空中楼閣

2001年10月28日(日) 時間というもの

誰が時間なんて定めたんだ?
一年は三百六十五日で、十二ヶ月で。
一ヶ月が三十日の月もあれば、
三十一日の月も二十八しかない月もあって。
一日は二十四時間なんて半端な数字で。
一時間は六十分で。
 
きっと時間を定めた人こそが、この世で最も支配力を持った人なんだ。
文明の進んでしまったこの世の中で。
ほぼ全ての人間を拘束する事を可能にしたんだ。
スゴイ事だと思う。
 
でも定められたとおりに動く時も、
定められたとおりの毎日も、
その日一日はその時しか存在しない訳で。
その時だけの一日を、
その時だけの一週間を、
その時だけの一生を、
自分の為に生きて行こうと思いました。



2001年10月27日(土) 障害者―健常者

何もする事がなくテレビを眺めていたら
ドキュメンタリー番組が始まったので
「ま、いっか。」
と眺めるのをやめて見る事にした
 
車椅子の人間と歩ける人間が
野宿で日本を縦断するという様な内容
 
健常者の女が障害者の男を
「人に頼りすぎている。」と軽蔑する
自立して生きる二十歳の女には
沢山の人に支えられる男が
堕落した人間に映ったのだろうか
 
それともただ単に
万人に愛されているような彼が羨ましかったのだろうか
 
 
何にせよ彼女の考えには賛同できなかった
『誰かにやってもらってばかり』
そういう気持ちも何となく理解できるけど
自分一人では絶対に不可能な事をやってもらって何が悪い?
そういう貴女は一人で生きてるの?
一人だけの力で生きているって言い切れる?
自立するまでに何人の人の世話になった?
これから地球上に一人きりになって生きていける?
『何でも自分から頼んでばかり』
そういう気持ちは解らなくも無いけれど
出来ない事を頼まずにどうすればいい?
頑張って何とかなる次元の話じゃないのに
頼まずに何が出来る?
誰かが親切心で働きかけてくれるのを
ただ黙って待っていれば良いというのだろうか
 
捨てられた動物達のように
 
 
辺りを見渡せば健常者に分類されつつも
堕落した人間達が其処彼処に生きてるのに
 
 
彼等が東京でゴールテープを切った
北海道から始めた縦断の旅が終わった
感動で泣き崩れた女を見て母が
「これは障害者と一緒の旅立ったから
 これほどに泣くほどに感動したんだろう」
したり顔で言った
 
だから言った
「健常者だけの旅でも感動はあるよ
 障害者だからって特別扱いしないで」
って
 
 
健常者 障害者
誰が分類したんだろう



2001年10月26日(金) 「幸せですか?」

友人にふと
「今、幸せですか?」
と問われ、
「勿論、幸せです。」
そう言った。
 
続けて、
「アナタの人生、幸せですか?」
と問うたので、
「当然、最高に幸せですよ。」
そう返してやった。
 
 
この言葉を聞いていた友人二人が
「言ってみたい、そういう台詞。」
などと言うものだから。
 
余りにも深い溜め息をついて
「私ちっとも幸せじゃない。」
などと言うものだから。
 
 
そしてその顔が余りに悲しげで、物憂げな顔をしていたから。
 
私は滑稽さに笑いを禁じえず
「損な生き方ですね。」
そう言って笑った。



2001年10月25日(木) 白昼夢

それは 真昼に現れた 白い悪魔
 
 
時折、飛ぶ意識。
卒倒はしないけれど、日常の瞬間に、意識だけが浮かび上がる。
 
離脱
浮遊
 
そしてそれは私に、
映像を
言葉を
声を
想いを
流し込んでくるのです。
 
 
ただそれが 今回に限って
極めて残酷で悍しかったので
 
いつも地獄は太陽が逃げてから訪れるので
 
ただそれが 余りに突然に
肌で感じられるほど感覚的だったので
 
 
人が周りに居た事も相まって。
きっとその時の私はヒドク、
酷く苦しげな顔をしていたのだろうと思います。
 
 
それは 真昼に現れた 白い悪魔



2001年10月24日(水) 不足分

私と正反対
 
 
字書きと絵描き
 
 
悲観的な文章を得意とする
ひどく楽天的な自分主義者
 
柔らかく暖かな絵を描く
自分に自信が無いマイナス思考者
 
 
正反対
 
 
表向きに掲げる作品の雰囲気も
 
裏に隠れた心のベクトルも
 
 
周りが驚く程に 正反対
 
 
 
でも確かに私にはアナタが必要で
アナタ以外の人とこの道を歩む事は
考える事すら 想像する事すら出来ないのです
アナタと出逢えた事が奇跡であり
互いが正反対の心の中
今まさに互いを必要としているという事実
これこそが常なる奇跡なのだと
私は思うのです



2001年10月20日(土) バイオリズム−(マイナス)

近頃どうも友人達がマイナス気味。
何でだろう。
 
 
自暴自棄になる友人がいて。
鬱が酷くて入院した友人がいて。
命を絶とうとした友人がいて。
日々を泣いて過ごす友人がいて。
破壊衝動に駆られる友人がいて。
幻覚に怯える友人がいて。
不眠による疲労で倒れた友人がいて。
死んだ様に眠り続ける友人がいて。
人との接触を拒む友人がいて。
悪夢ばかりを見続ける友人がいて。
食事を取らなくなった友人がいて。
手を洗い続ける友人がいて。
人を傷つけてしまった友人がいて。
 
 
そんな中、
 
変わる事無く笑える自分がいる。



2001年10月10日(水) 家族の定義

『家』があって『人』が居るのは『家族』じゃない。
 
そこに『心』があって初めて、それは『家族』と呼べるものに成るんだ。
 
 
僕はそう思った。



2001年10月08日(月) 死ぬのが恐い人。

同じ近所の人が今日、手術を終えて帰って来ました。
彼の配偶者の話によると。
ガツガツと物を食う彼が静かに飯を食い。
早食いの彼が食する事を途中で止め。
高飛車で高慢の彼が穏やかに話し。
一人を好む彼が家族と時間を過ごしているそうです。
 
それを聞いて私は、こう思いました。
『彼は死を恐れたのではないだろうか』
私は、そう思いました。
 
熱心なクリスチャン。
死を恐れる事無く、永遠の復活を信じる。
そんな彼が、ほんの小さな手術で死を恐れたのだとしたら。
 
随分と人間らしい事だと思います。
私には、とても不思議な話なのですが。
 
死を恐れる事は、人として当然の感情だ。
人はそう言うかもしれません。
けれど今の私は、死を恐れません。
 
輪廻転生を唱える気はありません。
自分以外の存在に生まれ変わりたくないのです。
復活を信じている訳ではありません。
永遠の命はツマラナイと思っているからです。
自殺願望を抱いているのでもありません。
愚かな私に己の死を望む事が出来得る筈もないのです。
 
ただ、今はまだ生きていたいと思っているだけです。
とりあえず、死ぬのは嫌だなと思っているだけです。
 
それでも今死んでしまうとしたら。
仲の良かった友人や親族達
続きが気になる漫画やドラマ
手掛けている作品
その程度の事が頭を掠めるだけだと思います。
それが今の私にとって最も重要な位置にあるからです。
 
下らない人生だと、嘲笑う人もいるでしょう。
そんな彼等に一言、言ってやりましょう。
「あなた達が下らないと言う、
 数多くの物に命掛ける事が出来る私は。
 死への恐怖にも劣らない程、恐ろしく強いよ。」
笑って言ってやりましょう。



2001年10月03日(水) 嫌いな人。

多分『嫌い』に分類される人。
自信ないのにプライドだけ人一倍高い人。
つまり『奢れる小心者』の人。
多分嫌いなんだと思う、この私は。
 
けれどその実、奢れる小心者には嫌われやすい私。
理由は色々あるだろうけど、明確な理由が一つ。
 
私が常に自信に満ち溢れてるから。
 
 
頂点に立っていたい。
そうまでしなくとも人より優位に居たい。
尊敬され続けていたい。
相手を振り回して、それでも愛されていたい。
優越感にひたっていたい。
 
見下されたくない。
知らない事を誰かに教わりたくない。
振り回されたくない。
誰かに対して『敵わない』と思いたくない。
劣等感なんて認めたくない。
 
そう思いながらも・・・自分に自信がなくて。
・・・でも、認めたくない。
己の弱さを、無力さを、臆病で自信のない自分を。
一度きりでも見てしまったら。
一度きりでも感じてしまったら。
きっとプライドは崩れていってしまう。
崩されてしまう。
 
そんな『奢れる小心者』
 
 
私は全く逆の精神を持つ人間で。
プライドは低いし、自分の限界も知ってる。
土下座だって軽くやっちゃう。
・・・のに、自信の塊。
そしてその自信にさしたる根拠もなく。
ただ何となく。
自分に自信があるだけ。
 
だからこそ苛つくの、彼等は。
根拠のない、それでいて揺るぎ無い自信に。
己のプライドを崩されそうだと危機感を感じるから。
他者を落とす事によって保たれている
小さな小さな自信を揺るがされそうになるから。
 
 
私が本当に興味があるのは、
『壊されたプライドでどこまで這い上がれるか』
そういう事なのにね。
 
仲良くしてよね。


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亨 [MAIL]

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