やんの読書日記
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2004年10月30日(土) 生きのびるために さすらいの旅

デボラ・エリス作
もりうちすみこ訳
さ・え・ら書房

アフガニスタンに住み
元は裕福な知識階級の娘だったパヴァーナが
タリバンのアフガン制圧で一転して
父を失い家族とはなればなれになって
生きていく物語。
連作になっていて、前作では父を牢に入れられて
働き手を失った一家をパヴァーナが男の子の姿をして働いて
食べるものを手に入れるという物語
二巻目では、姉が結婚のために旅立った先で
空爆があり父と2人だけになってしまったパヴァーナが
旅を続ける話。とちゅうで父はなくなり一人旅のあいだに
男の子や赤ん坊、女の子と知り合って
一緒に暮らしたり旅を続けて、空腹や危険な目に遭いながら
難民キャンプにたどり着いて、最後には母に再会する
という前向きな光のある物語だ。

難民の生活が想像を超える悲惨なものであること以上に
悲惨なところから抜け出そう、未来に向かって生きようとする
少女や少年の生き方に胸を打たれる。
自分が今できること
それを精一杯やることの大切さを教えてくれた。


2004年10月29日(金) トリスタンとイズー

ローズマリ・サトクリフ作
井辻朱美訳
沖積舎

トリスタンとイズーといえば
伯父の王様が見初めたイズーと恋仲になってしまった
トリスタンが、イズーと逃避行をして
その果てに王に仲を引き裂かれ
トリスタンの最期にイズーが間に合わずに死んでしまう
と言う悲劇。
わたしの知っているトリスタンとイズーは
媚薬を飲んで恋仲に陥るのだけれど
サトクリフのは自然に恋に陥ってしまう
元の話は、アイルランドのフィン・マックールから
来ているらしい。同じサトクリフの作品で読んだことがあるので
そこのところはよく似ていて納得できた。
年の全然違う老王より若くて強い王子の
トリスタンがいいのは当たり前かも

イズーが火あぶりにされる日
トリスタンが勇者の跳躍をして断崖の孤島の窓から
海へ脱出する場面。レプラ病みのマントを着て
イズーを助ける場面。
そこのところはサトクリフのオリジナルのように
思える。「落日の剣」にも同じようにハンセン氏病の
マントを着て救出に現われるトリスタンがいる。

どの場面よりもやはりトリスタンが死ぬ場面が
いちばん悲しい。イズーが会いにやってきたなら白い帆
そうでなければ黒い帆を揚げた船が見えるというトリスタンに
白い手のイズーは嫉妬のあまり「黒い帆の船が来た」
と言ってしまう。白い手のイズーの貞節さを思えば
その発言が痛いほどわかるし、最後に会いたい人に会えないとわかった
トリスタンの絶望も痛いほどわかる。

ケルト的で暗くて悲しい感じがよく表れていて
心に残るトリスタンとイズーだった



2004年10月16日(土) ヘルマン・ヘッセを旅する

世界文化社
写真・文 南川三治郎

ヘッセの生まれ故郷カルフ
結婚して住んだガイエンフォーフェン
とモンタニョーラ
写真入りの随筆だ。

ヘッセは好きで何度も読んでいる
と言っても詩集一冊に車輪の下だけ
ヘッセの人となりはそれらの本の解説でしかわからなかった
車輪の下でのヘッセの故郷は確かに美しく描かれていて
古いままに残された家並みや自然
澄んだ川の流れや深い森、湖が目に浮かんでくる
その故郷の写真にうっとりしてしまう

わかいころ何度も自殺しようとしたヘッセがなぜあのような
きれいな文章が書けるのか、そのなぞがこの本を読んでいて
解けたと思う。
家庭に恵まれず3度も結婚したヘッセを
支えて癒したものが絵だったこと
ガーデニングだったこと
特についのすみかとなった南アルプスのモンタニョーラの
風景があまりにも美しいのに息を呑んでしまった。
わたしも物書きになって
あのような風景の中で過ごしてみたい。


2004年10月01日(金) 心に風が吹き、かかとに炎が燃えている

ターシャ・チューダー編・絵
内藤里永子訳
メディアファクトリー

水道もガスも電気もないコテージでの生活
きつい労働、庭仕事をしながら挿絵を描き
女手ひとつで子どもたちを育てたターシャが
暖炉の前で子どもたちと朗読しあった詩の数々。

心に風が吹き、かかとに炎が燃えている、は
ジョン・メイスフィールドの放浪者のうた
という詩だった。モビーディックの世界への渇き
それは冒険と航海へのあこがれだ。
白鯨を追うエイハブ船長へのあこがれもしれない。
ターシャの子どもに誰か冒険好きな子どもがいたのだろうか。

中にはマザーグースの一編もあり
それがひょっこりひょうたん島の海賊4人組が歌っていた歌詞と
よく似ていて驚いた。

私はワーズワースの黄水仙のページが好きだ。
見開きいっぱいに描かれた湖、ほとりに咲く黄水仙。
彩色がないのがかえってイメージを沸かせてくれる。
声に出して詩を朗読する
というのが彼女の家での団欒だったのだろう。
そのときのイメージが挿絵になり
読む人に炉辺の語りの暖かさ懐かしさを
感じさせてくれる。


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