消えてゆく小さなこと


消 え て ゆ く 小 さ な こ と

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1917年04月30日(月)

蕾がほどけはじめた
八重のガーデニアを
一輪切ってきた

部屋中濃厚な甘さに満ちるかと思いきや
青さと苦さのスパイシーな部分があって
意外だった

モクレンやタイサンボクに感じる青さに似ている


1917年04月29日(日)

シンプルな暮らし という言葉

すっきりと軽やかで素敵に響いたり
どこか質素でつまらないものに聞こえたり

丁寧に見えたり
アバウトに感じたり

何となく迷いも持って
微妙に受け止めていた


今は 生活のメタボ という言葉に反応している

本来の気持ちのよい暮らしを考える指標として
イメージしやすい言葉だと思う


1917年04月28日(土)

青くてきれいな小さな魚
小鳥のような尾を持って
子犬のように遊んで眠り
人なつこくて可愛かったのに

小さな生き物は
環境の変化に敏感で
とても弱いこと
目の前でわかった

可哀想で
もう飼わない


1917年04月27日(金)

ただじっと見据えていても
見えぬものもある
動かさねばわからぬこともある


1917年04月26日(木)

カタログを一頁ずつ
丹念に読んで調べるという作業から
やっと解放される
眉間に皺を寄せなくてすむ

ひとつ片付くということは
気持ちが軽くなる

指の怪我快方に向く
痛みはまだ残るけれど
通院から解放される

取り敢えず安堵


1917年04月25日(水)

台風のからみで一日雨
夏至だともわからぬ天気
夕焼けを楽しみたかったけれど

明日から
時間の刻みが遅くなってゆくような
妙な錯覚を覚える


1917年04月24日(火)

ひとつずつ片付けて
清々しい

こころの底から自然にわく笑み
一人でも笑顔になれる

誰かにもらうのでなく
静かにわきくるもの

面倒なことを
気になりながら放置していたのを
進めただけだけれど

完遂という気分は
小さな邪念(よこしまさ)を抑え
己で清めたような気持ち

清めたから生まれる気持ち
清々しいという気持ち


1917年04月23日(月)

この裁判納得いきませんね
危険な運転って どういうものだろうか
技術だけだろうか
技術が未熟でなければOKなんだろうか

免許をもらう時にも更新のときにも
事故を起こさないための学習がある
危険を予想し事故を未然に防ぐという
ごく当たり前のことに時間が割かれる
耳タコの感じで面倒だけれど
脳の片隅に意識としてあるでしょう
そのことが自分の運転の危険度をはかっているでしょう

無免許というのは
そういう学習をしていないということで
もっとも重要な危険を回避する学習を飛ばしていることだ
その意識の無さそのものが危険だろうが!
そんな意識的低レベルの運転をのさばらせるから
重大な事故が起こる

なのに技術だけに焦点をおいて
未熟でないから単なる過失って
マットウな市民感覚からすればアリエナイ
きちんと免許をとる善良な市民を馬鹿にしている

危険予測の認識のレベルが低い者の運転は
はっきりと危険運転でしょうが!

常に安全運転を意識する
危険を回避する意識をもつ
それを出来ない者の運転は危険でしょうが!
危険運転でしょうが!

技術があれば無免許運転でもよいという
ルールを無視した態度そのものが
危険運転者!の証 
危険運転者の運転は 技術があろうと危険運転!
そう見なすべきだ

なぜそれが通らないのかね
単なる過失 で誤魔化してはいけないはずなのに

無免許というルール違反の上で犯したことは
より重いはずなのに

いつも思う
18歳を少年というな!
未成年という一括りにするな
そもそもそこがおかしいと思う
少年という日本語のイメージとの
差があると思う

準成人という枠で
厳しく自覚を求めるべき年代と思う
大人の自覚の準備段階
もうこどもではない
あまやかされないぞ
そういう社会の態度が必要なのに


1917年04月22日(日)

ホームレス歌人 公田耕一
心にその名前を刻んでいる人は多いと思う
後にルポライターみたいな人が出した本は
読者の大方は期待はずれだったと思う
でもいまだに時おり彼の歌を引く人がいて
心うたれる
一般の投稿者に対して詮索は許されないけれど
みなが祈っているのだ
再会できるなら と


1917年04月21日(土)

カヌー カヤック ラフティング
キャニオニング なんとかボード
滝すべり

いくつかのパンフを処分した
たぶんもういらない

見るたびの悲しみを
捨てた


1917年04月20日(金)

頼んでいた本が届いた
読みたかった本3冊
わくわくする

時間とれるかなぁ
徹夜か


1917年04月19日(木)

あなたにね
いつもは静かにシラッとしているのだけれど
今朝はなんだか大きな声で
オハヨー って言いたくなった


1917年04月18日(水)

その時集ったメンバーは
またばらばらになってそれぞれの道

わたしは
少しは進んできたのかな
それともマイワールドにいるだけなのかな

あなたはどう?
かわりましたか
すすみましたか


1917年04月17日(火)

小さな流れの向こう
やぶの間に数匹光る
ゆっくりあがって
すっととまる

点滅の 
光って消えた瞬間に
ほわっと青白い残像を感じる
蛍光灯ってこんなだったような


1917年04月16日(月)

蜘蛛の子を散らして
糸など引き切って

あとにひとすじも残さず
なかったことにしておきたい

新しい風を通して
すべてクリアに戻して


1917年04月15日(日)

ゴールドメダリストではない
MVPでもない
ポイントゲッターでもない
けれどいつも突破口を切り開く糸口を作る

美味しいところを持っていかれた?
そう言われるかもしれないけれど
そう思ってはいない

いちばん美味しい仕事をしている
そう思っている
そのことを楽しんでいる

だから燻し銀のメダルを

似合うと思うよ


1917年04月14日(土)

かさかさとひからびて
そうしておわってゆく不毛の地 とみえて
ほんとうはゆたかであるかもしれない
そうあってほしいと思う

手にとれない目にみえない
そういうゆたかさを思う


1917年04月13日(金)

手わざでモノをつくるのをヤメた
いま 
クウカンを作っています
生み出しています


1917年04月12日(木)

そうだよね
必要かどうか
それが一番だいじなんだよね

いま必要なのか
この場所に必要なのか
ほんとうにわたしに必要なのか


1917年04月11日(水)

外科手術的な内容でなく
内科治療的な本 と著者が述べる

なるほど
きっぱりと記憶に残る言葉は無いのに
振り返って読み返しても
座右の銘となるような記述を得ないのに
じわじわと効くボディーブローのように
何かが浸み込んでくる感じ
内からゆっくり改善されている感じ
いつの間にか肩が軽くなっている
気持ちがかわっている
ひとりでに行動を起こしている


1917年04月10日(火)

バタバタしている
自分のことでなく 
ひとに振り回されている
きみに きみの熱意に

一生懸命さに振り回されるのは
心地いい

でもPWは変えた


1917年04月09日(月)

雷がごろごろ鳴って
大粒の雨のなか
園の門から
お迎えのお母さんと
小さなひとたちが出てきた

真剣な顔でおなかをおさえていた
おへそを守ってるんだろうね

わたしは雷だいすきだけれど
小さい時どうだったかは
覚えていない


1917年04月08日(日)

シッポがあって
バランスとったり捕まったり
落として生き延びたり

人間だって同じこと

落とせぬシッポを持っている
確かさも不確かさもない怖さで


1917年04月07日(土)

ドクダミが背丈を伸ばしている
花の位置がどんどん高くなる
樹下の茂みはこんもりとほの暗く
夕刻 白く際立つ花たちは
その葉陰の薄闇に何かの精を潜ませる
じっと凝らして見れば
目が合いそうな気がしてくる
そうアリエッティーのような


    白いところはホントは花ではないけれど
    見た目やっぱり花と呼びたい
    ミズバショウだっておなじこと


1917年04月06日(金)

シャリンバイがいい香り
ジャスミンに似ていると思う
散歩のおみやげ
ありがとう
もう一年になるのかなぁ


1917年04月05日(木)

ハゴロモジャスミンが終わった
アーチ周りもすっきりカットされて
ニオイバンマツリ(アメリカンジャスミン)が映える
今は色がとりどりとなってにぎやか
もっと大きく育ってほしい
今は私の肩先
はやく背丈を超えてほしい
どこかのお寺の境内のように
仰ぐほどになってほしい
むせぶほどに匂ってほしい


1917年04月04日(水)

ドクダミが咲き始めている
白い花が可愛い

たくさん生い茂って
それぞれに小さな白をかかげて
樹下を清楚に染める
なぜかその辺りを
ミズバショウの水辺に思ってしまう


1917年04月03日(火)

庭に子スズメをよく見かける
ちゅんちゅんよく通る声が
ずっと続く

親鳥が戻ってくると静かになる
いっしょについて動き
親鳥が出かけると
またずっと鳴き続けている

きっと
発信し続けているんだ
親鳥は受信しつつ餌をみつけ
その声の元に戻るんだ


1917年04月02日(月)

TVで見ると
BGMなど流れていてとても感動的
アップでゆったりその時をもう一度見た
きらめく天体ショーだった


朝は家で家族と
へやの窓から見たけれど

ああそうなんだな
こんなふうに太陽と月が
重なっては離れてゆくんだな
計算通り秒を刻んで
きっちり中を通過するんだな

神秘的な感動というより
天体の正確さ宇宙の律儀さを
思っていた

どうも他の人と違う感想のようです


1917年04月01日(日)

チケットを買って観るステージのように
入園料を払うバラ園や花菖蒲園みたいに
それはそれで見事で期待値を裏切らない

でも 想定値に近い

終幕があり順路出口があり
それ以上がない


何百年先のスケジュールもわかる
おそらく永遠に順路から外れぬ太陽 より
流れて燃え尽きる星屑の群れが好き

待ちわび続けて終わるかもしれないし
爆発的なサプライズが訪れるかもしれない
順路のない高まりが最後まで続く
そのほうが好き




天窓より          


−ともすれば消えそうになる自分を見失わぬよう−       

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− ささやかに −          

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日付は通し番号として記しています         


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