消えてゆく小さなこと


消 え て ゆ く 小 さ な こ と

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1926年12月31日(金)

どうもしっくりこない相談を受ける

それってどういう件?
自分には責任ないとでも?
もう一人に押し付けてる?

相談は受けるけれど
あなた方二人の問題でしょう?
自分は通報者です 的ポジション
おかしくない?

そんな考えだから
ずれてしまうんだよ


1926年12月30日(木)

一日変な天気で何もせず
一日買い出しと買い回り

今にも降りそうな空でも
レースラベンダーは
ぴんと元気に色鮮やか


1926年12月29日(水)

本気でやってたなら
残念で悔しいことだろう
テキトーにやってたなら
どっちでもいいことだろう
どうなんでしょうね

ふつうはみんな忙しい年齢
しんどいけれど夢と充実感がある
あっという間に過ぎてゆく時期
あてもなく暮らしているなら
意味のない人生になってしまう
だらだら時が過ぎても
誰かに何とかしてもらうのだろう


1926年12月28日(火)

ベランダから庭へ
藤を垂らしている家を見かけた

藤色の房がいくつも
細い滝のように下がり
棚とはまた違ってきれいだった

もうこんなに咲いている
藤って今頃だっけ?
早くない?
山吹は咲き始めているけれど

道から離れているので
香りはわからなかった


1926年12月27日(月)

大急ぎで終了
間に合って一息つける雨

昨日からの暑さにくらべ
ぐっとクールダウン

雨足は強く
気持ちいい音を聞く

草木はぐんと大きくなるだろう


1926年12月26日(日)

その人には

人道という言葉はないのだろうか

信仰は人を修めると思うけれど

何に洗脳されているのだろうか

膨れ上がる憎悪にしか見えない


1926年12月25日(土)

即座にやり直しができることなら
それは間違っただけで
嘆くほどの失敗ではない
後の祭りでもない
即応すればいいだけ

もとに戻せないから後の祭りなので
でも動じずにいれば
落ち着いた対処が思い浮かんでくる
新しい手立てが浮かんでくる
新しいことが生まれてくる

それは結局
後の祭りにはなっていない


1926年12月24日(金)

言ってみてよかった

自分の感性を信じて

やっぱり言ってみてよかった

ほんとによかった

よき着地となった


1926年12月23日(木)

新葉の展開の速さ
今年はとくにおどろく
季節の進み方がめまぐるしい

作業が追っつかない
気持ち的には休みなく
でも実際は少しの休憩

やっと終えても
明日になれば
まだ残ってるよ的

あっという間に
みどりは茂るのだろうね

大きく茂れ
のびのび茂れ
その季節が待ち遠しい

小さなタイツリソウの花と
エルダーフラワーのつぼみを
何度もチェックする
わくわくする


1926年12月22日(水)

私はそう簡単には死なないのかもしれない
死ねないのかもしれない

あんなに善良に闘っている人たちが死ぬのだ
そうでない私は死なないだろう

善良でない部分をいくつも持っているから
死にはしないのだろう

晴れやかに死ぬのでなく
きっと暗い死なんだろう
それが当然としても何の文句もない

神が決めることだ


1926年12月21日(火)

葉桜になり始めた
上の方にまばらに花を残して
下の方から新緑が見え始める
全体にがくの色で赤っぽい
案外落ち着いた色合い

あんなに心をざわつかせて
はらはらと舞い散っていたのに
この時期の落ち着きが好き
周囲の空気がしっとりしている


1926年12月20日(月)

後の祭りだ でも動じない

そう思うことにしてから
何かが変化した

それは
投げ出したわけではなくて
しずまる感覚に近い
新しい展開を待てる感覚
あたふたと修復を重ねるのとは
違うカタチのものになる感覚

新しく生まれる


1926年12月19日(日)

教えてくれなかったとか
教えてもらわなかったとか

学ぼうと思えば学べたはず
学びたければできたはず

環境はそろっているのに
ひとのせいにするな

歩くのは自分の足
進むのは自分の力


1926年12月18日(土)

言葉がふと浮かぶ
巡ってくるというのか
降ってくるというのか


動じない

ただその一語


この前の言葉と合わせて
フレーズになる


後の祭りだ でも動じない


その心境で進んでいる


1926年12月17日(金)

そのとき遠ざけたのは

きっと信頼してなかったのだ

慈しみに優劣をつけたのだ

愛情希薄なだけ


1926年12月16日(木)

桜がぼやっとした風情になり
白っぽく朧月夜のよう
夜桜みたいで好き

今日は風が強くて
外作業は目が痛かった

ステイが長かったからか
張り切ってさくさく進む

晴天に恵まれて思いのほか進む
あしたも次もがんがんいきます


1926年12月15日(水)

白ヤマブキ 一輪だけ開き始める

他はまだ緑の蕾

まぶしくて どこから見てもわかる

今日はそれだけで嬉しい


1926年12月14日(火)

風が強くて桜が散り始めた

遠くへ遠くへ蝶のように飛んでゆく

吹き溜まりはまだ華やかなピンク

足元にお花見気分


1926年12月13日(月)

思い違い 思い込み 錯覚
ひどければ妄想というのかも

正しく認識するって難しいことだね
そして
間違いを指摘してくれる人がいることは
本当に大事なこと
素直に受け止めるなら


1926年12月12日(日)

斜にかまえていたり
そっくり返っていたり
かしいでいたり

正面はむずかしい

堂々とまっすぐに
行儀よくたてる


1926年12月11日(土)

落ち着いて定めたものは

理にかない 正面を向く

やり直そ そうしよ


1926年12月10日(金)

よく言われる遊びの大切さ
本来 play をさすと思うけれど
子どもにも大人にも動物にも

機械的にゆとりをもたせる場合のあそび
ハンドルとかブレーキとかねじとか
急に利き過ぎないように

空間のあそび
空きスペースというものもあるし

何か字があるのかと思ったら
どれも遊びという字だった


1926年12月09日(木)

気持ちを穏やかにするものだけを
周りに置きたい

それは
人や物事との距離かもしれない

身を置く環境に
穏やかな距離 という要素


1926年12月08日(水)

そのひとの言葉
マウントにしかみえない
他者への愛を感じない
結局自己愛自己中自己弁明
だから不愉快だし
そのことに気づいていないから
嫌われたのではないですか?

と言われても
逆切れするんだろうな

自分は大したもので
立派に生き抜いてきたという
妙な自尊心で

自分の吐露というより
暴露系に進んでませんか
おだやかな日常に包んで


1926年12月07日(火)

ごじゃごじゃしていたところが
すっきり開けてきた 
展望が見えてきた
新プロジェクト決まる
たのしみ


1926年12月06日(月)

その人は
瞬時に反応して
線的に即応するために
アンテナを張りすぎて
疲れているのだと思う

思考は線ですすめばいいけれど
感性は自分の周りに
面積や体積を持った
ひろがりで進めばいいと思う
反応はゆったりでいいと思う


1926年12月05日(日)

えっ?
何だったの?
一日早いエイプリルフール?
気紛れを真面目に受け止めた私は?
かける言葉を真剣に考えたのに


1926年12月04日(土)

長旅は疲れるものだ
引きこもりも疲れるだろう

だからまた普通の暮らしに戻る
そこに安定を思い出す

人を意識せずに
自分を残す手立てを見つけて

その日に乾杯


1926年12月03日(金)

この弱雨
何ていうのだろう
降ったり止んだり
満開の桜を散らしはしない
けれど冷たい雨
花冷えとも違う
まだ春になっていないような
不思議な暗さの空
こんな日もいい
一息ついて休む日
濡れた庭を眺める
プロジェクトは未定
次の景色を練る


1926年12月02日(木)

公園の大樹が
滅茶苦茶に切られた
美しいシルエットだったのに
へんてこになった
もう少し配慮してほしい
苦情が出て切ったのだろうか
ハイ切りましたよ な感じ


1926年12月01日(水)

外作業が続く
やっと調子が出てきた
天気も丁度いい

桜はほぼ満開
ふんわりほわほわ
やっと春

野良さんが来ないうちに
作業を終えたい
競争している




天窓より          


−ともすれば消えそうになる自分を見失わぬよう−       

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− ささやかに −          

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日付は通し番号として記しています         


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