしまいそうな 細い細い体つきをしていて 手打ちという言葉とのギャップに ますます不安を感じた けれど手打ちという確かな証拠が カウンターの終わりにガラスで仕切られた 粉だらけの麺うちスペースにあった
メニューは釜揚げが300円 きつねが400円 他にはエビフライうどんとか 組み合わせに必然性のないものもあり 本格的なところを売りにしたいのに 若者受けも狙いたいという 欲張りコンセプトが微妙にはずしている
何度か通って その都度ダシの味付けとか なんかもうひとつ足りない気がしながらも 手打ちの麺の不揃いの幅や しっかりとコシのある生地や それでいてつるんとのどを通る感触は まさにうどんと聞いて 浮かぶイメージそのまま
今日もつい寄ってしまい 食べながらも やっぱり天かすが乗ったのがいいとか 釜揚げなら生醤油で卵を乗せてとか ワガママなことを考えていた でもたぶんまた行っちゃうだろう だって脇役はどうでも 主役のうどんが食べたいんだもん
鬼を祓った節分から 一夜明けた立春 わをんの開業届けを この日付けでしてから3年が経った それが3日だったか4日だったか 正直なところ忘れていたのだが 今日になって何故この日を選んだのかが ようやく腑に落ちた
長い長いこの地方の冬は ゆうにあと2ヶ月は続く ようやく消えた雪が 昨日からまた新たに降り積もり 陽の光にキラキラと輝いていた 立春という響きとその光が重なって 一刻も早く春を呼びたかった
鬱々と寒さに籠って固まりながら 何とか新しい風を入れたいと 冬のど真ん中で思う そのあがきがどうしても この日でなくてはならなかった 何も準備していなくても ともかく最初の一歩を踏み出したら 全ては動き出しそうな気がした
けれどその後 わをんの中身は二転三転して行った その名前を展示会はおろか 機会があっても表に出したくなかったのは 自分自身何を柱にして行くのか いつまでも中途半端だったせい だから実店舗もその一歩手前で 足踏みしたまま
でも今こころから思う 店舗があってもなくても 仕入れる商品や委託品がなくても まず自分の作った服があるということが 何にも揺るがないための大前提だ しかもそれを 誰かに媚びたり 特定の立場を利用することもなく 正々堂々と売る
路地裏の露天でだって ふわりと掛かった服が 本当に素敵なものだったら きっと誰かが手にとってくれる 奇をてらわない 生地のよさを最大限に引き出した わたしなりの服作りができたら それは必ず誰かに伝わるはず
一切の言葉もなく 伝えたいすべてを服に込めて 流れ流れてどこかに行き着いても ただそこにあるだけで たったひとつの輝きを 静かに放っている そういう服作りができるように
使われずに眠っている 古着物の寄付を募集するため 情報誌に掲載を申し込んだ それに際して こうのとり感謝祭でバザーを という一文を入れていいものかどうか 市の方に確認を取った
というのも 以前売り場でイベント出店のとき どうせ休日を潰すなら 少しでも売上げを上げたいと 同じように情報誌掲載を 観光協会に打診したら ストップが掛かった
感謝祭は協会とは関係がないとは言え 先例からちょっと臆病になっていた けれど担当の課の人からは いいですね〜どうぞどうぞと 思いがけずテンションの高い反応が 返ってきたのだった
たったそんなことで 売り場でのストレスが一気に吹き飛んだ 売りたいものを売れないのは 仕方がないけれど 自分で広げることもできずに ただじりじりと待っているだけの状態は わたしをどんどん腐らせる
さあこれから 流れのある先に何かを見つけられるように まずは自分だけで出来ることに 集中しよう 製作予定のラインアップを どこまで完成させられるか 頑張るぞー
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