消えてゆく小さなこと


消 え て ゆ く 小 さ な こ と

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1919年01月31日(金)

緑と茶の格子

放棄された過去の影

もう出番はない 

役を免じて放つ


1919年01月30日(木)

気持ちが動かない 固く止まったまま弾まない

そう思っている

いつかアンテナがふるえるまで

そう待っている


でも そうかな

そんなとき来るだろうか



地面のボールを

ラケットの先でてんてんして

あるいはころりとして弾ませていた



きっと気持ちも

自分で始動させて弾ませる

そういう芸当があるだろう



自分で弾ませる

その原則を忘れかけていた


1919年01月29日(水)

言ってしまった

宣言してしまった

ちょっと嘘


言った以上やるしかない

自分の首を絞めたのか お尻に火を点けたのか

結果良ければオーライで


1919年01月28日(火)

冴え冴えとした大きな月は 終わった

香る白い花もじきに終わる

後に何のたのしみがあるというのだろう

枯れ葉を待ち 枯れ枝を拾い

虫の聲もたどたどしい

昼間のざわめきなど嘘のように

冷たく静まり返った巨木の黒さ

梢の闇はかなしみに満ちる



悟るというのは

乗り越えるという意味だと思う

いやな思いを断ち切ること

そんなに簡単にできるはずがない

修行僧の苛立ちは何に向けられていたのだろう


1919年01月27日(月)

いま 白い木犀たちが

やさしく香り立ちはじめた


おだやかな秋の空気

ベランダから見える

あの木とあの木とあそこの木


1919年01月26日(日)

ノスタルジアをすてて

セピアはもうやめて

今必要なものを

傍らにのこす


1919年01月25日(土)

こうしておくと 少し安心

準備しておくと 少し落ち着く

いつだって 忘れずにすむ


書き付けの窓 白いまま


1919年01月24日(金)

夢がつぶれたなら

夢が消えたなら

夢を持てないなら



また 新しい夢をみつければいい

何度でも 取り替えればいい


1919年01月23日(木)

ジンジャーが開いた

懐かしく思う香り

一年経ったのだ


1919年01月22日(水)

言わないでもよいこと だったとすれば

余計な口出しになった



言ってもよかったのならば

それでよかったじゃない



伝えずにはおれなかったことを

伝えたのだから

そして理解してもらえたのだから



大きな方なのです


1919年01月21日(火)

感情を押し殺していたら
声を失くした

気持ちを押し込めていたら
言葉を失くした

爆発を忘れた

爆発すればよかった

今からでも遅くはないよね


1919年01月20日(月)

言葉を消した

過去が消えた

思いが消えた


失くしたというより

安らいだ気がした

苛立ちは残さぬ方がよいのだね


1919年01月19日(日)

ツクツクボウシが来ている

どこで生まれて
どうやってうちの木にくるのか
来ない年もあるのに
今年はなんどかきて鳴いている

一匹なのか別のなのか


1919年01月18日(土)

忘れたい

忘れてしまいたい

そう思っていたことなのに

何だったかいつしかわからなくなって


忘れたのだ

そうやって一つずついつしか消えてゆく記憶

それは しあわせなのか


1919年01月17日(金)

正々堂々としていること

それが好き
それが人の芯となる部分


1919年01月16日(木)

真心 というものを
子どもたちの心にしっかりと植え付けた母

俊子さん


1919年01月15日(水)

番組の中で

ピース又吉さんの 相方への絵手紙

カブトムシに添えて 

「動じるな」 のメッセージ


ふっと 風林火山という言葉を思い出した


1919年01月14日(火)

宇宙戦艦ヤマトの歌を

オーケストラと独唱 ではなくて

バックに合唱がついていた

そのソプラノの声がとてもきれいだった


この歌はなぜか泣けてくる

胸が熱くなる


1919年01月13日(月)

一期一会が 強調され過ぎてきた

出会いは運命だ

だから大切だ


でも 出会えるならまためぐり合うこともあるだろう

またいつか会えるかも

そう思っていればきっと楽に別れられる

手放すこともできる


1919年01月12日(日)

この頃思うことがある

正しいことをしようとする のでなく
善いことをしようとする ほうがいい

正しいことと思うのは
ほとんど職務だ
立場や職責だ

善いことは 徳だ

徳を積むことのほうが 正しい

善いことを行え

それは偉い人の説法かもしれないし
昔のお年寄りの言葉かもしれない



正しい選択をしようとして
正しいことをなそうとして

そのことで悩むより


善いことをすればいい

善をなす

少なくとも悪い結果にはならない


1919年01月11日(土)

うつろな気持ちでは何も書けない

言葉が出てこない

ふつふつと湧きあがるものがない


1919年01月10日(金)

心落ち着かせるすべというのは


結局 ぽかんと忘れてしまうことなんでせうか


1919年01月09日(木)

ヨケイナコト について思いめぐらせることがふえた

人はよけいなことに首を突っ込みながら生きているんだね

外に対して 関わるって 所詮そういうことだ

ネットで世界が繋がって よけいなことだらけ

未開の奥地の必要十分条件の暮らしとは真逆の世界

膨らむのか広がるのかつぶされるのか

結局は自分次第自己責任そういうことだね


1919年01月08日(水)

からだをちいさくして

こえをちいさくして

おもいをちいさくして

ちいさくなっていきてみたい

みえかたがかわるだろうか


1919年01月07日(火)

足が地に着いた気がする

頭がぶれない気がする

水をごくっと飲めた



復活っていうのは いい言葉だ


1919年01月06日(月)

自殺する人に同情することもある

気の毒な事情に涙が出ることもある

でも原則 命は本人のもの

決断は本人のもの

自由です

だからこそ

人を巻き込むな

赤の他人を巻き込むな

死にたければ独りで死ねばいい

周りに迷惑かけるな

心底そう思った

自分の自殺に他人を巻き込む人間は地獄へ行けばいい 

と本当に思った

新幹線で焼身自殺なんて許されないよ

同情なんかできないよ

通り魔と変わらないではないか






 追記

すごく激しいこと書きました

でもその時本当にそう思ったから消しません

その場にいて巻き込まれた人だって

その家族だってきっとそう思うに決まってると思うから


1919年01月05日(日)

ホタルのように

みずをなめる

おだやかなみずを


病んでいるとき


1919年01月04日(土)

シェードを少し下げる

陽射しや雨を防ぐより

風を通すに重きをおく


1919年01月03日(金)

買い物が遅い と言われる

選ぶのが遅い と言われる


でも違うよ

選ぶのに時間がかかるのでなく

諦めるのに時間がかかってるわけ


1919年01月02日(木)

「よけいなことに首をつっこむな」

ドラマの中の父親の口癖だった

家族を危険な目に遭わせないように



言いたい放題 突っ込み放題のイマドキかな
危険も感じず不安もなく
トラブルの兆しもわからずに

案外 警鐘だったかなこの言葉は


自分もふと 「よけいなこと」 について
考えるようになった

今しようと思ったことは 
ひょっとして ヨケイナコト ・・?って
立ち止まるようになった

思いもよらないTV効果になった


1919年01月01日(水)

新聞のコラムでヴュジャデという言葉を初めて見た
舌を噛みそうで知ってるような知らないような
あれ? デジャヴュじゃないの? と思ったら

デジャヴュ(既視感)の逆のダジャレ
見なれたものをまるではじめて見るかのように見ること(未視感)
と あって

偉大な発見はたいてい、
ありふれたものを新しい目で見るところから生まれる。
と引用してあった

経験あるかなぁ ・・ 考えてみる




天窓より          


−ともすれば消えそうになる自分を見失わぬよう−       

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− ささやかに −          

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日付は通し番号として記しています         


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