2013年04月27日(土) |
感動を失っていくのかな |
仕事について2年めの春がきているわけだ。今年の4月の気候は、とくに寒暖の差が激しくて違和感を感じたと思う。
先月の家族行事も終えて、気分もほっとしたり、力を得たりした後は、ちょうど2連休が月初めにやってきて、部屋の模様替えをやっと、重い腰を上げて始めたりした。気候もよくなって、体も動かさないわけにはいかなかったし。 思いのほか部屋はこその場の流れで機能的な形が出来て、満足した。
毎日の片付けという作業は全く、自分の中にインプットされないままで生活をしてきた私。現実の中で何も成せないことと同じだった。
いまだにそれは続いていて、間抜けなミスを繰り返しては人から認めてもらえない人生が延々と続くのかもしれない。
変えたいのなら今すぐの努力だろう。 孤独であることに負けてひがんで、思考を放棄したようなクセに引きずられてきたことにも気がづく。
人と接する中での気疲れを嫌がって、自分の好き勝手にしてきた事。負い目を言い訳にしてきたこと。 これではいけない。周りの人がそう気づかせてくれる。 自己愛が強くて、その分だけ他人を嫌って、小さい頃から育ってきた気がする。
変われるかどうか、結果ばかりを気にしても仕方が無い。やれることをやっていくだけだろうと思う。 危ない事をしてはいけないけれど、出会いパーティーに参加することまで決めてしまった。
ちょうどゴールデンウィークの真っ最中という時期に、気持ちが動いてしまったし、春の出会いに思いを寄せてもいい時期ではないのかなと。
企画会社はたくさんのパターンを用意していて、中年同士の集まり、離婚経験者中心というものを、休みの日と相まって予約をとれたのだ。
ただ何事も経験だなと、時間つぶしもいいかな。 予定の無いままの5月連休で3日間も時間があるなんて・・。 先週職員旅行で岩国、広島へいったばかりなので、遠出も気が向かない。本来ならこの良い気候の時にどこかへいってもいいのだけれど。
あれは何年前になるのかな・・。まだみーこも生きていたし、前の仕事に就いてから2年目くらいの、もうずいぶん前のことと思う。 ありえないような偶然を体験して、その衝撃で初めて不眠とはこういう事かなんてしったりする。 いつも寺参りで降りる駅の正面。 その日 友達に誘われてたまたま待ち合わせする場所になる。 目的の場所はもっと先だったのに、たまたま友達がランチを食べたい店へ行くのに都合がよかったからだ。
車で迎えに来るその友達が来るまで、トイレを済ませることにした。出てくると駅の前には車を降りた友達と、もう一人、車から降りて道を尋ねている男性が二人だけ立っていた。
なぜ、こんなところで、偶然にその人が会うこともないはずの父親だったのだろうか。 姿を見るのはデパートで一度ある。もうそのときから何年だろう。やはり、10年近い時間だった。
8歳のときに父が家庭を捨てて、新しい人のところへと出て行った。 もう、戻ることはないんだと、なぜか本能的に理解していた。 そんな父に 鈍い怒りを燻らせながら、淋しい少女時代が過ぎていった。 会いたいとも思わなかったし、会えるとも思わなかった。会いたいのは7歳で出会ったかわいい恋人である弟のこと。父が連れ去った血を分けた兄弟だった。
21歳になって、母の知り合いの紹介で中学校の事務室で働く事が決まった。 すると、そこは、別れた愛しい弟が成長して通う中学だという事が判った。 父はPTA役員で頻繁に学校へ顔を出していた。 私のことを親戚の娘だと苦し紛れに人に告げるのを横で聞く。
1歳3ヶ月で別れた弟は14歳の少年になっていた。 どうしても話してみたくて、いとこなんだよとウソをついて、顔をみた。
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