消えてゆく小さなこと


消 え て ゆ く 小 さ な こ と

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1919年03月31日(月)

この時期 なぜか
火のついたように猛烈に買い物してしまう

セールに走ってではない
高価なものをご褒美にではない
普通のものを普通の値段で買い込んでしまう

今年は和食器だった 

爆買い じゃなくて 馬鹿買い

すっと熱が冷めて 使わないものが残る

選ぶのがメイン 集めるのがメイン
使う機会の少ないものと分かっていても

買ってみて馬鹿さに気づく馬鹿買い


1919年03月30日(日)

わたしの中にはヤンチャな部分があって

カチンときたら

相手を打ちのめしたくなるの

もちろん言葉で


1919年03月29日(土)

王者が戻ってきた 復活だ
その流れるような演技に魅了される

氷上に舞い落ちた一枚の羽根か木の葉のように

風におされてつーっと動きふっと止まる
くるくる回ってふわっと舞い上がり
すっと落ちる

どんな時もギザギザした音は聞こえない
つるつるとすべり続けてつと止まる

ショパンが美しく流れる

また見られてうれしい
わくわくする

きらびやかなコスチュームでなく
村の青年が凍った湖で楽しげに滑って遊んでいるような
そんな衣装が好き


1919年03月28日(金)

載せたものをおろせ

担いだものをおろせ

背負ったものをおろせ

付けたものをはずせ

履いたものを脱げ

頭のてっぺんから爪先まで

そぎ落として身軽になるのだ

身を 軽くするのだ


1919年03月27日(木)

流行り風邪で熱が出るかもしれない

そう思った時ふと思い出した

君を看病した時のことを

いのちの危険があるわけでない熱の

ただ看病で傍にいけることが

少しうれしかった不謹慎を


1919年03月26日(水)

大きな動きをしよう

大きくからだを動かそう

動くことをケチらないで

空気を動かし

風をおこして風音たてて


1919年03月25日(火)

「さあ、みんな。きらくにおやり!
 すきな場所へ いっていいんだよ!」

 誰もが好きなことをする権利がある


 スナフキンの考え方 とありました


1919年03月24日(月)

お久しぶりの挨拶なのか

最後のお別れなのか

時が流れればどちらでもなく

忘れられて消えてゆく


1919年03月23日(日)

複数同時進行でなく
小さなひとつをすすめる に

シフト変更してみようかな

何かちぐはぐで疲れている気がするから

現場対応の優先順位でなく
変更なしのスケジュールで


1919年03月22日(土)

久しぶりにしっかり外の作業

始動という感じ

気持ちよかった

あたたかな夕日だった

明日はあたたかそう

そのうち雨に向かうらしい


1919年03月21日(金)

同じ失敗をすることがでてきた
今までそんなことなかったのに

失敗から学べ 失敗は成功の母
だから同じ間違いはしないようにと
意識してきたはずなのに

きっと失敗を忘れるのだ
それは失敗に重さがないのだ

気軽になったのか 気楽になったのか
馬鹿になったのか 老化なのか

小さな失敗にいつまでもキリキリ悔やむのは
きっと若さなんだね

オトナになって鷹揚になって
そしてどうでもよくなったんだ

最近そんな感じ
ちょっと怖い


1919年03月20日(木)

コロンボで

現在シャバ中の常習泥棒さんが

殺人真犯人の警察上司さんの

浅はかな偽装工作に対して

一言 「あほかいな」 と放った

その場面で痛快な吹き替え(日本語訳)だった

噴き出した


1919年03月19日(水)

選択決定したのにゆれる

いいのか 本当にこちらか

違えた気がする いいのか

そんな中にいる

どうしたのか


1919年03月18日(火)

窓外は明るいのに 出ると凍える

そんな出入りを繰り返す落ち着かなさ



この頃決断が鈍くなっている気がする

決断できないのでなく

きっと早計なのだ

何度も白紙撤回やり直しをして

結果また同じ答えに戻る

ナニヤッテンダ ジブン

何が足りなくなってるのだろう


1919年03月17日(月)

春めいて きらめいて 

ほのかな温みが風にのり

芽吹いた草の葉先に残る

やっと やっと 雪解けの気持ち

何かを頑張って いえ 張り切って

身体いっぱい動かしたいね

滝まで歩いてみませんか


1919年03月16日(日)

わかされの道を蛍とすすみおり

逢瀬の夜の織女となりて


1919年03月15日(土)

無邪気な笑みにあうと 肩の力がぬける

人は寄り添い合って生きるものと思う

子猫の軽さも細さもふわふわも

怖がりも好奇心も

みな生きるための力

元気に大きくなってね


1919年03月14日(金)

長々と続いた案件

よそ事なのに首を突っ込んでしまった不覚

だめだなぁ

息をひそめて固唾をのんでおればよかったものを



ほぼ片付いたようだ

片付けば忘れ去られる 過去へと流れる

けりをつけよう

次が控えている


1919年03月13日(木)

大安吉日  

難を転じて福となす

そのはずだったけど



あなたに騒動というのはつきものでしょうか


1919年03月12日(水)



その言葉に

気持ちに小さな光が灯った気がする


ひとすじの想ひをつなぐ蛍かな


1919年03月11日(火)

君と

蛍を探しに行けばよかった



何かがかわったかも

全てがかわったかも



闇の奥に何かを脱ぎ捨て

わたしもかわれたかも


1919年03月10日(月)

颯爽としていた

颯爽とありたい


それは自分で立つこと

自分の足で進むこと

自分で道を選ぶこと

精神が立っていること


寄りかからずに


1919年03月09日(日)

手放すということは

繫ぎ止める綱も

載せる台も

容れる箱も

要らないということ

だから軽くなる


1919年03月08日(土)

きみの日を残したくて

旧いカレンダーを手にしたけれど

失った

じたばたしただけで

縁はつなげなかった

そういうものなのだね


1919年03月07日(金)

ある俳人の過去のインタビュー記事を目にした

以下概略

師と仰ぐ人の句とは あまりに作風が違うが・・?と問われ

先生の句柄に限りなく似た句を作るような弟子を
先生が喜ぶはずないのでは? と返答


以下要約

先生から何を吸収し どんな自分を表現するか
それが表現者としての目的であって
それすら出来ないような弟子を育てることに
先生はなんの興味も持たないと思う
自分が師の立場にあるとすれば
そんなナサケナイ弟子しか育てられない自分は
人を教える能力に欠けているとの自己評価を下すに違いない

先生から自分勝手に吸収したものを自分として表現する
先生はワガママ極まりない弟子の、良いも悪いも肯定し
弟子は安心して暴れることができる
それが師という存在への信頼感、師を選ぶということ

自分の不出来や不調を師のせいにするのは愚の骨頂で
「師を持つ」ということは、大海に身を漂わせる己にとって
一本の「錨」を持つことである
自分は強靱な「錨」を持つ果報者である


その俳人が師と仰ぐ人を 立派と思った


1919年03月06日(木)

その時とっさに無理に自分で判断した

そうせずに 

どうすればよいのでしょうか と

ゆっくり尋ねればよかったのだ

たとえお年寄りで聞き取り難かったとしても

ベテランの事務職が傍らにいたのだから


今となって 何年も経って

こんなことになるのだとは

思いもよらなかった

馬鹿だったなぁ

そして今でもいろいろ

その手の馬鹿をしているなぁ

もっと人の力を借りるようにシマセウ


1919年03月05日(水)

人の言葉に助けられる

自分の言葉で自分をささえる

脳細胞のはたらく限りは

言葉の力を信じている


1919年03月04日(火)

 イクサ は果てた

しずかな時を経て

甲冑を解き 武器を捨てよ

固く閉ざしたものを

風に放て

道は野にある

やさしくふれる草にきけ


1919年03月03日(月)

君のために君の代わりに

たくさんのものを費やした

それは区切りで

それはつながり

新たな船出


1919年03月02日(日)

迷いがある 

逡巡する


ただ静かに居ると

自ずから答えにおりてゆく

答えは初めからそこに在る

かきまぜた水が渦巻きながら真ん中に鎮まるように


1919年03月01日(土)

本当に静かな時を過ごしている
独りの空間を堪能している

気にかけなくてはいけない案件も
あるにはあっても忘れ去っている

いいの 優先順位はない 何もない 自由だ

気持ちを立て直すための
フカフカのまっ白な綿の海に

音もなく沈むような
そのまま別の世界に落ちるような

やわらかな時を
心に満たし続けたい




天窓より          


−ともすれば消えそうになる自分を見失わぬよう−       

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− ささやかに −          

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日付は通し番号として記しています         


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