消えてゆく小さなこと


消 え て ゆ く 小 さ な こ と

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1917年11月30日(金)

そんな余裕はない
そんなゆとりはない
だから
そんなソフトは要らない
自分を費やすべきことが
他にあるはず


1917年11月29日(木)

ルネサンスから始まった
そして未来に繋がった
そこには旧くても新しいものがあった
輝きのあるものがあった
リフレッシュされた空気があった
やっぱりいいね
光る観覧車
dinnerの調べ
人を迎え 受け容れるのは
やっぱり笑顔なんだね


1917年11月28日(水)

さまざまの事思ひ出す桜かな

どこかのブログで個人的な感想として
桜のところに何をおいても成り立つから
駄句だと思うと書いてあった
芭蕉だから名句といわれるだけと思う とあった


私は逆
桜だからいい
そのままに詠んだ句だとしても
桜は静動喜怒哀楽すべてもつ
桜だからこそさまざまの思いに連なる
それは人の心それぞれにひびくものがある
そう思う

他のものでは
たぶん思い出すのは一つの事で
さまざまにはならないのではと思う

それに第一 初めて知ったのはCMで
芭蕉とは知らなくて惹かれたのだから


1917年11月27日(火)

何とはなしに読み終えた一冊
共感はある
私の使う言葉も使われていた

けれど感想を書けるほどには
反応する言葉が無かった気がした

センスのいい雑貨屋の
ショーウィンドーの前に立ち止まり
いいね と陳列を見たけれど
ドアを押して中には入らず
ちょっといい店だった と
また歩いてゆく

そんな感じ

拒否反応はないけれど
続けて他の著書を読んでみたい気持ちは
今のところない

こういう流れの文のひとなんだろうなぁと思えて

いつかまた何かの折りに出会って
読むことはあるかも知れない


1917年11月26日(月)

さまざまの事思ひ出す桜かな

また偶然目にした
冊子の表紙に載っていた

この時期になったのだなぁと思う

いつもふと出会う
そして自分が忙しかったことに気づく

桜の色を想うだけで
優しく潔くなれる

日本人の不思議だと思う

気持ちがやわらかく軽くなった気がする



      index につけた検索窓を使ってみた(桜かな)
      過去2回 今日で3回目だった


1917年11月25日(日)

外の仕事 
一汗というほどではないけれど
雨のあとで楽だった

あたたかで
気づかぬ間にたくさん花があった

杏も木蓮も満開は終わって
あとを急いでいる
雪柳は真っ白
クリスマスローズもとりどりの色
すみれもあちこちに
山吹は開き始める
水仙もヒヤシンスも褪せず
宿根のグラジオラス系もあでやか
メダカは元気

通りの梅の大木は
まだしっかり濃い桃色で
香りを広げている

どこかの桜は咲いている


ごちゃ混ぜです

冬感も早春感も春感も実感がない
外作業が出来るという嬉しい弾み感だけ


1917年11月24日(土)

麗しく流れる四季の國は
もうなくなるのだろうか

ただ激しく躍る気象の國に
もうなったのだろうか


1917年11月23日(金)

ドラマの中で残っている言葉

割れたら また直せばいいから
  (>ガラス)

取り返すしかないんじゃないか 
  (>取り返しのつかないことした…)

声をあげて言われた台詞ではないのに
聞きとれないほど低く短い一言なのに

はっとする


1917年11月22日(木)

簡潔に 
余すところなく
伝える

それが言葉の選び方だと思う


饒舌に過ぎるのは
鮮明さに欠け
曖昧になってゆく

茶飲み話に終わるのだ


1917年11月21日(水)

洗うなら

足より 先に

顔でしょう



本気で 変わりたいのなら


1917年11月20日(火)

春と冬が入り乱れて
膨らんだり凍えたり

気持ちも定まらず

優しくなったり
いらっとしたり
むかっときたり

受け容れるつもりだったり
拒む気持ちがあったり

おとなしく静かに
流れのままにいたいけれど

どこかに
暴れたい気持ちがある


1917年11月19日(月)

庭の水仙をたくさん切ってきた
まだ開いていないのだけ残して
咲いているのはほとんど切った

梅も香を放つタイミングを迷うままだったし

杏の蕾が膨らみだしているのだもの

春を応援したいです

花粉で目が痛いのです


1917年11月18日(日)

決心して
やっと検査を受ける

先のばしして
不安ばかり大きくして

済めば
結果を気にしない自分がいる
どんな結果も受け容れる覚悟の自分がいる

仕方ないという諦めと
どうにかなるという楽観で


1917年11月17日(土)

重い日だ
白菊でなく白百合でなく
はなやかでやわらかな
明るい花たちを献じたい
凍えそうな空気のなかで
春の足音をいっしょに聞こう って


1917年11月16日(金)

よく書いてあるよね
整理収納術本なんかに
がらくたを捨てなさいって


やっとわかった
がらくたって 迷いなんだと
いろいろ断ち切れない迷いだと

だからそれを捨てれば
気持ちのすじが一本に通っていく 
ってことかなと思った
ただ場所を広くするだけじゃないんだ
そう思った


1917年11月15日(木)

春が一気に押し寄せてきた
悩まずに弾みをつけて
踏み出せよ って言ってる


1917年11月14日(水)

旧知の如く
互いに
愛読書であり
聖書である関係
理解し敬愛するつながり

キミハボクノアイドクショ
アナタハワタシノセイショ
ソウイウカンケイ
イイネ


1917年11月13日(火)

真実を認めること
現実を受け容れること

そこからしか始まらない
逃げても幻想しても
何もよくならない

そのまま朽ちるのは
厭でしょう?


1917年11月12日(月)

大きなシャベルを引っさげて
波打ち際を歩いているひと
立ち止まり
ざくっざくっと穴を掘り始める

海側に砂山をを積みあげる
微妙な位置で波を止める山の連なりは
小さな土手か砦のよう

またしばし歩いては掘り始める
何箇所も穴と山を築いたあと
おもむろに引き返す

先ほどの山々は寄せる波にくずれ
すでにゆるやかな形になっていた

波が砂山を崩してゆくのを見るのか
山が波に崩れるのを見届けるのか

単なる時間つぶしの遊びらしいけれど
自然の力から人間を護る闘いごっこらしい
でも黙々と真剣に楽しそうだった!

オトナが砂浜で単純な砂遊びに興じている
こんなこと思いっきり出来るところは他にない
公園のお砂場じゃできない
小石の浜もだめ
庭でも菜園でも野原でも川原でも
どこも簡単には掘り続けられない

気の済むまで果てしない砂の山を築けて
あとは波が消してくれる
跡形もなく誰の邪魔もしない

なんて素敵なオトナの遊びだろう
いつかしてみたいことのマイブームになった
こういうセラピーもありそうだね


1917年11月11日(日)

その本で学んだことは
入手困難なものを
追い続けないこと
もう手に入らぬものを
追い求めないこと
断念すること


1917年11月10日(土)

遠くの目的地も必要だけれど

日常の小さなことを大事にして暮らしたい

多分そこに幸せが在る


1917年11月09日(金)

一月からずっと本に埋もれていたけれど
二月は逃げる らしいけれど

外の陽ざしがキラキラし始めて
時おり 頬にあたたかな風があたって
土の匂いを感じて
そわそわしてきた

そろそろ本から離れる

冬篭りの間に
いろいろ吸収できたと思う
目からウロコのことや
確信したことや
再確認できたこと

自分をゆっくり立て直す時間は大切だ
たくさんの本が新しいエネルギーをくれた 
自分が春の子だったことを思い出させてくれた

冬はそうして過ぎてゆくのだと思う


1917年11月08日(木)

このお雛様の小さなお顔に
日本人の穏やかな気持ちが込められていると思う
今年はただただ優しく見えた
桃の花は愛らしい


1917年11月07日(水)

どんな暮らしをしたいか というのと

どう暮らしてゆきたいか というのは

同じようで
微妙に違うように思う

後者を自分に問うていたい


いろんなことがわからなくて
悩んで迷ってふらふらして
決められない だから


1917年11月06日(火)

ほんとに思い込みの強い人たちだこと
迂闊を通り越している

調べて行けばすむことで
二度手間にならずにすむことで
無駄足踏まずにすむことで

どこだって
休みはあるんだから

落胆しないところは
流石だと思うけれど


1917年11月05日(月)

何週間かずっと料理本を読み漁っていた
買ったり借りたり何十冊も見た
いろんな人のを見比べた
同じ人のを幾冊も見比べた
旧いのも新しいのも

幾つ星の高級店の料理人を真似たいわけではなく
自分や家族のためにつくる料理の本

レパートリーを増やすとか
よりよいレシピを探すとか
そういうのでなく
何かお手本としたいことを探して

単なるレシピや技術の伝授でなく
いろんな主義主張があることがわかって興味深かった
それが料理に表われるとわかって面白く思った

とんがった攻撃的な主張を持つ人
お手軽便利を追究する人
世の売れ筋一番に乗っかり続ける人
自分を見せたい人
ホットな理論的科学者
そしておだやかなあたたかい人 ほか

根本はその人の人生にあるのかなと思う

いろいろ見たけれど
料理は食べる人の体と心に寄り添うもの
あたたかな気持ちでつくるもの
料理の大切さが伝わってくるという意味で
ベースとするお手本が決まった
他のはみなスパイスだ


1917年11月04日(日)

なつかしいもの
それは過去の記憶に繋がるから

想い出と呼ぶものではなく
ただ過去に繋がるもの

嬉しいとも哀しいともほのぼのとも違って
あたたかな気持ちとも涙とも違って
なにか締め付けられる切ないもの

ただ小さな古びた缶に


1917年11月03日(土)

天命というものがあると思ってきた

でも

運って自分で呼び込めるんじゃないか

そう思った



だから古来より一般素人は
その術の専門家に頼るんだね

でも本当は自分で呼び込めて
自分で呼び込まなくちゃ来ないんだろうね
そして自分で呼び込んだ運は
天命を変えるのかもしれない


1917年11月02日(金)

ごり押しなんだな と思った
やっぱりゆっくり調べないとね
急いで見た夢はどんな結末なのか
あとは運次第 ということ


1917年11月01日(木)

この目で見たかった
この手にとってみたかった

でも
たとえ新しいまま時を経たとしても
通り過ぎた風の足跡を纏うのだ
生まれたての輝きはないのだ




天窓より          


−ともすれば消えそうになる自分を見失わぬよう−       

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− ささやかに −          

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日付は通し番号として記しています         


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