ボチャン
2003年10月28日(火) 水たまりに ボチャン 暗闇のなかだから 誰にも気付いてもらえない なら そのままでも いいか ピチャピチャピチャ 自転車 カラカラ 対向車のライト 僕を嘲笑ってるみたいに 素通り なんか ちょっと しずくで 僕 かがやく なんつって すぐ 暗闇 逆もどり ひさしぶりの電灯 もう少し 付けたら このへんの痴漢は減るんじゃないか と くだらない妄想 電灯の下に ちょうど 水たまり あらら 僕がうつってる ああ なんていうか ばあちゃん 僕を忘れないでくれ 僕の顔には ばあちゃんのおもかげ そういえば 最後にばあちゃんに会ったのは いつだったっけなあ わざと 水たまりに ボチャン さようなら あぁあ 饅頭でも 買っていってやろうかな たららら 2003年10月21日(火) たらら たらら たら ららら くちぶえは いまだにうまく ふけません はなうただけが わたしのがっきです こくん こくん と うなづいて きみは ただ うなづいて きみの ふくの すそを にぎったら いつでも きみに だきつけた いつでも きみに ふれられた あのひを ふかく おもいだしました あかが とても にあう きみ きょうの ふくも あかいのね わたしはあかがきらいなんだ といったら それっぽいね と わらった きみ たかたか たかたか きみのあしなみに そろえます さらさら さらさら きみのかみのけは やわらかそうです たらら たらら たら ららら いつだって きみの ための うた ないていたって きっと きみは わらって かえす たらら たらら たら ららら 会いたい会いたい会いたい 2003年10月19日(日) さくら並木を通っていたころの方が 胸をはって歩いていたね 今日はよく晴れていて 別にこれといって何もないけれど これといって何もないのは 自分のせいじゃないかって そう思ってしまうよ 君とは向き合えない 本当に会いたい 笑ってほしい 怒ってほしい 好きだと言って 好きだと言わないで 私を知らないままで 私を抱いて ゆうやけこやけで、また明日。 2003年10月16日(木) いつかの日みたく 普段どおり 笑っていられたら 君は安心するもんだと てっきり 思っていたんだよ なのに 君は 普段どおり って何? って顔して 私の顔を見る 穴が開きそうだってば 知らないけど だって 人前でしか 笑ったりしないもの 人前で 笑うこと以外 したりしないもの 君のこと たぶん 嫌いじゃないから こうやって 君と こんな暑苦しい教室に いるんじゃない それだというのに 君は なんだっていうんだ なんでそんなに せめる目をしてるんだ わからないなあ 私がカーテンを 閉めようとすると 君はため息をつく 眩しいの嫌い? と私に聞く君 嫌いだ と答える私 ふーん と言って それ以上何も言わない君 帰ろうか そんな台詞で 今日は終わり なんだか いろいろ仕組まれてるような気がして 君と私 すべてを 疑ってしまいそうだなあ じつは こうなるようになってるんですかね? とりあえず アイスを買い食いして さっさと帰ろう 今日の夕焼けは ピンクだ なんで? 2003年10月15日(水) 何もなくて 僕の生きる価値って何 僕の生きてる意味って何 僕って生きてていいの そんなことばかり言う僕を 好き だなんて なんで? 苦しいよ 僕は苦しいよ なんで? 机に伏して寝てる僕を 愛しい だなんて なんで? つり目も 曲がった鼻も 剛毛天パーも 僕は嫌いなのに なんで? 僕を割って くれてやるよ もう いいだろう? 胸を刺してくれ ゆびさせば、かなた。 2003年10月07日(火) 無駄なものをいくらでもかかえて、でかけられる、(遠くへ。ひとりで。)そういうなにかをもっていたい。じぶんはにんげんである、と、どこかで、信じきっていて、(とても、かなりの、つよさで。)とうに、にんげんになろう、という気はなくなってしまったのかもしれない。なくしてしまったのかもしれない。みためが、にんげんだとか、遺伝が、とか、生物学的にとか、まったく、関係がない。どこかで、じぶんはにんげんである、と、歯止めをかけている、そのような気がする。たとえば、この目は、にんげんのためで。たとえば、この耳は、にんげんのためで。たとえば、この口は、にんげんのためで。たとえば、この手は、にんげんのためで。たとえば、この足は、にんげんのためで。身ひとつ、で、生きることができない、というのは、いったい、どうしてなのか。無駄なものをかかえたい、と思うのは、なんなのか。建物も、音楽も、言葉も、あなたも、その道も。指させば、かなた。なにものでも、かかえてやる。(とりあえず、歩いてみる。) |